健康ディクショナリー2014年(1)

大勢の患者を紹介してくれるコンサルタントに契約料を払う、ポイント制で患者を囲い込む、
いずれも従来の医療観からすると違和感のある行為です。
しかしその違和感を理論で説明できるかというと、これも難しい。
パソコンをちょこちょこっと操作して莫大な利潤を手にするトレーダーのあり方に感じる違和感と似ています。

保険会社による治療制限もそうです。

たとえば腰のヘルニアが見つかったとします。
手術をすれば痛みが楽になると言われたので保険会社に相談してみると、契約していない病院での治療には保険金は支払えないと言われる。
保険会社に紹介された病院では手術はしてくれない……。

個人医療保険の自由化が進むに連れて、今後こういう事例が増えてくるでしょう。
保険会社の意向によって治療の選択肢が限られてくるわけです。
しかしクレジットカードだって使える店と使えない店がある。
個人医療保険が使える病院が限られるのも仕方ないことだし、医療費の抑制にも役立つのだからむしろいいことなのではないか、と言われると反論できない自分がいます。

 

(2014年1月8日)

世の中が何でも経済の原理で動くのは望ましくはありませんが、見習うべきこともあります。

退職金を受け取った時に私たちはその運用方法を考えます。
リスキーな投資に賭けるのも運用ですし、銀行も年金も信用せず箪笥にしまいこむのも立派な運用です。
「お金」に関しては、強制されなくても私たちはあれこれ考えて、何らかの方策を取ります。
しかし自分の身体について私たちはどれだけ考えているでしょうか?

冷静に考えてみれば私たちにとって一番大切な資産は、貯金でも不動産でもなく、身体です。
健康であれば100万円で贅沢な海外旅行を楽しめます。
寝たきりなら100万円など介護料であっという間に消えてしまいます。
つまり健康な人と寝たきりの人とでは金銭の価値が全く違うのです。

「だから健康的な生活を送りましょう」などという抽象的で耳触りのいいことを言っているのではありません。
より長く行動的であり続けるために、肉体の積極的な運用が必要ということなのです。

 

(2014年1月10日)

近所のおばちゃんがどんなに正直者でも、だからと言って退職金を預ける人はいません。
行きつけの居酒屋のご主人がどんなに情報通でも、株の運用を任せる人はいないと思います。
隣の旦那がどんなに日曜大工が上手でも、まさか家の設計を頼む人はいないでしょう。

おばちゃんや居酒屋のご主人を信用していないわけではないけれども、数百万円という額を扱う時、私たちが頼るのは銀行であり、投資コンサルタントであり、建築家です。
ここ一番の大切なものを運用する時、信用できるのはプロだけです。

しかし退職金よりも家よりも間違いなく大切な資産である「身体」を運用する時、往々にして私たちがプロの意見よりも非プロの意見に従ってしまうのはどうしてでしょう。
「何もしなくても十万円儲かります」みたいなスパムメールには見向きもしない人が、「この健康食品を食べれば血圧が下がります」みたいな新聞広告にはたやすくだまされます。
「この壺を買えば金持ちになれる」という誘いを悪徳商法と見抜ける人が、「ふくらはぎを揉めば癌が治る」という話には飛びついたりします。

お金ではだまされない人が、身体に関することでは簡単にだまされる。
つまり、「自分にとって最も大切な資産は身体である」、「お金よりも身体の方が貴重な資産である」という認識が抜け落ちているからなのだと思います。

 

(2014年1月15日)

雑誌を開けば、目に飛び込んでくるのはアカデミックな言葉で飾り立てられた健康食品の広告の数々。
TVを点ければさまざまな健康法やダイエット方法の宣伝の垂れ流し。

一体私たちはどの商品、どの方法を選べばいいのでしょう?

簡単です。
長く支持されている方法を選べばいいのです。
思い出してみてください。
毎年のように「画期的」な健康法やダイエット法が登場して、マスコミを賑やかせていますが、一年以上ブームが続いたものがあったでしょうか?
納豆でも寒天でも品薄だったのは一瞬でした。
一年前活躍していた健康法タレントは今どうしているのでしょう。

長く支持されている健康法を選べばいいと書きましたが、考えてみると、そんなに息の長い健康法など存在しないことが分かります。
1年以上前に登場して、今も生き残っている健康法と言えば「腹八分目」くらいではないでしょうか。

 

(2014年1月17日)

大した効果もないはずの健康法や健康食品がブームになるのには理由があります。

何かを規則正しく続けること自体が身体にいいからなのです。
毎食後に何かの薬を飲む、実はそれだけで血圧が下がり、糖尿の値が改善します。

なぜかと言うと、食後の薬を飲んだら普通の人はそのあとはものを食べません。
食後の薬を飲むだけで、だらだら食べ続けなくなるわけです。
だらだら食べる時、たとえば宴会の食事パターンを思い浮かべると分かりやすいのですが、人は塩気の強い物、あるいは甘い物を好んで食べます。
薬を飲んで食事に区切りをつけるだけで、塩分と糖分の摂取量が激減するのです。

深呼吸やストレッチなどの運動も同じです。
生活にメリハリをつけること自体が健康にいい影響を及ぼしているわけです。

 

(2014年1月20日)

健康法や健康食品は健康のための「手段」ではなく、「きっかけ」と考えた方がよさそうです。

きっかけと割り切るならば、「深呼吸」も「ふくらはぎを揉む」も健康に効きます。
患者さんに時々訊かれるのですが、私は「効く」と答えています。

しかし一月分が何千円もするような健康食品はどうでしょう。
きっかけにしては額が大きすぎないでしょうか?
副作用の心配もあります。
効果のある薬は必然的に副反応のリスクも伴うものです。
絶対に副作用がない薬とは、身体の中で何の反応も起こさない薬、つまり完全に無意味な薬だけです。
そして副作用があった時に、その健康食品のメーカーはどこまで責任を取ってくれるのでしょうか?

そこまで考えると、口から摂取する健康食品は「きっかけ」と割り切るには、往々にして高額で、しばしば危険です。
ですから患者さんに訊かれた場合は「効かない」と答えます。

効果とは、コストとリスクを差し引いて、初めて判定されるものなのです。

 

(2014年1月22日)

しかし効かない健康食品とか役に立たない健康法はまだ罪がなくていいです。

そう思ってしまうのはあまりにも悪質なインチキ本が幅を利かせているからです。
前にもこの欄で取り上げましたが、近藤誠の「医者に殺されない47の心得」とか「患者よ、がんと闘うな」などの本の数々です。

近藤誠は放射線科医です。
手術でも抗癌剤でも治らない患者さんが集まってくる科です。
そのせいでいつの間にか「癌は手術や抗癌剤では治らない」と思いこんでしまったのでしょう。
しかし実際には技術の進歩で、今やかなりの割合の早期癌が内視鏡的に切除されています。
患者さんが気付かないうちに癌治療が終わっている場合も多くあります。
つまり近藤誠が知らないところで、ほとんどの早期癌の患者さんは「闘うまでもなく治っている」のです。

彼の眼には全ての癌患者が手術や抗癌剤でぼろぼろにされているように見えるのでしょう。
それはそうでしょう。
現状、放射線治療はあくまでも補助治療なので、他の治療を経ずに放射線科を受診する癌患者はいませんから。
だからと言って手術で完全に治っている多くの症例を忘れていい理由にはなりません。

象の尻尾だけ触った人が、象を細長くてか弱い動物だと思いこんでしまったとか。
近藤誠の主張を聞くと、象の尻尾だけ触っている人を思い浮かべてしまうのです。

 

(2014年1月24日)

近藤誠が主張する「ガンモドキ」理論というのはこうです。

癌細胞にもいい物と悪い物があって、たちのいい、いわゆる「ガンモドキ」は放っておいても大きくならない。
一方、たちの悪い「本当の癌細胞」は見つかった時点で転移しているので、その時点で手遅れ。
つまりどっちにしても治療の意味がない、というものです。

癌細胞を顕微鏡で見ると「ガンモドキ」と「本当の癌細胞」の区別がついて、そしてそれに基づいて適切な治療方法を選択しよう……というのであればこの理論は素晴らしいです。
現場の医師も研究室の病理学者も、癌の悪性度を推し量る方法を日夜探し求めています。
悪性度が高ければ腫瘍が小さくても拡大手術が必要だし、悪性度が低ければ局所切除でも大丈夫。
その目安があれば癌治療は飛躍的に進歩しますし、一部の癌ではようやくそうした指標が分かってきました。

ところが近藤誠の考えはこうした「適切な治療のための指針追求」の延長線上にあるわけではありません。
「ガンモドキ」と「本当の癌細胞」の区別をつけることは不可能という前提に基づいた理論なのです。

 

(2014年1月27日)

「ガンモドキ」と「本当の癌細胞」の区別がつかないという点が、この理屈の最も卑劣なところです。

早期切除で治った癌は切除で治ったのではなく、「ガンモドキ」だったから治ったのだ。

と言われた時、これに反論するのはなかなか難しいです。
早期癌を放置して実験的に試すことが、医療倫理に背くからです。

せっかく早期で発見されたにもかかわらず放置療法を選択して癌死する例が出始めているそうですが、彼はそれは「発見された時点で手遅れだった」と主張します。

これに反論するのも結構難しいです。
そしてこの「反論の難しさ」をよく考えてみると、実はこれに似た理屈を時々見かけていることに気づきます。

そうです、
「あなたの病気が治ったのは信心が深かったからよ」とか「不幸が続くのは信心が足りなかったからだ」などの言葉です。
客観的基準が存在しないものを、結果を見てから知ったように断言するやり口。
これはまさにインチキ宗教のやり方と全く同じです。

 

(2014年1月29日)

面白いなあ、と思うことがあります。

近藤誠に反論する医師が論を進める際、近藤誠の考え方に部分的に同意するところから始める点です。
たとえば「不必要な拡大手術の例も確かにある」とか、「手遅れの癌に対しては治療よりもQOLの向上を図った方がいい」などです。

同意できるところは同意するが、反論すべきところは反論するというのは実に立派な科学者的立場です。
しかし、詐欺師だって9割は本当のことを言います。
というか、残りの1割でひっくり返すために、詐欺師には9割の真実が必要なのです。
それなのに詐欺師を断罪するのに「あなたの言う9割は事実だけれども」などと気を使う必要があるでしょうか?

前回書いたとおり、近藤誠の言っていることは理論でも何でもなく、実証不可能なことを悪用したまやかしです。
「信心が深ければ死なない」と言っているのと全く同じです。
死んだらそれは信心が足りなかったのです。
こんなやり方、仮に悪質な詐欺でないとすれば、ひとりよがりのインチキ宗教です。

こんなトンデモ本にでも科学者的節度をもって丁寧に反論する「医者」という存在が、私には非常に面白く思えて仕方なかったりします。

 

(2014年1月31日)

健康ディクショナリー2013年検診結果の見方<main>健康ディクショナリー2014年(2)基準値は変わっていません


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