神戸元町ダイアリー2006年(4)

2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会にジーコ率いる日本チームが出場するも、オーストラリア●、クロアチア△、ブラジル●で決勝トーナメント進出ならず。
ちなみに優勝はイタリアだった。 


微妙に時期遅れなのですが、ワールドカップベスト8に進出した国々を見て思いました。 
外国料理店の多い神戸ならこの国々の料理が全部食べられるのではないでしょうか? 
フランス、イタリア、ドイツは専門料理店もたくさんありますし問題ないでしょう。ブラジル料理店もありますね。 
イギリス料理専門店は見当たりません。と言うかイギリス料理と言われても全くぴんと来ません。しかし「ロンドン風」とか「イギリス風」と書かれたパブならイギリス料理店と考えてもいいと思います。 
六甲道に「キャビ庵」という店があります。ここはロシア料理店ですが、シェフはウクライナ人のようです。 
ポルトガル料理専門店は見つかりません。摂津本山の「パレルモ」ではポルトガルやスペインなどの地中海料理が食べられるそうです。 
問題はアルゼンチンですね。アルゼンチンタンゴは流行っているのに神戸には専門の料理店はないようです。
シュラスコというのは本来はアルゼンチン料理なのだそうです。ハーバーランドのシュラスコ料理「サバス・ブラジリアーノ」、店名は思いっきりブラジルですが、この店でアルゼンチン料理を食べた気になりましょうか。

 

(2006年7月3日)

そろそろオールスターゲームのファン投票の結果が出始めました。 
いつも思うのですが日本ではどうして選手間投票がないのでしょう。
選手同士によって選ばれるようにすれば選出メンバーが人気チームに偏ることもないでしょうし、本人にとっても名誉ですから調整のための欠場もなくなるのではないでしょうか。 
選手間投票で選ばれた実力ベストナインを早目に発表して、その結果を踏まえてファンはそれ以外の選手を選出します。
先発メンバーはベストナイン、イニングが進むに連れてどんどん人気選手が登場する、そういう仕組みにすればオールスターゲームももっと面白くなると思います。

 

(2006年7月5日)

ワールドカップ決勝戦はイタリアとフランスの対決です。 
たとえば西武対阪神の日本シリーズなら勝った方のデパートはバーゲンセールをします。
そこで! イタリア料理店もフランス料理店も、優勝した時にはぜひ優勝記念半額セールをして欲しいものです。

 

(2006年7月7日)

医学的根拠は全くないのですが、夏バテの原因は睡眠不足だと思っています。 
バテると仕事の効率が落ちるので、多少冷房代が高くついてもエアコンを効かせてしっかり寝た方がいい、そう思っていました。
ところが今年は事情によりエアコンが使えません。
そのため夜は少しでも涼しい場所を求めて部屋のあちこちをうろついています。
今のところフローリングの床に直接寝るという原始的なスタイルに挑戦中ですが、これだとかえって睡眠が浅くなりそうで心配です。
それにしても朝方4時過ぎには風がぴたりと止まりますね。
身を持って「凪」を実感する今日この頃です。

 

(2006年7月10日)

この間元町商店街の路地裏を歩いているとオープンテラスのカフェが店を出していました。
オープンテラスというと聞こえはいいですが、要するに道端にテーブルと椅子を出しただけ。
ところがこれが結構にぎわっているのです。
どうせなら元町商店街で店を出してはどうでしょう? 
商店街ならアーケードがあるから天気に左右されないし、7時にはほとんどの店が閉まってしまう元町の活性化にもつながると思います。

 

(2006年7月14日)

2006年6月、「東大阪リンチ殺人事件」と呼ばれる事件が発生した。
若者同士のささいなトラブルが恐喝→報復→暴力→報復という負のスパイラルを進み、ついには9人が2人をリンチ死させた。
その過程では当然「あいつ気に食わないからとっちめてやろう」という謀議がなされたであろう。 


「共謀罪」はどうやら廃案になったようです。 
弁護士会や人権派の人たちの頑張りが実を結んだと言えるでしょう。
その人たちの主張によると共謀罪というのはとっても恐ろしい法律です。
仲間内で「あいつ気に食わないから今度とっちめてやろう」と相談しただけで罪になる、つまり誰もがいつ犯罪者として逮捕されてもおかしくない世界になってしまうとか。
それは大変に恐ろしい話です。
廃案になってくれて本当によかったよかった、………と思っている人が本当にいるのでしょうか? 
私も仲間内でバカ話をすることもあるし、酔っ払って羽目をはずすこともあります。
しかしそれでも「あいつをとっちめてやろう」などという話をしたことは一度もありません。
そんなことを言う人と出会ったこともありません。 
「ひどいことを言われた、じゃあ今度はどう言い返してやろうか」と思うのと「じゃあ今度は殴ってやる」と思うのとの間には大きくて深い溝があると思います。 
一方今回の東大阪のリンチ殺人事件。
共謀罪があの事件を未然に防げた可能性はあるでしょうか? 
政府案も修正に修正を加えて最終的には実効性がなくなっていたようですからあの事件が防げていたかどうかは疑問です。

しかし、共謀罪に反対していたマスコミや団体にはあの事件を共謀罪と絡めて考察する責任があると思います。

 

(2006年7月18日)

2006年7月、FIFAワールドカップの決勝戦で相手選手の言葉に激昂したフランス・ジダン選手が相手を頭突き、退場となった。 

またもや時機を失した話ですが、ジダンの記者会見です。 
大のおとなが「お母ちゃんの悪口を言われたから」とうなだれているのは滑稽なようでもあり哀れなようでもあります。
しかし引っかかるのは「暴力よりも人を傷つける言葉がある」という部分です。 
暴力が必ずしも最悪の手段ではない、そういう言葉の元にどれだけのいじめ、虐待、体罰、紛争、粛清、テロ、戦争が行われてきたことでしょうか。
「テロリスト」という言葉に激昂して暴力に訴える、それはテロリストの思考パターンと全く同じです。

 

(2006年7月20日)

兵庫県立芸術文化センターで「蝶々夫人」を見てきました。
日本的な旋律で有名なプッチーニのオペラです。 
しかしプッチーニはすごいです。
どこを切っても美しいメロディーがほとばしり出てくる美麗オペラ。
これを佐渡裕指揮の芸術文化センターオーケストラがしなやかに演奏していました。
声楽陣も概ね好調。
舞台もとってもきれいでした。 
ただ演出がかなり時代を感じさせるものでもの足りませんでした。
この曲の舞台は「現代の日本」です。
もちろん作曲当時、つまり1904年の日本なので当時の日本の風俗を再現してよしとする演出姿勢もあり得ると思います。
しかし「現代の」という言葉に重きを置いて同時代性を強調する手法もあったのではないでしょうか。 
ホールも演奏陣もフレッシュなのですから演出にもフレッシュさを求めて欲しいと感じました。

 

(2006年7月24日)

小泉首相のプレスリーの物真似が文化人の間でも話題になっているようです。 
先日は大江健三郎がチャイルドライクとチャイルディッシュという言葉を用いて非難していました。
大人がチャイルドライクと呼ばれるのはほめ言葉ですが、チャイルディッシュと呼ばれれば悪口なのだそうです。 
大江健三郎と言えば、息子が作曲家としてデビューした頃、しきりとテレビに登場していたことを思い出します。
あの時の喜びぶりに、番組や本人の意図とは異なる何か薄ら寒い印象を感じたのを覚えています。 
なるほど大人がはしゃぐ姿は映像になりにくいのかもしれません。

 

(2006年7月26日)

腕時計を持っていないので電車の中などで時間を知りたい時には人の腕時計を覗き込みます。 
それで気がついたのですが最近腕時計をしている人が減ってきたように思います。
時を告げるアイテムとしての腕時計はそろそろ役目を終えつつあるのかもしれません。

 

(2006年7月31日)

「クラッシュ」という映画を見ました。
アメリカ社会に巣食う人種差別の実態を描いた作品です。 
複雑な人間模様が一つの交通事故をきっかけに収斂するのですが、その人間関係が全て人種差別というキーワードで結びついている奇跡のようなシナリオ。
アカデミー脚本賞受賞だけあってさすがの切れ味です。 
ところがこの映画で差別の対象として扱われているのはアフリカ系の人々だけです。
アラブ系もアジア系もこの映画ではヒステリックで無知な人々として描かれています。
差別にも値せずということなのでしょうか?

 

(2006年8月2日)

今マルクスの「資本論」を読んでいます。
結構難しいです。 
ところがこの間買い物をしていると店の人に「珍しいものを読んでいますね」と話しかけられました。
「私たちの頃は何を置いてもまずマルクスだったんですよ」とその年配の人は懐かしそうに話していました。 
こんな難しい本が青春の一冊だったりもするのですね、驚きました。

 

(2006年8月4日)

政治家の靖国参拝が問題になっています。 
賛否両論あってしかるべき重要問題だと思いますが、考え方の根幹として「A級戦犯」という呼び方に問題があると思います。
「A級戦犯」とは戦勝国が一方的で不適切な裁判によって決めつけた呼び名なので、この呼び名に基づくとどうしても正しい判断の妨げになります。
当事者である私達日本人としては「戦時指導者」とでも呼ぶべきでしょう。 
軍の責任者でありながら、つまり部下には玉砕や特攻を推奨し沖縄の人々には集団自決を迫りながら、終戦時に自らは責任を取らなかった指導者がいる。
一方で「俺が死んだら靖国に会いに来てくれと」死んでいった若者たちがいる。
しかもその死因の多くは戦死ではなく杜撰な補給計画による餓死でした。 
その両者を同じ空間に祀るのが国家として正しいかどうか、かつて責任を取らなかった指導者を現在の指導者が参拝するのが正しいかどうか、私達はそれで判断するべきだと思います。 
中国や韓国に対する配慮などはその先のことです。

 

(2006年8月9日)

9年ぶりに携帯電話を買い換えました。
接触が悪くて通話が途中で切れてしまうのです。 
新しい携帯は10年間はもたせたいと思います。

 

(2006年8月11日)

やっと「資本論」を読み終えました。 
「聖書」以降最も人類に影響を与えた書物、そう思って読み始めたのですが、難解な用語や数式だらけでさっぱり訳が分かりませんでした。
革命家やテロリストはこれを読んで共産主義者になったのでしょうか? 
そうだとすると驚きです。 
ところで文中に「こういう事を言うと共産主義者と思われるかもしれないが」という引用がありました。
共産主義という概念はマルクスが考え出したものかと思っていましたが、根本的に考え違いをしていたようです。 
いずれにしても革命家失格の私でした。

 

(2006年8月18日)

お盆特別企画として司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読みました。 
ものすごい情報量ですが、リーダビリティも高くて全8巻を一気に読めました。 
日本とは、日本人とは、日露戦争とは、戦争とは、国の為に戦うとは……。
それから小説とは何か、私は書物に何を求めているのか、などなどいろんなことを考えさせられた一週間でした。 
それについては考えがまとまればまた書いてみたいと思っています。 
ところで第8巻を読んでいるとうちのナースが表紙を見て言いました。 
「『くもはち』って誰ですか?」 
確かに「くもはち」のようにも見えますね、文春文庫さん。

 

(2006年8月21日)

「坂の上の雲」で印象的なのは乃木、伊地知という無能な将軍、参謀によって多くの兵士の命が奪われるところです。
そこで考えるのです。
祖国が存亡の危機にある時には私も命を賭けて戦いたい、しかし無能な将軍の愚かな作戦で命を落としたくはない。 
そのためには愚将を断罪するシステムを作らなくてはなりません。
ところが日本人がやってきたのはそれとは全く逆の行為です。
愚将はいつの間にか英霊として祭り上げられ、「死ねばみな仏」という言葉でその責任はうやむやにされてきました。
これでは日本の為に命を賭けろと言う方が無理です。
戦時指導者を祭り上げておいて次の指導者を信じろと言って、果たして心ある若者が立ち上がってくれるでしょうか? 
「日本を間違った方向に導いても責任は取らないよ、でも死んだらちゃんと祀ってちょうだい、もちろん前線で戦うつもりなんてないけどね〜♪」 
靖国を参拝する政治家はこう言っているように私には思えるのです。

 

(2006年8月25日)

森鴎外は「歴史其儘と歴史離れ」という随想を書いていますが、その中で自分の創作態度を明らかにしています。 
歴史小説から作為的な部分を可能な限り削り落として、資料に基づく事実のみに語らせるという姿勢です。
晩年の史伝三部作はその姿勢に基づいて書かれた作品ですが、結論から言うとこれが全く面白くないのです。
鴎外は「渋江抽斎」などという歴史的に無名な人物を取り上げて、彼が何年の何月何日に何銭で買った野菜を食べた、そういうひたすら日常の茶飯事を綴っていきます。
ところがその細かな描写を積み重ねれば積み重ねるほど「抽斎」という人物像は霞んできます。 
考えてみれば森鴎外はオリジナルのストーリーを作り出すのが苦手な人でした。 
彼の最高傑作は「阿部一族」か「ファウスト」だと思いますが、前者はわずか数十ページの短編ですし、後者は翻訳です。
「歴史其儘と歴史離れ」は実は鴎外の「敗北宣言」と読むべきだと思うのです。
話がとても難しくなりましたが、司馬遼太郎を読む時に私はいつも鴎外のこの敗北宣言を思い出してしまうのです。

 

(2006年8月28日)

きっとこのコラムがアップされる頃には10年後のオリンピックの日本候補地が決まっているでしょう。 
候補地になればいずれにしても大規模開発が避けられません。
どうせ自然を破壊するのならすでに開発で荒廃し尽くしている東京の方がいい、などという意見もあるようですが……。 
ここでメガフロートというのはどうでしょう。
巨大な桟橋状の浮体を浮かべてそこに全競技場を造るのです。
自然破壊は最小限で済みます。
そして日本オリンピックが終われば次回開催地まで曳航するのです。
途中アジア大会やユニバーシアードなどさまざまな競技会で使用しながら4年かけてゆっくり運びましょう。
最初の建造には莫大な費用がかかりますがそれ以降は維持費のみで比較的安く済むと思います。 
これだと小国でのオリンピック開催も可能になるのではないでしょうか。 
以前も提案した「オリンピックは陸上・水泳、格闘技、球技、冬季の4部門に分けて毎年開催しよう!」に続くトンデモ提案第2弾です。

 

(2006年8月30日)

神戸元町ダイアリー2006年(3)サクリファイス<main>神戸元町ダイアリー2006年(5)ミステリについて


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