「罪と罰」を読む(第6部第5章)

「罪と罰」を読む〜第6部第5章(第3巻310〜345ページ)

 

(167)

 

ドストエフスキーは静的クライマックスと動的クライマックスの配置が上手い人だなあと、つくづく思います。
この章は動的クライマックスの章です。

 

本来なら。

 

中年男が美少女を密室に閉じ込めます。
中年男は少女の兄が犯した殺人をネタに彼女を脅迫します。
少女は隠し持っていた拳銃を持ち出します。
実際に引き金を引いてしまいます。
二度も。

 

ハラハラドキドキ間違いなしの章です。

 

ところがこれが全然盛り上がりません。
この章のスヴィドリガイロフは全然面白くありません、ドゥーニャも全然魅力的じゃないです。
この章だけ別人が書いたという説があれば、私は信じます。


(2017年8月2日)

 

(168)

 

かつてスヴィドリガイロフはドゥーニャに駆け落ちを持ちかけて、拒絶されました。
この章でも全く同じ失敗をやらかしてしまいます。

 

彼が拒絶されたのは、彼の考え違いのためです。
スヴィドリガイロフは致命的な間違いを犯していました、しかも二つ。

 

一つは、心の闇を背負った人を救いたくなる「伝道熱」に浮かされたドゥーニャを見て、てっきり彼女が自分に惚れていると勘違いしたことです。
「伝道熱」とは、「殉教フェチ」とも、あるいは「女神体質」と言い換えてもいいかもしれません。
彼女は誰かのために犠牲になりたかったのです。
男性としてのスヴィドリガイロフには何の興味もありません。
数か月前、スヴィドリガイロフはそれを理解できず、敗れ去りました。
そして今もまだ理解できていません。

 

彼は、ドゥーニャのラスコーリニコフに対する思いも、間違って解釈していました。
彼女がルージンとの結婚を認めたのは兄に対する家族愛ゆえだと考えたのです。
微妙に違います。
ドゥーニャがルージンと婚約したのは、そうすることによって自分が兄の犠牲になれるからです。
ルージンがモラハラ男だと分かってもその決心は揺らぎません。
何故ならルージンがクズであればあるほど、彼女の犠牲は際立つから。

 

ラスコーリニコフの暮らしぶりや家族や友人たちに対する態度を見ると、彼に社会適応力がないことはすぐ分かります。
仮にルージンに雇ってもらえたとしても、まともに仕事ができるとは思えません。
でもドゥーニャにはその方がいいのです。
何故ならラスコーリニコフが役立たずであればあるほど彼女の殉教フェチがくすぐられるから。
だからソーニャが現れると、つまり、ラスコーリニコフのために犠牲になる第三者が出現すると、その「伝道熱」は急に醒めたのでした。
ドゥーニャは兄思いの妹だから脅迫すれば簡単に屈するだろうと、スヴィドリガイロフは考えたのですが、その時点でドゥーニャの「兄のために犠牲になりたい」という気持ちは醒めていました。


(2017年8月4日)

 

(169)

 

ドゥーニャの気持ちを勘違いしていたのはスヴィドリガイロフだけではありません。

 

彼女自身も完全に勘違いしています。
かつて、一瞬ですが、彼女はスヴィドリガイロフになびきかけました。
その理由を彼女自身は分かっていません。自分の内にある「伝道熱」に気づいていません。
彼女はそれを、一時の心の迷いのせいだと、無理矢理自分に納得させています。
この章で彼女が見せる過度に激しい拒絶は、過去の自分に対する否定でもあるのです。

 

それではスヴィドリガイロフに勝算はなかったのでしょうか?
一発大逆転の裏技はあったと思います。

 

つまり、「脅迫」ではなく「懺悔」。

 

あの場面、スヴィドリガイロフは「老婆を殺したのは自分だ」と叫びながらドゥーニャにひずまずくべきでした。
鍵のかかった密室で、殺人者と二人きり、想像を絶するような危険な状況です。
そして「伝道熱」は危険であればあるほど激しく燃え上がります。それまでの反発や嫌悪感が強ければ強いほど盛り上がります。
ドゥーニャの激しい拒絶が180度反転した可能性もあったと思うのです。


(2017年8月7日)

 

(170)

 

「罪と罰」とは、ソーニャが現れたラスコーリニコフと、ドゥーニャが現れなかったスヴィドリガイロフの話である、とこれまで思っていました。
そしてその二人の違いは、神に選ばれた者と選ばれなかった者の違いであると。
この「『罪と罰』を読む」も、その仮説に従って読み続けてきました(8年間も!)。

 

ところが今、この章を読むと、「神」は関係ありませんでした。
スヴィドリガイロフは単純に、やり方を間違っただけなのでした。
単に状況判断を誤っただけなのでした。

 

「罪と罰」、読めば読むほど神の世界から遠ざかります。


(2017年8月9日) 

 

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