第1部第4章(第1巻:99ページ〜127ページ)
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母親からの手紙にラスコーリニコフが当り散らす場面、かどわかされそうになる少女を助ける場面、それからラズミーヒンの人物紹介と、この章は三つの場面からなります。
まず最初の場面です。
ラスコーリニコフの八つ当たりの標的は、最初はルージン、次に自己欺瞞に満ちた手紙を書いた母親、それから兄のために自分を犠牲にしようとするドゥーニャと移っていって、最後に全ての原因である自分に行き当たります。
ラスコーリニコフの八つ当たりがそもそも自分勝手なのですが、その上彼は矛先が自分に向かった途端に追及の手を止めてしまいます。
こういう身勝手なキャラクターを書かせるとドストエフスキーは超一流です。
もっとも、読んでいる方はいらいらして全く楽しくありませんが。
次に少女を助ける場面ですが、よく分からないのはつきまとっている男のことです。
ラスコーリニコフの推測では少女は誰かに酔わされて、すでにかどわかされたあとです。
男はそのおこぼれに預かろうとつきまとっているわけです。
ところが巡査が現われても男はまだ着いてきます。
このしつこさがよく分かりません。
そこまで執着するなら巡査をうまく言いくるめれば済む話です。
身なりは立派なのですから「知り合いの子だから私が連れて帰りましょう」と言えば、巡査だってラスコーリニコフよりも男を信用したはずです。
しかし男はラスコーリニコフに面罵されても反論せず、ただ遠巻きに見ているだけです。
何回読み返しても、どういう状況を設定してドストエフスキーがこの場面を書いたかもう一つよく分からないのです。
最後にラズミーヒン。
わずか3ページ足らずの描写ですが、これもすっきりしません。
結局ここではラズミーヒンは現われないのです。
現われない者のために3ページが費やされる、この行き当たりばったり感がどうもドストエフスキーらしくないのです。
マルメラードフの長広舌と母親の大長編の手紙にうんざりしてそろそろ「罪と罰」を放り出したくなった人はこの第4章を読み飛ばしてすぐ第5章に入りましょう。
第5章はなかなか衝撃的です。