「罪と罰」を読む(第4部第5章)

第4部第5章(第2巻336〜384ページ)

(102)

「罪と罰」もようやく折り返し点を過ぎました。
ふと第1回目の記事を読み返してみると、何と5年前!
700ページちょっとを5年かけて読んできたわけです、何というペース!

これくらいスローテンポで読むと全体の流れが分からなくなってきます。

そこで必要になってくるのが「出来事カレンダー」です。
「罪と罰」にはまった人なら一度は作ったことがあると思います。
小説内で起こった出来事を年表のように時系列順に書きならべていくのです。

物語が始まったのが第1日目とすると、老婆殺しは第3日の出来事です。
第4日目にラスコーリニコフが警察で昏倒して物語は途切れますが、主人公が意識を失っている間にも出来事は起こり続けています。
ラズミーヒンがラスコーリニコフの住処を調べ始め、マルファの葬式が行われ、ラズミーヒンの伯父さんがペテルブルグに引っ越してきて……。

前にも書きましたが、「罪と罰」は、ドストエフスキーの脳内で展開している「ペテルブルグ・サーガ」のごく一部分だということがよく分かります。


(2014年7月9日)

(103)

ただ、ラスコーリニコフが昏睡していた日数の解釈によって「出来事カレンダー」後半の日付は変わってきます。
今まで私はこの章は9日目の出来事だと思っていました。
今は第10日目の可能性の方が高いと考えています。

いずれにしてもソーニャの部屋を訪れた日の翌朝、ラスコーリニコフは「質入品請け出し申請書」を持ってポルフィーリーを尋ねます。
ソーニャの部屋に行くまではラスコーリニコフに書類を作る時間はありませんでした。
彼は夜中から朝にかけての短時間で書類を完成させたことになります。

私はラスコーリニコフのことを「実務能力のない口先だけのダメ男」だと思っていましたが、少なくともこの時に限ってはまあまあの事務作業をこなしたことを認めてあげなくてはなりません。
ポルフィーリーもせっかくだから「おお、完璧な出来栄えです!」くらいほめてあげればよかったのに、と思ったりもします。

 

(2014年7月11日)

(104)

引っかかるのはポルフィーリーの居場所です。
この前日にラズミーヒンと連れだって押しかけたのはポルフィーリーの自宅でした。
この日は警察署です。
この場所の違いが作劇上どういう意味があるのが分かりませんでした。

よく読んでみると前日、ポルフィーリーの部屋にはザメートフもいました。
曜日は分かりませんが公務員の二人が昼頃、警察ではなく、個人の家にいたわけです。
しかもそのことをラズミーヒンは知っていました。
さらにラスコーリニコフが「ポルフィーリーと会いたい」と言った時に見せたラズミーヒンの異様な興奮。

そうです。
この日、ラスコーリニコフはポルフィーリーに会いに来るように仕向けられていたのでした。
「ポルフィーリーに会いたい」と言ったのはラスコーリニコフ自身でした。
自発的に思いついたように見えます。
しかし実は全てがポルフィーリーの思惑通りだったのです。

さらにその前の日、ラスコーリニコフの存在を気にするポルフィーリーに対してラズミーヒンは
「あいつを疑うなんて! あいつは病気でちょっとおかしくなっただけなんだ。
今からあいつの様子を見てきて明日報告するよ」
と主張したのではないでしょうか。
それに答えてポルフィーリーは
「そんなことをしなくても彼はきっと自分から私のところにやってくるよ」
とでも言ったのでしょう。

そうするとポルフィーリーが警察ではなく自宅でラスコーリニコフを待ち受けていたことも、ラズミーヒンが興奮したことも理解できます。

ラスコーリニコフはポルフィーリーに会う前からポルフィーリーに好きなように操られていました。
まったく格が違うのです。

そんな二人がふたたび、相まみえます。

 

(2014年7月14日)

(105)

さあ、操っているものと操られている者との心理戦です。

心理戦となると、ミステリファンとしては誰の視点で語られるのかが気になるところです。
ドストエフスキーは「視点」の設定について割と無頓着な作家です。
ある人の心理描写を続けている途中に第三者の視点の描写が入り込んだりして、文学賞に応募したら下読みの段階で落とされそうです。
そのドストエフスキーがこの章はほぼ、ラスコーリニコフの視点からの描写を貫きます。
(これはドストエフスキーにミステリ作家としての素養もあったことの証拠だと私には思えます。
ちなみに、ミステリが書けない作家のことを純文学小説家と呼ぶ、というのが私の定義です。)
つまりこの章は手のひらで踊らされている立場からのみ語られているわけです。
この章が異様に退屈なのはそのせいです。

ところが次の章を読んでからこの章を読み返してみると印象は逆転します。
精神的にもろいエリート気取りの坊ちゃんをどうやって追い詰めるか、という立場に立って読むと最高にわくわくする場面です。

 

(2014年7月16日)

(106)

ポルフィーリーがラスコーリニコフをぎりぎりまで追い詰めたところでこの章は終わります。

最後のとどめを刺す直前に邪魔が入ってポルフィーリーの作戦は失敗に終わるのですが、問題は、邪魔が入らなければポルフィーリーはどうとどめを刺すつもりだったのか、という点です。

待機させておいた町人と打ち合わせをする時間はありませんでした。
ラスコーリニコフに不利な証言を引き出すのは無理です。
また彼を引っ張り出すまでもなくポルフィーリーはラスコーリニコフを追い込んでいました。
犯行現場を目撃したわけでもない町人を登場させても、せいぜい「ラスコーリニコフをもう少しだけ追い詰める」ことにしかなりません。追い詰め方の方向性は何ら変わらないのです。「追加点」ではあっても「ダメ押し」にはなりえません。

作戦としては、町人の姿をラスコーリニコフにちらりと見せてすぐ引っ込めるやり方しかないと思います。

「ところでラスコーリニコフさん、この人があなたを見たことがあると言っているのですが、心当たりはありますか?」
(「あっ、こいつは」)
「君はどこでこの学生さんを見かけたんだ?」
「そ、それは……、この間人殺しのあった部屋の……」
「おい、いい加減なことを言うな、この人はあの事件とは関係ないことが分かってるんだ」
「いや、そういう意味ではなく……」
「ったく、最近こういういい加減なことを言う奴が多くて、おい、じゃあ詳しく話してみろ。
というわけでラスコーリニコフさん、あなたはもう結構です。お帰り下さい。
こいつの言うことはどうせ嘘っぱちだからあなたが気に病むことはありません。
ですがまあ、一応話だけは聞いておかないとね、もしかしたら思わぬことを知っていたりするかもしれませんし。
たとえば盗品の隠し場所とか、凶器を捨てた場所とか……」

町人が何をどこまで知っているのか分からないという宙ぶらりんの状態で部屋を追い出されたら、ラスコーリニコフはまっすぐ盗品の隠し場所に向かうしかないと思うのです。
こっそりあとをつければ殺人の証拠がばっちり手に入るという寸法です。

 

(2014年7月18日)
 
(107)

少しさかのぼるのですが、128ページでポルフィーリーについてラズミーヒンがこう言っています。
「物証第一の古くさいやり方だよ」
精神的に揺さぶりはかけても最後は物的証拠で有罪を勝ち取る、ということです。
確かに古くさいです。
現代日本の取調べ方法の主流は非可視下状況での自白偏重主義ですから、隔世の感があります。

それは置いておいて、ラズミーヒンはこうも言っています。
「(ポルフィーリーが)ある事件をね、去年も似たような殺人事件を解決した、証拠がほとんどないやつをさ!」
これが気になります。
そう言えばルージンが第1巻の358ページで最近世間を騒がせた犯罪を列挙しています。
元学生が郵便馬車を襲撃した事件、それなりの地位にある人が犯した偽札、偽造債券事件、海外駐在書記官殺人事件などなど。
それから第2巻の27ページでラズミーヒンが言うには、バカレーエフの家でかつて顰蹙ものの騒ぎが起きたらしいです。
そして342ページでポルフィーリーがほのめかしています。警察官舎で修繕が必要になるような何かが起きた、と。

これらが一つにつながっていたとしたらどうでしょう。

1年前、バカレーエフの家で些細な傷害事件が起きた。
ペテルブルグでは珍しくもないありふれた喧嘩沙汰かと思われたが、それを担当したポルフィーリーはその奥に大きな犯罪が隠されていることに気づく。
それをきっかけに一見何のつながりもなさそうだった数々の事件が一つに結びつく。
さらに海外駐在の書記官が殺されるに至って、事件は一気に国際的陰謀にまで展開する。
ポルフィーリーは地道な捜査の末に書記官殺害の犯人を逮捕、すべてが解決したかに見えた。
しかしポルフィーリーは黒幕の存在に気づいていた。
彼は得意の心理戦で犯人をおびき出す。
何と黒幕は警察組織のトップだった。
ポルフィーリーによって追いつめられた長官は警察署の一画でピストル自殺、血まみれになった官舎は修繕を必要とする事態となったが、そのスキャンダルは闇に葬られて一般市民は誰も知らない……。

あら、面白そうじゃないですか。

 

(2014年7月23日)

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