間違いだらけの病院選び〜「70歳以上の人」篇

間違いだらけの病院選び〜「70歳以上の人」篇

(1)

かなり以前ですが新聞の投書欄にこんな文章が載っていました。

「月に一度大学病院に通っている。
これまで長い待ち時間が苦痛であったけれども、先日待ち時間の間に試しに建物の外に出てみた。
するとそこにはよく見ないと気がつかないような季節感あふれた自然があって、私は長い待ち時間を忘れて過ごすことができた。
私は月に一度の通院が楽しみになってきた」

それはそれで大変に素晴らしい経験だったのだろうと思います。
その一方で医療に携わる立場からするとどうしても拭えない疑問もあります。

「月に一度大学病院に通院しなくてはならない病気って何だろう?」

地域によっては大学病院が地域医療の最前線を担っているところもありますし、科による特性もあるでしょう。
しかし場所を阪神地区に限って言えば、一般の内科や外科で月に一度の大学病院通院を必要とするような病状をあまり思いつきません。
大学病院は最先端医療の場です。
他の病院では原因や治療法が分からない病気や、従来の治療法では効果がない病状の人を専門的に診察する場です。
大学病院でしかできない検査や治療を必要とする病気はあります。
しかしそれが定期的に、つまり急を要しない状態で「毎月」必要とする病態となると私には全く思い浮かびません。

必要のない人が大学病院に通うというのはつまり、必要な人の待ち時間を増やしているということです。
大学病院の待合室での2時間を有効的に過ごそうとするのは素晴らしいことです。
しかしもし大学病院に行かなければ、有効利用を考えずとも待ち時間そのものがぐっと短縮されます。
そして本当に必要な人の待ち時間が何%か減らせます。

今回考えてみたいのはあなたはどの病院に行くべきか、という問題です。
題して「間違いだらけの病院選び」です。

 

(2011年6月10日)


病院選びが一番重要になってくるのは70歳以上の人だと思います。
思わぬ時に思わぬことが起きる可能性が高くなってくる年代。
この年代の方が選択すべきなのは

自宅から近い機動力のある中規模病院か、そこを退職した医師が近所に開業した診療所

です。
診察の時にちょっとした世間話ができる、それくらいの人間関係が主治医との間に築けるとベストです。
大病院ではそうはいきません。
まず、医師の出入りが頻繁で、一人の医師に長期間担当してもらうことが難しい。
それから大病院は往々にして機動力に難があります。
何かがあった時に入院させてくれない。それどころか救急外来にさえ受診させてもらえないことも珍しくありません。
普段の診療では「主治医と患者の人間関係」が大切なのですが、救急の現場では「病院内の医師の人間関係」も大切です。
当直医が違う科の医師であっても、医師同士が信頼し合っていれば「○○先生の患者だったら診てあげよう」と考えます。
科を超えた医師の交流がない病院では「今日の当直は内科なので整形外科の患者はよそに行って」と門前払いされたりするわけです。

科を超えた交流がある規模とは、せいぜいベッド数500までだと思います。

ある病院に通っているからいざという時にはその病院が診てくれる、と盲目的に信じている人もいます。
そうではありません、特に大病院の場合。
必要性もないのに大病院に通院している人はせっかくのカードを無駄に使っていると考えた方がいいと思います。

 

(2011年6月13日)

もう一つ、大病院にかかっている人に知っておいて欲しいことがあります。

大病院には最新の設備があります。治療技術も最新です。
しかし技術にはハードとソフトの両面があります。
大病院には優れたハードがあります、たとえば高性能の検査機械や放射線照射装置。
これらが必要な人は絶対的に大病院に頼らなくてはなりません。
しかし既に確立した技術、たとえば大腸の検査や胆石の手術についてはどうでしょうか。
大病院でこれらの診療を担うのはほとんどが若い医師たちです。
大病院なら最高水準の診療をしてくれるはずという思い込みは、ハード面については当たっていても、ソフト面については正解とは限らないのです。

技術の進化についても大病院と中規模病院とでは方向性がずいぶん違います。
たとえば胃癌の手術だと、大病院では周囲の内臓やリンパ節などを根こそぎ取ってしまう「拡大手術」をよしとする傾向があります。
高度進行癌の治療には必要な手技です。
一方中規模病院では転移や再発の可能性のない早期癌であれば小さい手術を目指します。
体力的にも経済的にも患者の負担を少なくしようというベクトルで動くわけです。

ですから基本的な考え方はこうです。

「大病院でしかできない検査や治療以外は、なるべく中規模病院で受けた方がよい」

 

(2011年6月15日)

普段から大病院にかかっていて、ある時健診で早期胃癌が発見されたとします。
早期胃癌の手術であれば中規模病院で受けた方が入院日数的にも、術後の体力回復度的にも、経済的にも楽です。
ところが大病院から中規模病院に紹介という流れはなかなか難しい。
一方中規模病院から大病院への紹介はスムーズです。
きちんと健診を受けてさえいれば、70歳以上になってから大病院でしか対応できない病気になることはそうそうありません。
つまり普段は中規模病院に軸足を置いておく方が絶対的に有利なのです。

しかし実は中規模病院よりももっといい選択肢があります。

それが最初にちょっとだけ触れた
「自宅に近い機動力のある中規模病院を退職した医師が近所に開業した診療所」です。

 

(2011年6月17日)

(2)

一人の医師に健康管理を任せる事についてはメリットとデメリットがあります。

メリットは薬や検査が少なくて済む。

たとえば医師があなたの胃の粘膜に何か異常を認めたとします。
おそらくは炎症による粘膜の変化で、悪性の可能性は限りなく0。
もしあなたがたまたま胃の検査だけ受けにきた患者であれば、医師としては念のために細胞検査を追加します。
しかしあなたが定期的に通院している患者で、1年後にもきっちりと胃カメラをしてくれると分かっていれば追加検査はしません。
薬でも同じです。
検査でコレステロールが高かった。
あなたがこちらが指示した食事療法や運動療法を守って3か月後に来てくれることが分かっていればすぐ薬を出したりはしません。

お互いに顔が見える関係だと医師はそうそう即座に検査や薬をオーダーしないのです。

デメリットもあります。

医師の思い込みで、必要な検査がおろそかになっていたりするのです。
たとえばある時の検査で、あなたが糖尿病ではないことが確認された。
医師は「この人には糖尿病はない」と思い、次の検査からは糖尿病関連の検査項目を省きます。
良心的な医師としては当然の行為です。余計な検査をする必要はありませんから。
ところが年月はあっという間に過ぎていきます。
「この間検査をしたら糖尿病ではなかった」という「この間」がふと気がつくと5年前だったりするわけです。

これを防ぐためには時々は違う医師にも経過をみてもらうことが必要です。

ころころ主治医が変わるのは困りものです。
しかしずーっと同じ医師に任せきりになるのも危険です。

そこで浮かんでくるのが「中規模病院との関係(コネ)が強い開業医」という選択肢なのです。

 

(2011年6月20日)
 
「白い巨塔」で有名になった大名行列のような教授回診ですが、その目的は患者の経過を第三者の目からチェックすることにあります。
検査計画や治療手順に見落としがないか、違った角度から見直すのです。
回診やカンファレンスなど、入院患者についてはどの病院でも主治医以外のチェックが入る仕組みになっています。
ところが外来患者ではそうはいきません。

ここだけの話ですが、糖尿病や高血圧など、管理がもう一つ上手くいっていないのに「もうちょっとだけ」とずるずると様子を見ている患者を、どの医者も何人か抱えているものです。
患者に「今回は必ずしっかりと食事療法をするから薬だけは勘弁してください」と頼まれ「じゃあもう一度だけ様子を見ましょうか」と譲歩し、その「もう一度だけ」が二度になり三度になりあっという間に1年になったりするわけです。

そういう状況は勤務医であろうと開業医であろうと同じです。
で、状況が同じなのであれば、様々な検査を検査伝票一枚でオーダーできる勤務医よりも、病院に検査を依頼する際には経過を記した紹介状が必要な開業医の方が「経過をおさらいする」機会が多いのではないかと思うのです。
もちろん検査を病院に依頼すること自体が少なくては意味がありません。
そういう意味で「中核病院と親密で良好な関係をもっている」というのが絶対条件なのです。

もう一つ開業医にかかりつけになっておくと有利なポイントがあります。

 

(2011年6月22日)

このシリーズの最初で「中規模病院は大病院に比べて機動力がある」と書きました。

たとえばあなたが高血圧である病院に通院中だとします。
夜中に突然激しい頭痛に襲われたので、病院に電話すると当直は整形外科医でした。
もし中規模病院でその整形外科医とあなたの主治医の内科医が親しければ、「とりあえず診察しましょう、自分の手に負えない状態であれば主治医に連絡します」という流れになるでしょう。
こういう場合もあります。
高血圧で通院中に腰痛に襲われたとします。主治医から整形外科に紹介されて診てもらったところ手術の必要なヘルニアでした。
さっそく入院、手術の手続きをして一つの病院であらゆることがスムーズに片付きました。
こういう機動性は中規模病院の一番のメリットです。

ところが現実には通院中の病院で手術を受けたくないこともあります。
主治医の内科医には満足しているけれども手術するとなればもっと評判のいい医者にして欲しいとか、もっと家の近くの病院がいいとか、個室に入れてくれる病院がいいとか、理由はさまざまですが、こういう要望は実際に数多くあります。
そういった時には逆に医師同士の距離が近すぎることが患者にとっての足かせになる可能性もあるわけです。

そういった時に開業医が仲介役であれば自由度はぐっと高くなります。
「A病院で検査をして手術を薦められたけれども、手術はB病院でしたい」
そんな相談は開業医にとっては珍しくも何ともありません。
その相談に乗るのが開業医の仕事の一つでもあるし、またその段取りにも慣れています。

主治医選びの際に、いろいろ相談に乗ってくれる開業医が近くにいるのであれば、中規模病院の勤務医よりも多少有利かもしれないと思うのは、そういう理由なのです。

 

(2011年6月24日)


神戸元町ダイアリー2011年(2)

超大規模災害に巻き込まれた時、自分が行方不明になったことすら気づいてもらえないのではないか、という不安感があります。
それを思うと国民共通番号制にでもすがりたくなります。
住所がここで誕生日がいつで、親兄弟はこういう人で、こういう職種で何年間年金を納めて、時々病院にかかって……みたいな情報がどこかの巨大サーバーの片隅にでも残されるとすれば、まだ何かの心の支えになるような気がします。

私の個人的な不安感とは別に、共通番号があれば公的な書類が役所ごと流されても被災後の復元が容易だと思います。
共通番号を利用した電子掲示板を国が用意すれば知人の安否も確認しやすいと思います。

番号で管理されるのがいやという人もいるかもしれません。
しかし自分の身体が消滅した時に番号しか残らない状態と、番号すら残らない状態と、どちらが心細いだろうか?という疑問を突き付けられた今回の災害だったと思うのです。


(2011年4月1日)

とてつもなく突拍子もないことを考えています。

近い将来東北地方が復興を遂げた時、国が追悼施設を造るとします。
震災で亡くなった人は当然そこに祀られます。
原発の処置や救難活動や物資輸送の途中の事故で亡くなった人もそこに名前が刻まれるでしょう。
震災によるストレスで自ら命を絶った人も、私はそこで悼みたいと思います。
遠く離れた避難所に送り込まれ、近くには誰も知った人がいなくて、そこで孤独死を迎えた人も祀られる権利があると思います。

で、もし、あくまでも「仮に」の話ですが、政府の上層部の人や東京電力のトップの人が心労のために心筋梗塞で倒れたとします。
現地視察中ではなく、東京の執務室、あるいは自宅で、です。
この人たちを震災犠牲者に含めていいものでしょうか?

つまり、靖国の問題なのですが。

 

(2011年4月4日)

神戸がいつ復興したかと訊かれると非常に難しいです。

個人的に復旧を感じたのは震災の年の4月1日です。
この日JR最後の不通区間だった住吉・灘間が復旧して電車通勤が可能になりました。
同じ日に自宅のガスと水道が復旧しました。
ようやく日常生活に戻れた日でした。

復興となるといつでしょう。
職業によって当然感じ方は違うと思います。
「いまだ復興ならず」と感じている業種もあるかもしれません。
住宅について言えば、六甲道駅南側の再開発が終了したのが2004年。
新長田駅の南側は一部まだ工事中ですが数年前にほぼ今の形が現れていました。
JR芦屋駅南側地区はいまだに再開発するかどうかも宙ぶらりんで低層プレハブと駐車場だらけだったりしますが、これは置いておいて、阪神大震災規模の災害の復興には10年かかったと考えていいと思います。

規模が桁違いの今回の災害の復興にはおそらく倍の年月が必要でしょう。
おそろしく先の長い道のりです。
現地の人に無理をするな、あせるな、と言ってもそれこそ無理でしょう。
支援する私たちにこそ息の長い、地道できめの細やかなサポートの覚悟が必要だと思います。

 

(2011年4月6日)

前回の記事は抽象的できれいごとばかりで意味不明でした。
言いたかったのは二つです。

1)20年間という想像を絶する復興期間、神戸の人こそが支援をする人たちを支援し続けなくてはならない。
2)2028年まで仙台以外の日本の都市はオリンピック開催国に立候補しない。

 

(2011年4月8日)

デアゴスティーニ・ジャパンから「週刊ロボゼロ」というのが発売されています。
毎週少しずつ届けられるパーツを組み立てれば70週間後に最先端ロボットが完成するという謳い文句です。
とても魅力的ですが、70週間後にはもっと技術が進歩していますよね、きっと。
そう思って躊躇してしまいます。
でもいずれはこういう二本足歩行ロボットを買ってうちの悪ネコどもと戦わせたいものです。
買うタイミングはいつでしょうか?

そうです、やはりガンダム型ロボットが発売された時でしょう。
勝手に2年後と推測しています。

 

(2011年4月11日)

皆様、花見には行かれましたでしょうか?
私は趣味の仲間たちと先週行きました。
とっても寒い日でしたし、そもそも花も三分咲き程度でしたし、花見と言うよりは耐寒我慢比べみたいな集まりでした。

しかし散会の時に誇らしく思ったことがあります。
ゴミを残さないのは当然ですが、ゴミを公園に設置してあるゴミ箱にも捨てず、各自がそれぞれ持ち帰ったのです。
特に誰から指示されることもなく。

今回の震災に関して、日本人の節度ある行動が海外のメディアにも多く取り上げられました。
日本人は大災害に際しても略奪をおこなわない。
日本人は届いた援助物資が限られていても奪いあわない。

これからの日本が世界に向けてアピールするべきなのはこういうことだと思うのです。

日本人はゴミを残さない。
日本人は文句を言わない。
日本人は親切。

日本人といると気持ちがいい。

 

(2011年4月13日)

こんなところに映画館がありました!

http://www.motoei.com/

その名もずばり「元町映画館」。
上映時間の設定がいい感じです。
暇を見つけて通いたいと思います。
と言いながらもう既に日参中ですが……。

 

(2011年4月15日)

元町映画館は先週までゴダール特集でした。
日替わりでゴダール作品9本が上映されていたので(短編2本を含む)、日参してそのうちの8本を見たわけです。
ゴダールの映画と言えば訳の分からない作品の代表みたいに言われますが、8本を集中的に見て「確かに訳が分からない」ということがしっかり確認できました。

「訳が分からない」というのは「観客に不親切」と言い替えることができると思うのですが、「不親切」にも二通りあると思います。
ダイエット中と知らずにチョコレートをおすそわけしてしまった、そんなうっかり不親切と、知っていてわざとプレゼントする意地悪な不親切です。
私はゴダールの不親切さには「意地悪さ」が感じられて仕方がないのですが、ファンの方はいかがでしょうか。

 

(2011年4月18日)

ゴダールの「気狂いピエロ」はビデオやDVDで何度か観ましたが、劇場で観るのは初めてでした。
スクリーンで見るとあらゆるシーンの映像がとても細やかで色彩豊かです。
この海の色であれば何となく分かるような気がします。
破滅の場所を捜し求めての二人の逃避行だったのだなあ、と。
裏切る場所、殺される場所、殺す場所、自爆する場所。
そんな青でした。

一方、ゴダールのやかましさにも驚かされました。
全体的に強い音は高音が強調されていて、叫び声でも銃声でも他の映画より数段耳障りです。
特に「ウィークエンド」はすさまじいです。
有名な渋滞シーンでは数十分間クラクションが鳴り続けます。
それに金切り声、怒鳴り声、サイレン、銃声が重なり、これでもかこれでもかと鼓膜を痛めつけてくれます。

本来静かなはずのシーンでも時々意味もなく電話がなったりホラーチックな音楽が鳴り響いたりしてぎょっとさせます。
でもこれも劇場で体験して理解できました。
これは「目覚まし時計」なんですよね。
ゴダールも自分のやっていることがそうそう面白くはないと自覚しているのでしょう。
だから時々大きな音を立てて眠気を覚ましてやろうとする。

とすると前回書いた「ゴダールの不親切は意地悪な不親切だ」という考えは撤回すべきかもしれません。
一応客のことも考えてくれているみたいです。

ただ、ゴダールさん、人の眠気を覚ます方法は大きな音を立てる以外にもあるんですよ、ということだけは言っておきたいです、はい。

 

(2011年4月22日)

訳の分からない映画でもラース・フォン・トリアー監督の作品は群を抜いています。
今回上映された「アンチクライスト」もすさまじいものでした。

幼い子供を死なせてしまった夫婦が魂の救済を求めて「エデン」という名の森にこもります。
カウンセラーでもある夫は妻のためにさまざまなセラピーを施します。
ところが妻のためのはずのセラピーが彼女自身と彼女の過去から「悪魔的なるもの」を引きずり出してしまいます。
「エデン」に住むのは神と天使だけではなかったのです。
夫はその「悪魔的なるもの」に翻弄され、後には導かれ、ついには「負」の解脱に至り、最後は「アンチクライスト」の伝道者として下界に降臨する……というのが最も素直な解釈でしょう。
ところがドラマのシリアスさに比べて夫のキャラクターが薄っぺらに善良でアンバランスすぎます。
本当は、ラストの行動に至るまでの夫の自己弁明に満ちた妄想、と解釈すべきかもしれません。

いずれにしても、映画の後半では徹底的に過激で容赦のない残酷描写が続きます。
しかもこれらの暴力には一切の理由付けがなされません。
これは結構厳しいです。

不親切とか意地悪とかというレベルを超えて、観客への憎悪や殺意すら感じてしまうのです。

 

(2011年4月25日)

覚書です。

http://jech.bmj.com/content/early/2010/10/18/jech.2009.095802.short?rss=1
妊娠中に多量に喫煙していた母親から生まれた子どもは犯罪常習者となる可能性が高い。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1002861
公共の場の喫煙を禁ずる禁煙法施行後、増加傾向にあった小児喘息の入院件数が減少に転じた。

 

(2011年4月26日)

今年は作曲家マーラーの没後100年に当たり、あちこちでマーラーの曲が演奏されます。
そんな中の一つ。

■ 公演日:2011年5月8日(日)
■ 時間:開場15:00/開演16:00
■ 会場:兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
■ 指揮:黒岩 英臣
■ トロンボーン独奏:呉 信一
■ 曲目:
L.グレンダール: 
トロンボーン協奏曲 
G.マーラー: 
交響曲第6番イ短調「悲劇的」

マーラーの6番は演奏時間80分を超える長大な曲ですが、ありとあらゆる「音」が詰め込まれた新世紀の音楽だと思います。
実験であり、革命であり、進化であり、熟成であり、腐敗であり。
お暇ならどうぞ。
ただし満席の場合は当日券は発売されません、ご注意ください。

 

(2011年5月6日)

数年前に細菌学者が新聞に寄稿していました。

日本には生食肉の基準はあるが、申請された実績は0である。
だから焼肉店などで出される生肉は「あるはずがないもの」であって、それを食べるのは細菌学者的には自殺行為に思える。

とのことでした。
記事を読んだ当時は「また学者先生が浮世離れしたことを書いているなあ」と思いましたが、今になってみると先生が正しかったようです。
私は最近生肉が美味しいと思わなくなってすっかり食べなくなってしまいましたが、ユッケファンのみなさんは今後は基準を満たしたものを注意深く選択する必要がありそうです。

 

(2011年5月9日)

マーラーの交響曲第6番ですが、第1楽章の途中に曲が静かになってカウベルがころりんころりんと響く場面があります。
ここでのマーラーの注意書きです。
「ある時は一つとなって、ある時はばらばらになって遠くから(高く、また低く)響きわたってくる、放牧牛の音をリアルに模倣して」
カウベルの音だけではなく角笛風のフレーズも重なり合って、誰が聞いてものどかな草原の風景が浮かんでくるのではないでしょうか。

ところがマーラーの注意書きはまだ続きます。
「だが、この技術上の指示は描写的な解釈を許すものではないということを、はっきりと述べておく」

牧歌的な雰囲気は醸し出さなくてはならないが、牧歌的風景を描写しているわけではない。
安易に牧歌的情景を想像して欲しくないと釘を刺しているわけです。
音楽は純粋に音楽だけで成立するべきであるという正統派交響曲作家としての信念がうかがえるコメントかもしれません。
しかしここまで牧歌風パーツ音を詰め込んでおいて、具体的な田園を思い浮かべるなというのもまた無理な話ですが。

ここまで考えてふと宗教との類似性に思い至りました。
キリスト教も本来は偶像崇拝を認めていないはずですが、現状は全くそうではありません。
どんなに偶像を禁じられても、人は何か形あるものを思い浮かべてそれにすがりたくなるのです。

音楽でも信仰でも、完全なる抽象に身をゆだねるのはなかなか難しいです。

 

(2011年5月11日)

アメリカのオサマ・ビン・ラディン氏暗殺について否定的な論評をあまり目にしません。
「暗殺」はあまりよくないことだと思い込んでいたのに、突然価値観がひっくり返されたような気分です。

これまで「抑止力」という名目で核という大量破壊兵器を公然と所持していたアメリカが、今度は暗殺という手段も公然と行使すると宣言したわけです。
暗殺を公然と認めた国家なんて世界史上初めてではないでしょうか。
しかもそれに対してどの国も強い批判を見せません。
自衛手段の一つとして暗殺という手法が公に認められたと考えるべきなのでしょう。

冷戦下、ののしり合っていた米ソでも国連などでは一応大義名分を振りかざしていました。
しかしこれからは大国の振る舞いには大義名分すら必要なくなったわけです。
冷戦時代の緊張感すら突然ノスタルジックでのどかな情景に見えてくるような、今回の歴史的大事件だと思うのです。

 

(2011年5月16日)

以前から分からなかったことがあります。

冷戦時代(もそれ以降も)、どうして核が抑止力たりえたかという疑問です。
粛清という名のもとに数百万人の自国民の命を奪ったソビエトがどうして核爆弾を恐れる必要があったのでしょう。
ソビエトからすると、アメリカに向けて大量の核ミサイルを配備すればアメリカに対しては抑止力が成立します。
しかしソビエトに向かってミサイルをいくら並べてみても、国民の命の価値も低く、土地もいくらでもあるソビエトが恐れをなしたとは思えません。
抑止力が成立するとすれば、どこを爆撃すればソビエトの国体が維持できなくなるかという情報をアメリカが握っていて、そしてそれをソビエトも知っている、その条件が満たされた場合だけだと思うのです。
つまり抑止力の本質は核兵器にあるのではなく諜報力にあると考えた方が理解しやすいです。

今回の暗殺もその流れに沿っていると思います。
アメリカがおおっぴらに他国在住の政治的要人を殺した。
当然反アメリカ勢力は同じ手法で報復を試みます。
しかし「いつ誰をどのように暗殺すれば相手に対して最大のダメージを与えうるか」を判断する戦略能力と「標的がどこにいるか」探り出す情報能力と「どうやって暗殺するか」という作戦を企画して遂行する実戦能力と、その三つがなくては効率のよい反撃は行えません。
つまりアメリカは今回、反アメリカ勢力との諜報力の圧倒的な差を確信したからこそ行動に踏み切ったということなのでしょう。

軍事力ではなく情報力こそが国家間のトラブルを終結させるというのが時代の流れなのであれば、日本の国防費の使い方も兵器などのハードから諜報活動などのソフトにシフトするべきかもしれません。

 

(2011年5月18日)

日本赤十字社に集められた募金はそっくりそのまま義援金として使われるらしいです。
てっきり人件費や経費は差し引かれるものと思っていましたが、全くの思い違いでした。
人件費などは赤十字社本体への寄付金からまかなわれているそうです。

ところでそろそろ「募金」や「チャリティー」の定義付けをしっかりした方がいいと思います。
集められた金額を全額被災者に渡す「募金」と、経費を差し引く「募金」と、区別できる気の利いた名称があるといいのですが。
「チャリティー」もそうです。
私は出演者が謝礼を受け取ったからといって偽善などとは全く思いません。
しかし出演者が交通費を含めて一切金銭を受け取らない「チャリティー」と、謝礼を受け取る「チャリティー」と、さらに主催団体がある程度収益を上げる「チャリティー」と、呼び名だけははっきり区別しておくべきだと思います。

 

(2011年5月23日)

ジョゼフ・コンラッドの「ロード・ジム」を読みました。

ジョゼフ・コンラッドと言えば「地獄の黙示録」の原作「闇の奥」の作者です。
あの映画の原作者が面白い小説を書くわけがないし、しかも海洋物だし、自分からは決して手に取る事はなかったであろう小説でした。
が、読んでみると二重三重の入れ子構造が妙に心地よくて。

ただカバーの宣伝文句には「名誉を回復するために夢を追い続ける男の話」のように書いてありますが、受けた印象では「何かから逃げ続けている男の話」でした。
何かを追いかけるというのはもしかすると何かから逃げるというのと同義語なのかもしれません。

ところでこの1冊をもって河出書房の世界文学全集30巻が完結しました。
第1巻を読み始めたのが2007年の11月ですから三年半の充実した読書体験でした。
池澤夏樹さん、ありがとう。

 

(2011年5月25日)

河出世界文学全集と並行して読んできた「フロイト全集」もそろそろゴールが見えてきました。

今回読んだ第3巻には興味深い論考がいくつか含まれています。
たとえば、繰り返し見る夢についての分析。
「小さい頃から繰り返し夢に見る光景があるのだけれど、どういう意味があるのでしょう?」
フロイトはある被験者から相談を受けて分析を始めます。
すると意外な事実が浮かんできました。
小さい頃から見ているはずの夢に、その頃に見知っているはずのない風景や状況や人物が登場しているのです。

夢ではさまざまなことが変形されます。
登場人物が入れ替わったり、出来事がデフォルメされたり、因果関係が入れ替わったり。
フロイトはこう結論します。
「その夢は小さい頃から見ているわけではない。小さい頃から見ているように記憶を捏造されているのだ」と。

私にも小さい頃から時々見る夢があります。
しかしそれはフロイトによると、実際に小さい頃から見ているわけではなくて小さい頃から見ているような気がしているだけ、という事のようです。
記憶の捏造。
まるでフィリップ・K・ディックのSFに出てくるような現象が私の心の中でも起きているのだそうです。

 

(2011年5月27日)

不思議な夢と言えば、よくあるのがこういうパターン。

以前お世話になった人の夢を見ていたら電話が鳴って目が覚めた。
電話はその人が亡くなったことを告げる内容だった……。

これもフロイトが調べてみると面白いことが分かりました。
夢の内容を詳しく問いただすと、夢の舞台は確かに実在するけれどもそこに一緒に行ったのは亡くなった人ではない。
亡くなった人の言動もその人らしくない。
よくよく考えてみると夢に出ていたのはどうやら全くの別人だったようなのです。
それがお世話になった人の訃報を聞いた瞬間に記憶が変造されます。
おそらくは連絡を怠っていた不義理を悔やむ気持ちを「そんなことはない、夢に見るくらい常に心に留めていた」と打ち消すためなのでしょう。

無意識の自己弁護による記憶の捏造がこのオカルティックな現象の原因なのだそうです。

 

(2011年5月30日)

フロイトくらいならまだいいのですが、最近の精神科用語を見ていると頭が痛くなります。
「統合失調症」とか「解離」とか、理解してもらおうというスタンスのネーミングなのか、それとも理解されたくない故のネーミングなのか疑わしい場合もあります。
おっと精神科だけではありません、内科でも同じでした。

たとえば「機能性ディスペプシア」。
こんな病名を宣告されれば誰だって「余命3カ月か?」と焦ってしまうのではないでしょうか。
実はこれは「原因のよく分からない胃腸の不調状態」に付けられた病名です。
以前なら「慢性胃炎」と呼ばれていたものですが、胃カメラで検査をしても炎症が認められないので胃炎と呼ぶには差しさわりがある、という理由で新しく命名されたようです。
それはまあよく分かるのですが、「胃カメラでは正常だけれど何か調子が悪い」という症状にこんな大仰な名前を付けなくってもと思ってしまいます。

それから病名によく付けられている「特発性」、これも非常にスペシャルな語感がありますが、実は「原因がよく分からない」という意味です。
「特発性眩暈」と言われればものすごい難病のように聞こえますが、単に「原因がよく分からないのに目が回る」状態です。
で、「目まい」は原因が分からない場合がほとんどですので、大抵の目まいは「特発性眩暈」という事になって、実情と語感と、かなり印象が異なってきます。

総じて言えるのは「人間は訳の分からないものに大げさな名前を付けたがる」ということでしょうか。(6月1日)

好き嫌いの激しい男は嫌がられますが、ここまでになるとあきれるしかありません。

男「お待たせ、今日は何を食べに行こうか」
女「焼肉が食べたいな」
男「ユッケがあれだけ大問題になったこの時期に焼肉だって? 僕を殺す気か?」
女「焼肉じゃなくてもいいわよ、あなたは何が食べたいの?」
男「焼肉屋に行くと髪の毛や服が臭くなるからいやなんだ」
女「だから何が食べたいの?」
男「考えてみれば焼肉屋って生肉を客の前に出すだけで、実際に作るのは客だぞ。食べ物屋ならちゃんと料理してから出せよ」 
女「はいはい、じゃあ何が食べたいか教えてちょうだい。中華料理? イタリア料理?」
男「ビビンバもそうだ、ちゃんと混ぜてから出して欲しいよな」
女「あなたが焼肉を嫌いなのは分かったから何が食べたいかだけ教えて」
男「大体焼肉屋って、タンはネギを巻いてさっと炙れ、とか講釈もうるさいんだよ」
女「食べたいものがないんなら家でTVゲームでもやってろ」

お粗末なコントでしたー。
タイトルは「内閣不信任案」です。

 

(2011年6月3日)

官邸や東電の「言った言わない」の話題がしばらく新聞紙面を騒がせていました。
「あなた、今日はまっすぐ帰るって言ったでしょ」
「帰れたら帰るって言っただけだよ、急な接待が入ったんだ」
つまり政治や原子力発電所を担うトップが、こういう夫婦の口喧嘩みたいなことをしているわけです。

しかしよく考えてみれば「責任ある決断は自分では下したくない」「不都合な過去はなかったことにしたい」というのは人類に共通する特質で、断言しますが、私もそうです。
問題は政治のリーダーも大企業のトップもそうだという点です。
私たちはこれまで何故か政治家や社長には高邁な道徳性を求めてきました。
何の根拠もなく彼らは清廉であるはずだと思いこんできたわけです。
しかしそろそろ考え方を改めるべきではないでしょうか。

政治、原子力、防衛、司法などについては「上層部が嘘つきでも大きな被害に結び付かない」仕組みを作り上げるべきだと思います。
政治家に「正直さ」という必要でもなければ現実性もないものを求めるよりも、嘘をついたらすぐバレるシステムを早く導入した方がいいと思うのです。

 

(2011年6月6日)

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