海外の長篇小説ベスト100(第76位〜第80位)

第76位

パール・バック「大地」(新潮文庫)

30年ぶりの再読です。
全4冊、親子三代に及ぶ大河大長篇ですが意外と面白く読み終えたのを憶えています。
今回読んで思ったのは貧農からのし上がっていく一代目の部分が一番面白くて、軍人になって中国制覇を夢見る二代目の部分は戦闘シーンが少なくて拍子抜け、革命に巻き込まれていく三代目では主人公があまり能動的ではない上に革命自体も閉塞感をもって描写されているために全体に暗い。
最初はぞくぞくするほど面白いのに読み進めるにつれて徐々に退屈になってくるという印象でした。
30年前は本当に全部読んだのでしょうか、疑わしく思えてきました。

物語としては尻すぼみですが、驚かされたこともあります。
第3部では当時革命が直面していた難題が数多く描写されますが、それらは今の中国にもそっくりそのまま残っています。
冷徹な視線で描かれた小説は時として優れた預言書になるということなのでしょう。

 

(2011年5月12日)

第77位

アンドレ・ジッド「狭き門」(新潮文庫)

有名な作品なのに、実は初めて読みました。

ジェロームはアリサを愛し、アリサもジェロームのことを愛しているはずなのに、なぜかアリサはジェロームの求愛を拒み続けます。
拒んで拒んで拒み続けてアリサはとうとう病死してしまいます。
ジェロームの手元にはアリサの日記が残されました。
さあアリサがジェロームの愛を拒み続けたその理由とは……? というストーリー。

ミステリファンとしてはあっと驚くような真実を期待してしまいます。
本編とはあまり関係のないアリサの母親の半生も伏線として描かれていますし、母親が「意外な真実」にどう絡んでくるのだろう?
ってミステリファンじゃなくても謎解き篇に期待がふくらみますよね?
ところがアリサが愛を拒んだのは、ある意味確かに奇想天外な理由からでした。

これが小説として成立するためにはいくつか条件が必要だと思います。
まず「個人の欲望を諦めた先にこそ本当の幸せがある」という考え方がさほど突拍子でもなく思える、時代の革命的空気。
次に欲望と完全に無縁な恋愛はありえないと盲目的に信じる、空想的潔癖さを持つ読み手。
日本でいうと60年代に中学生、高校生だった人にしか「名作」でありえない作品だと思ったのですが、いかがでしょう。
今の中学生の感想を聞いてみたいところです。

 

(2011年3月9日)

第78位

ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」

あの「アリス」が果たして世界100大長篇に数えられるような小説なのだろうか?
そんな素朴な疑問とともに読み始めました。
ちょうど手元に英語版があったので原文でチャレンジです。

原文だとストーリーがどんどん進んでいくところは何とかついて行けても、突拍子もないキャラクターたちの延々と続く言葉遊びの部分では手も足も出ません。
あまりにちんぷんかんぷんなので詳細な注釈つきの訳文に助けを求めて、そのまま訳文を読み進めて、それでは格好がつかないから最終章だけもう一度原文に戻ってようやくフィニッシュです。

そういうわけで「アリス」の文学的価値は結局分からずじまいでしたが、望むならフロイトにこの作品を分析して欲しかったです。

 

(2011年3月7日)

第79位

ホメロス「オデュッセイア」(岩波文庫)

これも3年ぶりの再読です。
こういうアクション大作は再読の方が楽しめます。
重要でないところをどんどん斜め読みできるので、自分で物語のスピード感を調節できるからです。
それにしても圧倒的な迫力!
オデュッセウスが耐えに耐えて、ついにクライマックスで爆発するこのカタルシス。

有名な題材だけに何度も映画化されていますが、小学生の頃にTV映画劇場で観たクライマックスのシーンがいまだに忘れられません。
きっと54年制作のカーク・ダグラス版だったのでしょう。
さすがにレンタルショップにも並んでいませんが、もう一度見てみたい作品です。

 

(2011年2月25日)

第80位

ギュスターヴ・フローベール「感情教育」(岩波文庫)

フランス、パリ。歴史が激しくうねる二月革命前夜、一人の青年が美しい人妻に恋をする……。
と書くと世間知らずの若者が革命と恋を通して成長していくビルドゥングスロマンを思い浮かべますよね、普通。
ところが革命下の民衆の生活はそれなりに描かれるものの、主人公は革命に全く興味を示さない。
遺産があるので生活にも困らず、仕事にもつかず、外交官や代議士など楽そうな職業に興味を示すけれども、実際にその職に就くために努力をしようとは一切しない。
人妻を最後まで想い続けるけれども他の人も好きになる。
人に好かれるために自分を高めようとも思わない。
成長しない。
成長しようとも思わない。

感情移入を100%拒む主人公のキャラクター設定です。
彼に感情移入するためにはかなりの「感情教育」が必要な小説、きっとそういう意味のタイトルなのでしょう。

 

(2010年12月24日)

「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」<第81位〜第86位<main>第71位〜第75位


「罪と罰」を読む(第3部第3章)

第3部第3章(第2巻71〜103ページ)

(51)

この章ははっきり言ってあんまり面白くありません。
第2章はラズミーヒンとドゥーニャとプリヘーリヤの会話からなっていました。
そこではルージンの手紙の件が語られ、ラスコーリニコフの婚約者の話やマルファの死について語られていました。
この章ではラスコーリニコフとドゥーニャ、プリヘーリヤが会話します。
そこでさっきの話題がそっくりそのまま繰り返されるのです。
それぞれ第2章より少しずつ詳しく語られます、しかし内容は同じです。

たとえば66ページで触れられたドゥーニャの時計について、91ページではそれがマルファから贈られた物であることが説明されます。
同じ話題が同じように流れて、少しずつ変化をつける、どうやらドストエフスキーが敢えて狙った技法のようです。
ただ、その効果がもう一つ分からないのがもどかしいところです。

 

(2011年3月11日)

(52)

妙な描写があります。
72ページです。

腕に包帯こそ巻いていないし、タフタ布でできた指サックもつけてはいないが、彼は、たとえば指が膿んでおそろしく痛むとか、腕をこっぴどく打ちつけたとか、なんにせよ、そういったたぐいの病人にそっくりだった。

彼は熱病か全身衰弱で倒れました。腕を怪我したわけではありません。
ところがラスコーリニコフは指か腕を何かからかばおうとしています。
一体何から?

そうです、彼は母親と妹の視線から手をかばおうとしてるのです。
犯行の露見は恐れても犯行そのものを悔いてはいないラスコーリニコフですが、彼が自分のおこないを本心ではどう感じているかが表れている数少ない箇所の一つです。

 

(2011年4月27日)

(53)

面白くないと言いながらこの章ではもう一つ興味深い記述があります。
例によって取りとめもない世間話の中でプリヘーリヤがマルファの死について触れます。

「ほら、あの怖ろしいご亭主、どうもあの人が原因らしくてね。なんでもあの人が、マルファさんをひどくぶったとかいう話で!」

ルージンには強い拒否反応を見せるラスコーリニコフですが、スヴィドリガイロフ夫婦にはあまり興味を示しません。
「あのふたり、そんなふうだったの?」と、おざなりな相槌です。

強い反応を示したのはドゥーニャの方でした。
「いいえ、むしろ逆よ。あのご主人、奥さんに対してはいつもすごく辛抱づよくって、礼儀正しいくらいだった。たいていは、あの奥さんの性格に対して度がすぎるくらいに低姿勢だったの、まる七年も……なにかのはずみで堪忍袋の緒が切れたのね」
これにはラスコーリニコフも「やつを弁護しているみたい」だと驚きます。

プリヘーリヤの手紙では、女たらしのスヴィドリガイロフが一方的にドゥーニャに言い寄ったかのような書きぶりですが、母娘の態度の違いから想像するに、どうやらそれほど単純な話ではなかったようです。

 

(2011年5月2日)

プロローグ<第3部第2章<main>第3部第4章


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