「罪と罰」を読む(第6部第8章)

(185)

 

実はここまで解釈しても分からないところがあります。

ラスコーリニコフの台詞のちょっと前、ソーニャが感じた違和感です(401ページ)。

 

ソーニャは驚いて相手を見やった。

その口ぶりが妙に感じられたのだ。

つめたい戦慄が、体を走った。

だが一分ほどすると、彼女はすぐにさとった。

この口ぶりも、この言葉もーーみんなこけおどしにすぎない。

彼はなぜか隅のほうばかり向いて話し、まともにこちらを見ないようにしているらしかった。

 

ラスコーリニコフはソーニャに十字架をもらいに来ました。

ソーニャの言葉に従って自首すると言いに来たわけです。

なのにこれ以上何を強がって見せることがあるでしょうか?

 

しかしこの謎はひとまず置いておきましょう。

 

さて、403ページには四つの十字架が登場します。

まず、ソーニャの糸杉の十字架。これをソーニャはラスコーリニコフに与えます。

もう一つは銅の十字架。これはもともとリザヴェータがかけていたものです。

ソーニャの聖像と取りかえっこして今はソーニャの手元にあります。(157ページ)

 

あとの二つはラスコーリニコフの記憶の中に登場します。

老婆がかけていたものです。

「同じような十字架、ほかにもふたつおぼえているよ、銀のと、聖像のやつ」

 

ところが第1巻の186ページの殺人シーンではこうなっています。

 

紐には、二つの十字架がついていた。

糸杉のと銅製の十字架で、そのほかにもエナメル細工の小さな聖像がついていた。

 

あらあら、謎を一つスルーしたと思ったら、すぐまた新しい謎が出てきてしまいました。


「罪と罰」を読む(第6部第8章)

(184)

 

同じページの

「じつはね、ぼくはさっき、げんこつで妹を脅かそうとしたんだよ。

それもね、最後にもういちど、こっちを見ようとふり返ったというだけでさ」

も変です。

 

実際のラスコーリニコフの行動はこうでした(397ページ)。

 

ふたりは最後に目を見かわした。

だが、妹がこちらを見つめているのに気づくと、いらいらして、むしろいまいましげに早く行けと手で合図をし、そのままさっさと角を曲がってしまった。

 

げんこつで脅そうとはしていません。

げんこつかどうかでずいぶんニュアンスが変わります。

ヒジョーに乱暴に意訳するなら、

げんこつでなければ「心配するな、ちゃんと自首するから」です。

げんこつなら「自首だと? とっとと帰りやがれ」です。

 

この捏造も、前の部分を「火薬中尉のところには行くが、自首はしない」と解釈すると理解しやすいです。

 

「自首しなかったらポルフィーリーは驚くだろうな、実際、自首を勧めてきた妹も脅かして追い返したことだし」

 

ラスコーリニコフの中では「自首しない」という選択肢がまだまだくすぶっているようです。

 

 


「罪と罰」を読む(第6部第8章)

 

(183)

 

だとしても後半部分の「ポルフィーリーではなく火薬中尉に自首して驚かせてやろう」という台詞がますます意味不明です。

 

そもそもポリフィーリーは247ページでラスコーリニコフにこう言って自首を勧めています。

 

「わたしは『あちらでは』、あなたの自首がまったく想定外だったようにつくろってさしあげます。

(中略)

あなたの嫌疑もすべてゼロにしてしまいます」

 

つまりこう言っているわけです。

 

ラスコーリニコフのことを疑っていない火薬中将のもとに自首しなさい。

そうすれば私も減刑を約束するから。

 

火薬中尉に自首しろというのはポルフィーリーの言葉なのです。

それなのにどうして火薬中尉のところに出向くのが驚かせることになるのでしょうか?

 

これは「火薬中尉のところに行く」イコール「自首」と解釈するから生じる食い違いです。

「火薬中尉のところに行くには行くが、自首はしない」という意味だとすれば何となくすじは通ります。

 

「自首すれば見ず知らずの連中によってたかって叩かれるに違いない、それは耐えられない。

そうだ、火薬中尉のところに行くだけ行って、世間話をして帰ってくるというのはどうだろう。

きっとポルフィーリーは驚くだろうなあ」

 


「罪と罰」を読む(第6部第8章)

(182)

 

それではもっと幅広く「町人たち」のことでしょうか。

しかし彼らが重要な役を演じる第1巻410ページを見ても、特に外見についての描写はありません。

 

マルメラードフも、レベジャートニコフも、ミコールカも、その他の通りすがりの人々も「野蛮な面」と描写されたことはありません。

 

いや、一か所だけありました。第1巻です。

 

「酒場のまわりにはいつも、ひどく酔っぱらって、怖ろしい人相をした男たちがうろついていた……」(133ページ)

 

「たいそう首が太い、人参のように赤く、脂ぎった顔をした、まだ若いひとりの百姓が叫んだ」(135ページ)

 

「馬殺しの夢」の場面です。

ラスコーリニコフが抱いた「さらし者にされるという恐怖」。

その対象はおそらく一般市民でしょう。

しかしこの場面、ラスコーリニコフにとっては一般市民の姿が、老いた馬をよってたかって殺した連中のように見えていたのだと思います。

 


「罪と罰」を読む(第6部第8章)

(181)

 

このあたりからだんだん難しくなってきます。

 

402ページ

何がしゃくにさわるっていって、ああいうばかで野蛮な面をした連中が、さっそくぼくを取りまいてじろじろのぞき、くだらん質問を浴びせてくる、そしてそれにいちいち答えなくちゃならないってことさ、つまり、後ろ指さされてさらし者にされることさ……くそっ!

いいか、ぼくはポルフィーリーのところへなんか行かない。

もう、ほんとうにうんざりしてるんだ。

友人のポーロフ君、そう《火薬中尉》のところに出向いていって驚かしてやるのさ。

 

この部分、分かったようで分からないところです。

 

野蛮な面をした連中とは、火薬中尉たち警察職員たちのことでしょう。

自首すると彼らの取り調べを受けて根掘り葉掘り聞かれる。

それがいやだからポルフィーリーにではなく、火薬中尉に自首したい、と言っているのです。

火薬中尉の取り調べがいやなくせに火薬中尉に自首したいとはどういうことでしょう?

 

私はこれまでこの台詞を、ラスコーリニコフの錯乱を表すものだと解釈していました。

 

もしかすると違うかもしれません。

 

読み直してみると、火薬中尉はかっとなりやすい、ある意味「野蛮な」性格であるかもしれませんが、外見はこうです。

 

赤みがかった口ひげを左右にぴんとはねあげ、目鼻立ちのやけにちんまりした顔をしていたが、といって、いくぶん厚かましい感じがする以外、特別これという表情もなかった(第1巻226ページ)。

 

決して「野蛮な面」ではありません。

事務官は流行りの服をいきに着こなしていますし、署長はみごとな頬ひげの持ち主です。

警察職員たちを「野蛮な面をした連中」と表現するのは無理です。

 


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