「罪と罰」を読む(第3部第2章)

第3部第2章(第2巻42〜70ページ)

(46)

朝が来て、ラズミーヒンは頭を抱えます。
酔っぱらっていたとはいえ、自分は何ということをしてしまったんだろう!

こういう後悔はお酒好きの人ならしばしば経験することです。
しかし彼の言葉をよくよく聞いてみると、下宿のおかみを誰かに押し付けようとした点に関しては何ら後悔していないようです。
浮気がばれた夫が、メールを消去するのを忘れたことを後悔しても、浮気そのものは反省していないのと同じような感じでしょうか。

さてそんなラズミーヒンですが、人の話を引き出すのはめっぽう上手くて、ラスコーリニコフの母親もついついつまらないことをしゃべってしまいます。
一見つまらない会話の中に重大なヒントを隠すのは推理小説の典型的なやり方ですが、ドストエフスキーは本当にこの仕掛けが大好きです。

 

(2011年1月21日)

(47)

プリヘーリヤとラズミーヒンは取りとめもないことを語り合います。
取りとめはないのですが、ラスコーリニコフの婚約者についての描写はこの部分が最も詳しいです。

婚約者ナターリヤは器量が悪く、身体が弱く、変わり者だった。
持参金もなかった。
おかみも結婚には乗り気ではなかった(工藤精一訳だと「ひどく反対だった」)。

以上はラズミーヒンがおかみから聞き出した情報ですが、これは一体どういう婚約なのでしょう?
ラスコーリニコフは何を思ってナターリヤと結婚しようと思ったのでしょう?
それについてはずいぶんあとでラスコーリニコフ自身が語りますのでそれまで保留にしておきましょう。

もう一つ気になるのは57ページのプリヘーリヤの言葉
「あの子の性格って、いまだにわかったためしがありませんの、あの子がまだたった十五歳のときですら、ですよ」
しかし具体的に15歳の時に何が起きたかの描写はありません。
もちろんプリヘーリヤの言葉は特定の出来事を指すのではなく、その頃反抗期だったと言いたかっただけという解釈もありえます。
ですが一つの物語の裏に、表に出ない物語を何重も輻輳させるのが得意なドストエフスキーです。
15歳という言葉の裏に何かのドラマを想定したと考えるのが自然だと思います。
ちなみにドストエフスキーの実生活では、母親が死んだのが15歳の時でした。

 

(2011年1月24日)

(48)

さらに実生活では、妻に先立たれたドストエフスキーの父親は仕事を辞め、領地に引きこもります。
生活も荒廃し、農民たちに強圧的に振る舞うようになり、3年後には逆上した農民たちに殺されてしまいます。

さて15歳で母親に死なれ、そののちの父親の転落ぶりを見て育った小説家が、主人公の15歳にどういう出来事を設定するでしょうか。
その設定に多少でも願望が込められるとすれば、15歳で、父親が死に、自分は転落しない、というものになるのではないでしょうか。
もちろん何の根拠もありませんが、15歳のラスコーリニコフに起きた出来事は父親の死に関するものだった可能性が高いと思うのです。

それにしても、ほのめかされるだけではっきりと書かれない出来事の多さ!
第1巻348ページと第2巻26ページと28ページと3回にわたって書かれたバカレーエフの宿屋での出来事も結局何かよく分からないままですし、何度となくラズミーヒンの言葉に登場する「伯父さん」も、実物は最後まで姿を現しません。
ドストエフスキーの頭の中にはおそらく膨大な量のエピソードからなる「ペテルブルク・サーガ」があって、そのうちのごく一部、一人の貧乏大学生にまつわる箇所だけを抜粋したのが「罪と罰」なのかもしれません。

 

(2011年1月26日)

(49)

「罪と罰」における父親の存在の空虚さ、「カラマーゾフの兄弟」における父親殺し。
この二つをもってドストエフスキーを父親との関連から読み解こうとする論考が多くあります。
繰り返し書いてきましたが、私は小説に深い哲学的なものを読み取る前に、まずちゃんとストーリーを押さえたい。
頭が痛くなるような難しい言葉を駆使した「ドストエフスキー論」はたくさんありますが、なぜかそれらは「新しい生活でラスコーリニコフは何をしようとしているのか」とか「フョードルを殺したのは誰か」とか、物語の基本となる疑問には答えてくれません。
今日の晩ご飯は何? と聞いているのにTPPとか農作物の品種改良の話ばかり聞かされる、そんな感じです。

ところで今フロイト全集を読んでいるのですが、ちょうど「ドストエフスキーと父親殺し」という論文が出てきました。
エディプス・コンプレックスから「カラマーゾフ」を解釈しようという、今となっては全然珍しくもないアプローチです。
が、よく考えてみると精神分析の文学への適用はフロイトが始めたことです。
ドストエフスキーのエディプス・コンプレックス的解釈の第1号は、大御所フロイトによって成されたのでした。

王将同士の直接対決みたいでちょっと面白いです。

 

(2011年1月28日)

(50)

プリヘーリヤはもう一つ驚くべきことを語ります。
1週間ほど前、彼女が息子に手紙を書いた時点では元気だったマルファがその後急死していたのです。
マルファとはスヴィドリガイロフの妻です。
最初はドゥーニャの身持ちを疑い悪口を町中にふれ回り、その後ドゥーニャが潔白だったと分かると今度は町中に謝罪して回った、何をするのも過剰な女性です。
その謝罪の一環として彼女はドゥーニャに金持ちのルージンを紹介したようなのですが、その直後彼女は死んでしまいます。
その死についてはのちほどスヴィドリガイロフによって語られます。
今注目すべきなのは彼女の登場の仕方です。

彼女はプリヘーリヤの夢の中にあらわれます。
白い服を着て、おっかない顔をしてプリヘーリヤを責めるように首を振ります。

これを解釈するのはとても難しいです。
この時点でプリヘーリヤがマルファに責められる点があるとすればただ一つです、せっかく紹介してくれたルージンをないがしろにすること。
ラスコーリニコフがルージンを散々な目に合わせ、それを聞いてプリヘーリヤはただおろおろした。
今朝になってルージンから手紙が来て彼女はさらにうろたえます。
プリヘーリヤはルージンとラスコーリニコフと、どちらを信用していいか分かりません。
そんな彼女の迷いを責めるようにマルファが首を振るわけです。

しかしただ迷っているだけの夢ではないと思うのです。
この夢に潜む快感原則、それはマルファが白い服を着ているということ、つまりマルファが死んでいるということ。
こう解釈するのが最も自然だと思います。

ルージンの縁談を断ればマルファは責めるだろう、しかしマルファはもう死んでしまったので責められない。

つまりこの夢を見た時点で、プリヘーリヤの深層心理はルージンよりもラスコーリニコフを選んでいたということなのです。

 

(2011年1月31日)

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