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「罪と罰」を読む(第6部第8章)

(189)

 

全然関係ない話ですが、大昔、小学校の給食で出てくるレーズンパンが大好きでした。

そのまま食べても美味しいし、時にはレーズンだけくり抜いて、最後にまとめて食べるのも楽しみでした。

その話を祖母にすると袋入りのレーズンを買ってくれました。

ところがレーズンだけ食べても全然美味しくないんですね。

レーズンはレーズンパンにあってこそ美味しいんだなあ、と人生の真理を悟った瞬間でした。

 

「意識の流れ」です。

 

ドストエフスキーは細かな心理描写がわずらわしいタイプの作家ですが、第6部で二度、客観的心理描写を廃した「意識の流れ」という技巧を見せます。

一つはスヴィドリガイロフの死の場面、もう一つがラスコーリニコフの自首の場面です。

小うるさい地の文章の中にあって「意識の流れ」は異様で強烈な迫力を見せます。

 

一方この「意識の流れ」という手法を全面的に取り入れたのがジョイスの「ユリシーズ」でした。

「ユリシーズ」は全編ほぼ「意識の流れ」によって書かれているといってもいいほどです。

ちなみに「罪と罰」が1866年、「ユリシーズ」が1922年。

 

そしてこの二つを並べると、私はついついレーズンパンを思い出してしまうのですが、どうしてなのでしょう。


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