手塚治虫が没後20年だそうです。
彼の代表作といえば「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし「アトム」や「ブラックジャック」が彼の魅力を100%生かした作品かというと大いに疑問です。
無尽蔵ともいえるバリエーション豊かなストーリーメイキング、その語り口の巧みさ、凝縮した展開の中に詰め込まれたヒューマンな感動。
確かにこういった魅力は十分味わうことができます。
しかし手塚の魅力はそんなところばかりにあるのではないと思うのです。
完全な悪、必要に迫られて悪に手を染めるのではなく、悪そのものが目的ともいえる美しく完全な悪人。
変身の克明な描写、作品によっては人が動物に変身したり、あるいは子どもが大人になったり。
未分化な性、それは作品によっては男装だったり女装だったり、あるいは限りなく中性的な絵柄の動物だったりロボットだったり。
これらの魅力を全て生かした手塚の作品は「バンパイヤ」以外にないと思うのです。
悪の主人公ロックは冷酷無比な美少年で変装も自由自在、時には美少女に化けてしまいます。
善の主人公トッペイも満月の日には狼に変身する狼男です。
私は手塚の最高傑作は「バンパイヤ」であると信じています。
ところで豊かなストーリーテラーである手塚はストーリーの使い回しをあまりしないのですが、実は「バンパイヤ」をリメイクしたことがあります。
ストーリーはリアルになり設定も大幅に変わっているのでもしかすると手塚自身もリメイクとは気がついていないかもしれません。
しかし女装も自由自在の美しい完璧な悪人、良心の呵責に苦しめられながらもその悪人に惹かれている主人公、世界の破滅に向かって突き進んでいく物語、これはまさしく「バンパイヤ」の現代版以外の何ものでもないと思うのです。
「MW(ムウ)」玉木宏主演で映画化されたそうです。
(2009年7月1日)
製薬会社のエーザイが今、鉄腕アトムをキャラクターに用いた宣伝に力を入れています。
もう何十年も見慣れてきたアトムの絵ですが、「日本アニメを代表する健全な勧善懲悪型ヒーロー」という先入観を取り払って見てみるとかなり異様です。
まつげの長い中性的な顔立ち、そして上半身は裸で、なぜかブーツ姿。
その異様さを手塚自身もある程度意識していたそうです。
編集者の要請でアトムの妹ウランを登場させることになった、それで完全にアトムの執筆意欲が喪失した。
後年彼自身がそう語っていたのを思い出しました。
つまりそれまでアトムには中性的な妖しさが秘められていたのに、妹の出現によって完全に男性になってしまったわけです。
時代を経て、今やアトムよりも面白おかしい漫画はいくらでもあります。
今の小学生にアトムを見せてもおそらく見向きもしないのではないでしょうか。
ところがもっと小さな子どもたちは違います。
彼らにはアトムが壊れてバネが飛び出したりするシーンが魅力的でたまらないようです。
というわけで「アトムはいい漫画だった」などと語る人を見ると、少しドキドキしてしまうのです。
(2009年7月3日)
もしかすると以前にも書いたことがあるかもしれません。
手塚治虫は雑誌に発表した作品を単行本化する際にかなり修正を加えるので有名でした。
さらに講談社の全集に収録する際にも相当手を加えたと聞いています。
つまり一つの作品につき3つのバージョンが存在することになります。
「鉄腕アトム」や「火の鳥」など繰り返し単行本化されている作品だと一体何バージョンあるのか分からないほどです。
次回の電子メディアによる手塚大全集ではこのバージョン違いもきっちり収めて欲しいものです。
(2009年7月6日)
当院のお盆休みは8月8日(土)から16日(日)です。
2週間処方の方はご注意ください。
さて今年のお盆休みには、新訳も出たことですし「罪と罰」を久しぶりに読み直そうと思っています。
「罪と罰」は、精読しようと思うと前の方のページを何度も読み返さないといけないのですが、3分冊という光文社の巻立ては少し不便かもしれません。
(2009年7月24日)
一年以上前の話になります。
冷凍庫に水の入った容器と熱湯の入った容器を入れると熱湯の方が早く凍る、という実験がNHKの番組で紹介されたそうです。
「必ず」熱湯が早く凍ると紹介したのか、それとも「凍ることがある」と紹介したのか知りませんが、それに対して大槻義彦という学者が噛み付きました。
最初は「そんな馬鹿なことがあるはずがない」と一笑に付した大槻氏ですが、実験も行わないで否定するのは科学者らしくないと周囲に説得されて簡単な実験を行ったようです。
その結果は氏のブログでも紹介されていますが、いくつかのサンプルのうち一つの検体で熱湯の方が早く凍り、さらにもう一つの検体で水と熱湯が同時に凍りました。
それに対して氏は「例外的な要因のせいだ」と切り捨てます。
その例外的な要因をいくつか提示はしますが、それ以上の検証はなしでした。
普通に考えれば熱湯の方が早く凍るはずがありません。
ところがもし100回に1回でも熱湯の方が早く凍るとすれば、真っ当な科学者であればその現象に飛びつくはずです。
「ありえないはずのことがどうして起きるのか?」
気化熱のせいだとするなら蒸発しないような器具を工夫してその条件下で比較するだろうし、容器周囲の対流に原因があるとすれば対流を防ぐ容器を考え出すでしょう。
そして原因が判明すれば今度は熱湯の方が100%先に凍る実験モデルを作ってみせるはずです。
そういうことを一切しない、そういう発想も全くない、大槻という人はあまり科学的ではないと思います。
逆に「科学」と思われているものを妄信する「科学教」の信者のように思えてならないのです。
(2009年7月27日)
自称科学者の大槻氏が「科学っぽいもの」を妄信するように、人は信じたいものを信じる傾向があります。
不思議に思うことがあります。
手品を見てタネや仕掛けがあることを疑う人はいません。
トリックがさっぱり分からなくても何か仕掛けがあるに違いないと私たちは考えます。
ところが同様に不可解な現象でも「心霊現象」と名づけられると人は途端に信じてしまいます。
初歩的なトリックでできるような現象でもオカルトが加わると往々にして人は判断を停止してしまいます。
たとえば交通事故が起きた場所に幽霊が出るというのはよく聞く話です。
死んだ人の無念さが幽霊となってその場所をさまよっているのだと説明されれば人は納得してしまいがちです。
ところが多くの人が無念さを抱えて亡くなる場所はたくさんあります。
戦場もそうですし大災害の現場もそうですし病院もそうです。
ところがそういうところに幽霊が大発生しているかというと、そんな話はあまり聞きません。
つまり人が死んで幽霊になるという仮定はあまり合理的ではないのです。
合理的でないからといってそういう現象を否定しろとは言いません。
もっと合理的な解釈を求めてもいいのではないか、そう思うわけです。
夏の怪談噺、次回に続きます。
(2009年7月29日)
私は幽霊そのものの存在は否定しません。
と言うか、一定の条件下で人は幽霊を見る、という現象を認めます。
ひと気のない暗い夜道で、湿度が高くて、かすかなアンモニアあるいは窒素酸化物の臭いが漂い、木々を揺らす程度の風が吹いている、わずかに傾斜があるけれど少ない日照時間のせいで木々の生える角度と斜面の勾配と重心の方向とが微妙に一致しない、そういう条件ならば、「こういう場所にはよく幽霊が出る」という先入観を植えつけられた人はかなりの確率で幽霊を見ると思います。
そういう場所で車を運転すると、平衡感覚が微妙に狂っているためにハンドル操作が不正確になり、瞳孔が開いているために遠近感も狂いがちです。
つまり事故が起りやすいと思うのです。
とすると因果関係としては、「事故が起きるから幽霊が出る」のではなく「幽霊が出るから事故が起きる」と考えた方がしっくりくるのではないでしょうか?
病院は本来は日当たりも風通しもいい、療養に適した場所を選んで建てられているはずです。
従って病院にはあまり幽霊が出ません。
人の死と幽霊とは分けて考えた方が合理的なような気がするのです。
たぶん、まだ続きます。
(2009年7月31日)
既視感、いわゆるデジャヴというものがあります。
初めて来たはずの場所なのになぜか見覚えがあるという感じはおそらく誰もが少なからず体験したことがあるのではないでしょうか。
この現象をいろんな立場の人がいろんな理屈で説明しようとしていますがあまりぴんと来ません。
しかしデジャヴの逆の体験をすることが多い私には何となく理解できるのです。
デジャヴとは逆の現象、つまり「方向音痴」です。
私はとにかく道に迷いやすくて、何回も行ったことがある場所でもなかなかたどり着けなかったりします。
「方向音痴」と言いますが、左右や東西南北が分からないわけではありません。
とにかく道が覚えられないのです。
またまた続きます。
(2009年8月3日)
これを自分で分析してみて、道を覚えるチェックポイントが少ないから迷いやすいのではないかと思いつきました。
普通の人であれば「二つ目の信号の先にあるみなと銀行の角を左に曲がって、薬局の2軒向こう側のビルの3階」と覚えるところを私は「そのちょっと先を左に曲がって、薬局の近くの3階」という風にかなりはしょって覚えてしまうわけです。
とすると目標のずいぶん手前のりそな銀行で曲がり、当然薬局はその近辺にないので「薬局じゃなくて整骨院だったかもしれない」と勝手に解釈して全然違う建物にたどり着いてしまうのです。
風景を捉えるポイント箇所が少なくて、しかも文字情報に置き換えられていないと迷いやすい、それと同じ理屈で普段少ないポイント箇所で風景を捉えていると違う風景を同じものと認識してしまうのではないでしょうか。
ある風景を「左手に赤い看板があって、突き当たりに学校があって、右側に黒い車が停まっている」と3か所くらいのポイントで認識する人だと、かなりの確率で違う風景も同一のものとして認識してしまうわけです。
心霊写真も同じだと思います。
円の中に黒い丸が二つ(あるいは三つ)あると人はそれを顔として捉えてしまいます。
コンセントの差込口も、ボウリングの球も、そのつもりで見ると人の顔のように見えてくる。
その認識の容量が広い人は単なる写真の陰影に人の顔を認識してしまうのだと思います。
まだ続きますが、何とかお盆休みまでには収拾をつけたいものです。
(2009年8月5日)
魂の重さは21グラムだという説があります。
今から100年ほど前にある学者が息を引き取ろうとしている患者をベッドごと大きな秤に乗せて観察したところ、臨終の瞬間に21グラム減った、それをもって魂の重さは21グラムだと考えたのです。
今から考えれば全く馬鹿馬鹿しい話です。
5万グラムのうちの21グラム。
100年前にそれほど精度の高い測定装置があったのか疑問ですし、仮にあったとしても、肺胞内に含まれている湿度の高い空気が開放されても数十グラムにはなるでしょう、減少した21グラムを魂の重さであると結論付ける前に検証しなくてはならないファクターがあまりに多すぎます。
と、真面目に反論するほどの話ではないのですが、それにしても不思議です。人は、幽霊を見れば人の霊魂だと思い、デジャヴを体験すれば霊体離脱によって無意識に体験したのではないかと疑い、臨終の際に21グラム減少すると聞けば霊の重さと思い込む。
人はどうしてこれほど霊の存在を信じたいのか、そちらを研究する方がよほど面白そうです。
さて松本胃腸科クリニックは明日から16日まで休診します。
くれぐれも心霊体験には気をつけてお過ごしください。
(2009年8月7日)
お盆休みも終わってしまいました。
みなさんお休みはゆっくり過ごせましたでしょうか?
さて8月15日になるといつも不思議に思うことがあります。
「玉音放送」と呼ばれる終戦詔書の放送です。
私の頭には、全国民がラジオに耳を傾け、家族なら家族みんなが抱き合って涙を流しながら天皇の言葉に聞き入っている、そんな映像が強く植えつけられています。しかしかなり(というか最高に)難解な文語文を、音質もよくないであろうラジオで聞いて、当時の人は放送の意味が分かったのでしょうか?
ドラマや映画だと放送を聞いた主人公が「戦争が終わった!」と叫びながら家から駆け出すシーンが続きそうですが、実際は放送を聞き終わってもみんなしばらくきょとんとして、とりあえず役場に行ってみると徐々に「戦争が終わったらしい」という情報が伝わってきた……みたいな感じだったのではないかと勝手に想像しています。
実際はどうだったのでしょう?
考えてみると、そんなことはお盆で帰省した際に親に聞けばいいのでした。
今度聞いてみます。
(2009年8月17日)
渋滞の専門家によると車間距離を40メートル取れば自然渋滞は発生しないそうです。
私は車を運転しないので関係ない……と思いながら一つ思いついたことがあります。
エスカレーターに乗る時、急いでいる時は左レーンを歩きますが、時々降り際に立ち止まる人がいます。
前の人が急に立ち止まるとぶつかりそうになって困ります。
大したことではないのですが、その都度ちょっとしたストレスを感じている自分がいます。
ふと思いついて車(人?)間距離を取ってみました。
前の人から2段空けて歩くのです。
そうすると前の人が立ち止まってもこちらは降り際にスピードを落とさなくてもすみます。
わずかに1段分なのですが、これはなかなか具合がいいです。
ぜひお試しください。
(2009年8月28日)
歩きながら携帯画面を見ている人がいます。
時には階段を降りながらメールをしている人がいます。
往々にしてそういう人は急に立ち止まります。
これは非常に危険です。
階段の下りで、すぐ前を歩いている人が急に立ち止まるとこちらはその人に追突してしまいます。
ハイヒールの女性だと階段を転げ落ちることにもなりかねません。
こちらが加害者になってしまう可能性があるのがとても怖いことです。
階段の下りで前の人が携帯画面を見ていたら車間距離を十分取った方がいいと思います。
(2009年8月31日)
昼と夜の寒暖差が激しいですね。
体調管理が難しいです。
我が家にも体調管理に失敗してこんなものをつけられた人が一人。
(2009年9月11日)
2009年8月30日、衆議院議員選挙において民主党が過半数を獲得、鳩山政権が誕生した。
マニフェストの目玉が高速道路無料化と公立高校の実質無償化であった。
高速道路の無料化に反対する人はいても高校授業料の無料化に反対する人がいないのは驚きです。
私は高等教育は無料化すべきだと思いますが、今の高校はとても高等教育とは言えません。
どのジャンルにしても「高等」と呼べるのはせいぜい上位3割だと思うのです。
無料化するなら全国統一学力テストを行って、上位30%のみを無料化すべきです。 ……と、思っていたのですが最近はまた考え方が変わってきました。
上位3割は無条件で無料でいいと思います。
それ以下の人は条件付きで授業料相当分を給付するのです。
つまり補習プリントです。
与えられたプリントの問題に解答してそれを提出することによって給付金をもらう仕組みです。
「自宅でやらせるとカンニングし放題じゃないか」と言う人もいるでしょう。
それでもいいと思うのです。
「どうせネット上に解答集が出回るだろう」と心配する人もいるでしょう。
それでもいいと思うのです。
家族が試験問題を囲んでああでもないこうでもないと考える、「そう言えば昔習ったような気がするな」と言いながら頭をかいているお父さんの横で、お母さんは「あら、これは大河ドラマでガクトが 演じていた人だわ」などとわき道にそれる。
それでも1か月に一度くらい家族で高校の問題に向き合う習慣ができると日本の学力レベルは徐々に上がってくると思うのです。
もちろん和気あいあいとした家族ばかりではないでしょう。
崩壊家庭の高校生はきっとネットの解答集に頼ることになります。
それにしても数式や歴史上の人物の名前や漢字の書き取りを丸写しするためにはプリント1枚につき1時間程度は机に向かわないといけない のです。
これまで無制限にTVゲームやネットにうつつを抜かしていた引きこもり高校生が、少なくとも何時間かは勉学(のようなもの)のために時間を割かなくてはならなくなるのです。
画期的なこtだと思うのです。どうでしょう? 民主党さん。
(2009年9月14日)
景気刺激のために公共事業は有用です。
同じお金を投じるのならお金が地元で回転するような方法で使って欲しいものです。
道路工事が必要だとして、東京から大型工事機械と職人がやってきてあっという間に作ってしまえば投下した税金は全て東京に吸い取られます。
地元の作業者がつるはしを持って工事すれば工事費用のほとんどが地域で使われます。
ところがこれまでの「公平な」入札制度では地域での資本回転率は考慮されてきませんでした。
単純に受注額だけで業者を選定して、地域での経済効果については全く考えなかったわけです。
地域の企業が受注しようとすると代議士に口利きを頼まなければならず、往々にして贈収賄事件に発展してしまいます。
経済効果を考慮し、しかも政治家の介入を許さない方法を思いつきました。
入札する業者には地域の労働者に支払われる賃金の割合を計算させ、見積もり金額をその割合で割った数値で落札業者を決定すればシンプルでいいと思います。
素人の思いつきで机上の空論にすぎないかもしれません。
しかし一つ確実なことがあります。
地域で資本をより多く回転させようとするならなるべく人件費率が高い事業に税金を投じた方が効果的だということです。
材料費や輸送費や設計・プラン・企画に要する費用などは大抵の場合地元を素通りして東京に吸い取られます。
地元の労働者に支払われる割合が最も高い業種にこそ税金を投入した方がより多くの経済効果が得られます。
そして最も人件費率が高い業種は「介護」だと思うのです。
これまで介護事業は福祉の観点からしか語られませんでしたが、これからは経済波及効果が最も高い財政的事業としても語られるべきだと思います。
どうでしょう? 民主党さん。
(2009年9月16日)
昨日NHKのニュースを見ていたら何と、大麻吸引で逮捕された芸能人の保釈がトップニュースでした。
「所持」容疑で勾留されている被疑者を勾留期間延長のために「使用」容疑で再逮捕したり、マスコミに取り調べの様子をがんがんリークしたり、あまりにも人権を無視したひどい捜査方法を批判する報道かと思ったら、単なるおわび会見のレポートでした。
裁判員には守秘義務を求めるくせに自分たちは情報を垂れ流す警察関係者を、マスコミは放っておいていいのでしょうか。
そうそう、先日の選挙で森元首相が選挙事務所から地元新聞以外を締め出した件を朝日新聞が批判的に報じていました。
自分たちは記者クラブを作って会員以外のジャーナリストを締め出しているのにも関わらず、です。
政治の世界には新しい風が吹こうとしているのに、進取の精神が必要なはずのマスコミは旧態依然のようです。
(2009年9月18日)
この芸能人とは酒井則子のこと。
元町ミュージックウィークのシーズンがやってきました。
今年もお手伝い。
10月3日(土)14:00〜こうべまちづくり会館のチェロアンサンブルコンサートです。
今年は演目も一段とバラエティ豊かになり、プレイヤーのレベルも(私以外は)かなりのものです。
他のメンバーの足を引っぱらないように頑張りたいと思います。
お暇ならどうぞ。
(2009年9月25日)
神戸元町ダイアリー2009年(3)新型インフルエンザ騒動<main>神戸元町ダイアリー2009年(5)卵かけご飯について