神戸元町ダイアリー2007年(3)

連休も終わりました。皆さんゆっくりできましたでしょうか?
私は予定通り胃と腸の検査を受けてきました。
腸の検査の前には2時間以上かけて下剤を2リットル飲まないといけないのですが、今回はそれを家で飲んでみました。
家だとその2時間の間、横になってもいいし、トイレにも自由に行けるので本当に助かりました。
飲み始めて3時間くらいすると腹具合も落ち着いてくるので、それ以降なら1時間くらいの移動も大丈夫です。
問題は検査のあとです。
お腹の中にかなりガスが溜まっているので、検査後にゆっくり横になれると助かります。
つまり大腸の検査は「検査前は家でゆっくり、検査後は病院でゆっくり」これがポイントのようです。

 

(2007年5月7日)

さてせっかくの大型連休。
読書でも大作にチャレンジ! という事で、大鐘稔彦の「孤高のメス」、全6冊にチャレンジしました。
とっても面白かったです。
何が面白いって手術シーンの緊迫感が最高です。
実にリアルなのです。
描写の的確さだけではなく、手術室の空気感まで感じられて見事です。
正直言うと、主人公の素晴らしい手術よりも脇役たちの失敗手術の方がエキサイティングだったりします。
「あー、そこを切っちゃダメ!」と読みながら思わず叫んでしまうリアルさ。
主人公はいい人過ぎて存在感に欠けるのですが、身勝手で手術も下手な敵役たちが本当にいい味を出しています。
いるんですよね、実際にああいうダメ医師。
と言うか、生身の医師は、コンディションやタイミングによって、ある時は主人公のように名医になり、ある時は敵役のようにダメ医師になる、それが現実です。
どうせ病院に行くなら、いいコンディションの「名医」にかかりたいものですが、その話題はまた別の機会に譲りましょう。
この本の欠点は面白すぎて一気に読み終えてしまうところでしょうか。
私も結局ゴールデンウィークに入る前に読み終えてしまいました。

 

(2007年5月9日) 

考えてもよく分からないことがいろいろあって、例えば死刑制度。
国家による制裁を認めなければ遺族感情が収まらないという存続論者の理屈はよく分かります。
死刑を廃止しても凶悪犯罪が増えないという廃止論者の主張にも説得力があります。
自分で結論づけられない時には周りを見回すのが一番です。
先進国で死刑を続けているのは今や日本とアメリカの一部の州だけです。
理屈はともかく、死刑制度廃止への流れは止めようがなさそうです。
民主主義の根本の参政権も実はよく理解できていません。
開業初年度は経費の関係で税務上赤字経営になるのですが、その頃はよく思ったものです。
どうして税金も払ってないのに選挙権があるんだろう? 
これもいろいろな理屈はあるのでしょうが、「税金を払ってなくても選挙権がある」というのは歴史によって「正しい」と証明された流れなのでしょう。
国民投票もよく分かりません。
マスコミがよく、国民投票を行う場合に最低投票率を設定しないと2割くらいの賛成で重要法案が成立してしまう可能性がある、と危機感を煽っています。
しかしどっちでもいい人を無理に巻き込む必要はないような気もしますし、重要法案なんだから「どっちでもいい」などという立場を許すべきではないと思ったりもしますし。
ただ、最低投票率に関しては世界的歴史的流れらしきものは未だないようです。
とすると早目に法律を施行してテーマも憲法に限定せず何度も国民投票を繰り返して、「歴史的に正しい」方法を見つけ出すしかないような気がします。
「死刑制度」「首長の多選」「二世議員」「相続税」などいろんなテーマで国民投票を試して、国民が手法に慣れてから憲法について結論を出すというのはどうでしょうか。

 

(2007年5月14日) 

2007年5月、熊本県の病院が被育児放棄乳児の受け入れシステムの運用を開始した。
日本版の「赤ちゃんポスト」である。
親の匿名性を尊重したあり方に育児放棄を助長するなどの批判的意見も多く寄せられた。
2007年度以降の年度ごとの受け入れ人数は17、24、15、18人であった。
 

子どもを躾けるのは家庭だと思っていましたが、子どもが犯罪を犯した時、最近は親ではなく学校の校長が謝罪させられます。
親と接する時間よりも学校で過ごす時間の方が長いからなのでしょうか、子どもの躾の責任は家庭から学校へ移行しているようです。
その理屈から行くと、無分別な大人を躾け、啓蒙する責任はマスコミが担っていると言えないでしょうか。
子どもの犯罪の時に教師を引きずり出すのが正義なら、マスコミは一般の犯罪の時には自ら「アホなバラエティばっかり放送して啓蒙が行き届きませんでした」と謝るべきです。
つまり「赤ちゃんポスト」の問題です。
「赤ちゃんを救いたい」と善意で動いた病院が、どうして責められるのか私にはさっぱり分かりません。
子どもを捨てるのは第一に親が悪い、第二に啓蒙できなかった社会が悪いと思います。
そして現代社会において私たちを啓蒙する責任があるのは、私たちにもっとも接する時間が長いマスコミです。
とすると赤ちゃんが捨てられるのはマスコミの責任です。
赤ちゃんポストに子どもが捨てられた時、マスコミは病院に「我々の啓蒙が足りませんでした。今回はお願いですから子どもの面倒を見てあげてください」と謝りつつお願いするのがスジだと思います。

 

(2007年5月16日)

洗濯機が壊れました。
ドラム式の初期の製品です。
メーカーの人に見てもらったら「万単位の修理代がかかるし買い替えを強くお薦めします」という話なので買い替える事にしました。
ドラム式は洗濯から乾燥まで一気にできるのが一番の魅力だと思います。
しかし我が家では乾燥機能はほとんど使ったことがありません。
そういうわけでドラム式から全自動への買い替えとなりました。
お店の人には「逆のパターンの買い替えは多いですが」と変に感心されてしまいました。
ドラム式は発売されてそろそろ10年を越えたところです。
製品としての寿命がどれくらいなのか、もうちょっと見極めてから買う方がいいかもしれません。

 

(2007年5月18日)

今までカレーのルーは板チョコのようになっていて、必要に応じて割って使うようになっていました。
ところがこの間新製品を買ったら一人前ずつ個別包装になっています。
これだと一人前や二人前作る時にとても便利です。
近所のスーパーでは8分の1カットの白菜も売り出されました。
これも小家族には助かります。
どんどん個食の時代に向かっているようです。
あとはチューブ入りの味噌があると便利なのですが。

 

(2007年5月21日)

「クリムト」という映画を観ました。
世紀末の画家クリムトが主人公の映画です。
ストーリーは観念的でよく分からないのですが、そこで使われている音楽がとても素晴らしいのです。
まずオープニングはマーラー風の豪華な管弦楽、これにボーイソプラノがかぶさります。
あれ、マーラーにこんな曲があったかな? と思ってしまいました。
その後も19世紀を思わせる魅力的な曲が次々流れるのですが、曲名が全く分かりません。
エンディングロールを見ましたが、曲名は一切クレジットされていません。
どうやらオリジナル作品のようです。
音楽はホルヘ・アリアガータという人が担当しているのですが、この人の作品なのでしょうか。

 

(2007年5月23日)

この間新聞で「折り畳み傘をカバンに入れているような人には男らしさを感じない」という文章を見かけました。
天気予報を細かくチェックして傘を持つか持たないか決める人と、天気予報を一切気にせず傘を持つ人とどっちが男らしくないかはさておき、とっても面白い発想だと思いました。
私もカバンに折り畳み傘を入れているので男らしさ指数は低いです。
さらに傘だけではなく歯ブラシからウェットティッシュまでカバンに放り込んでいるので男らしさ指数はゼロに近いと言えるでしょう。
あろう事か、最近では救命用の人工呼吸マウスピースなどというものまで持ち歩いているので、ゼロどころかマイナスです。
私は「男らしくないヤツ」決定です。

 

(2007年5月25日)

ものすごく馬鹿な提案をします。
絶対に誰も賛成してくれないと思いますが。
「まとめる」と「つなぐ」という言葉はよく使うわりに漢字がとっても難しいと思いませんか? 
それぞれ「纏める」と「繋ぐ」です。
これを中国の略字を見習って簡略化すればどうか、という提案なのですが。
絶対ダメですよね? はい、すみません、ちょっと言ってみただけです。

 

(2007年5月28日)

ペットボトルはリサイクルされてもリユースはされていないという説があります。
結局ほとんどは燃やされていると、その論者は言います。
仮に現在リユース率が低くても、今後技術革新によってリユース率向上が期待できるという理由でリサイクルを推奨する考え方もあります。
リユースされていないから捨ててもいいという考え方は、「節約」の観点からも抵抗がありますし、どちらにしてもペットボトル飲料を買わないのが消費者としてはベストの選択だと思います。
もし買ったらリサイクルに出すのではなく、家庭で再使用したいものです。
ただ、ペットボトルは詰め替えを想定して作られていません。
洗うのがとても面倒です。
以前この欄で「洗うのがとても難しくて困っている」と書きました。
その時は私もペットボトルの再利用は邪道だと思っていたので控えめな文章でした。
今は考え方も変わってきています。
メーカーはもっと洗いやすい形状のペットボトルを開発をするべきだと思います。

 

(2007年6月1日)

朝日新聞の医療問題を扱う特集記事の連載がこの間終わりました。
これまでのマスコミは医師だけではなく、公務員、教師、警察官を叩けば事足れりという態度でしたが、今回の記事では公平公正な姿勢がとても印象的でした。
医療費抑制という美名の下、日本の医療がいかに疲弊し崩壊していったか、先進諸国に比べて日本では医療がいかに軽んじられているか、それを補うためにどんなに過酷な条件の下で勤務医が働いているか、という内容でした。
今までの朝日新聞からは想像できないような真面目な姿勢です。
と思っていたら最終回でやってくれました。
「医療の新しい方向を模索する医師たち」というテーマで、医療の現場に「笑い」を取り入れる試みを紹介する内容でした。
その中で「一日に5回以上笑ったり感動した患者から癌が消えた」という文章がありました。
私も「笑い」の効果は否定しません。
しかし「癌が治った」という一文を書き記すためには厳密なデータが必要なのです。
「一日に5回以上笑う患者」と「一日に5回未満しか笑わない患者」を無作為に分けて、その他の条件を同じにして実験しなくてはいけません。
そして常識的に考えるとそんな実験は不可能です。
真面目に医療に向き合っている者ならば「笑う患者は癌が治る」などという文章を書けるはずがないのです。
この記者もいろんな専門家に取材を重ねたでしょうに、結局この基本的考え方は理解できないままだったようです。
とんだずっこけ企画でした。

 

(2007年6月4日)

今ほとんどの病院は「院外処方」だと思います。
薬が必要な場合、医師は患者さんに処方箋を渡し、患者さんはそれを最寄の薬局で薬と引き換えるというシステムです。
何種類薬を出そうと処方箋1通の値段は同じなので、無駄な投薬が減るという効果はあります。
その一方で受診者の手間が増えるという短所もあるのはみなさんご存知の通りです。
当院では薬をその場でお渡しする「院内処方」のシステムを取っています。
忙しい方はとても喜んでくださいます。
しかし複数の病院でいろいろ薬をもらっている方だと、薬を総合的に管理するために「院外処方」の方が都合がいい場合があります。
そういう場合には「院外処方」にも対応しますので遠慮なく申しつけください。
また希望する薬が当院にない場合もあります。
本来そういう場合には「院外処方」にさせていただくのですが、当院ではできる限り柔軟に対応したいと思っています。
遠慮なくご相談ください。

 

(2007年6月6日)

ものすごくマイナーな話題です。
ベートーヴェンの交響曲を演奏する時にどの楽譜を使っているかというのが最近では問題になるようです。
新しい「ベーレンライター版」という楽譜は、ベートーヴェンの自筆譜に基づいて今までの楽譜を徹底的に修正したものだそうです。
「ベーレンライター版使用」などという宣伝文句が付けられたCDを見かけることが多くなりました。

つまりこの新しい楽譜を使って演奏したということが一種のステイタスになるようです。
先日交響曲第1番に触れる機会がありました。
せっかくなので従来の楽譜と「ベーレンライター版」を比べてみました。
細かなところはいろいろ違っています。
「ベーレンライター版」を見て初めて解決する疑問も確かにあります。
しかしほとんどは瑣末な技術的な差異でした。
今後ベートーヴェンを演奏するときには「ベーレンライター版」を参考にする必要はあります。
しかし「ベーレンライター版」を用いたからと言っていきなり画期的な音楽になるわけではない、結論としてはそんなところでしょうか。

 

(2007年6月8日)

江戸川乱歩全集を読み始めてどれくらいになるでしょうか。
基本的に面白くないので本当は投げ出してしまいたいのですが、「全集フェチ」としては乗りかかった船を下りるわけにもいかず、仕方なく読み続けているところです。
第14巻は戦時中の作品群でした。
乱歩は常々「戦時中は当局に目をつけられ、活動停止に追い込まれていた」と語っています。
しかし時代順に読んでみると開戦直前、乱歩の作品の質はどん底まで落ち込んでいました。
「当局うんぬん」はどう考えても言い訳にしか聞こえません。
戦後、彼の小説が少しは面白くなってくれるといいのですが。

 

(2007年6月11日)

中学生の教育費に対して、1年間に一人あたり80万円以上の税金が使われています。
クレーマー親が問題になっていますが、彼らの根本的な過ちは「自分達が教師を雇っている」と考えている点です。
教師を雇っているのは親ではなく納税者です。
とすれば納税者として次のようなクレームをつけたくなる人も多いのではないでしょうか。
「こんな馬鹿な生徒に80万も使って欲しくない!」 
「80万もかけているんだから厳しく躾けて社会適応能力を身につけさせろ!」 
「80万も支払ってもらってるんだから制服だって校則だってある程度の縛りがあって当然!」 
納税者の意識が低いとよく識者が語っていますが、最近は公務員の無駄遣いに対して世間の目はかなり厳しくなってきました。
それに比べると教育費の使われ方はほぼノーチェックです。
まずは親と生徒に「お前たちには税金がこれだけ使われているんだ」という事を教え込むことが必要だと思います。

 

(2007年6月13日)

公的機関へのクレームは全て文書で受け取り全て記録するべきだと思います。
この手法を採用した自治団体では政治家の口利きや圧力団体の抗議が激減したと言います。
この手法を学校でも採用するべきでしょう。
不満のある親は文書で提出し、それを教師代表、保護者代表、地域住民代表の3者会議で評価する。
その際には親の名前も教師の名前も当然伏せることになります。
こうすれば教師が理不尽なクレーマー親の攻撃にさらされなくなりますし、一方ダメ教師に対する対処も迅速におこなえるのではないでしょうか。
感情的になっている当事者と事なかれ主義の教育委員会を、クレーム処理の場から排除することが必要だと思います。

 

(2007年6月15日)

この間久しぶりに「たらい回し」というのを経験しました。
医療の特殊な手続きの件で、「役所に聞いてもなかなか分からないだろうな」と思いながら電話したのです。
案の定「そもそもどの係に聞いたらいいかも分からない」状態で、しばらく電話をあちこち転送されました。
先日洗濯機が壊れたのでメーカーに電話しましたが、その時は驚くほどスムーズな対応でした(ちなみに、シャープ製)。
最近はどのメーカーもアフターサービスに力を入れているみたいですし、もう「たらい回し」というものを経験することもないかもしれないと思ってた矢先でとても面白く感じました。
繰り返しになりますが役所は全く悪くありません。
問題があまりにも抽象的だったせいです。一応念のため。

 

(2007年6月18日)

小学生の頃、海野十三の小説を読みました。
次々と奇想天外な事件が起こり、何人もの人が殺されます。
私はそれを推理小説と思って読んでいて、「一体誰が犯人で、どういうトリックを使っているんだろう?」とワクワクしていたのです。
ところがそれはSF小説でした。
奇想天外な出来事も殺人も、全部宇宙人が不思議な力でおこなっていたというオチでした。
子ども心にがっかりでした。
それと同じ事を大人になった今、体験してしまいました。
クリストファー・プリーストの「奇術師」。
推理小説と思って読むとあとでがっかりしますので要注意です。

 

(2007年6月20日)

昨年の暮れから刊行されている「フロイト全集」ですが、今月は「モーセという男と一神教」というタイトルでした。
モーセは神により十戒を与えられた人、エジプトに捕らえられていたユダヤ人を率いて脱出、ユダヤの国を作り上げた人です。
あるいは脱出の途中、紅海が真っ二つに割れるという奇跡をもたらしたエピソードが最も有名かもしれません。
「モーセという男と一神教」はユダヤ人であるフロイトが自らの宗教の祖であるモーセについて論考する文章です。
ところがこれがあっと驚くような内容なのです。
あまりにとんでもなさすぎて「イエスキリストは日本で死んだ」みたいなおバカなトンデモ本のような印象さえ受けてしまいます。
ただフロイトは「テキストを虚心坦懐に読めばこういう解釈が浮かび上がってくる」とずいぶん控えめです。
あくまでも「根拠はないがこう解釈すればスジが通る」という論調ですので、科学者としての姿勢をここでも忘れなかったというべきなのでしょう。
旧約聖書にあまり興味はなかったのですが、「出エジプト記」くらいは読み直した方がいいかもしれません。

 

(2007年6月22日)

食器を洗っていていつも思うのですが、どうして食器はこんなに洗いにくいのでしょう。
鍋やフライパンはもちろん、茶碗やお皿でもそうです。
一見シンプルな形のコップでも内側の底はたいてい直角に切れ上がっています。
ほとんどの湯飲みは糸尻が底面から直角に立ち上がっています。
鍋などはよく見ると直角だらけです。
なだらかな曲面だけで構成された食器があるととても洗いやすいと思います。

 

(2007年6月27日)

社会保障番号の導入が話題になっています。
医療保険、介護保険、年金、納税などの情報を一つの番号一つのカードにまとめようという動きです。
こういう話が出ると必ず「番号が一元化されるとプライバシーが侵害される」という反対意見が出されるのですが、どうして統一番号の導入によって今以上にプライバシーが侵害されるのか、その根拠を示す人はいません。
導入しているアメリカではこういう弊害がある、という論法の人はいますが、それもよく聞いてみると運用の問題であってシステムの問題ではないようです。
システムを簡略化した方が管理もしやすいのは普遍的法則です。
番号を一元化した方がより高度なセキュリティシステムを構築できると思います。
例えば今は簡単な申請書さえ出せば他人の住民票を取得できます。
偽造の申請書を作るのはもちろん犯罪なのですが、本人に知られない限りはばれません。
これがもし申請者の「社会保障番号カード」を提出しなければ他人の住民票を申請できないようにすればどうでしょうか。
さらに○○番の社会保障番号の人がいつどこで自分の住民票を申請したか、簡単に本人に確認できるシステムがあったとしたらどうでしょうか。
つまり自分の情報にはいつでもアクセスできる、そして自分の情報に誰がアクセスしたかも確認できる、そういうシステムです。
こういう仕組みを作るためには「社会保障番号」の導入が必要だと思います。

 

(2007年6月29日)

神戸元町ダイアリー2007年(2)ちゃいこのぴーこん<main>神戸元町ダイアリー2007年(4)センマイって何?


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