「罪と罰」を読む(第6部第4章)

「罪と罰」を読む〜第6部第4章(第3巻282〜309ページ)

 

(157)

 

スヴィドリガイロフによる自分語りの章です。

 

謎だらけの彼の人生ですが、これまでに与えられた断片的な情報をまとめてみましょう。

 

生まれは貴族ですよ、騎兵隊に二年勤めました、それから、このペテルブルグでしばらくぶらぶらし(第3巻274ページ)

 

「じゃ、いかさま師だったことはあるんですか?」「ええ、いかさま師はね」「というと、ふくろだたきにあったこともはるはずですよね?」「ありますよ。それが?」(第3巻275ページ)

 

あるときこのペテルブルグでとんでもない借金をかかえ込みまして、返済のあてもなく、監獄にぶちこまれたことがあるんですよ。(中略)当時このわたしを身請けしてくれたのがマルファだったわけです。(第3巻282ページ)

 

彼女がなんとか相手とかけあってくれたうえ、身柄を三万で引き受けてくれました(わたしの借金は全部で七万ルーブルあったんです)。そこでわれわれ、正式に結婚しました。彼女はすぐさま、わたしを宝物かなんかみたいに、自分の田舎に連れていきました。(中略)で、七年間、わたしは村から一歩も出ませんでしたね。(第2巻223ページ)

 

マルファさんは、八年前、不幸にも彼を愛するあまり、借金の肩代わりをなさったばかりか、別の点でもあの男に尽くしておられるんです。ひとえにあの方の努力と犠牲によって、ある刑事事件が、ごく初期の段階でもみ消された経緯があるんですね(第2巻255ページ)

 

スヴィドリガイロフ氏は、昔からこのレースリフという女性とひどくねんごろな、あやしい関係にありましてね。その女性の家には、遠い親戚で、どうやら姪御さんらしいんですが、これが耳を聴こえなければ口もきけない、十五、いや、十四歳になるかならないかの娘がおりまして、レースリフは、この娘のことを。どうしようもなく目の敵にし、ことあるごとに穀つぶしと言っては責めたて、残酷になぐりつけたりまでしていたんです。ある日、屋根裏部屋で、その娘が首を吊って死んでいるのが発見されましてね。自殺と認定されたわけです。で、所定の手続きを踏んで一件落着とあいなったわけですが、後になってその子どもは……スヴィドリガイロフによって残酷に辱められていた、という密告があったのです。(中略)で、最後はマルファさんが奔走し、金を積んで、密告はなかったということになり、すべて噂の段階で事なきをえたわけです(第2巻256ページ)

 

(2017年6月16日)

 

(158)

 

こうしてスヴィドリガイロフは田舎に七年間こもることになったわけです。

 

ここで彼が自嘲気味に語るのが、マルファと交わした六か条の契約です。

その内容はそれなりに興味深いのですが、どうしてわざわざこんなことをラスコーリニコフにしゃべって聞かせたのでしょうか。

これはスヴィドリガイロフの照れ隠しだと思うのです。

「自分は契約のために田舎にこもった」と大げさに語って見せることによって、隠遁の本当の理由をごまかしたのではないでしょうか。

 

本当の理由とは罪の意識だと思います。

少女を死に追い込んだ事に対する良心の呵責。

 

いや、良心の呵責とは言えませんね。

スヴィドリガイロフの言動からは「良心」っぽいものも「呵責」っぽいものも感じられませんから。

もっともやもやした「自分がしでかしてしまったことへの恐怖感」とか「全てを放り出して逃げ出したい気持ち」のような感じでしょうか。

そしてこのもやもやした感情は、ラスコーリニコフの気持ちと完全に重なります。

ラスコーリニコフからも良心の呵責は感じられません。ただ、びくびくしてます、いらいらしてます、自暴自棄です。

 

二人がそっくりなのはこのもやもや感だけではありません。

 

(2017年6月19日)

 

(159)

 

どこからともなく救いの女神が現れるのも二人に共通します。

 

ラスコーリニコフの場合はソーニャ。そしてスヴィドリガイロフの場合はドゥーニャです。

違いがあるとすれば、ソーニャに比べるとドゥーニャの方が積極的なところでしょうか。


ドゥーニャはスヴィドリガイロフの様子を見て、それからマルファの言葉を聞いて、彼が深い闇を背負っている事に勘付きます。

彼のふざけた言い回しに従えば、

 

あげくのはては、もう何がなんでも「救いたい」、目を覚まさせ、立ち直らせ、もっと高尚な目的に向かわせて、新しい生き方や活動のために更生させよう、って気持ちになるわけです

 

彼女が心から望み、求めているのはただひとつ、だれか人のため、何かすぐにでも苦しみを受けたいってことだけなんです

 

数多くの評論家やドストエフスキーマニアが様々な「ソーニャ論」を語ってきましたが、この文章は最も端的で最も鋭い「ソーニャ論」だと思います。

しかし、これはあくまでもスヴィドリガイロフによる「ドゥーニャ論」です。

数百回目の繰り返しになりますが、「ラスコーリニコフにとってのソーニャ」=「スヴィドリガイロフにとってのドゥーニャ」ということです。

 

それはともかく、かくしてドゥーニャは積極的にスヴィドリガイロフに関わります。

 

(2017年6月21日)

 

(160)

 

ただし具体的に何があったかはよく分かりません。

例によってドストエフスキーの文章は分かりにくいです。

要領を得ないスヴィドリガイロフの長広舌を、かなりの憶測をもって解釈するならば、おおよそこんな感じではなかったかと思われます。

 

スヴィドリガイロフの館には、パラーシャという、美人だけれど切れやすい小間使いがいました。

ある日、ヒステリー発作を起こしたパラーシャを見て、ドゥーニャはスヴィドリガイロフに抗議します。

スヴィドリガイロフはパラーシャのことなど見たこともありませんでしたが、ドゥーニャに反省の色を見せてしまいます。

彼女のクソ真面目な態度を見て、ついついからかいたくなってしまったのではないでしょうか。

ついでに自分の罪深さや、背負った闇の深さなども告白してしまったかもしれません。

たちまちドゥーニャは食いついてきました。

 

ドゥーニャがせっかく餌に食らいついてきたのに、スヴィドリガイロフはことを急いで失敗してしまいます。

ある意味当然かもしれません、彼はまだドゥーニャの伝道熱をはっきりとは認識していませんでしたから。

彼は、お得意の「お世辞戦法」が奏功したと思ったのでしょう。

彼はドゥーニャにぎらぎらした欲望をぶつけてしまい、彼女に避けられてしまいました。

 

彼は復讐のためにドゥーニャの伝道熱を馬鹿にします。

彼女の「人の犠牲になりたい」という気持ちをあざ笑います。

同じような状況下で彼は下男を自殺に追い込んだことがあります。

スヴィドリガイロフは、ただドゥーニャを辱めるために彼女を侮辱したのだと思います。

彼はパラーシャをかどわかして、ドゥーニャをとことんコケにしようとしました。

 

ところがドゥーニャはまたまたスヴィドリガイロフの想像とは違った反応を見せます。

侮辱しようとしたスヴィドリガイロフにすり寄ってきたのです。

しかも、目を「あやしく」光らせて。

 

そこでスヴィドリガイロフは駆け落ちを持ちかけました。

 

その誘いは当然のごとくはねつけられます。

 

(2017年6月23日)

 

(161)

 

スヴィドリガイロフの誘いはドゥーニャに「当然」はねつけられます、

 

……と思っていました。

しかし本当にそうでしょうか。

 

その顛末については第1巻の79ページあたりに描かれています。

プリヘーリヤの手紙の一節です。

「とつぜん仕事を辞めたりすることなど、たんに前借りしているお金のことばかりでなく、何よりマルファさんのお気持ちを考えてもできない相談でした。(中略)ほかにもいろんな理由がありましたから、およそ六週間、ドゥーニャはこの恐ろしい屋敷を逃げだすことができなかったのです」

物事を表面的にしかとらえられないプリヘーリアによる説明です。


駆け落ちを持ち掛けられたドゥーニャをその後六週間も引き留めたのは、様々な真っ当な理由だけではなく、「ほかにもいろんな理由が」あったせいです。

「ほかの理由」とは一体何なのでしょうか。

さらにスヴィドリガイロフはラスコーリニコフにこんな思わせぶりなことを言います。

 

ただですよ、夫婦間のできごととか、恋人同士のあいだで起こったことっていうのは、けっして他人に断言できる性質のものじゃないんです。どんなときもそこには、世界のだれひとり知らず、当事者のふたりだけが知っている、ちいさな真実ってものがあるんですから

 

六週間の間、二人がどういう関係にあったのかはいっさい書かれていません。

しかし「ドゥーニャはいやいやでひたすら拒み続けていた」というな単純な状況ではなさそうです。

 

(2017年6月26日)

 

(162)

 

あとで分かることですが、スヴィドリガイロフはこの直後にドゥーニャと会うことになっています。

本当はラスコーリニコフ相手にこんな長話をする時間はありませんでした。

しかしスヴィドリガイロフはよっぽどドゥーニャとのことを誰かに聞いて欲しかったのでしょう。

ですが、スヴィドリガイロフにはそんなのろけ話を聞いてくれるような知り合いはいません。

 

さんざん迷った末にスヴィドリガイロフはラスコーリニコフについついドゥーニャの話をしてしまいます。

一番聞かせてはいけない相手にしゃべってしまったわけです。

 

当然、ラスコーリニコフはやきもきします。

「いまもドゥーニャに、何かとくにさしせまった計画を持っている」んじゃないかと疑ります。

スヴィドリガイロフもあわてて(でもないですが)ごまかそうとします。

そこでラスコーリニコフに聞かせたのが、十六歳の娘と結婚の予定があるという話でした。

かつてねんごろな関係にあったレースリフから紹介された娘です。

マルファが死んでまだ十日も経っていません。

それからもう一人、カンカン踊りの店で出会った十三歳の少女の話。

ペテルブルグにやってきたその日のうちに知り合って、今後も付き合い続けようと思っているようです。

 

スヴィドリガイロフはなかなか行動が素早いです。

 

(2017年6月28日)

 

(163)

 

前の章から続く二人の会話ですが、いっぱい分からないところがあります。

基本的に分からないことだらけなのですが、その中でも特に分からない点が二つ。

 

278ページ

マルファの幽霊がまだ出るのか? という問いにスヴィドリガイロフは「ペテルブルグに来てからはまだ出ていません」と答えています。

これは違います。

第2巻の226ページで彼は、今から二時間前、泊まっているアパートの部屋に現れた、と語っています。

ペテルブルグにやってきて三日目のことです。

マルファの幽霊に「結婚しようと思っている」と伝えると、「みっともないことはやめなさい」と諫められました。


彼は嘘をついたのではなく、幽霊の出現を忘れてしまった可能性があります。

普通に解釈すると、マルファの死への負い目がスヴィドリガイロフに幽霊を見させているのだと思います。

ペテルブルグに来て三日目までは感じていた負い目を、今現在では感じなくなっているとすれば、幽霊が出たことを忘れてしまうかもしれません。

そのつもりで第2巻を読み直してみると、幽霊の台詞はこうです。

「それに、よい人にめぐり会えたならともかく。わたし、わかってるんですよ、相手の娘さんのためにも、ご自分のためにもならない、人さまの物笑いの種にしかならないってことがね」

そのあとにスヴィドリガイロフはこう言っています。

「近々ある若い子と結婚するかもしれませんし、そうなれば結果的に、アヴドーチヤさんになにか下心をいだいているという疑いは、雲散霧消するはずです」

今までは、マルファが「物笑いの種」になると考えた結婚相手はてっきり「ある若い子」のことなのだと思っていました。


違いました。これはドゥーニャです。

三日目まではまだスヴィドリガイロフはドゥーニャをあきらめきれていなかったということです。

 

(2017年7月3日)

 

(164)

 

今、ドゥーニャをあきらめきれたのかどうかは分かりません。

ただ、十六歳の少女との結婚話が具体的に進行しているので、マルファに文句を言われる筋合いはないとスヴィドリガイロフは思っているのでしょう。

 

ちなみに、スヴィドリガイロフの前にマルファの幽霊が出た同じ時刻、ラスコーリニコフの前にも幽霊が現れていました。

第2巻の189ページです。

謎の人物に「おまえが人殺しだ」と言われ、その男は通りに消えていきます。

 

そのあとラスコーリニコフは昏倒します。

半時間後に部屋にラズミーヒンが来ます。

彼が帰ったあと半時間してラスコーリニコフは悪夢に苛まれます。

いつ果てるともなく続く悪夢でしたが、彼がやっと目が覚めた時、まだ日は暮れていませんでした。


そこに現れたのがスヴィドリガイロフで、彼が言うには、二時間前にマルファの幽霊が出たのでした。

 

(2017年7月5日)

 

(165)

 

もう一つ分からないところがあります。

278ページ。

ラスコーリニコフとは積もる話があるけれど、時間がなくって、とスヴィドリガイロフが言います。

「なんです、さっきの女性と会う話ですか?」

ラスコーリニコフが問いただします。

 

「さっきの女性」とは誰か、はっきりしませんが、スヴィドリガイロフが275ページで「どちらかというと女性の問題がからんでたからなんですよ」と触れた女性ならば、これはドゥーニャです。

一方、ラスコーリニコフはこれを「女遊びの相手」という風に広く解釈したようです。

スヴィドリガイロフはその勘違いを都合よく利用しました。

女遊び論について一席ぶったりもします。

 

そして先ほどのラスコーリニコフの質問に対してこう答えます。

「ええ、女性とね、それも、ちょっと思いがけないことで……いえ、あの話じゃありませんからね」

「あの話」とは何かはさっぱり分かりません。

しかしラスコーリニコフはその言葉に突然激高します。

 

「てことは、ああいうけがれた環境を、なんとも思わなくなってるんだ? 自分を抑える力もなくしてしまった?」

 

ラスコーリニコフは何に怒っているのでしょう?

 

(2017年7月7日)

 

(166)

 

私は今までラスコーリニコフの台詞を、何かの間違いだと思っていました。

306ページか307ページのどこかに挿入されるはずの台詞が、違うところに紛れ込んでしまったのだと思っていました。


だってそれまでの二人の会話には、「ああいうけがらわしい環境」に相当する箇所がないのです。

ただ一つあるとすれば、この台詞の26ページあとに登場するカンカン踊りの店だけです。

これは編集ミスに違いない、私はそう思っていました。

 

しかしよく考えてみると、ラスコーリニコフにはこの日の前の二、三日間の記憶がないのでした。

その間、スヴィドリガイロフともいろいろ会話を交わしたはずなのに全然覚えていません。

いや、覚えていないのではありません。

意識の下にしまわれて、意識の表に出てこない状態、つまり記憶の引き出しがぐちゃぐちゃになっているわけです。

 

第6部の3、4章で交わされた会話は、前日にも交わされていた可能性が高いです。

この二、三日、毎日繰り返されていた可能性もあります。

そうするとラスコーリニコフが26ページ後の台詞を先取りしたかのようにかっとなっても不思議ではありません。

 

それでもあと二つ分からないところがあります。


278ページのスヴィドリガイロフの台詞の中の「あの話」とは何か。

何か思いがけないことだったようです。

今の時点で分かっている、ペテルブルグでスヴィドリガイロフが遭遇した思いがけない出来事とは、少女を死なせたことだけです。

彼は286ページで「そういうばかな話、どうしてもお知りになりたいっていうのなら、いつかお話もしますがね」とも言っています。

少女が自殺した理由は謎のままですが、自殺したこと自体は、記憶のあやふやな二、三日の間に話題に上った可能性があります。

 

二つ目は298ページに触れられる、レースリフの娘です。

「ほら、例の噂の当人ですよ、娘が冬のさなか、水に身を投げたとかいう噂の」

しかしこんなエピソードは本編には登場していません。

でもスヴィドリガイロフは、ラスコーリニコフも確かに知ってるはずだと言っています。

二人の間で交わされて、私たちにつまびらかにされていないのは前日までの二、三日の会話だけです。

レースリフの娘の話題はそこで出てきたのでしょう。

冬のさなかに入水自殺を図ったという話であれば、そこそこ「思いがけない」出来事です。

 

どうやら「あの話」イコール「レースリフの娘の話」のようです。

 

(2017年7月10日)

 

プロローグ<第6部第3章<main>第6部第5章


calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
selected entries
categories
archives
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM