健康ディクショナリー2015年(2)

院外処方の病院では薬をどれだけ出しても売り上げは変わりません。
また基本的に勤務医はどの医療行為が利潤率が高いのかすら知りません。そもそも興味がありません。

しかし院内処方の病院は違います。
販売価格は「薬価」として国によって決められています。
薬で儲けようと思うと納入価格を安く抑えるしかありません。

院内処方の開業医(たとえば松本胃腸科クリニック)は大儲けするべく薬の問屋と日夜激しい交渉を繰り広げているのです!

と書くとかっこいいですが(?)、実は恥ずかしながら私はそういう経営者として当然の努力をこれまで怠っていました。
(「そんなわけないだろ!」と思われる方はエイプリルフールネタとしてどうぞスルーしてやってください)
いい機会なのでいろいろなタイプの薬の販売価格と納入価格の差額を調べてみました。


(2015年4月1日)

まず胃潰瘍の薬を見てみましょう。いずれも1日1回1錠です。

最初が、これまでもっとも多く使われてきたスタンダードな薬です。
100錠の販売価格が15,570円、100錠の納入価格が14,791円、差額は100錠あたり779円。
つまりこの薬を1か月分処方すれば、3割負担の方は窓口で1,400円支払い、234円が私の儲けとなります。

次にこの薬のジェネリック製品。特許期間が終了したので同じ成分の薬が安く作られるようになりました。
1か月分の金額は、皆さんの支払額が560円、私の儲けが340円。

最後がこの間発売されたばかりの最新の抗潰瘍薬です。
この薬の場合、皆さんの支払額が2,160円、私の儲けが341円。

なるほど。最初はジェネリック薬品を処方して、それが効かなければ最新の薬を出す、というのが患者さんの立場からも経営者からの立場からもWIN-WINなやり方のようです。

次に花粉症の薬を調べてみました。

最初がスタンダードな薬。
支払額が1,220円、儲けが354円。

次にこの薬のジェネリック製品。
支払額が300円、儲けが172円。

最後に最新の花粉症の薬です。
支払額が2,280円、儲けが638円。

これは意外ですね。普通は新薬ほど利益率が低いものですが。
「今年の花粉症はやっかいだから最新の薬を出しましょう!」というやり方が経営者としての正解だったようです。
私は一番儲からないやり方を選択していました。
花粉症の季節はそろそろおしまいだというのに、気がつくのが遅すぎました。

来年は花粉症シーズンの前にちゃんと計算しておきたいと思います(?)。


(2015年4月3日)

男性型脱毛症用薬「プロペシア」の後発品が発売されました。

ファイザー社の「フィナステリド」です。
当院では28錠(1日1錠)6千円です。

少し身近な薬になりました。
どうぞご相談ください。

 

(2015年4月8日)

5月29日にコープ兵庫で健康講座を開きます。

題して「医師が語る本音の話」。
まだまだ構想中ですが、今回は医療とお金の話が中心になると思われます。

興味がありましたらぜひどうぞ。


(2015年5月25日)

健康ディクショナリー2015年(1)医者の陰謀<main>病院にかかる時に知っておけば得をする、いくつかのこと


「罪と罰」を読む(第5部第1章)

いよいよ最終巻に突入です。

第5部第1章(第3巻9〜49ページ)

(116)

ラスコーリニコフ一家との会談から叩き出されたルージンが大逆転を狙ってあれこれ画策する、というのがこの章の内容です。

その前にルージンの同居人レベジャートニコフについて長々と語られます。
「罪と罰」の男性キャストの中ではもっとも薄っぺらいキャラクターを与えられているルージンですが、レベジャートニコフはその彼をして「おそろしく俗っぽい、愚かな人間」と評される人物です。
ところがこの章ではレベジャートニコフと彼のイデオロギーについて20ページ以上も割かれます。
続く章では確かにある役割を担う彼ですが、映画でもエンディングロールに大きくクレジットされるような役ではありません。
それなのになぜか破格のVIP待遇です。

実は彼の名前はこの物語が始まってすぐ登場しています。
900ページ過ぎてようやく登場する人物が、名前だけ34ページ目に登場しているのです。


(2015年4月10日)

(117)

いずれも第1巻の記述です。

34ページ
「ひと月前、レベジャートニコフ氏がうちの家内を殴りつけたときも、わたしは酔っぱらって寝ていましたがね」
35ページ
「新思想を追っかけているレベジャートニコフ氏が、ついこのあいだも説明してくれましたっけ。現代じゃ、同情なんてもんは学問上も禁じられてる、って。どうして金を貸してくれるのか、こっちこそ聞きたい」
40ページ
「だからですよ。レベジャートニコフ氏の乱暴な仕打ちを許そうとしなかったのは、ね。で、あのことでレベジャートニコフ氏に殴られたときも、殴られたからっていうより、悔しさのあまり、寝込んじまったくらいです」
43ページ
「それと、つい最近のことですが、レベジャートニコフ氏からある本を借りてきて――そうそう、リュイスの『生理学』っていう本なんですが、ご存じですか――たいそう面白がって読んでましてね、ところどころ、わたしらにも声に出して読んでくれましたっけ」
47ページ
(アパートのおかみがソーニャの居住を拒んだという話を受けて)「それに、レベジャートニコフ氏までがそうでして……いえね……
例のカテリーナさんとの一件も、もとをただせばこのソーニャが原因でして。最初は、あの男もソーニャをしつこく追いまわしていたんですが、いったんこうなると、急にえらぶった態度をみせて、『おれみたいな教養人が、その手の女とどうしてひとつ屋根の下に暮らせる?』と、こう出てきました。で、カテリーナさんはそれが許せず、食ってかかった……で、例の事件が起きたってわけです……」

どうやらこの時点ではドストエフスキーはレベジャートニコフにもっと重要な役割を担わせるつもりだった、と考えるべきなのでしょう。


(2015年4月13日)

(118)

次にレベジャートニコフの名前が登場するのはその300ページ後です。

ルージンが「たいへん気持のいい気持ちのいい青年」としてラスコーリニコフたちにレベジャートニコフの名前を出します。
しかし彼らに開陳したのはレベジャートニコフの新思想とは正反対の現実主義思想でした。
この不思議な転回については5年前に「第2部第5章」で書きました。

が、さらに注目したいのは作者のレベジャートニコフへの興味が300ページ前に比べて激減していることです。
当初はソーニャを挟んでラスコーリニコフと向き合うキャラクターとして構想されていたと思うのです。
エリート意識とコンプレックスの荒々しい混沌状態とも言うべきラスコーリニコフと、おめでたい空想的共産主義のレベジャートニコフ。
ところが第1部のド迫力の殺人シーンのあとでは、レベジャートニコフ主義はどうにもこうにも軽すぎてラスコーリニコフの暴走的破滅主義に釣り合いが取れなくなった……、というのがごく普通の解釈でしょう。
私はそれ以上に大きなもう一つの要因があったと思います。

レベジャートニコフ以上に魅力的な人物が、当初の想定とはまったく別の形で現れてきたのがその理由ではないでしょうか。


(2015年4月15日)

(119)

その人物とは言うまでもなくスヴィドリガイロフです。

レベジャートニコフはマルメラードフの長台詞の中だけに登場し、スヴィドリガイロフは母親の手紙の中だけに登場します。
実際に姿を見せるのはレベジャートニコフが900ページ目、スヴィドリガイロフは650ページ目。
二人とも名前だけが出てきた時点でドストエフスキーの中である程度の性格の肉付けができていたのは間違いありません。

相違点もあります。

レベジャートニコフは最初からそれほど行動に矛盾がありません。
マルメラードフによると、彼は最初はソーニャに言い寄っていましたが、ソーニャが娼婦になると態度を一変させてアパートからの放逐を家主に訴えました。
あとで本人はいろいろ弁解していますが、所詮は言い訳で、事実関係が大きく間違っていたわけではありません。
彼のやることは、非常に分かりやすいです。

ところが手紙の中に出てくるスヴィドリガイロフはその時点で謎めいてます。
口述者が単細胞のマルファで、筆記者が判断力に乏しいプリヘーリヤなので、その謎めいた部分は上手くぼやかされていますが。
彼はドゥーニャを挟んでラスコーリニコフと対峙すべき人物として構想されていました。
レベジャートニコフがソーニャを挟んでラスコーリニコフと向き合わされていたのと同じ構図です。

ところが片やレベジャートニコフは作者の共感を失い、片やスヴィドリガイロフは作者の思惑を超えて巨人化していきます。


(2015年4月17日)

(120)

実は作者の関心を失ったのはレベジャートニコフだけではありません。

ラスコーリニコフもスヴィドリガイロフの登場以来どんどん精彩を欠いていきます。
そして決定的になったのは第4部第4章。
このクライマックスのあと、ドストエフスキーにとってラスコーリニコフはどうでもいい存在になってしまいます。

3人をものすごく単純化すると、罪の意識も苦悩もなかったレベジャートニコフ、苦悩はあったが罪の意識のなかったラスコーリニコフ、今の時点では何も語られていませんがどうやら罪の意識と苦悩を背負っているらしいスヴィドリガイロフ、と例えられると思います。
どちらもなかったレベジャートニコフは早々とライバル役から降ろされました。
ラスコーリニコフの心には4部4章で「苦悩をソーニャと分かち合えるかもしれない」という希望の日が差し込みました。
形而上の苦悩はもはやこれ以上彼をさいなむことはありません。
彼を追いつめるのは形而下の問題、つまり「自首するかどうか」だけです。
ドストエフスキーがラスコーリニコフから興味を失ってしまうのは当然です。

意味不明なことをしゃべりまくって幻のように消えてしまったスヴィドリガイロフが今やドストエフスキーの関心のほとんどを占めているのは間違いありません。


(2015年4月20日)

(121)

さてこの章の冒頭でちょっと戸惑うのは「さすがのルージンも、酔いから一気に醒めるような思いを味わっていた」という部分です。

第2章の最後で彼はドゥーニャの部屋から叩き出されました。
しかしその決定的な場面でも彼はなかなかしぶといです。
 
驚くべきことに、階段を降りていくときでさえ、彼は、もしかしたらこれですっかりだめになったわけではないかもしれない、女たちについてだけいえば、《ほんとうに、そう》、まだ元にもどせるかもしれないと考えていたのだった。

取り返しのつかない失敗をした時、普通、最悪に落ち込むのはその直後だと思います。
一晩寝たら少し気持ちが落ち着いて「何とかなるかも」と少し元気が回復したりするものです。
ところがルージンは逆です。
直後には「まだ元にもどせるかも」とへこたれていなかったのに、翌朝にはがっくりとへこんでいます。
作者はこう説明しています。

昨日のうちはまだ、ほとんど夢のなかの出来事のような気がしていたし、起きてしまったとはいえ、やはりありそうもないことのように思えていたのだ。傷つけられた自尊心という黒い蛇が、ひと晩じゅう彼の胸をちくちくとさいなみつづけた。

だらだらとした典型的な悪文ですが要するに、直後は現実感がなかったのでよく分からなかったけれどひと晩考えてみて最悪な事態だったと気がついた、ということです。
作者がそう書いているのならそうなんだろうと納得してしまいそうになります。
考えれば考えるほど落ち込んでいく人がたまにいます。
そういう人ならともかく、しかしルージンはそんなキャラクターではありません。

ルージンが落ち込んだのは「ひと晩じっくり考えた結果」などではありません。


(2015年4月22日)

(122)

プラス志向の人でもたまに落ち込むことがあります。
もっとも多いのがマイナスオーラの人にエネルギーを吸い取られた時です。

この場合もそう考えると非常に理解しやすいです。
マイナスオーラの持ち主とはもちろんレベジャートニコフです。
彼は共産主義思想にかぶれていますからそもそもルージンの「金で解決できなことはない」という考え方にはくみしません。
さらに彼のニヒリズムは結婚という制度も否定します。
「金の何たるかも分かってないごくつぶしのアニキのせいで結婚がぽしゃったんだ」と愚痴をこぼしてもルージンの味方をするはずがありません。
逆に、金の魅力に負けなかったドゥーニャを讃え、金をどぶに捨てたラスコーリニコフを持ちあげ、一方、結婚制度に何らかの期待を抱いていたルージンをこき下ろしたことでしょう。
ペテルブルクに他に知り合いがいないとはいえ、ルージンは一番相談してはいけない人に悩みを打ち明けてしまったわけで、彼の落ち込みはむしろこっちが原因と思われます。

さらに翌日ルージンを災難の二連発が襲います。
一つ目は長らく手掛けてきた裁判が敗訴濃厚になったこと、二つ目が新居予定のアパートが円満にキャンセルできなくなったこと。
第1巻の90ページに書かれているとおり、そもそもルージンはこの裁判のためにペテルブルクにやってきたのです。
ドゥーニャとの結婚がついえて裁判でも負けたとなるともはやペテルブルクにしがみつく必要はありません。
アパートをキャンセルしようとしたのは一人暮らしには広すぎるという理由ではなく、ペテルブルクを去ろうとしたからだと思います。
考えてみればルージンは大審院で仕事を終えたあと、すぐその足でアパートの大家と家具屋との交渉に出向き、さらには銀行で三千ルーブルの債券も現金に換えています。
とてつもない行動力です。
その一方で法律の専門家のくせにアパートの大家や家具屋の理不尽な請求に反論できません。
法律家としては無能なのです。
彼はつぶやきます。

家具が惜しくてわざわざ結婚するわけにもいかんだろう

捨て鉢な自嘲めいた独り言でしたが、その言葉から彼は一発大逆転の秘策を思い付きました。
行動力はある、でも仕事はポカが多い、でも打たれ強い、今回も結構しぶとい。
いやいや、ルージンって結構面白いやつです。


(2015年4月24日)

(123)

さて、我らが愛すべきルージンが上京にあたって一番恐れていたのが「炎上」でした。

脱法行為をほじくり出され、身元を特定されて世界中に拡大発信されて、WEB上でリンチを受ける……。

これは現代日本に限ったことではなかったようです。
実際ルージンの恩人二人も「炎上」して、一人は「スキャンダラスな結果に終わ」り、もう一人は「あやうくとんでもなく面倒なことになりかけ」ました。
そうした事態を防ぐためにルージンはレベジャートニコフに取り入ったのでした。

しかし、よく分からないのです。

この時代、地方行政区の有力者にとってのスキャンダルとは何でしょう?
やっと先進的な学生たちが農奴解放を訴え始めた頃です。
農民自身には権利意識などまだ存在しなかったと思います。
専制封建主義に染まった片田舎で、たとえば汚職が重罪になるでしょうか?
妾を何人も囲い込んだからといってそれが醜聞になるでしょうか?


(2015年5月11日)

(124)

クリミア戦争の10年後が「罪と罰」の「今」です。

ルージンがキャリアを築きはじめたのがいつかははっきりしません。

もしそれがヨーロッパ全域で緊張が高まりつつあった戦前であれば、もっとも恥ずべき行為は「売国的活動」だったと思います。
しかし外交交渉や諜報活動などが未熟だった時代、ルージンの後ろ盾に何ができたでしょうか。
外国の外交官と秘密裏に交渉するようなヴィジョンや、敵国が知りたがっている機密情報を、たかが田舎の有力者が持っていたとはとても思えません。

戦後なら少し話が変わってきます。
市民の間にはフランス革命から影響を受けた新思想と大戦の高揚感によって生み出されたナショナリズムが広がって、全国民が浮足立っていました。
そんな折、ロシアの片田舎にもフランスの華やかな文明が流れ込んできました。
ファッションであったり、音楽であったり、劇であったり。
奥様たちがパリの最新モードについておしゃべりしている間、隣の部屋で男連中はカードをしながら新思想について語り合っていました。
そういう集まりで主導権を握るのは洋行帰りの若者です。
頑固な田舎領主たちも「フランスではそんなやり方はしない」などと上から目線で言われてしまうと反論できなかったのではないでしょうか。
いつの間にかサロンが革命思想にかぶれた若者たちに乗っ取られてしまうこともあったと思います。

そして本人が知らないうちに革命サークルの首謀者に祭り上げられてしまうことも。


(2015年5月13日)

(125)

こう考えると15ページからのいくつかの不思議な記述がかろうじて理解できるかもしれません。

県のかなりの有力者が何かこっぴどく暴きたてられる例を、二つまで見て知っていた(15ページ)
そしてじっさい、いま暴きたてられているのはどんなことか?(中略)ひとことでいって、疑問は山積みだったのである。(17ページ)

何かがスキャンダルになったけれども、何が問題なのか周囲からも、おそらく当事者にもよく分かっていない様子です。
普通そんなことがあるでしょうか?

もし、いつの間にか自分のサロンが革命家たちのたまり場になっていたとすれば、こういう状況はありえます。

サロンの話題の中心はモードとゴシップ。
たまに外国の新思想が取り上げられることもあったでしょうが、それもいわばファッションの一部だったと思います。
ところがある日突然革命サークルの首謀者として槍玉にあげられるのです。
「皇帝を暗殺しようと毎晩のように相談していただろう!」という風に。
領主としては小難しい専門用語に知った気にふんふんとうなずいていただけだったのです。
自分としてはずっと世間話をしていたつもりだったのです。
「そんな大それたことは話していません、まさか皇帝暗殺なんて!」
「嘘を言うな、ナロードニキを先鋭的に支持するとみんなの前で宣言しただろう」
「えっ、ナロード何とかってそういう意味だったんですか?」

勝手に話をこじつけましたが、「スキャンダル」とはそういうことではなかったかと思うのです。


(2015年5月15日)

(126)

しかしこの仮説には致命的な矛盾があります。

私の想像のとおりだとすると、ルージンのうしろ盾を糾弾した「暴露派」は守旧派です。
ところがルージンがすり寄ったレベジャートニコフは共産主義(のようなもの)を信奉しています。
それぞれ極右と極左で、思想的にまったく逆なのです。

可能性としては二つあります。
1)私の仮説が間違っている
断片的な記述から無理やりこじつけた根拠に乏しい仮説です。
私の仮説が間違っている可能性が高いことは認めます。

2)ルージンがよく分かっていない
「暴露派」に取り入ろうとルージンが接近したのは正反対の考え方の共産主義者だった……。
慎重なようで肝心なところで抜けている、そんなルージンの愚かさを表す描写だったという解釈はどうでしょうか。
初対面のラスコーリニコフを懐柔しようとして大失敗したり、ソーニャを陥れようとしてレベジャートニコフに足元をすくわれたり、やることなすこと裏目裏目に出るルージンです。
そもそもレベジャートニコフの部屋に転がりこんだのが大間違いだったんですよ、というドストエフスキーの意地悪な描写である可能性はあると思います。

が、そこまで考えると必然的に三番目の解釈も浮かんできます。

3)ドストエフスキーも分かっていない
いやいや、まさか作者が分かっていないなんてことがあるはずがありません。
いやしくも大文豪のドストエフスキーです。
極右の「暴露派」と極左の「共産主義」をごっちゃにするわけがありません。

しかし。

しかしです、「罪と罰」ではラスコーリニコフはソーニャ一家の悲惨さを見て社会構造の改革の必要性を痛感しました。
ところが「悪霊」の革命家たちをドストエフスキーは冷たく突き放します。
かと思うと「カラマーゾフの兄弟」の続編でアリョーシャを皇帝暗殺者として構想していたという説もある。
理解しようとしなかったか、理解できなかったか、とにかく革命思想に対してスタンスが定まっていません。

「悪霊」での若者たちの会話の空虚さ、つまらなさ、分からなさも、「もしかするとドストエフスキーもよく分かっていなかった?」と考えると腑に落ちます。

けれどもルージンのうしろ盾を巡るわずかな描写だけでここまで仮説を進めるのはいくら何でも行きすぎでした。
 「ドストエフスキーは革命思想を理解していなかった」などという暴論はいったん引っこめて次に進みましょう。


(2015年5月18日)

(127)

レベジャートニコフが信奉する主義思想も分かったようでよく分からないのですが、この章にはもう一つ訳の分からないところがあります。

3巻の37ページでルージンはレベジャートニコフにこうたずねます。
「例のラスコーリニコフ、そこにいるかい?」
それに対して彼の答えはこうです。
「ラスコーリニコフですって? いましたよ」

どうやらレベジャートニコフはラスコーリニコフの顔を知っていたようです。
おそらくラスコーリニコフが瀕死のマルメラードフを担ぎこんだ時に見かけたのでしょう。
その場にはルージンも居合わせていたようです。
2巻の63ページで彼自身がこう書いています。
「わたくし自身がこの目でたしかめたことですが、ご子息は昨日馬車にひかれて死亡したある酔漢の家で、卑しい職業をなりわいとするそこの娘に、二十五ルーブルを手渡されました」
その場面、同居人のレベジャートニコフも一緒にいたはずです。

ところが1巻の422ページからのマルメラードフの臨終シーンにそれらしい人物は登場してきません。
ラスコーリニコフが初めてマルメラードフの家を訪れた時に出会った可能性もあります(1巻の65ページ)。
ところがこちらにもレベジャートニコフっぽい人の描写はありません。


(2015年5月20日)

(128)

これが伏線というものに関心のない作家の文章なら私も気にしません。
ドストエフスキーはそうではありません。

2巻の193ページでラスコーリニコフは見知らぬ人から突然「人殺し!」と決めつけられます。
その人物の描写はこうです。
「見かけは町人風で、チョッキのうえにガウンのようなものをまとい、遠くからは百姓女みたいに見えた」
ラスコーリニコフは気付かなかったようですが、実はこの町人は以前に彼の前に姿を見せています。
1巻の410ページです。
「何人かの男女が、通りに面した建物の入口に立って、道行く人をながめていた。
ふたりの庭番と、おかみさんと、ガウンを着た町人、さらに何人かの姿があった」
本格的な登場の200ページも前に、ちゃんとラスコーリニコフと私たちの前に登場していたのです。

ドストエフスキーとはこういう作家です。

ところがマルメラードフの臨終の場面にレベジャートニコフとルージンは姿を見せない。
これがこの章の最大の謎だと私は思います。


(2015年5月22日)

プロローグ<第4部第6章(下)<main>第5部第2章


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