神戸元町ダイアリー2011年(3)

六甲道駅と住吉駅の違い、宝塚駅と芦屋駅の違いをよく考えます。
どちらも住んでいる人の雰囲気は似ているのに駅前の雰囲気は全く違います。

この違いはどこから来るのでしょうか。

 

(2011年7月1日)

前回のコラムで触れた「違い」、その正体は「パチンコ屋」でした。
街自体にはハイソなイメージがあるのに宝塚市民はもったいないことをしていると思います。

さてパチンコのことを考えるとどうしても「逆進性」という言葉を連想してしまいます。

消費税が話題になるたびに出てくる言葉です。

根拠はよく分からないのですが現代民主主義では「逆進性」はよくないこととされています。
憲法に規定されているのは「納税の義務」と「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の項目だけで、所得の再分配の理念については触れられていません。
つまり「逆進性がよくない」というのは「憲法」より次元が上の「自然法」に基づく共通認識なのでしょう。
あとは弱者を守るために逆進性を国家がどれだけ規制するか、そのコントロールの仕方こそが国のあり方なのだと思います。

たとえば今の日本。
フォアグラの品薄のために全国の高級フランス料理が値上げをしてもそれには国家は介入しない。
しかしコメ不足による物価上昇には国家が直ちに対策を講じる。
日本という国はこれくらいのさじ加減で動いています。

そして「弱者の生活に大きく影響する基本的食材の値段は国家がコントロールする」という考え方があるならば「弱者向けのギャンブルは国家が管理する」という考え方もありえるのではないかと思ったりするわけです。

 

(2011年7月4日) 

節電のためにエスカレーターやエレベーターが止められていることがあります。

素人的には、上りと下りのエスカレーターを歯車で連動させて一つのモーターで動かせば、上下方向の重さが釣り合って電力を実質的に消費しないような気がします。
下りエスカレーターを止めるのはもったいないように思えて仕方ありません。

エレベーターも定員の半分程度の人数で釣り合うように重りを設定してあります。
ですから少ない人数で上りエレベーターに乗ったり、あるいは満員で下りエレベーターに乗ると、節電どころか逆に電気を溜めることも可能のはずです。
オフィスビルのように時間帯によって上り下りの人数が極端に偏る場合、重りの重量を変えるというのは技術的に無理なのでしょうか。
出勤時は重りを最大にして、帰宅時には重りをはずせば、その時間帯にかなりの電力が蓄えられそうな気がします。

これくらいのことは専門家は当然考えているのでしょう。
利用者としてはエレベーターごとにどういう条件で使えば節電効果が高いのか表示してあると使いやすいと思います。

 

(2011年7月6日) 

これだけ科学が進んだのに発電の仕組みが全く変わっていないのが不思議です。
火力や原子力では発生した熱によってタービンを回して、その回転エネルギーを電気エネルギーに変換しています。
風力や水力の場合は自然エネルギーから直接回転エネルギーを取り出しますが、運動エネルギーを電気エネルギーに変換させないといけない点では同じです。
太陽光発電には「回転エネルギー→電気エネルギー」という経路が含まれません。

「回転エネルギー→電気エネルギー」は今や完成された技術と言ってもいいでしょう。
太陽光発電に比べて非常に高い変換効率を持っています。
しかし完成しているだけにこれ以上の効率化は見込めないのではないでしょうか。
歴史的な流れから想像するといずれ「光エネルギー→電気エネルギー」変換効率の方が上回り、一般的になる時代が来るはずです。

「昔の人は無尽蔵にある太陽の光を使わないで、わざわざ限りある化石燃料や危険な原子力を使って発電していたんだよ」
子どもたちがそう驚く時代がすぐ近くに迫っていると、私は思うのです。

 

(2011年7月8日)

喫煙者はどうして嫌われるのか?

駅のホームや路上、いたるところが禁煙になり、完全禁煙のレストランも増え、愛煙家のみなさんはどんどん肩身が狭くなっていることでしょう。
しかしその一方で不条理さも感じているのではないでしょうか。
普通なら誰かに何かを譲れば、譲られた人は満足し感謝するはずです。
しかし愛煙家側があらゆることを譲って譲って譲りまくっているのにタバコバッシングは強まる一方です。
感謝こそされることはあってもどうしてここまで文句を言われ続けるんだ? そう疑問に思われていることだと思います。

それには理由があるのです。

社会の分煙化が進んだために非喫煙者はタバコの煙からある程度隔離されることになりました。
自宅でも職場でも外出先でも飲食店でも、タバコをすぐ隣で吸われることがなくなってきました。
マナーのいい人が喫煙する場面を、非喫煙者が見ることがなくなったわけです。
たとえば私が所属するグループは食事の席では禁煙です。
個人的にも私はなるべく禁煙の店にしか行かないことにしています。
そんな私が見かける喫煙者とはどういう人たちでしょう。
禁煙エリアでタバコを吸い、くわえ煙草をして、ポイ捨てをする。
つまり私が目にする喫煙者は100%マナー違反者なのです。

喫煙者からすると嫌煙派の主張はヒステリックに聞こえるかもしれません。
しかし原因は単純です。
嫌煙派が目にする喫煙者は全員が低モラルでマナー不足の条例違反者なのです。

この状況を打破する方法はたった一つです。
マナーのいい喫煙者がマナーの悪い喫煙者を啓蒙することです。
禁煙エリアで吸っている人を見かけたら「その先に喫煙所があるからそこで一緒に吸おうぜ」と声をかけることです。

このままではヒステリックなタバコバッシングはどんどん加速します。
それはマナーのいい喫煙者が被害者意識に閉じこもって何の行動も起こさないからなのです。

 

(2011年7月11日)

美味しい野菜を売りにしたお店が最近増えてきました。
無農薬で育てられた野菜を産地から直接仕入れることによって自然の恵みを損なうことなく味わえるというのがセールスポイントのようです。
「自然そのまま」と言われると大変素晴らしく思えます。
しかしよく考えてみると無農薬農法は、害虫や病気に対する品種改良作業の賜物です。
産地直送もPOSシステムと輸送力の進歩によって初めて可能になりました。
そもそも野生の野菜を食べても全く美味しくありません。生で食べて美味しい野菜そのものが科学の進歩によって作り出された物です。
そう考えれば農薬漬けの野菜や見た目はいいけれども味わいに乏しい野菜なども「科学が自然を損なった例」ではなく、「科学の力が不十分だった例」と受け止めるべきではないでしょうか。
農薬という科学が悪いのではなく品種改良という科学が未熟なために農薬の使用を余儀なくされるわけです。
そこで結論として

悪い科学があるのではなく、不十分な科学があるだけだ。

と大きな声で主張したいのですが、ここではたと筆が止まってしまいます。

 

(2011年7月20日)

私を躊躇させるのは、言うまでもなくフクシマです。
科学の明るい未来を信じたい、しかし今回の事故をどう考えるべきか。
夢の核エネルギーを屈服させるために必要な試行錯誤とそれに伴う犠牲と解釈すべきなのか、それとも核エネルギーだけは人類には手に負えないものとして封印すべきなのか、私には判断できないでいます。

一つの拠り所として、人類がすでに屈服させた科学技術について考えてみましょうか。
たとえば「火」です。
100円ライターがあれば3歳の子どもでも簡単に火を点けられます。
コンロでは弱火から強火まで自由自在に火力をコントロールできます。
日本の発電量の7割は火力が担っています。
今や人類は火力を完全に制圧させた、……と言ってもいいのでしょうか? 

何となくコントロールしているつもりになっている「火」ですが、毎年日本では住宅火災で1000人以上の人が亡くなっています。
毎年のように化学工場の大規模な爆発があり、ひとたび山火事が起きれば散水や放水など全く役に立ちません。
実は人類は「火」を全く制圧できていないのです。
「燃焼」という化学反応を原理的に理解し、管理する方策についても分かっている。
それでもしばしば「火」の反撃を食らってしまいます。
その原因の多くは人為的なものです。
「無知」だったり「無思慮」だったり「慢心」だったり……。

こう考えてみると私たちの核エネルギーに対する態度もおのずとはっきりしてきます。
人類は理論的には核エネルギーをコントロールできます。しかし人類自身をコントロールできません。
これでは現実的にはコントロールできていないのも同然です。

くわえ煙草や寝煙草をやめて、ゴミを完璧に分別し、電車で迷惑行為を注意されれば心から素直に謝罪する、人類がそんな風にバージョンアップするまでは原子力には手を出すべきではないということです。

 

(2011年7月22日)

節電目標値が15%。
15%というと、大雑把に6分の1です。
六つあるものを一つ減らすと考えれば分かりやすいです。
えーと、たとえば六つあるものと言えば……。

ちょうど民放が6局ありますね、ここは時間を決めて1局ずつ停波してもらいましょう。
1時間も60分です。毎時50分から10分間、どうせ場つなぎ番組しか流していない時間帯ですから放送を中止しましょう。
CMの音量もこの機会に15%下げて欲しいです。
節電とは関係ないですが、ヒナ壇芸人も6人から5人に減らしてはどうでしょうか。
よくテロップで流れる「衝撃の展開まで30秒」という引っ張りタイムも「25秒」にカットしましょう。

 

(2011年7月25日)

JRは今こそきっちりとした安全点検をするべきだと思います。

思えばスリーマイル島の時もチェルノブイリの時も「日本は大丈夫」と原発関係者は言っていました。
阪神大震災のちょうど1年前のLA大地震で高速道路が倒壊した時も「日本は大丈夫」と道路関係者は言っていました。

私も日本の新幹線は絶対大丈夫だと信じています。
しかし、だからこそもう一度再点検をしてさらなる安全神話を築いて欲しいと思うのです。

 

(2011年7月26日)

「想定外」であれば許されるのではなく、想定しなかった方が悪い、こと原発に関してはそういう論調のようです。
おそらく今回の大災害で地震や津波に対しては想定レベルが引き上げられたと思うのですが、テロに対してはどうなのでしょうか。

ダイナマイトを身体に巻きつけた反・原発活動家が敷地に侵入してくる程度のことは想定しているはずです(よね?)。
テロリストの自動車爆弾は想定してあるのでしょうか?
北朝鮮や中国軍部の急進派が航空機で突っ込んでくる可能性は考えてあるのでしょうか?

ナショナリズムに鼓舞されて漁船で巡視船に体当たりしてくる人も現実にいるのです。
航空機テロは震度9の地震や高さ20メートルの津波よりも蓋然性が高いように思えます。
「防衛機密のために詳しくは言えないが航空機テロに対してだけは100%大丈夫」と、信用できる誰かが言ってくれれば安心できます。
問題は誰が信用できるか、ですが。

 

(2011年7月29日)

20年前にタイガースファンをやめて以来、セ・リーグでは応援するチームがないままでした。
斉美高校の優勝投手・福井優也選手が入団したので今年からカープを応援することにしました。
先発ローテーションには加わっていながらこれまでもう一つぴりっとしない投球内容でしたが、昨日ようやく完投で勝利しました。
おめでとう!

 

(2011年8月26日)

ちょうど受付スタッフも広島出身なので、今年の当クリニックはカープの話題で持ちきりです。
と言いながら私が知っている選手は福井くんだけなのですが。

スタッフが帰省の時には広島土産を持って帰ってくれます。
誰もが想像するモミジ饅頭ではなく、私も全然知らなかった広島名物です。

「せんじ肉」

豚の胃を揚げたて干したものです。
ビーフジャーキーに似ていますが、肉がホルモンだけに歯ごたえが一段違います。
酒のつまみにぴったりです。
広島旅行を予定しているみなさん、酒飲みさんへのお土産はモミジ饅頭よりも「せんじ肉」の方が喜ばれると思います。

 

(2011年8月29日)

大物芸能人の突然の引退の話題が週刊誌をにぎわせています。
私は「芸能人が突然引退を発表した」と「暴力団幹部とやり取りしたメールが流出した」という二つの事実しか知りません。
その二つから誰もが想像する最もシンプルな筋書きは、

芸能人が何らかのトラブルの仲裁を暴力団に依頼した

暴力団は見返りを要求することなくトラブルを上手く解決した

芸能人はさまざまなトラブルの解決を暴力団に依頼するようになった

暴力団はそれらのトラブルを解決していき、やがて徐々に見返りを要求するようになった

そのうちに見返りが大きくなり、芸能人が拒むと暴力団はこれまでの関係をネタに脅迫に転じてきた

いったんは暴力団の要求を飲んだ芸能人だったが脅迫はさらにエスカレートした

ついに進退きわまった芸能人は暴力団の要求を拒まざるを得なくなった

暴力団は他の金づるへの見せしめにこれまでの関係を暴露して芸能界への復帰の道を完全に絶った

暴露されたメールがいつからのものなのかは知りません。
しかし暴力団側としてはかなり早い時期からいずれは脅迫のネタに使うつもりで関係を積み重ねていたことが想像されます。

 

(2011年9月7日)

とするとマスコミとしては「芸能人がいかに悪人であったか」を追求するよりも「芸能人がこの罠にどうはまっていったか」を検証するべきだと思うのです。
この芸能人は番組で見ていても頭がとてもいいです。損得勘定も上手だし世渡りも上手そうです。
政治家にも弁護士にも知り合いが多い。
その彼をして何をもって「ここは暴力団の力を借りた方が得だ」と思わせたのか、その部分こそが鍵だと思うのです。
彼の振る舞いなどはどうでもいいです。
そもそも芸能人に品位とか人格とか求める方が野暮です。

しかし彼がどうしてこんな破滅スパイラルに陥ってしまったかは私たちにとって大きな教訓になると思うのです。

 

(2011年9月9日)

元町駅の周辺を掃除している人たちをよく見かけます。
ユニフォームを見ると多くはJRAの関係者のようです。
これはいい考えだと思います。
競馬収益のいくらかをこういう形で地域に還元しているわけです。

JTもやってみてはどうでしょうか?

人を雇って駅周辺の掃除をしてもらうのです。
吸殻を拾うだけではなく、くわえ煙草の人を見かけたら注意してもらいましょう。
マナー違反の人に注意するのは難しいことです。
しかし嫌煙者に注意されれば逆切れする喫煙者も、JT、つまり喫煙者サイドの人に注意されればおとなしく従ってくれるのではないでしょうか。
「マナーを守らないとやり玉に挙げられて、またたばこ税を上げられます」と泣きつけば、くわえ煙草の人も火を消してくれるはずです。
マナーのない人を注意するJTの人を見かければ、嫌煙者のJTに対する風当たりも変わると思います。

街もきれいになるし、喫煙者のモラルも上がり、喫煙嫌煙の対立も緩和される、いいことだらけのアイデアだと思います。

 

(2011年11月7日)

「政治家の器が小さくなったと嘆いている人がいるがすじ違いだ」というのは以前からここで繰り返し書いてきたことです。
とにかく上り調子だった30年前までと今とでは政治家に求められる資質が全く違います。
政治家から金や裁量権を奪い取っておいて「器が小さい」とののしるのは言いがかりもいいところです。

……と主張してきた私ですが、外交に関してはもう少し器量のでかさがあってもいいと思います。
騒がれているTPPです。
農家の人がTPP反対を訴えるのは当然です。
しかし政治家たるものが「交渉に参加すべきではない」と叫ぶのはいかがなものでしょうか。
仮にも政治家であれば「交渉するなら俺を行かせろ、俺がアメリカにがつんと言ってやる」くらいの啖呵を切って欲しいものです。

 

(2011年11月9日)

生活保護受給者は200万人を超え、財源もないまま子ども手当がスタート、年金の受給者は増える一方。
お金がないのに支払先は増加の一途です。
一方TPP参加のあかつきには国産米は激しい価格競争の渦に巻き込まれることになります。

生活保護、子ども手当、年金の一部をお米で現物支給してはどうでしょうか。
農家には自由流通米生産か支給米生産かを選んでもらいます。
自由米生産農家には高品質の米で輸入米と競争してもらいましょう。
そして支給米は食料品ではなく配給券ということにしてしまいます。
支給米作りは一種の通貨の発行業務となってTPPの枠からはずれます。

……と、そんなに簡単に物事は運びませんよね。
国会議員のみなさん、がんばってください。

 

(2011年11月10日)

神戸元町ダイアリー2011年(2)元町映画館<main>神戸元町ダイアリー2012年(1)吹き替えにタレントを使う理由


健康ディクショナリー2011年

金星探査機「あかつき」の失敗のニュースを見て、ちょっとだけ不思議に思います。
周回軌道に入れなかった原因を一つに絞るのは難しいのでしょうが、原因が何にしてもそのエラーを引き起こしたのは最終的には「人間」ということになると思うのです。
誰かが計算を間違えたとか、必要な強度の素材の調達を怠ったとか、トラブルへの対応策が不十分だったとか。
突き詰めれば「こいつがちゃんとやっていれば上手く行っていた」という人物が一人特定されるはずです。
最近医療事故ではミスを犯した医師や看護師に刑事罰を問うケースが増えています。
宇宙船も医療も、想定されるトラブルに対して何重もの安全策を構築して運用されているはずです。
そこで最初のミスを犯した人物に対して、一方では追及もされない、一方ではいきなり逮捕、この扱いの大きな違いが全く理解できなくて困っているところです。

 

(2011年1月12日)

ファイザー製薬から昨年発売された骨粗鬆症の薬が画期的です。
何が画期的かと言うと、薬のシートの裏に
「骨粗しょう症のクスリ(1日1回)」
と薬の説明が書かれているのです。

もし手元に何かの薬があれば見て欲しいのですが、今まで薬のシートに大したことは書かれていませんでした。
会社名も薬品名もなく、ただの記号しか印字されていない場合も結構あります。
患者の側からすれば袋から出してしまったら何の薬か分からなくなりますし、医者の立場からしても「他の病院でこの薬をもらっている」と差し出されてもすぐには何の薬か分かりません。
しかし私もずっと不便に思いながら、そうかと言って何かいいアイデアがあるわけでもなく今に至っていました。
なるほど、シートの後ろに印字してしまえばいいんですね。

面白いのはファイザーの薬が全部この方式に切り替わっているわけではないということです。
試用期間ということなのでしょうか?
いち早く全ての薬で適用して欲しい試みだと思います。

 

(2011年1月14日)

1月14日の記事を書く参考にと思ってファイザー製薬のHPを見て、ぞっとさせられました。
http://www.ed-info.net/caution/caution01.html
個人輸入したバイアグラの55.4%が偽物なのだそうです。

輸入代行業者にもいろいろありますが、「証明書付きの真正品」と謳う商品はだいたい1錠1500円前後するようです。
(それでも本物かどうかははっきりしないのですが)

ちなみに当院では錠7000円です(2014年4月現在)
どうか安全で安い入手方法を選択してください。

 

(2011年2月7日)

先日の「ためしてガッテン」で痔の話題が取り上げられていました。

さすがにこれは見ないわけにはいきません。
NHKの番組なら正しいことを伝えてくれるだろうと思ったからではなく、NHKが伝えたことが世間では「真実」になるからです。

結果的には、なかなか穏当な内容だったと思います。
ただしあの番組で扱われていたのは「痔核」です。
お尻の病気は「痔核」だけではありません。
当院にお尻の悩みで来られる方のうち「痔核」の人は3分の1くらいです。
3分の1にとっての真実は、全体にとっての真実とは言えません。

番組の内容を過度に信じ込むのは禁物です。

 

(2011年2月9日)

放射線被曝量の人体に対する影響が問題になっていますが、根拠になるデータに乏しいので実りある議論になりません。
最も信頼度の高いデータは、いまだに広島長崎の疫学調査なのです。

今こそ厚労省が大規模な疫学調査をおこなうべきだと思います。

最近になって検査被曝に対する認識の変化によってレントゲン撮影時の被曝量減少が図られるようになってきました。
30年まではそうでもありませんでした。
やみくもにレントゲンを撮るのは身体によくないという認識こそあったものの、細かな病変の描出のためには高い照射線量が必要だったのです。
特に先天性の病気の子どもたちは今の基準からは考えられないほどの線量を浴びていました。
そういう子どもたちの健康状態を追跡調査するべきです。
1970年から1980年までに先天性疾患で受診した子どもたち、おそらく小さな病院ではカルテが残っていないでしょうから調査は公立大病院を中心におこなうことになるでしょう。
それでも10年間の症例ですから全国で10万例程度は集められるのではないでしょうか。
病名、被曝線量、そして現在の健康状態、もし子どもがいればその子たちの健康状態、これらを解析して初めてまともなデータが得られると思います。

厚労省は急ぐべきです。

 

(2011年11月4日)

健康ディクショナリー2010年(4)自縄自縛のアトピー治療<main>特別企画〜「仁(じん)」を見ました。


海外の長篇小説ベスト100(第61位〜第65位)

第61位

ウィリアム・フォークナー「アブサロム、アブサロム!」(河出書房新社)

河出書房の新しい世界文学全集収載の小説が2作並びました。
こちらは3年ぶりの再読ですが、「ハワーズ・エンド」よりもさらに難しいです。
再読のはずなのにちんぷんかんぷん。
巻末の解説や年譜を見て再読してようやく意味が分かりました。

そして意味が分かってくると突然重みを増してくる物語の重層構造。
初読の時には繰り返しの多い、冗長と思われた語りの文章が生き生きとした躍動感あふれる文章として生まれ変わります。
なるほど、これが世界水準というやつですね。
ただし最初から2回読む覚悟で付き合った方が良さそうです。

 

(2011年11月2日)


第62位

E・M・フォースター「ハワーズ・エンド」(河出書房新社)

2年ぶりの再読。

これは一筋縄ではいかない小説で、かなり癖があります。
まず序盤、誰が主人公かはっきりしません。
重要と思われた登場人物が何百ページも放ったらかしにされたり突然いなくなったりします。
序盤を過ぎてようやくそれらしくなってきた主人公がある人物と結婚するのですが、この二人の会話が全く噛み合わなくてシュールです。
「ハワーズ・エンド」というのは地名です。
が、主人公が「ハワーズ・エンド」に足を踏み入れるのは物語も中盤を過ぎてからです。
そして「ハワーズ・エンド」についての魅力的な描写があんまり、ない。

最後は大団円らしきものに収束しますが、それをアクロバティックな小説的名技と見るか、収まりの悪いこじつけと感じるかで評価が分かれるのではないでしょうか。
私の場合「ふーん、こんな小説技法もあるのか」と感心はしましたが、再再読したいほどの感銘は受けませんでした。

 

(2011年10月31日)

第63位

ジョン・ファウルズ「魔術師」(河出文庫)


仕事で訪れた地中海の島で、主人公が不思議な出来事に巻き込まれます。
ミステリかと思いきや、説得力のある謎解きがあるわけでもなく、主人公がそれに巻き込まれる必然性があるわけでもなく、
ぶすぶすと不完全燃焼のままラストを迎えます。

そのラストの不愉快なこと。
不条理モノが好きな人は読んでもいいかもしれません。

ミステリ好きな人は絶対に読みませんように。

 

(2011年9月14日)

第64位

ポール・オースター「ムーン・パレス」(新潮文庫)

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。

こんな素敵な文章で始まる小説です。村上春樹みたいでいい感じです。
そしてその続きも結構いいです。
自意識の具合も瑞々しい、美しい青春物と言えるでしょう。

80ページの2行目から436ページの8行目までがなければさらに良かったと思いますが……。

 

(2011年9月5日)

第65位

ヴィンフリート・ゲオルク・ゼーバルト「アウステルリッツ」(白水社)

あちこちに挿入されたモノクロの写真。
アウステルリッツは人の名前です。

彼が思いつくままに語る建築物にまつわる話。
写真はそれと関係していることもあれば関係ないこともあって、その距離感が抑制の効いた文章と相まって重厚なイメージを作り出します。

やがてその語りは彼自身の物語となって過酷な現代史をえぐり出していきます。
そして最後にいたってこれが「アウステルリッツ」と「わたし」の物語であったことにも気づかされるのです。

精緻な構造による現代叙事詩でした。

 

(2011年9月2日)

「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」<第66位〜第70位<main>第57、59、60位


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