まず年齢が17歳と2か月であること。
そして洗礼名も全部暗唱してみせます。
とっても可愛らしい場面です。
オクタヴィアンの正式名称はオクタヴィアン・マリアエーレンライヒ・ボナヴェントゥーラ・フェルナン・ヒアシント・ロフラーノということになります。
ロフラーノは姓というよりも領地の名前だと思いますが、ロフラーノという地名があるのは南イタリアです。
オーストリア帝国の最盛期でもここまでは勢力が及んでいなかったはずです。
神聖ローマ帝国から続く由緒正しい貴族なのかもしれません。
ところでゾフィーはオクタヴィアンを「貴族名鑑」で以前から知っていたかのようにしゃべっていますが、微妙に嘘です。
毎晩「貴族名鑑」を読んでいたというのは本当でしょう。
でもオックス・フォン・レルヘナウの系図をたどってもオクタヴィアンに行きつくはずがありません。
血族ではなく、最低でも6親等離れているので。
オクタヴィアンにたどりつく方法は一つです。
テレーズの系図を調べた場合のみ、ゾフィーはオクタヴィアンの名前を発見することができます。
おそらく前日の夜にオックスはファニナルに薔薇の騎士の名前を伝えたのでしょう。
「元帥婦人のいとこ様がこの役を引き受けてくださった」と自慢したに違いありません。
それを聞いたゾフィーが急いでオクタヴィアンについて調べた。
ついでに名鑑に載っていない裏情報も侍女に調べてもらったのではないでしょうか。
(2024年3月15日)
]]>ここでゾフィーが難しいことを言い出します。
Dahin muss ich zurück, dahin, und müsst’ ich völlig sterben auf dem Weg. Allein, ich sterb’ ja nicht. Das ist ja weit. Ist Zeit und Ewigkeit in einem sel’gen Augenblick, den will ich nie vergessen bis an meinen Tod.
私はあそこに戻らなければなりません、そして途中で完全に死ななければなりません。 一人でも、私は死なない。 それは遠いです。 時間と永遠がひとつの祝福された瞬間の中にあり、私はそれを死ぬまで決して忘れたくない。(Google翻訳)
ホフマンスタールは若い二人に時々難しいセリフを言わせますね。
ゾフィーは考え深い子で、オクタヴィアンよりもしっかりしていますが哲学的なことを語る少女ではありません。
ここはこれくらいに解釈するがいいと思います。
(心臓が張り裂けそうで)このままここにいると死んでしまいそう。
でも、それははるか未来のことのように思える。
なぜならこの瞬間、時間が幸せなまま止まったかのような気がするから。
私はこの瞬間を死ぬまで忘れないでしょう。
(2024年3月13日)
]]>「どんなに素敵な結婚相手でも自慢しません」
ゾフィーはそう歌います。
ところが「騎士さまがあらわれました!」というマリアンネの言葉を聞いてゾフィーは窓に駆け寄ってしまいます。
そして輝くばかりのオクタヴィアンを見ます。
「自慢しないと誓いましたが、だめです、こんな美しい人を見て自慢しない人がいるでしょうか?」
敬虔な誓いをたちまち破ってしまうのです。
ここでゾフィーは大きな勘違いをしてしまいます。
あまりに浮かれすぎたせいでオクタヴィアンが婚約者だと思ってしまったのです。
この間違いにはさすがにすぐに気づきました。
オクタヴィアンが「私は使いです」と名乗ったので。
それに対するゾフィーの歌が沈んだトーンから始まるのはそのためです。
決して「浮かれない」と誓ったゆえの抑制ではありません。
「浮かれない」→「でも浮かれた」→「さらに勘違い」→「がっかり」
いくつもの変化を経た結果の、沈んだ調子だったのです。
(2024年3月11日)
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花婿を迎えるファニナル家の主人とゾフィーの侍女は受かれています。
大金持ちのファニナルは新郎を新品の超高級馬車で出迎えようとします。
ファニナルはウィーンでも指折りの財産家です。しかも見栄っ張りです。
おそらくウィーンで一番の馬車を仕立てたのだと思います。
ところがオックスの使いの騎士はもっと高級な馬車でやって来ました。
オックスはケチです。
単なる挨拶係の身の回りに金をかけるはずがありません。
馬車から降り立ったオクタヴィアンに付き添うのは一幕にも登場した黒人の少年です。
そう、馬車も付き人も、まぶしいまでの銀の衣装も、全てテレーズが用意したのでした。
第一幕のあと、プラーターで二人が会ったとすれば、これは面白くありません。お気に入りのホストに金を貢いだのと同じことです。
テレーズがプラーターで待っていたにもかかわらずオクタヴィアンがあらわれなかったとすれば、意味深い。
別れを予感し、それを受け入れる覚悟ができたということです。
そして桁外れの贅を尽くしたわけです。
(2024年3月8日)
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それがプラーターです。
プラーターはウィーンの地名です。
そこに行きつけのお店があって、二人の間では「プラーター」で通じていたのでしょう。
テレーズは夜そこでオクタヴィアンと会いたいと思っていました。
ところがこの日は午後に叔父さんのお見舞いに行かなくてはなりません。
叔父さんはいつもテレーズを大歓迎してくれて、たいていは晩ご飯までご馳走してくれます。
そうなるとテレーズはプラーターに行くことができません。
「叔父さんの機嫌によって夜プラーターに行けるかどうか連絡する」テレーズはオクタヴィアンにそう約束しました。
さあ二人は夜会えたのでしょうか?
二人はこの夜会っていません。
ただ会えなかったのではなく、テレーズはプラーターに行ったけれどもオクタヴィアンがあらわれなかったのだと思います。
それ以外では3幕での二人の態度が説明できません。
テレーズは叔父さんを上手くなだめて早めに叔父さん宅を出ました。
オクタヴィアンにその旨連絡を入れました。
オクタヴィアンも会いたいと思っていました。
それなのになぜか二人は会えませんでした。
可能性は一つです。
テレーズの伝言を預かった誰かがオクタヴィアンに嘘をついたのです。
あらあら、誰もがよく知っているはずの「薔薇の騎士」が全然違う話になってきました。
(2024年3月6日)
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というか、決断の一歩手前くらいの感じでしょうか。
「何かを変えなくては」
その何かが何かは分かりませんが、とにかくテレーズは決断します。
そこにオクタヴィアンが戻ってきます。
テレーズはオクタヴィアンと距離を置こうとします。
いろいろな理由が複雑に絡んでいます。
まず自分の考えを整理したかった、時の移ろいがオクタヴィアンにも訪れることが垣間見えてしまった、いずれオクタヴィアンが自分を捨てるだろうと覚悟した。
でも一番の理由は、自分は17歳には戻れない、ということだと思います。
ただ、テレーズがこれをはっきり自覚するのはもっともっとあとのことです。
このタイミングでオクタヴィアンと別れるという選択肢は彼女自身にもありませんでした。
オクタヴィアンが出て行ったあとテレーズはすぐに彼を呼び戻そうとします。
私は最初「自分から拒んだくせに、未練がましい」と思いました。
でもよくよく考えてみると、テレーズを苦しめている悩みにオクタヴィアンはさほど関与していないのでした。
彼女がすぐに呼び戻そうとしたのは自然なことでした。
少なくとも彼女自身は矛盾も葛藤も感じていなかったと思います。
(2024年3月4日)
]]>よく読むと第一幕の途中でテレーズは元帥からの手紙を受け取っています。
おそらく「狩りが楽しいので帰りをもう二三日伸ばす」という内容だったのではないでしょうか。
彼女は喜ぶでもなく悲しむでもなくその手紙を反故にします。
そんなこんながあったあと、オックスがようやく帰っていきます。
一人になったテレーズはオックスに腹を立てるところから始めます。
財産も、若くて可愛い妻も手に入れたくせに、自分の方が損したような気になっているオックスに。
でも考えてみると、自分と元帥の関係も似たようなものです。
自分とオクタヴィアンの関係も全然別とは言い切れません。
そこでテレーズは17歳の自分を回想します。
そこから時の残酷さを嘆く長いモノローグに続くのですが、まず流れるのがモーツァルト風の曲です。
ここで思い出します。
オクタヴィアンと食べた朝食を。
あの時流れたのもモーツァルトでした。
つまりあの時オクタヴィアンといたのは17歳のテレーズだったのです。
嘘ではありません。それがテレーズにとって真実だったし本心だったから。
でも、現実でもない、あの音楽はそういう音楽だったのです。
そして今この瞬間に思い出してもらうために、冗長とも思われるあの長さが必要なのでした。
とするとあの場面、あんまり二人をいちゃいちゃさせるのはよくありません。
むしろ恥じらいをもってぎこちなく演じさせるのがいいと思います。
(2024年3月1日)
]]>その直後、オックスは従者たちに命じてマリアンデルを探させます。
ところがどこを探しても彼女の姿は見つからない。
そこにちょうどやって来たのがいかがわしい情報屋でした。
「何でも調べて差し上げます」という二人組にオックスは試しに「じゃあマリアンデルを探し出せ」と命じます。
オックスはそれだけ熱心にマリアンデルを探していたということです。
ところでこの二人組、伊達に情報屋を名乗っているわけではありません。
オックスについて、ジュピターに例えられると単純にうれしがること、それから若い女性と結婚する予定であること、これらを短時間で調べ上げます。
もともと知っていたわけではありません。
オックスの従者の中に、二人組にべらべらしゃべった者がいたのです。
きっとそれはオックスの隠し子レオポルトでしょう。
ただし彼が知っているのは上っ面だけです。オックスの懐具合や領地のいざこざについてはあんまり興味がないようです。
レオポルトは金勘定の下手さもオックスから受け継いだのでした。
(2024年2月28日)
]]>
オクタヴィアンが朝食係の登場にあわてふためいて刀をソファの上に置き忘れます。
それをテレーズがたしなめます。
「あなたって刀を出しっぱなしにして。
もっと上手にできないのかしら」
それに対してオクタヴィアン、
「そりゃ僕は刀の使い方は下手だけど、
そういう僕が好きなんでしょう?」
オックスが隠し子をテレーズに紹介する場面です。
「わしには隠し子がおりましてな」
テレーズ「まさか女の子では? 父親似だったら最悪だわ」
オックス「男です」
テレーズ「(ほっとして)男の子でよかった」
そして隠し子が登場します。彼の顔を見てテレーズが言います。
「とりあえずおめでとうと言っておくわ」
どうやら彼はオックスとそっくりだったようです。
(2024年2月26日)
]]>成り上がりだと揶揄するやつがいるかもしれない、でも自分は二人前の貴族の血筋を持っている。
生まれてくる子どもだって敬意をもって見られるはずだ!
そう力説します。
それに対してテレーズが相槌を打ちます。
「そうね、あなたの子がドン・キホーテであるはずがないものね」
このドン・キホーテがピンと来ません。
最初は「貴族の血筋をもっていないのに貴族ぶる人」かと思いました。
しかしセルバンテスの「ドン・キホーテ」では血筋は重要視されていません。
騎士であるかどうか決めるのは、騎士の志しを持っているかどうか、だけです。
「ドン・キホーテ」が書かれた時代、ドン・キホーテは道化でした。
しかし時代が進むにつれて解釈が変わってきます。
道化であり、滑稽な存在ではあるけれど、その志しは本物で気高い。
その意味ではドン・キホーテは間違いなく真正の騎士だ、現代ではそう読み取る人が多くなっています。
なるほど、そこまで考えるとテレーズの言葉がやっと理解できます。
新しい読み方をしているテレーズにとってはドン・キホーテはネガティヴな存在ではない。
しかし一般的なイメージではドン・キホーテは道化の象徴です。
テレーズは「どうせあなたの子には貴族の心意気なんてないでしょうね」とはっきりと切り捨てて、しかもその皮肉が絶対に相手に読み取られないことも分かっているのです。
ちなみに、オックスが「ぜひファニナルに知らしめたい」と思っているものがあります。
オックスの御先祖様は広大な領地を持っていました。そこで立派に長官職を勤め上げ、修道院まで作ったのでした。
おそらくその功績によりレルヘナウ家は貴族として取り立てられることになりました。
立派なことです。
しかし、たかがそれだけのことです。
オックスはその先祖の遺髪をファニナルに見せつけたい、そう息巻いています。
でもその部分を説明すればするほど傍目には滑稽です。
この瞬間はオックスはドン・キホーテそのものです。
そう、単なる「勘違いした愚か者」。
(2024年2月21日)
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オックスはテレーズの屋敷を訪れたあと「白馬亭」に行き、そこで2泊して翌々日にファニナル邸に乗り込む計画です。
この「白馬亭」がよく分かりません。
いかがわしい店でどんちゃん騒ぎでもするつもりかとも思いましたが、オックスは召使から狩猟係まで雇人を全員引き連れてきています。
ケチな彼が彼らにそんな贅沢を許すとはとても思えません。
しかもテレーズも「白馬亭」という言葉に何の反応も示していません。
オペレッタで有名な「白馬亭」という実在のホテルがオーストリアにはありますが、ウィーンではないし、舞台となる18世紀中ごろにはまだ存在していません。
「ウィーンによくある宿屋」くらいの解釈が穏当かと思われます。
オックスが雇人を引き連れていることについては「領地が差し押さえられて行くところがなくなっている」という深読みも可能です。
あとでオックスは公証人に「領地の抵当権をはずせ」としつこく食い下がります。
相当金に困っていて、かなり切羽詰まった状況ではあると思います。
(2024年2月19日)
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オックスは自説を主張します。
召使の中には一人は貴族の血をひく者を入れておくべきだと。
なので、生まれのよさそうなマリアンデル(=オクタヴィアン)を新婦の小間使にぜひ欲しいと言うのです。
テレーズはそれを逆手に取ります。
私も実は同じ考えでこの子を手元に置いている。
この子はオクタヴィアン伯爵の腹違いの妹。
だからあなたに譲るわけにはいかない。
そこまで聞くとオックスも諦めざるをえません。
余計だったのはその話の流れでオクタヴィアンを「銀の薔薇の騎士」に推薦したことです。
しかも自分のペンダントの写真を見せて。
浅いのから深いのまで、いろんな解釈ができます。
まず、茶目っ気からくる、単なるお遊びだったという解釈。
次に、若くて男前のオクタヴィアンのことを誰かに言いたくてうずうずしていたという説。身近な人に言うわけにもいかずもやもやしていたところに遠い親戚のオックスがあらわれたのでつい、ほのめかしてしまったという考え方。
あるいはまったく逆の視点もあります。
身の上相談で不倫の相談するのはほぼ「止めて欲しい」からです。テレーズも心の奥底では誰かに止めてもらいたがっていた……。
いずれにしてもこのほのめかし、オックスには気づかれませんでした。
(2024年2月16日)
]]>オクタヴィアンは来客の予定時刻までに朝食を済ませて、こっそり帰っていくはずだったのでしょう。
彼は昨晩も二階の窓から侵入して、この日の朝もそのルートで帰るつもりだった、という説もあります(台本のホフマンスタールの説です)。
ところがオックスが面会時間より早く乱入してきて、しかもオクタヴィアンは服を来ていなかったので逃げ出せなかったのです。
面会時間になりテレーズの寝室兼応接室にいろんな人たちが押しかけてきました。
その隙にオクタヴィアンはやっと逃げ出せました。
やって来たのは陳情人、商売人、知人から紹介された歌手、それに胡散臭い情報屋。
元帥夫人にかなりの権力があることが分かります。
夫の立場を利用して偉そうにしているのではなく、彼女自身由緒正しい貴族で、かなりの財産や領地を管理しているのです。
ここら辺はいろんな人たちがちょっとずついろんな曲を歌うので慌ただしくも楽しい場面です。
ここでまた分からないところがあります。
紹介されてきたテノール歌手が歌を披露するのですが、ほぼまるまる一曲歌うのです。
本筋とは関係のない場面で、まったく関係のない歌を長々と歌います。
様式としては少し古いタイプのイタリアオペラのアリア風です。
リヒャルトさんはこういう古臭いイタリアオペラが嫌いだったので、あえてパロディとして持ち出して小馬鹿にした、という説もあります。
これも正解は音楽に訊ねるしかありません。
ですが、何度聴いてもこの曲に「小馬鹿にした感じ」は感じられません。
ゲストのテノール歌手はしばらく間を置いて二番を歌います。
ここでオックスに何度も邪魔をされます。
最後、クライマックスの部分では完全にさえぎられてしまいます。
ここでやっとリヒャルトさんの狙いが分かります。
オックスの無粋さ無遠慮さを描くために、この音楽を必要としたのです。
きれいで、分かりやすくて、構造的にもはっきりしている。
ほらほら、もうすぐクライマックスですよ、というのが誰にでも分かる曲が必要だったのです。
そのために使われたのがイタリアオペラ様式であり、それを強調するために一番をまるまる歌わせる必要があったのです。
絶対に小馬鹿にはしていません。
(2024年2月14日)
]]>
リヒャルトさんの手紙によると彼は当初このオペラのタイトルを「オックス」と名付けたかったようです。
「オックス」ではなく、「薔薇の騎士」にしてあらゆる意味で大成功でした。
ちなみに神戸を本拠地とするプロレス団体「ドラゴンゲート」に「金薔薇の貴公子」と呼ばれるレスラーがいます。
先日サインをもらってしまいました。
それは置いといて、オックス、最高です。
初登場の瞬間からアクセル全開の大暴走。
このはちゃめちゃぶりには元帥夫人もお手上げです。
もちろんオクタヴィアンでは相手にもなりません。
この場面、オクタヴィアンは女装をしています。
オックスが部屋に入ってくるタイミングで召使にまぎれて逃げ出そうという魂胆でした。
というか、オクタヴィアンはほんの悪戯心で女装をしただけで、それを見たテレーズがその作戦を思いついたというのが正解かと思われます。
しかしこの作戦は大失敗です。
オクタヴィアンはオックスに目をつけられて、逃げ出すどころか手を握られて抱きとめられてしまうのです。
オックスはテレーズの目もはばからず女装オクタヴィアンを口説きます。
この口説き文句がすごいです。
「わしは女好き、いつでもどこでも誰でも口説く、だから今お前を口説く」という論法。
こんな口説き方があるでしょうか?
ある意味「いっしょに死のう」の太宰以上です。
(2024年2月12日)
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テレーズとオクタヴィアンがいちゃいちゃしながらご飯を食べているところです。
ここに流れるのはモーツァルト風のメヌエット、とっても可愛らしい音楽です。
でも、長いです。
「この音楽は薄っぺらい嘘の愛を描いているのではないか?」
という仮説が浮かびます。
しかし何度聴いてもこの音楽に嘘はありません。
軽やかですが、表面的ではありません。
リヒャルトさんが真剣に書いた本当の音楽です。
続く会話も謎深いです。
テレーズがぽろりと「昨晩元帥の夢を見た」と漏らします。
それに対してオクタヴィアンは「よりによって僕と一緒に過ごしている時に見なくても!」と責めます。
テレーズは「そういうのじゃなくて、突然帰ってくる夢」と説明します。
台本のホフマンスタールがフロイトと接点があったかどうかは分かりません。
ちなみにフロイトの「夢判断」が1900年、「薔薇の騎士」が1910年。
接点がなくてもホフマンスタールは一流の文筆家です、夢の意味合いはよく分かっていたと思います。
その彼がテレーズに夫が帰ってくる夢を見させたのです。
オクタヴィアンとの関係に対する「やましさ」か「戸惑い」をテレーズの心の片隅に忍び込ませたかったと考えるべきでしょう。
それを踏まえて、なお美しいこのメヌエット。
謎は深まる一方です。
(2024年2月9日)
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