最近面白い事に気がつきました。
電車の中で携帯でメールしている人が多くなりましたが、ボタンのクリック音を「ON」にしている人はたいてい40歳以上です。
若い人は無音でメールしています。
みなさん、まわりからオジサン、オバサンと思われないようにクリック音を「OFF」にしましょう。
(2005年1月11日)
2005年1月、安倍晋三(内閣官房副長官)が特集番組の編集についてNHKに圧力をかけたとの記事が朝日新聞に掲載された。
昨日のテレビ番組で、NHKの番組への政治家による圧力の問題が取り上げられていました。
番組的には「政治家の圧力はどこまで許されるのか?」という方向で話を進めたかったようですが、安倍晋三氏が突然「朝日新聞の報道は悪意ある捏造である」とぶち上げたから大騒ぎです。
「政治家に媚びるNHK」をバッシングしたかったのに、その前に「捏造する朝日新聞」という大問題が飛び出したのですから。
司会者がどんな質問をぶつけても、安倍氏はこう繰り返すだけです。
「それは朝日新聞の捏造だと言っているでしょう?」
出席していたコメンテーターたちもあらかじめ用意していた「政治家の圧力は許されない」という間抜けなコメントを繰り返すだけでした。
久しぶりに生放送のパニック現場を見ました。
しかし司会の田原総一郎氏もそろそろ耐用年数切れではないでしょうか?
自著の出版パーティーに政治家を大勢招待するような感覚の人物をジャーナリストとは呼びたくないものです。
そういう人が「ジャーナリズムへの政治家の圧力」について語るのも不思議な話です。
(2005年1月17日)
「小学生高学年の4割が地球の周りを太陽が回っていると思っている」
学力低下を嘆くそんなニュースがありました。
しかしどうなのでしょう? 太陽は東から昇って西に沈みます。
地球の方が回っている証拠など回りを見渡しても見つかりません。
昨年、大接近した火星を毎日見ていた方も多いと思いますが、確かに火星は星座の中をふらふらとさまよっていました。
コペルニクスはそれを見て「地球が太陽を回っている」と確信したらしいですが、私には確信どころかそんな発想すら浮かびませんでした。
子どもにとってどちらが自然なのでしょうか?
自分の感覚に正直に「太陽が地球を回ってる」と思うのと、自分の感覚を信じないで本の知識を受け入れるのと。
私は子どもたちには自分の感覚を信じて、自分の頭で物事を判断して欲しいと思います。
(2005年1月24日)
芦屋市の震災慰霊祭に行ってきました。
来賓の挨拶は4人、市長、県知事、市議会議長、それに芦屋市選出の国会議員。そのうち県知事挨拶は代読でした。
「どうして政治家は挨拶をしたがるのだろう? その分遺族の声を聞かせてくれればいいのに」式典に行く前はそう思っていました。
遺族代表は親を亡くした高校生の女の子でした。
この10年間とても辛かったけれども頑張って生きているという内容でした。
未来への明るさを感じさせる挨拶でしたが、言葉が健気であればあるほど痛切さが心に突き刺さってきました。
間違っていました。
遺族の方の挨拶はあまりに重すぎます。
政治家の挨拶で薄めなければ、とても受け止め切れなかったでしょう。
政治家の退屈な挨拶の効用を感じさせられた一日でした。
(2005年1月31日)
慰霊祭で一つ不思議なことがありました。
冒頭で演奏されたゴードン・ターク作曲の「エレジー」。
これが全くつまらない曲なのです。
不協和音が重なってその上に可憐な旋律が流れる、そういう狙いなのでしょうが、旋律は陳腐で曲は一向に盛り上がらず。
追悼曲にふさわしい厳かな雰囲気の片鱗も感じられない曲でした。
タークはアメリカのオルガニストらしいのですが、ネットで検索をしても作曲業績についてはよく分かりません。
特に芦屋ゆかりの人物というわけでもなさそうです。
一体何だったのでしょう?
(2005年2月7日)
年金についての議論がようやく国会でもスタートしそうです。
しかし一元化しようがどうしようが、そもそもお金がないのですから見通しは決して明るくありません。
いつも不思議に思うのですが、どうして受給者側からアイデアが出ないのでしょうか?
子供や孫の世代は間違いなく負担が増えて給付が減ります。
それなのに今年金を受け取っている世代が全く何も発言しないのはどうしてでしょう?
中には「子供たちの負担を1割増やすくらいなら俺の受給額を1割減らしてくれ」と言う人がいてもいいと思うのですが。
学校の安全対策として各校に警備員を配置するなどという案も出されているそうです。
「警備員を雇うくらいなら俺たちが交代で校門の前に立つぞ!」と言う人はいないのでしょうか?
2001年6月の付属池田小事件以来、学校への侵入者による生徒や職員に対する傷害行為が相次いだ。
この年の1月には横浜市の小学校で侵入者によって生徒4人が傷害を受けた。
そしてこの記事の日付2月14日には寝屋川市の小学校で教師が侵入者に刺殺されている。
(2005年2月14日)
福井晴敏の「終戦のローレライ」を読みました
骨太の軍事サスペンスと、感涙必至の浪花節と、荒唐無稽なファンタジーと、その3つを足してしかも3で割らない感じ。
堂々たる2千ページです。
しかしこのボリュームをどうやって映画化するのでしょう?
(2005年2月21日)
最近、いろいろな先入観に毒されている自分に気がつくようになりました。
たとえば夏目漱石の「坊ちゃん」。
痛快青春小説の代名詞で、これまでは私もそのように読んで(読まされて?)きました。
しかし果たしてそうでしょうか。
「坊ちゃん」は教師として松山に赴任したにも関わらず、生徒たちと打ち解けようとしません。
最後まで松山の子どもたちを田舎者の野蛮人扱いしたままです。
「生来の無鉄砲」と吹聴しながらラストでは卵をぶつけて赤シャツを懲らしめたつもりになっています。
しかも赤シャツのどこがどう悪かったのかよく分かりません。
普通に読めば、ちっとも「痛快」ではない「坊っちゃん」です。
(2005年2月28日)
そもそも漱石を「文豪」と最初に呼んだのは誰なのでしょうか?
漱石自身はトルストイを「文豪」として紹介したことがあります。
確かにトルストイなら「文豪」でしょう。
「豪」の字が持つ豪胆で豪快な語感にぴったりです。
しかし漱石は違います。
「こころ」にしても「それから」にしても、よく言えば「繊細」、悪く言えば「軟弱」なスタイルの作家です。
まるで球速100キロ台のカーブを得意とするピッチャーを「豪腕投手」と呼ぶようなものです。
実際に読んだことのない人がつけたニックネームだと思います。
(2005年3月7日)
「ローレライ」を見てきました。
監督は平成「ガメラ」シリーズの特技監督の樋口真嗣。
特に「ガメラ3」での大迫力の戦闘シーンと衝撃的なラストシーンであっと驚かせてくれた監督です。
「ローレライ」は原作の登場人物を大胆に刈り込んで設定も大幅に変更して、あの膨大な原作を2時間にうまく凝縮していたと思いました。
SFXについては頑張っているのは伝わってきましたが、限界を感じさせられたのも確かです。
ラストはどうなのでしょうか。
誰もが「ガメラ3」の痛切なラストシーンの再現を期待していたのに、監督はそれに縛られたくなかったのかもしれません。
順番としては映画を先に観て、そのあとに原作をじっくり楽しむのがよさそうです。
(2005年3月14日)
子どもの虐待のニュースを聞くたびに哀しくなります。
信頼している相手に虐げられていても子どもたちは虐待されているという事実に目を伏せ、虐待の加害者を盲目的に頼り続けるしかないのです。
不幸な状況に気づいて初めて人は不幸になるという言葉もありますが、そんなのは嘘です。
ついでに言えば、チャイルドシートを着用させないことも、子供の前で喫煙することも、程度ははるかに違うとはいえ一種の虐待と言えるでしょう。
自分の子どものことだから大きなお世話だという時代はとっくに過ぎ去っています。
(2005年3月28日)
オリックス(というか、その会長)にほとほと愛想が尽きたので、今年は応援するプロ野球チームがありません。
それどころか完全ウェーバー制すら導入できないプロ野球の体質そのものに嫌気がさしてしまっている状態です。
プロがだめなら高校野球はどうでしょう。
春の甲子園ではわが四国勢は1勝4敗。
応援する間もなくシーズンが終わったという印象です。
しかしそういうわけで客観的に高校野球を見てみると、実のところ白熱した好試合は3試合に1試合くらいでしょうか。
あまりに当然すぎる話です。
リクルーティングや野球留学でいい選手ばかり集めたチームと、ごく普通の公立の学校とが同じルールで戦うのですから、緊迫した試合が3試合に1試合もあること自体が奇跡的だと思うのです。
また高校野球の一番の魅力は選手の情熱です。
そこに共感できれば一方的な敗戦すらドラマになる場合もあるので好試合率はさらに高くなります。
そこで誰もが思うのではないでしょうか。
情熱にあふれた選手を、チーム力が均衡するように配分したリーグを作れば面白いはずだ!
そうです、そしてそんな野球リーグがあるのです。
それがまさに「四国アイランドリーグ」。
開幕戦は4月29日。
私は「愛媛マンダリンパイレーツ」を応援します。
最大の問題は、試合結果を新聞が報道してくれるかどうかですが……。
(2005年4月4日)
2005年4月、中国全土で反日暴動が起き、日系スーパーや日本料理店などが破壊された。
日本政府はこれに対して謝罪と賠償を要求したが中国政府はこれを拒否、暴徒に対しても積極的鎮圧をおこなわなかった。
しかしその後治安の悪さを理由にオリンピック開催を危ぶむ声が西洋諸国から上がったため中国は高圧的姿勢を急転換してデモを禁じた。
その過程で一時は賠償も検討するという報道もなされた。
結局賠償はおこなわれなかったが。
中国政府の方へ、あなた方に感謝と祝福の気持ちを伝えたいと思います。
デモ隊の集会や投石から日本人の安全を守るべく迅速に対処してくださり、本当にありがとうございます。
破壊された店舗についても賠償を検討してくださっているようですね。
他の国なら当たり前なことがこうして貴国でも行われることに純粋に驚き、喜んでおります。
またデモ隊と警官隊との小競り合いもあちこちであるようですが、まだ死者は出ていないとのこと。
文化大革命では最低で数百万人、天安門事件で数百人の国民を殺した貴国が一人の死者も出さないでデモ隊を鎮圧したのは信じられないような進歩だと思います。
このまま貴国が人の命を貴ぶ国であり続けますよう、お祈りいたしております。
デモを続ける中国の方へ、あなた方にも純粋な賞賛の気持ちを伝えたいと思います。
政府の勧告を無視して集会や投石を続けるあなたたちの勇気には本当に感動します。
報道によればネットやメールを通じて情報交換をされているとか。
ネット上にはチベット問題や法輪功問題など、あなたたちの国が直面している問題があふれていると思いますが、その中から今回はたまたま対日問題を取り上げられたようですね。
こうして自由に問題を選び、自由に議論するあなたたちの柔軟な姿勢は実に素晴らしいと思います。
いずれ自由な思想と報道を手にされますこと、心より信じております。
そして今回の事件のきっかけは日本でした。
私はそれを日本人としてとても誇りに思っていることを最後にお伝えしておきます。
(2005年4月11日)
塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでいます。
今、カエサル(ジュリアス・シーザー)がルビコン川を越えました。
これまで私は、カエサルがルビコン川を越えたのは外国の敵を征伐に出るためだとばかり思ってました。
逆でした。
平たく言えばクーデターのためにローマに向かって川を渡ったのでした。
高校では世界史を勉強したはずなのに全くお恥ずかしいです。
(2005年4月18日)
近所のスーパーに行くと「ショッピングカートを館外に持ち出さないでください」という注意書きが貼られています。
確かにスーパーのまわりには、乗り捨てられた(?)ショッピングカートがあちこちに転がっています。
モラルの低下に憤りたくもなります。
しかしショッピングカートを持ち出すのはたいていお年寄りです。
階段の昇り降りが大変なので買い物袋を持ったままではスーパーの外にも出られない、つまりショッピングカートを持ち出さざるを得ない人たちなのです。
そういう人たちはショッピングカートを歩行器代わりに使ってスーパーを出て、歩道に出る最初の段差で乗り捨てるのです。
もしそこに段差がなければ、みんな家から自分の歩行器を持って来ると思うのです。
ショッピングカートの問題はモラルよりむしろバリアフリーの問題なのかもしれません。
(2005年4月25日)
2005年4月25日、JR福知山線で死亡者107名、重軽症者500名以上という未曽有の脱線事故が発生した。
この後過密ダイヤ、乗務員の日勤教育、列車自動停止装置の不設置など、JRが抱えていたさまざまな制度問題がマスコミによって明らかにされていった。
その流れの中でJRの姿勢を糾弾する新聞記者の態度の悪さが問題となり、読売新聞が謝罪するという騒ぎに発展した。
日本のマスコミはどうしてこうなのでしょうか。
尼崎の脱線事故です。
記者会見での新聞記者の態度に疑問を感じている人は多いと思います。
事故の被害者が感情的になるのは当然だし、記事を読んで、無責任な会社の体質に読者が憤るのもまた、当然です。
しかし記者自身が感情的になってどうするのでしょう?
読者は公平な記事を読みたいのです。
もしJRの対応のひどさに思わず理性を忘れてしまったのならその時点で担当から離れるべきです。
もし普段からああいう口の利き方をしているのなら記者をやめるべきです。
一番気になるのは儲け主義とサービス向上の混同です。
コスト削減のために保線業務をないがしろにしたり安全基準に達しない部品を使ったりするのが儲け主義。
最新型の車両を導入してスピードをアップさせたり、精密なダイヤを組んで利便性を図るのはサービス向上。
サービス向上は仮にその目的が乗客の獲得(=売り上げの増加)だったとしても、決して責められることではありません。
「JRのやる事全て憎し」という姿勢では何も解決しないと思うのです。
(2005年5月2日)
朝起きて布団に入ったまま新聞を読む。
これが毎朝のささやかな楽しみです。
いつの頃からの習慣でしょうか。
最近では仰向けで読まないと新聞を読んだ気にならないので困っています。
問題は広告のチラシです。
サイズも上下もばらばらだし、右開きだったり左開きだったりします。
これがせめて上下だけでもそろっていれば読みやすいのですが。
(2005年5月9日)
昨年の胃、大腸検診に続いて今年は頭の検査に行ってきました。
脳MRIです。ドーナツみたいな機械に入って頭の中身を調べるのです。
検査時間は25分程度でしょうか、他にすることもないし寝るしかないとあきらめていたら、体験した人に「ものすごくうるさいから眠れないよ」と言われました。
実際は熟睡してしまいましたが。
結果は異常なしでした。
来年は肺のCTを撮ろうと思っています。
(2005年5月16日)
神戸元町ダイアリー2004年近鉄プロ野球撤退<main>神戸元町ダイアリー2005年(2)ネコ派の提言