TVドラマ「カラマーゾフの兄弟」が終わりました。
フョードル殺害の犯人は従来の解釈のままでした。
「イリューシャはどうなったんだ?」とか、「ぬるいホームドラマのようなエンディングでいいのか?」とか突っ込みたくなるところもありましたが、カラスが飛びまくるおどろおどろしい画面と、迫力ある音楽でぐいぐい引きつけてくれました。
採算重視の民放でこんなドラマが放送されるなんて、日本人は自慢していいと思いました。
(2013年4月1日)
日本の自慢と言えば、「カラマーゾフの兄弟」が10回以上も翻訳されているのもすごいことだと思っていました。
ところが米amazonを見るとアメリカでも複数の翻訳が存在しているようです。
正確な数は分からないのですが2、3種類ということはなさそうです。
ハンバーガーとコーラにドストエフスキーが似合うとは思えませんが(すごい偏見でごめんなさい)、どうやら冷戦時代のアメリカでは、ロシア人の思考パターン分析のためにロシア文学の研究も積極的に進められたそうです。
目的はともかく敵国の文化を知ろうとするのは素晴らしいことだと思います。
最近、中東での軍事活動を描いたアメリカ映画を見ると、アラブ社会の文化や言葉や風習を理解する気が全くないように見えます。
アラブ諸国はロシアに比べると手ごわくないのかもしれません。
そのためにアメリカが勉強を怠っているとすれば、それは平和ボケすぎると思うのです。
(2013年4月3日)
選抜高校野球ですが、前評判がそれほど高くなかった愛媛代表の斉美高校が決勝戦まで勝ち上がりました。
何試合か甲子園で応援しましたが、高校野球だと安い値段でバックネット裏のいい席がゲットできるのでありがたいです。
三遊間の深い打球を処理する三塁手のプレーや、3−6−3のダブルプレーなどは、近くで見ると奇跡のように見えます。
一方エラーをした選手の悲痛な表情が見えすぎるほど見えてしまうのは、涙腺の緩くなった世代にはちょっときついところではあります。
安楽投手は野球留学生かと思ったら地元松山の子なんだそうです。
また甲子園で楽しませてください。
(2013年4月5日)
高校野球を応援する気満々ではあるのですが、名前の読み方が分からない学校が増えてきたのが頭の痛いところです。
大分代表の「済々黌」は、3回戦で斉美高校と対戦したのでやっと読み方が分かりました。
(多分きっと、「せいせいこう」)
「気比」「常葉」「履正社」「遠軽」「菰野」「徳栄」はそれぞれ「けひ」「とこは」「りせいしゃ」「えんがる」「こもの」「とくはる」だそうです。
(今調べました)
新聞はどうやら「学校名にルビは振らない」と意地になっているかのようです。
大会のHPから学校紹介のページに飛んでも読み方までは書いてありません。
どうせリンクさせるのならWikipediaにリンクさせればいいのに。
(2013年4月8日)
読み方と言えば愛媛代表「斉美高校」も、普通は「さいび」とは読んでくれないかもしれませんね。
それはさておき高校野球の魅力の一つは「2時間で決着がつく」ところだと思います。
一方プロ野球は3時間で終わることはまれです。
学生とプロで時間設定が異なるアメリカンフットボールならともかく、野球は学生とプロでイニング回数もルールも同じはずなのに、どうしてこんなにも試合時間が違ってくるのでしょう。
プロ野球のピッチングの間合いが長いのは、集中力を高めるためか、筋肉の疲労を回復させるためか、よく知りませんが、そろそろ専門家による研究が必要ではないでしょうか。
間合いが20秒の場合と30秒の場合で、コントロールの精度や筋肉内の疲労物質の量に差が出てくるのか、興味深いです。
(2013年4月10日)
投手戦なら試合の進行が早いのは当たり前ですが、ぽんぽん点を取り合う試合でも案外試合時間は短かったりします。
試合時間はヒットの数よりも、むしろピッチャーのコントロールの悪さゆえの投球数に相関するように思います。
特にノーコンピッチャーの「初球ボール」がもたらすがっかり感というか、むなしさというか、時間の無駄さ感は半端ありません。
高校野球であれば「初球がボールだった!」ということで球場がどよめくこともありますし、実際それ自体で十分ドラマになりうると思いますが、プロ野球における「初球ボール」ほどこの世で無駄で無意味なものはないように思います。
いっそのこと、初球のボールはボール二つ分にしてしてはどうでしょうか。
(2013年4月12日)
その他、試合時間短縮のための方法をいろいろ考えてみましたが、なかなか難しそうです。
司法がないがしろにされるのは野球の世界でも同じで、15秒ルールもいつの間にか消えてしまいました。
そもそも「時間のスポーツ」ではない野球と、時間の概念とは相いれないと思います。
延長戦タイブレークの導入も、引き分け回避のためには有効ですが、だらだらした試合でも延長戦に入れば放っておいても緊迫するものです。
その緊迫した延長戦を短縮する必要はないと思います。
問題は、コントロールの定まらない投手が、もたもた投げては四球を連発し、走者がいるから牽制も増え、ストライクを取りに行ったところをまた打たれ……という退屈な中盤です。
いや、決して特定のピッチャーの悪口を言ってるわけではありません。
話は変わりますが、贔屓にしているカープの福井投手は今シーズンも制球に苦しみ二軍に落ちたままです。
コントロールは訓練できないものなのでしょうか?
早く一軍に戻ってきて「ぴりっとした試合中盤」を見せて欲しいものです。
(2013年4月15日)
試合時間の短縮について議論される時、いつも不思議に思います。
どうして誰も子どもの視点から考えないのでしょうか?
9時に終わらないことが分かっているスポーツ観戦に、子どもを連れていくことはできません。
年に一度か二度は、家族レクリエーションとして「多少夜更かししてもいいよ」という日があると思います。
それにしても球場を出るのは夜9時が限度でしょう。
つまりせっかくの家族イベントなのに、ほとんどの場合子どもたちは試合終了を見ることなく、球場をあとにしなくてはならないのです。
そして野球が一番盛り上がるのは試合終了の瞬間です。
子どもたちは楽しむ気満々で球場に来て、野球の一番面白い瞬間を味わわずに帰ってしまうのです。
TV観戦でも似たような状況だと思います。
手に汗握る心理戦こそがプロ野球の醍醐味で、それを十分生かすためにはある程度投球の間合いも必要だ、と言う人もいます。
しかし醍醐味だろうと何だろうと、子どもが見られない時間帯にやられたのでは全く意味がありません。
今のプロ野球は、子どものファンを減らそう減らそうとしているように、私には見えます。
(2013年4月17日)
ジャイアンツ戦ですら10%台前半の視聴率しか稼げなくなったと言われます。
余暇の過ごし方のバリエーションが豊かになって、プロ野球でもチームごとの人気が平均化されつつありますから、それは当然だと思います。
しかし10%台の視聴率でも、ジャイアンツ戦はまだまだ優先的に放映され、その日のスポーツニュースでもかなりの重心をもって扱われます。
これも当然です。
「巨人・大鵬・卵焼き」の世代が現役生活最終ステージを迎え、あるいはリタイヤ直後で、高い購買力を持っているからです。
この世代には、TVに影響されやすい、という特徴があります。しかも興味の中心は、資産運用や不動産などの、化粧品や食品とはけた違いに高額な商品です。
10%の視聴率でも、ジャイアンツ戦であればコマーシャル効果は十分期待できると思うのです。
ところがあと10年もすれば、この世代の購買力も衰えます。
夜更かしも厳しくなります。
その時になって年配ファンが「もうちょっと試合時間を前倒しにしてくれ」と言っても、もう遅いのです。
その頃には、「わざわざ球場まで行ったけれど、試合終了まで見られなかったし、つまらなかった」と、実体験した子どもしかいません。
あわてて試合時間を短縮させても、すでに野球はサッカーやその他のスポーツに埋もれてしまっているのですから。
試合を夜9時までに終わらせるような制度改革、これは団塊世代に与えられた最大の使命だと思います。
(2013年4月19日)
維新の会の賞味期限が過ぎてしまいました。
いろんな人に喧嘩を吹っかけて、いろんなものを派手にぶち壊す橋下市長のパフォーマンスは、火の粉の及ばない隣の県から見ている分には面白かったのに、ちょっと寂しいです。
さまざまな判断ミスやタイミング的な不運が重なって、現在の人気急降下に至っているわけですが、決定的だったのは先日の伊丹、宝塚市長選だったと思います。
東京に対して大阪人が抱く複雑な感情や、中央官僚にあしらわれた地方政治家が感じる憤懣を十分に分かっているはずの橋下市長が、周辺の住民が大阪に対して持つ気持ちに、どうして思い至らなかったのでしょうか。
伊丹や宝塚の市民が大阪発の政治体制を採用するはずがないことくらい、ちょっと考えれば分かることだと思います。
それと関係あるようなないような話ですが、オリックスに裏切られ、楽天に裏切られ、応援したいチームがなくなったために昨年から広島カープを応援しています。
が、本音を言えばやっぱり地元の球団を応援したいです。
「阪神タイガース」が「阪神間タイガース」になってくれれば、すぐにでも応援する気満々なのですが。
(2013年4月22日)
村上春樹の新作が上梓され、作中に登場するリストのピアノ曲「巡礼の年」が話題になっているそうです。
前作「1Q84」で取り上げられたヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が、村上人気のおかげでヒットしたのも記憶に新しいところです。
リストにもヤナーチェクにも、高級な工芸品のような手触りを感じます。
磨きこまれた造形、しかしその厳格なシルエットは安易な同情を拒みます。
そうした「透明」な作品に色合いを与えるのが、村上春樹の上手さなのでしょう。
実演に接するのが難しい「シンフォニエッタ」ですが、今度シンフォニー・ホールで演奏されます。
ヤナーチェクの天才的なオーケストレーションを、ぜひ生演奏でお確かめください。
(2013年4月24日)
ヤナーチェクのオーケストレーションが天才的とすれば、スメタナの管弦楽法はずいぶん素朴です。
実際に演奏してみると、画期的な進行や前衛的な和声もふんだんに用いられているのですが、スメタナは近代的なテクニックを使ってもどことなく野暮ったいです。
ブランド品で身を固めても全然おしゃれに見えない人がいますが、きっとスメタナもそういう人なのでしょう。
その代り、がむしゃらな突進力は誰にも負けません。
それから容赦のない轟音の破壊力。
ブルックナーの音響は大聖堂の天蓋から降り注ぎますが、スメタナの場合は地割れから噴出する火砕流という感じでしょうか。
あくまでも人間の目線で高らかに謳われる、大地への讃歌です。
「わが祖国」全6曲。
これも実演で体験するのはなかなか難しい曲です。
ぜひどうぞ。
(2013年4月26日)
文科省の体罰に関する緊急調査の結果を見て、驚きました。
体罰の件数が多い自治体や学校が、マスコミに吊し上げられているのです。
マスコミが追及すべきなのは、この期に及んでまだ「うちは体罰ゼロです」などと平気で言っている自治体や学校の方ではないでしょうか。
体罰問題は「体罰に訴えたがる教師をいかに制御するか」というシステム問題です。
問題の根源は、体罰教師をあぶり出せず、あぶり出せてもコントロールできず、コントロールできなければそれを隠蔽しようとする管理者にあります。
文科省の調査が有意義だったためしがありませんが、今回の調査は「岩手県の教育委員長は最低の怠慢野郎だ」ということを明らかにしたという一点で、まだ有意義だったかもしれません。
(2013年5月8日)
もう一つ驚かされたニュースがあります。
救急担当医師の集団退職のために、神戸大学病院の救急受入れができなくなるというニュースです。
何が驚いたといって、大学病院がこれまで救急患者を受け入れていたというのにびっくりです。
大学病院受診中の患者さんの容体が急変した時でも、大学病院は受け入れてくれなくて、てっきり救急は一切おこなっていないものと思っていました。
へー、びっくりです。
(2013年5月10日)
時々はマンガも読みたくなります。
最近は雑誌や新聞でも「お薦めマンガ」の欄があって、それはそれで結構なことですが、そこで扱われているのはほぼ100%「お薦めの新連載マンガ」です。
しかしオープニングがどんなに面白くても、エンディングがしょぼしょぼのマンガなんて読むだけ時間の無駄です。
よくありますよね、どんどん強い敵が出てきて延々と戦い続ける格闘マンガとか、恋が実ったと思ったら元カレが現れてぐちゃぐちゃになっていく恋愛マンガとか。
媒体の数はほぼ一定ですから、新連載があれば同じ数だけ連載終了もあるはずです。
マンガの場合は打ち切りによる連載終了も多いのでしょうが、めでたく完結した作品もいくつかはあると思います。
どうせならぜひ完結マンガのお薦めを教えて欲しいものです。
(2013年5月13日)
田川健三の手になる日本語訳聖書を読みました。
「新約聖書 訳と注 全六巻」の第1巻「マルコ福音書/マタイ福音書」です。
私たちが普段手にする聖書は「新共同訳」と呼ばれるもので、カトリック教会とプロテスタント教会が共同で翻訳したものです。
田川健三によると「新共同訳」には問題があって、一つはギリシア語からの翻訳と謳いながら英語版からの影響が強すぎること、もう一つは教会主義的な立場からの捏造的解釈がしばしば目につくことらしいです。
従来の偏った読み方からの脱却を狙って書かれたのが、今回の「新約聖書」です。
巻末には膨大な注釈がつけられています。
大げさではなく、原文の一字一句について、詳細に分析考察がなされます。
こうした学術的な作業は往々にして素人には退屈ですが、この本は違います。
従来の訳、注釈に対する怒涛の悪口攻撃で、退屈どころではないのです。
時としてその矛先はマタイやルカにまで及んで、ハラハラさせられたりもします。
崇高な理念に基づく真摯な学問的著作であって、しかも同時に大爆笑のエンターテインメントでもある、という奇跡の1冊だと思いました。
奇跡と言えば……、私はICOCAカードを栞(しおり)の代わりに使っているのですが、この本を読んでいる時、改札を通ると周りの人がびっくりするのです。
聖書をかざすと改札ゲートが開くので、何かの奇跡のように見えたのでしょうね。
ちょっと恥ずかしかったです。
(2013年5月27日)
共通番号制度が導入されるとか。
国家による個人情報一元管理の危険性や、なりすまし犯罪横行、プライバシーの侵害など、いろいろ弊害のある制度のようです。
われわれ医療従事者にとっても大問題です。
Aという病院で湿布をもらっている患者さんが、Bという病院にかかったついでに余分の湿布をもらおうとします。
今の制度では、その患者さんの自己申告がなければ、よその病院で何枚湿布をもらっているか把握しようがありません。
病院をはしごすれば、適正枚数以上の湿布を手に入れることができるわけです。
薬だけではありません。
「特定疾患療養管理料」の問題もあります。
高血圧や糖尿病など、慢性的に管理する必要がある患者さんを診察する際に、医療機関は特別な「療養管理料」を請求できます。
その管理料を請求できるのは、本来は一人の患者さんにつき一つの医療機関だけです。
しかし、現在の制度では複数の医療機関が請求してもチェックのしようがありません。
共通番号制が導入されれば、これらの重複が解消されて、医療費が一挙に激減します。
つまりは収入が大幅に減って、医者は困ってしまうわけです。
こんな悪法を通すわけにはいきません。
みなさん、もっともっと反対しましょう。
(2013年5月29日)
前回のコラムはもちろんギャグですが、共通番号制について思いっきり要約すると、こうなると思います。
制度を導入すれば不正や無駄がかなり解消できる。
しかし不正をおこなっていない人にもある程度のリスクが想定される。
私などは、自分がリスクを背負っても他人の不正をしっかり取り締まってほしい、と考えてしまうタイプの人間です。
そういう立場からすると、制度の危険性を主張している人たちが、「じゃあどうすれば不正を取り締まることができるか」を語ってくれないのは、片手落ちのように思えて仕方がありません。
以前も書いたことがありますが、プライバシーについての考え方もよく分かりませんし。
国が全国民の指紋とDNAを登録して、ポイ捨てタバコや空き缶の捨て主を特定して罰することにしても、私は全然かまわなかったりします。
(2013年5月31日)
橋下慰安婦発言に対する女性団体の反発は理解できます。
政治家として配慮に欠けているという評論家たちの指摘も当然だと思います。
その一方で、きれいごとばかり主張して米兵による性犯罪が減らせるのか、という発言擁護派の意見ももっともだと思います。
発言の是非ではなく、日本のロビー活動の下手さが問題なのだという考え方にも一理あります。
暗闇の中でゾウを触った人たちがゾウとはどんな動物かを言い争う仏教説話がありますが、今回の騒動を見ているとその説話を思い出してしまいます。
ありとあらゆる角度からありとあらゆる説得力のある意見が出されているように見える今回の発言ですが、一番根本的な反発を誰も口にしないのはどうしてなのでしょう。つまり、
橋下発言とはそもそも男性蔑視ではないのか?
世の男性よ、橋下さんは「男とは風俗業を必要とする生き物である」と言っているわけです。
そんな失礼なことありませんよね?
(2013年6月7日)
チラシを見比べて、少しでも安い商品を求めて何軒もスーパーをはしごする。
そういう賢い奥様の節約自慢を時々耳にします。
1軒で済ませば1時間で片付く買い物が、2軒はしごすれば2時間かかります。
それで500円安く買い物できました。
さあ、それは節約でしょうか。
考えるまでもなく、時給500円以上の人の場合は全然節約になっていません。
「スーパーをはしごして数百円節約した」と自慢する人を見ると、その人が自分の労働単価が低いこと、つまり家事をテキトーにやっていると告白しているように思えて仕方ありません。
(2013年6月24日)
それと同じ理屈で(いや、ちょっと違うような気もしますが)、感じることがあります。
タバコを吸ったり、夜道をスマホ画面に熱中しながら歩いている若い女性を見ると、女性としての価値の低さを自分で喧伝しているように見えてしまいます。
価値あるものなら大切に、大事にしておきたいものです。
(2013年6月26日)
贔屓のカープ福井投手がいつまでたっても二軍のままです。
タイミングが合えばファーム戦を見に行くのですが、ファームの審判がかっこいいです。
3人制なのでランナーが出ると、この位置に立つのです。
審判の動きを見ているだけでも面白いです。
とは言うものの、早く一軍のマウンドで活躍する福井投手を見たいものです。
(2013年6月28日)
神戸元町ダイアリー2013年(1)東京五輪決定<main>神戸元町ダイアリー2013年(3)はだしのゲン