神戸元町ダイアリー2008年(6)

私も以前タバコを吸っていたので一仕事終えたあとの一服が何物にも替えがたいという気持ちは分かります。
特に大きな手術のあとの一服の美味いことと言ったら!
とは言うものの、手術の片づけのあと手術室のスタッフと焼肉に繰り出すのと、手術後の一服とどちらが「替えがたい」かと言うと焼肉に決まっています(手術のあとはなぜか焼肉が食べたくなるのです)。
つまり私の中ではタバコによって得られる快楽は焼肉によって得られる快楽よりもはるかに小さいのです。
ニコチンの感度によってこの快楽に個人差は当然あるでしょう。
しかし、それでも「あの程度」の快楽のために有害物質に肺をさらすのはどう考えても割りが合わなさ過ぎます。
タバコの快楽は何物にも替えがたいと語っていたジャーナリスト筑紫哲也が肺癌で亡くなりました。
ヘビースモーカーだった彼が、肺癌と分かってからは禁煙したそうです。
それはタバコが健康を蝕むと認めたということなのか、蝕むとすればそれは個人の嗜好に任される範疇なのか、今までの自分の発言は適切だったのかどうか。
彼にはジャーナリストとしての発言を残しておいて欲しかったと思います。

 

(2008年11月10日)

ジャーナリストと言えば、古舘伊知郎が筑紫哲也の死を伝えたあと「私たちTVジャーナリストにとって筑紫さんの存在は〜」と語っていました。
愕然としました、彼はジャーナリストのつもりだったのですね。
私は筑紫哲也の番組を見たことがないので彼がどういうレベルのジャーナリストであったかは判断できません。
古舘伊知郎の番組もほとんど見たことがありません、しかし先日たまたま見た時、彼はイージス艦事故の海難審判について伝えていました。
審判が始まったというニュースでした。
審判が終わってみないと事実関係は分からないはずなのに、番組では遺族が仏壇に手を合わせる映像やインタビューばかり流していました。
イージス艦が一方的に悪かったかのような制作態度でした。
海難事故の悲惨さはしっかり伝えればいいと思います。
しかし審判が始まったというニュースに悲しむ遺族の映像を重ねるのは明らかに民意誘導です。
真っ当なジャーナリストなら絶対にやってはいけないことです。
やってはいけないことと言えば、田原総一郎もそうです。
私は大物政治家にぐいぐい鋭い質問で切り込んでいく彼に好印象を持っていたのですが、先日彼は自著の出版記念パーティーに政治家を大勢招待していました。
何たる無定見でしょう。
あと立花隆については以前書いたことがあります。(2007年10月3日、11月2日分
こうした人たちによって「偉大なジャーナリスト」と讃えられる筑紫哲也が本当に偉大だったのかどうか、最近ますます分からなくなっています。

 

(2008年11月12日)

海苔やフィナンシェを食べるたびに感じるのですが、この包装はものすごく不便だと思いませんか?
包装の縦方向に切れ目が入っているのですが、

こんな風に端が斜めに切れたり、

こんな風に中身に食い込むように破れたり、上手に切れたためしがありません。
きっと生産者は自社製品を食べたことがないんだろうと思ってしまいます。
かと言って改善策を今まで思い浮かびませんでした。
ある日、気がつきました。
注射器と同じ包装にすればいい、と。
注射器の包装は端がこのようにめくれています。

これをこうめくると注射器が現われてくるわけです。

これだと取り出しやすいし、お菓子だとそのまま口に運ぶのも簡単です。
海苔やお菓子業界の人、包装をこのタイプに変えませんか?

 

(2008年11月14日)

2008年9月24日に就任した麻生太郎総理大臣であったが、就任直後から漢字の読み間違いの数々がマスコミで面白おかしく取り上げられた。
未曽有「みぞうゆう」や踏襲「ふしゅう」あたりが有名。
 

どうして専門家が声を上げないのか不思議です。
最近マスコミが麻生総理の読み間違いの数々を取り上げてからかっていますが、これは「読字障害」という一種の障害の可能性が高いと思います。
つまり文字を正しく認識して、文字的発想に基づいて思考して、自発的に喋ることは出来るのに、書かれた文字を発音するのに困難を感じる障害のことです。
この障害は知能や判断力とは全く関係ありません。
ただ、小学生の頃に朗読が上手くできないために「頭が悪い」と判断されて、自分も自信を失い、結果的に学力が低いままで終わってしまう例は多いとされています。
「読字障害」を早く発見して本来の知性を生かす方法を考えなくてはならない、これは教育心理学の最重要課題です。
マスコミが今やっているのは残酷で非人間的な障害者いじめです。

 

(2008年11月16日) 

オバマ氏が大統領に選ばれたものの、アメリカでの人種差別はまだまだ根強いと言われています。
それを聞いてぞっとしました。
何年か前に「クラッシュ」という映画を見ました。
アメリカの人種差別模様を信じられないほど巧みなシナリオで描いた作品でした。
この映画を見ると黒人差別は確かにまだまだ深刻なのだと思わされます。
その一方でこの映画ではアジア人はわけの分からないことを叫び勝手に自滅していく、知能の低い頑迷な人種として描かれています。
黒人差別はようやく深刻な社会問題になってきた、しかしアジア人に到っては差別が問題にもならない、黒人よりもはるかに劣った人種である、そういう考え方を強烈に感じさせる映画でした。
考えてみればアメリカでは黒人が主演の映画でもヒットします。
しかしアジア映画は白人を主役にして撮りなおさないとアメリカでは上演されません。
日本人は「アメリカでは黒人は差別されて大変だなあ」と暢気に考えていますが、アジア人は黒人よりも低く考えられているということを知っておくべきだと思います。

 

(2008年11月17日)

映画「レッドクリフ」に行きました。
コミックにしても映画にしても完結していない作品を見るのは主義ではないのですが、ついつい行ってしまいました。
戦闘シーンは冗長ですが規模が大きいし演出も巧みなのでそれほど退屈はしません。
人間ドラマは簡潔できりりと締まっています。
特に主役二人が音楽で友情を深め合うシーンはなかなかの見ものでした。
完結編は来年の春だとか。
というわけでさっそく買ってしまいました。
「三国志演義」(ちくま文庫)これが今年の年末年始の本になりそうです。

 

(2008年12月3日)

もしかすると前に書いたことがあるかもしれません。
どうして映画館の食事はあんなに貧相なのでしょう。
ポップコーンとフライドポテト、それにフライドチキン。
シネマズミントにはクレープショップがあって多少ましですが炭水化物メインであることには変わりありません。
どれもこれもアメリカの貧しい食文化を代表するようなメニューです。
ハリウッドはハリウッドとして私は文化としてちゃんと認めます。
しかしあの最低の映画館フードは全く別です。
映画業界はシニア向け割引をおこなったり年配層の動員に力を入れています。
しかしどんなに割引しようとあんなわびしい食べ物を供するような場所に大人は行かないと思うのです。
これだけシネコンが乱立して競争が激化しているはずなのにどうして誰も考えつかないのでしょう?

 

(2008年12月5日)

さて映画館の食事ですが文句ばかり言っていても建設的じゃないので一つ考えてみました。
ミニステーキとポテト、にんじん、マッシュルームのソテーにクリームソースをかけたものです。
ソースには冷めても固まらない程度にチーズを溶かし込んでいます。
肉と野菜は食べやすいサイズで、温かいうちにつまようじで食べます。
その後残ったソースはパンにすくって食べます。
家で作るときにはソースには青かびのチーズをたっぷりと使って、パンはガーリックトーストにするのですが、映画館だとさすがに難しいでしょうね。
これにハーフサイズのワインでもあれば映画ライフがぐっと充実すると思うのですが、いかがでしょうか。

 

(2008年12月8日)

突発的な大不況のために採用の内定を取り消す企業が相次いでいるそうです。
「経営不振で、入社してもらっても給料を払えそうにないんだ、すまないが内定を取り消させてくれ」
「何を言うんです、ぼくはこの仕事がやりたくてこの会社を選んだんです。ただでもいいから1年間頑張らせてください」
「そこまで言ってくれるのか」
「はい!」
「じゃあ一緒に頑張ろう!みんなも1年間頑張るぞ!」
「おー!」
というような光景があちこちで展開しているものとばかり思いましたが、現実は違うようです。
どうやら青春ドラマの見すぎだったかもしれません。

 

(2008年12月17日)

先日バレエ「くるみ割り人形」を見てきました。(貞松・浜田バレエ団、神戸文化ホール)
バレエは見る人を贅沢な気持ちにさせてくれる文化ですね。
優雅な舞い、躍動的な跳躍、ゴージャスなチャイコフスキーの音楽。
それに歴史のあるバレエ団だけに可能な豊富な舞台装置と数々の小道具。
あっという間の2時間でした。
面白いと思ったのは開演前の解説です。
バレエの仕草と手話を比べて「バレエにおける表現方法入門」を分かりやすく説明してくれました。
開演前の挨拶が面白かったためしはありませんが、今回は珍しいことにとても面白くて、鑑賞に役立つものでした。

 

(2008年12月22日)

今年最後のコラムが弁解で終わりそうです。
この正月は「三国志」を読む! と以前のコラムで宣言しましたが、予定変更です。
実は数年前から読み進めていた「江戸川乱歩全集」が残り3冊なのです。
あんまり面白くないのでゆっくりゆっくり読んできたのですが、この正月に怪人20面相をアレンジした映画が公開されるそうです。
それならこれを機会に残り3冊を一気に読み終えて映画を見に行こう! と思ったわけです。
そういうわけで「三国志」はちょっと後回しになります。
というのは全くどうでもいい自分への言い訳ですが、明日から当クリニックも9連休に入ります。
みなさまも体調に気をつけてよい新年をお迎えください。

 

(2008年12月26日)

神戸元町ダイアリー2008年(5)格差社会の原因<main>神戸元町ダイアリー2009年(1)乱歩のミステリ


健康ディクショナリー2008年(3)

そろそろインフルエンザのワクチンの季節です。
ワクチンを打ってから抵抗力は約1か月でピークに達します。
流行のピークが1月から2月とすると11月下旬から12月前半までに接種するのがいいと思います。
ところで「そもそもインフルエンザワクチンは打った方がいいのか?」という議論があります。
大人の場合ワクチンを打たなくてもインフルエンザにかかる率は5%程度です、ワクチンはこれを3%程度に下げようというものです(この値は年によって変わりますし、子どもはもっとかかる率が高いです)。
ものすごく極端に言うと、この2%がとても重要だと思う人は打った方がいいということです。
たとえば1,000点満点の1、2点を争うような大切な受験がある人は、人生を左右するかもしれないこの2%についてしっかりとしたリスク管理をするべきでしょう。
逆に2、3日熱で寝込んでもそう人生に大きな影響がない人はこの2%に何千円もかけるのは馬鹿馬鹿しいと思います。
家に抵抗力の少ない、小さなお子さんやお年寄りがいる人は、その人のためにウイルスを家に持ち込む可能性を2%減らしたいかどうか、という問題です。
ちなみに個人的には、受験生、大切なコンサートがある歌手、生後間もなくのお子さんがいる人、には勧めます。
それ以外の人は「自分の1日1日の健康にどれだけの価値があるか」という基準で自己判断をお願いします。
こちらから無理に勧めることはありません。

 

(2008年11月7日)

施設の症例数によって手術料が違うのをご存知でしょうか。
つまりたくさんの手術をしている病院で手術すると費用が高くなり、あまり手術をしない病院だと安くなる、そういう理屈です。
これまで日本では同じ手術をすればベテランがやっても新人がやっても料金は同じでした。
たくさん手術をしている病院は高い技術を持っている、だからそれに対して高い料金を支払おうという、日本としては画期的な発想です。
(実際は症例数が少ない病院の報酬がカットされるという仕組みなのですが)
それを受けてある外科医が新聞に投稿していました。
「技術は病院にあるのではなく外科医にある。たとえば高い技術を持っている自分が小さな病院で手術しても高い技術料が支払われるべきだ」と、彼はそう主張していました。
ごもっともです。
しかし実際には医療はチームで行われます。
「術前の診断力」、「手術の技術」、「術後のケア能力」、そのどれが一番大切かと問われると、私も「手術の技術力だ」と断言はできないでいました。
先日興味深い調査結果が発表されました。
病院の症例数と医師の経験と手術の成績の相関を調べた調査です。
それによると手術の成績と関係があるのは病院の症例数でした。
医師の経験との関係は見出せなかったようです。
手術は、誰にしてもらうかではなく、どの病院でするか、が重要なようです。

 

(2008年11月19日)

占いは信じませんが占い師の能力は信じます。
五感の全てを動員して相談者の気配を読み取ってその人が聞きたがっている言葉を推察する、占い師の能力とはそういう察知能力だと思います。
同じことが政治家にも当てはまります。
彼らは支持者を前に演説をします。
その時、支持者たちの関心の的やノリ具合を読み取って、瞬間瞬間に内容や言葉を取捨選択します。
物事を分かりやすく説明するために全てを白と黒の二つにばっさりと切り分け、印象づけるために「抵抗勢力」などの気の利いた名称をつけて、さらにウケるとならば下品なまでの表現で切り捨ててみせる。
当然会場は拍手喝采です。
政治家の失言暴言は今に始まったことではありませんが、マスコミで取り上げられるたびに彼らの察知能力には妙に感心させられてしまうのです。

 

(2008年11月21日)

で、その察知能力に裏づけされた麻生首相のお言葉です。
「患者がたらい回しにされるのは医者のモラルのせいだ」
これは全くそのとおりだと思います。
人手が足りなくてもベッドが埋まっていようと、患者を助けようという「仁」の心があれば診察できるはずだ、これも全くそのとおりです。
ただ、私たちが現場に出てまず叩き込まれるのはそれと正反対のことです。
研修医が最初に当直を任される時には先輩から繰り返し諭されます。
「専門外の急患は断れ」「専門内でも自信がなければ断れ」私も先輩に言われたし、後輩にも言いました。
「絶対に無理はするな」
なぜかと言うと研修医は意欲に燃えて(首相が言うところの)モラルだけなら人一倍あるのです。
実際に治療をしたこともない症例に対しても見様見真似で突っ走ったりするのです。
そしてそれはしばしば不幸な結果を招きます。
だから医者はまず最初に覚えさせられるのです、「モラルで病気は治せない」と。
微妙な話題なので次回に続きます。

 

(2008年11月26日)

患者を治したくない医師は絶対にいません。
ところが救急外来に何十人も患者が詰めかけている、その時に重症患者の受け入れ要請がきたとします。
そんな時には思うのです。
自分よりも他の病院の他の医師の方がちゃんとした診療ができるだろう、と。
そうして「他の病院に頼めないだろうか?」と救急隊に答えるのです。
医師は楽したいから断るのではありません、患者によりよい治療を受けてもらおうと思って断るわけです。
しかしそれが現実にはたらい回しという現象を引き起こしています。
この原因は簡単です。
他の病院がどの程度忙しいか情報がないからです。
たとえ目の前に何十人急患が詰めかけていても、重症患者を診察する医師がその地域で自分ひとりと分かっていれば医師が受け入れを断ることは絶対にありません。
新幹線や飛行機で時々急患が発生することがありますが、診察器具も治療薬も何もなくてもそういう時に診察を拒む医師はいません。
それと同じ理屈です。
それではどうすればいいか? 
これがなかなか難しいです。
病院が受け入れ可否状況を刻々とネットに流し続けるという方法を試している地域もあります。
しかしこれは現実的ではありません。
その状況は1分単位で変わるからです。
「受け入れOK」と入力した瞬間に入院患者が急変する場合もあります。
逆の場合ももちろんあります。
それを一体誰がどう判断していつ入力するのかを考えると実用的とは言えません。
一つだけ方法を思いつきました。

 

(2008年11月28日)

その地区内の病院を、何人もが同時に会話することが可能な回線で結ぶのです。
処置中や手術中でも会話できるようにヘッドセットに接続していることが望ましいです。
交通事故で救急患者が発生したとします。
無線で救急車と地区内の当直医が同時に結ばれます。
救急車「患者はハンドルで腹部を強く打った模様、強い痛みを訴え、血圧低めながら意識はしっかりしています」

病院A(救急当番病院)「救急外来で中症、軽症患者を処置中、待合で10人待機中」
病院B「急変した入院患者の処置中です」
病院C「本日の当直は整形外科医です」
病院D「手術中です」
A「Bさんはいつ手が空きそうですか? こちらは傷の縫合が必要な患者が何人もいてしばらく手が放せません」
B「呼吸不全患者の人工呼吸器調整中です、いつ落ち着くか今のところ何とも言えません」
C「……」(内臓損傷が疑われる患者なので整形外科医の領域外)
D「腸管吻合に取りかかったところなので第2助手なら手を下ろせます」
A、B、C「それではDさん、お願いします」

たらい回しを防ぐためには当直医同士が直接会話できるシステムを作るのがベストだと思います。

 

(2008年12月1日)

勤務医の激務ぶりが最近よく報道されます。
例としてよく挙げられるのが、昼間仕事をしてその夜当直をしてさらに翌日普通に仕事をする、連続32時間労働です。
しかし誤解している人が多いのですが、医師は徹夜で働いてもそれを苦痛に思うことはありません。
軽症患者や慢性疾患の患者が多い昼間の外来と違って、救急外来では診断能力と治療技術が問われます。
夜間当直は実は医師にとってとてもやりがいのある仕事なのです。
ところがそこにモチベーションを下げさせる患者が来ると当直医はどっと疲れるわけです。
つまり診断技術も治療技術も要求されない患者です。
よくあるのが「いつも飲んでいる薬が切れた、同じ薬を出して欲しい」という患者。
医師はそれに対してただ処方箋を書くしかありません。
何も診断せず何も考えず、ただ処方箋を書く。がっくりと疲れるのです。
これがたとえば昼の外来の「転勤で前の病院にかかれなくなったから」という患者なら全く逆です。
この薬は本当に必要だろうか?
それを調べるためにはどういう検査が必要だろうか?

その検査はいつ頃どういうタイミングでするべきだろうか?

いろいろ考えなくてはならないのです。
これはむしろ医師にとってやりがいのある仕事だと言えます。

 

(2008年12月10日)

あとよくあるのが交通事故。
車同士の軽い衝突事故で、衝突された車に乗っていた人が「警察に言われたから来ました」と言って来る場合です。
痛みも何もないのですが念のために打撲箇所を全てレントゲンで撮っておく、完全な単純作業です。
身体は疲れませんが夜中にやりたい仕事ではありません。
一方、頭を打った人が運ばれてくることもあります。
これはとても神経を使います。
入院が必要かどうか、どこまでの検査が必要か、帰宅させる場合どう説明しておくか、状況に応じて判断しなくてはなりません。
何でもかんでもCTまで撮ってしまえば楽ですが、これだと先ほどの「単純作業」と変わりません。
医師は「夜中に放射線技師を呼び出してまで検査をする必要があるか?」を判断しなくてはなりません。
医師としての能力以上に病院の夜間管理責任者としての能力が問われるのです。
責任の重大な仕事ですがこれは当直医にしかできない仕事です。
とてもやりがいのある仕事といっていいと思います。

 

(2008年12月12日)

そこで思い出すことがあります。
ある当直の夜、乗用車が衝突事故を起こして、乗っていた4、5人が救急車で病院に運ばれてきました。
その内の一人が若い女性だったのですが、ある程度強く頭を打っていたのです。
私が診察して、CTを撮るメリットと被爆するデメリットを斟酌してCTはやめておこうと言うと、同乗していた男性たちが強い口調で割り込んできました。

「検査をせずに、もし彼女に何かあったらどう責任を取るんだ!?」

さてどう答えよう、と思っているとその女性が男性たちを制して静かに言いました。

「メリットとデメリットの両方の説明を聞いて私もその判断に同意しました。あとは何が起きても私の責任です。みんなは口を挟まないでください」

その毅然とした言葉を聞いて男性たちも(私も)黙り込んでしまいました。
とても印象的な出来事でした。

 

(2008年12月15日)

先日勤務医の知人から若手医師の専門志向が強まっているという話を聞きました。
「呼吸器内科として赴任したのに外来に消化器の患者も来る」と言って文句を言う医師もいるとか。
極端な例なのでしょうが、確かに専門性の高い医師と汎用性の高い医師のバランスよい配置が必要だと思います。
それとは直接関係ないのですが患者側からすると「これは何科に行けばいいんだろう?」と思うことは多いと思います。
たとえば女性が胸の痛みを感じた時です。
胸膜炎なら呼吸器内科、肋間神経痛なら整形外科、乳腺炎なら乳腺外科、皮膚炎なら皮膚科、つまりある程度診断がつかなければ何科に行っていいか分からないわけです。
こういう場合は電話でも結構です、どうぞお気軽にご相談ください。

 

(2008年12月24日)

健康ディクショナリー2008年(2)こんな人はすぐタバコをやめなさい!<main>健康ディクショナリー2009年(1)新型インフルエンザについて


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