神戸元町ダイアリー2009年(1)

あけましておめでとうございます。みなさま、お正月休みはゆっくり過ごせましたでしょうか?
私は一応予定通り「江戸川乱歩全集」を読み終えました。
肝心の映画はタイミングが合わなくて見ていません。
それにしても乱歩全集全30巻、さすがに長かったです。
初期の短編はともかく中期以降の長編の数々は本当にくずのような……、おっと新年早々ネガティブなことは言わないでおきましょうか。
中期以降の長編はともかく初期の短編の数々は本当に素晴らしかったです。
今年もよろしくお願いします。

 

(2009年1月5日)

江戸川乱歩全集の最後の方はエッセイや自伝(っぽいもの)で構成されていました。
面白いのは戦時中の話です。
彼は戦前までは淫靡な小説ばかり書く引きこもりの変人作家として紹介されることが多く、実際にそうふるまっていたそうです。
ところが戦時中は町会の役員に任命されてしまい、消防訓練や物資調達のために人前に出ることが多くなってしまいました。
そこで彼は人前に出ることの快感を覚えて訓練などで人一倍張り切ってしまったそうです。
空襲や悲惨な話も描写はされるのですが、戦時中の乱歩の日常生活は妙に高いテンションで綴られます。
これまで戦時中の庶民の生活は貧しくて不自由で窮屈なものとして描かれてきましたが、案外当時の人々は半ば浮かれたような高揚感を味わいつつ生活していたのかもしれない、そんなことも感じさせられた一節でした。

 

(2009年1月7日)

乱歩の最大の問題は、自分の特質と自分の目指すものが大きく食い違っていたという点だと思います。
乱歩は「本格推理」を高く評価し、自身もそれを目指していました。
「本格推理」とは小説の重心を謎解きやトリックに置いた作品のことです。
エラリー・クイーンやアガサ・クリスティなどがその代表です。
そこでは犯人の犯行にいたる感情の機微やリアリティはさほど重要視されません。
手がかりのフェアな提示と見事な解決編こそが小説の肝です。
ところが純粋な謎解きものに憧れて目指していたにも関わらず、乱歩にはこういう作品は書けませんでした。
彼はエッセイや自伝で「レンズと火縄銃を組み合わせたトリックは世界で最初に自分が発明した」と繰り返し自慢します。
自慢げな乱歩には申し訳ないですが、しょせんその程度のトリックしか思い浮かばなかった人なのです。
その代わり彼の幻想小説は世界的な水準にあります。
彼の名前の元になったエドガー・アラン・ポオよりも短編の味わいや深みでは乱歩の方が上です。
乱歩自身もこの食い違いに気がついていました。
同時代の評論家にも何度も指摘されます。
しかし面白いことに彼はこの食い違いに全く悩やんだ様子がありません。
彼のこの能天気さが、全集を読んでいて感じる最大のミステリー、私はそう感じました。

 

(2009年1月9日)

本格推理の持ち味は奇想天外なトリックですが、どれも現実的に応用するのは難しいものばかりです。
「チームバチスタの栄光」は小説としてはとても面白いのですが、トリックとしてはどうでしょう? 
あの殺人方法では、もし被害者が一命を取り留めた場合には術後診断で簡単に犯人が分かってしまいます。
そしてあの方法は致死率が100%とは言えません。
刹那的な衝動犯行ならともかく、知能犯による連続殺人の方法としては現実味がないのです。
「容疑者Xの献身」のトリックには驚かされました。
しかし原作で読んだ時には感じなかったのですが、映画で見ると、見知らぬ人をおびき出して殺すというのは簡単でないことが分かります。
リアリティのある部分をしっかり書き込んで、トリック部分のリアリティのなさから読み手の注意をそらす、これが東野圭吾の巧みなところなのでしょう。
結局本格推理の持ち味は、奇想天外なトリックよりもその荒唐無稽さを忘れさせるだけの作者の力量、ということでしょうか。

 

(2009年1月14日)

正月には松山に帰省して、そのついでに久しぶりに道後温泉の本館に入ってきました。
期間限定サービスなのでしょうか、皇族専用の浴室や休憩室も見学することができました。
そうそう、この間読んだ古野まほろの小説ではこの本館が殺人事件の舞台でした。
小説のタイトルは「探偵小説のためのヴァリエイション〜土剋水」。
全編にあふれる伊予弁と馴染みのある地名とでなかなか楽しい小説でしたが、この小説の売りはタイトルからも想像できるように名探偵による緻密な推理です。
と言っても私は肝心な推理の積み重ねの部分は読み飛ばしたので本当に緻密だったのかどうか分かりません。
ミステリは好きだけどややこしい謎解きは苦手な私なのでした。
さて緻密な謎解きで思い浮かぶのは時刻表トリックです。
JRで通勤している人なら痛感していると思いますが、もはや時刻表トリックという言葉は死語だと思います。
どうする西村京太郎?
いや彼ならきっとこの状況を逆手に取って作品をものするかもしれません。
「遅延列車殺人事件〜犯人はこの人身事故を予想したのか?」
面白そうですが、このタイトルではキヨスクには置いてもらえないかもしれません。

 

(2009年1月16日)

センター試験の古文の問題を解いてみました。
この間「源氏物語」を読了したばかりなので、古文の読解にはちょっと自信があったのです。
答え合わせをしてみると惨憺たる出来でした。
物語を楽しむのと問題に正解するのとでは全く違う技術が必要ということでしょうか。
考えてみれば当たり前です。
読解しただけで試験問題に正答できるなら現代文の試験は全員満点のはずですから。
まあ、何を言っても負け惜しみなのですが。
それにしてもこんな内容の文章を試験問題にしていいのかどうかが個人的には心配だったりもします。

 

(2009年1月19日)

2009年度センター入試の古文の問題は室町時代の御伽草子「一本菊(ひともとぎく)」からの出題だった。
兵部卿宮が気になる女性のもとに手紙を送るが一向に返事が来ない。
それで家人が留守の夜を狙って夜這に忍び込むという、文部科学省ご推奨の道徳的なお話。 


やっと行きました。
「K-20(トゥエンティ)〜怪人20面相・伝」江戸川乱歩全集全30巻読了記念、「自分を誉めてやりたい」特別イベントです。
いやあ、面白かったです。
特撮(VFXと呼ぶらしいですが)とロケとセットを巧みに使い分けて作り出したヴァーチャル帝都を舞台に陰のヒーロー怪人20面相が暴れまわります。
このアクションがまたすごい。
フランス発祥のストリート系アクロバティックスポーツ(?)「パルクール」を前面に押し出してワイヤー多用の中国アクション映画とは一線を画します。
また場面設定が丁寧で、一つ一つのシーンをかなり練り上げて組み立てているので湿っぽい部分でも全然テンポがだれません。
2時間17分があっという間でした。
みなさまもお暇ならぜひどうぞ。
「レッドクリフ」と2作続けて鳩を飛ばす金城武が主演です。

 

(2009年1月21日)

小学校からの英語義務化についての是非が議論されてきました。
いろいろな評論家がそれぞれ総体論を戦わせていますが、面白いです。
当然ながら小学校の頃から英語を学ばせた方がいい子もいるし、そうでない子もいます。
その人数比を想定しないで議論をするのはあまり科学的ではないと思うのです。
全く根拠のない私の予想としては人数比は

英語教育がとても有用:やらないよりはまし:ほぼ無意味:やるべきではない=2:3:3:2

くらいだと思うのですが、こういう比率が出されれば義務化の議論はおのずと結論が出ると思うのです。
それもしないで全体論、抽象論ばかり繰り返す教育評論家を見ると、日本教育には英語よりも論理学を先に導入した方がいいのではないかと思ってしまうのです。

 

(2009年1月23日)

宇宙人に地球の音楽を聴かせるとすれば何を選びますか?
私なら迷うことなくバッハを選びます。
その中でもおそらくは「ゴルトベルク変奏曲」を。
これを聴くと宇宙人は人類が知的合理性と芸術的感受性を併せ持った優れた生物であることを間違いなく理解すると思うのです。
私たちが毎日聴く音楽はバッハほど知的でもないし芸術的でもありません。
そういう意味で人類の音楽をバッハで代表させるのは本当はズルいかもしれませんが、宇宙人相手にこれくらいの「ええかっこしい」は許されるでしょう。
ところで次に、人類を代表する言語は何かを選びましょうか。
と言いながら私が知っているのは日本語と、あとは英語を少々学んだ程度です。
それでも断言できます。
一般の認識と異なり、英語は決して合理的な言語ではありません。
時制の処理が不徹底だし、第一、発音と表記が違いすぎます。
英語をもって地球言語を代表させるのはちょっと恥ずかしいです。
それなら表音文字と表意文字の見事な調和を達成している日本語の方が宇宙人を驚かせそうな気がします。
アメリカの繁栄のせいで英語が国際語になりつつあります。
それは歴史の必然です。
でもアメリカの次に繁栄する世界国家の言語はもっと合理的で表現力のある言語であることを期待します。

 

(2009年1月26日)

コンサートのお知らせです。
2月1日(日)14時から西宮アミティホールで「アロハ合奏団」のコンサートが行われます。
今回はスティーヴン・スピルバーグとジョン・ウィリアムスによる映画の音楽特集です。
超ヒットメーカーの二人の映画音楽だけに、どれも耳馴染みのある楽しい曲ばかりです。
よかったらどうぞ。

 

(2009年1月28日)

来週早々松本胃腸科クリニックのカルテのシステムが大幅に変わりそうです。
システムの円滑な移行を心がけますが処方や会計などで通常よりもお待ちいただくことがあるかもしれません。
慢性疾患で通院中の方はなるべく遅い日時でのご来院をお薦めします。

 

(2009年1月30日)

「三国志演義」、やっと読み終わりました。
当初は年末年始で読んでしまうつもりでしたが、とてもそんなボリュームではなかったです。
「三国志」は私は大昔に柴田錬三郎のものを読んだだけです。
シバレン「三国志」はHな描写も多くて中学生にはちょっと刺激が強すぎましたが、その頃から漠然と感じていた違和感があります。
「何だかんだ言っても蜀は負けちゃうんでしょ?」
「演義」全7巻を読んでようやくその疑問が解けました。
「三国志」の主役は劉備や諸葛亮ではないのです。
三国が乱立して覇を競う大きな時代のうねり、この時間の流れこそが物語の主役だったのです。

 

(2009年2月2日)

「三国志演義」は120の章からなります。
各章は「さて絶体絶命の劉備はこのあとどうなりますことやら?」というような決まり文句で終わります。
無味乾燥な歴史書ではなく、あくまでもエンターテインメントなのです。
それを思うにつけちくま文庫のやり方が解せません。
重要なキャラクターが初めて登場する時には親切な注釈がつけられます。
「この人は第○巻で誰それに裏切られて死ぬ」おいおい。
文中だけではなく裏表紙にもかなり細かなストーリーが書いてあります。
「この巻でついに○○が死ぬ」

私は本を買うとまずカバーを取り去って裸で読むのでラッキーでした。
それにしてもどうしてこんな無粋なことをするのでしょう?

 

(2009年2月4日)

「三国志演義」を読んでいてとてももどかしかったのは文中の地図が中途半端なことです。
「ローマ人の物語」や北方「水滸伝」にもその傾向はありましたがまだましでした。
とにかく本文に登場する地名が地図に載っていないのです。
本文を読んでいない人が地図を作成し、作者もその地図をチェックしていないのだと思います。
かえって邪魔になる地図、考えてみれば珍しい現象かもしれません。

 

(2009年2月6日)

ポール・ニザン「アデン、アラビア」とジャン・ルオー「名誉の戦場」をもって河出書房新社の世界文学全集第1期が完結しました。
全12巻、どれも未読の作品ばかりで新鮮でした。
実は私は正月の福袋セールというものの意味がこれまで分かりませんでした。
色や形の分からないバッグやアクセサリーなどを、ただお買い得だからという理由だけで買う心理が理解できませんでした。
たとえ半額だからといって好みでもないマフラーや財布を買う人がいるのだろうか? と思っていたわけです。
これまでは。
考えてみれば私がやっているのも全く同じことでした。
ただ全集に入ってるからという理由で、中身も確かめずに買ってきたわけです。
そうなのです、どんな作品が入ってるのだろうか? というわくわく感こそが福袋の醍醐味だったのですね。
全国の福袋ファンのみなさん、すみませんでした。

 

(2009年2月9日)

「世界の名作」を12冊も読んだ記念にベスト3を選んでみましょうか。
第1位はクンデラ「存在の耐えられない軽さ」
今まで未読だったのが恥ずかしいです。
第2位はパオ・ニン「戦争の悲しみ」
本当はこれを1位にしたかったのですが同じ巻に入ったもう一作が面白くなかったので印象が少し悪くなりました。
第3位はブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」
これもすごいです。
さあ第2期の12作も楽しませてくれるのでしょうか?

 

(2009年2月13日)

このところオペラ「カルメン」を多く聴いています。
オーケストラの演奏者としては、有名な曲だけを集めた「組曲」を何度か弾いたことがあってビゼーの力量についてはよく分かっていたつもりでした。
しかし実際に合唱やソリストが入った演奏に接すると、「組曲」はビゼーの魅力を十分の一も伝えていなかったことに気づかされます。
これまでモーツァルトやプッチーニやヴェルディなどの上演に接してその都度「オペラはすごい!」と実感してきたはずなのに、それでもまだビゼーを過小評価していたわけです。
これも日本の「交響曲至上主義」の音楽教育の弊害でしょうか、と人のせいにするだけでは無責任なので一つご紹介。
「芦屋市民オペラ」、私が毎年お手伝いしている市民による手作りオペラです。
手作りとは言っても歌手は一流のプロの方々だし、舞台装置も衣装もついた本格的舞台です。
これがみなさまのご厚意により3,500円という信じられないような低価格で上演できることになりました。
2月22日(日)芦屋ルナホール 
13:00と17:30の2回公演
興味があればぜひどうぞ。

 

(2009年2月16日)

フォーマルな服装の聴衆が多いクラシックのコンサートだと演奏者にもそれなりのマナーが求められます。
カジュアルなサロンコンサートだと演奏者も曲間にくだけたお喋りを挟みますし、聴衆が演奏そっちのけで叫び続けているアイドルのコンサートだと歌手はさらに好き勝手に振る舞います。
極端な例だとフロアでオーディエンス同士が殴りあっているデスメタルのライブだとプレイヤーがステージで唾を吐こうがウイスキーをラッパ飲みしようが誰もとがめません。
主役のマナーや品格を決めるのは客だと思うのです。 
観客が興奮すると座布団が乱れ飛ぶどこかの国の国技があります。
さっきまで尻の下に敷いていた座布団を観客はあたり構わず放り投げるのです。
そういう客が集まるスポーツの主役にはどの程度の品格が求められるのでしょうか?

 

(2009年2月20日)

2009年初場所の千秋楽。
優勝を決めた横綱朝青竜がガッツポーズを見せ、これに対して「品格がない」と厳重注意が下された。
 

演奏会の服装と言えばよくネット掲示板にも相談が寄せられています。
「来週クラシックのコンサートに行くのですがどういう格好で行けばいいでしょうか?」
最も一般的なのは「人を不愉快にさせるような格好でなければ大丈夫」という回答だと思います。
しかし実際はクラシックのコンサートでもいろいろなランクがあります。
ネット質問箱に頼るのであれば会場、出演者、曲目まで明記した方が的確な答が返ってくる可能性が高いと思います。
ついでに言えば質問者の外見も分かるようにした方がいいでしょう。
もし質問者が細面の美青年で、金はないが才能だけはばりばりありそうな風貌であれば、どんなコンサートでも破れジーンズにTシャツでいいと思います。
一方メタボ体型のおっさんであれば絶対的にスーツにネクタイです。
これからこういう質問をする人は自分の写真を貼りつけましょう。

 

(2009年2月23日)

服装と言えば、この冬はコートを着ることなく終わりそうです。
例年冬になると「去年は何を着てたんだっけ?」とクローゼットを漁るのですが、今年はそういうこともなく、夏服にジャケットをひっかけた格好でとうとう一冬過ごせてしまいました。
考えてみればここ数年服を買った記憶がありません。
そうそう、先日のイベントでアロハシャツが必要だったので高架下で買いました。
それがものすごく久しぶりの買い物だったと思います。 
20代の頃は「40代になったらスーツなんかを隆と着こなしてるんだろうなあ」と漠然と思っていましたが、現実は全く違いました。
「21世紀には車は空を飛んでるんだろうなあ」と並ぶ大外れに終わった未来予想の一つです。

 

(2009年2月25日)

前回「しばらく服を買った記憶がない」と書きましたが、嘘でした。
昨年の暮れに通販で靴とジーンズを5足ずつまとめ買いしていました。
同じ形、同じサイズ、同じ色を5足ずつ。
これを毎日ローテーションで履いているわけです。
そういうわけで私は基本的に毎日同じ格好です。 
昔「ザ・フライ」という映画で主人公のクローゼットを見て彼女がびっくりするというシーンがありました。
クローゼットには同じ色のジャケットがずらっと並んでいるのです。
「これなら何を着ようか迷わなくてすむだろ」と、科学者である主人公は言います。
変人ぶりを上手く表すエピソードだと思いましたが、私も知らず知らずのうちに同じようなことをしていました。
私は変人ではないと思っていますが……。

 

(2009年2月27日)

神戸元町ダイアリー2008年(6)ジャーナリストの死<main>神戸元町ダイアリー2009年(2)e-Taxにチャレンジ!


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