神戸元町ダイアリー2010年(1)

あけましておめでとうございます。
年末年始、神戸地区は比較的穏やかな天気でしたが、みなさまゆっくり過ごせましたでしょうか。
松本胃腸科クリニックはこの1月をもって開院11年目に入ります。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

 

(1月4日)

さてクリニックを10年間営んで強く思うのは、私がどんなに患者のみなさまに恵まれてきたかということです。
「患者に恵まれる」とは妙な言い回しですが、私もこれまでに様々な地域の様々なタイプの医療機関で働いてきました。医師仲間といろいろな話もします。
そして今になって強く実感するのです。
松本胃腸科クリニックは患者に恵まれている、と。
理不尽な要求をする患者やクレイマーが少ないとかそういう低いレベルの話ではありません。
当院に来られる方はみなさん人生に対してしっかりとした目的意識をもち、医療や健康についても高い見識があり、患者として以前に、一人の人間として尊敬できるのです。
こういう人たちの健康管理のお役に立てて、私は本当に幸せだと思います。
社会情勢はますます不安定です。
不安定な時代を生きるためにはまず土台の「健康」を安定させなくてはなりません。
松本胃腸科クリニックはみなさまの健康管理にこれからもお役に立っていきたいと思います。

 

(2010年1月6日)

新年早々インターネットに接続できなくなってしまいました。
こういう時本当に困りますね。
パソコンが悪いのか、パソコンとケーブル差込口の間にある機械(ルーターというのだそうです)が悪いのか、NTT回線が悪いのか、それともプロバイダーが悪いのか、さっぱり分かりません。
仕方なく順番にそれぞれの「問い合わせセンター」に電話をするのですが、どこの電話もかなり混み合っています。
やっとつながったと思ったら担当者の言うことは専門用語ばかりでちんぷんかんぷん。
意味が伝わったと思ったら「それはうちの問題ではない」という返事。
同じ故障でも冷蔵庫や洗濯機などの家電は相談窓口が一つですからここまでややこしくありません。
しかし考えてみると人間の身体もややこしい点では同じです。
以前にも書いたことがありますが、胸が痛い時に何科に行けばいいのか普通は分からないのではないでしょうか。
狭心症なら循環器、気胸なら呼吸器、逆流性食道炎なら消化器、乳腺なら外科、授乳に由来する炎症なら婦人科、肋間神経痛なら整形外科……。
これを一つずつ回っていくのは大変な時間と労力の無駄です。
せめて窓口が一つなら時間と費用のロスが最低限で済むのですが。
かかりつけ医を持っておくことの大切さを感じた今回の一件でした。

 

(2010年1月8日)

今回ネットに接続できなくなって、自分がいかにネットに依存しているか実感させられました。
プライベートでもオフィシャルでもほとんど全ての連絡はネットを介しておこなっています。
日記代わりの備忘録やスケジュール表もネット上にあるし、ちょっとした疑問はすぐグーグルに頼ってしまいます。
地図はもちろんクラシックの楽譜も今では簡単にネットで手に入ります。
今後は書籍もネットで簡単に閲覧できるようになるでしょう。
となれば誰しも思うでしょう。
簡単にネットで分かるものをわざわざ自分の脳を使って憶えておく必要はないのではないか。
簡単にダウンロードできるものをわざわざ狭い家に置いておく必要はないのではないか。
我が家だけの問題ではありません。図書館でも資料室でもそうです。
これからはパッケージを取り除いてデータだけを保存するという流れになるのではないでしょうか。
そう遠くない未来、人類の知的所有物はネット上だけに存在するという時代になると思うのです。
さてここでSFになります。
これまでの映画では地球征服をたくらむ宇宙人は圧倒的な武力で襲ってきました。
これからは武力などは必要ありません。
ネット上に漂っている情報を一手に奪ってしまえば人類の歴史は終わってしまうのです。
文字や音からなる芸術作品はもちろん、人類が培ってきた全てのデータ、個人情報まで人質に取られたら私たちは降参するしかありません。
そのために厳重なセキュリティがあると反論されるかもしれません。
しかし宇宙人自らが莫大な容量のサーバーを無料で立ち上げたとしたらどうでしょう。
人類は彼らの地球支配のためにせっせと自らの人質を差し出していることになります。
というわけで自分ではグーグルやウィキペディアに頼りながら思うのです。
「絶対にこれって宇宙人の罠だよな」って。
そう思いません?

 

(2010年1月13日)

佐々木譲ってまだ直木賞を取ってなかったんですね。
初期作「ベルリン飛行指令」のカッコよさに号泣して、近作「警官の血」の味わい深さにしびれた私は、とっくの昔に取っているものと思っていました。

 

(2010年1月15日)

今年もオペラの季節がやってきました。
私がお手伝いをしている「芦屋市民オペラ」。
今回はいつもの芦屋のホールが耐震工事中のため新神戸での上演となります。
あまりにも悲劇的であまりにも美しいオペラ「椿姫」。
会場となる「芸術劇場」もとっても素敵なホールです。
興味があればぜひどうぞ。

 

(2010年1月18日)

音楽は圧倒的に素晴らしい「椿姫」ですが、歌詞対訳でよく分からないところがあって先日原作を読んでみました。
映画などでもよくありますよね、原作を読んでいないとよく分からないところが。
ところが「椿姫」は原作とオペラは全くの別物でした。
参考になるとかそういう代物ではありません。
まず原作ではアルフレードがヴィオレッタの墓を掘り返すところから始まります。
(ちなみに登場人物の名前も大幅に違っています)
そしてアルフレードはヴィオレッタの死の場面に立ち会わない。
残酷でリアルな原作からオペラは甘美な部分だけをすくい取った、そういう感じでしょうか。

それにしても不思議です。
こんな重くて暗い小説がベストセラーになったのですから。
日本でいうなら小林多喜二の「蟹工船」がヒットするみたいな感じでしょうか。
え、「蟹工船」もヒットしたのですか。
それでは「椿姫」がヒットしてもおかしくないのかもしれませんね……。

 

(2010年1月21日)

先日の紅白歌合戦を見ていて感心したのですが、ステージ奥の巨大なスクリーンが背景を映し出していました。
これだとセットを組むよりリアルですし、しかもどんどん場面を変えていくことができます。
たとえば暗くて狭い地下牢から壮麗な大聖堂へとあっという間に場面転換できます。
それだけはありません、見せ方によってはラインの乙女たちが川を泳ぎ、ワルキューレたちが戦場を飛び回ることも可能です。
まさにオペラにぴったりの装置だと思うのです。
いずれは全てのホールに巨大スクリーンが設置される日が来るでしょう。
今から待ち遠しいです。

 

(2010年1月25日)

オペラ公演を手伝っている関係で、時々練習にも立ち会わせてもらえます。
一流の歌手の方々の演奏を間近に聴けるというのは本当に素晴らしい体験です。
第3幕のヴィオレッタのアリア「さようなら過ぎ去りし日々よ」などを目の前で聴いていると全ての苦労が報われるような気がします。
私はそれほどの苦労をしているわけではありませんが……。
演出家の稽古をそばで見学できるのも非常に面白い経験です。
映画が好きなので演出には興味があったのですが、これは想像以上に大変な仕事です。
この場面で、どうしてこの人はここに立たなくてはならないか、どうして次の一歩を右足から踏み出さなくてはならないのか、顔をどちらに向けるべきなのか、などなど全てが理路整然と頭の中に詰まっていなくては務まりません。
演出家が出す一つ一つの指示にただひたすら感心させてもらっています。
それから今回は字幕作成もお手伝いさせてもらっていますが、これもやってみるとアマチュアが気軽に手を出せる仕事ではありませんでした。
見ている人のためにはどんどん意訳して分かりやすくした方がいいかもしれません。
しかしその一方で歌手が思いを込めて歌っている言葉は、ちゃんと字幕に映し出すべきなのでしょう。
またワンフレーズごとに微妙に色合いを変えていく音楽に、言葉もしっかり寄り添わせたいものです。
字幕制作のプロの方に手取り足取り指導していただいていますが、世界の奥深さに驚き、それと同時に自分の無謀さに呆れているところです。
さあ、「椿姫」の公演はいよいよ1月30日、31日です。
興味のある方はぜひお越しください。

 

(2010年1月27日)

新聞によると飲食店の禁煙化の流れが加速しそうです。
大変に好ましいことです。
しかしこういう記事の中では必ず「業界の抵抗が予想される」という一文が差し挟まれます。
「〜の抵抗が予想される」「〜という声が聞こえてきそうだ」「〜との反発を心配する人もいる」
という書き方はマスコミが世論誘導を狙っている時の常套句です。
国民の健康を真に願っているならこういう書き方はやめた方がいいと思います。
ところで業界の心配を吹き飛ばすには私たちの飲食店利用意識を変える必要があると思います。
これまで4人で食事に行く時、そのうち一人が喫煙者であれば喫煙可の店に行くことが多かったと思います。
これからは一人でも禁煙者なら禁煙の店に行くようにしませんか。
医師会も強圧的、高飛車な声明を発表するよりも「煙草を吸わない仲間がいるから今日は禁煙の店に行こう」キャンペーンを行った方がいいと思います。

 

(2010年3月3日)

大学生たちと話す機会があって。
昨秋は就活や卒論などの話題ばかりで表情ももう一つ冴えなかった彼らですが、年が明けてからは明るさが戻ってきました。
それぞれ今月いっぱいで卒業、大学院進学、自分探しです。
もっと若い1、2年生とも話をしたのですが、驚きました。
ドストエフスキー、漱石、村上春樹、伊坂幸太郎などの話で盛り上がれるんですよね。
活字離れなどと言われていますが、彼らは間違いなく学生時代の私よりもはるかに多くの本を読んでいます。
本当はエヴァンゲリオンの話題でも盛り上がったということは内緒です。

 

(2010年3月15日)

神戸元町ダイアリー2009年(5)卵かけご飯について<main>神戸元町ダイアリー2010年(2)家族の絆


海外の長篇小説ベスト100読書開始!

3か月前にまとめ買いした本が残り1冊になってしまいました。
例年なら正月休みは大長編に挑戦しようとウキウキする頃なのですが、今年は何を読むかまだ決まっていません。
あと1冊を読み終えるまでに決めなくては……。

未読の大長編って何かあったかなあ。
と思っているとこんな本がありました。
雑誌「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」、これは自分で読書計画を立てられない私のようなモノグサ星人にはぴったりです。
さっそく買ってこようっと。

というわけでこの欄の更新は今回が年内最後です。
また来年お会いしましょう。
くれぐれもお身体にはお気をつけください。

 

(2009年12月21日)

昨年末に「世界の100大長篇小説」の話題を取り上げました。
年末年始に長編小説を読みたいけれども、何を読んでいいか分からない。
そう思っていたら季刊誌「考える人」が08年春号で「海外の長篇小説ベスト100」という特集をしていることが分かったのでぜひ参考にしたい、という内容でした。
興味があるのはランキング結果だけで雑誌の内容自体はどうでもよかったので(失礼!)、出版社に注文するほどでもないし、本屋に行くついでにバックナンバーの有無を確かめる程度の不熱心さで探し続けていました。
そうしたらありました、さすがの「海文堂」!

こういうランキングの場合、選者の質が問題ですが、今回選出に携わったのは作家から文学研究家、評論家、翻訳家まで、幅広いジャンルの文化人129人です。
129人が選ぶベスト100だと統計的にかなり信頼できます。

というわけでその結果を発表しますと……とただランキングを書きならべるのは面倒くさいので第100位の作品から順番に読んで行ってその都度報告しましょうか。
うん、これなら2年ほどコラムのネタに困らなくてすみそうです。
私と同様に「ランキングの結果だけ知りたい人」、ごめんなさい。
2年ほどお付き合いください。

 

(2010年3月5日)

コラムをお読みの方はご存じのとおり、この記事を書いて4年たった2014年現在もベスト100は読み終えていません。
今度こそあと2年でしょうか?
それから、さすがの「海文堂」も2013年9月に閉店してしまいました。


|main>第96位〜第100位
 


「罪と罰」を読む(第2部第2章)

第2部第2章(第1巻:250〜275ページ)

(24)

警察署を出たラスコーリニコフは盗品をどうにかしようとします。
全く頼りにならないおのれの理性に従って最初は運河に投げ捨てようとし、それが現実的でないことにかろうじて気がついて、人気のない空き地の石の下に埋めます。
証拠品を隠すということは、警察の嫌疑から逃れようとしているわけです。
本能的な恐怖感から、つまりは消極的な理由で「罪を犯したあと」を生きようとしているのです。

続いて彼はラズミーヒンの部屋を訪ねます。
犯行の前日、彼はこう考えていました。


「ラズミーヒンの家には出かける、(中略)だが――今じゃない(中略)あれのあとだ、すでにあれにけりをつけて、何もかもが新しいはじまりを告げるときに……」


犯行前の時点では彼は「罪を犯したあと」をもっと積極的に生きられると思っていたようです。
ところが彼はせっかくラズミーヒンから譲ってもらった翻訳の仕事を突き返してしまいます。
「罪」は彼にとって「新しいはじまり」にはなりませんでした。

一見些細な二つのエピソードで、ラスコーリニコフは一方では前向きに歩こうとし、もう一方では歩くことをあきらめかけます。
いずれにしても彼の心の足取りは危うい。前にふらふら後ろにふらふらです。
こんな状態の彼が何らかの決断を下すとはとても考えられません。

しかし、彼は決断するのです。

 

(2010年2月24日)

(25)

第1部の第5章を思い出します。
いくつかのエピソードを経て、ラスコーリニコフは人殺しの計画を捨て去ろうとします。
ところがそこに神の声が鳴り響き、彼は老婆殺しに向かうのです。
第2部の第2章でも同じような構図が取られます。
ラスコーリニコフは証拠品を隠したかと思うと、すぐそのあと自暴自棄になってしまう。
彼は自分の運命を決められないでいます。

そこに神の手が働きます。

ラスコーリニコフが馬車に轢かれそうになったのを見た婦人が20コペイカをめぐんでくれたのです。
ワシリエフスキー島での20コペイカと言えば、二日前に彼がかどわかされそうになっている少女のために払ったのが、ここワシリエフスキー島であり、金額も同じ20コペイカでした。
彼が殺人を拒絶するために払った20コペイカが、今神の手によって返されたのです。

 

(2010年2月26日)

(26)

ラスコーリニコフはネヴァ河畔から冬の宮殿を見ます。
大学に通っていたころ、おそらく百回も見入ったであろう壮麗なパノラマ。
背中に受けた鞭の痛みも消え去りました。

鞭の痛みと言えば私たちはどうしても一昨日の夢を思い出さずにはいられません。
痩せ馬の夢、現実の老婆殺し。
二つの強烈な暴力の場面を経て、今彼の心は凪の時を迎えます。
ふと手を見ると、そこには20コペイカ。
神の許しか、慈しみか、あるいは憐れみか。
彼はその20コペイカを川に投げ捨てます。

彼は神と決別したのではありません。
神に見守られる世界と決別したのです。
いわば、神なき世界への旅立ち。

 

(2010年3月1日)

プロローグ<第2部第1章<main>第2部第3章


calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< March 2010 >>
selected entries
categories
archives
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM