サイコロを二つ振って目の和を当てるゲームがあるとします。
賭けるべき数字は「7」です。
なぜなら「7」が出る確率が一番高いから。
それまでに100回連続で「7」が出ていても、次に出る確率が最も高いのは「7」です。
サイコロだとちゃんと統計理論に基づいて行動できる人が、人生だと途端に意味不明な行動原則に則ってしまうのが人間のおかしいところです。
たとえば成人女性が結婚相手を選ぶ基準を考えます。
人によってさまざまな基準があるでしょう、恰幅のいい男性が好きな人もいるし、精悍なタイプが好きな人もいる、スポーツマンが好みの人もいるし、物静かな草食系男子がいいという人もいます。
しかし統計的に見ると厳然とした傾向が得られます。
統計とはつまり、その他の条件が同じならば、という意味だと考えていいと思います。
他の条件が同じならば健康な人の方がいい。
他の条件が同じならば収入のいい男性の方がいい。
ここで煙草です。
喫煙者は病気になる確率が高い。
喫煙者と非喫煙者の所得格差は明らかですが、原因と結果の順番が明確ではないのでここでは考えないことにしましょう。
しかし1日1箱の喫煙で年間10万円以上が費やされて、その分収入が目減りするのは確かです。
すると先ほどの文章をこう書き直すこともできます。
他の条件が同じなら非喫煙者の方がいい。
未婚成人男子で煙草を吸っている人は、(少なくとも婚活レースでは)サイコロ振りで「2」や「12」ばかりに賭けているのも同然だと思うのです。
(2010年10月1日)
結局は民主党VS自民党ではなく、分かりやすいが拙い素人の外交VSタレーラン的玄人の腹芸という構図だと思うのです。
しかし考えてみればこれは中国でも同じ状況かもしれません。
今まで官僚たちが微妙なさじ加減で構築してきた日中関係が、共産党トップの国内世論へのおもねりのためにぶち壊されたのですから。
日中両国の実務レベルの担当者同士の会話を聞いてみたいものです。
「すまんすまん、トップがアホやからこんなことになってしもて」
「うちも同じや、次の党大会までしのげれば、みたいなやり方されたらこっちも困るっちゅうねん」
おそらくこんな愚痴をこぼしながら折衝を続けているのではないでしょうか。
(2010年10月27日)
私も言われると嬉しいので、買い物すると店員さんに「ありがとう」と言います。
関西風に「とう」にイントネーションをつけると「ありがとう」が抵抗感なく言えます。
これは神戸に住んでいてよかったと思う点の一つです。
コンビニや飲食店でお店の人に偉そうな態度を取る人がいます。
力や金があるからといって居丈高に振る舞う人が他人からどう見えるかは、同様に振る舞う国が国際的にどう見られているか考えると簡単に想像できるはずなのに、不思議なことです。
というわけで思うのです。
気品を見せるためには客の立場に立った時がベストである、と。
海外で買い物をする時には気品を持って店員さんに接するといいと思うのです。
海外で宿泊する時にはホテルの部屋をきちんと整えてチェックアウトすればいいと思うのです。
海外でスポーツ観戦をする時には試合後掃除をすればいいと思うのです。
海外の人は私たちの行いに感銘を受け、感謝し、そして畏敬の念を持ってくれると思うのです。
(2010年11月1日)
中国問題に関する議論を見ていて感じるのは、何メートル先を見ているのか、その視界距離の違う人同士では全く議論にならないということです。
たとえば一切の武装を認めない、私が勝手に名付けたところの「空想的平和主義」の人たちは、おそらく数メートル先しか見ていない。
その人と10メートル先を見ている人とでは議論がかみ合うはずがありません。
ところが10メートル先まで見ている人が、数メートル先しか見ていない人よりも優れているかというと決してそうではないのが面白いところです。
中国に対して毅然とした態度を取るべきだ! と主張している人は、日本と中国が公の場で侃々諤々やりあった時に、国際社会が日本の味方になってくれると考えているのでしょうか?
それとも国際社会を敵に回しても中国とやり合った方がいいと思っているのでしょうか?
正しいことを主張すれば国際世論がきっと味方についてくれる、などと言うのは「こちらが攻めなければ向こうも攻めてこない」という空想的平和論者の発想と同様に楽観的に私には見えます。「攻めなければ攻めてこない」というのを机上の空論とあざ笑う人が、「正論を主張すればみんなが味方になってくれる」などというこれまた机上の空論を根拠にしているのは滑稽に思えます。
実際のところ、国際世論の圧力によって横暴な振る舞いを改めた強国など、歴史上あったでしょうか。
強国に軍隊を引き上げさせることができるのは、強国の国内世論だけだと思うのです。
中国の横暴を止めるのは中国の国内世論だけ。
それでは中国の人たちにどうやって自国の横暴を止めてもらうかと言うと、仲良くしようと訴えるしかないわけで、ここで議論が一周して、空想的平和主義の発想に戻ってしまうのです。
問題は空想主義の、数メートルの視野では「政治」は行えないということです。
シミュレーションを重ねることによってしか政策は行使できないから。
空想的平和主義は個人的運動に留まるしかない。
政党を立てて政治に反映するのはやっぱり現実的ではないと思うのです。
とは言うものの、最近、「殺されたくない、でも殺したくない。家族を殺されたくない、でも家族に殺させたくない。日本人を殺されたくない、でも日本人に殺させたくない」というメルヘン的平和主義に傾きつつある自分が、います。
(2010年11月8日)
前回の長文を要約するなら
1)遠方視力の違う人同士では議論にならない。
2)私は近視眼的平和主義者である。
3)だから私よりもっと遠くを見ている人、お願いですから議論を吹っ掛けないでください。
おお、言いたいことだけ言っておいて議論からは逃げようとする、何と卑怯な態度でしょう。
議論から逃げるついでにもう一つ。
中国問題で威勢のいいことを言っている人がいますが、当然そういう人たちの頭のどこかには「戦争」という言葉が浮かんでいるはずです。
そしてその「戦争」という文字が書かれたカードの裏に「どうせ戦うのは自衛隊」という文言が見えた時、私はその人とは議論をしたくありません。
「そんなこと言っても、実際戦うのは自衛隊だろう」とか「自分が最前線に立つという前提でなければ外交問題を語れないという立場こそずるい」とかという反論は、全くもって論理的に正しいと思います。
しかしやはりそういう考え方の人たちと議論はしたくないです、生理的に、本能的に、直感的に。
つまり私の立場は近視眼的のみならず、原始的平和主義ということのようです。
(2010年11月10日)
ネット上では威勢のいいことを言っている人が多くて勇ましい限りです。
勇敢な日本人が多いのは結構なことだと思います。
ただ、現実の社会では、たとえば電車の中での迷惑行為を注意する人を、私は見たことがありません。
身なりのいい高齢の女性が不作法な若者をぴしりと注意している姿をごくまれに目にすることはありますが、老いていようと若かろうと、男が迷惑行為に毅然と立ち向かっている姿を見たことがありません。
おぼろげに想像するに、戦場は通勤電車よりも危険で怖いのではないでしょうか。
ネットで勇ましさをアピールしている人は、まず夜の電車などでその勇敢さを発揮してみてはどうでしょうか。
そういう場面を繰り返し見せてもらえれば、もしかすると私も威勢のいい主張に同意するようになるかもしれません。
(2010年11月12日)
日本と中国がもし戦争を始めたとすると、全く軍事についての知識のない素人が推測するに、日本のハイテク武器VS中国の人海戦術という構図になるのではないでしょうか?
人的損失という点では日本が圧倒的に有利だと思います。しかし最終的には歩兵力が勝敗を決しますから、最後に勝つのは中国だと思います。
中国には人権という考えがありません。
どんなずさんな作戦でも司令官に行けと言われれば兵士たちは進まなくてはなりません。
中国には自由な報道がありません。
前線でどんなに多くの兵士たちが犬死しようと、国民はそれを知ることはできません。
仮に司令官が海峡を死体で埋めて戦車を通そうと思いついても、そんな無茶な作戦がまかり通ってしまいかねないのが今の中国だと思うのです。
まともな兵站も用意されず南方戦線に放り出された日本兵や、祖国から見捨てられたも同然でドイツ軍に包囲されたレニングラード市民などと同じ運命が前線の中国兵を襲うでしょう。
日本人である私にとっても、想像するだけでぞっとするような恐ろしいことです。
中国のみなさん、戦争をすれば間違いなくあなたたちが勝つ。
しかし勝利の前には、無数の中国人の命が、戦闘とは一切関係のないところで、何の勇敢さも発揮されることもなく、勝敗に全然貢献せず、全く無駄に見捨てられるでしょう。
中国人として勇敢さを発揮したいのであれば、まず自国の選挙制度、裁判制度、報道を民主化するべきだと思います。
その時初めてあなたたちの勇敢さは立派に祖国のために活かされると思うのです。
(2010年11月15日)
戦争が始まって徴兵されたら、自分はどこに送り込まれるのだろうか?
この歳だし医療従事者だし、きっと後方の救護病院に配属されるだろう、いやいや大規模災害時医療やトリアージの実際を経験しているから最前線に送られるかもしれない……、最近そんなことを考えたりします。
何となく想像できるのですが、普段スポーツ観戦に全く興味がないくせにオリンピックやワールドカップになるときっちり盛り上がる私は、戦争が始まって日本中が熱に浮かされればみんなと同じように浮かれると思うのです。
今は空想的平和主義者などとうそぶきながら、いざという時には好戦的な論調に賛同してしまうと思うのです。
意気地がないくせに兵役に志願したりしてしまうと思うのです。
ナショナリズムの高揚感は私の理性など簡単に吹き飛ばしてしまうに違いありません。
売国的とも呼ぶ人がいる平和主義的教育を受けてきた私でも、そうです。
日教組の左翼教育から解放された若者世代ではナショナリズムはもっと盛り上がるんだろうな……、そんなことを考えたりする自分がいます。
ナショナリズムの高揚感を遮る方法はないと思います。
一つだけあるとすれば、そう、普段から盛り上がる癖をつけておくというのはどうでしょうか?
野球やサッカーなどのメジャースポーツに限らず、ことあるごとに全国民を挙げて熱狂するようにしておけば、そのうち熱狂に慣れっ子になってくれないでしょうか。
何か面白そうなことがあると素早く上手に品よく盛り上がって、そして2週間で自然と冷めていく、そういう性癖を身につけておけば、遠くない将来に間違いなくある、「真に恐るべき熱狂の日々」をも簡単にやり過ごすことができるのではないか……、そんなこんなも考えたりする最近の私です。
(2010年11月18日)
真保裕一「栄光なき凱旋」
人間は楽観的にできていて、どんなに戦争の悲惨な話を聞かされても、「でも自分は別だろう」って思います。
最近のハリウッドの映画も、彼らなりに戦争の不条理や残酷さを描くことが多くなってきましたが、観客が自分を投影するのはいつも殺される側ではなくて殺す側です。
人間は「戦場で他の99人が戦死しても、自分だけは生き残れるはず」と考えるようにできています。
だからこのぼよよんと平和な日本で、どのように戦争の悲惨さを訴えても、「戦争は怖いからやめよう」と考える人はいないと思うのです。
自分は特別のはず、というフィルターのおかげで人間は普段の生活を営むことができます。
そのフィルターを突き抜けて何かを訴えかけるのは非常に難しい。
しかし真保裕一の「栄光なき凱旋」という本を読むと、戦争の悲惨さは戦場だけにあるのではないことがよく分かります。
戦争が始まったら、敵国人や敵国人の血を引いた人たちに対する差別や虐待がそこら中で起きるでしょう。
不買運動くらいならばまだいいのですが、その人たちの家に投石したり放火したりという騒動が間違いなく起きる。
その時に、群衆の前に立ちふさがって「やめろ、この人たちに罪はない!」と叫ぶことができるでしょうか?
「最前線でも弾には当たらない」ような気がしている楽観的な私ですが、このような事態に群集の前に立ちふさがる自分を想像することは100%できません。
愚かで醜い行為を止められない、つまりは実質上参加してしまう自分を想像するのはとても辛い。
しかし戦争が始まれば100%私はそういう愚劣な人間の仲間入りをしてしまうのです。
前線で戦うのは怖くない、でも前線じゃないところで醜い行いに加担してしまうのは怖い。
できれば生きている間、そんな立場に立たなくてすみますように。
(2010年11月19日)
クリニックの待合室に掛かっているのは金子國義のリトグラフです。
金子國義は昔から大好きだったのですが、絵というのは美術展や画集で見るものと思い込んでいて、手に入れるものという発想は全くありませんでした。
ところが今から20年ほど前、大阪をぶらぶら歩いていると、小さな画廊で「金子國義展」というのをやっているではありませんか。
四国からやって来たばかりで画廊などに足を踏み入れたことのない私でしたが、勇気を振り絞って店に入ったのでした。
おお、画集で親しんでいた金子國義の作品の数々が並んでいます。
さらにどこかで見たことのある人物。げっ、あれは生・金子國義先生ではないかっ!
その個展では最新の作品だけではなく、画集に収載されているような古い作品も展示されていました。
「この絵が好きで先生のファンになったんです」
と恐る恐る話しかけたところ
「押入れからひょっと出てきたから持ってきたんです」
というご返事。
非売品ではなくて、しかも油彩と違ってリトグラフなので頑張れば買える値段。
これは買うしかないじゃないですか。
そんなわけで機会があればちょっとずつ買い足している金子先生のリトグラフです。
(2010年11月22日)
で、今回、京都にある金子國義プロデュースのお店に行ってきました。
祇園の「紅蝙蝠」というカフェ? です。
私は京都はあまり詳しくないのですが、このあたりは素敵な雰囲気ですね。
細い路地の突き当たりにこの店はあって、町家をそのまま使ったような作り。
部屋の中には金子國義の絵や着物などがたくさん飾ってあります。
庭を見ながら食べられるランチセットもとてもリーズナブルで、祇園の雰囲気と金子國義の作品が同時に愉しめるお得なお店でした。
(2010年11月24日)
不景気と言いながらこの2年間で、元町駅徒歩10分圏内に高層マンションが3棟建ち上がりました。
山手ではさらにもう3棟工事中のようです。
それは大変結構なことなのですが、実は元町界隈ってスーパーマーケットがないんですよね。
大型マンションが林立するとスーパー不在がいよいよ深刻な問題になってきます。
駅の南の人も北の人もともに便利な立地として、元町駅の高架下、今パチンコ屋があるあたりに大型スーパーができるととっても便利だと思います。
COOPさん、どうでしょう?
(2010年11月26日)
例年、年末年始の読書予定の話題で1年間のコラムを締めくくっています。
しかしここ数年はネット通販で本をまとめ買いすることが多くて、年末年始も何も考えず、ただ目の前にある本を読むだけというパターンが多くなってきました。
今、目の前にある本は11月に注文した本たちです。全く正月休みのことを考えずに頼んだ本なので「さあ、お正月はこれを読むぞ!」という気分にはなかなかなってくれません。
そうは言っても「ネット通販まとめ買い」が便利であることとは間違いなくて、我が家でもペット関係、ドリンク関係は全てネット経由品になってしまいました。
そしてたくさんの段ボールが玄関を占拠して、大掃除しようという気持ちを激しく萎えさせます。
そこで、今から家を建てようと考えている人たちにアドバイスです。
玄関横に靴用のクローゼットのある家はありますが、これをさらに発展させて玄関横に段ボール部屋を作ってはいかがでしょうか。
とにかく住人が自分の家になかなか入れない、などという我が家のような事態は避けられるはずです。
というわけで松本胃腸科クリニックは12月29日から1月3日まで休診いたします。
みなさまもくれぐれも身体に気をつけてよい年をお迎えください。
(2010年12月27日)
神戸元町ダイアリー2010年(3)数学的発想<main>神戸元町ダイアリー2011年(1)東日本大震災