第11位
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」(光文社古典新訳文庫)
昔読んだ時にはその荒々しさに圧倒されたものです。
ヒースクリフとキャサリンとの関係は「魂の結びつき」とでも表現する以外に説明のつかないものです。
「愛」とか「恋」とか、尋常な恋愛関係とは全く別次元の感情ベクトルです。
その激情によって生み出されるドラマに翻弄されて、かつての私は「業(ごう)」とか「執念」とか、言葉にならないイメージに激しく揺さぶられたのでした。
今読んでみると、ヒースクリフの感情はいっさい描写されていません。これには驚きました。
彼に感情移入するにはかなりの脳内補完が必要です。
その努力をなしとげた人だけに与えられる、愛を越えた魂のドラマなのだと思います。
(2017年7月19日)
しかし脳内補完が苦手な人にとっては、物足りないところもあります。
「嵐が丘」とはどんな話かというと、
捨て子ヒースクリフは育ての親の元で娘キャサリンと恋に落ちます。
しかし身分の違いのためにキャサリンは他の男と結婚してしまいます。
恋に破れたヒースクリフは姿を消し、数年後大金持ちになって現れます。
まず育ての親一家を乗っ取り、次にキャサリンの嫁ぎ先にも接近します。
ヒースクリフの、二代に渡る壮大な復讐劇が始まったのです。
このあらすじを読んで、一番気になるのは「ヒースクリフはどうやって金持ちになったのか」という点だと思います。
家柄も財産もない失恋男が、見知らぬ土地で一念発起して、あるいは犯罪に手を染めて、大金持ちになる。
普通の小説であれば、一番ワクワクする部分です。
ところがそこは一切描かれません。
次に気になるのは「育ての親一家をどうやって乗っ取ったのか」という点です。
乗っ取りについては、一家の当主をギャンブルに引きずり込んで全財産を巻き上げたらしいです。
しかし一家の当主はヒースクリフを毛嫌いしていました。
毛嫌いしていた人物に怪しい賭け事に誘われて、ほいほい乗る人がいるでしょうか?
どうやって信頼を勝ち得て、どうやって賭けに引きずり込んで、どうやって全財産を騙し取ったのでしょうか。
本来なら一番ドキドキする部分です。
ところがそこは一切描かれません。
「嵐が丘」を楽しむには、他の小説の三十倍くらい脳内補完する覚悟が必要だと思います。
(2017年7月21日)
第12位
レフ・トルストイ「戦争と平和」(岩波文庫)
(1)
今「長篇小説」の代名詞といえば、何でしょう。
20世紀にはこれでした。
長篇小説と言えば100人中100人が「戦争と平和」と答えたものです。
今でも思い出します。
高校の国語の先生が遠い目をしながら「『戦争と平和』という小説があってね」とつぶやいたことがあります。
「ニヒルなアンドレイ、熱血漢のピョートル、彼らがトルストイの手にかかると、生き生きと動くんだよ……」
授業の合間にふと漏らした感想というか、雑談というか、そんな感じの言葉でした。
ところが学生にはそんな言葉の方が心にしみたりして、友人と帰り道、さっそく本屋で買いました。
結果としては二人とも100ページのはるか手前で投げ出してしまったのですが。
今でもやっぱり「そうたやすくは読めない」「読破できれば結構自慢できる」挑戦しがいのある長篇小説であることは間違いありません。
そうそう、「戦争と平和」にチャレンジした有名人がいました。
(2017年1月18日)
(2)
スヌーピーです。
1972年の3月27日、スヌーピーは「戦争と平和」を読み始めました。
ただし、一日に一語ずつ、です。
記念すべき読み始めの日は「Well」次の日に読んだのは「Prince」、三日目に読んだのは「so」でした。
三日目にはルーシーがやってきて「頭おかしいんじゃないの?」とあきれます。
スヌーピーはめげません。「そうかな、思ったより早く読めそうだけど」とつぶやきます。
中々意志が固そうです。
ところがそんなスヌーピーも四日目の闖入者には腹を立てます。
(2017年1月20日)
(3)
ウッドストックがやってきてスヌーピーに「『戦争と平和』を読んで欲しい」と頼みます。
そこでスヌーピーが怒ります。
「僕はもう四語目まで読んだんだよ、今さら振り出しに戻れるわけないじゃないか!」
ここはウッドストックの方が譲ったようです。
五日目には二人そろって「戦争と平和」を読みます。
この日読んだのは「and」でした。
そこでウッドストックが何かスヌーピーに言いました。
スヌーピーファンはご存知だと思いますが、ウッドストックの台詞は全部「・・・」です。
何を言ったかはっきりは分かりませんが、かなり根本的かつ辛辣なことを言ったと思われます。
スヌーピーは「僕に『戦争と平和』の読み方のお説教なんかするな!」と逆ギレします。
こうして二人は絶交してしまうのです。
(2017年1月23日)
(4)
このあとスヌーピーとウッドストックの意地の張り合いが続きます。
ライナスが仲直りを勧めますがスヌーピーは頑として拒否します。
そうしたある日ウッドストックが隣のバカ猫(スヌーピー談)に捕まってしまいました。
スヌーピーは20キロ以上もある(スヌーピー談:一週間後には「体重百キロ近くの猫」と戦ったことになってますが)巨大猫に戦いを挑んで見事ウッドストックを取り返します!
結果的に、それはライナスの勘違いで、ウッドストックのように見えたのは黄色い手袋でした。
でもこれをきっかけに二人(?)は仲直りするのでした。
「スヌーピー」は新聞コミックなので基本的に一話完結です。
ですが時々話が何日にも渡って展開することがあります。
このエピソードは「戦争と平和」が題材のせいかどうか、三週間以上も続いた、おそらくスヌーピー史上最長の大長篇でした。
(2017年1月25日)
(5)
ずいぶん寄り道してしまいました。
いよいよ「戦争と平和」の本題に入ろうと思うのですが、ここで白状しなくてはなりません。
私が「戦争と平和」を読んでいるちょうど同じタイミングでドラマ版「戦争と平和」が放送されました。
「戦争と平和」の感想が、小説を読んで抱いたものなのか、ドラマを見て感じたものなのか、実は自分でも判然としなかったりします。
それくらい今回のBBC制作ドラマがよくできていたということでもありますが。
(2017年1月27日)
(6)
まず冒頭です。
「戦争と平和」にチャレンジする人の八割くらいの人がここで挫折するのではないでしょうか。
いきなり膨大な人物が登場します。
これって困るんですよね。
誰が重要人物なのか、誰がチョイ役なのか分からないので、全員を覚える勢いで読むしかありませんから。
会話もなかなか難しいです。
このタイミングでは、ナポレオンはヨーロッパにはびこる旧体制を打破せんとする英雄候補です。
今この場に集まっているのはロシアの貴族たち。本来ならナポレオンに打破される立場の連中です。
しかしロシアの貴族にとってフランスは憧れの国です。パリっ子が熱狂的に支持するものは気になって仕方がありません。
したがってここでの会話も「ナポレオンをやっつけよう!」などという単純なものにはなりません。
小説の時代背景をずばりとは説明してくれないのです。
それがドラマだとかなり分かりやすくなります。
重要でないセリフは端折られますし、カメラは重要キャラクターに焦点を当ててくれます。
冒頭シーンだけでもドラマを先に見た方が、理解と読破の助けになると思います。
(2017年1月30日)
(7)
それに何と言っても今回のドラマは役者陣が見事です。
神経質でニヒルなアンドレイ。
勝気でおしゃまなナターシャ。
ピエールは原作の印象ではもっと大男かと思っていましたが、木偶の坊的な感じはよく出ていました。
あとはいかにも悪そうなドーロホフとか、幸(さち)薄そうなマリヤとか、分かりやすさにこだわったキャスティングだと思いました。
DVDも発売されるようです。
私は「原作を読んでから映画を観る」派ですが、かつて小説「戦争と平和」に挫折して、再チャレンジしようと思っている人にはこの映画をお勧めします。
(2017年2月1日)
(8)
どの小説でも読み直すと毎回印象が変わるものですが、今回「戦争と平和」を読んでかなり衝撃的でした。
小説の最後でトルストイの歴史観が長々と語られます。
壮大な物語が終わりに向かっている、ある意味大団円的なところで、何の脈絡もなく作者のご高説が始まります。
始まるだけならいいのですが、物語に戻ることなく終わってしまいます。
ものすごく高級なフランス料理を食べ終わり、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる時にシェフが出てくるとします。
そこでシェフが料理についての高邁な思想を熱く語ってくれます。
ありがたいお話が延々と続いて、あまりにも話が長いのでこちらも「もしやこのあと至高の逸品がサービスされるのでは?」と期待すると「というわけで今日のお会計はこちらとなります」と何事もなかったかのように伝票を差し出して終わり……、みたいな感じです。
毎回ここでずっこけましたし、今回もかなり覚悟して読みましたがやっぱりずっこけました。
ですから、この「ずっこけ感」自体は意外でも何でもなかったのですが、今回ようやくこの「ご高説」の意味が分かりました。
(2017年2月3日)
(9)
ここで語られるトルストイの歴史観は、単純に言うと「個人の行動で歴史は動かない」というものです。
その歴史観が正しいのかどうか結論付けるのは難しいです。
トランプ大統領は馬鹿なのか、それともものすごく馬鹿なのか判定するのと同様に非常に難しいです。
しかし確かなことがあります。
この歴史観で歴史小説を書くのが非常に難しい、ということです。
そもそもそんな歴史観をもって歴史小説に挑むこと自体がナンセンスです。
だってアンドレイの英雄的な自己犠牲も、ナポレオンの決断も、クトゥーゾフの不断も何ら歴史の動きに関与しないんですよ。
作者があらかじめ「この人たちの言動はいっさい歴史に影響を与えません」と宣言しているんですよ。
そこに小説の面白さを構築することははたして可能でしょうか?
ところがトルストイはそれをやっちゃったのです。
結果的に歴史の流れに負けてしまう主人公はいっぱいいます。
歴史上の人物の、歴史的でない側面に注目した小説もいっぱいあります。
しかしトルストイがこの小説でやってみせたのは、まったく新しい物理原則ですべての事象を説明するような、とんでもないアクロバティックな奇跡だったと思うのです。
(2017年2月6日)
第13位
ウラジーミル・ナボコフ「ロリータ」(新潮文庫)
「それまで」と「それから」と「そのあと」の三部からなる小説。
ドキドキの「それまで」、すべてが過ぎ去ってしまった寂寞の「そのあと」。
ところがそれに比べると、何度読んでも「それから」が面白くなさすぎます。
今回はっきりと分かりました。
「それから」で辻褄が合わなさすぎるのです。
「それから」で積み上げられた謎や伏線が「そのあと」で全然回収されないのです。
精緻な言語遊びを見せるナボコフが「それから」ではどこか歪んで、杜撰です。
ナボコフにミステリ的発想が欠如しているからとしか考えようがありません。
ナボコフはジョイスやプルーストはかなり読みこんでいたようですが、本当はチャンドラーをしっかり読むべきだったと思います。
(2016年12月12日)
何と半年ぶりの更新です。
第14位
ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」(集英社文庫ヘリテージシリーズ)
まずは第1巻の感想。
めくるめく「意識の流れ」、フラッシュバックする固有名詞、曖昧化する話者。
これが以降すべての作家に影響を与えた革命的手法のすべてだ!
全然面白くないけど。
(2016年11月16日)
続いて第2巻の感想。
第二巻になると文章は意味よりも音律を担いたがり、物語はプロットよりも旋律を奏でたがる。
ちっとも面白くないけど。
(2016年11月18日)
そしてそして第3巻です。
あまりにも有名な第十四挿話。
古文から始まって現代のスラングまで文体がカメレオンのように変化(へんげ)する。
まったく面白くないけど。
(2016年11月21日)
読了した自分をほめてやりたい、いよいよ最終巻。
そしてついに三人の主人公が出会う第十八挿話は100ページの間、句読点わずかに1個。
これが現代文学の粋、ジョイスの大傑作。
小説の、面白さ以外のすべての要素がここにある。
でも小説というものに含まれるいろんな要素の中で、私は「面白さ」が一番大切だと思うんだけどなあ。
(2016年11月25日)
第15位
スタンダール「赤と黒」(光文社古典新約文庫)
この本の評価は難しいです。つまり何と比べるかによって大きく変わるので。
その昔「赤と黒」の紹介文を見ると、「野心にあふれた美貌の若者ジュリヤン・ソレルが破滅するまでを描いた小説」と書いてありました。
そのあらすじから勝手に想像して創り上げた「マイ赤と黒」と比べるのか、あるいは同じ作者の「パルムの僧院」と比べるのか。
実際のジュリヤンはそれほど野心的ではありません。「マイ赤と黒」と比べるとちょっとがっかり。でも「パルム」のファブリスよりはずいぶんまし。
実際のジュリヤンはむしろ女性に振り回されます。「マイ赤と黒」のジュリヤンは当然もてもて。「パルム」では主人公を助けてくれるのはいつも、ママ。
実際のジュリヤンは最後は無抵抗です。「マイ赤と黒」は脱獄もしかねない。「パルム」では女性たちが勝手に脱獄させてくれます。
つまりは、あらすじを読んでから読むとがっかりするお話。
(2016年3月14日)
「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」第16位〜第20位〈main〉第7位〜第10位