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神戸元町ダイアリー2015年(4)

この欄で何度も書きましたが「安保関連法案が守ろうとしている国益とは何か」がさっぱり分かりません。
先日新聞の投書欄で、かなり年配の人が「国のために国民がある程度の犠牲を払うのは当然」と、法案に賛成しているのを見かけました。
なるほど、「国益とは何か」さっぱり分からないはずです。
そもそも「国とは何か」が私には分かっていないのでした。

たとえば私はオリンピックやワールドカップでは何の疑問も抱かず日本チームを応援します。
世界で最高の文学作品は「源氏物語」だと確信しています。
尖閣諸島は日本のものだと信じたいです。
南京大虐殺の被害者数はなるべく少なくあってほしいです。
日本人のマナーが誉められれば素直に誇らしく思います。

そこであらためて「国とは何か」と自分に問いかけてみても、やっぱりよく分からないのでした。


(2015年9月25日)

しかしこれだけは分かります。
私が守りたくない「日本」。

家長封建的な「家」という考え方。
そこには「男らしさ」とか「女らしさ」という押しつけも含まれます。
女は家で家事を、という決めつけも、女は子どもを産む機械という発想も含まれます。

この発想が「土建国家」の基盤にもなっているように思います。
日本には優れたグローバル企業がたくさんあるのにも関わらず、政治が建設業主導で動くのは地方経済が土木工事と箱モノ建設に頼り切っているからなのでしょう。
政治家が時代錯誤な発想に基づく失言を繰り返すのもうなずけます。

私が守りたい「日本」はとても漠然としています。
一方、守りたくない「日本」ははっきりしています。
封建的排他的男尊女卑的「日本」、「愛国心」という言葉を振りかざす政治家の「日本」、彼らがしがみつきたいと考えている「日本」、です。


(2015年9月28日)

「国」のあり方に対する考えは違っても「国益」について共通の認識を作り上げることは可能だと思います。
たとえば領土問題。
保守派でも穏健派でも国土を守りたい気持ちは一つのはずです。

今現実的に侵害されていると日本が訴えているのは竹島と北方領土です。
ところがこれがよく分かりません。
何が分からないと言って、実効支配権を取り戻そうという働きかけの経緯がよく分からないのです。
かつて竹島が韓国によって軍事的に占領された時、日本は抗議しました。
しかし国際紛争において抗議など何の意味もないことは誰でも分かることです。

当時、世界の共産化を食い止めようとしていたアメリカは、日本にソ連に対する防波堤の役割を担わせようと考えました。
それで浮いた軍事力を朝鮮半島に注入しようと思ったわけです。
平和憲法を押しつけたアメリカがそのつい数年後、手のひらを反すように日本に軍隊を持たせたのはそのためです。
つまりそれだけアメリカはなりふりかまわない状態だったのです。
韓国だって朝鮮戦争の混乱期にありました。

領有権はあとでゆっくり相談するとして、とりあえず竹島を占拠している部隊はいったん引っ込めろとアメリカに韓国を説得するように持っていけなかったのでしょうか。


(2015年9月30日)

北方領土もよく分かりません。

確かソ連側から二島返還論が持ち掛けられたこともあったはずです。
今から思えば絶好の機会を、どういう思惑ではねつけたかよく分かりません。

竹島にしても北方領土にしても、もちろんその当時のやむにやまれぬ事情があったのでしょう。
高度な政治判断が働いて「今領土奪還に動くのは得策ではない」と結論付けられたのでしょう。
しかしそれは逆に言えば「その時には領土奪還よりも大切なものがあった」ということです。

そこで引っかかるのが二つ。
一つは、その判断に至る経過が、現在まで検証されていないこと。
二つ目は、その判断を最終的に下したであろう吉田茂が、政治家や政治記者から名宰相と呼ばれていること。

これらをもとに考えると、日本人はそれほど領土を大切に思ってないのではないか、と考えた方がよさそうな気もするのです。


(2015年10月2日)

ここであらためて「国益」を考えてみます。
安保条約によって日本が国際貢献を担えるようになる、という主張があります。
これはとんでもない嘘っぱちです。

新聞紙面から想像するに、いま世界でもっとも問題になっているのはシリア難民とアメリカによる病院誤爆です。
そしてそのどちらにも日本人は興味がありません。
シリア難民を日本でも受け入れようと思っている人は、見渡したところ国内に10人もいなさそうです。
アメリカの空爆による病院関係者の虐殺に対しても誰も抗議しようとはしません。

私を含めた日本人は、国際貢献などにまったく関心がないのです。


(2015年10月5日)

それでは何のために安保関連法案があるかと言うと、ただただアメリカのためです。
そこに期待されるのは中国に対する抑止力です。

中国のやり方は常軌を逸しています。
いつ、誰に噛みつくか分からない狂犬です。
しかもその傍若無人ぶりに拍車がかかっています。
アメリカに今まで以上にしっかり見張ってもらわなくてはなりません。
これまでもじゃぶじゃぶと貢いできた「思いやり予算」に加えてさらに人的支援によってアメリカをサポートしようと考えるのは、すじが通っています。

しかし、いざという時に日本の政治家はちゃんとアメリカと交渉してくれるのでしょうか?

またもや政治家が「尖閣諸島よりも大切なものがあるから」と弱腰にならないか、心配です。
というか、名宰相吉田茂だって「竹島よりも、北方領土よりも大切なものがある」と判断したのです。
評論家によると吉田茂よりも劣っている今の政治家たちは間違いなくこう考えると思うのです。
「今、ことを荒立てるのはよくない、しばらく静観しよう」


(2015年10月7日)

そもそもアメリカは日本のために動いてくれるのでしょうか?

アメリカ人には共産主義に対するアレルギーがあります。
人権侵害という言葉にも敏感です。

しかし、アメリカ人に限りませんが、私たちにはイデオロギーや人権よりも好きなものがあって、それはお金です。
東シナ海ガス田でも採算が見込まれれば、国の意向など関係なく、ましてや日本のことなどまったく考慮することなく、アメリカ資本は中国に愛想を振りまくのではないでしょうか。

最近のハリウッド映画を見ると、アメリカの中国にすり寄る姿勢が露骨です。
中国の役者を使い、中国で大規模なロケをおこない、映画の中では最大の友好国のようです。
いざという時にはアメリカが中国に立ち向かってくれると無邪気に信じるのはなかなか難しいです。
 
そのアメリカを動かすのに人的支援が有効とはとても思えません。
かつて湾岸戦争で日本は多額の金銭的援助をおこなったのにクウェートから感謝されなかったという話がありました。
やはり金だけでは解決できないのだと日本人全てが恥じ入ったものです。

それから四半世紀経って醒めた目で見てみると、思います。
ほかの国はともかく、アメリカを動かすのは、結局は「お金」だと。


(2015年10月9日)

私個人はいざという時には、アメリカがからだを張って中国から同盟国日本を守ってくれると信じています。
しかしそんな淡い希望的観測に頼って外交戦略を進めるのは愚の骨頂です。
アメリカの意図とは関係なく、中国に対する抑止力を無理やり担わせるようなやり方が必要です。

ただ金銭的な支援をしても有効とは思えません。

軍事素人としては、東シナ海での日米軍事演習をグレードアップするくらいしか思い浮かびません。
演習の舞台を用意して、弾薬も負担して、部隊駐留のための施設も建設します。
日米共同軍事演習がアメリカ本国での演習よりも高度で実戦的で贅沢であると内外に印象づけます。
常に東シナ海にアメリカの最先端兵器と血気盛んな精鋭部隊が集まっている状態にします。

これならば狂犬国家でも遠吠えしかできないと思います。
逆に、これくらいしないとアメリカ軍は抑止力として全然あてにできないと思います。


(2015年10月14日)

軍事演習に莫大な資金を投入することのメリットは、そのかなりの部分が沖縄に落ちるという点です。

金に物を言わせるやり方は間違っていると思いますが、翁長知事でも在沖縄米軍基地の抑止力効果を認めている現在、沖縄の方々に私たちの誠意を伝える方法はお金しか思い浮かびません。
そして日本の財務省が一国一制度しか認めない現状では、沖縄振興策は自然破壊か軍事演習しかありえないのです。

アメリカにちゃんと働いてもらうためには在沖縄米軍にじゃぶじゃぶ資金を投入するしかないと言っておいて、それと矛盾する話をしますが、沖縄の自律的発展のためには通商立国、観光立国しかないと思います。
そのために日本が見せることのできる最大の誠意は沖縄に独自税制を認めることではないでしょうか。
つまり関税と消費税の免除。

国が一国一制度にこだわるのは法の下の平等を謳った憲法第14条に基づいてのことだと思います。
しかし沖縄は地政学的にも歴史的にも特殊です。
その特殊さに配慮した制度こそが平等だと私には思えます。


(2015年10月16日)

気の進まない飲み会を欠席する言い訳にもいろいろあります。

体調が悪いとか、家族の都合で、とかがもっともポピュラーな理由です。
犬の散歩に行かないといけないから、という理由で欠席する人もいました。
門限が8時だから、と言って断る人もいます。

で、つくづく思います。
「日本国憲法もおんなじだなあ」と。

ドラフト制度が憲法違反だという人もいました。
世襲議員の同一選挙区立候補禁止も憲法違反と訴える人がいます。
参議院の定数配分も憲法違反だとか。
しかしその同じ人が安保法案を合憲と考えたり、非嫡子を差別したり、相続制度を認めたりするわけです。
日本の骨抜きの司法の前では、憲法とは誰もがお手軽に使う「方便」に過ぎません。
それならそんなものに縛られないで、沖縄の独自法制を認めてもいいのではないかと思ったりもするのです。


(2015年10月19日)

9月18日のこの欄を見ると、こんなことを書いてます。
「明日から5連休です。私の皮算用では連休明けまでに福井くんが念願の10勝目を挙げ、カープは首位に1.5ゲーム差まで迫っているはず……」

皮算用は皮算用のままに終わってしまった感じですが、ペナントレースが終わり、冷静に振り返ってみれば、分かります。
いろいろ誤算もあったし、よくない采配もありましたが、結局は選手層の問題だった、と。
このオフ、特にセ・リーグはどのチームも大規模補強を図ってくるはずです。
その中でカープだけが突出した成果をとげられるとは考えにくい。
とするとどうすればいいかと考えると、そう、まず福井くんはバントの練習をしましょう。


(2015年10月21日)

カープの選手層がこのオフで劇的に改善しないとすれば、コーチングスタッフを劇的に変えるしかないと思います。

ところでWBSCのU18野球ワールドカップを、試合も見ず、結果だけ見て、
1)日本の選手の基礎体力や運動能力はアメリカに劣っていない(根拠なし)にも関わらず、
2)さらに練習量はアメリカを大きく上回っている(これも根拠はないけれど、きっとそうですよね?)にも関わらず、
3)アメリカに勝てないのは指導法が間違っているから

と勝手に結論付けてみました。
というわけでカープのコーチ陣は海外から招くべきだと、私は思っています。
しかし古くからのファンはOB中心で組んでほしいようです。
その気持ちも分かります。

そこで間を取って、コーチングスタッフをオフの間アメリカに留学させる、というプランはどうでしょうか。

さしあたって来年はバッファローズの田口二軍監督に注目しようと思っている私でした。


(2015年10月23日)

さてカープの福井くんですが、去年から登板試合を全て録画観戦して、勝ち試合だけディスクに記録しています。
で、暇な時に見直したりしているのですが、あらためて感じます。

不思議の好投あり、不思議の炎上なし
 
本当は負け試合こそ録画して何度も見直した方が参考になるような気がします。
来年は負け試合をディスクにまとめて、シーズン終了後に福井投手にプレゼントしようかと思ったりしますが、どう考えても単なる嫌がらせですね。
やめておきます。


(2015年10月26日)

ベートーヴェンの「エグモント」序曲という曲があります。

序曲とは本来オペラの前奏部分ですが、中には本篇が存在しない序曲詐欺みたいな曲もあります。
先日演奏したベルリオーズの「リア王」序曲もそうでした。
「その物語にインスピレーションを得て、その物語のあらすじや空気感を体感できるように書かれた」曲というくらいの意味です。

ベートーヴェンも「序曲」をいろいろ書いていて、
フィデリオ序曲とか、コリオラン序曲とか、レオノーレ序曲第1番とか、レオノーレ序曲第2番とか、レオノーレ序曲第3番とか……。
(もういいって)
フィデリオ序曲にはオペラ「フィデリオ」という本篇があります。
コリオラン序曲には本篇がありません。
(レオノーレについては面倒くさいので省略)

私はてっきり「エグモント序曲」も序曲詐欺の方かと思っていました。

実際は本篇がありました。
ゲーテの全5幕の戯曲「エグモント」のために、ベートーヴェンは9つの曲をつけていました。
序曲と、5幕それぞれの後奏曲と、劇中に挿入される曲。
「オペラ」ではなく、「劇音楽」と呼ばれる手法です。

これが、音楽だけ聴くとあんまり面白くありません。
「普段序曲しか演奏されないのも仕方ない」と納得してしまうようなつまらなさ。
ところがゲーテの戯曲を読みながら、挿入すべきところでベートーヴェンの曲を聴いてみると驚くほど面白いです。
ベートーヴェンはちゃんとゲーテの戯曲に寄り添って作曲していたのでした。
つまり勝手に盛り上げたりせず、捻じ曲げたりせず。

問題はゲーテの方です。
大体私がバルザックとディケンズとゲーテの話をすると悪口にしかならないのですが、「エグモント」もまあ、ピントはずれてるわ、カタルシスはないわ、そもそも全然面白くないわ、で最低の作品です。
気難しそうなベートーヴェンですが、こんなつまらない作品にも丁寧に曲をつけて、案外お人好しだったのかもしれません。


(2015年11月4日)

「下町ロケット」が面白いです。ビデオに撮って(娘が出るシーンは早送りして)毎週見ています。
こんなCMが流れていました。


曲はラフマニノフ作曲の「パガニーニの主題による狂詩曲」です。
ラフマニノフが書いた名曲の中でもとびっきりの一曲です。
ところで素敵な曲をたくさん書いたラフマニノフですが、関連小説や映画には恵まれていません。
 
有名なところでは、これ。

1995年公開の映画「シャイン」。
心の病でリタイヤを余儀なくされたピアニストが奇跡の復活を遂げるまでの感動作。
作中で主人公が得意としていたのがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番でした。
これも名曲です。

映画は散漫な内容で、しかもカムバック映像がまさかの本人演奏。
で、その演奏が素直にカムバックを喜べない出来で、残念な一作でした。



ラフマニノフ自身の生涯を描いた「ラフマニノフ〜ある愛の調べ」という映画もありました。

ラフマニノフの生涯を、わざわざ時系列をずたずたに切り刻んで分かりにくく紹介してくれます。
ラフマニノフの曲も部分的には流れます。
が、基本的にBGMはオリジナルのムード音楽(多少ラフマニノフっぽくないこともない)。
監督が、ラフマニノフ自身も、音楽も好きではないことがよく伝わってくる映画でした。
 
どうやらラフマニノフを楽しむには彼の音楽そのものを味わうしかないようです。
それで十分なのですが。


(2015年11月6日)

マーラーの交響曲第1番は「巨人」という副題で有名です。
のちに作曲者自身によってこの副題は削除されたらしいのですが、タイトルがあった方がかっこいいし、CDの売り上げも3倍くらい違うので(当社比)、今なお「巨人」というタイトルは現役活躍中です。

この副題のもとになったのがジョン・パウルの小説「巨人」です。

……と、そこまでは有名な話なのですが、パウルの「巨人」がどのようにマーラーに影響を与えたのかについては、WEB上でいろいろ渉猟してもよく分かりません。

その理由はたった一つ。
パウルの「巨人」が非常に長くて、とてつもなく難解なのです。

かつて「海文堂」には置いてありました。
しかし手に取った瞬間購入をあきらめました。
まず、見た人を威嚇するような分厚さ。手に取ると「とても家まで持って帰れない」重さ、そして裏表紙に燦然と輝く8,800円という値段。
見なかったことにしてしまいました。

それから十数年を経て、ふと調べてみると図書館に所蔵されていることが分かりました。
借りてみると記憶通りの分厚さ、重さ。
あらあら、表紙が一部破れています。
これ以上損傷がひどくならないように厚紙で丁寧にカバーをつけてから読み始めました。

ですから神戸市立図書館にある「巨人」の表紙の破れは私のせいではありません!


(2015年11月9日)

重量、2キロ超。
こうなると仰向けで読むことは不可能です。
新聞でも仰向けでないと読んだ気がしない、私のような仰向け読書派にとってはいきなり厳しい状況です。

しかも中身がとてつもなく難しいです。
あまりにちんぷんかんぷんなので半分ほど読んだところで巻末のあらすじに助けを求めてしまいました。
あらすじはとても詳しく分かりやすいです。
「ははあ、なるほどこういうことだったのか」
と感心して、せめて後半はストーリー展開についていこうと思いましたが、やっぱりちんぷんかんぷんでした。
 
読みながら何となくゲーテの「親和力」を思い出しました。
もしかしたらパウルは「親和力」に影響されたのかもしれない、と思いましたが調べてみると、「巨人」の方が「親和力」より先の作品で、しかもパウルはゲーテと対立していたそうです。
私の読書力を根こそぎ全否定してくれた一冊でした。


(2015年11月11日)

これらの曲を取り上げた演奏会があります。


ベートーヴェン:「エグモント」序曲
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
マーラー:交響曲第1番「巨人」

2015年11月15日15時兵庫県立芸術文化センター

指揮は黒岩英臣、ピアノは黒岩悠。親子共演です。
練習を聴きましたがピアノの切れ味はすさまじいです。
普段使っている練習場のピアノからあんな輝かしい音が出るとは夢にも思いませんでした。

下手なのを楽器のせいにしている私、要猛反省、です。


(2015年11月13日)

神戸元町ダイアリー2015年(3)昔はよかった<main>特別企画「プルチネッラの元ネタをたどる」
 


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