神戸元町ダイアリー2007年(2)

2007年1月10日、菓子メーカー不二家がシュークリーム製造の際に消費期限切れの牛乳を使用していたとの報道がなされた。
その後同社のずさんな衛生管理体制が次々と明らかにされ、不二家製品は全面的に販売中止に追い込まれた。
以下の文章の「捏造システム」とは1月に世間を賑やかせた「納豆ダイエット」を念頭に置いたものだが、それとは別に、TBSが不二家関連報道の中でおこなった「売れ残りチョコレートを回収して再利用した」との報道ものちに捏造であったことが明らかとなった。 


不二家がようやく販売再開するそうです。
食品メーカーにとっては食品の安全性こそが最優先事項です。
信頼回復への道は厳しいでしょうが、ぜひ頑張って欲しいと思います。
ところで食品メーカーにとって食品の安全性が最優先課題ならば、報道機関にとっては報道の真正性こそが最優先事項のはずです。
構造的な捏造システムに対する改善策が何ら示されていないのにもかかわらず営業(放送)を続けている関西テレビに報道機関としての自覚はないのでしょうか?
考えようによっては賞味期限切れの食品より、捏造された報道の方が国民に対する害悪は大きいと思います。
政府による放送命令にはジャーナリスト面をして猛反対するマスコミ各社ですが、同業者の反ジャーナリスト的行動には頬かむりです。
これぞまさにメディアの集団自殺だと思います。

 

(2007年3月2日)

テレビドラマ「華麗なる一族」が盛り上がってきました。
予告編を見ると、親子の対立はついに法廷にまでもつれ込むようです。
原作ではなかったシーンですが、こちらの方が盛り上がりそうです。
となると気になるのはラストですが、キムタクも頑張っているし、必ずしも原作に忠実でなくてもいいかも、などと思えてきました。
情にほだされやすい軟弱者です。
盛り上がっていると言えばNHKのドラマ「ハゲタカ」も面白そうです。
最初を見逃したのであわてて原作を読んで3回目から合流しましたが、期待通りの硬派な出来です。
ただ登場人物がみんなぼそぼそしゃべるのでセリフが聞きづらいのが難点でしょうか。
しかし原作同士を比べると、圧倒的に山崎豊子が迫力で勝ります。
とにかく男勝りです。
非情さといい、剛直さといい、構成力といい。
実は「男勝り」とか「男らしい」という言葉は男にとっての実現不可能な憧れなのかもしれません。

 

(2007年3月7日)

北方謙三の「水滸伝」もすごいことになってきました。
毎月1冊ずつ出る文庫版です。
今出ているのが第5巻。
5巻でこの迫力だと残る14巻で一体どういうことになるのか全く想像もできません。
そこで思うのです。
これを訳して中国に輸出するべきだと。
これは絶対に世界のスタンダードになるべき冒険小説です。
中国の人も「北方水滸伝」を読むと日本人に感謝してくれるのではないでしょうか。
集英社さん、いやこれは国家事業として国が翻訳するべきでしょうね。ぜひお願いします。

 

(2007年3月9日)

認知症や心の病についての考え方がどんどん変わってきています。
定年間近の人が突然万引きをしてしまう、そんなニュースを時々耳にしますがこれも認知症の早期症状の一つなのだそうです。
心神喪失という診断で凶悪犯罪者が罰を受けることなく野に放たれるのは問題だと思います。
しかし60年間も普通に生活してきた人がある日突然万引きをしてしまった場合、刑事罰よりもまず診断と治療が優先されるべきではないでしょうか。
最近話題の芸能ニュースを見ても思います。
お年寄りが大した理由もなく激怒したり片意地を張ったりするのも認知症特有の症状です。
周囲の人も対立を煽ったりする前にそれとなく診察を薦めるべきだと思います。


この「芸能ニュース」とは作詞家・川内康範が歌詞を勝手に変えて歌っていた森進一に激怒した、いわゆる「おふくろさん」騒動のこと。
ちなみにこの時川内氏は87歳であった。
 

 

(2007年3月12日)


本は好きなのですが、どんな本が好きなのか? と訊かれると困ってしまいます。
ドストエフスキーも好きですが大沢在昌も好きだし、「源氏物語」も読みますがリリー・フランキーの「東京タワー」も読みます。
ニーチェも読みますがタレントの暴露本も読みます(これはさすがに買ってまでは読みませんが……)。
今は学園青春萌え系SFにはまっていたりもします。
でも「何でも読みます」とは答えたくありません。
「何でも読む」と答える人に「何でも読む」人がいたためしがないので(失礼!)。
そこで思うのですが、読書好きの人にはこう質問しましょう。
「今は何を読んでるの?」
さらに興味があれば、「その前に読んでた本は? 次に読もうとしている本は?」
これならすんなり答えてもらえると思います。
そこでもし、仮に、たとえばの話ですが「新古今和歌集」を読み終わって、「涼宮ハルヒ」を読んでいて、次は「フロイト全集」などという答えが返ってきたら初めて「何でもありなんですね」と言ってあげましょう。
そうすれば「はあ、まあ……」という返事が返ってくるでしょう。
以上、活字中毒者のあしらい方入門でした。

 

(2007年3月14日)

それにしても「活字離れ」というのは絶対に嘘だと思います。
電車の中で観察してみると、本を読んでいる人の割合は年齢層とは関係ないように見えます。
そう思いませんか?

 

(2007年3月16日)

2007年3月4日、神戸市東灘区で発見された不発弾の処理がおこなわれた。
これに伴って住民など1万人以上に退避命令が出された。
また同年1月アメリカ下院に日本政府に慰安婦に対して謝罪をするように求める議案が提出された。
なぜこのタイミングでこの議案が提出されたのかはよく分かっていないが、これに対して6月、日本の知識人たちがワシントン・ポスト紙の1面広告で反論を試みた。
それにも関らず(そのせいで、という意見もあるが)7月には同法案は可決された。
 

先日の東灘の不発弾処理を見ても、まだまだ戦後処理は終わっていないと実感させられます。
慰安婦その他の問題もそうです。
戦争の傷跡は60年経ってもなお癒えないということです。
アメリカは先の大戦で日本を完膚なきまでに叩き、その後属国として帰属させましたから日本からの賠償請求を考慮する必要が一切ありません。
ところがベトナム戦争はそうではありません。
ベトナムはアメリカに勝利し、現在もアメリカの属国ではなく、しかもまだ戦後わずかに30年です。
ベトナム国民の意識の高まりとともに、今後アメリカは無差別爆撃による大虐殺やベトナム人慰安婦問題、略奪や強姦の賠償請求の嵐に曝される事になります。
アメリカ議会の日本の従軍慰安婦問題への取り組みは、私は個人的には素晴らしいと思います。
その一方で、そんな余裕があったら今の内にベトナムへの賠償基金でも設立した方がいいのではないか、と余計な心配もしてしまうのです。

 

(2007年3月19日)

おせっかいな国家。
子どもの虐待やドメスティック・ヴァイオレンス、ストーカー、あるいは職場でのセクハラなどの事例が、最近は犯罪として取り扱われるようになってきました。
いずれも「家庭内の事」「民事不介入」などの建前に妨げられてこれまでまともに取り上げられなかった問題です。
国家が人権問題に積極的に介入するようになって初めてこれらの被害者が救済される可能性が出てきたわけです。
そういう意味では近代国家は「経済的には小さな国家、人権的にはおせっかいな国家」に向けて進むべきなのでしょう。
さらにこうした流れを一段と推し進めるならば、進歩的な国は他国の人権問題にも積極的に干渉するようになるでしょう。
最近のアメリカの干渉的な人権保護の動きも「余計なお世話」と拒絶するのではなく「先進国の当然の義務」と受け止めるべきなのでしょう。
もちろんその干渉に特定企業の利権が絡んだり、関連する国益によって他国に対する姿勢に違いがあっては問題ですが、基本的な発想自体、私は尊重します。
慰安婦問題がアメリカの議会で取り上げられています。

それに対してもし「余計なお世話」だと感じるならば、その感受性はもはや時代遅れだと思います。

 

(2007年3月23日)

ようやく「新古今和歌集」を読み終わりました。
まず冒頭の1首に圧倒されます。

  み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春はきにけり

ちなみに「古今和歌集」の冒頭にも吉野に題材を得た歌があります。
それがこれ。

  春霞 立てるやいづこ み吉野の 吉野の山に 雪は降りつつ

吉野の山にしんしんと雪が降り積もっている。
暦の上ではもう春霞が立ってもおかしくないはずなのに、一体どこに春が来ていると言うのだろう。
これが900年当時の感性です。
ところがそれから300年経つとこう変わるのです。
吉野の山がかすむほど雪が降っている。
目から入ってくるその眺めも、耳から入ってくる雪の音も、肌を突き刺すこの寒さも、全てが今は冬だと訴えている。
しかし私は感じるのだ、春が確実に近づいていることを。
五感を超えた感受性を歌ったこの歌を冒頭に持ってきて、「新古今和歌集」は新たな感受性の獲得を高らかに宣言したのです。

 

(2007年3月26日)

そういうわけで印象的な歌は多いのですが、少し変わったものを一つ。

  なき人の 跡をだにとて 来て見れば あらぬ里にも なりにけるかな

死んでしまったあの人を偲ぼうと昔の住処にやって来たけれど、私が見たのはすっかり変わり果てた村の姿だった。
壮絶なる時の重み。悲しさを超えた無常さの歌だと思います。

 

(2007年3月28日)

景気が上向くのはいい事ですが、バブルへの逆戻りは御免です。
あの時代何が異常かと言って、サービス業界がこぞって勘違いしていたのが最たるものでした。
タクシーに乗る時も「すみません、近距離なんですが」などとドライバーの顔色をうかがわないといけなかったものです。
まだ乗せてくれるだけましだったのかもしれません。三宮から芦屋に行きたくても「高速道路で行ってもいいのなら乗せてやる」みたいな態度でしたから。
最近大人向けの雑誌で「○○での遊び方」というタイトルをよく見かけます。
○○には銀座や祇園などの敷居が高そうな地名が入ります。
しかしこちらがお金を出してサービスを受けようというのに、どうしてマニュアルが必要なのかよく分からないところです。
医療もサービス業の一種です。
「賢い病院の選び方」という本はあってもいいと思いますが、「医者を怒らせない方法」などという本は絶対にあってはならないと思います。
医師の仕事は患者一人ひとりに最適な医療サービスを提供することです。
診察する方にも受診する方にも画一的なマニュアルなど存在するわけがないのです。
「○○での遊び方」などというタイトルを見るたびに、またあの間違った時代に戻りつつあるように感じられてなりません。

 

(2007年3月30日)

法律には犯罪を防止する働きがあります。
だからと言って犯罪を防止するために見せしめ的に法律を適用するのは間違っている……、堀江裁判などを見て、私はそう思っていました。
今、Eメールが大変なことになっています。
私のアドレスにも一日に100通を超える迷惑メールが届きます。
日によっては200通を超える時もあります。
これでは携帯電話への自動転送などとても設定できません。
実際パソコンからのメールを受信拒否している携帯ユーザーも多くいます。
つまりせっかくの便利な通信ツールが一部の人のために使用できない状態になっているわけです。
もちろん現行法ではこれらの迷惑メールを取り締まることはできません。
しかしそろそろ恣意的な法解釈による見せしめ的な検挙が行われるような気がします。
そして、その時には私もその検挙を喜んでしまいそうで、喜んでしまいそうな自分の存在が心配の種だったりするのです。

 

(2007年4月2日)

専門用語や内輪での符丁と言えばどのジャンルでも略すのが好きな人がいて、クラシックでもそうです。
ベートーヴェンの1番の交響曲が「べといち」で、モーツァルトのレクイエムが「もつれく」。
チャイコフスキーのピアノコンチェルトは「ちゃいこのぴーこん」と略される始末です。
ショスタコーヴィチに到っては交響曲第8番が「たこはち」と略されてしまいます。
「ちゃいよんって好き?」と訊かれた時、「チャイコフスキーの4番は好きだけどちゃいよんは嫌い」などと心の中でひねくれている私です。
そう言いながら私も「アルプス交響曲」を「アルペン」、「中国の不思議な役人」を「マンダリン」と勝手に略しているのですから程度問題なのかもしれません。
それにしても「めんこん」とか「まらなな」なんてのは勘弁して欲しいものです。

 答え…メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、マーラーの交響曲第7番

 

(2007年4月6日)

植木等が亡くなった時、キャラクターイメージとは異なる真面目な性格を強調する記事が目立ちました。
しかし「無責任男」が実は真面目な男だったという記事は、「真面目は不真面目よりもよい」という前提があるからこそ成り立っていると思うのです。
いい加減さ、テキトーさ、今流行の言葉で言うと「鈍感力」? 
これに拍手を送った人たちは不真面目をよくないものとは考えていなかったと思います。
記者は誉め言葉のつもりで書いたのでしょうが、「無責任男」の死亡記事としてはあまりに無責任、そんな風に感じてしまいました。

 

(2007年4月9日)

トマス・ハリスの新作が出ました。
読書計画を急遽変更してさっそく「ハンニバル・ライジング」を読みました。
時代設定は今から60年前にさかのぼります。
戦争の傷跡癒えぬパリを舞台に、若きハンニバル・レクターが怪物となるまでのお話です。
トマス・ハリスはなぜかミステリファンには人気の高い作家ですが、今作も映像化を意識したかのようなスピーディな展開が特徴的です。
ややもするとそれが私には浅く、雑に感じられるのですが、それはまあいいでしょう。
今回はハリスの日本文化への深い造詣に驚かされます。
雅楽、和歌、俳句、それに香道。
ジャポネスク趣味を超えた、理解と共感を感じさせる扱い方です。
ヒロインも日本人ですし、興味があれば読んで損はしないと思います。
ちなみに小野小町の歌は古今和歌集の1,030番。
幕切れ近くの「源氏」の歌は「朝顔」からの引用です。

 

(2007年4月11日)

電車の中でヘッドホンをシャカシャカ言わせている人がいればなるべく注意するようにしています。
ほとんどの人は音が漏れている事に気がついていないだけで、注意するとすぐボリュームを下げてくれます。
困るのは携帯電話のクリック音です。
断続的なので注意しにくいのです。
年配の人が多いのも注意しにくい理由の一つです。
そこで提案ですが、携帯電話メーカーは初期状態を「クリック音OFF」にして販売してもらえないでしょうか。
たいていの人はクリック音がONになっている事も意識せず、さらに解除の仕方も分からなくて放置しているのだと思います。
初期状態が「OFF」であればわざわざ「ON」にする人はいないと思います。
メーカーさん、どうかよろしくお願いします。

 

(2007年4月13日)

中国に反日の嵐が吹き荒れていた頃を思い出します。
日本政府の度重なる要請に反応しなかった中国政府が、石原都知事の「外国人の安全性も確保できない国のオリンピックなんてボイコットすればいい」という発言に敏感に反応してデモを強力に鎮圧し始めたのだったと思います。
今度は立場が逆転します。
東京オリンピックを開催するためには周辺諸国の賛同と支持が必要です。
都知事の強圧的な発言がオリンピック計画の具体化に伴ってどのように変化していくのか、私はとっても楽しみにしているところです。

 

(2007年4月16日)

それにしても政治家というのは大変な仕事だと思います。
ブルドーザーのように前進さえしていれば良かった時代ならまだ楽だったと思うのです。
今は公共事業を削減すべきなのは分かっていても、地域経済はその事業に頼り切る構造になっているし、財政を緊縮させれば景気も後退するし、何をするにしても信じられないような調整能力が要求されます。
政治でも何でもアクセルを踏むよりもブレーキを踏む方が難しいものです。
昔の政治家は立派だったと言う人がいますが、私には昔日の剛腕政治家はアクセルを踏む力が強かっただけの人のように見えます。
今はブレーキを踏むテクニックも求められます。
つまり政治家として要求されるレベルが以前と一桁違っているのです。
ですから政治家にはその仕事に全精力を傾けて欲しいです。
通勤時間を節約するために一等地に議員宿舎を建てるべきだと思うのです。
領収書なんか提出する暇があればその分仕事をして欲しいのです。
領収書を提出させたいのなら経費担当秘書を公費で付けるべきだと思います。
政治家を一番活用するのは、金をかけてもっと仕事に専念させることだと私は思っています。

 

(2007年4月20日)

基本的にテレビは見ません(テレビ欄は隅々までチェックしますが)。
それで特に問題はなかったのですが、最近は困ることがあります。
中国や韓国の人名の呼び方が分からないのです。
「恩家宝」首相来日の場合、記事の一番最初こそ「ウェン・チァパオ」とルビが打ってありますが、あとは漢字表記のみです。
これではなかなか頭に入ってきません。
その点テレビのニュースだと耳からも情報が入ってきますからさぞ覚えやすいだろうと思っていました。
ところがこの間たまたまニュースを見てたらテレビで「恩家宝」は「おんかほう」でした。何だか拍子抜けしてしまいました。

 

(2007年4月23日)

それに関連して思うのですが、どうして日本人は自分の名前を外国人に話す時にわざわざ姓名をひっくり返すのでしょう?
名前は自分の重要なアイデンティティのはずです。
私は日本にいようと外国にいようと「松本修志」であって「修志松本」では絶対にありません。
日本の名前は「姓」「名」の順である、だからこれからはその順に従って呼んでいただきたい。
日本人も遅ればせながらはっきりそう主張するべきだと思います。

 

(2007年4月25日)

この薬はこういう成分だから血圧を下げるはず、さらに実際に患者さんに飲んでもらったら血圧の下がり具合もいい。
だからこれはいい薬だ。
今まで医師はそういう考え方で薬を出していました。
ところが成分がどうであろうと効かなければ意味がないし、自分が受け持った患者さんの数はせいぜい数百人程度です。
これをせめて数千人の規模にして、しかも条件を厳しく設定した研究をおこなって統計的な結論を出そうという動きが最近主流になってきました。
考えてみれば当然です。
医学もやっとまともな科学になりつつあるということです。
ところで理念ばかりが一人歩きして、一切統計的な事実が語られなかった分野が他にもあります。
教育です。
これまでは「こうすれば子どもは素直に育つはず」とか、ほんの数百人の生徒を受け持っただけで「こうすれば子どもは立派に育った」などという論法がまかり通ってきました。
今回行われた全国学力テスト、これによって教育の場に初めてまともな資料が登場するわけです。
プライバシーの問題には細心の注意を払いつつ、ぜひ活用したいものです。

 

(2007年4月27日)

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