神戸元町ダイアリー2011年(1)

あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
さて電子ブックですが、全ての機種がまだ1ページ表示を基本とした仕様のようです。
以前から何度も書いていますが、日本の誇るべきコミックという、自由な表現性と高い技術力を共に活かした「片面A4判の見開きタイプ」をいち早く開発して欲しいものです。
そしてその時にはぜひ譜面台に置ける軽さを達成して欲しい。
そうなれば楽譜の電子化も実現します。
すでに楽譜の表示や書き込みが可能なソフトは存在しているようです。
しかし表示されるのがA4判1ページでは普段の練習には全く使えません。
楽器の練習のためには2ページ同時表示が絶対的に必要です。
コミックと楽譜、両方に活用可能な端末が少しでも早く発売されますように。
これが私の今年の初夢です。

 

(2011年1月5日)

やっぱりラーメンとお笑いだと思うのです。
他のジャンルだと人と語り合おうと思った時に、知識の蓄積量や技術レベルの判定力が同等な相手でないと話がかみ合いません。

「あのピッチャーすごいね」
「インコースのストレートの切れ味が抜群だろ」
「一球投げるごとに帽子が落ちるから拾うのが大変そう」
「スライダーのコントロールが今イチなのが難点かな」
「自分にあったサイズの帽子をかぶればいいのに、きっと何でもワンサイズ上のものを買っちゃう人なんだろうね」

とか

「これいい歌だね」
「イントロはLAメタルのパクリすれすれだけど、サビへの持って行き方は懐かしのアイドルポップの定型通りって感じだ」
「切ない歌詞がいいでしょ」
「ひとりぼっちの「ひと」のあとでブレスするのはどうかなあ」
「この人の歌を聞くとホントに元気が出るよ」
「最高音のBの音程が定まればもっと安心して聴けるのに」

でも漫才コンビについて話す時に
「昔いとしこいしがやっていたネタをダウンタウン風にシュールにアレンジした感じだ」
なんて言っても「おっさん引っ込め」と言われるだけですし、ラーメンを食べながら
「豚骨と魚のダブルスープまではまだ普通の発想だけれど、魚系スープから敢えて煮干しを外した試みがいい方向に生きている」
なんて言おうものなら「黙って食え」と言われるのがオチです。

しゃべりの技術が分かっても分からなくても、ラーメンを何百軒も食べ歩きしようとしてなかろうと、お笑いとラーメンだけは老若男女、年齢も肩書も一切関係なく同じ土俵で話できるからすごいと思います。
M1グランプリが終わってちょっと残念だな、というお話でした。

 

(2011年1月7日)

あれから16年が経ちました。
ついさっきまではこの欄で震災にまつわるいろいろな思い出を書こうと思っていたのですが、実際にキーボードに向かうとあの時の記憶が自分の中でまだ客観化されていないことに気づかされました。
いつか客観化される日が来るのでしょうか。

 

(2011年1月17日)

百田尚樹の「ボックス!」を読みました。この人の作品はストレートで熱くて好きです。

読みながら感じさせられたのは、いかに自分が恵まれた立場にいるかということでした。
私たちは小さい頃から「努力すれば必ず報われる」と教わってきました。
しかし現実は違います。
徹夜で試験勉強をしたのに、遊んでばかりいた友だちにテストで負けてしまう。
必死でドリブルの練習をしたのに、レギュラーに選ばれない。
私たちは努力の無力さを実感させられ続けて大人になってきました。

しかし今、大人になって初めて、努力が正当に報われる状況にいます。
簡単な内視鏡手術だと、ベテランの医師よりも小さい頃からTVゲームをやり慣れている若い医師の方が操作が上手だったりします。
しかし診断力については20年の経験を積んだ医師が5年目の医師に負けることは絶対にありません。
音楽でもそうです。ものを言うのは努力の蓄積量だけです。
私もかつては、音楽では努力よりも才能が大切かもしれないと思っていましたが、今ではそれが完全に間違いだと分かっています。
音楽でもおそらくスポーツでも、努力する才能はある。でも努力しないで済む才能というのはあり得ない。

努力が実らず無力感に沈んでいる若い人たちに言いたいです。
早くこっちの世界に来い。努力が正当に認められる世界はちゃんとある。
真っすぐ前だけ見ていればその世界がすぐ目の前に広がっているのが分かるはずだ!

とまあ、そんな風についつい熱くなってしまう、それが「ボックス!」の魅力です。

 

(2011年1月19日)

意外なことに、オーケストラ奏者で声楽曲が好きな人は少数派です。
声楽曲というのは人の声が入った曲全般で、ピアノ伴奏でしっとりと歌われるシューベルトの歌曲も、教会で歌われる讃美歌も、ド派手な演出で上演されるオペラも全てこの範疇に入ります。
そして声楽が好きな少数派がさらに二種類に分かれるような気がします。

オペラが好きな人と、歌曲が好きな人。
なぜかこの両者は相いれないようです。

私がそのどちらに属するかは置いておいて、この週末にこんな演奏会があります。
プログラム2曲目に演奏されるのが、大オペラ作曲家ワーグナーによる歌曲。
なかなか演奏されることのない珍しい曲です。
ワーグナーはちゃんとした歌曲を書いたのでしょうか、それとも小型のオペラを書いたのでしょうか。

 

(2011年2月2日)

歌曲派は「オペラはうるさい」とよく言います。
オペラ派は「歌曲には物語性がないので面白くない」と言います。

実は私はオペラ派なのですが、たとえば本来ならCD3枚組くらいの長さのオペラを1枚に収録した「抜粋版」ならぎりぎり許せます。
しかし「トスカ」から2曲、「ラ・ボエーム」から1曲、などのようなアリア集だと全然聴く気になりません。
詩よりも小説が好きだからなのかな、と勝手に自己解釈していますが本当はどうなのでしょうか。

 

(2011年2月4日)

メモリーカードには容量が明記してあるので進化ぶりがよく分かります。
大体1年で倍になっているような感じです。
スマートフォンを操っている人を見ていると、携帯機器の通信速度の進化具合もよく分かります。

よく分からないのは電池の容量です。
最近では単1とか単2の電池を見ることが少なくなりました。
きっと大抵の電気製品が単3や単4で十分動くようになってきたからでしょうが、それが機械自体の電気効率がよくなったからなのか、電池の容量が増えてきたからなのかよく分からないところです。

よく分からないながらも進化に驚かされるものがあります。
キャリーバッグです。
20年前だったらバッグを3メートルもゴロゴロすれば、あんな小さな車輪はすぐ弾け飛んでいたと思うのです。
いつの間にか金属は硬くしなやかに丈夫になったんだなあ、そう感心させられるのです。

 

(2011年2月16日)

電池の容量の進歩について前回書きましたが、もう一つ進歩して欲しいものがあります。
パソコンや携帯電子機器などのACアダプタです。
交流を直流に変えるために必要と言われて何となく我慢してきましたが、メーカーの人たちはあれをもっと小型にしようという努力はしているのでしょうか。
これだけ技術が進歩しているのにちょっと旅行に行こうと思ったら電子機器の数だけACアダプタを持ち運ばなくてはなりません。
かさばるし重いし互換性もないし、メーカーの人たちは旅行したことがないのかと疑ってしまいます。
機械の必要電圧を自動的に読み取って変圧する汎用型アダプターを開発して、日本の電機メーカーはコネクタを統一してはどうでしょうか。
パソコンだろうと携帯電話だろうとデジカメだろうと音楽プレイヤーだろうと携帯ゲーム機であろうと、日本製であればACアダプタはこれ一つで大丈夫、そういう規格があれば世界市場でも大きなセールスポイントになると思うのですが。

 

(2011年2月18日)

試験問題漏洩(?)事件で京都大学が警察に届け出たことを聞いて驚いた人は多いのではないでしょうか。
東京の大学ならともかく、あの京大ですよ。
カンニングを当局に訴えるなどという無粋なことはしないと思い込んでいたのですが、私の勝手なイメージだったのでしょうか。
京大ならてっきりカンニング犯に挑戦状を叩きつけるものと思っていました。

受験生は電子機器を持ち込んでもいいが試験時間中は電源を切ってカバンに入れる、という前提のもとで、

1)大学側は在学生と教官共同でハイパーカンニング対策チームを作る。
2)対策チームは教室内には立ち入らないでカンニング犯の座標特定を行う。
3)特定された受験生が電子機器を身に着けていた場合、もしくはカバンに入れていても電源を切っていなかった場合、その時点でカンニングと見なし失格とする。
4)金属探知機の使用や監視員による無差別的な持ち物検査は行わない、あくまでも摘発は教室外からの座標特定のみによるものとする。
5)この条件でなお学外と情報をやり取りし得た場合は正当な受験と見なす。

工学系レベルに自信のある大学ならこう取り決めた方がかっこいいと思います。

 

(2011年3月2日)

携帯電子機器はどんどん小型高性能化し、通信システムもどんどん進化しています。
検索エンジンを使えば日常のちょっとした疑問はすぐ解決します。
こうした状況ではカンニングに対する抵抗感が小さくなるのも当然かもしれません。

しかし受験生に言いたいのは、カンニングしてまでしがみつくような試験はないということです。
前にも書いたことがありますが、努力を続けていればちゃんと報われるような時代がやってきます。
若い頃には理不尽な選別に苦しむこともありますが、真っ当な努力こそが実を結び……、

などと書きながらふと思いつきました。

医師国家試験は大丈夫でしょうか。

 

(2011年3月4日)

毎年恒例の芦屋市民オペラですが、終演後歌手のみなさんと一緒に募金をよびかけることになりました。
芦屋市民オペラも阪神・淡路大震災からの復興を願って企画された催しです。
音楽の力を信じる多くの人の協力のおかげで第10回まで続けることができました。
被害に遭われた方々にまだ音楽を楽しむ余裕はないでしょう。
実際芦屋市民オペラが動き出したのも震災6年目のことでした。
しかし私たちは信じています。
いつか音楽の喜びを分かち合える日が来ることを。

ご協力をお願いします。

 

(2011年3月14日)

あちこちで募金の呼びかけが行われています。
16年前には全国の人たちの善意に本当に助けられました。
精いっぱいの恩返しをしたいと思います。

と言いながら、我ながら浅ましいのですが、街頭募金の真正さを疑う自分がいて恥ずかしい限りです。
集まったお金を間違いなく100%被災地に届けてくれる、そういう団体を選びたいと思ってしまうのです。

21日の公演では募金の場に 芦屋市職員に立ち会ってもらって、集まったお金はそのまま芦屋市経由で被災地に届けられます。
安心してご協力ください。

 

(2011年3月16日)

献血を通じて被災地の人を支えようという考え方もあります。
実際に神戸の献血ルームにも大勢の方が来られているそうです。
ところが輸血用の血液には使用期限があります。
また一度献血すると献血の種類によって異なりますが一定期間献血できなくなります。
今献血する人が集中してしまうと、今度は4月、5月に輸血用の血液が不足することになります。
献血を考えている人は2週間から2か月我慢して、その間しっかり栄養を取っていい血液を作ることに専念した方がいいと思います。

 

(2011年3月18日)

3月21日は大勢の方が募金に協力してくださいました。
本当にありがとうございました。

驚いたのは「信用できる募金の場を与えてくれてありがとう」と逆に感謝されたことです。
やはりみなさん、募金はしたいけれどどこを信用していいか分からなくて困っていたようです。

さて集まったお金ですが、今はとにかく行方不明の方々の捜索を第一優先に使って欲しい。
次の段階では被災者が必要とする物資に使って欲しい。
そしてさらに次の段階では復興のために使って欲しい。

それぞれのタイミングで最も有効な協力ができるように今のうちにベストな募金先を探しておくのも私たちの役割かもしれません。

 

(2011年3月23日)

オペラの打ち上げのあと、歌手の方々とカラオケに行きました。
プロの歌手にカラオケを歌ってもらおうなどと大それたことを企んだわけではありません。
公演の録画をカラオケ店のモニターに映して早速の上映会を行おうと思ったのです。
ところが端子の関係でビデオカメラが店のモニターに接続できず、上映会が行えなくなってしまいました。
本業の方に「歌ってくれ」と頼むわけにもいかず、さあ困ってしまいした。

困り果てる私を助けるかのように歌手のみなさんが曲を予約し始めました。

いえ、私の困惑など関係なかったようです。
がんがん予約を入れてマイクを奪いあうようにがんがん歌っていきます。
クラシックの声楽家がカラオケなど歌うはずがない、というのは私の単なる思い込みだったようです。
結局歌手のみなさんは4時間歌い続けました。

ちなみに全曲アニメソングでした。
それにしてもいいものを聴かせてもらいました。

 

(2011年3月25日)

整形外科ほどではありませんが、胃腸科も検査や治療のために放射線を浴びる機会が多い科です。
ですから「シーベルト」という単位は分かるのですが、「ベクレル」という単位には耳馴染みがありませんでした。
「シーベルト」がその場に飛び交っている放射線の強さを表す単位とするなら、ある物質がどれだけ放射線を発するかを表すのが「ベクレル」です。
「ベクレル」は主に水や食物への付着物質に関して使われていますから、ものすごく簡略化するならば、人体を外から蝕むのが「シーベルト」で中から傷つけるのが「ベクレル」という理解でいいと思います。

原発関連のニュースで難しいのは「シーベルト」と「ベクレル」の単位の互換が簡単でないところだと思います。
「ベクレル」値が同じでも元素によって発する放射線の種類が違うし、半減期も違います。
野菜によって元素の取り込み方も違えば、人の身体でも年齢や性別によって危険度が大きく異なります。
「シーベルト」なら単純に数字が大きい方が危険と考えて間違いないですが、「ベクレル」の場合はそうとは限らないのです。

本当は専門家がフローチャートを作ってくれるといいと思います。
指示に従って性別、年齢、居住地、その場への居住予定期間、食生活などなどを入力していけば、目の前にある水を飲んでもいいかどうかを判定してくれるのです。
と言いながら、一番重要な変数「原発がいつまで放射性物質を放射し続けるのか」という項目が分からないのでした。

なるほど「当面は大丈夫」みたいな言い方しかできないわけですね。

 

(2011年3月28日)

スーパーに行ってもコンビニに行っても様々な商品が棚から消えています。
買い占めの影響もありますが、多くは製造業が大打撃を受けているのが原因です。
医薬品も例外ではありませんでした。
一部の薬が手に入りにくくなっています。
かかりつけの方の最低限の薬は確保しておりますが、長期処方の希望に添えない場合があります。
ご了承ください。

 

(2011年3月30日)

神戸元町ダイアリー2010年(4)尖閣諸島問題<main>神戸元町ダイアリー2011年(2)元町映画館


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