第3部第1章(第2巻9〜41ページ)
(44)
自分の部屋に戻ったラスコーリニコフは母親と妹の前で、またまた昏倒します。
一度は意識を取り戻したラスコーリニコフですが、訳の分からない言葉をつぶやき、さらには母親と妹を激しく拒絶します。
この部分の彼の心理を分析するのは難しいのですが、前の章で、自分ではラズミーヒンに罪を告白したつもりになっているとすれば、理解しやすいかもしれません。
ラスコーリニコフはこの瞬間、明日出頭するつもりになっています。
ですから彼はこの日家族と一緒に過ごすわけにはいきませんでした。
その一方で彼の頭の中には「卑怯」という言葉が渦巻いています。
「人類が卑怯でないとすれば、人々が神によって裁かれるというのも迷信にすぎない」という、あれです。
現に彼はポーレンカによって全てを赦されています。
論理の道筋を逆にたどれば、人類は卑怯ではないのです。
幻のように現れたソーニャも卑怯ではない、そして妹ドゥーニャも卑怯であるはずがないのです、彼の世界では。
そう考えるとドゥーニャに卑劣な結婚を思いとどまらせようとする彼の言葉も、実は独りよがりな動機で発せられたものかもしれません。
(2010年10月18日)
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ここでラスコーリニコフはしばし舞台から退場します。
代わって活躍するのがラズミーヒンです。
彼はドゥーニャに一目惚れしてしまいます。
その様子はまず16ページで、そのあと30ページで再び語られます。
彼は強引にドゥーニャ親子をラスコーリニコフの部屋から連れ出します。
ラスコーリニコフの様子は僕がしっかり見ておくから、さらに夜の間にも何度も彼の容体を報告に行くから、心配しないで自分のアパートで休むようにと、彼は主張します。
ドゥーニャ親子はこの言葉にすっかりラズミーヒンを親切な男だと思い込んでしまいます。
しかしそのあと彼自身がゾシーモフに語って聞かせる通り、彼の行動は親切心だけに基づいたものではありませんでした。
彼はラスコーリニコフの家主といい仲なのです。
彼女の眼が光るラスコーリニコフの部屋ではドゥーニャと親しく話をする事はできません。
だから彼は二人を必死で連れ出そうとしたのです。
ラスコーリニコフが二人を拒絶してくれたのも彼に幸いしました。
彼は二人のアパートで存分に親切さをアピールしてドゥーニャの信頼を勝ち取ります。
さらに彼は一計を案じます。
何と、ゾシーモフに家主を押しつけようとするのです。
彼女のそばにいて小難しい話でもして、さらにキスでもしてやればイチコロさ。
彼はこんな風に家主を友人に押しつけるのです。
こういう事を言ってのける奴は、現代の日本なら「サイテー男」と呼ばれるのでしょうが、筆致から察するにドストエフスキーはラズミーヒンの事をさほど人でなしとは思ってないようです。
以前にも書いた事がありますが、「罪と罰」とはそういう倫理観の時代のお話なのです。