神戸元町ダイアリー2008年(5)

意外とファンが多くてびっくりしています。
R・D・ウィングフィールドの「フロスト」シリーズです。
この夏は待ちに待った第4作「フロスト気質(かたぎ)」が翻訳されました。
お下品で身勝手なフロスト刑事の活躍ぶりは期待を裏切りません。
作中フロストがあの手この手を使って上司のタバコをくすねるのですが、ああ、そうでした。
イギリスはタバコは1箱1,000円もするのでした。
それならフロストでなくても人のタバコをくすねるのに必死になるでしょうね。

 

(2008年9月5日)

今ブルックナーを聴いています。
交響曲第9番、彼の最後の交響曲です。
彼の交響曲では一つの旋律がひたすら繰り返されてクライマックスを作り上げます。
その旋律は一見単純で明快なのですが、よく聴くとその個性豊かさに驚かされます。
そう、まるでゴシック建築のようです。
ステンドグラスの意匠は素朴でチャーミング、壁に据えられたガーゴイルはグロテスク、複雑な模様を刻み込んだ柱は力強い。
こうした一見ばらばらの無秩序な細工が一体となって天上の高みを目指すのです。
この高みへの志向、崇高な壮麗感はブルックナー独自のものです。
こうしたことはこれまで何万人ものブルックナーマニアがそれぞれ何千回も繰り返し言ってきたことです。
新味がないと分かっていても言いたくなってしまう、それもブルックナーの魅力でしょうか。
ところでバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3人は「ドイツ3大B」と呼ばれます。
しかし、私は思うのです。
これがもし「ドイツ・オーストリアの3大B」ならそれはバッハ、ベートーヴェン、ブルックナーだろうと。

 

(2008年9月17日)

私はクラシックもロックも同じように聴いて、特にどちらが高尚でどちらが低俗とか考えることはありません。
ですが一時期「グルーヴ」とか「ヘヴィネス」などのムーヴメントが盛り上がった時のロックにはうんざりさせられました。
ゆっくりのロックなのです。
遅いロックなんて甘いカレーとか面白くないお笑い芸人みたいなものだと思います。
ライブハウスで「ゆっくりロック」を聴いて「このグルーヴ感が最高!」なんて言ってる若者を見ると「そんなものを聴くくらいならブルックナーのアダージョを聴け!」と言いたくなるわけです。

 

(2008年9月19日)
 
先日県警の西側方面を歩いていて驚きました。
宝月旅館がなくなっていたのです。
甲子園沖縄代表の定宿のはずなのに今年は宿泊先リストに名前がなかったので不思議には思っていたのですが。
私が旧・赤十字病院に在籍していた頃は甲子園期間中球児たちが夜遅くまで路地で素振りをしているのをよくみかけました。
コンビニエンスストアで買い物していてもどことなく素朴な雰囲気があったのが印象的でした。
宝月のご主人もかなりの高齢らしいし、高校球児も今や旅館よりもホテルの時代なのかもしれませんが、何か一つつながりがなくなったようで寂しいものです。

 

(2008年9月22日)

格差社会の原因について評論家がいろいろ語っています。
しかし根本的な原因は私には自明に思われます。
つまり今の若者たちが、社会に格差などないと教え込まれたからではないでしょうか?
教育現場では生徒に序列をつけるのを嫌がります。
できれば競争もさせたくない。
高校は全入で、しかも学力とは無関係に学校が割り振られる。
学芸会でも均等にセリフが与えられる。
こんな教育を受けたにも関わらず真っ当に頑張っている人がいる方が私には不思議です。
生涯賃金を大雑把に表すと、フリーター5千万、中卒2億、高卒2.5億、大卒3億くらいでしょうか。
格差をなくすためには生徒たちにこの現実をしっかり叩き込むことが必要だと思います。

 

(2008年9月24日)

よくマスコミで派遣社員残酷物語が取り上げられます。
同じ仕事をしているのに正社員よりもはるかに少ない給料しかもらえない、それは働いていてとても辛いと思います。
しかし一方で「同じ仕事量なら責任がかかってくる分正社員の給料が多いのは当たり前」という考え方もあります。
ところがなぜかマスコミにはこういう考え方は取り上げられません。
先日ある医療関係の人事の人と話をしていたら派遣社員の無断欠勤率の高さを嘆いていました。
最初に契約した人は初日無断欠勤、次の人も初日無断欠勤、3人目の人は初日にやってきたと思ったら昼からいなくなったそうです。
伝聞なので幾分話が大きくなっているかもしれませんが、似たようなことはどの業種の人も経験しているのではないでしょうか。
そういう働き手のモラルの欠如もマスコミではあまり語られません。
派遣社員問題に関して、マスコミ側は反応の薄さを感じていると思います。
どんなに煽っても盛り上がってくれない「手ごたえのなさ」。
当然だと思います。
取り上げ方があまりに一方的すぎるのでもう一つ信用できないのです。
ほとんどの人は「またマスコミがきれいごとを言っている」くらいに思っています。
人々に訴えかけたければ物事の両面をしっかりと紹介した方がいいと思います。

 

(2008年9月28日)

物事の両面を報道しない、と言えば少し前の産婦人科たらい回し問題を思い出します。
当初は「医師のモラルが低い!」という視点から報道されていた事件ですが、そのうちに「未検診妊婦のいわゆる飛込み出産の危険性」「産婦人科医の激務」「検診費用を誰が負担するべきか」などの面も報道され始めてようやく真っ当な社会問題として認識されるようになりました。
その結果、医師数を確保して婦人科医療システムを構築したり、妊婦検診を公的に補助する仕組みなどが検討されたりするようになってきました。
最初のヒステリックな報道は一体何だったのでしょう?
マスコミ関係者に謝罪しろとまでは言いません、しかしせめて「国は医師数増加や検診費用の負担を考えろ、我々は未検診出産の危険性を訴えるキャンペーンを行う!」というくらいの気概は見せて欲しいところです。

 

(2008年9月29日)

小泉総理がやったことで一つだけすごいと思ったことがあります。
中曽根、宮沢元首相に引退を迫ったことです。 
いつまでもポストにしがみつく長老に対して「いい加減辞めろ」と言うのはとても難しいです。
実際そんなことをやらかした人を私はこれまでただの一人も見たことがありません。
私もあの人にもこの人にも言ってやりたいのですが、とてもそんな勇気はありません。
それを考えるにつけ、小泉さんは本当にすごい変人だったのだなあと思うのです。

 

(2008年10月1日)

愛媛の親戚がみかんジュースを送ってくれました。
愛媛と言えばポンジュースが有名ですが、今回送ってもらったのは生産者の個人名まで入ったストレートジュースです。
甘味も酸味も渋味もぜーんぶ丸ごと封じ込めた「生」な味わいでした。
ところで時を同じくして冷蔵庫の奥から「うめジュース」というのが出てきました。
おそらく誰かのどこかのお土産かと思われます。
これを飲んでみると、甘い。ひたすら甘いです。
砂糖をどっさり放り込んだ気持ちの悪い甘さ。
どうしてこんなことをするのでしょう?
旅先のみやげ物ショップに行っていつも思うことです。
ショップに並んでいるのは名前だけ気の利いた、しかしせっかくの特産物を甘味料や着色料で台無しにした飲み物とか、醸造用アルコールで水増ししたお酒とかばかりです。
観光地っぽいネーミングだけありがたく持って帰れと言わんばかりの殿様商法。
こういう店に行くと、買うべき商品が見当たらない寂しさと同時に、観光客を馬鹿にしたような売り手の姿勢に哀しさを感じてしまいます。
というわけで美味しいジュースと美味しくないジュースを飲んで、ついつい観光業界に腹を立ててしまった私でした。

 

(2008年10月3日)

今年も元町ミュージックウィークの季節がやってきました。
今回もお手伝いすることになりました。お暇ならどうぞ。

 

(2008年10月6日)

2008年10月8日、同率首位の巨人と阪神との最終戦が行われた。
残り3試合だったために事実上の優勝決定戦と言われた。
3対1で巨人が勝ち、そのままリーグ優勝を果たした。
 

事実上の優勝決定戦と言われた巨人阪神戦の平均視聴率が15.8%だったそうです。
平均で30近く、瞬間的には40近くに達するだろうと予想していたのに、驚きです。
ところで15.8%というとほぼ100を6で割った数字です。
つまりプロ野球12球団のファン数が拮抗して、2チーム分のファンがTVにかじりついたとすればこの数字になります。
数字の低さには驚きましたが、案外プロ野球人気の均等化を表す健全な数字なのかもしれません。

 

(2008年10月15日)

偽装表示のニュースを見て不思議に思うことがあります。
社員が大勢いる大きな会社なら中には不正を告発しようとする社員もいるでしょう。
これがもし少人数、極端な場合一人だと不正は表に出ないのではないでしょうか。
たとえば一人で作って一人で売っているようなケーキ屋だと古い牛乳を使っていてもこちらには分からないし、発覚することもないわけです。
つまり私たちは大きな会社の製品については表示を見て、個人商店だと作り手、売り手の人柄を見て、商品が信頼できるかどうかを判断しています。
どちらかと言うと、私たちは表示よりも人柄の方に重きを置く傾向があると思います。
いかに厳正な基準をクリアしたかを謳った表示よりも、信用できる人が目の前で作って目の前で売っているケーキの方を私たちは信頼します。
宇宙服のような格好の作業員が無菌室のような部屋で作っている写真の貼り付けられた弁当よりも、近所のおばちゃんが普通の台所で作った手作り弁当の方を私たちは信頼します。
作り手の顔が見えれば私たちは安心するのです。
そこまで考えてふと思いついたのですが、当クリニックでは私が診察をして、私が薬を用意して、私が説明して渡します。
私が麻酔をかけて、私が胃カメラをして、私が機械の洗浄をします。
これぞ究極の「顔の見える医療」ではないか……、胃カメラの洗浄をしながらこんなことを考えて一人ニヤニヤしたりしているわけです。

 

(2008年10月17日)

神戸元町ダイアリー2008年(4)北京オリンピック<main>神戸元町ダイアリー2008年(6)ジャーナリストの死


神戸元町ダイアリー2008年(4)

2008年夏、中国産鰻を国産と偽装する不正表示事件が報じられた。
それを期に他の卸業者による同様の事例が数多く発覚し、さらに他業種での産地偽装、消費期限偽装、成分偽装などありとあらゆる偽装問題が連日新聞紙上をにぎわせた。
 

本格的に暑くなってきました。
こういう時はやっぱり鰻ですね。
不正表示事件のあおりを受けて売り上げが落ちて値下がりするのではないか、いやいや「下手に値段を下げると産地偽装ととられかねない」と売り手が考えて値下がりは期待薄か、などといろいろ考えています。
こういう時こそ経済評論家が「値下げは売り上げ減のためで産地偽装のためではありません」と言ってくれると、売り手も安心して(?)値下げできるのではないでしょうか。
森永さん、ひとつどうですか?

 

(2008年7月4日)

マイクル・コナリーの「終結者たち」(講談社文庫)を読み終わりました。
14か月かかってコナリーの翻訳された16作品全30冊を読破したことになります。
ハリー・ボッシュ・シリーズはまだ続くようですが、この1年間本当に充実した読書生活を楽しませてもらいました。
次はジェフリー・ディーヴァーにしようか、それともローレンス・ブロックの未読作品を片づけようか、わくわくしながら考えているところです。

 

(2008年7月7日)

近所のレンタルビデオショップがコミックのレンタルも始めました。
入ってみると昔の貸本屋みたいでなかなか懐かしい感じです。
話題になっている作品を借りたいと思うのですが、話題作はたいていまだ連載中です。
さすがにリアルタイムで追いかける余裕はないので、評判がよくてなおかつ完結した作品に限って読もうと思っているところです。
今は浦沢直樹の「モンスター」というのを読んでいます。
感想はまた後日。

 

(2008年7月9日)

誕生祝にケーキをもらいました。
ケーキといっても和菓子です。
中には餡子が入っているらしいです。
デコレーション饅頭とでも言えばいいのでしょうか?
神戸駅近くの「幸福堂」というお店で、「ネコとチェロが好き」と伝えたら作ってくれたそうです。
チェロにはちゃんと弦が張られて、求肥には音符マークが焼き付けられてなかなか細工が細かいです。
食べるのがもったいない感じです。

 

(2008年7月11日)

浦沢直樹の「モンスター」を読み終わりました。
全18巻です。
読みながらユゴーの「レ・ミゼラブル」を思い出しました。
ともに主人公が逃避行を続けながらその先々で人を助けてしまうというお話で、執念深い刑事が登場するのも同じです。
違うのはタイトルにもなっている「モンスター」の存在です。
しかし同時にこの「モンスター」の存在がこの作品の最大の弱点でもあります。
冷酷無比の巨大な悪、これにリアリティがなさすぎるのです。
「誰が」「なぜ」犯罪を犯すのかは描写されても、「いかにして」は描かれず、とてももどかしいです。
面白かった、しかし長すぎる。
これが正直な感想です。

 

(2008年7月14日)

先日パリ国立オペラの「トリスタンとイゾルデ」に行ってきました。
指揮はセミヨン・ビシュコフ、演出がピーター・セラーズ、そして映像がビル・ヴィオラでした。
演奏はあくまでも正統派でオーケストラも歌手も素晴らしかったのですが、演出が斬新でした。
ステージ中央に設置された巨大スクリーンにヴィオラの作品が映し出され、歌手たちはその前で演技をします。
演技と言っても動きは最低限に抑えられ、その代わりにヴィオラのビデオアートが登場人物たちの心象風景を語るという仕組みでした。
ワーグナーの音楽はさすがに長くてところどころ退屈です。
ヴィオラの作品も例によってさほど面白いものではない。
ところが二つが一緒になるとなかなか面白いのです。
3幕4時間の間全く眠気に襲われることなく音楽を楽しむことができました。
考えてみれば「トリスタンとイゾルデ」はもともと全く動きのないドラマです。
第3幕など死の床にあるトリスタンが45分間ああでもないこうでもないと歌い続けるのです。
派手な演出のつけようがありません。
それならトリスタンは寝かしておいて、観客の視覚はスクリーン映像で楽しませる、というのが真っ当な発想なのかもしれません。

 

(2008年7月23日)

「トリスタンとイゾルデ」の演出で気になったのは演技の抑え方の不徹底さです。
第1幕はちょっと抑え気味という感じでしょうか。
媚薬を飲んだ二人の胸の中で愛情が高まるシーン、二人はぴたりと並んで立ってはいますが決して触れ合いません。
第3幕にいたってはトリスタンはイゾルデの腕の中で息絶えるはずなのに、イゾルデは舞台中央のトリスタンに近づこうともしません。
ところが第2幕では待ちに待った出会いの時、二人は普通に抱き合って口づけを交わします。
もしかすると3幕で駆けつけてきたイゾルデはトリスタンの願望から生まれた幻覚という解釈なのかな? とも思いましたがその後の展開を見るとそうでもなさそうでした。
いっそのこと第2幕も二人が抱き合わなければよかったのに、そう思えてなりません。

 

(2008年7月25日)

オペラ「ヘンゼルとグレーテル」が終わりました。(7月21日at灘区民ホール「マリーホール」)
若手の歌手たちと学生主体のオーケストラがタッグを組んで作り出した手作りオペラです。
会場もほぼ満席となりお客さんもとても喜んでくれました。
制作のスタッフの苦労は大変だったと思います、本当にお疲れ様でした。
さて一プレイヤーとして参加して不満が二つ。
一つは演奏していると舞台が見えないこと。
演出、舞台監督、美術、それぞれがいい仕事をして楽しいステージを作っていたらしいのですが、自分の目では全く見えないのです。
これは少しもったいないです。
もう一つは自分の伸びしろのなさ。
最後の2週間でぐんぐんと上達していく学生たちを横目で見ながら、自分は公演直前にはすっかり息切れ状態。
あっという間に自分を追い越していく若い人たちを見るのは頼もしいようであり、実はやはり寂しいものです。
またこういう企画があればぜひ参加したいと思っています。

 

(2008年7月28日)

「憮然」は正しくは失望して呆然とすることらしいです。
私も間違えて使っていました、「憮然として席を立った」のように。
しかしこの間プロの小説家も間違えて使っているのを発見しました。
馳星周の「長恨歌」です。
馳星周は私がその文章力や言語感覚を絶対的に信頼する作家の一人です。
こうなってくると「憮然」の意味が現代では変わってきていると解釈した方がいいと思います。
負け惜しみかもしれませんが。
さて氏の「長恨歌」は衝撃のデビュー作「不夜城」のシリーズ3作目にして完結篇です。
あの衝撃とエネルギーはそのままで、さらにダークに進化を遂げた佳作だったと思いました。

 

(2008年7月30日)

最近は女子大学生も日傘を差しています。
紫外線から肌を守るのはいいことです、若い時からそうやってしっかりUV対策を取ることが大切……、とうなずいていたら目の前を日傘を差した女子中学生が通り過ぎていきました。
松本胃腸科クリニックは明日9日から17日まで休診します。くれぐれも体調管理にお気をつけください。

 

(2008年8月8日)

お盆休みも終わってしまいました。
みなさまゆっくり過ごせましたでしょうか?
さて私も2日ほど帰省していたのですが田舎の人たちはオリンピックを見るでもなく、高校野球を見るでもなく、ましてやプロ野球を見るでもなく。
そういえば兵庫県代表のチームの試合の時も三宮の街頭テレビの前に人の集まりはできていませんでした。
テレビや新聞が騒ぎ立てるほどは世間は盛り上がってないのではないか? と感じたりしています。
みなさまの学校や職場は盛り上がってますか?

 

(2008年8月18日)

お盆休みの間にジェフリー・ディーヴァーの「ボーン・コレクター」を読みました。
ニュータイプの安楽椅子探偵という感じでとても面白かったです。
でも本以上に面白かったのはGoogleの「ストリートビュー」です。
パソコン画面上で街を自由に歩きまわれるというGoogleの新機能です。
ディーヴァーは犯行現場の地名などをかなりリアルに書き込んでいます。
「37丁目と11番街の交差点そばのアムトラック線路脇」というふうに。
ここまで書いてくれれば私たちは「ストリートビュー」で犯行現場に行くことができるのです。
これからは「リンカーン・ライム」「ハリー・ボッシュ」「新宿鮫」の各シリーズの読書にはパソコンが欠かせない存在になりそうです。

 

(2008年8月20日)

待合室のBGMとしてベートーヴェンを流していましたが、とうとう全集87枚が一巡しました。
聴き終えて思ったのは「ベートーヴェンも結構つまらない曲を書いてるんだなあ」ということ。
やっぱり有名な曲にはそれなりの、そうでない曲にはそれなりの理由があるようです。
休み明けからはバッハが流れています。
バッハとは2年近くのお付き合いになりそうです。

 

(2008年8月22日)

2008年の北京オリンピックで日本が獲得した金メダルは9個。
印象的なものとしては連覇の北島康介、柔道石井慧、女子ソフトボール。
その他にはチベットなどの人権問題に端を発したボイコット騒動など。 


今年のオリンピックはほとんどTV観戦することもなく終わってしまいました。
見れば面白かったのでしょうが、見なければ見ないでそれほど惜しい気持ちにもならない、個人的にはそんな感じの大会でした。
ちなみに2004年8月30日の記事によると4年前は盛り上がっていたようです。
と言いながら今大会、内柴選手の金メダルの瞬間はたまたまTVで見ていました。
寝技に持ち込んで相手に覆いかぶさったと思ったら相手がすぐタップ。
内柴選手もきょとんとしたあっけない勝利の瞬間でした。
面白かったのは試合終了からメダル授与式まで10分近く、解説者が技の名前を口にしなかったことです。
アナウンサーも一切訊こうとしませんでした。
きっと解説者が「技の名前は訊かないでくれ」オーラを出していたのでしょう。

 

(2008年8月25日)

オリンピックの開会式の演出に対して不満を感じる人もいたようですが、見ていない立場からするとぴんと来ない話です。
口(くち)パクやCGに対する失望感は、リアルタイムで見た人にだけ許されるささやかな慰みなのだと思いました。
あとで知ったのですが開会式の総合プロデューサーはチャン・イーモウだったとか。
派手な色使いと大袈裟なワイヤーアクションが特徴的な映画監督です。
クラシックファンには紫禁城での「トゥーランドット」の演出家と言った方が分かりやすいかもしれません。
スケールが大きければ大きいほど真価を発揮するタイプの人です。
だとしたら断片的なニュース映像ではなくてディレクターズカット版「開会式」を見てみたいものです。

 

(2008年8月27日)

オリンピックの人気種目の競技時間をアメリカのゴールデンタイムに合わせることに疑問を感じる人がいます。
私には、金を出す人が口を出すのは当然のように思えるのですが、物事にはいろいろな受け止め方があるのでしょう。
ところでその問題の放映権料ですが日本の1億8000万ドルに対してアメリカは8億9400万ドル、約5倍の額を支払っています。
ハリウッド製作の超大作娯楽映画ならばいくら資金をかけても全世界で上映されるのでペイできます。
ところが放映権料についてはアメリカ国内で放映される分だけ、つまり在米アメリカ人に対する広告料だけが収入源です。
日本の2.5倍の人に対して5倍の広告料が投下されている、つまりアメリカ人は日本人に比べて2倍の広告効果が見込めると思われているということです。
アメリカ人はオリンピックに対して多額の放映権料を支払っていること自体は誇りに思っていいと思います。
その一方でコマーシャルに対して日本人よりも2倍踊らされやすい(と思われている)ことについてはちょっと恥ずかしく思った方がいいかもしれません。

 

(2008年8月29日)

私が小学生のころですからミュンヘンオリンピックの時でしょうか、担任の先生が「日本の入場行進が一番美しい」と言っていたのをおぼえています。
その当時、きっちり整列して入場するのは日本だけだったと思います。
アメリカやヨーロッパの選手たちはリラックスモードでだらだら歩いて、子ども心にだらしないと感じた記憶があります。
ところがそれから4年経つと、整然と行進する日本選手たちを見てさすがに私も「気持ち悪い」と感じるようになっていました。
モスクワオリンピックは日本は不参加でしたが次のロサンゼルスでは日本選手たちも自由に入場するようになっていました。
私が小学校のころは規律を重んじる教育がまだ主流で、それ以降どんどん自由や人権を大切にする進歩的教育が広がってきました。
今、時代はこの行き過ぎた過保護教育を見直す流れになっています。
そうすると不思議なもので今回の入場行進を見て「行進中に携帯でしゃべったり列から離れて記念撮影したり、いくら何でもこれはだらだらし過ぎだろう」と感じる私がいます。
私の感性は時代に流されやすい頼りないもののようです。

 

(2008年9月1日)

今回のオリンピックにはあまり興味がない、と言っておきながらオリンピックネタで引っぱります。
入場行進ですが、莫大な放送権料を支払っているアメリカのTVメディアがどうして文句を言わないのかが不思議です。
トライアスロンを2時間程度のショートバージョンに改変し、野球にはタイブレーク方式を導入し、競技をTV放送枠に収めることしか考えていないスポンサーたちなのに、どうしてあのだらだらした入場行進はOKなのでしょう。
入場行進は1カ国10人までに制限して、それ以上は一人1,000ドルの参加料を取ればいいと思います。
開会式の時間も短縮されるし、参加者の意識も高まると思います。

 

(2008年9月3日)

神戸元町ダイアリー2008年(3)居酒屋タクシー<main>神戸元町ダイアリー2008年(5)格差社会の原因


神戸元町ダイアリー2008年(3)

しかし面白いです。
船場吉兆が刺身やアユの塩焼きを使い回ししていたという話です。
刺身やアユの塩焼きというと普通最初の方に出される料理です。
これに手をつけない客がいるというのがとても興味深いです。
考えるに、その客はそもそも料理を食べるつもりがないのでしょう。
つまり接待です。
必要なのは「吉兆」というブランドと場所で、料理の質など問題外だったのでしょう。
料理などどうでもいい客ばかり来る料亭が調理に対してモチベーションを保ち続けられるはずがありません。
今回の騒動は「あの吉兆が?」と驚くよりも、「接待専門の料亭ならありそうなこと」とむしろ冷静に受け止めるべき一件だと思いました。


と、ここまでは私たちには何の関係もない話です。
どうせ吉兆なんて行くことないですし。
問題はたまに奮発してご馳走を食べに行こうと思った時です。
せっかく高いお金を払うのなら接待族が来ない店に行きたいものです。
その見分け方があればいいのですが。
クリニックの待合に置いてある「あまから手帖」の「寿司特集」を何気なく見ていて面白いことに気がつきました。
寿司はデリケートですからタバコの煙とは本来相容れないはずです。
実際、住宅街にある寿司屋はほとんど禁煙です。
ところが街中の寿司屋は喫煙可のところが多いのです。
そこで気がつきました。
接待で使われる店は禁煙に踏み切れないのだ、と。
こうなると話は簡単です。
接待族を避けようと思えば、禁煙の店を選べばいいわけです。
いいことに気づかせてくれて吉兆さん、ありがとう。

 

(2008年5月7日)

大阪府が大変なことになっています。
府職員の給与がカットされ、文化施設も整理され、福祉などもカットされる見通しです。
当然各方面から猛反対が湧き上がっています。
ところで自分に置き換えてみると、ものすごくお金に困っている時は普通おかずを減らして、CDを買うのも諦めて、少々の痛みなら歯医者に行くのも我慢します。
そういう意味では橋下知事のやろうとしていることはよく分かります。
もしCDを買いたければ他の出費をもっともっと削らなくてはなりません。
不思議なのは「センチュリー交響楽団の補助金カット反対!」と言っている人たちが「ではどこを削るのか」について一切語らないことです。
図書館や文化会館などの存続を主張する人もそうです。
モチベーションが下がるから職員の給与を下げるべきではないと主張する人もそうです。
経済観念に優れているはずの大阪の人が財源についてはなぜか口を閉ざします。
他県から見ると財源はあるように見えます。
しかし大阪の人はそれを自分からは言い出せないかのようです。
もしかすると知事は考えているのかもしれません。
まず府職員をいじめよう。
そうすれば職員の中から「不当に高い給料をもらっている職員を何とかしろ」という声が上がるに違いない。
職員の団結に亀裂が入れば不当な高給を得ている一部の職員に切り込めます。
ところが今のところ団結力の方がまだ強いようです。
次に一般市民の生活や文化を締めつけよう。
これだけ締め付ければ市民の間から「一日ぶらぶらして高額の援助金をもらっている連中を何とかしろ」という声が上がるだろう。
ところが市民は署名運動はしても無駄な福祉については中々口にしません。
危ない橋は知事が渡るべきだ、職員も市民もそう思っているのでしょう。
傍から見ていると、三すくみで我慢比べしているようです。

 

(2008年5月9日)

以前こう書いたことがあります。
日本は動物愛護団体に大いに出資して主導権を握ろう。
まずはスポーツハンティングや闘牛など娯楽目的の虐殺を規制し、食文化についてはそれが達成された後に検討する、そういう活動の順序を訴えるべきだ、と。
私は伝統に基づく食文化は他国に非難されるべきではないと思います。
問題は「ちゃんと食べているか?」という点です。
たとえば中華料理の食材に「熊の手」があります。
しかしもし「手」を食べるためだけに熊を殺しているなら、そんな伝統はとても認められません。
翻って、わが国の捕鯨はどうでしょう。
私たちは鯨をちゃんと食べているのでしょうか。
牛、豚、鶏、鯨、それぞれの肉の食用に用いられる割合が知りたいのですがそんな統計はあるのでしょうか。
私は捕鯨という文化を支持したいと思っています。
そのために「捕った鯨はちゃんと食べてますよ」という確証が欲しいと思います。

 

(2008年5月12日)

道路特定財源の一般財源化で「必要な道路とは何か」が問題になってきそうです。
地域住民、公共団体、道路交通省、一般納税者とそれぞれ必要性の基準が違いますから今後一層問題はややこしくなっていくことでしょう。
それでも特定財源が一切俎上に上がらなかった時代に比べると確実に進歩していると、私は楽観的に感じています。
ところで「必要な道路」について議論するのであれば同時に「不必要な道路」についても少し考えてみてはどうでしょうか。
たとえば六甲山上を走る道路です。
トンネルが何本も開通したので山上道路に南北交通の意味はなくなりました。
あるのは観光目的だけです。
そろそろこういう道路を自然に返すという発想があってもいいと思います。
もちろん六甲山上には多くの観光施設があって従業員もたくさんいます。
しかし観光のために道路やむなしと考えるよりも、道路をなくすために観光をどう変えていくか、と考えるべきではないでしょうか。
今はどこの観光地にも大きな道路が貫かれて大型バスがどんどん団体客を運び込んできます。
客はそこで写真を撮ってお土産を買ってあわただしく帰っていきます。
いい加減、こんな貧乏臭い観光は卒業してもいいのではないでしょうか。
六甲山は歩いて登るもの。
足が不自由な人や山上の従業員、住民のためには電動バスを運行させる、それくらいの考え方でいいのではないかと思います。

 

(2008年5月14日)

先日九州の人たちとお酒を飲んだのですが、喫煙率の高さにびっくりしました。
神戸だと普段外食する時は禁煙の店を選びますし、仕事関係の知人に喫煙者はいませんし、趣味関係の知人も食事の席では喫煙を遠慮してくれます。
タバコの煙に巻かれながら食事をすることは滅多にありません。
健康増進法の制定にも関わらず分煙の動きが鈍いと感じていましたが、神戸はこれでも進んでいる方なのかもしれないと思いました。

 

(2008年5月19日)

ルールは放っておくと一人歩きします。
本来は人が幸福に生きていくために作られたルールなのに、いつの間にか我々の方がルールに操られてしまったりします。
刑法の39条もそうだと思います。
「心神喪失者の行為は、罰しない」おそらく立案者は「誰がどう見てもこの人を罪に問うのは無理だろう」という人物像を考えていたのではないでしょうか。
「この人が心神喪失状態であったかどうか」などを裁判で争うような事態は想定していなかったと思います。
そういう場合は私たちがルールに合わせるのではなくルールの方を現状に合わせるのが普通だと思います。
 39条をこう変えてはどうでしょうか。
「犯罪が心身の喪失状態によって行われた場合、その心身喪失の原因が取り除かれ再犯の恐れがなくなった場合には刑の執行が停止される」つまり心身喪失であろうと耗弱であろうと加害者は罪状によって一旦刑を量定されます。
そして心神喪失者の場合は収監されたあとにじっくりと精神鑑定され、必要なら治療を受け、もし再犯の恐れがなくなった場合には釈放されるのです。
具体的な条文作りは専門家に任せます。
しかし法律の専門家ならば法律が現状に適合しているかどうかをまず判断するべきだと思います。

 

(2008年5月21日)

これが具体的にどの事件を念頭に置いて書かれたかは不明。
秋葉原無差別殺傷事件はこの直後の6月8日のことである。
 

先日、内田樹(うちだ・たつる)という哲学の先生と話をする機会がありました。
私の無知のせいでその場では実りのある話はできなかったのですが、それ以降氏の本を何冊か読んでとても感銘を受けました。
すごいものですね、哲学者という人種はごく普通の日常生活からさまざまな真理を導き出すのです。
私も真似をしてみたくなりました。
胃カメラなんてどうでしょう。
胃の中を見るためには、まず空気を入れて胃を膨らまさなくてはなりません。
次に光を当てなくてはなりません。
物事をちゃんと見るためには「視野の広がり」と「明るい光源」が必要なのです。
どうでしょう、何か哲学めいていませんか?

 

(2008年5月23日)

黒澤明監督の名作「椿三十郎」のリメイク版を見てみました。
以前も書きましたが私のオールタイムベスト第3位の作品です。
見るべきではないと思っていたのですが怖いもの見たさでついレンタルしてしまいました。
織田裕二も豊川悦司も声のトーンが高いので最初ものすごく違和感があります。
しかしシナリオの完成度が高いので基本的には楽しめます。
「心配していたけどがっかりするほどではなかった、でもやっぱりリメイクする必然性はよく分からなかった」という感じでしょうか。

 

(2008年5月28日)

2008年5月12日、中国四川省で大地震が発生した。
マグニチュード8.0、死者約9万人と言われる。 


中国四川のために、神戸市はいち早くテントなど救援物資を用意して神戸空港から届けるべきだと思います。
神戸には大規模災害用救援物資の備蓄があります。
空港もあります。
検疫施設もあります。
華僑の人も多いです。
問題は国土交通省の「神戸空港には国際線の発着を認めない」という指針(らしきもの)だけです。
今は緊急事態ですからそんなものは無視してもいいでしょう。
まず物資を送りましょう、神戸市さん。

 

(2008年5月30日)

北方謙三「水滸伝」全巻読了記念プレゼントが届きました。
人物関連図と梁山泊地図からなる小冊子とメッセージカードです。 
北方謙三って可愛い字を書くんですね。

 

(2008年6月2日)

サマータイムの導入の議論が本格化しているようです。
サマータイムと言われても「ビデオの録画はどうなるんだろう?」とか「終電はどうなるんだろう?」とかその程度のことしか思い浮かばない小市民なのですが、今回議論が盛り上がっているのは経済効果よりも省エネ、環境問題に関連づけられているからのようです。
本心を言うとサマータイムよりもウィンタータイムを導入してほしいものです。
「夏は時計を1時間進めよう」よりも「冬はもう1時間布団の中でごろごろできます」と言われた方がよっぽどありがたいのですが、おそらく経済的にも省エネ的にも最悪な制度なのでしょうね。

 

(2008年6月4日)

居酒屋タクシーが問題になっています。
このニュースを聞いた時、問題のありかがよく分からなくてすっきりしませんでした。
マスコミが何を騒いでるのかもう一つピンと来なかったのです。
こういう時は問題を細かく分けてみるに限ります。
とするとこのニュースに接したときの私の気持ちは

1)長距離の客を乗せたタクシーはそんなに儲かるんだ

2)省庁の職員はそんなに残業ばかりしているんだ

3)省庁は終電以降の帰宅に対してタクシー代を全額認めているんだ

この3点でした。
職員がタクシー運転手から金品を受け取ったということは私の中で全く問題になっていなかったことに気づきました。
金品をもらう見返りとしてタクシーチケットの額をごまかすのを見逃すなら、それは詐欺の共犯です。
金品を受け取って法外に高い料金のタクシーに乗るとすれば、収賄です。
しかしタクシーの運賃は国土交通省によって一定の範囲に定められています。
とすればその範囲の中で利用者がサービスのいい運転手を選ぶのは当たり前だし、運転手が喜ばれるサービスを提供して上顧客を捉まえようとするのも当たり前のような気もします。
どのタクシーでも使われる税金の額がさほど変わらないとすれば、モラルの低下を糾すのは難しいと思うのです。
その代わりに上記3点は改めなければなりません。

1)は料金システムが現実に即していないということです。
近距離の客を何回も運ぶよりも2時間待って長距離の客を一人捉まえた方が得、こういうシステムは絶対に間違っています。
長距離タクシー乗り場にはタクシーが数珠つなぎ、その一方では近距離乗り場は何十分待ってもタクシーは全然来ない。
現実を認識するために、国交省の役人はタクシーには自腹で乗るべきだと思います。


2)と3)は同じことです。
タクシー代が全額払われるのなら普通の人は満員の終電よりもタクシーを選びます。
1時間程度なら時間をつぶして終電の時間をやり過ごそうとするでしょう。
モラルの問題ではありません。
役人だろうとマスコミ関係者だろうと医師だろうと教職員だろうとみんなそうです。
例外は「タクシーは本が読めないからイヤ」という変わり者くらいではないでしょうか。
タクシー代のうち2割程度は利用者に課するべきだと思います。

ここまで書いていて思うのは「海外出張の時のマイレージはどうなっているのか?」ということですが、現時点で問題になっていないところを見るときっと個人のポイントにはなっていないのでしょうね。

 

(2008年6月6日)

この後公務出張でのマイレージポイントの扱いが問題となった。
6月18日には閣議で公務員はマイレージ取得を自粛すべしという通達が出された。 


クリニックのビルのエレベーター横の貼り紙を見た方はおられますか?
「ネコの里親募集」です。
スタッフが家の前で死にかけていた子ネコを拾ったそうです。
今は獣医さんのところで入院中です。
興味のある人はスタッフまでどうぞ。

 

(2008年6月23日)

よく分からないのが「○○漫画文化賞」です。
受賞作品を読もうとするとどれも連載中なのです。 
文学でも音楽でも美術でも未完成の作品を評価する賞など存在しません。
映画でもです。
漫画業界が文化を謳うのなら賞は完結作品のみに与えるべきです。
アンチ文化を標榜するなら賞など設けるべきではないと思います。

 

(2008年6月25日)

オペラ公演を手伝っています。
フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」。
きれいでなじみやすいメロディーに満ち溢れたメルヘンオペラです。
よろしければどうぞ。

 

(2008年6月27日)

神戸元町ダイアリー2008年(2)神戸菓子博<main>神戸元町ダイアリー2008年(4)北京オリンピック


神戸元町ダイアリー2008年(2)

東芝がHD-DVDからの撤退を決定しました。
我が家にはDVD録画機も、購入予定もないのであまり関係ない話ですが、こういう話を聞くと思い出すのが消えていったメディアの数々です。
何といってもまず思い出されるのはVHSとベータの争いです。
我が家はベータ組でした。
しかしビデオデッキは故障も多くて、自然とベータとVHS2台体制になり、やがてVHSオンリーになり、困った記憶はそんなにありません。
レンタルビデオがまだ本格的でなかったのもそれほど困らなかった理由だと思います。
中学生の頃にカセットデッキを買おうと思ったら売り場に「Lカセット」なるものが並んでいて、その売り文句が「カセットの便利さとオープンリールの音質を同時に実現!」というものでした。
買わなくて正解でした。
レーザーディスクとVHDの規格争いもありました。
音楽ファンとしてはミニディスクとデジタル・コンパクト・カセットの争いも興味津々でした。
しかし勝利を収めたはずのLDもMDも既にその役割を終えようとしています。
こう書いてみるとメディアの交替のスピードがどんどん加速しているように感じます。
ポストDVDはブルーレイに決定したようですが、購入計画が差し迫っていない私のような人種はさらにその次の「高容量カードメディア」を待った方がいいのかもしれません。

 

(2008年2月29日)

メディアの高容量化と同時に、通信速度も今後ますます上がっていくのでしょう。
この流れに従えば店舗型のレンタルビデオはいずれ廃れて、見たい映画はその都度ダウンロードして楽しむことになります。
ショップ側も店舗ごとに大量の在庫を抱えておく必要がなくなりますから効率が上がります。
それを先取りしたのが宅配DVDというシステムだと思うのですが、各社のラインナップを見るととても中途半端です。
新作は発売後何ヶ月も借りられないようです。
かといって一般のレンタルショップに置いていないようなレアな作品が充実しているわけでもありません。
このままでは宅配システムはオン・デマンド・ダウンロード方式にあっという間に駆逐されてしまうのではないでしょうか。
せめてヴィスコンティやパゾリーニの作品はそろえておいて欲しいものです。
あるいは懐かしのTVドラマ、例えば「ゆうひが丘の総理大臣」とか「それゆけ!レッドビッキーズ」とかがあるといいのですが……。

 

(2008年3月3日)

非加熱血液製剤の危険性を知りながら回収命令を出さなかったとして1985年当時の厚生省薬務局生物製剤課長が業務上過失致死罪で訴えられた。
2008年3月3日、最高裁で有罪が確定した。 


薬害エイズ事件で元厚生省生物製剤課長の有罪判決が確定しました。
行政の不作為に対して刑事罰を適応するのが妥当かどうかはとても疑問ですが、国民の健康を預かる厚労省の姿勢を厳しく糾したという意味ではこの判決は有意義だったと思います。
今後、国民に健康被害をもたらす食品や嗜好品を厚労省が放置していた場合、その時期の担当課長は刑事罰に問われるということです。
今現在健康被害に関してグレー判定の嗜好品が20年後にクロと判定されるとします。
定年間近の元・担当課長が刑事裁判に引きずり出されて、天下りどころか退職金もパーになるわけです。
厚労省の職員は今のうちに「タバコは有害だからもっと厳しく制限するべきです」と上司に進言したという証拠を残しておくべきでしょう。

 

(2008年3月5日)

新潮社の「ガルシア=マルケス全小説」を読み終わりました。
最終巻は「予告された殺人の記録」と12の短編小説。
「予告された〜」は彼一流の変幻自在の叙述のテクニックの魅力がたっぷりと味わえる作品、短編たちもバラエティ豊かで初期の短編よりも読み応えがありました。
最後を飾るにふさわしい作品群だったと思います。
ところでこれを読んでいるとスタッフが「ガルシア=マルケスを私も読んでます」と話しかけてきました。
「へー、マルケスなんて読むんだ」と言うと、「ネットでバッグを注文したら本が届いたんです」
確かにガルシアマルケスというブランドがあるみたいです。
しかし一体どういう注文の仕方をすればバックの代わりに本が届くのでしょう? 謎です。

 

(2008年3月7日)

アメリカ議会で日本の慰安婦問題が取り上げられた時、日本は真っ先に「戦時下の女性の権利を守るための研究会及び基金」を創設するべきでした。
日本軍による非人権的な行為とともに、戦後数多く起きたアメリカ人による日本時女性への暴行事件も厳しく断罪し、さらに朝鮮戦争やベトナム戦争でのアメリカ軍の行為も検証するべきでした。
それなのに日本人は中途半端な反論を新聞に掲載しただけで、バッシングされる側から裁く側への一発大逆転のチャンスをみすみす逃してしまいました。
同じことが捕鯨問題にも当てはまります。
日本は全ての動物虐待に反対するという姿勢をまずアピールするべきです。
そこには捕鯨も含まれてくるだろう、しかし……と続けるのです。
捕鯨よりも悪質な動物虐待が存在する。
たとえばスペインの闘牛、アフリカのスポーツハンティング、イギリスの狐狩り。
まずはそれらを徹底的に糾弾するのです。
取り締まるべき虐待行為には当然の序列があります。
第一に許されないのは遊興目的の虐殺、次に規制なき動物実験、その次に愛護精神に欠けるペット販売行為、無責任なペットの飼い主……。
食目的の狩猟のルール化などはそれらが全て解決してからの話です。
この筋道だった考え方を熱く主張すれば捕鯨バッシングを回避するだけでなく動物愛護先進国としての日本をアピールできると思うのです。

 

(2008年3月10日)
 
捕鯨にしても死刑制度にしても、時代の流れというものは確かにあっていずれは廃止、禁止されていくのでしょう。
もう一つ時代の流れを強く感じることがあります。
いわゆる男性の座りションです。
おしっこの時に男性も座るべきであるのはトイレ掃除を一度でもすれば誰にでも分かることです。
座りション率の上昇は男性の家事への参画率の上昇を意味しているのでしょう。
捕鯨や死刑制度については異論もあると思いますが、男性の座りションについては私は大賛成です。

 

(2008年3月12日)

奈良県の平城遷都1300年祭マスコットが話題を呼んでいます。
私も奈良であのポスターを見て奈良人の勇気にすごく感心した憶えがあります。
愛称を募集していたようですが、やはりありがたくもおめでたい名前がいいのではないでしょうか。
私は「仏祭(ぶっさい)クン」という名前がいいと思います。

 

(2008年3月14日)

先日三宮のクラシックライブハウス「ピアジュリアン」に行ってきました。
兵庫県芸術文化センターオーケストラの奏者2人をメインに据えたピアノ三重奏です。
今回のメインプログラムはピアノ伴奏版ブラームス二重協奏曲。
実は私はブラームスの管弦楽曲はそれほど好きではありません。
あれだけ素晴らしいピアノ曲を書いた人にしてはもう一つぱっとしない感じがして仕方がないのです。
そんなピアノ好き派にとっては夢のようなプログラム。
ピアノ伴奏だとオーケストラの迫力はさすがに再現できませんが、その分ソリストの演奏する全ての音が聞こえます。
上質の室内楽を聴いているような気持ちになりました。
本当に贅沢なひと時でしたが、素敵な音楽を聴きながらお腹一杯食べて飲んで、それで一人4千円程度でした。
お薦めのお店です。

 

(2008年3月21日)

省エネのためにTVの深夜放送を自粛させようという議論があります。
家族のあり方や国民のライフスタイルを決めつけようという、いかにも旧態依然の自民党議員の考えそうなことです。
社会や家族のあり方が多様化していることがどうして分からないのでしょう。
「夜はとっとと寝るべきだ」という考え方が万一成り立つようならそれ以上に「昼間は働け」という考え方も成立します。
古臭い考え方の議員たちは深夜放送よりも先に昼間の放送に矛先を向けるべきだと思います。

 

(2008年3月24日)

クリニックのBGMで流れているのはベートーヴェンです。
ベートーヴェンはそれほど好きな作曲家ではないのですが、87枚組9,990円という激安全集が出たので買ってしまったのです。
これを何も考えずに1枚目から順番にかけています。
ベートーヴェンがすごいのは、どのジャンルでも「ベートーヴェンはこのジャンルが最高」と思わせるところです。
交響曲を聴いている時には「ベートーヴェンはやっぱり交響曲だ」と思うし、ピアノ曲集を聴くと「ベートーヴェンはピアノ曲を書くために生まれてきたのだ」と思うし、バイオリンソナタを聴いている時には「ああ、ベートーヴェンはバイオリンが一番好きだったんだなあ」とつくづく思うのです。
先日まで流れていた弦楽三重奏曲もそうです。
「弦楽四重奏曲よりいいかもしれない」と思いながら聴いていました。
しかし弦楽四重奏曲に入るとさすがに完成度が桁違いです。
やっぱりベートーヴェンは弦楽四重奏曲の人だ。そう思っているわけです、今は。

 

(2008年3月26日)

もう4月ですね。クリニックすぐ北側の桜はもう満開です。
ここは例年他よりも咲くのが早いような気がします。
医療も税制も慌しく変わっていますが、うららかな卯月でありますように。

 

(2008年3月31日)

2年前から読み始めた江戸川乱歩全集もようやく終わりが見えてきました。
小説が終わって、残るは随筆だけです。
随筆では推理小説の地位を向上させようとする乱歩の苦労が繰り返し語られます。
純文学に比べて推理小説は必ずしも劣るわけではない、その証拠にドストエフスキーだって自分の小説に推理小説風の味付けを用いてるではないか、そう乱歩は主張します。
推理小説にかけた乱歩の努力には本当に頭が下がります。
が、しかし、思うのです。
せっかくそこまで書くのだったら推理作家の立場からドストエフスキーの諸作品を読み解いて欲しかった、と。
「カラマーゾフの兄弟」でついに父親殺しの犯人を明らかにできなかった亀山郁夫が今度は「罪と罰」を翻訳中だそうです。
願わくばスヴィドリガイロフの死の理由をきっちりと解き明かして欲しいものです。

 

(2008年4月2日)

先日、現役大学生たちと食事をする機会がありました。
彼らと話しているといかに自分がつまらない大人の常識や世間体にとらわれているか気づかされます。
今の若い人たちはマナーもいいしタバコも吸わないし、一緒に食事をしていて本当に気持ちがいいです。
成人を何歳からにするかという議論があるようですが、成人は20歳プラスマイナス2歳で、それ以上も以下も認めないという線引きで私はいいと思います。
ところで彼らを見て思い出しました。
大学のサークルでは上下関係は絶対なんですよね。
特に4年生は1年生にとっては神様のような存在でした。
実は兵庫県庁に私にとっての神様のような先輩がいて姫路の菓子博覧会を担当しています。
その人に「救護室を手伝いに来い」と言われてしまいました。
そういうわけで来週4月の28日は特別にクリニックは休診して菓子博の手伝いに行ってきます。
それ以外はカレンダー通りです。ご注意ください。

 

(2008年4月21日)

本を読んでいる時に話しかけてくる人がいて、実は以前から不思議でした。
「本を読んでいるのが分かっているはずなのにどうして話しかけてくるんだろう?」と。
この間知り合いに相談すると明快な答が返ってきました。
「この人は本を読むくらい退屈しているようだ、それは可哀想だから話しかけてあげよう」
つまり親切心から話しかけてくれているようなのです。
読書中に話しかけられると、これまでは相手の意図も分からずついつい生返事を返していました。
ごめんなさい、これからはきちんと対応したいと思います。

 

(2008年4月23日)

いよいよ明日からゴールデン・ウィークです。
みなさん、どういうご予定でしょうか。
北方謙三の「水滸伝」文庫版がついに完結したので、私は休みの間これをじっくり読みたいと思っています。
昼間はずいぶん暖かくなりましたが夜はまだまだ肌寒い日が続きます。
体調を崩さぬよう連休をお過ごしください。

 

(2008年4月25日)

姫路の菓子博に行ってきました。
ものすごい人でした。
せっかく行ったからせめてお菓子の姫路城だけでも見ようと思っていたのですが、閉門ぎりぎりまですごい行列なので断念しました。

 

(2008年4月30日)

実は姫路には今まで行ったことがありませんでした。
駅から姫路城に向かう道は広くて立派です。
その道は城を東に迂回してさらに北に続くのですがこの辺りには大きな病院や学校が並んでいてにぎわっています。
仕事のあと西側を回って帰ってみました。
するとこの辺りは一転して静かで風情豊かです。
ほんの数百メートルの距離なのに城の東西でこんなにも町の表情が違うのですね。
姫路城、とても面白いところだと思いました。

 

(2008年5月2日)

神戸元町ダイアリー2008年(1)推理小説のルール<main>神戸元町ダイアリー2008年(3)居酒屋タクシー


神戸元町ダイアリー2008年(1)

1月3日放送の「古代ローマの歴史スペシャル」という番組を後半の1時間だけ見ました。
塩野七生の「ローマ人の物語」をもとにBBC制作の再現ドラマを再構築した番組です。
スイッチを入れるとちょうどカエサル(ジュリアス・シーザー)の箇所でした。
塩野七生言うところの歴史上ナンバー1のカリスマヒーローです。
番組は彼女の解釈に沿ってカエサルを魅力的で天才的な軍師政治家として描こうとします。
ところが元の映像を制作したBBCのドキュメンタリーは実はカエサルには批判的なのです。
考えてみれば当然です、イギリス人にとってはカエサルは侵略者だったのですから。
映像のカエサルはさほど魅力的にも見えず、戦場での天才的な軍略も全く描かれず、ぎくしゃくした不完全燃焼ドラマに終わってしまいました。
せっかく意欲的な番組だったのに少し残念でした。
それにしてもこういう番組にもタレントが大挙出演しているんですね。
映像の合間合間にキャスティング趣旨不明瞭なタレントたちが完全に的をはずしたコメントを語ってくれます。
企画会議でのやり取りが目に浮かぶようです。

プロデューサー「バラエティ形式にしてタレントを多く使ってくれないか」
ディレクター「そういう趣旨の番組じゃないんですが」
プロデューサー「事務所がこのタレントを使わないとあのタレントも出さないって言ってるんだよ、頼むよ。他に枠もないしさ」

ローマ帝国の歴史のロマンに夢をはせるよりも、テレビ局の舞台裏がついつい気になってしまう1時間でした。

 

(2008年1月9日) 

以前からずっと不思議に思っていたことがあります。
どうしてテレビドラマでは優等生は利己的なキャラクターとして描かれるのでしょう? 
落ちこぼれの主人公がクラスで何かイベントを企画するとします。
最初は誰も賛同してくれないけれども1人ずつ協力者が増えていきます。
それでも最後まで優等生は協力しようとしません……。
ドラマではおなじみの展開です。
しかし現実にはスポーツ大会でも合唱大会でも、クラスを引っぱるのは優等生です。
テレビがどうして優等生をないがしろにするのか不思議でした。
最近ようやくその理由が分かりました。
優等生は普段テレビを見ないのです。
だからテレビ局が優等生を不当に描いても誰もクレームをつけません。
実に簡単な理由でした。

 

(2008年1月25日) 

河出書房から世界文学全集が出ています。
池澤夏樹個人編集という意欲的なプロジェクトです。
全集好きの私ですが「世界文学全集」だけにはあまり興味がありませんでした。
普通の世界文学全集だと既読の作品が多く含まれます。
ごく一部の未読の作品のために全集を買うのはさすがにもったいないからです。
ところが今度の全集はものすごいラインナップです。
何がすごいと言って、第1期には既読作品が0、第2期にわずかに2冊含まれるだけなのです。
池澤さん、やってくれました。2年間ついていきます。

 

(2008年1月28日)

最近新聞を読んでいてもどかしく感じることがあります。
激しい選挙戦を展開しているアメリカ大統領選ですが、候補者の肩書きが市長や知事だと選出州を書いてくれるのに上院議員だと選出州は書いてくれないのです。
何か理由でもあるのでしょうか? 
ちなみに有力候補の選出州は以下の通りです。
ジョン・マケイン アリゾナ州選出上院議員
ミット・ロムニー 前マサチューセッツ州知事
ヒラリー・クリントン ニューヨーク州選出上院議員
バラック・オバマ イリノイ州選出上院議員

 

(2008年1月30日)

タバコ購入カードが導入されるようです。
このカードがないと自動販売機ではタバコが買えません。 
さてこのカードを使ってタバコを買おうとしていると、見るからに高校生風の若者がやってきて「カード忘れたんで一緒に僕の分も買ってくれる? お金は払うから」と言ってきたとします。
そんな時「馬鹿野郎、高校生がタバコなんか吸うんじゃない!」と怒鳴りつけられるのはごく一部の人ではないでしょうか。
たいていは卑屈な笑顔を浮かべながらも一緒に買ってあげて、せめてものお慰みに別れ際に「健康のために吸い過ぎに注意しましょう」と言うのがせいぜいだと思います。
タスポを使う時は回りに高校生がいないことを確かめた方がいいと思います。
まあそれは冗談として、タスポ導入のついでに一つ提案があります。
ずいぶん前にも書いたことがあるのですが、喫煙可能年齢を毎年1歳ずつ上げていってはどうでしょうか。
年金受給年齢を少しずつ上げるのと同様、政府が得意なやり方です。 
10年もすればタバコを吸うのはオヤジばっかりになります。
大人の吸うタバコに憧れる高校生達も、オヤジが吸うタバコには憧れないと思います。

 

(2008年2月1日)

先日、池澤夏樹個人編集の世界文学全集について書きました。
彼は朝日新聞の書評を担当していて、その目の付け所や文章がとてもいいのです。
「彼の鑑識眼を全面的に信用する! この世界文学全集は絶対に買いだ!」と私は知り合いに熱く語っていました。
ところが朝日新聞の書評家は「池澤夏樹」ではなくて「池上冬樹」でした。
彼の鑑識眼は信用できても私の記憶力が信用できないようです。
また先日彼の「悪の華」というハードボイルド小説を読んで、「こんなハードな小説を書く人があんな繊細な書評を書くんだ」と驚いたのですが、それは「池上冬樹」ではなくて「新堂冬樹」でした。
全面的に信用できる書評家なら名前くらい憶えておきたいものです。

 

(2008年2月4日) 

メタミドホスとジクロルボス。
どちらも最近話題の薬物ですがとても憶えにくい名前です。
まずメタミドホス(Methamidophos)。
ホスと付けば大体「有機リン酸(phosphate)」のことで、それにメチル基とアミド基が付いたもの、くらいのニュアンスでしょうか。
ジクロルボス(Dichlorvos)もクロル基が二つ付いた「有機リン酸」という意味合いなのでしょう。
こう考えれば舌をかみそうな名前も憶えられそうです。
しかし本来「phos」であるべきところが後者だけどうして「vos」になっているのかはよく分かりません。
混入経路も気になりますがこっちの方も気になって仕方がないところです。


2007年12月に十数人の中毒者を出した中国製冷凍餃子(JTフーズ輸入販売)から検出された毒物がメタミドホスとジクロルボスだった。
ちなみにジクロルボスはdimethyl-2,2-dichlorvinylphosphateで、ビニル基(vinyl)が含まれた有機リン酸(phos)なのでvosと略されるらしい。 

 

(2008年2月6日)


JTが「当社の商品で健康被害が発生した」とのお詫び広告を出しています。
JTは餃子以外にも年間数万人単位の健康被害を生んでいる商品を扱っていたと思うのですが……。
それはさておき、今回の事件がJTの多角化、脱タバコ化の流れに水を差すのではないかというのが最大の懸念です。

 

(2008年2月2日)

洋画を見る時、字幕版を見ますか? 吹き替え版を見ますか?
私は基本的に吹き替え派なのですが、たまに字幕を見ながら吹き替えたセリフを聞きます。
吹き替えの方が情報量が多いと信じていましたが必ずしもそうでもないようです。
テレビの解像度が上がったために字幕の字数が増えたからかもしれません。
それならば古い映画の字幕もどんどん付け直していって欲しいものです。
「勝手にしやがれ」とか「気狂いピエロ」とか、本当はどういう話だったのか気になるところです。

 

(2008年2月15日)

映画「チーム・バチスタの栄光」を見てきました。
エンターテインメントとしてかなりよく出来ていたと思います。
とにかく最後まで退屈せずに見られました。
これ以上はネタバレになるので詳しくは書きませんが、原作では一人称でストーリーを追っていく主人公が、映画では第三者的に描写されます。
そうなるとどうしても思ってしまいます。
「で、結局主人公は何をしたんだっけ?」
原作ではそれほど気にならなかったことです。
小説の「視点」がいかに大切か考えさせられた映画でした。

 

(2008年2月18日)

それからもう一つ。
推理小説ではいくつかルールがあって、そのルールに従っていないとマニアからは「フェアじゃない」と言われてしまいます。
たとえば犯人であるはずの人物が殺人時刻に100キロ離れたところで目撃されている。
つまり完璧なアリバイがある。
一体どういうトリックなんだろう? と思っていると最後の最後になって探偵が「実は犯人には双子の兄弟がいるのです」などと言いだす、これはだめです。
双子の兄弟がいるなら謎解きの前にちゃんと提示するか、ある程度推測できる形で伏線を張っておかないと「アンフェア」と言われるわけです。
そのルールの一つに「未知の毒物を使ってはならない」というのがあります。
被害者は毒殺されている。
しかし食べ物の中には毒は入っていなかったし、どこにも注射の跡もない。
一体どういうトリックで犯人は被害者に毒を与えたんだろう? と思っていると最後になって探偵が言うのです。
「これは触るだけでも死んでしまう毒だったのです」
それならそういう毒の存在をあらかじめオープンにしておかないと反則です。
「チーム・バチスタ」の場合は限りなく黒に近い感じがするのですが、どうでしょう?

 

(2008年2月20日)

推理小説のルールというと「ノックスの十戒」とか「ヴァン・ダインの二十則」というのが有名です。
どちらも古いものなので今となっては噴飯ものの規則が含まれていますが、ミステリとはフェアであるべき、という考え方を徹底させたという意味でとても意義深いものだと思います。
たとえば小説の中で監察医が「この死体は死後2時間経っている」と言ったとします。
それが最後になって監察医が「ごめん、ちょっと勘違いしてました」なんて言うのはノックスやヴァン・ダインを引き合いに出すまでもなくアンフェアです。
ワルヴィンスキー医師が「スメルジャコフの癲癇はうたがう余地のないものである」と断言して仮病の可能性をばっさり否定したからにはスメルジャコフは犯人ではありえないのです。
つまり「カラマーゾフの兄弟」です。
私はドストエフスキーはフェアな作家だと信じていますが、不思議なことに世の中には彼をアンフェアな作家だと思い込んでいる人が多いようです。
可哀想なドストエフスキー。

 

(2008年2月22日)

何をどう考えていいのかよく分からなくなってきました。
沖縄県在住の米軍関係者4万4963人。
うち基地外居住者1万748人。
沖縄県の人口138万人、強姦、強制わいせつ認知件数76件(2007年1月から10月)。
神戸市の人口153万人、昨年の強制わいせつ認知件数152件。

 

(2008年2月25日)

前回のコラムは非常に舌足らずでした。
言い訳になりますが性犯罪についてのしっかりとした統計がないのです。
沖縄の米兵による強制わいせつ事件は、今回のものと、2005年の7月のもの、それから10年遡ってもう1件と、10年間に3件が大きく報道されました。
それ以外にも犯罪件数があるのかどうかは不明です。
一方沖縄と神戸で発生した性犯罪件数は米兵とは関係ない数字です。
というわけで検証に耐えられる資料ではないのですが、単純に割り算してみます。
強制わいせつ事件の発生率は1万人1年あたり

 

在沖縄米兵0.3

沖縄県民0.5

神戸市民1.0

 

という値になります。
米兵より神戸人の方が三倍以上危険ということになりますがきっと何かの間違いだと思います。

 

(2008年2月27日)

神戸元町ダイアリー2007年(6)椿三十郎リメイク<main>神戸元町ダイアリー2008年(2)姫路菓子博


神戸元町ダイアリー2007年(6)

黒澤明の「椿三十郎」がリメイクされたそうです。
主演椿三十郎が織田裕二で、室戸半兵衛が豊川悦司。
実は私の映画オールタイムベストは1位が「ローマの休日」、2位が「時をかける少女」、そして3位がこの「椿三十郎」なのです。
見るべきか見ざるべきか、激しく迷っているところです。
それにしても「三十郎、もうすぐ四十郎だが」というセリフがあるように、椿三十郎はまだ30代です。
それなら織田裕二も若すぎないのかもしれません。

 

(2007年11月9日)

映画と同様に音楽でもランキングをつけるのは楽しい作業です。
ふっと時間をもてあます時があります。
待ち合わせまで30分ある、しかしこういう時に限って本を持っていません。
そんな時は「無人島に持っていく10枚のCD」を考えると結構いい暇つぶしになります。
1枚目はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」で、2枚目は同じくバッハの無伴奏チェロ組曲、あ、でもこれはCD2枚組だから……、などと考え始めると30分くらいすぐ経ってしまいます。
ぽっかり時間が空いた時、お薦めです。

 

(2007年11月12日)

ガルシア=マルケスの「迷宮の将軍」を読みました。
冒頭こそいつもの変幻自在なタッチですが、マルケス得意の荒唐無稽さが影を潜めリアリティ(のようなもの)が物語を支配します。
マルケスにしてはずいぶん薄味だな、と思いながら読んで、最後の最後にやっと気がつきました。
これはフィクションではなくて事実に基づいた話だったのです。
濃厚なノンフィクションとして読むべきところを淡白なガルシア=マルケスとして読んでしまいました。
何はともあれガルシア=マルケス全小説も残すところあと1冊です。
時間が経つのは本当に早いものです。

 

(2007年11月19日)

全集と言えば江戸川乱歩全集を読んでいます。
2年近くかかって全30巻のうちやっと20巻まで読み終わりました。
時代としては戦後、完全に才能が枯渇して以降の作品群です。
全集フェチとはいえ、過去の作品の焼き直しばかり読まされるのはなかなか辛いです。
まあでもせっかくここまで付き合ってきたんだし、それに24巻からは随筆集になります。
あと4冊読めば何とかゴールできるからもうひと頑張り、と思いながら巻別の収録作品を何気なく見ると第21巻「かいじん二十めんそう(たのしい一年生版)」。
ひえー、こんなものまで読まないといけないのか……。

 

(2007年11月21日)

たまに霜降り肉を食べる機会があるのですが、最近そういう高級肉を全く美味しいと思っていない自分がいます。
どう口の中でとろけようが旨味が広がろうが、身体が脂肪分そのものを嫌がっているのです。
肉の等級はそろそろ時代からずれてきてるんじゃないかと考えたりもします。
ただこの発想は、私には焼肉屋の「特上ロース」よりも「並ロース」の方が美味しい、ということが根拠になっています。
高いお店で高級ステーキを食べればまた考え方が変わるかもしれません。
そんな機会が訪れるのかどうかは謎ですが。

 

(2007年11月26日)

面白い本がありました。
丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の3人による「千年紀のベスト100作品を選ぶ」という本です。
この千年の間に作られた文学、音楽、絵画、建築、映画などからベスト100を選出しようという全く無謀な試み。
目利き3人が「ハムレット」と「エッフェル塔」はどっちが上か? などという議論をするわけです。
世紀の愚行なのか大事業かはさておき、話のタネになるのは請け合いです。
文句はいくらでもつけられるので今回は首肯できる点だけいくつか。
まず第1位の「源氏物語」は異論のないところ。
「平家物語」を高く評価しているのも同感です。
個人的にはワンツーフィニッシュでもよかったくらいです。
あとはベートーヴェンを選ぶのに交響曲ではなく弦楽四重奏曲を選んだところとか、漱石を「猫」で代表させた点など。
話し出すときりがなくなる、話題拡張性の高い1冊です。

 

(2007年11月28日)

テレビ番組はケーブルテレビで見ています。
ニュース専門チャンネルがあるのはありがたいです。
しかしケーブルテレビも番組は毎時0分開始なのです。
何十チャンネルもあるのに毎時50分過ぎるとどのチャンネルもコマーシャルばかりです。
せっかく地上波に比べて柔軟に編成できるのですから50分過ぎにもコマーシャルを流していない番組を増やして欲しいものです。

 

(2007年12月5日)

ボージョレブームもそろそろ過ぎ去ったでしょうか。
以前から不思議に思っていたのですが、フランス映画で登場人物がワインを楽しむシーンが記憶にありません。
トリュフォーやゴダールからリュック・ベッソンや「Taxi」、「アメリ」まで、ワインが出てくる印象的なシーンってありましたっけ?
もしかしたらフランス人はワインなんて飲まないのかもしれない、などと思ってる昨今です。

 

(2007年12月7日)

現役医師が書いた医学ミステリを2冊読みました。
まずは久坂部羊の「破裂」。
主人公が麻酔科医というのが目新しいと思います。
麻酔科医は普通は診察を行わないので一般の患者と接する機会は少ないのですが、手術室やICUの管理責任者ともいうべき大切な存在です。
ものすごく極端な表現をするとすれば、病気を治すエキスパートが内科医や外科医とすると、患者を死なせないエキスパートが麻酔科医です。
また命を預かる場の最先端で働いているので、他の科の医師たちが緊急時にどう反応するか客観的に見られる立場にもあります。
どの医師がパニックに陥りやすいかとか、どの医師が沈着冷静であるかとか。
そう、手術の時術野を一番近くで観察しているのも麻酔医です。
よく「名医100人」などという本がありますが、あれは一体誰がどういう基準で選んでいるのでしょうか。
本当の医師の力量が知りたければその病院の麻酔医に訊くのが一番だと思います。
おっと、前置きが長くなってしまいました。
続きは次回で。

 

(2007年12月12日) 

久坂部羊の「破裂」では主人公も完全無欠の超人ではありません。
そこがとてもリアルですし、医療裁判の進展具合もまた妙にリアルです。
そういう意味では読後のカタルシスを期待すると裏切られるかも知れません。
小説としての最大の問題は「詰め込みすぎ」でしょうか。
教授選、高齢化社会、医師の薬物中毒、ジャーナリズムの暴走など医療にまつわる様々な問題がぎっしりと詰め込まれて、全体として消化不良に陥っている感が否めません。
終盤に話が大きくなりすぎて、前半せっかく地道に築き上げたリアリズムが壊されてしまうのも残念なところです。

 

(2007年12月14日)

もう一冊は海堂尊の「チーム・バチスタの栄光」。
これは評判どおり高水準のミステリです。
ストーリーテリングがとても巧みで、キャラクターの造型もうまい。
それに比べると動機とトリックがもう一つという感じもしますが許容範囲でしょう。
主人公の職場「不定愁訴外来」、これはなかなか興味深い設定でした。
年末年始用の肩の凝らない読み物にぴったりかもしれません。

 

(2007年12月17日)

月に一度くらい奈良に行く用事があるのですが、再来年の阪神なんば線の開通が待ち遠しいです。
三宮から難波、奈良に直通で行けるのです。
人ごみが苦手なので大阪駅で乗り換えなくてすむのはとても助かります。
難波まで35分、奈良まで1時間10分だそうです。
問題はその時に難波のヤバフォがまだあるかどうかですが。


難波の複合レジャー施設「なんばヒップス」の目玉アトラクションが「難波ヤバフォ」だった。
12月13日開業したものの14日には故障で運航休止し、23日に運航再開したが翌年6月に再度故障しそれ以降運航休止のままである。
 

 

(2007年12月19日)


冬の寒さを自分の体感温度ではなくて仕事の忙しさで実感することがあります。
電車のホームで北風に身を震わせる時よりも、風邪の患者さんが増えたことで「寒くなった」と実感するのです。
きっと他の業種でも同じような感覚はあると思います。
マフラーや手袋の売り上げが急に伸びたから、ストーブが突然売れ出したから、そういうことで冬が来た事を実感してしまうような。
人間は大切な内臓を守るために皮膚を身にまとい、その皮膚が気温を敏感に察知しています。
皮膚以外の部分で季節感を感じるのを私は「皮膚感覚のアウトソーシング化」と呼ぶことにしました。
何だかカッコよくないですか?
本当は季節感が衰えてるだけなのでしょうが。

 

(2007年12月21日)

オペラを見てきました。兵庫県芸術文化センターの「ヘンゼルとグレーテル」です。
ホールのこけら落としの演目ですが評判がよかったので今回リバイバル公演となったのだそうです。
このホールはさすがにオペラ専用だけあって奥行きが広くて様々な演出効果が楽しめます。
こうなってくると一度あっと驚くような舞台転換を見てみたいものですが、それは今後の楽しみに置いておきましょうか。
子どもたちがステージに釘づけになっていたのがとても印象的でした。

 

(2007年12月26日)

オーケストラの演奏会にも行ってきました。
神戸大学交響楽団第57回定期演奏会。
仕事の都合でいつも後半のプログラムしか聴けないのですが、今回はチャイコフスキーの第5交響曲。
若々しくてフレッシュな演奏でした。
2楽章のチェロのメロディーも素敵だったです。
というわけで明日から松本胃腸科クリニックは休診となります。
年明けは1月7日から始めます。
来年もよろしくお願いします。

 

(2007年12月28日)

神戸元町ダイアリー2007年(5)評論家立花隆<main>神戸元町ダイアリー2008年(1)推理小説のルール


神戸元町ダイアリー2007年(5)

それにしてもJRの車内放送はどうしてあんなにやかましいのでしょう?

 

(2007年9月3日) 

生活保護の申請を職員が断ったり圧力をかけて自主撤回に持ち込ませる事例が問題になっています。
生活困窮者に最低限の生活を保障するのは当然です。
しかし経費の無駄遣いを徹底的に叩かれている公務員に対して、生活保護だけには大盤振る舞いせよと言うのは無理があります。
申請の正当性を外部機関に任せてはどうでしょうか。
たとえば生活保護受給者にボランティアで窓口に座ってもらうのです。
新たに申請に来た人たちを判定するのは現に受給している人たち。
実際に受給している立場から判定するのですから必要以上に厳しくはなりえないと思います。
また支給される総額に限度を設けましょう。
受給者が極端に増えれば一人当たりの受給額が減ります。
これなら適度に同情的に、適度に厳しく、判断できるのではないでしょうか。
また担当者が少々もたついたとしても本来は働けない人が無理して窓口に座っているわけです。
申請者から苦情が出ることはないでしょう。
役所の担当職員は判定に加わらず事務手続きだけおこなうようにすればいいと思います。

 

(2007年9月7日)

クリニックの周りにも全席禁煙の美味しい店が増えてきました。
そういう頑張っているお店をこのコーナーで紹介して応援したいと思っています。
最近はきれいな写真入りでお店や料理を紹介する個人のブログも増えてきました。
お店の人に断って撮影しているのだと思うのですが、それでもちょっと勇気が要ります。
禁煙のお店応援コーナーは私の勇気が出るまでもうちょっとお待ちください。

 

(2007年9月10日)

月に一度新聞の休刊日がありますが、たいてい月曜日です。
日曜日には株式や政局の動きが少ないからなのでしょうが、日曜日には夕刊もないので日曜朝から月曜夕方まで1日半新聞なしで過ごさなくてはなりません。
火曜日休刊にすると月曜夕方から火曜夕方までの1日のインターバルで済みます。
日曜日には大きなスポーツイベントが多い。
一方月曜日にはプロ野球の試合も少ない。
新聞休刊日は火曜日にするべきだと思います。

 

(2007年9月12日)

2007年7月の参議院議員選挙で大敗を喫した自民党は内閣改造で難局を乗り切ろうとした。
新布陣を組んだ安倍首相は9月10日の臨時国会で所信表明を行ったが、その二日後突然辞任を発表した。

 
安倍首相の辞任のニュースを伝えた夕刊には「無責任」という識者のコメントがずらりと並んでいました。
「なるほど無責任かも」と思いながら記者会見の録画を見ると、安倍さんはあの表情です。
表情の「深刻度」「精神的困憊度」「抑うつ度」をあるがままに映し出す映像に比べると識者のコメントはあまりにも軽くて表面的でした。
評論家やコメンテーターは今が映像の時代であるということを再認識した方がいいでしょう。
時代に取り残された評論家など無用の存在だと思います。
ところで安倍さんの業績を振り返ってみると防衛庁を省に昇格させ国民投票法案、教育改革法案を成立させて、さらに党内保守派から反発の強かった公務員制度改革法案も強引に通しているのです。
テロ特措法はアメリカが北朝鮮宥和に傾きつつある今、彼の大看板である対北朝鮮政策と相容れません。
アメリカの外交姿勢の変針に抗議してテロ特措法を延長せず、しかしそれは対外公約に反するために責任を取って辞任した。
事実だけを並べればこう解釈することも可能です。
あの記者会見さえなければ後世評価が劇的に変わる可能性もあったと思います。
記者会見をもう一度やり直したらどうでしょう?

 

(2007年9月14日)

以前このコラムで少し取り上げましたが、日本の裁判制度は最悪です。
検察官と馴れ合った裁判官は被疑者の接見を制限し放題、勾留延長は大盤振る舞い。
司法の独走を防ぐべきマスコミは検察からのリークを嬉々として垂れ流す。
これでは日本で罪を冒した米兵を「日本の司法システムで裁かせろ」と主張できないのも当たり前です。
そんな問題を真っ向から取り上げた映画「それでもボクはやってない」を見ました。
本当に恐ろしかったです。
主人公が痴漢の濡れ衣を着せられるという話なのですが、何が恐ろしいといって、じゃあ主人公がどの時点でどうすればよかったのかという選択の分かれ道が全く見えないこと。
つまり日本の現状では、痴漢に間違われれば誰がどうあがいてもああなってしまうのです。
「素人に裁判の何が分かるもんか」と裁判員制を批判する人もいます。
しかし今のシステムでは裁判官は研修の過程で検察官に対する盲目的な信頼感を植えつけられる仕組みになっています。
無意識の内に被疑者よりも検察官を信用してしまう体質ができてしまうのです。
検察と仲良しのプロに裁かれるのがいいか、しがらみのない素人に裁かれるのがいいか、裁判員制は詰まるところそういう問題だと思っています。

 

(2007年9月19日)

「ローマ人」の季節がやってきました。
毎年この時期になると塩野七生の「ローマ人の物語」文庫版が発売されるのです。
単行本の方は一足先に完結したようです。
文庫版は何年遅れで終わるのでしょう?
さて今回のタイトルは「終わりの始まり」。
ローマが最高の栄華を極めたはずの五賢帝時代、実はこの時期にローマ衰退がすでに始まっていた、という内容です。
最も印象深かったのはマルクス・アウレリウスが受けた帝王学。
この時代ローマの領土は全ヨーロッパに広がっていました。
当然色々な人が様々な方言をしゃべります。
ところが皇帝は自分に話しかける人のアクセントや語法の間違いを決して指摘してはならない、というのがマルクスが受けた教えだったそうです。
皇帝に向かって語られる言葉は、それが誰によって語られるにせよ帝国統治のための糧である。
その貴重な言葉をつまらない指摘で遮るのは帝国全体にとっての損失だ、そういう理屈なのだそうです。
私は以前「日本はもちろん、世界でも品格のあった国家が存在したことなどない」と書いた事があります。
しかしもしかするとローマは品格のある国家だった可能性があるかもしれません。

 

(2007年9月21日)

塩野七生「ローマ人の物語」の文庫版最新刊には映画「グラディエーター」の話題が出てきます。
あれは実話に基づいた話だったのですね。
全然知りませんでした。
塩野七生の評価としては、時代考証はよくできているが人物設定がもう一つ、そんな評価だったでしょうか。
そうしたらタイミングを狙ったのかどうか、NHKが「グラディエーター」を放送してくれました。
以前見た時は単なるアクションだと思って見たのですが、実話と思って見るとそれはそれで渋い映画でした。
NHK、なかなかやるじゃんって感じです。

 

(2007年9月25日)

ずっと昔にある格闘技評論家が言っていました。
総合格闘技なら相撲の力士が一番強いはずだ、と。
なぜなら打撃で倒した相手に馬乗りになるのが総合格闘技の必勝パターン。
打撃に強く、しかも絶対に倒れない訓練を受けている力士が負けるはずがない、というのが彼の主張でした。
ところが実際そうでなかったのはみなさんご存知の通りです。
相撲の起源を古事記の記述にまで遡ろうとする人がいます。
もしそうだとすると相撲は国技である以前に格闘技でした。
伝統にのっとり土俵の神聖さを主張するなら、同時に、いやそれ以前に相撲には格闘技としての強さを求めるべきだと思います。
弱い格闘技など国技ではありえません。
というわけで力士は場所の間には巡業ではなく総合格闘技の試合にどんどん出るべきだと思います。

 

(2007年9月28日)

今週から元町ミュージック・ウィークが始まります。
ポップスからクラシックまで、この1週間元町が音楽でいっぱいになります。
今年もささやかながらお手伝いします。
お暇ならどうぞ。

 

(2007年10月1日)

ちょっとした一言や仕草でその人の印象が決まってしまう場合があります。
私の場合思い出すのが評論家立花隆です。
今から20年以上前、CDというメディアが登場した時のことです。
立花隆は取材記者にLPとCDの音を聴き比べさせます。
その時に用意したのは最新録音のCD。
そしてLPの代表として彼が用意したのは何と、1950年代のフルトヴェングラーの録音でした。
大昔に録音されたノイズだらけのレコードだったのです。
それを聴いた記者は「なるほどLPよりもCDの音の方がきれいだ!」と感動しました。
私はそれ以来立花隆の語る事を一切信用できないでいます。
それから思い出すのがシドニーオリンピックで柔道監督だった山下です。
誤審騒ぎで場内が騒然とする中、両手を拡げるだけで何のアクションもおこなわなかったあの姿に、私は「この人は決断力や行動力のない人なんだ」という先入観を持ってしまいました。
あれだけ優秀な選手だったのですから実際はそんなはずないのですが、いまだに私は「山下」という名前を耳にするとあのシーンが思い浮かびます。
今回国際柔道連盟の役員に山下が落選したというニュースを聞いた時もそうです。
露骨な日本はずしだ! と連盟のやり方に憤懣を感じる一方で、「山下はどうせ会議に出ても何も発言しないでただ座っていたんだろうなあ」とついつい思ってしまうのです。
勝手な思い込みです、ごめんなさい山下さん。

 

(2007年10月3日)

村上龍の「半島を出よ」を読みました。
トム・クランシーばりのハイテク・ポリティカル・スリラーに「水滸伝」を足して2で割ったという感じでしょうか。
社会不適応者たちが巨大な敵に立ち向かうという構図も「水滸伝」そのものですが、首魁のとらえどころのなさも「水滸伝」を思い出させます。
ですが彼らの描写が時に文学的過ぎて、「緻密な描写の積み重ねによるリアルなサスペンス」よりも「悩める現代人のためのファンタジー」のような印象になってしまったのが物足りないところかもしれません。
作者はどこまで映像化を念頭に置いているのでしょう。
ラストシーンはぜひ映画館の大スクリーンで見てみたいような気もします。

 

(2007年10月5日)

トム・クランシーの名前が出たのでついでに一言。
映画「レッド・オクトーバーを追え」や「いま、そこにある危機」などの原作で知られるトム・クランシーですが最近ぱっとしません。
アメリカを襲う様々な危機に主人公ジャック・ライアンが立ち向かうというのが基本的な構図なのですが、ライアンもついに大統領にまで登りつめてしまいました。
つまり今はライアン=アメリカ合衆国なのです。
アメリカが無法者と認定した国や団体を圧倒的な軍事力で叩き潰す、そんな話の繰り返しが面白いわけがありません。
ロシアも日本もイランも叩きのめしたあと、戦う相手として残されているのは宇宙人くらいしかいないのではないでしょうか?
しかし行き詰まった物語を打開する方法が一つあります。
ライアン大統領が任期満了で辞任したあと、アメリカは無能な大統領によって悪の帝国に変貌を遂げるのです。
ありもしない大量破壊兵器を探し出すために他国を侵略したり、平和活動のために供給された石油を軍事行動に流用したり、ライアン辞任後のアメリカは勝手放題の嫌われ者国家になってしまいました。
その流れを食い止めるべくライアン元大統領が立ち上がるのです。
どうです? トム・クランシーさん、こっちの方が絶対面白いですよ。

 

(2007年10月10日)

JRの遅延運休が最近特にひどいです。
阪神間は私鉄が併走しているのでまだ何とかなるのですが、それでも情報がないと私鉄乗り換えのタイミングを見計らうのが難しいです。
問題は、駅員にも運転再開などの情報が分からないところです。
こういう時は実は悪名高い「2ちゃんねる」の「関西列車運行障害情報」がお薦めです。
電車に乗っている人、ホームで待っている人が「○○駅に停車中の上り新快速が今動き始めた」とか「△△駅の各停はまだ信号待ち」とか刻々と書き込んでくれるのです。
駅員がもっている情報よりも新しくて豊富です。
JR運休の知らせに焦った時は駅員に詰め寄るよりも「2ちゃんねる」に頼りましょう。

 

(2007年10月12日)

個人的に存在意義の分からないものがいくつかあります。
まず速くもやかましくもないロックミュージック。
静かな音楽が聴きたければクラシックを聴けばいいと思います。
どうしてロックミュージックにヘヴィネスやドゥーム感を求める人がいるのかさっぱり分かりません。
それからあっさり味のラーメンの存在意義も分かりません。
丁寧にダシを取った上品なスープとか、ラーメンにどうしてそんなものを求める人がいるのかよく分かりません。
さらに最近全然分からないのが役者やボクサーに品格を求める人。
これは本当に本当に全く分かりません。


ここで触れられている役者とは沢尻エリカ、ボクサーとは亀田興毅と思われる。 

 

(2007年10月15日)


この週末は町内会の清掃大会でした。
芦屋市内は条例により6月から路上喫煙が禁止されました。
まだまだ市内全域での路上禁煙が周知徹底されているわけではありませんが、それでも今回の掃除はとても簡単でした。
道端のゴミはほとんどタバコの吸殻なのです。
歩きタバコをしている人は全人口のせいぜい数パーセントでしょう。
その人たちが道端のゴミのほとんどを作り出しているのです。
ごく一部の人が富を独占するのも格差ならば、ごく一部の人によって町が汚されているというのも格差だと思います。
富の格差だけではなく、ゴミの格差も何とかして欲しいものです。

 

(2007年10月17日)

「神戸ビエンナーレ」に行ってきました。
現代アートの祭典とでも言うべきイベントで、目玉となるのが60余りのコンテナアートです。
コンテナの限られた空間を自由に使った「コンテナアート」なるものが定着したアートの形式なのかどうかは知らないのですが、それぞれに工夫を凝らした展示はどれも見ごたえがありました。
中でも現代「いけばな」の数々には圧倒されました。
「いけばな」はまだまだエネルギーをもって走り続ける前衛だったのですね、びっくりしました。
全ての展示を見るのに約3時間。
こちらの体力も問われるアートイベントでした。

 

(2007年10月22日)

この間ニュースショーを見ていたら最近の出版事情について特集をしていました。
そこで例によって出てくるのが「若者の活字離れ」をしたり顔で嘆く評論家です。
「活字離れ」に何か根拠があるのでしょうか? 
今は新刊書の出版数こそ多いものの内容が低下しているとその評論家は嘆きます。
ところが40年前の年間売り上げ第1位の本は「頭の体操」、30年前は「間違いだらけのクルマ選び」、20年前が「サラダ記念日」、そして10年前は「ビストロスマップ」でした。
ちなみに去年は「国家の品格」でした。
今も昔も本のレベルなんてこんなものです。
昔もほとんどの人は手紙なんか書きませんでした。
それが今はほとんどの人がメールという文字情報で意思を伝達します。
特に若い人は電話代を気にして長電話よりもメールでやり取りする方を好みます。
「若者はむしろ活字に接近している」というのが事実だと思います。

 

(2007年10月24日)

電話帳の季節がやってきました。
自営業の方は経験があると思うのですが、この時期になると電話帳広告のニセ請求書がやってきます。
電話帳から切り抜いた広告と請求書を送りつけて振込みを要求するのです。
見るからに怪しい請求書ですし、最近はNTTから「ニセ請求書に気をつけてください」という親切な電話もかかってきますし、今時こんな手口に引っかかる人がいるのだろうか? とこちらが心配になるような原始的な詐欺です。
しかし考えてみればこれには大変な手間がかかっています。
広告を切り抜いて台紙に貼り付けて、あて先を手書きで書いて封をして、郵送するのです。
仮に千人に一人が騙されたとしても時給は最低賃金ラインをはるかに下回ります。
そこでついつい想像してしまうのです。
貧しい家族の光景を。
「花子はこれを切り抜くのよ、そして太郎はこれを貼り付けてね。お母さんは宛名を書くから、あ、お父さんは寝ててちょうだい」
「すまんな、お父さんが病気になったばっかりに……」
「お父さん、それは言いっこなしでしょう」
何と切ない話でしょう。
だからと言って振り込んだりはしませんが。

 

(2007年10月26日)

全国学力テストの結果が出ました。
沖縄が最下位で大阪は45位だったそうです。
それはともかくとして驚いたのは新聞の論評です。
「そんなのは無作為抽出テストですでに分かっていたことだ。この程度の結果を得るために全数調査する必要性があったのか疑問」なのだそうです。
大阪の学力の低さは常識だったようです。
常識なら教えてくれればよかったのに、マスコミも人が悪いですね。

 

(2007年10月29日)

賞味期限切れのニュースがそろそろ賞味期限切れです。
同様のニュースがあってもすっかり驚かなくなってきました。
しかし偽装表示の問題でやり玉に挙げられるのは、有名ではあっても企業としての規模はそれほど大きくない会社ばかりです。
大企業はよほど品質管理がしっかりしているのでしょうか? 
それとも情報管理がしっかりしていると考えるべきなのでしょうか?

 

(2007年10月31日)

またまた立花隆なのですが、かつて彼が脳死臓器移植に猛反対していたことがあります。
その理由が、臓器を移植するためには脳が「器質的に」死んでいなくてはならない。
しかし今脳死判定に用いられている検査は全て「機能的」死しか判断できない。
従って今の判定基準では脳死移植を認める事はできない、という論法でした。
「器質的」と「機能的」という言葉を使い分けて理路整然と脳死移植に反論したわけです。
しかし「器質的」と「機能的」という言葉はそんなにすっきりと分けられる概念でしょうか?
たとえばある機械が壊れたとします。
スイッチを入れても動かない、どのボタンを押しても動かない、叩いても動かない。
どうやっても全然動かない、だからこの機械は壊れている、と普通は判断します。
機能的に完全に停止しているから器質的に壊れている、と判断するわけです。
つまり「器質的死」というのは理屈の上にしか存在しない概念なのです。
「器質的な死」そのものを判定する方法はありません。
それは機能的検査を繰り返すことによってしか判定できません。
あまりに理路整然とした理論には往々にしてこうした「嘘」が含まれています。
騙されないように気をつけたいものです。

 

(2007年11月2日)

言葉のまやかしで思い出すのが「嫌煙ファシズム」という言葉です。
「ファシズム」には何か恐ろしいイメージがあるので、嫌煙運動に水を差すにはとても有効な表現です。
しかし「ファシズム」も実は分かったような分からない言葉です。
本来「ファシズム」とは国内的には「全体主義」、対外的には「軍事的拡大主義」、その両方の特徴を併せ持った政治のあり方を意味する言葉です。
「嫌煙ファシズム」はこの内の「全体主義」を切り取って転用しているのでしょう。
問題はその「全体主義」です。
最大多数の最大幸福を達成するために民主主義社会では多数決の原理を採用しています。
10人の内9人があることを望み、残りの1人が我慢を強いられる、これが多数決でこれは民主主義の基本です。
決して「全体主義」ではありません。
その1人が基本的人権を侵害される場合に初めて「全体主義」になります。
狭い部屋に10人いて、9人が禁煙を望み1人が強いられる。
しかし「タバコをどこでも吸ってもいい」基本的人権などは存在しません。
従って多数の意見によって禁煙を強いられてもそれは「全体主義」ではありません。
ところが逆に狭い部屋でただ1人タバコを吸わない人がいるとすればどうでしょう。
この人は健康被害に曝されます。
そして「健康」は基本中の基本の人権ですからこの場合は「全体主義」にあてはまります。
「嫌煙ファシズム」という言葉を発明した人はすごいと思います。
実に優れた言語感覚の持ち主です。
しかしそこで用いられている「ファシズム」という言葉が本来の意味を捻じ曲げて使われている点、さらに本来は喫煙こそ「ファシズム」である点、その二つを私達は理解しておくべきでしょう。

 

(2007年11月5日)

さらに言葉の定義の話が続きます。
今フロイトを読んでいるのですが、彼の理論の元になるのが「自我」や「エス」、それに「超自我」などの用語です。
読みながら思ったものです。
あるかどうかはっきりしないものを踏まえて積み上げた理論に意味があるのだろうか?
フロイト自らが答えてくれました。
今までの科学者も重力や磁力の存在を知っていて物理学を組み立てたわけではない。
さまざまな現象からその存在の可能性に思い至り、その存在を仮定した方がさまざまな現象をより簡単に説明できるから「存在する」と結論づけてきた。
科学というのはまず存在を仮定するところから始まるのだ、と。
おっしゃる通りです。
フロイトさん、疑ってすみませんでした。

 

(2007年11月7日)

神戸元町ダイアリー2007年(4)センマイって何?<main>神戸元町ダイアリー2007年(6)椿三十郎リメイク


神戸元町ダイアリー2007年(4)

芦屋市の路上喫煙禁止条例が施行されて1ヶ月になりました。
駅の改札を出るや否やそわそわとタバコに火をつける人を見かけなくなりましたし、駅周辺の道端で吸殻を見かけることもなくなりました。
芦屋駅を一度体験してしまうと、他の駅が薄汚れているように感じてしまうから不思議です。
不動産の場合、最寄駅の雰囲気がこれだけ違うと物件のイメージも大きく影響されるのではないでしょうか。
マンションのグレードを上げるために不動産関係業者は駅周辺の禁煙運動を強力に推し進めた方がいいと思います。

 

(2007年7月2日)

2007年6月30日の講演会で久間防衛大臣が「原爆はしようがなかった」と発言したとの報道がなされた。
実際の発言内容は、原爆で長崎の人は悲惨な目にあったがソビエト情勢も考えればアメリカのやり方もある程度理解できる、という文脈だった。
これに対して各方面からの批判が集中、久間大臣は辞任に追い込まれた。 


全く不勉強でした。
防衛相の発言です。
アメリカの属国日本は「原爆投下は正当だった」とするアメリカの見解を受け入れているものとばかり思っていました。
間違いでした。
今の報道を見ると全国民が「原爆投下は絶対的に悪である」という認識で一致しているようです。
全く正しい認識だと思います。
この勢いで来年の歴史教科書には「アメリカの原爆投下はナチスドイツのホロコーストと並ぶ第二次大戦下二大虐殺事件である」と明記して欲しいものです。

 

(2007年7月4日)

新聞のテレビ欄を見ると昼のワイドショーがかなり硬派な話題を扱うようになってきています。
かねてから昼間在宅率が高かった階層の知的水準が上がったと考えるよりも、知的水準の高い階層の昼間在宅率が高くなったと解釈するべきなのでしょう。

 

(2007年7月6日)

「ロストロポーヴィチ〜人生の祭典」という映画を見てきました。
偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチの映画です。
タイトルだけ見れば彼の半生を描いたドキュメンタリーのようですが、実際には映画の半分は妻のガリーナさんのインタヴューに割かれ、ロストロポーヴィチの演奏はリハーサルシーンが断片的に取り上げられるだけでした。
アレクサンドル・ソクーロフは「エルミタージュ幻想」や「太陽」といった個性的な作品で知られる監督です。
この映画はドキュメンタリーなので映像に凝るわけにもいかず、肝心のインタヴューもさほど興味深くもなく、どこが面白いかさっぱり分からない映画になってしまってました。
結局、音楽家は音楽で語れということでしょうか。

 

(2007年7月13日)

2007年6月1日に農林水産大臣として安倍内閣に抜擢された赤城議員であったが、大臣就任早々数々の不正経理問題が発覚した。
議員とカネの問題など珍しい話題ではなかったが、会見場に絆創膏姿で現れ、記者の質問を無愛想に拒絶する姿が繰り返しテレビで流され、妙な形で有名になってしまった。 


この間ニュースショーで赤城農水相の祖父赤城宗徳がどれだけ豪胆な政治家だったか紹介されていました。
コメンテーターが「それに比べると孫は器が小さい」としたり顔で語っていたのが印象的でした。
しかし祖父の世代といえば政治資金など完全に不透明だった時代です。
今は5万円単位の支出には領収書が必要とされます。
政治家に求められる資質が根本的に違っているわけです。
コメンテーターならば何が政治家の器を小さくさせているかを語るべきだったと思います。
私は政治家に限らず日本人も、日本という国そのものも、昔の方がよかったという説には全く組しません。
しかし唯一の例外があって、今のマスコミ。
ああ、昔のマスコミはよかった……。

 

(2007年7月18日)

焼肉が好きでよく食べに行くのですが、一つ提案があります。
焼肉のメニューってハラミとかカルビとかハチノスとか特殊な用語で分かりにくいですよね。
これを解剖学用語で説明を加えてもらえると分かりやすいです。
横隔膜とか肋間筋とか第二胃とか……。
かえって分かりにくいですか?

 

(200年7月20日)

常日頃から心に留めていた疑問がある日夢の中で解決する、よく耳にする話ですが実際には体験したことはありませんでした。
この間生まれて初めて経験しました。
疑問自体は大したものはありません。
「卍(まんじ)」と「ハーケンクロイツ」の違いです。
今までは「左上に横棒がある方が卍」とか「左上から右に進むのが卍」とか、あやふやな方法でしか覚えていませんでした。
うろ覚えもいいところです。
ところがある日、夢の中で自分が人に説明しているのです。
「アルファベットのSが入ってる方がハーケンクロイツだよ」って。
なるほど、感心して目が覚めました。
多分どこかで耳にしたか読むともなく読んだことがあったのでしょう。
それがふとした拍子に記憶の奥底から浮かび上がってきたのだと思います。
とても不思議な経験でした。

 

(2007年7月23日) 

今興味があるのは光文社古典新訳シリーズの「カラマーゾフの兄弟」全5巻です。
お盆休みに読むのに手ごろな分量かなと思っていたのですが、今日の新聞で気になる記事がありました。
最終巻に「父を殺したのは誰か」という訳者による解題が付いているらしいのです。
カラマーゾフの解説本は数あれど、この問題に言及した人はいません。
以前も書いた事がありますが、この問題に言及しない者を私は評論家とは一切認めません。
つまり少なくとも日本にはこれまで「カラマーゾフ」もしくは「ドストエフスキー」評論家は存在しなかった、という三段論法が成立しているわけです。
今回日本で初めてのドストエフスキー評論家が誕生した可能性があります。
というわけで予定を繰り上げてすぐにでも読んでみたくなりました。
ところが全5巻が揃っている本屋がないのです。
1巻がなかったり、4巻がなかったり……。
全5冊まとめて買うとボックスに入れてくれるので細切れで買うのはいやだし。
結局注文する事にしました。
届くのに10日くらいかかるそうです。
やっぱりお盆休みに読むことになりそうです。

 

(2007年7月25日) 

明後日は参議院議員選挙です。
せっかく全国的に盛り上がっているのに兵庫県は1人区。
自民1人民主1人で、事実上無風状態でブームから一人取り残された感じです。
そもそも参議院の地方区が人口に比例して割り振られているのが不条理だと思います。
地方区+比例区という選挙システムなら衆議院と基本的に同じです。
参院不要論が出てくるのも当然です。
参議院は各県1人ずつにするべきでしょう。
そうすれば地方分権も一気に進むと思います。

 

(2007年7月27日)

この間刑事事件の捜査に協力する機会がありました。
捜査のために作られる調書は半端な量ではありませんでした。
警察と検察の馴れ合いを断ち切るためには厳正な調書の作成が必要です。
しかし厳正な調書を作っていると警察の本来の業務が滞ってしまいます。
重大事件の捜査を進めるために軽微な窃盗や傷害は調書に上げないで済ませようと思ったとしても一方的に責められないと思うのです。
日本の警官の優秀な捜査能力を生かすためには、この書類作成を分業化すべきだと思います。
たとえば書類作成補助員のような役職の人を置き、被害届や調書の大枠ができたところで警官が対応するようにしてはどうでしょう。
補助員にとっては書類の作成が仕事ですからそれを面倒がらないはずです。
一方警官も本来の業務に専念できるわけです。
「空き交番0(ゼロ)」を公約に掲げている党もありましたが、それよりも作業の分業化の方が現実的でコストもかからないと思います。

 

(2007年7月31日)

警察官の書類仕事と言えば、時々警察官による個人情報の漏洩事件が報道されます。
自宅で仕事をしようとして書類を持ち帰ろうとして電車に忘れたとか、置き引きにあったとか、そういう事例です。
それ自体は決して許されませんが、考えてみれば彼らは自宅で仕事をしようと、つまり残業代もなしで仕事をしようとしていたわけです。
教師も同じです。
自宅で仕事をしようとして持ち帰った成績表が紛失してしまったという 事件(?)がよく報道されます。
こういう報道に接した時いつも、当事者の善意を無視しすぎではないかと思ってしまいます。
残業はするな、自宅でする時にも気を緩めるな、ではモチベーションは下がる一方でしょう。
「残業代はいくらでも出すから仕事は職場でしてくださいね」というのがごく普通の態度だと思います。

 

(2007年8月1日)

「アラビアンナイト〜文明のはざまに生まれた物語」(西尾哲夫著:岩波新書)という本を読みました。
以前「千夜一夜物語」を読んだ時にさまざまな疑問が浮かびました。
この長大な物語は一体どうやって生まれたのか? 
いろいろな訳文の特徴とは? 
アラビア語本文にはない「アラジン」や「アリババ」のエピソードは誰が付け加えたのか? 
この本はその疑問を取り上げてくれます。
そう、確かに疑問自体は扱ってくれます。
ところが何も答えてはくれません。
つまりそれだけ「アラビアンナイト」の研究が進んでいないということです。
今後アラブの人たちが「アラビアンナイト」に文学的価値を見出してくれればおそらく研究は飛躍的に進むのでしょう。
現時点では全てがもどかしい……、これがこの本の正直な感想です。

 

(2007年8月6日)

「カラマーゾフの兄弟」が届きました。
お盆休みを楽しめそうです。

 

(2007年8月8日)

というわけで「カラマーゾフの兄弟」を読みました。
読みやすい訳文を心がけたという亀山郁夫の言葉どおり、かなり流麗な日本語で綴られた「カラマーゾフ」になっています。
4部構成+エピソードという巻立てを生かした分冊もいい試みです。
ただ文章の流れが良すぎるために、フョードルの爆裂キャラクターの勢いが殺がれているような印象は否めません。
ドミートリーのおバカな彷徨や、終幕の検事と弁護士による長ったらしい弁論は、どちらもかなり読みやすいものとなっています。
冗長さが緩和されたわけではありませんが。
楽しみにしていた解説は力作でした。
肝心の「父を殺したのは誰か」に対する答えは旧来のものでしたが、十分読み応えがあります。
「カラマーゾフ」のスタンダードと言ってもいい訳だと思いました。

 

(2007年8月17日)

ゲーテの「ファウスト」を読んでいます。
そんなつもりは全くなかったのですが、「カラマーゾフの兄弟」の解説に「カラマーゾフ」をより深く理解するためには「ファウスト」を読め、と書いてあったので行きがかり上というか、仕方なくというか……。
しかしこれがまた妙ちくりんな話なのです。
第1部で愛する人を罪に落し死なせてしまったファウスト。
苦しみと悲しみに打ちひしがれるその姿を見て天使たちはその悩みをチチンプイプイと取り除いてやります。
俄然立ち直ったファウストは第2部の冒険に向かっていくのです。
このあっけらかんさには口もあんぐり、です。
テレビゲームにはまった子どもは命すらも簡単にリセットできると信じ込む、と批判する識者がいます。
「ファウスト」第2部冒頭などリセットもいいところです。
きっとゲーテはテレビゲームにはまってたのでしょう。

 

(2007年8月22日)

それにしても「ファウスト」は変な話です。
よくある名作解説などではこう紹介されているのではないでしょうか。
神と悪魔が賭けをする。
真面目一徹の学者ファウストを悪の道に引きずり込めたら悪魔の勝ち、ファウストが最後まで善の道を忘れなければ神の勝ち。
悪魔はファウストをいろいろな世界に引っ張りまわして悪の世界に誘惑しようとするが……。
ところが読んでみると全然違うのです。
ファウストは善など全くおこないません。
何かを行うたびに周りの者を破滅させ無残に死なせます。
恋人を牢死させ、息子を墜死させ、妻を悲嘆の底に叩き落し、帝王をその座から追い落とし、善良な老夫婦を焼き殺します。
そして自分の墓を堀る音を壮大な事業の槌音と聞き誤りながら死んでいくのです。
これを今まで私はゲーテの皮肉だろうと思って読んできました。
今回は、もしかしたらゲーテ(=物語中の神)の「善」の概念が普通と違うのではないかと思って読みました。
でもそうではありませんでした、やっぱりただの変てこりんな話でした。
延々と続く饒舌、そして善悪の概念の消失、話し初めと終わりで全く合わない辻褄。
これは何かの病気の症状だったと思うのですが……。

 

(2007年8月27日)

森鴎外訳の「ファウスト」が興味深いです。
優れた作家とは言えないゲーテのさほど面白くない作品を、文豪とは名ばかりで実績に乏しい森鴎外が訳すと俄然生き生きとした文学になります。
ベルクやウェーベルンと比べると退屈極まりないシェーンベルクのピアノ曲を、退屈なシューマンやショパンしか弾けないポリーニが弾くと突然生命感あふれる音楽に変身するのを思い出させます。
「退屈」×「退屈」=「刺激的」ということなのでしょうか。

 

(2007年8月30日)

医療事故が起きるとマスコミはこれまで医師の倫理を糾して終わりでしたが、最近は医師適正配置や保険制度など構造的な問題まで踏み込んでくれるようになってきました。
論調も「仁術の担い手である医師は金のことを言ってはいけない」という理想論から「よりより医療を行うためには医師の待遇を改善するべきだ」という現実論に変化してきたようです。
現実を論じる立場にあるマスコミが遅ればせながら現実を見始めたようです。
ところがこれが教育の世界だといまだに現実論はタブーのようです。
休憩時間も放課後も生徒指導に追われ、夜間は繁華街の見回り、休日はボランティアでクラブ活動の面倒。
ところが修学旅行の引率で夜ちょっと飲酒すると実名で報道され、生徒が犯罪を冒せば親に代わってテレビカメラの前で謝罪。
これでさらに免許更新制を導入しようと言うのですからあんまりです。
他に就職先のない落ちこぼれしか教師になるなと言っているのも同然です。
論壇の中心たる団塊の世代がそろそろ医者のやっかいになる時代になってきました。
そうして医療の現場を垣間見ることが多くなったために彼らの論調が変わってきたのだと、私は想像しています。
一方彼らが教育の現場にお世話になることは、今後もありません。
理想論による教師バッシングはまだまだ続くでしょう。
教師の皆さん、心から同情します。

 

(2007年8月31日)

神戸元町ダイアリー2007年(3)赤ちゃんポスト<main>神戸元町ダイアリー2007年(5)評論家立花隆


神戸元町ダイアリー2007年(3)

連休も終わりました。皆さんゆっくりできましたでしょうか?
私は予定通り胃と腸の検査を受けてきました。
腸の検査の前には2時間以上かけて下剤を2リットル飲まないといけないのですが、今回はそれを家で飲んでみました。
家だとその2時間の間、横になってもいいし、トイレにも自由に行けるので本当に助かりました。
飲み始めて3時間くらいすると腹具合も落ち着いてくるので、それ以降なら1時間くらいの移動も大丈夫です。
問題は検査のあとです。
お腹の中にかなりガスが溜まっているので、検査後にゆっくり横になれると助かります。
つまり大腸の検査は「検査前は家でゆっくり、検査後は病院でゆっくり」これがポイントのようです。

 

(2007年5月7日)

さてせっかくの大型連休。
読書でも大作にチャレンジ! という事で、大鐘稔彦の「孤高のメス」、全6冊にチャレンジしました。
とっても面白かったです。
何が面白いって手術シーンの緊迫感が最高です。
実にリアルなのです。
描写の的確さだけではなく、手術室の空気感まで感じられて見事です。
正直言うと、主人公の素晴らしい手術よりも脇役たちの失敗手術の方がエキサイティングだったりします。
「あー、そこを切っちゃダメ!」と読みながら思わず叫んでしまうリアルさ。
主人公はいい人過ぎて存在感に欠けるのですが、身勝手で手術も下手な敵役たちが本当にいい味を出しています。
いるんですよね、実際にああいうダメ医師。
と言うか、生身の医師は、コンディションやタイミングによって、ある時は主人公のように名医になり、ある時は敵役のようにダメ医師になる、それが現実です。
どうせ病院に行くなら、いいコンディションの「名医」にかかりたいものですが、その話題はまた別の機会に譲りましょう。
この本の欠点は面白すぎて一気に読み終えてしまうところでしょうか。
私も結局ゴールデンウィークに入る前に読み終えてしまいました。

 

(2007年5月9日) 

考えてもよく分からないことがいろいろあって、例えば死刑制度。
国家による制裁を認めなければ遺族感情が収まらないという存続論者の理屈はよく分かります。
死刑を廃止しても凶悪犯罪が増えないという廃止論者の主張にも説得力があります。
自分で結論づけられない時には周りを見回すのが一番です。
先進国で死刑を続けているのは今や日本とアメリカの一部の州だけです。
理屈はともかく、死刑制度廃止への流れは止めようがなさそうです。
民主主義の根本の参政権も実はよく理解できていません。
開業初年度は経費の関係で税務上赤字経営になるのですが、その頃はよく思ったものです。
どうして税金も払ってないのに選挙権があるんだろう? 
これもいろいろな理屈はあるのでしょうが、「税金を払ってなくても選挙権がある」というのは歴史によって「正しい」と証明された流れなのでしょう。
国民投票もよく分かりません。
マスコミがよく、国民投票を行う場合に最低投票率を設定しないと2割くらいの賛成で重要法案が成立してしまう可能性がある、と危機感を煽っています。
しかしどっちでもいい人を無理に巻き込む必要はないような気もしますし、重要法案なんだから「どっちでもいい」などという立場を許すべきではないと思ったりもしますし。
ただ、最低投票率に関しては世界的歴史的流れらしきものは未だないようです。
とすると早目に法律を施行してテーマも憲法に限定せず何度も国民投票を繰り返して、「歴史的に正しい」方法を見つけ出すしかないような気がします。
「死刑制度」「首長の多選」「二世議員」「相続税」などいろんなテーマで国民投票を試して、国民が手法に慣れてから憲法について結論を出すというのはどうでしょうか。

 

(2007年5月14日) 

2007年5月、熊本県の病院が被育児放棄乳児の受け入れシステムの運用を開始した。
日本版の「赤ちゃんポスト」である。
親の匿名性を尊重したあり方に育児放棄を助長するなどの批判的意見も多く寄せられた。
2007年度以降の年度ごとの受け入れ人数は17、24、15、18人であった。
 

子どもを躾けるのは家庭だと思っていましたが、子どもが犯罪を犯した時、最近は親ではなく学校の校長が謝罪させられます。
親と接する時間よりも学校で過ごす時間の方が長いからなのでしょうか、子どもの躾の責任は家庭から学校へ移行しているようです。
その理屈から行くと、無分別な大人を躾け、啓蒙する責任はマスコミが担っていると言えないでしょうか。
子どもの犯罪の時に教師を引きずり出すのが正義なら、マスコミは一般の犯罪の時には自ら「アホなバラエティばっかり放送して啓蒙が行き届きませんでした」と謝るべきです。
つまり「赤ちゃんポスト」の問題です。
「赤ちゃんを救いたい」と善意で動いた病院が、どうして責められるのか私にはさっぱり分かりません。
子どもを捨てるのは第一に親が悪い、第二に啓蒙できなかった社会が悪いと思います。
そして現代社会において私たちを啓蒙する責任があるのは、私たちにもっとも接する時間が長いマスコミです。
とすると赤ちゃんが捨てられるのはマスコミの責任です。
赤ちゃんポストに子どもが捨てられた時、マスコミは病院に「我々の啓蒙が足りませんでした。今回はお願いですから子どもの面倒を見てあげてください」と謝りつつお願いするのがスジだと思います。

 

(2007年5月16日)

洗濯機が壊れました。
ドラム式の初期の製品です。
メーカーの人に見てもらったら「万単位の修理代がかかるし買い替えを強くお薦めします」という話なので買い替える事にしました。
ドラム式は洗濯から乾燥まで一気にできるのが一番の魅力だと思います。
しかし我が家では乾燥機能はほとんど使ったことがありません。
そういうわけでドラム式から全自動への買い替えとなりました。
お店の人には「逆のパターンの買い替えは多いですが」と変に感心されてしまいました。
ドラム式は発売されてそろそろ10年を越えたところです。
製品としての寿命がどれくらいなのか、もうちょっと見極めてから買う方がいいかもしれません。

 

(2007年5月18日)

今までカレーのルーは板チョコのようになっていて、必要に応じて割って使うようになっていました。
ところがこの間新製品を買ったら一人前ずつ個別包装になっています。
これだと一人前や二人前作る時にとても便利です。
近所のスーパーでは8分の1カットの白菜も売り出されました。
これも小家族には助かります。
どんどん個食の時代に向かっているようです。
あとはチューブ入りの味噌があると便利なのですが。

 

(2007年5月21日)

「クリムト」という映画を観ました。
世紀末の画家クリムトが主人公の映画です。
ストーリーは観念的でよく分からないのですが、そこで使われている音楽がとても素晴らしいのです。
まずオープニングはマーラー風の豪華な管弦楽、これにボーイソプラノがかぶさります。
あれ、マーラーにこんな曲があったかな? と思ってしまいました。
その後も19世紀を思わせる魅力的な曲が次々流れるのですが、曲名が全く分かりません。
エンディングロールを見ましたが、曲名は一切クレジットされていません。
どうやらオリジナル作品のようです。
音楽はホルヘ・アリアガータという人が担当しているのですが、この人の作品なのでしょうか。

 

(2007年5月23日)

この間新聞で「折り畳み傘をカバンに入れているような人には男らしさを感じない」という文章を見かけました。
天気予報を細かくチェックして傘を持つか持たないか決める人と、天気予報を一切気にせず傘を持つ人とどっちが男らしくないかはさておき、とっても面白い発想だと思いました。
私もカバンに折り畳み傘を入れているので男らしさ指数は低いです。
さらに傘だけではなく歯ブラシからウェットティッシュまでカバンに放り込んでいるので男らしさ指数はゼロに近いと言えるでしょう。
あろう事か、最近では救命用の人工呼吸マウスピースなどというものまで持ち歩いているので、ゼロどころかマイナスです。
私は「男らしくないヤツ」決定です。

 

(2007年5月25日)

ものすごく馬鹿な提案をします。
絶対に誰も賛成してくれないと思いますが。
「まとめる」と「つなぐ」という言葉はよく使うわりに漢字がとっても難しいと思いませんか? 
それぞれ「纏める」と「繋ぐ」です。
これを中国の略字を見習って簡略化すればどうか、という提案なのですが。
絶対ダメですよね? はい、すみません、ちょっと言ってみただけです。

 

(2007年5月28日)

ペットボトルはリサイクルされてもリユースはされていないという説があります。
結局ほとんどは燃やされていると、その論者は言います。
仮に現在リユース率が低くても、今後技術革新によってリユース率向上が期待できるという理由でリサイクルを推奨する考え方もあります。
リユースされていないから捨ててもいいという考え方は、「節約」の観点からも抵抗がありますし、どちらにしてもペットボトル飲料を買わないのが消費者としてはベストの選択だと思います。
もし買ったらリサイクルに出すのではなく、家庭で再使用したいものです。
ただ、ペットボトルは詰め替えを想定して作られていません。
洗うのがとても面倒です。
以前この欄で「洗うのがとても難しくて困っている」と書きました。
その時は私もペットボトルの再利用は邪道だと思っていたので控えめな文章でした。
今は考え方も変わってきています。
メーカーはもっと洗いやすい形状のペットボトルを開発をするべきだと思います。

 

(2007年6月1日)

朝日新聞の医療問題を扱う特集記事の連載がこの間終わりました。
これまでのマスコミは医師だけではなく、公務員、教師、警察官を叩けば事足れりという態度でしたが、今回の記事では公平公正な姿勢がとても印象的でした。
医療費抑制という美名の下、日本の医療がいかに疲弊し崩壊していったか、先進諸国に比べて日本では医療がいかに軽んじられているか、それを補うためにどんなに過酷な条件の下で勤務医が働いているか、という内容でした。
今までの朝日新聞からは想像できないような真面目な姿勢です。
と思っていたら最終回でやってくれました。
「医療の新しい方向を模索する医師たち」というテーマで、医療の現場に「笑い」を取り入れる試みを紹介する内容でした。
その中で「一日に5回以上笑ったり感動した患者から癌が消えた」という文章がありました。
私も「笑い」の効果は否定しません。
しかし「癌が治った」という一文を書き記すためには厳密なデータが必要なのです。
「一日に5回以上笑う患者」と「一日に5回未満しか笑わない患者」を無作為に分けて、その他の条件を同じにして実験しなくてはいけません。
そして常識的に考えるとそんな実験は不可能です。
真面目に医療に向き合っている者ならば「笑う患者は癌が治る」などという文章を書けるはずがないのです。
この記者もいろんな専門家に取材を重ねたでしょうに、結局この基本的考え方は理解できないままだったようです。
とんだずっこけ企画でした。

 

(2007年6月4日)

今ほとんどの病院は「院外処方」だと思います。
薬が必要な場合、医師は患者さんに処方箋を渡し、患者さんはそれを最寄の薬局で薬と引き換えるというシステムです。
何種類薬を出そうと処方箋1通の値段は同じなので、無駄な投薬が減るという効果はあります。
その一方で受診者の手間が増えるという短所もあるのはみなさんご存知の通りです。
当院では薬をその場でお渡しする「院内処方」のシステムを取っています。
忙しい方はとても喜んでくださいます。
しかし複数の病院でいろいろ薬をもらっている方だと、薬を総合的に管理するために「院外処方」の方が都合がいい場合があります。
そういう場合には「院外処方」にも対応しますので遠慮なく申しつけください。
また希望する薬が当院にない場合もあります。
本来そういう場合には「院外処方」にさせていただくのですが、当院ではできる限り柔軟に対応したいと思っています。
遠慮なくご相談ください。

 

(2007年6月6日)

ものすごくマイナーな話題です。
ベートーヴェンの交響曲を演奏する時にどの楽譜を使っているかというのが最近では問題になるようです。
新しい「ベーレンライター版」という楽譜は、ベートーヴェンの自筆譜に基づいて今までの楽譜を徹底的に修正したものだそうです。
「ベーレンライター版使用」などという宣伝文句が付けられたCDを見かけることが多くなりました。

つまりこの新しい楽譜を使って演奏したということが一種のステイタスになるようです。
先日交響曲第1番に触れる機会がありました。
せっかくなので従来の楽譜と「ベーレンライター版」を比べてみました。
細かなところはいろいろ違っています。
「ベーレンライター版」を見て初めて解決する疑問も確かにあります。
しかしほとんどは瑣末な技術的な差異でした。
今後ベートーヴェンを演奏するときには「ベーレンライター版」を参考にする必要はあります。
しかし「ベーレンライター版」を用いたからと言っていきなり画期的な音楽になるわけではない、結論としてはそんなところでしょうか。

 

(2007年6月8日)

江戸川乱歩全集を読み始めてどれくらいになるでしょうか。
基本的に面白くないので本当は投げ出してしまいたいのですが、「全集フェチ」としては乗りかかった船を下りるわけにもいかず、仕方なく読み続けているところです。
第14巻は戦時中の作品群でした。
乱歩は常々「戦時中は当局に目をつけられ、活動停止に追い込まれていた」と語っています。
しかし時代順に読んでみると開戦直前、乱歩の作品の質はどん底まで落ち込んでいました。
「当局うんぬん」はどう考えても言い訳にしか聞こえません。
戦後、彼の小説が少しは面白くなってくれるといいのですが。

 

(2007年6月11日)

中学生の教育費に対して、1年間に一人あたり80万円以上の税金が使われています。
クレーマー親が問題になっていますが、彼らの根本的な過ちは「自分達が教師を雇っている」と考えている点です。
教師を雇っているのは親ではなく納税者です。
とすれば納税者として次のようなクレームをつけたくなる人も多いのではないでしょうか。
「こんな馬鹿な生徒に80万も使って欲しくない!」 
「80万もかけているんだから厳しく躾けて社会適応能力を身につけさせろ!」 
「80万も支払ってもらってるんだから制服だって校則だってある程度の縛りがあって当然!」 
納税者の意識が低いとよく識者が語っていますが、最近は公務員の無駄遣いに対して世間の目はかなり厳しくなってきました。
それに比べると教育費の使われ方はほぼノーチェックです。
まずは親と生徒に「お前たちには税金がこれだけ使われているんだ」という事を教え込むことが必要だと思います。

 

(2007年6月13日)

公的機関へのクレームは全て文書で受け取り全て記録するべきだと思います。
この手法を採用した自治団体では政治家の口利きや圧力団体の抗議が激減したと言います。
この手法を学校でも採用するべきでしょう。
不満のある親は文書で提出し、それを教師代表、保護者代表、地域住民代表の3者会議で評価する。
その際には親の名前も教師の名前も当然伏せることになります。
こうすれば教師が理不尽なクレーマー親の攻撃にさらされなくなりますし、一方ダメ教師に対する対処も迅速におこなえるのではないでしょうか。
感情的になっている当事者と事なかれ主義の教育委員会を、クレーム処理の場から排除することが必要だと思います。

 

(2007年6月15日)

この間久しぶりに「たらい回し」というのを経験しました。
医療の特殊な手続きの件で、「役所に聞いてもなかなか分からないだろうな」と思いながら電話したのです。
案の定「そもそもどの係に聞いたらいいかも分からない」状態で、しばらく電話をあちこち転送されました。
先日洗濯機が壊れたのでメーカーに電話しましたが、その時は驚くほどスムーズな対応でした(ちなみに、シャープ製)。
最近はどのメーカーもアフターサービスに力を入れているみたいですし、もう「たらい回し」というものを経験することもないかもしれないと思ってた矢先でとても面白く感じました。
繰り返しになりますが役所は全く悪くありません。
問題があまりにも抽象的だったせいです。一応念のため。

 

(2007年6月18日)

小学生の頃、海野十三の小説を読みました。
次々と奇想天外な事件が起こり、何人もの人が殺されます。
私はそれを推理小説と思って読んでいて、「一体誰が犯人で、どういうトリックを使っているんだろう?」とワクワクしていたのです。
ところがそれはSF小説でした。
奇想天外な出来事も殺人も、全部宇宙人が不思議な力でおこなっていたというオチでした。
子ども心にがっかりでした。
それと同じ事を大人になった今、体験してしまいました。
クリストファー・プリーストの「奇術師」。
推理小説と思って読むとあとでがっかりしますので要注意です。

 

(2007年6月20日)

昨年の暮れから刊行されている「フロイト全集」ですが、今月は「モーセという男と一神教」というタイトルでした。
モーセは神により十戒を与えられた人、エジプトに捕らえられていたユダヤ人を率いて脱出、ユダヤの国を作り上げた人です。
あるいは脱出の途中、紅海が真っ二つに割れるという奇跡をもたらしたエピソードが最も有名かもしれません。
「モーセという男と一神教」はユダヤ人であるフロイトが自らの宗教の祖であるモーセについて論考する文章です。
ところがこれがあっと驚くような内容なのです。
あまりにとんでもなさすぎて「イエスキリストは日本で死んだ」みたいなおバカなトンデモ本のような印象さえ受けてしまいます。
ただフロイトは「テキストを虚心坦懐に読めばこういう解釈が浮かび上がってくる」とずいぶん控えめです。
あくまでも「根拠はないがこう解釈すればスジが通る」という論調ですので、科学者としての姿勢をここでも忘れなかったというべきなのでしょう。
旧約聖書にあまり興味はなかったのですが、「出エジプト記」くらいは読み直した方がいいかもしれません。

 

(2007年6月22日)

食器を洗っていていつも思うのですが、どうして食器はこんなに洗いにくいのでしょう。
鍋やフライパンはもちろん、茶碗やお皿でもそうです。
一見シンプルな形のコップでも内側の底はたいてい直角に切れ上がっています。
ほとんどの湯飲みは糸尻が底面から直角に立ち上がっています。
鍋などはよく見ると直角だらけです。
なだらかな曲面だけで構成された食器があるととても洗いやすいと思います。

 

(2007年6月27日)

社会保障番号の導入が話題になっています。
医療保険、介護保険、年金、納税などの情報を一つの番号一つのカードにまとめようという動きです。
こういう話が出ると必ず「番号が一元化されるとプライバシーが侵害される」という反対意見が出されるのですが、どうして統一番号の導入によって今以上にプライバシーが侵害されるのか、その根拠を示す人はいません。
導入しているアメリカではこういう弊害がある、という論法の人はいますが、それもよく聞いてみると運用の問題であってシステムの問題ではないようです。
システムを簡略化した方が管理もしやすいのは普遍的法則です。
番号を一元化した方がより高度なセキュリティシステムを構築できると思います。
例えば今は簡単な申請書さえ出せば他人の住民票を取得できます。
偽造の申請書を作るのはもちろん犯罪なのですが、本人に知られない限りはばれません。
これがもし申請者の「社会保障番号カード」を提出しなければ他人の住民票を申請できないようにすればどうでしょうか。
さらに○○番の社会保障番号の人がいつどこで自分の住民票を申請したか、簡単に本人に確認できるシステムがあったとしたらどうでしょうか。
つまり自分の情報にはいつでもアクセスできる、そして自分の情報に誰がアクセスしたかも確認できる、そういうシステムです。
こういう仕組みを作るためには「社会保障番号」の導入が必要だと思います。

 

(2007年6月29日)

神戸元町ダイアリー2007年(2)ちゃいこのぴーこん<main>神戸元町ダイアリー2007年(4)センマイって何?


神戸元町ダイアリー2007年(2)

2007年1月10日、菓子メーカー不二家がシュークリーム製造の際に消費期限切れの牛乳を使用していたとの報道がなされた。
その後同社のずさんな衛生管理体制が次々と明らかにされ、不二家製品は全面的に販売中止に追い込まれた。
以下の文章の「捏造システム」とは1月に世間を賑やかせた「納豆ダイエット」を念頭に置いたものだが、それとは別に、TBSが不二家関連報道の中でおこなった「売れ残りチョコレートを回収して再利用した」との報道ものちに捏造であったことが明らかとなった。 


不二家がようやく販売再開するそうです。
食品メーカーにとっては食品の安全性こそが最優先事項です。
信頼回復への道は厳しいでしょうが、ぜひ頑張って欲しいと思います。
ところで食品メーカーにとって食品の安全性が最優先課題ならば、報道機関にとっては報道の真正性こそが最優先事項のはずです。
構造的な捏造システムに対する改善策が何ら示されていないのにもかかわらず営業(放送)を続けている関西テレビに報道機関としての自覚はないのでしょうか?
考えようによっては賞味期限切れの食品より、捏造された報道の方が国民に対する害悪は大きいと思います。
政府による放送命令にはジャーナリスト面をして猛反対するマスコミ各社ですが、同業者の反ジャーナリスト的行動には頬かむりです。
これぞまさにメディアの集団自殺だと思います。

 

(2007年3月2日)

テレビドラマ「華麗なる一族」が盛り上がってきました。
予告編を見ると、親子の対立はついに法廷にまでもつれ込むようです。
原作ではなかったシーンですが、こちらの方が盛り上がりそうです。
となると気になるのはラストですが、キムタクも頑張っているし、必ずしも原作に忠実でなくてもいいかも、などと思えてきました。
情にほだされやすい軟弱者です。
盛り上がっていると言えばNHKのドラマ「ハゲタカ」も面白そうです。
最初を見逃したのであわてて原作を読んで3回目から合流しましたが、期待通りの硬派な出来です。
ただ登場人物がみんなぼそぼそしゃべるのでセリフが聞きづらいのが難点でしょうか。
しかし原作同士を比べると、圧倒的に山崎豊子が迫力で勝ります。
とにかく男勝りです。
非情さといい、剛直さといい、構成力といい。
実は「男勝り」とか「男らしい」という言葉は男にとっての実現不可能な憧れなのかもしれません。

 

(2007年3月7日)

北方謙三の「水滸伝」もすごいことになってきました。
毎月1冊ずつ出る文庫版です。
今出ているのが第5巻。
5巻でこの迫力だと残る14巻で一体どういうことになるのか全く想像もできません。
そこで思うのです。
これを訳して中国に輸出するべきだと。
これは絶対に世界のスタンダードになるべき冒険小説です。
中国の人も「北方水滸伝」を読むと日本人に感謝してくれるのではないでしょうか。
集英社さん、いやこれは国家事業として国が翻訳するべきでしょうね。ぜひお願いします。

 

(2007年3月9日)

認知症や心の病についての考え方がどんどん変わってきています。
定年間近の人が突然万引きをしてしまう、そんなニュースを時々耳にしますがこれも認知症の早期症状の一つなのだそうです。
心神喪失という診断で凶悪犯罪者が罰を受けることなく野に放たれるのは問題だと思います。
しかし60年間も普通に生活してきた人がある日突然万引きをしてしまった場合、刑事罰よりもまず診断と治療が優先されるべきではないでしょうか。
最近話題の芸能ニュースを見ても思います。
お年寄りが大した理由もなく激怒したり片意地を張ったりするのも認知症特有の症状です。
周囲の人も対立を煽ったりする前にそれとなく診察を薦めるべきだと思います。


この「芸能ニュース」とは作詞家・川内康範が歌詞を勝手に変えて歌っていた森進一に激怒した、いわゆる「おふくろさん」騒動のこと。
ちなみにこの時川内氏は87歳であった。
 

 

(2007年3月12日)


本は好きなのですが、どんな本が好きなのか? と訊かれると困ってしまいます。
ドストエフスキーも好きですが大沢在昌も好きだし、「源氏物語」も読みますがリリー・フランキーの「東京タワー」も読みます。
ニーチェも読みますがタレントの暴露本も読みます(これはさすがに買ってまでは読みませんが……)。
今は学園青春萌え系SFにはまっていたりもします。
でも「何でも読みます」とは答えたくありません。
「何でも読む」と答える人に「何でも読む」人がいたためしがないので(失礼!)。
そこで思うのですが、読書好きの人にはこう質問しましょう。
「今は何を読んでるの?」
さらに興味があれば、「その前に読んでた本は? 次に読もうとしている本は?」
これならすんなり答えてもらえると思います。
そこでもし、仮に、たとえばの話ですが「新古今和歌集」を読み終わって、「涼宮ハルヒ」を読んでいて、次は「フロイト全集」などという答えが返ってきたら初めて「何でもありなんですね」と言ってあげましょう。
そうすれば「はあ、まあ……」という返事が返ってくるでしょう。
以上、活字中毒者のあしらい方入門でした。

 

(2007年3月14日)

それにしても「活字離れ」というのは絶対に嘘だと思います。
電車の中で観察してみると、本を読んでいる人の割合は年齢層とは関係ないように見えます。
そう思いませんか?

 

(2007年3月16日)

2007年3月4日、神戸市東灘区で発見された不発弾の処理がおこなわれた。
これに伴って住民など1万人以上に退避命令が出された。
また同年1月アメリカ下院に日本政府に慰安婦に対して謝罪をするように求める議案が提出された。
なぜこのタイミングでこの議案が提出されたのかはよく分かっていないが、これに対して6月、日本の知識人たちがワシントン・ポスト紙の1面広告で反論を試みた。
それにも関らず(そのせいで、という意見もあるが)7月には同法案は可決された。
 

先日の東灘の不発弾処理を見ても、まだまだ戦後処理は終わっていないと実感させられます。
慰安婦その他の問題もそうです。
戦争の傷跡は60年経ってもなお癒えないということです。
アメリカは先の大戦で日本を完膚なきまでに叩き、その後属国として帰属させましたから日本からの賠償請求を考慮する必要が一切ありません。
ところがベトナム戦争はそうではありません。
ベトナムはアメリカに勝利し、現在もアメリカの属国ではなく、しかもまだ戦後わずかに30年です。
ベトナム国民の意識の高まりとともに、今後アメリカは無差別爆撃による大虐殺やベトナム人慰安婦問題、略奪や強姦の賠償請求の嵐に曝される事になります。
アメリカ議会の日本の従軍慰安婦問題への取り組みは、私は個人的には素晴らしいと思います。
その一方で、そんな余裕があったら今の内にベトナムへの賠償基金でも設立した方がいいのではないか、と余計な心配もしてしまうのです。

 

(2007年3月19日)

おせっかいな国家。
子どもの虐待やドメスティック・ヴァイオレンス、ストーカー、あるいは職場でのセクハラなどの事例が、最近は犯罪として取り扱われるようになってきました。
いずれも「家庭内の事」「民事不介入」などの建前に妨げられてこれまでまともに取り上げられなかった問題です。
国家が人権問題に積極的に介入するようになって初めてこれらの被害者が救済される可能性が出てきたわけです。
そういう意味では近代国家は「経済的には小さな国家、人権的にはおせっかいな国家」に向けて進むべきなのでしょう。
さらにこうした流れを一段と推し進めるならば、進歩的な国は他国の人権問題にも積極的に干渉するようになるでしょう。
最近のアメリカの干渉的な人権保護の動きも「余計なお世話」と拒絶するのではなく「先進国の当然の義務」と受け止めるべきなのでしょう。
もちろんその干渉に特定企業の利権が絡んだり、関連する国益によって他国に対する姿勢に違いがあっては問題ですが、基本的な発想自体、私は尊重します。
慰安婦問題がアメリカの議会で取り上げられています。

それに対してもし「余計なお世話」だと感じるならば、その感受性はもはや時代遅れだと思います。

 

(2007年3月23日)

ようやく「新古今和歌集」を読み終わりました。
まず冒頭の1首に圧倒されます。

  み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春はきにけり

ちなみに「古今和歌集」の冒頭にも吉野に題材を得た歌があります。
それがこれ。

  春霞 立てるやいづこ み吉野の 吉野の山に 雪は降りつつ

吉野の山にしんしんと雪が降り積もっている。
暦の上ではもう春霞が立ってもおかしくないはずなのに、一体どこに春が来ていると言うのだろう。
これが900年当時の感性です。
ところがそれから300年経つとこう変わるのです。
吉野の山がかすむほど雪が降っている。
目から入ってくるその眺めも、耳から入ってくる雪の音も、肌を突き刺すこの寒さも、全てが今は冬だと訴えている。
しかし私は感じるのだ、春が確実に近づいていることを。
五感を超えた感受性を歌ったこの歌を冒頭に持ってきて、「新古今和歌集」は新たな感受性の獲得を高らかに宣言したのです。

 

(2007年3月26日)

そういうわけで印象的な歌は多いのですが、少し変わったものを一つ。

  なき人の 跡をだにとて 来て見れば あらぬ里にも なりにけるかな

死んでしまったあの人を偲ぼうと昔の住処にやって来たけれど、私が見たのはすっかり変わり果てた村の姿だった。
壮絶なる時の重み。悲しさを超えた無常さの歌だと思います。

 

(2007年3月28日)

景気が上向くのはいい事ですが、バブルへの逆戻りは御免です。
あの時代何が異常かと言って、サービス業界がこぞって勘違いしていたのが最たるものでした。
タクシーに乗る時も「すみません、近距離なんですが」などとドライバーの顔色をうかがわないといけなかったものです。
まだ乗せてくれるだけましだったのかもしれません。三宮から芦屋に行きたくても「高速道路で行ってもいいのなら乗せてやる」みたいな態度でしたから。
最近大人向けの雑誌で「○○での遊び方」というタイトルをよく見かけます。
○○には銀座や祇園などの敷居が高そうな地名が入ります。
しかしこちらがお金を出してサービスを受けようというのに、どうしてマニュアルが必要なのかよく分からないところです。
医療もサービス業の一種です。
「賢い病院の選び方」という本はあってもいいと思いますが、「医者を怒らせない方法」などという本は絶対にあってはならないと思います。
医師の仕事は患者一人ひとりに最適な医療サービスを提供することです。
診察する方にも受診する方にも画一的なマニュアルなど存在するわけがないのです。
「○○での遊び方」などというタイトルを見るたびに、またあの間違った時代に戻りつつあるように感じられてなりません。

 

(2007年3月30日)

法律には犯罪を防止する働きがあります。
だからと言って犯罪を防止するために見せしめ的に法律を適用するのは間違っている……、堀江裁判などを見て、私はそう思っていました。
今、Eメールが大変なことになっています。
私のアドレスにも一日に100通を超える迷惑メールが届きます。
日によっては200通を超える時もあります。
これでは携帯電話への自動転送などとても設定できません。
実際パソコンからのメールを受信拒否している携帯ユーザーも多くいます。
つまりせっかくの便利な通信ツールが一部の人のために使用できない状態になっているわけです。
もちろん現行法ではこれらの迷惑メールを取り締まることはできません。
しかしそろそろ恣意的な法解釈による見せしめ的な検挙が行われるような気がします。
そして、その時には私もその検挙を喜んでしまいそうで、喜んでしまいそうな自分の存在が心配の種だったりするのです。

 

(2007年4月2日)

専門用語や内輪での符丁と言えばどのジャンルでも略すのが好きな人がいて、クラシックでもそうです。
ベートーヴェンの1番の交響曲が「べといち」で、モーツァルトのレクイエムが「もつれく」。
チャイコフスキーのピアノコンチェルトは「ちゃいこのぴーこん」と略される始末です。
ショスタコーヴィチに到っては交響曲第8番が「たこはち」と略されてしまいます。
「ちゃいよんって好き?」と訊かれた時、「チャイコフスキーの4番は好きだけどちゃいよんは嫌い」などと心の中でひねくれている私です。
そう言いながら私も「アルプス交響曲」を「アルペン」、「中国の不思議な役人」を「マンダリン」と勝手に略しているのですから程度問題なのかもしれません。
それにしても「めんこん」とか「まらなな」なんてのは勘弁して欲しいものです。

 答え…メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、マーラーの交響曲第7番

 

(2007年4月6日)

植木等が亡くなった時、キャラクターイメージとは異なる真面目な性格を強調する記事が目立ちました。
しかし「無責任男」が実は真面目な男だったという記事は、「真面目は不真面目よりもよい」という前提があるからこそ成り立っていると思うのです。
いい加減さ、テキトーさ、今流行の言葉で言うと「鈍感力」? 
これに拍手を送った人たちは不真面目をよくないものとは考えていなかったと思います。
記者は誉め言葉のつもりで書いたのでしょうが、「無責任男」の死亡記事としてはあまりに無責任、そんな風に感じてしまいました。

 

(2007年4月9日)

トマス・ハリスの新作が出ました。
読書計画を急遽変更してさっそく「ハンニバル・ライジング」を読みました。
時代設定は今から60年前にさかのぼります。
戦争の傷跡癒えぬパリを舞台に、若きハンニバル・レクターが怪物となるまでのお話です。
トマス・ハリスはなぜかミステリファンには人気の高い作家ですが、今作も映像化を意識したかのようなスピーディな展開が特徴的です。
ややもするとそれが私には浅く、雑に感じられるのですが、それはまあいいでしょう。
今回はハリスの日本文化への深い造詣に驚かされます。
雅楽、和歌、俳句、それに香道。
ジャポネスク趣味を超えた、理解と共感を感じさせる扱い方です。
ヒロインも日本人ですし、興味があれば読んで損はしないと思います。
ちなみに小野小町の歌は古今和歌集の1,030番。
幕切れ近くの「源氏」の歌は「朝顔」からの引用です。

 

(2007年4月11日)

電車の中でヘッドホンをシャカシャカ言わせている人がいればなるべく注意するようにしています。
ほとんどの人は音が漏れている事に気がついていないだけで、注意するとすぐボリュームを下げてくれます。
困るのは携帯電話のクリック音です。
断続的なので注意しにくいのです。
年配の人が多いのも注意しにくい理由の一つです。
そこで提案ですが、携帯電話メーカーは初期状態を「クリック音OFF」にして販売してもらえないでしょうか。
たいていの人はクリック音がONになっている事も意識せず、さらに解除の仕方も分からなくて放置しているのだと思います。
初期状態が「OFF」であればわざわざ「ON」にする人はいないと思います。
メーカーさん、どうかよろしくお願いします。

 

(2007年4月13日)

中国に反日の嵐が吹き荒れていた頃を思い出します。
日本政府の度重なる要請に反応しなかった中国政府が、石原都知事の「外国人の安全性も確保できない国のオリンピックなんてボイコットすればいい」という発言に敏感に反応してデモを強力に鎮圧し始めたのだったと思います。
今度は立場が逆転します。
東京オリンピックを開催するためには周辺諸国の賛同と支持が必要です。
都知事の強圧的な発言がオリンピック計画の具体化に伴ってどのように変化していくのか、私はとっても楽しみにしているところです。

 

(2007年4月16日)

それにしても政治家というのは大変な仕事だと思います。
ブルドーザーのように前進さえしていれば良かった時代ならまだ楽だったと思うのです。
今は公共事業を削減すべきなのは分かっていても、地域経済はその事業に頼り切る構造になっているし、財政を緊縮させれば景気も後退するし、何をするにしても信じられないような調整能力が要求されます。
政治でも何でもアクセルを踏むよりもブレーキを踏む方が難しいものです。
昔の政治家は立派だったと言う人がいますが、私には昔日の剛腕政治家はアクセルを踏む力が強かっただけの人のように見えます。
今はブレーキを踏むテクニックも求められます。
つまり政治家として要求されるレベルが以前と一桁違っているのです。
ですから政治家にはその仕事に全精力を傾けて欲しいです。
通勤時間を節約するために一等地に議員宿舎を建てるべきだと思うのです。
領収書なんか提出する暇があればその分仕事をして欲しいのです。
領収書を提出させたいのなら経費担当秘書を公費で付けるべきだと思います。
政治家を一番活用するのは、金をかけてもっと仕事に専念させることだと私は思っています。

 

(2007年4月20日)

基本的にテレビは見ません(テレビ欄は隅々までチェックしますが)。
それで特に問題はなかったのですが、最近は困ることがあります。
中国や韓国の人名の呼び方が分からないのです。
「恩家宝」首相来日の場合、記事の一番最初こそ「ウェン・チァパオ」とルビが打ってありますが、あとは漢字表記のみです。
これではなかなか頭に入ってきません。
その点テレビのニュースだと耳からも情報が入ってきますからさぞ覚えやすいだろうと思っていました。
ところがこの間たまたまニュースを見てたらテレビで「恩家宝」は「おんかほう」でした。何だか拍子抜けしてしまいました。

 

(2007年4月23日)

それに関連して思うのですが、どうして日本人は自分の名前を外国人に話す時にわざわざ姓名をひっくり返すのでしょう?
名前は自分の重要なアイデンティティのはずです。
私は日本にいようと外国にいようと「松本修志」であって「修志松本」では絶対にありません。
日本の名前は「姓」「名」の順である、だからこれからはその順に従って呼んでいただきたい。
日本人も遅ればせながらはっきりそう主張するべきだと思います。

 

(2007年4月25日)

この薬はこういう成分だから血圧を下げるはず、さらに実際に患者さんに飲んでもらったら血圧の下がり具合もいい。
だからこれはいい薬だ。
今まで医師はそういう考え方で薬を出していました。
ところが成分がどうであろうと効かなければ意味がないし、自分が受け持った患者さんの数はせいぜい数百人程度です。
これをせめて数千人の規模にして、しかも条件を厳しく設定した研究をおこなって統計的な結論を出そうという動きが最近主流になってきました。
考えてみれば当然です。
医学もやっとまともな科学になりつつあるということです。
ところで理念ばかりが一人歩きして、一切統計的な事実が語られなかった分野が他にもあります。
教育です。
これまでは「こうすれば子どもは素直に育つはず」とか、ほんの数百人の生徒を受け持っただけで「こうすれば子どもは立派に育った」などという論法がまかり通ってきました。
今回行われた全国学力テスト、これによって教育の場に初めてまともな資料が登場するわけです。
プライバシーの問題には細心の注意を払いつつ、ぜひ活用したいものです。

 

(2007年4月27日)

神戸元町ダイアリー2007年(1)女性は産む機械?<main>神戸元町ダイアリー2007年(3)赤ちゃんポスト


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