海外の長篇小説ベスト100(第91位〜第95位)

第91位

ドストエフスキー「死の家の記録」(新潮文庫)

ドストエフスキーが好きなどと言いながら実はこれは初読です。
だってこれは小説じゃないでしょう? そう思って敬遠していたのです。

読み始めてみると、主人公がある手記を手に入れるところから始まります。
一応小説の体裁のようです。
ところがその手記の引用という枠組みは結局閉じられません。
様々な伏線も解決されないまま尻切れに終わります。
小説と呼ぶには形式が破綻しすぎているわけです。

あとは記録としての価値があるかどうか、です。

いくつか面白いエピソードもあります。
囚人たちが飼っていた動物の話は短編小説として独立させてもいいと思います。
すさまじい描写もあります。熱病のような感情の描写もあります。しかしやはり後期五大長篇と比べると「小説より奇」ではないのです。

ドストエフスキーファンには面白いかもしれませんが(私は除く)、一般的な名作とは言えないような気がしました。

 

(2010年5月31日)

第92位

ホメロス「イリアス」(岩波文庫)

「100大長篇を読もう!」という企画ですが、一番問題になるのは読んだことのある作品を再読すべきかどうか、という事です。

「悪徳の栄え」を前回読んだのは数十年前だから当然読み直すとして、6年前に読んだ「イリアス」をさあ、読み直すべきかどうか…。

「成すべきか成さざるべきかを迷った時には、成せ」というわけで、読み直しました。
(ただし「三国志」と「千夜一夜物語」は勘弁して下さい。)

結論として、再読してよかったです。
「イリアス」ではトロイヤ戦争を戦う人間の世界と、それを見守り、時に干渉する神々の世界が並行して描かれます。
前回読んだ時にはこの構図が気になって仕方がありませんでした。
二人の勇士が対決する時、雌雄を決するのは二人の力量でもなく努力でも根性でもなく、神々の采配なのです。
神に愛された方が勝つ、これは現実世界ではありえるのかもしれませんが、そこに小説で読むべきドラマはないと思ったのです。
ところが再読ではその印象がずっと薄められました。
読むスピードが上がったために全篇を貫くアキレウスとヘクトルのドラマが強烈に浮かび上がってきたのです。
主人公たちの強靭な精神力が神々の干渉に打ち勝ったとでも言いましょうか。
こうしてドラマが人間の手に返されてくると、戦闘シーンのすさまじい迫力にも改めて驚かされます。
ただし「イリアス」で描かれるのはアキレウスとヘクトルの一騎打ちまでです。
「トロイヤ戦争」で有名なあの挿話もあのエピソードもこのあとの話です。
そこにカタルシスを求めて読み始めると拍子抜けするかもしれません、要注意です。
(2010年5月24日)

第93位

マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」(新潮文庫)

活字の小さい新潮文庫で全5巻、正に堂々たる大河ドラマです。
絢爛たる舞踏会、陰惨な戦場、渦巻く嫉妬に、不屈の精神力。
それにしてもスカーレットのたくましさ、マーガレット・ミッチェルの筆致の力強さはどうでしょう。
もしマーガレット・ミッチェルがトマス・ピンチョンやサミュエル・ベケットを読んだらおそらく「ごちゃごちゃ言わずに普通に書け!」と二人を どつき回したのではないでしょうか 。

その強靭さと迫力は認めながら、一方で恋愛に関しては甘さが感じられるのがもう一つ物足りないところで。
読みながら「恋愛だから甘くていいのだ」と何度も自分に言い聞かせなくてはなりませんでした。
それから全てのシーンに映画版の場面が重なって、頭の中にあの曲が鳴り響いてしまうのも困ったところです。
映画は30年以上も前に、たった一回見ただけなのに、よほど強烈に記憶に突き刺さったものとみえます。
人類の文化遺産として「風と共に去りぬ」を残す時に、究極の選択で小説版と映画版のどちらを取るかと迫られた時に、躊躇なく小説版と言いきれないところが「第93位」たる所以かも知れません。
(2010年5月11日)

第94位

アンドレ・ブルトン「ナジャ」(岩波文庫)

さあ第94位にランクされたのはシュールレアリズムの旗手ブルトンです。
以前「溶ける魚」を読んで、あまりのちんぷんかんさに思わず笑ってしまったことを憶えています。
今作もきっと訳の分からない作品なんだろうなと覚悟して読み始めました。

冒頭に芸術論がどーんと置かれ、まずは芸術に接する時の心構えが説かれますが、そこを過ぎるとごくごく普通の恋愛ドラマが始まります。
ある日街角で出会った美少女、彼女は「ナジャ」と名乗り、語り手は彼女に恋をする。

問題は彼女があまり魅力的に見えないという点です。
ブルトンが彼女との出会いの奇跡性を語り、彼女の描いたスケッチや思い出の店の写真を挿入し、彼女の魅力を多方向からあらわそうとすればするほど彼女の存在感がどんどん平板になっていくのです。

ほら、古典的な表現方法を駆使しても表現できる事は限られているだろう?  もしかするとブルトンはそう皮肉っているのかもしれません。
つまり裏返しの「シュールレアリズム宣言」?
(2010年4月26日)

第95位

トマス・ピンチョン「V.」(国書刊行会)

これも訳の分からないお話です。
主人公が二人いて、その物語が互いに何の関係ないまま並行して進みます。
主人公の片方は父親の死に何らかの関係があった「V.」という女性を追い求めているらしいのですが、彼が手に入れた手がかりを元に再構成された「V.」のエピソードも唐突に挿入されます。
しかもそこに登場する「V.」は一人ではありません。語られる時代も様々です。
つまり読み手は、何台もの車がものすごい勢いで無秩序に走り回っているサーキット場のど真ん中に放り出されるような錯覚を覚えてしまうのです。
シュールというよりはキュービズムのような感触でしょうか。

しかしこのくらいでびっくりしていてはいけないのでしょう、次回第94位にはあの人が登場です。

「罪と罰」を読む(第2部第5章)

第2部第5章(第1巻338〜365ページ)

(31)

ここで登場するのはルージンです。
ラスコーリニコフの妹ドゥーニャの婚約者です。
母親からの手紙を読んだラスコーリニコフは、彼に対して非常に悪い先入観を持っています。
そのせいでルージンはここでは散々にこきおろされます。

気になる点がいくつかあります。

ドストエフスキーの作品では、重要な登場人物は必ず複雑なキャラクターを持たされているのに、ルージンには限りなく薄っぺらな性格しか与えられていないこと。
ここまで表面的なキャラクターはドストエフスキーは他には造形していません。

それから、この章ではとても興味深い偶然が二つ語られます。
まずはルージンがマルメラードフ一家と同じアパートに住んでいること。
これはドストエフスキーが好きそうな強引な設定です。

もう一つは、そこが老婆の家の「お隣さん」であること。

350ページめにして初めて語られる衝撃の真実です。

 

(2010年5月17日)

(32)

マルメラードフ一家が住むリッペヴェフゼリ夫人のアパートの場所は、本文中では詳しくは触れられません。
ラスコーリニコフは3回そのアパートを訪れますが、その描写によると、ある程度近所であることは間違いないようです。
ただ、ルージンはそのアパートを「(ラスコーリニコフの部屋からも)つい目と鼻の先」とも言っています。
田舎から出てきたばかりのルージンの距離感覚は知りようがありませんが、それでも全く離れた2軒を「お隣さん」とは言わないと思うのです。
しかしアパートの場所を示す箇所を読んでも、作者が敢えてぼかしているのか、それとも必要がなかったから説明しなかっただけなのか、文章からは全く読み取れません。
この問題はこのまま置いておくしかないようです。

ところで、ルージンは同居人のレベジャートニコフから今風の進歩的な思想について学んだ、とあります。
もちろん真剣に学習したのではなく若者たちに取り入るためにさわりだけつかんだという程度なのでしょうが、興味深いのはこの場面で語られる彼の「進歩的思想」がレベジャートニコフの思想と正反対であることです。
単にレベジャートニコフの受け売りならば共産主義思想を語るはずです。
しかしルージンが説くのはプラグマティズムです。
この食い違いが今までは分かりませんでしたが、今回読んでようやく分かりました。
ラスコーリニコフの母親がルージンに、自分の息子がいかに実務能力に長けて優秀であるか吹きこんでいたのです。
それを信じたルージンは夢想的思想を語るよりも現実主義思想を語った方がラスコーリニコフの共感を得やすいと判断したのでしょう。
部屋に入ってきたルージンは最初、ゾシーモフに話しかけます。
ところが一番まともそうな青年は目当ての人物ではありませんでした。
一番みすぼらしくて一番実務能力に欠けてそうな男がラスコーリニコフでした。
もちろん要領のいいルージンならここで共産主義を語ることもできたはずです。
しかし彼は戸惑いながらも当初の予定通りの話題を振ってしまったのです。
案の定、彼の考えは「進歩的な」ラズミーヒンによって即座に拒絶されます。
ここではラズミーヒンの無礼さに驚かされるのですが、こう考えると話題の選択を誤ったルージンの哀れさ、滑稽さを上手く表すための態度だったようです。
ドストエフスキーの細かなテクニックです。

 

(2010年5月19日)

プロローグ<第2部第4章<main>第2部第6章


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