神戸元町ダイアリー2010年(4)

サイコロを二つ振って目の和を当てるゲームがあるとします。
賭けるべき数字は「7」です。
なぜなら「7」が出る確率が一番高いから。
それまでに100回連続で「7」が出ていても、次に出る確率が最も高いのは「7」です。
サイコロだとちゃんと統計理論に基づいて行動できる人が、人生だと途端に意味不明な行動原則に則ってしまうのが人間のおかしいところです。
たとえば成人女性が結婚相手を選ぶ基準を考えます。
人によってさまざまな基準があるでしょう、恰幅のいい男性が好きな人もいるし、精悍なタイプが好きな人もいる、スポーツマンが好みの人もいるし、物静かな草食系男子がいいという人もいます。
しかし統計的に見ると厳然とした傾向が得られます。
統計とはつまり、その他の条件が同じならば、という意味だと考えていいと思います。

他の条件が同じならば健康な人の方がいい。
他の条件が同じならば収入のいい男性の方がいい。

ここで煙草です。
喫煙者は病気になる確率が高い。
喫煙者と非喫煙者の所得格差は明らかですが、原因と結果の順番が明確ではないのでここでは考えないことにしましょう。
しかし1日1箱の喫煙で年間10万円以上が費やされて、その分収入が目減りするのは確かです。
すると先ほどの文章をこう書き直すこともできます。

他の条件が同じなら非喫煙者の方がいい。

未婚成人男子で煙草を吸っている人は、(少なくとも婚活レースでは)サイコロ振りで「2」や「12」ばかりに賭けているのも同然だと思うのです。

 

(2010年10月1日)

結局は民主党VS自民党ではなく、分かりやすいが拙い素人の外交VSタレーラン的玄人の腹芸という構図だと思うのです。
しかし考えてみればこれは中国でも同じ状況かもしれません。
今まで官僚たちが微妙なさじ加減で構築してきた日中関係が、共産党トップの国内世論へのおもねりのためにぶち壊されたのですから。
日中両国の実務レベルの担当者同士の会話を聞いてみたいものです。
「すまんすまん、トップがアホやからこんなことになってしもて」
「うちも同じや、次の党大会までしのげれば、みたいなやり方されたらこっちも困るっちゅうねん」
おそらくこんな愚痴をこぼしながら折衝を続けているのではないでしょうか。

 

(2010年10月27日)

私も言われると嬉しいので、買い物すると店員さんに「ありがとう」と言います。
関西風に「とう」にイントネーションをつけると「ありがとう」が抵抗感なく言えます。
これは神戸に住んでいてよかったと思う点の一つです。
コンビニや飲食店でお店の人に偉そうな態度を取る人がいます。
力や金があるからといって居丈高に振る舞う人が他人からどう見えるかは、同様に振る舞う国が国際的にどう見られているか考えると簡単に想像できるはずなのに、不思議なことです。
というわけで思うのです。
気品を見せるためには客の立場に立った時がベストである、と。

海外で買い物をする時には気品を持って店員さんに接するといいと思うのです。
海外で宿泊する時にはホテルの部屋をきちんと整えてチェックアウトすればいいと思うのです。
海外でスポーツ観戦をする時には試合後掃除をすればいいと思うのです。

海外の人は私たちの行いに感銘を受け、感謝し、そして畏敬の念を持ってくれると思うのです。

 

(2010年11月1日)

中国問題に関する議論を見ていて感じるのは、何メートル先を見ているのか、その視界距離の違う人同士では全く議論にならないということです。
たとえば一切の武装を認めない、私が勝手に名付けたところの「空想的平和主義」の人たちは、おそらく数メートル先しか見ていない。
その人と10メートル先を見ている人とでは議論がかみ合うはずがありません。
ところが10メートル先まで見ている人が、数メートル先しか見ていない人よりも優れているかというと決してそうではないのが面白いところです。
中国に対して毅然とした態度を取るべきだ! と主張している人は、日本と中国が公の場で侃々諤々やりあった時に、国際社会が日本の味方になってくれると考えているのでしょうか?
それとも国際社会を敵に回しても中国とやり合った方がいいと思っているのでしょうか?
正しいことを主張すれば国際世論がきっと味方についてくれる、などと言うのは「こちらが攻めなければ向こうも攻めてこない」という空想的平和論者の発想と同様に楽観的に私には見えます。「攻めなければ攻めてこない」というのを机上の空論とあざ笑う人が、「正論を主張すればみんなが味方になってくれる」などというこれまた机上の空論を根拠にしているのは滑稽に思えます。
実際のところ、国際世論の圧力によって横暴な振る舞いを改めた強国など、歴史上あったでしょうか。
強国に軍隊を引き上げさせることができるのは、強国の国内世論だけだと思うのです。
中国の横暴を止めるのは中国の国内世論だけ。
それでは中国の人たちにどうやって自国の横暴を止めてもらうかと言うと、仲良くしようと訴えるしかないわけで、ここで議論が一周して、空想的平和主義の発想に戻ってしまうのです。
問題は空想主義の、数メートルの視野では「政治」は行えないということです。
シミュレーションを重ねることによってしか政策は行使できないから。
空想的平和主義は個人的運動に留まるしかない。
政党を立てて政治に反映するのはやっぱり現実的ではないと思うのです。
とは言うものの、最近、「殺されたくない、でも殺したくない。家族を殺されたくない、でも家族に殺させたくない。日本人を殺されたくない、でも日本人に殺させたくない」というメルヘン的平和主義に傾きつつある自分が、います。


(2010年11月8日)


前回の長文を要約するなら

1)遠方視力の違う人同士では議論にならない。
2)私は近視眼的平和主義者である。
3)だから私よりもっと遠くを見ている人、お願いですから議論を吹っ掛けないでください。

おお、言いたいことだけ言っておいて議論からは逃げようとする、何と卑怯な態度でしょう。
議論から逃げるついでにもう一つ。
中国問題で威勢のいいことを言っている人がいますが、当然そういう人たちの頭のどこかには「戦争」という言葉が浮かんでいるはずです。
そしてその「戦争」という文字が書かれたカードの裏に「どうせ戦うのは自衛隊」という文言が見えた時、私はその人とは議論をしたくありません。
「そんなこと言っても、実際戦うのは自衛隊だろう」とか「自分が最前線に立つという前提でなければ外交問題を語れないという立場こそずるい」とかという反論は、全くもって論理的に正しいと思います。
しかしやはりそういう考え方の人たちと議論はしたくないです、生理的に、本能的に、直感的に。
つまり私の立場は近視眼的のみならず、原始的平和主義ということのようです。

 

(2010年11月10日)

ネット上では威勢のいいことを言っている人が多くて勇ましい限りです。
勇敢な日本人が多いのは結構なことだと思います。
ただ、現実の社会では、たとえば電車の中での迷惑行為を注意する人を、私は見たことがありません。
身なりのいい高齢の女性が不作法な若者をぴしりと注意している姿をごくまれに目にすることはありますが、老いていようと若かろうと、男が迷惑行為に毅然と立ち向かっている姿を見たことがありません。
おぼろげに想像するに、戦場は通勤電車よりも危険で怖いのではないでしょうか。
ネットで勇ましさをアピールしている人は、まず夜の電車などでその勇敢さを発揮してみてはどうでしょうか。
そういう場面を繰り返し見せてもらえれば、もしかすると私も威勢のいい主張に同意するようになるかもしれません。

 

(2010年11月12日)

日本と中国がもし戦争を始めたとすると、全く軍事についての知識のない素人が推測するに、日本のハイテク武器VS中国の人海戦術という構図になるのではないでしょうか?
人的損失という点では日本が圧倒的に有利だと思います。しかし最終的には歩兵力が勝敗を決しますから、最後に勝つのは中国だと思います。
中国には人権という考えがありません。
どんなずさんな作戦でも司令官に行けと言われれば兵士たちは進まなくてはなりません。
中国には自由な報道がありません。
前線でどんなに多くの兵士たちが犬死しようと、国民はそれを知ることはできません。
仮に司令官が海峡を死体で埋めて戦車を通そうと思いついても、そんな無茶な作戦がまかり通ってしまいかねないのが今の中国だと思うのです。
まともな兵站も用意されず南方戦線に放り出された日本兵や、祖国から見捨てられたも同然でドイツ軍に包囲されたレニングラード市民などと同じ運命が前線の中国兵を襲うでしょう。
日本人である私にとっても、想像するだけでぞっとするような恐ろしいことです。

中国のみなさん、戦争をすれば間違いなくあなたたちが勝つ。
しかし勝利の前には、無数の中国人の命が、戦闘とは一切関係のないところで、何の勇敢さも発揮されることもなく、勝敗に全然貢献せず、全く無駄に見捨てられるでしょう。
中国人として勇敢さを発揮したいのであれば、まず自国の選挙制度、裁判制度、報道を民主化するべきだと思います。
その時初めてあなたたちの勇敢さは立派に祖国のために活かされると思うのです。

 

(2010年11月15日)

戦争が始まって徴兵されたら、自分はどこに送り込まれるのだろうか?
この歳だし医療従事者だし、きっと後方の救護病院に配属されるだろう、いやいや大規模災害時医療やトリアージの実際を経験しているから最前線に送られるかもしれない……、最近そんなことを考えたりします。
何となく想像できるのですが、普段スポーツ観戦に全く興味がないくせにオリンピックやワールドカップになるときっちり盛り上がる私は、戦争が始まって日本中が熱に浮かされればみんなと同じように浮かれると思うのです。
今は空想的平和主義者などとうそぶきながら、いざという時には好戦的な論調に賛同してしまうと思うのです。
意気地がないくせに兵役に志願したりしてしまうと思うのです。
ナショナリズムの高揚感は私の理性など簡単に吹き飛ばしてしまうに違いありません。
売国的とも呼ぶ人がいる平和主義的教育を受けてきた私でも、そうです。
日教組の左翼教育から解放された若者世代ではナショナリズムはもっと盛り上がるんだろうな……、そんなことを考えたりする自分がいます。
ナショナリズムの高揚感を遮る方法はないと思います。
一つだけあるとすれば、そう、普段から盛り上がる癖をつけておくというのはどうでしょうか?
野球やサッカーなどのメジャースポーツに限らず、ことあるごとに全国民を挙げて熱狂するようにしておけば、そのうち熱狂に慣れっ子になってくれないでしょうか。
何か面白そうなことがあると素早く上手に品よく盛り上がって、そして2週間で自然と冷めていく、そういう性癖を身につけておけば、遠くない将来に間違いなくある、「真に恐るべき熱狂の日々」をも簡単にやり過ごすことができるのではないか……、そんなこんなも考えたりする最近の私です。

 

(2010年11月18日)

真保裕一「栄光なき凱旋」
人間は楽観的にできていて、どんなに戦争の悲惨な話を聞かされても、「でも自分は別だろう」って思います。
最近のハリウッドの映画も、彼らなりに戦争の不条理や残酷さを描くことが多くなってきましたが、観客が自分を投影するのはいつも殺される側ではなくて殺す側です。
人間は「戦場で他の99人が戦死しても、自分だけは生き残れるはず」と考えるようにできています。
だからこのぼよよんと平和な日本で、どのように戦争の悲惨さを訴えても、「戦争は怖いからやめよう」と考える人はいないと思うのです。
自分は特別のはず、というフィルターのおかげで人間は普段の生活を営むことができます。
そのフィルターを突き抜けて何かを訴えかけるのは非常に難しい。
しかし真保裕一の「栄光なき凱旋」という本を読むと、戦争の悲惨さは戦場だけにあるのではないことがよく分かります。
戦争が始まったら、敵国人や敵国人の血を引いた人たちに対する差別や虐待がそこら中で起きるでしょう。
不買運動くらいならばまだいいのですが、その人たちの家に投石したり放火したりという騒動が間違いなく起きる。
その時に、群衆の前に立ちふさがって「やめろ、この人たちに罪はない!」と叫ぶことができるでしょうか?
「最前線でも弾には当たらない」ような気がしている楽観的な私ですが、このような事態に群集の前に立ちふさがる自分を想像することは100%できません。
愚かで醜い行為を止められない、つまりは実質上参加してしまう自分を想像するのはとても辛い。
しかし戦争が始まれば100%私はそういう愚劣な人間の仲間入りをしてしまうのです。
前線で戦うのは怖くない、でも前線じゃないところで醜い行いに加担してしまうのは怖い。
できれば生きている間、そんな立場に立たなくてすみますように。

 

(2010年11月19日)

クリニックの待合室に掛かっているのは金子國義のリトグラフです。
金子國義は昔から大好きだったのですが、絵というのは美術展や画集で見るものと思い込んでいて、手に入れるものという発想は全くありませんでした。
ところが今から20年ほど前、大阪をぶらぶら歩いていると、小さな画廊で「金子國義展」というのをやっているではありませんか。
四国からやって来たばかりで画廊などに足を踏み入れたことのない私でしたが、勇気を振り絞って店に入ったのでした。
おお、画集で親しんでいた金子國義の作品の数々が並んでいます。
さらにどこかで見たことのある人物。げっ、あれは生・金子國義先生ではないかっ!
その個展では最新の作品だけではなく、画集に収載されているような古い作品も展示されていました。
「この絵が好きで先生のファンになったんです」
と恐る恐る話しかけたところ
「押入れからひょっと出てきたから持ってきたんです」
というご返事。
非売品ではなくて、しかも油彩と違ってリトグラフなので頑張れば買える値段。
これは買うしかないじゃないですか。
そんなわけで機会があればちょっとずつ買い足している金子先生のリトグラフです。

 

(2010年11月22日)

で、今回、京都にある金子國義プロデュースのお店に行ってきました。
祇園の「紅蝙蝠」というカフェ? です。
私は京都はあまり詳しくないのですが、このあたりは素敵な雰囲気ですね。
細い路地の突き当たりにこの店はあって、町家をそのまま使ったような作り。
部屋の中には金子國義の絵や着物などがたくさん飾ってあります。
庭を見ながら食べられるランチセットもとてもリーズナブルで、祇園の雰囲気と金子國義の作品が同時に愉しめるお得なお店でした。

 

(2010年11月24日)

不景気と言いながらこの2年間で、元町駅徒歩10分圏内に高層マンションが3棟建ち上がりました。
山手ではさらにもう3棟工事中のようです。
それは大変結構なことなのですが、実は元町界隈ってスーパーマーケットがないんですよね。
大型マンションが林立するとスーパー不在がいよいよ深刻な問題になってきます。
駅の南の人も北の人もともに便利な立地として、元町駅の高架下、今パチンコ屋があるあたりに大型スーパーができるととっても便利だと思います。
COOPさん、どうでしょう?

 

(2010年11月26日)

例年、年末年始の読書予定の話題で1年間のコラムを締めくくっています。
しかしここ数年はネット通販で本をまとめ買いすることが多くて、年末年始も何も考えず、ただ目の前にある本を読むだけというパターンが多くなってきました。
今、目の前にある本は11月に注文した本たちです。全く正月休みのことを考えずに頼んだ本なので「さあ、お正月はこれを読むぞ!」という気分にはなかなかなってくれません。
そうは言っても「ネット通販まとめ買い」が便利であることとは間違いなくて、我が家でもペット関係、ドリンク関係は全てネット経由品になってしまいました。
そしてたくさんの段ボールが玄関を占拠して、大掃除しようという気持ちを激しく萎えさせます。
そこで、今から家を建てようと考えている人たちにアドバイスです。
玄関横に靴用のクローゼットのある家はありますが、これをさらに発展させて玄関横に段ボール部屋を作ってはいかがでしょうか。
とにかく住人が自分の家になかなか入れない、などという我が家のような事態は避けられるはずです。
というわけで松本胃腸科クリニックは12月29日から1月3日まで休診いたします。
みなさまもくれぐれも身体に気をつけてよい年をお迎えください。

 

(2010年12月27日)

神戸元町ダイアリー2010年(3)数学的発想<main>神戸元町ダイアリー2011年(1)東日本大震災


海外の長篇小説ベスト100(第81位〜第85位)

第81位

マーガレット・アトウッド「侍女の物語」(新潮社)

18世紀のロマン派小説かと思ったらカナダ女流作家による近未来ものでした。
クーデターによってアメリカに樹立されたファシズム政権下、受胎奴隷となった女性の立場から抑圧された日々が静かな筆致で描かれます。
一切の自由な行動や考えが禁止された灰色の生活の描写に、時折起きる小さな事件や追想が楔のように打ち込まれて、静かな中にダイナミックな印象を残します。

と、頭では理解したつもりですが、正直言うと背景や主人公の思考パターンにシンクロできず、映画「キューブ」のようなシチュエーションホラーとして読んでしまいました。
それにしてはちょっと退屈かな?

 

(2010年12月22日)


第82位

チャールズ・ディケンズ「二都物語」(新潮文庫)

どうもディケンズとは相性がよくなくて、彼の作品はどこが面白いのかさっぱり分かりません。
「フランス革命の時代のパリとロンドンを舞台に綴られる大河ロマン」と書くとそれだけで血沸き肉踊る感じですが、ディケンズの手にかかるとこちらが読みたいツボがことごとく外されて、何だか気の抜けた発泡酒みたいです。

この本の読みどころは何と言っても訳者による解説でしょう。ここまで自分が訳した小説をけなした解説はないと思います。

それからまたまたやってくれました! 新潮文庫。
下巻のあらすじ欄には物語の結末がばっちり書かれています。
ディケンズの小説は基本的に行き当たりばったりで、つまり意外な展開だけが唯一の魅力だと思います。
それなのにそれなのに。

 

(2010年11月29日)

第83位

ガブリエル・ガルシア=マルケス「予告された殺人の記録」(新潮社)

再読です。
今さらマルケスについて何を書くことがあるでしょうか。
ひたすらストーリーを追う楽しみ、物語を読む楽しみが味わえる一冊。
時間があちらにふらふらこちらにふらふらしているように見えて、実は最後のクライマックスに向けて全てが一点に流れ落ちていくスピード感と凝縮感。
上手さと同時に、マルケスを読んでいつも感じるのは「お話をするのが本当に好きなんだな」ということ。

ところで前回読んだルルフォにしても、今回ノーベル賞を取ったリョサにしても南米の作家たちがすごいですね。
あるいは今まで紹介されなさすぎ、と考えるべきなのでしょうか。
考えてみれば中国や韓国の小説も今まであまり読んだことがないし、世界にはまだ日本に紹介されていないすさまじい才能がたくさん隠れているのでしょうね。

 

(2010年10月25日)


第84位

フアン・ルルフォ「ペドロ・パラモ」(岩波文庫)

すごい!
こんな小説があったなんて。
著者もタイトルも今まで全く知りませんでした。
しかしすごいです。
「祈り」でしょうか、「赦し」でしょうか、廃墟と化した町にささめかれる声。
徹底的に過去の物語でありながら痛いほど熱い思い。
さすが世界の長篇です。10冊に1冊くらいはこんなすさまじいものが隠れているんですね。
(91〜100位ではウルフの「灯台へ」に度肝を抜かされましたっけ)

ところで完全に個人的なことなのですが、私はこの「世界の長篇シリーズ」を縦軸に、河出の世界文学全集を横軸に並行して読んでいます。
河出世界文学全集が今第29巻で、短編集なのです。
この短編集を読んでいる途中に「ペドロ・パラモ」が手に入ったので、短編集を中断して先に「ペドロ・パラモ」を読みました。
で、深い感動とともに読み終わって短編集に戻ると何と、次の短篇はフアン・ルルフォの「タルパ」でした。
フアン・ルルフォは寡作で小説を2作しか書いていないのですが、それが期せずして二つ続けて目の前に現れたわけです。
奇跡的な出会いなどという言葉は信じませんが、大切にしたい出会いと思いたいものです。

 

(2010年10月8日)

第85位

読みました!「西遊記」全10巻(岩波文庫)

とにかく長いです。
第2巻で天竺へ出発してから第10巻で大団円を迎えるまで、ひたすら繰り返される妖怪退治のお話。
まるで「ドラゴンボール」です。あ、そう言えば「ドラゴンボール」の主人公も孫悟空でしたね。
ワンパターンさも含めての模倣だったのでしょうか。
ただワンパターンと言いながらも孫悟空は徐々に成長して、最後の方ではかなりの人徳を獲得して、それなりにほろりとさせてくれます。
忙しいあなたのために10冊の中から4冊を選ぶなら、天竺出発までの顛末を描いた1、2巻、「絢爛たる歌合戦の巻」と「孫悟空医術をふるうの巻」という比較的毛色の変わったエピソードが含まれた7巻、そしてゴージャスなフィナーレの10巻でしょうか。

それにしても漢字の表現力の豊かさには感心させられます。
「偏(へん)」と「傍(つくり)」の組み合わせでほとんど無制限に新しい言葉が作られるのですから。
さらに感心させられるのが日本語の柔軟さ。
節操なく繰り出される漢語表現にも「茫洋たる」とか「颯爽と」のようにさらりと受け入れてしまえるのですから。

 

(2010年10月6日)

「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」<第86位〜第90位<main>第76位〜第80位


健康ディクショナリー2010年(4)

伊坂幸太郎の小説で登場人物が確かこんな感じのことを言うシーンがありました。

年間何百本も映画を見ている映画評論家に向かって年に数本しか見ない素人が偉そうに映画について語っているのを見たらどう思う?
こっ恥ずかしいだろう? あんたがしているのはそういうことなんだよ。

現実ではそれと同じ場面に多く遭遇します。
ネットの掲示板などでの健康相談です。
身体の悩みに対して「その症状ならあそこの病院の先生が得意分野」などの病院情報を教え合うのはいいと思うのです。
しかし掲示板には往々にして「病院での治療よりもこっちの方が効いた」みたいな怪しい情報が飛び交います。
本人は親切心で書いているのでしょうが、所詮それは自分一人の経験談で母数1の、統計的には全く無意味なデータです。
健康でお困りの方は、まずは電話でもいいからとにかく専門家に相談するべきだと思います。

 

(2010年12月6日)

お尻の病気にもいろんな種類、いろんな程度があります。
それによって治療法はさまざまです。
当院によくかかってくるのが「痔のレーザー治療をしていますか」という質問の電話です。
当院ではレーザー治療を行っていません。
しかしよく話を聞いてみるとその質問者は今までどこの病院にもかかったことがない、何の病気かも分からない、
しかしネットで相談したら「レーザーで治るらしい」と言われたから電話してみた、という場合がほとんどです。
ところで以前にも書いたことがありますが、診療の現場では患者さんの話を聞いて、ある程度病名を予想してから実際に患部を診察します。
結果としては私の場合、当たっているのは8割程度です。
電話の受け答えだけだとおそらく正解率はもっと低いでしょうし、掲示板での文字情報だけではせいぜい7割、ましてや専門家でもない人が掲示板で病名を言い当てる確率は5割を切るでしょう。
正答率が5割を切る情報と言うのは、つまり「嘘」ということです。
健康でお困りの方、病院で診断を受けたこともないのにいきなり掲示板で治療法を求めるのは、「私を騙して」と言っているにも等しいと思うのです。

 

(2010年12月8日)

しかしお尻の病気での相談なら質問者自身の事ですから自己責任と済まされるかもしれません。
問題は子どものアトピー性皮膚炎です。
先日の朝日新聞にも特集記事が掲載されていました。
子どものアトピーに悩んでいた母親がいろいろな民間療法や食事療法を試したけれどどれも効果なく、疲れ果てた挙句にようやく病院を受診。
そこでステロイドの塗り薬を処方されていったんはよくなったけれども、周りの人に「ステロイドは怖い」と言われて民間療法行脚を再開……。
アトピー性皮膚炎については、毎日何十人も患者を診察している数千人の専門家が数十年の経験をもとに「診療ガイドライン」を作り上げています。
そこで膨大な症例の蓄積によって「ステロイドを使いましょう」と結論を出しているのに、ほんの数人の実例しか知らないような素人が「ステロイドは怖い」と言って、そして人はなぜかそっちの方を信じてしまうのです。
アトピー性皮膚炎の患者数は4歳を超えると激減します。極端な言い方をすれば4歳を超えると大抵は勝手に治ってしまうのです。
そして一般の人はその時にたまたまおこなっていた治療法が効いたと思いがちです。
専門家であれば「効いたのではなくたまたまその時に治っただけ」と冷静に判断できるのに、症例経験の少ない一般の人はしばしば狂信者になってしまって近所の奥さんに「ステロイドは危険だからこっちの治療にしなさい!」とふれまわったりするわけです。
考えてみればこの構図にも不思議な現象がいくつか含まれています。

 

(2010年12月10日)

小児科医の疲弊を防ぐためにコンビニ受診を控えようという啓蒙運動があります。
とても素晴らしい活動だと思います。
ところで当直医が疲れるのは夜中に叩き起こされるからではありません。
それについては以前書いたことがあります。
本当に困っている患者をきちんと診察して、その診断に納得した患者が治療を受けて元気になる。
そうした場合には夜中に叩き起こされようが休日のレジャー中に呼び出されようが、医師がやる気を失うことはありません。
ところが小児科医はしばしば次のような場面に遭遇します。
発熱で夜中に連れて来られた子どもを診察して
「熱はあるけれども元気そうだし脱水や他の症状もありませんね。薬を使わないでこのまま朝まで様子を見ましょう」
「せっかく来たんだから薬くらい出してくれ」
「でも必要のない薬は身体によくないですし……」
「1時間も待たされて薬もなしで帰らせる気か」
「……、ところで今回の発熱とは関係ないですがアトピーがかなりひどいようですね。ちゃんと薬を使っていますか?」
「薬は身体に悪いからネット通販の飲み薬と近所の人が紹介してくれた活性水を使っている」
「あまり得体の知れない商品に頼らない方がいいですよ」
「そんなことを言ってステロイドを売りつけようとするんだろう、やっぱり医者は信用できん」
「……」
もし一晩にこんな家族が3人も来たら小児科医でなくても首をくくりたくなりますよね。

 

(2010年12月13日)

前回の笑えない笑い話には一つ大きな要因が絡んでいます。
小児科医は超絶的に忙しいのです。
たとえば当クリニックには便秘相談の方が多く来られます。
ところがよく話を聞いて、実際に腹部を触診してみると、本当の便秘症の人は半分以下です。
半分以上の人は自分が便秘だと思い込んでいるだけなのです。
そしてその人たちに「あなたは便秘じゃないんですよ」といろいろ説明して、納得してもらうのにかかる時間が最低30分。
「ステロイドは毒」という洗脳を解除するのに一体どれくらいの時間が必要なのか、私には想像すらできません。
小児科医がこの子にはステロイドが必要だと判断して薬を出す。
見ると、親は明らかに疑り深い表情をしている。
ああ、この家族は二度と来ないだろうな、きっと「あそこの医者はすぐステロイドを出すヤブ医者だ」と吹聴して回って、自分は得体の知れない高額な民間医療に頼るんだろうな、小児科医にはぴんと来ます。
本当ならデータを見せて正しい情報を伝えて、親の間違った暗示を解きたい。
それには少なくとも30分はかかる、しかし外来にはまだ何十人もの患者が並んでいる。
そういう時に医者に何ができるでしょう。
しかも誤解している人が多いのですが、ステロイドを出しても病院は全然儲かりません。
ステロイド軟膏は1本100円ちょっと(3割負担だと50円くらい!)なのです。
一人の患者を5分診察しようが30分しようが診察代は変わりません。
小児科医本人は30分かけてでも親を説得したくても、病院や地域医療のシステムとしてそんなことは許されないのです。
結局正しい知識を持つ医者には発言の機会も時間も与えられず、ステロイドへの恐怖心をあおることによって一儲けしようと企むステロイドビジネスの連中だけが声高に嘘を喧伝することになって、結局はアトピーで困っている家族は大金をむしり取られることになるわけです。

 

(2010年12月15日)

チャイルドシートを装備しないのも、子どもの前で煙草を吸うのも一種の虐待だと書いたことがあります。
それは極論としても、アトピー性皮膚炎の子どもにまともな治療を受けさせないのは間違いなく虐待です。
ところで虐待を受けた子どもが親になると子どもを虐待するようになるという説があります。
子どもは親からの虐待を耐え忍ぶために、それを愛情表現だと思い込むことによって精神的に受け入れようとします。
暴力を愛の証明と思い込むことによって何とか精神のバランスを保とうとするわけです。
暴力イコール愛情と信じ込んで育った人は次に子どもに対して同じような愛情表現を見せる……、そういう理屈に基づく哀しい仮説です。
それに似たような心理の流れがアトピー治療にも潜んでいるような気がします。
子どものために地獄の責め苦のような食事制限に耐える親がいます。
母乳に含まれているアレルゲンが子どものアトピーを悪化させているという噂を信じ込んで、米もだめ、小麦粉もだめ、卵もだめ、肉もだめ、そんな食生活を自分に課して栄養失調でふらふらになりながら、しかし子どもの症状がそんなことでよくなるはずもなく、どんどん精神的に追い込まれていく人が結構います。
何とか説得して小児科で見てもらって、食事制限、ましてや親の食事制限などナンセンスだと言ってもらい、ステロイド軟膏を処方してもらう。
子どもはあっという間によくなり、親も断食地獄から解放されます。
ところが少なからずの親が再び得体の知れない民間療法に飛び込んでいきます。
つまり今まで「子どものために」と死ぬほどの苦痛に耐えているうちに、苦痛に耐える事が子どもへの愛情表現である、と思い込んでしまうからです。
愛するためには苦痛に耐え続けなくてはならない、と深層心理が歪んだ命令を出してくるわけです。
アトピー性皮膚炎に悩む親には食事制限ではなく、カウンセリングこそが必要であると言われる所以です。

 

(2010年12月17日)

それにしても思うのは「父親は何をしているんだろう?」ということです。
いい仕事をしたと思っても取引先がそう思わなければ全く意味がないし、いい商品を作ったと思っても全然売れなければ無意味、会社というのはそういうところです。
そうやって思い込みから自分を解き放つ訓練を日ごろから受けているはずの父親が、どうして「勝手に思い込まずに、専門家の意見も聞いてみたら?」と母親に言わないのかとても不思議です。
いや、不思議でも何でもないのかもしれません。
ファミリーレストランでは子どもの前で煙草を吸いまくっている父親の姿を多く見かけます。
子どもの健康にあまり関心がない父親が、母親に向かって的確なアドバイスをするなど、考えてみればあり得ないことです。
そしてこの現象から導かれるのは「親の教養格差が子どもの健康格差を生む」という厳しい現実です。
そこで浮かび上がってくるのが「お節介な政府」というキイワードなのですが、それについてはまた別の機会にゆっくり考えたいと思います。

 

(2010年12月20日)

健康ディクショナリー2010年(3)二本足歩行の宿命<main>健康ディクショナリー2011年危険な輸入バイアグラ


健康ディクショナリー2010年(3)

さまざまな問題は、文明の発展速度が人体の進化速度を上回ってしまった事が原因だと思うのです。

腎臓機能の進化が塩分摂取量増加に追いつかない、その結果血圧が上がって脳卒中や心筋梗塞が増える。
膵臓機能の進化が糖分摂取量増加に追いつかない、その結果糖尿病が増える。
遺伝子修復機能が長寿化に追いつかない、その結果癌が増える。
倫理観や法律が生殖医療や移植医学の進化に追いつかない、そのために現実に対応できない。

神様は人類の内臓機能や倫理観をもっと長い時間をかけてバージョンアップするつもりだったのではないでしょうか。
ところが人類は想定外のスピードで進歩を遂げてしまいました。
人体の設計に携わったメンバーは今頃大慌てだと思います。(7月12日)

人類の想定外の進歩にびっくりさせられ続けている人体ですが、今までで一番驚いたのは人類が「直立歩行」を始めた時だと思うのです。
背骨だって足だって、4本足歩行を前提に設計されています。
「おいおい、突然2本足で歩きたいからと言って、そんな風にできてないよ」と人体が悲鳴をあげたのが数百万年前ですが、現在も状況は少しも変わっていません。
背骨は相変わらず垂直方向の圧力に弱いままで、すぐ腰痛を起こします。
いきなり2倍の重さを支えるはめになった足も何かというとすぐ捻挫、関節炎で不平を洩らします。
胃腸もそうです。
軒先に吊り下げられた風鈴のように、胃腸は本来、水平の背骨から真っすぐ下にぶら下がるように作られているのです。
ところが突然背骨が垂直に立てられたから胃腸もパニックです。 
人間の場合、軒と風鈴をつなぐ紐の部分はそれほどしっかり作られていません。
紐というよりもむしろゴムのような感じです。
その結果内臓はどんどん下に下がってしまいます。 
ひどい場合は骨盤の下の方で胃と小腸と大腸が押し合いへしあい状態となって、互いに動きを邪魔しあいます。 
今でも背骨や膝や胃腸は「人類、急ぎ過ぎ!」と文句たらたらだと思うのです。(7月14日)

胃が骨盤まで下がっている状態を「胃下垂」と言います。
よく「便秘の原因になると聞いたから胃下垂を治したい」と来られる方もおられますが、「胃下垂」と「便秘」の間にも実のところ相関関係はありません。
それに背中と胃のつなぎ目が緩いのが「胃下垂」の原因ですから、背が高いとか低いとかと同じで治しようがありません。
つまり「胃下垂」は治す方法もないけれど治す意味もないのです。
前回のこの欄で「胃や腸が骨盤まで下がっているから働きが悪い」という書き方をしましたが、実際には「背中にしっかり固定されていない胃腸は動きも悪いし、骨盤にも下がりやすい」という言い方が正しいかもしれません。
「胃下垂」の相談を受けた時、私は「腹筋を鍛えればいい」と答える事があります。
背中との固定が緩いのならお腹側から締め付けてやるしかない、という理屈です。
ですが、腹筋を鍛えてぽっこりお腹が治ったとして、それで便秘が治るとは私も信じてはいません。
これもむしろ腹筋という運動自体が胃腸の動きを促すからだろうと思っています。
今回は「どれもこれもはっきりしない」というお話で切れが悪くてすみません。
しかし現実がそうなのです。
「胃下垂」が何の悪影響を及ぼさない場合もあれば、便秘の原因であるかのように思える場合もある。
腸が下垂していても元気に動いている人もいれば、全然動かない人もいる。
触診して皮膚の張り、腹筋の付き方、内臓の位置、後腹膜との固着関係、胃腸の蠕動状態、これらを手のひらで感じ取らないと何にも分からないし何もアドバイスしてあげられないのです。
結局、便秘でお困りの方はどうぞご相談ください、というお話でした。(7月16日)
 
2本足歩行に大きな影響を受けている内臓がもう一つあります。
「肛門」です。
直立歩行によって足がうっ血しやすい、脹れやすいのと全く同じ解剖学的理由で肛門も脹れやすいのです。
人間の大腸や肛門が、他の動物と同じように水平に配置されていたら、血液が肛門に滞留する事もなく、肛門に関連した病気の発生率は低いままだったと思うのです。
お尻のトラブルでお困りの方、肛門の病気で悩んでいるのはあなただけではありません。
これは人類である限り避けられない宿命(?)なのです。
どうぞ一人で抱え込まず、お気軽にご相談ください。(7月21日)

新しいタイプの睡眠導入剤が発売されました。
これまでの睡眠導入剤は脳の働きをなだめる事によって眠たくさせるという原理でしたが、新しい薬は体内時計に働きかけて自然な眠気を催させるという仕組みです。
これまでの薬に見られた「次の日に残る」「夜中に目が覚めた時に足に力が入らない」などの副作用は、原理的にありません。
睡眠不足で困っているけれども睡眠薬には抵抗があるという皆様、どうぞご相談ください。(7月30日)

医師向けのネット掲示板で「医者の風邪対処法」というスレッドがあったのでのぞいてみました。
はっきり言ってあまり役に立つ情報はありませんでした。
名医だけが知っている風邪即効薬などというものはなさそうです。
私の場合は、かかったかな?と思ったらツムラの「参蘇飲」とビタミンC、それに食欲さえあれば動物性蛋白質の大量摂取、というのが効くみたいです。
と言うか、年中風邪ウイルスに曝されて知らず知らず免疫力がついているのでしょうか、医者は基本的に風邪をひきにくくできているようです。
私も大学を卒業してから一日も病気で欠勤した事はありません。
(ありがちな話、こんな事を書いた途端に大風邪をひきそうで怖いのですが)(12月3日)

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