大師道をゆく第2回

(4)

 

ネタに困った時の「大師道をゆく」、2か月ぶりのアップです。

登山口から舗装道を道なりに進むと右カーブの先に大きな建物が見えてきます。

 


神戸山手女子中学、高校です。

山手の生徒さんたちは毎日この急な坂を登校しているわけです。
特にこれからの季節は大変でしょうね。


(2016年6月1日)

 

(5)

 

学校の少し手前にあるのがこの祠です。

 

 

「二十一丁」の丁石は立派な小屋に収められています。
きれいな花も供えられて、大師道丁石の中でも別格の扱いです。


(2016年6月3日)

 

(6)

 

学校を通り過ぎると右手にあるのが「二十丁」の丁石です。

 

 

小屋こそありませんが、周囲がきれいに掃除されています。

そのすぐ左には「ワンワンホテル」という看板が見えています。

 

 

時々車が停まっていますが、ペットホテルとして稼働しているのでしょうか?

 

そして「二十丁」から「十九丁」は、ほんのすぐです。

 

 

いつもすぐそばにバイクが停まっていて、時々陰に隠れて見えないこともあるので要注意です。

この丁石を境に、ぐっと山道っぽくなります。

 

(2017年1月13日)


「罪と罰」を読む(第6部第2章)

「罪と罰」を読む〜第6部第2章(第3巻221〜256ページ)

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前回、「ここからしばらくはドラマティックなイベントも発生」しない退屈な部分だと書きました。
大間違いでした。
この章は大迫力です。

ポルフィーリーがラスコーリニコフをじわじわ追い詰めて、いよいよ犯人だと名指しする場面。
実にすさまじい破壊力です。
しかもほとんどがポルフィーリーの台詞によって成り立っていて、この迫力なのです。

考えてみればドストエフスキーはこういう文章を他では書いていません。
知的なキャラクターは登場しても知的な台詞はあまりしゃべりません。
ポルフィーリーはおそらくドストエフスキー作品の中でただ一人知的な台詞をしゃべる知的キャラクターです。
逆に言うとこの作品のこの部分のために、ドストエフスキーはとっておきの人物を持ってきたわけです。


(2016年12月14日)

(147)

ポルフィーリーは第2巻の138ページによると三十五、六歳です。

「顔の色は病人のようにくすんだ黄色味がかっていたが、じゅうぶんに元気そう」だそうです。
今読んでいる章では「咳はでる、喉がむずがゆい」「肺が拡張している」とも書いてあります。
まだ若いのに、肝臓も肺も調子がよくないようです。
第2巻の349ページには「痔もちなもんですから」という自身の言葉もありました。
全身ぼろぼろみたいです。

一つ気になることがあります。
「タバコがいけません」と言っておいて、「そもそも酒が飲めない、まさにそこが問題なんです」と続けています。
酒が飲めないからせめてタバコでストレスを解消するしかない、ということのようです。

しかし第2巻の151ページで彼は「昨日きみのとこで飲んでから、どうも頭が……、それに何か、体じゅうのねじがゆるんでしまったみたいで」と言っています。
飲めないと言ったかと思えば、二日酔いになるほど飲んだと言ってみたり、一体どういうことでしょう。


(2016年12月16日)

(148)

これはおそらく「飲んだ」という発言の方が嘘です。

第2巻で「ねじがゆるんだ」と言ったあと、ポルフィーリーは前日の飲み会で議論になった「犯罪論」を蒸し返します。
それに巻き込まれてラスコーリニコフは自分の「犯罪論」を自慢げに語ってしまったのでした。

今にして分かります。
ラスコーリニコフに「犯罪論」を語らせるために、ポルフィーリーは「いやあ、昨日は飲み過ぎてねえ」などと言ったのでしょう。
そして今「飲み過ぎたなんて言ったのは嘘だったんです」と舌を出しているわけです。

もちろん深読みしすぎだと思います。
ここまで気にする必要はないと思います。
何しろラスコーリニコフだって気がつかなかったくらいですから。


(2016年12月19日)

(149)

ドストエフスキーマニアでも中には頭の悪い人がいて、分かってないのに分かったような気になっているのが、はたから見ると滑稽だったりします。

第1巻の370ページを読んでその人は「何度読んでも分からなかったのに、今回読んでやっと意味が分かった」などと感動しています。
以下、その人の文章の引用です。

*****

「なんていう名だ?」
「親にもらった名前さ」
「なに、きみはザライスクの出身なのか?何県だ?」

これなど文面だけ読んでいてもちんぷんかんぷんです。
しかしこういう文章だと違ってくると思うのです。

「なんていう名だ?」
「それを訊いてどうするつもりぞなもし」
「なに、きみは伊予の出身なのか?どこだ?」

赤いシャツの若者に特徴的な訛りがあったという事なのでしょう。

*****

おお、すっかり分かったような気になっています!


(2016年12月21日)

(150)

しかしこの文章には前後があります。

「この角で商売をしている商人がいるだろう、女づれで、女房と、え?」
「いろんな連中が商売してるんでね」若者は、相手を値踏みするように、ラスコーリニコフをじろじろ見やりながら答えた。
「なんていう名だ?」
「親にもらった名前さ」
「なに、きみはザライスクの出身なのか? 何県だ?」
若者は、あらためてラスコーリニコフを見やった。
「うちらはね、旦那、県じゃなくて、郡なんです。兄貴はあちこち回ったが、おいらはうちにばっかりいたんで、なんにもわからんです」

若者の訛りで出身地を推測した……というのはそれでいいと思うのですが、その前後がやっぱりちんぷんかんぷんです。

たとえばラスコーリニコフの言葉
「ザライスク出身なのか? 何県だ?」
です。もしこれが
「きみは関西人か、何県だ?」
だったら分かります。関西にはいくつか府県がありますから。
しかしザライスク市はwikiによるとリャザン県の一部です。
「神戸市なのか? 何県だ?」
という意味不明な問いかけをラスコーリニコフはしていることになります。

若者の次の言葉も分かりません。


(2016年12月26日)

(151)

「おいらはうちにばっかりいたんで、なんにもわからんです」
この若者は、ずっと家にいたのでどこの出身か分からない、と言っているのです。
しかし引きこもりの若者でも家の住所くらいは知っているでしょう。(知っていますよね?)

このやり取りが成立するためには「ザライスク」に特別な意味を持たせるしかないと思うのです。

訛りや、地理的な位置ではない、何かの象徴のような、特別なニュアンス。

「その赤い帽子、もしかして広島出身?」
みたいな。

ドストエフスキーは不親切です。
「ザライスク」にどういう意味が込められているのか、いっさい説明してくれません。
噛み合ってるような噛み合ってないような、すっきりしないまま若者との会話は打ち切られます。

そして何と、その会話の600ページあとに「ザライスク」が再登場します。


(2016年12月28日)

(152)

で、ご存じですかね、やつが分離派(ラスコーリニキ)の出だってこと?
いや、分離派なんてもんじゃなく、異端派ですよ。
やつの一族には逃亡派が何人かいて、やつもつい最近まで、とある村の長老のもとでまる二年、教えをうけていたらしいんです。
この話は、ミコールカと、やつの同郷のザライスクから来た連中に聞きましてね。
とにかくあきれましたよ!
ただもう隠遁することばかり考えていたんですって!
すっかり狂信的になって、毎晩神さまに祈り、古い『真理の』書を読んで読んで、読みふけっていたらしいです。
そこにもってきて、ペテルブルグがやつに強烈に作用した、とくに女と、酒ですがね。
なんといっても感受性たっぷりですから、長老のことも、みんな忘れてしまった。
この町の画家がやつにすっかり入れあげて、ちょくちょく足を運ぶようになったとかいうことまで判明しています。

*****

分離派をロシア語では「ラスコーリニキ」と呼ぶらしいです。
分離派と言われてもよく分かりませんが、苦行や受難や自己犠牲に重きを置く宗派のようです。
当然われらが主人公「ラスコーリニコフ」との関連が気になるところですが、どこをどう読んでもラスコーリニコフから「ラスコーリニキ」的要素を見つけることはできません。

普通に「罪と罰」を読んで、彼と分離派的な何かを結びつけるのは無理です。


(2017年1月4日)

(153)

「ザライスク」にも引っかかります。

ラスコーリニコフはどうやらザライスク出身のようですが、何とミコールカもザライスク出身です。
しかも分離派(ラスコーリニキ)のようです。
これは一体どういうことなのでしょう。

主人公の名前に付けられた「ラスコーリニキ」。
第1巻で暗示された「ザライスク」的なもの。

これらがここに来てわざとらしく持ち出されたのには理由があるはずです。
(何がわざとらしいと言って、最初に登場した時、ミコールカはこんなやつじゃなかったですよね?)

読者にラスコーリニコフの内面にある苦行僧的キャラクターを気づかせるためでしょうか?
逆だと思います。
構想段階で主人公に付与されていた裏設定を、完全に拭い去るためだと思います。
ザライスク出身で、ラスコーリニキでもあったという設定を、ミコールカに憑依させて、彼もろとも物語から消し去るためだったと思います。

だって、我らがラスコーリニコフに、苦行僧的な部分なんてどこにもないですから。
ドストエフスキーもそれに気づいて、誤読のもとになりそうな要素を取り除いたのでしょう。

今以降、ラスコーリニコフが採る選択肢は、自分自身による自分自身だけのためのものだということです。


(2017年1月6日)

(154)

先ほど引用した中に、もう一つわけの分からない文章があります。

この町の画家がやつにすっかり入れあげて、ちょくちょく足を運ぶようになった……

この部分がさっぱり分かりません。
「罪と罰」には、少なくとも今の時点で、「画家」は一人も登場していません。
突然、「ザライスク」出身で「ラスコーリニキ」だったというキャラクター付けをされてしまったミコールカですが、ポルフィーリーの言葉によるとさほど魅力を感じさせる人物ではなさそうです。
ところがそのミコールカにどこかの画家が入れあげたらしいです。

この文章の意味がまったく分からないのです。
ドストエフスキーの頭の中にはどんな裏設定がうごめいていたのでしょうか?


(2017年1月11日)
 

プロローグ<第6部第1章<main>第6部第3章


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