(32)
第14回配本の第10巻です。読むのは13冊目です。
6月8日発売の第26巻をもって全集刊行は完結したようです。
私はちょうど2年でやっと折り返し点です、ふう。
〇アヴェ・マリア
正しくは「アヹ・マリア」という表記です。
「本牧夜話」とでも呼ぶべき小説(同名の戯曲がありますが)。
異国情緒あふれる町で、日本の女優を、西洋の美女を、外人の乞食少女を愛でる。
興味深いのは主人公の立場で、彼は女性から男性として意識してもらおうとは思っていないようです。
てっきり七十歳くらいなのかと思ったら、四十前という設定でした。
ここで膝を屈めて次の「痴人の愛」に向かってジャンプするという構図でしょうか。
〇肉塊
エッセイを読むと谷崎の映画愛がよく分かります。
その谷崎が映画のシナリオを書いたり制作に携わり始めたのがこの時期です。
その経験をもとに映画作りの話を小説にしました。
映画制作の苦労話から、主演女優のわがまま話になり、駄目な女に振り回されるいつもの谷崎節になって、最後は意外なラストに終わります。
小説としての出来はともかく、最高のおもちゃを手に入れた谷崎のはしゃぎぶりがよく伝わってくる作品です。
(2017年6月12日)
(33)
〇無明と愛染
男を振り回す女は谷崎作品にはよく出てきますが、ここに出てくるのは振り回すどころではなく、れっきとした「悪女」です。
で、女が悪すぎると、谷崎の場合、面白くなくなるみたいです。
戯曲だし、短いし、展開は意外だし、読みやすいのですが。
〇腕角力
谷崎っぽさがあんまり感じられない現代劇。
すっきりとはまとまっています。
登場する男たちの精神年齢がちょっと低いような気がするのが、気になると言えば気になるところです。
〇蛇性の婬
上田秋成の「雨月物語」映画化にあたっての台本だそうです。
谷崎はロケ現場にも同行して、その経験は「肉塊」に反映されます。
映画制作現場の独特のテンションはこの台本を読んでも何となく伝わってきます。
谷崎が気合を入れまくって書いた、かなり細かーい台本です。
ただ、気合が入りすぎて、起承転転転転結、みたいになってしまいました。
「転」を一回分減らせばちょうどよかったと思います。
(2017年6月14日)
(34)
第15回配本の第3巻です。読むのは14冊目です。
〇お艶殺し
こういうのをきっと「心中もの」と呼ぶのではないでしょうか。
近松を読んだことはないし、浄瑠璃もよく知りませんが。
森鴎外には「こんな低いものを書いてはいけない」とこき下ろされたようですが、本は売れに売れて、印税で自宅のお風呂をリフォームできたそうです。
近所の人にはお艶風呂と呼ばれたとか。
女に惚れた男が転落していくのは、谷崎が好んで取り上げるプロットですが、確かにかなり毛色が違います。
ただ、それが「低い」のかどうかはよく分かりません。
どっちにしても「森鴎外、ゲスなお前が言うな」とは言いたいです。
(2017年8月16日)
(35)
〇お才と巳之介
これも「お艶殺し」と似たテイストのお話です。
「お艶殺し」に比べると散漫でばたばたしていますが、「お艶殺し」が売れたのなら、きっとこの作品も売れた事でしょう。
手紙で「お才と巳之介」について語った文章が巻末に載っていました。
私は結婚をして金に追いかけられたために、「お才と巳之介」という悪小説を書いた。私は今度ぐらい不快な気持ちで創作をしたことはない。世間では、しかも文学者の中に、あの小説を非常に褒めてくれる人があるそうである。私は不運にしてふがいない自分を悲しみ、今の一般の文壇の浅はかなのを悲しむ。
私はきっと、えらくなって見せる。えらい芸術を作って見せる。
(2017年8月18日)
(36)
読書感想文の宿題でお困りの皆様、解説やあとがきを引用するのは、すぐにばれるし、やめておいた方がいいです。
引用を勧めない理由はもう一つあって。
解説は往々にして間違っているし、作者自身の言葉も真実とは限りません。
一年間、谷崎の文章を読んで分かってきたのですが、彼はあんまり強い口調の断定をしない人です。
例外があって、時々こんな断言口調の文章を書くことがあります。
「落ち着いたら必ず続きを書くので、読者諸君、それまで待たれよ!」
そうです、連載小説が行き詰った時です。
そしてこういう文章を書いたあと、続きが書かれたためしはありません。
谷崎が力強く宣言する時、それは嘘です。
「お才と巳之介」についての彼の文章を読んで、その通り受け取ってはいけません。
「売れたのでまんざらでもない」
あたりが本音だと思われます。
〇金色の死
〇創造
〇神童
芸術とは、天才とは、創作とは。
芸術家の創作活動についての三篇。
乱歩的、誇大妄想的、耽美的な「金色の死」、壮大な時間の流れをこじんまりとまとめた「創造」。
でも「神童」が、単純に神童ぶりが面白いという理由で、一番面白い。
(2017年8月23日)
(37)
〇独探
独探(ドイツのスパイ)の暗躍が騒がれていた時代、近所に怪しいドイツ人が住んでいた。
彼の正体とは?
……というミステリではありません。
タイトルをつけるなら「独探のころ」くらいでしょうか。
どことなくとぼけたドイツ人(実はオーストリア人ですが)との交流を描いた小説で、こんな人がスパイのわけないでしょ、みたいな内容のお話です。
これにも後日談があります。二年後、ある新聞のコラムに次のような文章が載ります。
詳細は不明ですが、おそらく文壇仲間が谷崎から聞いて、それを小咄風に載せたのでしょう。
谷崎潤一郎君がドイツ語を習っていたドイツ人が独探の嫌疑で退去命令を受けた。谷崎君は独探じゃないと信じて「独探」という小説まで書いて弁明してやったところが先日そのドイツ人から手紙が来た、それによると米国のある汽船会社の技師長になっていて、独探である事は事実らしいので、「これは一生の失策だ」と頭を掻いている。
(2017年8月25日)
(38)
〇法成寺物語
「金色の死」や「創造」に連なる「天才の創作活動」ドラマかと思ったら、後半からぐいぐいっと趣向が変わって幻想的悲劇に終わります。
てっきり谷崎がオチを決めずに書き始めたからだろうと思って、そのつもりでもう一度読んでみました。
どうやら、オチはある程度考えていたっぽいです。
しかし、本筋とは全く関係のないキャラクター「定朝」を第一幕の中心に据えてしまったために、結果的に、第二幕以降がわき道にそれてしまったような印象になってしまったのだと思われます。
絶世の美女、彼女に惚れる醜い天才仏工、神殿に広まる妖怪の噂、誰も予想しなかった悲劇、
魅力的な小道具にあふれて、しかもストーリー的にも破綻が少ない。
構成上のねじれがなければ大傑作だったのに、もったいない感じです。
〇懺悔話
エロティックで謎めいた短編。
〇華魁
主人公は大人びた丁稚の少年。ある日番頭から、女郎屋に手紙を届けるように頼まれます。
その手紙とは……、というところで中断。
おそらく手紙の中身とか一切考えないで書き始めたのでしょう。
〇夢
ベルグソンの「夢」の翻訳です。
43ぺージ程度の原文を4、5回に分けて訳すぞ! と宣言したけれど、案の定第一回目で中断です。
(2017年8月28日)
(39)
第16回配本の第16巻です。読むのは15冊目です。
〇武州公秘話
古い記録文書を読み解いて新たな物語を紡ぎだす、谷崎が時々取る手法です。
司馬遼太郎も好んだやり方ですが、同じことをしても谷崎の手にかかると倒錯的でエロティックな物語になるから不思議です。
これもごつごつしたタイトルからは想像できない、刺激的な「秘話」でした。
実はこれは未完作のようです。
連載が途切れ途切れになり、ついには中断してしまいます。
例によって「絶対続きを書くから待っててくれ」という記事が出ますが、結局続編が書かれることはありませんでした。
連載分に手を入れて発表されたのが今の形の「武州公秘話」です。
これはこれですっきりとまとまっているし、ちゃんと終わっています。
構想ではこのあと、兵糧攻めやそれにともなう悪食の話が続くはずでした。
その一部分は巻末に収められています。
それを読むと、ここで終わらせて正解だったような気もします。
〇倚松庵随筆、青春物語
この巻に収められている小説は一作のみで、あとはエッセイや思い出話だけです。
(2017年9月6日)
(40)
第17回配本は第25巻、読むのは16巻目です。
前半が中学生、高校生時代の文章集。
後半が各種資料集です。
新発見の創作ノート「松の木影」も収載されています。
初期文集はとにかく難解です。
まあ、中学生や高校生というのはとかく難しい文章を書きたがるものですが、それにしても難しいです。
創作ノートも、あくまでもメモ程度のものです。
各巻に一作は「読ませる小説」が配置されていた当全集ですが、この巻にはありませんでした。
その中で断片的に綴られる「K夫人」の物語は、もしかすると「細雪」に組み込まれるはずだったエピソードなのでしょうか?
「細雪」を読むのはおそらく来年の年末あたりになると思われます。
その時にまた「K夫人」の話ができるかもしれません。
(2017年9月29日)
(41)
新発見の創作ノート「松の木影」は今、芦屋の谷崎記念館で公開中です。
谷崎記念館は阪神の芦屋駅から東南に徒歩15分。
決して便利な場所ではありませんが、その分静かです。
「松の木影」は創作ノートの散逸を恐れた谷崎が印画紙で記録しておいたものです。
白黒反転した格好で残されています。
いかにも重要書類という感じです。
(2017年10月2日)
(42)
そうなると気になるのが「春琴抄」の謎です。
実際、記念館でも「春琴に熱湯をかけたのは誰か?」に対するいくつかの仮説が展示されています。
「松の木影」には何かヒントになるような手掛かりがあるでしょうか。
結論から言うと、「春琴抄手記」と題されたメモに
三月十五晦日の夜八ツ半時に春琴の家に賊か這入った、
という記述があるだけでした。
何かを結論づけるのは難しそうです。
(2017年10月4日)