「罪と罰」を読む(第4部第3章)

第4部第3章(第2巻276〜294ページ)

(83)

ルージンの心理描写から始まる第3章も、非常に分かりやすい章です。
ここでルージンは理想の配偶者像に思いを巡らせます。

品行がよく、貧しく(ぜったいに貧しくなければならなかった)、たいそう若く、たいへん美しく、上品で教養があり、浮世の不幸を嘗めつくしてひどく臆病になり、自分にどこまでもすがり、一生、自分を救い主とみなして敬意をいだき、ひたすら自分にだけ服従し、驚きの目をみはる、

そんな女性が理想なのだそうです。

女性観としてはまあ、普通の部類です。
合理的な根拠もなく「嫁いでは夫に仕える」ことを強いられる日本的考えに比べると、むしろ進歩的にさえ思えます。

しかしドストエフスキーは、ルージンのこの考え方に対して批判的です。

 

(2013年7月26日)

(84)

ここでドストエフスキーはドゥーニャにとんでもないことを言わせます。

いいえ、わたしよ、いちばん悪いのはわたしなの!
あの人のお金に惑わされてしまったの

橋田壽賀子も全力疾走で逃げ出す、ベタな台詞です。
プリヘーリヤが言ったのなら不自然ではありません。
しかしドゥーニャには、こういう平坦で陳腐な言葉は似合いません。

明らかにドストエフスキーはここで筆を滑らせました。
その理由はただ一つ、ルージンの考え方に対する本能的で感情的な嫌悪です。
つまり、誰か、身近にいる(あるいは、いた)、ルージンと同じ考え方の人物に対する反発。

ここでドストエフスキーと父親の関係について語る気はありません。
「『罪と罰』における父性の不在について」などというテーマは大学生の卒論に任せましょう。

 

(2013年7月29日)

(85)

さてここで、別の登場人物の台詞を引用しましょう。
かつての恋人についての描写です(第2巻92ページ)。

不器量だったよ……顔は。ほんとにちっともわからないんだ、どうしてあのとき、あんなに彼女に惹かれたのか、たぶんいつも病気ばかりしていたからだな……これで足が悪いなり、背中が曲がってるなりしてたら、きっともっと好きになってたと思う

この人もずいぶんねじくれた恋愛観の持ち主です。

ただ、相手に「自分よりも経済的に圧倒的に劣っている」ことを望むルージンに対して、
この人物は必ずしも「自分よりも劣っている」ことを欲しているわけではない、
だからルージンとこの人の考え方は全面的に違うのだ、と弁護することもできるでしょう。
またこの文章の前に置かれた
「(彼女は)乞食にものを恵んでやるのが好きで、ずうっと修道院ぐらしにあこがれてた」
という一節をもって、ルージンの考え方とは発想の原点が違うと解釈することもできるでしょう。

この台詞の主はラスコーリニコフです。

確かにラスコーリニコフとルージンとは考え方が違います。
しかしその違いは、回る寿司と回らない寿司の違い程度のように、私には思えます。

 

(2013年7月31日)

(86)

この章の後半では、ラズミーヒンが出版事業について熱く語ります。

婚約が破談になってペテルブルグにとどまる理由のなくなったドゥーニャを引き留めるために、口から出まかせにでっちあげられた起業話です。
問題は、ドストエフスキーがこの事業の実現性をどう見積もっていたか、という点です。

ドストエフスキーはのちに個人出版で雑誌を刊行します。
出版事業の将来性を見込んでいた可能性があります。
その一方でドストエフスキーは、ラズミーヒンのことを女にだらしがないとも書いています。
ドゥーニャとの結婚生活が平穏なものにはならないだろうと、釘を刺しているわけです。
とすると、ラズミーヒンの熱弁を、作者は「出版事業だってそう簡単には運ぶものか」と冷やかに見ている可能性もあります。

ここでラズミーヒンの援軍が現れます。

 

(2013年8月2日)

(87)

ドゥーニャに計画の実現性を訊かれたラスコーリニコフはこう答えます。

「なかなかいいアイデアじゃないか」
「最初から会社の設立を考えるのは、むろんどうかと思うけど、
たしかに五、六冊出すくらいなら、まちがいなく成功が見込めるよ。
ぼくも、ぜったいに当たりそうな本をひとつ知ってるよ。
で、この男に実務をやる能力があるかっていうことだが、
その点、疑う余地はないね。仕事がよくわかってるから」

さあ、ここで読者はまたまた悩んでしまうわけです。
この弁護人は信頼できるのだろうか? と。

鍵になるのはこの一文だと思います。
「ぼくも、ぜったいに当たりそうな本をひとつ知ってるよ」

断言します。
「その方面に顔が利く知り合いが何人もいる」
などと言う人にそんな知り合いがいたためしはないし、
「その気になれば十万や二十万はすぐ用意できる」
などという人がそんな金額を手にしたためしはありません。

ラスコーリニコフの意中の本は絶対にベストセラーにはなりません。

ここは、「ドストエフスキーはラズミーヒンの計画をかなり突き放して見ている」と考えた方がよさそうです。

 

(2013年8月5日)

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