源氏にまつわるエトセトラその2

(11)

 

週刊朝日百科の「源氏物語」がなかなか面白いです。



小難しい原文解釈や逐語訳は最低限に抑え、その代わりに絵巻や資料の画像をふんだんに載せて、見た目にも華やかで分かりやすいです。
問題があるとすれば、「週刊」ということでしょうか。
隔週くらいで出してくれるとゆっくり楽しめるのですが、よく考えれば全60冊ですから週間でも1年以上かかるのですね。
頑張って毎週読むことにしましょう。

 

(2012年2月22日)

 

(12)

 

さて「週刊・源氏物語」刊行に合わせて「源氏物語」を読み直しているのですが、今さらながら驚かされるのは太陰暦というシステムです。 
たとえば「夕顔」から

  道遠くおぼゆ。
  十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、
  鳥辺野の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、
  何ともおぼえたまはず、
  かき乱る心地したまひて、おはし着きぬ。

「十七日の月さし出でて」という文だけで、読者は月の出の時刻と夜空の風情を同時に直感できるのです。
時間と空間を同時に認識できる、「四次元的表現方法」と言えるかもしれません。

 

(2012年2月27日)

 

(13)

 

「源氏物語」でもう一つ印象的なのは「若菜」に出てくる猫です。
この時代すでに猫は愛玩動物でした。
ただそこにいてくれるだけで可愛い存在だったわけです。
一方犬は最近まで実用のために飼われてきました。
その目的ごとに品種開発がおこなわれて、その結果品種改良技術が進歩して今では愛玩目的での交配がどんどん進められています。
本来は実用目的であった技術を「より人に可愛がられるため」に用いているのです。
もともとは治療のために開発された形成技術を美容目的で使うのに似ているかもしれません。
それはそれでいいのですが、そういう技術を「ただそこにいてくれるだけで可愛い」猫に適用するのはどうなのでしょう。

猫の血統書などを見せられると、厚化粧の女子高生やポップス風にアレンジされたクラシックに接した時のような違和感を感じる…… と、「ザ・雑種」猫4匹の飼い主は思うのです。

 

(2012年2月29日)

 

(14)

 

先日「文学に親しむつどい」という講演会に行ってきました。
神戸松蔭女子学院大学の片岡利博先生による「源氏物語の本文」という講座です。

ずっと以前にこの欄でも書いたことがありますが、「源氏物語」の校勘作業はこれまであまり進んでいませんでした。
校勘というのは様々な写本を照らし合わせて、元になった本文を推測・復元しようという作業です。
それが最近になって少しずつ前向きに動き出してきました。
校勘の実際の作業過程、それから導き出されるオリジナル「源氏物語」などなど、非常に興味深い、ユーモアたっぷりで有意義なお話でした。

中でも目からウロコだったのは、「源氏」には様々な写本があるのに、そしてまた数多くの出版社があるのに、どうして1種類の写本しか出版されないのか、という話です。

答えは、あ、長くなったので次回で紹介します。
すみません、「衝撃の結末はCMのあとで」みたいで。

 

(2012年3月2日)

 

(15)

 

校勘作業が最も進んでいると同時に最も遅れている書物があります。

聖書です。

聖書の場合は「校勘」と言わず「批評」という用語が使われますが、聖書が本格的に批評され始めたのは第二次大戦後でした。
無数の写本を照らし合わせて今はなきオリジナルの聖書本文に迫ろうという試みです。
それこそ1文ごとに「Aの写本にある文字がBの写本にはない、AとBと、どちらがオリジナルに近いのだろうか」と考察していくわけです。
こういう気の遠くなる作業を重ねて「批評」という学問は近年大きな発展をとげました。
そういう意味で聖書は批評学の最先端をいくモデルです。
しかし聖書が書かれたのは2千年近くも前です。それに人類に最も大きな影響力を持つ書物です。
批評学が適用されるのはあまりにも遅すぎました、そういう意味で最も遅れているとも言えると思います。

あ、またまた続いてしまいます。
前回の答えはまた次回に。
TVのCMよりも悪質になってきました。

 

(2012年3月5日)

 

(16)

 

「桐壷」で帝が桐壷の死を悲しむ場面があります。
ここで桐壷の容姿を描写するのに「大液の芙蓉、未央の柳」という語句が用いられます。
その前の「絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いと匂ひ少なし」を受けての文章です。
「大液の芙蓉、未央の柳」とは「長恨歌」で楊貴妃を描写した字句でした。

ところが「大液の芙蓉、未央の柳」という言葉が出てこない写本があるそうです。
またさまざまな王朝物語を批評した「無名草子」がこの部分を引用しているのですが、そこにも「大液〜」という表現は出てきません。

可能性としては大きく二つ。
紫式部は「大液」という表現を使ったが、ある写本家が写しもらした
あるいは
紫式部は使わなかったが、ある写本家が書き加えた
どちらかだと思います。

どちらがよりもっともらしいでしょうか?
非常に興味深いです。
何が興味深いかと言って、この問題を判断するのに必要なのは、学問的知識ではなくて、言葉のセンスや、人間とはどういう行動をとる動物であるか、という洞察力なのです。

自然科学よりも柔軟で主観的で、しかし人文科学よりも論理的で構造的で、「批評学」というのは新時代の学問だと思うのです。

あら、また続いてしまいます。

何度も何度も本当にすみません。

 

(2012年3月7日)

 

(17)

 

そういうわけで、いろいろな出版社がいろいろな写本による「源氏物語」を出版してくれれば、素人の源氏愛好家が校勘作業に加わることができて、本文批評学は飛躍的に進歩すると思うのです。
前回も書いたとおり、校勘作業に必要なのは凝り固まった学問的アタマではなく、言葉センスに優れた柔軟な感性ですから。
ところがなぜか出版されているのは定家系の写本ばかりです。

片岡先生によるとそれは、大学入試に使われるのが定家系の写本だから、なのだそうです。
なるほど。
ある本を買おうとして書店に行ったところ、同じ内容の本が複数の出版社から出ていたとします。
こういう時何を基準に本を選ぶかと言うと、「権威」です。
「角川書店」よりは「岩波書店」の方が格調が高そうな気がします。
聖書だと、個人訳よりも何とか協会訳の方が間違いなさそうな気がします。
そして、「源氏物語」であれば「これは試験問題で扱われる本文です」などと書かれていれば、ついついそちらを選んでしまうでしょう。

バリエーション豊かな出版を妨げているのは大学入試制度だった、というオチでした。

 

(2012年3月9日)

 

(18)

 

海外の長篇小説第57位

紫式部「源氏物語」(岩波文庫)

そもそもなぜ「源氏物語」が「海外の長篇」にランクインしているのか疑問に思う人がいるかもしれません。
推薦者の一人はアメリカの日本文学研究者で、いわく「タイラーの英訳は正確で生きていて最高の名訳で、立派な「海外の長篇小説」になっている」からだそうです。
もう一人は趣旨を「世界の長篇小説」と解釈して、アジア圏代表として「源氏」を選んだようです。

いずれにしても目の前に現れたからには乗り越えるのみ!
3年半ぶりに読み返しました。

今回読み直して感じたのは宇治十帖の圧倒的な高さです。
若き光を描き、世界観が大きく歪む「若菜」を書き、そしてそこまで積み重ねた紫式部にして初めて到達しうる高みなのだと思いました。

 

(2012年3月30日)


源氏にまつわるエトセトラその1

(1)

 

1か月以上かけて「源氏物語」を読み終えました。
とても味わい深くてみやびやかな世界です。
特に中央に位置する「若菜」の素晴らしさはどうでしょう。
質、量ともに「源氏」の中核をなす、まさに圧倒的な頂点と言えるでしょう。
長大な連なりの中央にそびえ立つと言えば、六甲全山における摩耶山を思い出します。
そこで思ったのですが、六甲の山並みと「源氏物語」と筋立てはよく似ています。
塩屋から登山口までが静かな序章とも言うべき「桐壺」、そこから旗振山への急斜面が「帚木」。
なだらかな「空蝉」を経て、地獄のような階段の「夕顔」、険しい須磨アルプスのような重さの「若紫」へと続きます。
続く三帖は横尾の静かな住宅街、それから高取山の高みを持つ「葵」へと続きます。
そこからはしばらくなだらかな道が続きますが、ひよどりへの急斜面は「須磨」「明石」のような雰囲気が感じられるかもしれません。
菊水山は何と言っても「乙女」、それから鍋蓋山が「玉鬘」。
市ヶ原は「篝火」か「野分」でしょう。
もちろん「若菜」が摩耶山。
この配分だとちょうど「御法」「幻」あたりが展望台になります。
そして一軒茶屋から宝塚までが「橋姫」から「夢浮橋」までの宇治十帖に相当します。
紫式部は須磨にも行ったことがないというのが定説ですが、もしかすると六甲を縦走したことがあるのかもしれません。
「地獄階段を十二単で昇っている紫式部」なんてとてもシュールです。

 

(2006年2月6日)

 

(2)

 

この間岡山に行った時に林原美術館に寄ってみました。
「江戸の人々が見た『源氏物語』展」です。
収蔵作品のみによる美術展ですが色鮮やかな絵巻や装飾品などがたくさん陳列されていて目を楽しませてくれました。
中でも風流だったのは「源氏かるた」です。
54組のかるたの1枚目には帖の名前とそこで詠まれた歌の上の句が、2枚目には下の句と名場面が描かれています。
名刺サイズの本当に小さなかるたですが、艶やかな絵と流れるような文字が自由に溶け合っていつまでも見飽きない気品のある美しさをかもし出していました。
何という優雅な玩具、何という粋な「あそび」でしょう。
「これって全部でいくらするんだろう?」などとついつい考えてしまう自分が恥ずかしくなってしまいました。

 

(2006年2月23日)

 

(3)

 

「源氏物語千年紀展」に行ってきました。
京都文化博物館です。
いきなり入口の六曲一双屏風で圧倒されました。
五十四帖の名場面を集めた絵屏風で、風景、人物ともに見事に描かれています。
最初にこれを見てしまうとあとに並んでいる屏風たちが技術に偏った駄作に見えてしまうのが困ったところです。
それから何といっても写本の数々のかな文字の美しさ。
哀しいことに全然読めないのですが、それでもいつまでも眺めていたい美しさです。
これらの印象が強く残っているうちにもう一度「源氏物語」を読みたくなってきました。

 

(2008年5月26日)

 

(4)

 

今「源氏物語」を読んでいます。
「源氏物語」の文章には基本的に主語がありません。
以前は「この物語の主人公は『自然』であって、個々の人間ではない、だから主語など必要ないのだ」と考えたこともありました。
あるセリフを誰が語ろうがそんなことはどうでもいい、そんな大らかさを感じてそれで主語の省略を納得したこともありました。
今はまた違う考え方です。
「源氏」の新作が書きあがると紫式部は大勢のファンを広間に集めて読み聞かせていたのだと思います。
彼女は声色を使い、身振り手振りを交えて、それは一種の演劇(人気連続ドラマ?)ではなかったかと思うのです。
それなら主語など聴き手には必要ありません。
それはそれとして、「源氏物語」の主語の問題で一つ分からないことがあります。

 

(2008年10月20日)

 

(5)

 

玉鬘を想う男たちがそれぞれ求愛の歌を送ったところで「藤袴」の巻は終わります。
「さあ玉鬘は一体誰を選んだろう?」とわくわくしながら読者は続く「真木柱」の巻を開くわけです。
注釈本や現代語訳では「真木柱」の冒頭で当たり前のように「玉鬘は鬚黒の大将と結婚した」と書いてあります。
ところが原文では結婚相手がはっきりと明示されるのは3ページ先です(岩波文庫版)。
「『源氏物語』は朗読会で発表された」とする私の説に従えば……、
結婚相手の正体は明かされませんがところどころに結婚相手の短いセリフは出てきます。
紫式部はそこを鬚黒の声色で聴かせたのでしょう。
聴衆はその声を聴いて「まさか、この声は?」と想像を膨らませて「でもそんなはずはない、だって蛍の宮の方がイケメンでセレブだし」と小声でささやき合ったと思います。
そして3ページ目で「大将」という言葉が出てきたところでファンたちは「きゃーっ!」と叫び声を上げてひっくり返ります。
実際はどんな感じだったのでしょう? とても気になります。

 

(2008年10月22日)

 

(6)

 

それにつけても玉鬘が登場する巻があまり面白くないと感じているのは私だけでしょうか?
それから光源氏が物語から退場して宇治十帖が始まるまでの三帖。
主人公が退場して以降の話なのでテンションが下がるのは当たり前と思っていましたが、宇治十帖の高まりを考えるとおかしな話です。
玉鬘系十帖と「匂宮」三帖は紫式部の作ではない、そう主張する学者がいれば私は支持します。
そう言えば最近ある学者がバッハの無伴奏チェロ組曲は本人の作ではないと主張したそうです。
主張の詳細は分からないのですが思い当たることはあります。
第6番のプレリュードだけが他の曲に比べて明らかに弱いのです。
この曲だけはバッハの最初期の作品なのだろうと自分を納得させてきましたが、もし別人の作曲と主張する人がいればこれも私は支持します。

 

(2008年10月24日)

 

(7)

 

この間新聞で、ある国文学者が語っていました。
今「源氏物語」の本文として最も一般的な「大島本」は藤原定家が校訂したものであるから、これ以上本文を追求する試みは意味がない。
私は紫式部が書いた原典版「源氏物語」が読みたいと思うのですが、どうやらそういう人ばかりではないようです。
しかし「意味がない」とはとっても断定的です。
今後紫式部の自筆本や定家が校訂する以前に作られた写本が発見される可能性は低い、だから原典版を再現するのは困難だ、というのならまだ分かります。
しかし「源氏物語」のさらに千年近く前に書かれた福音書でも今まだ原典追及の試みが続けられています。
たかだか千年前の文書の批判作業を困難と決め付けるのは学者として怠慢だと思います。
ましてや「意味がない」とは……。
世界文学史上第2位の小説を選ぶのは至難です。
私は「平家物語」だと思いますが人によっては「カラマーゾフ」を挙げるかもしれません、「ドン・キホーテ」や「失われた時を求めて」も人気は高いようです。
しかしナンバー1は決まっています、第2位を大きく引き離して「源氏物語」です。
つまり世界史上最高の小説家は紫式部なのです。
その原典版に「意味がない」とは、あまりに寂しい言葉です。

 

(2008年10月27日)

 

(8)

 

「源氏物語」を読んでいて思うのは、これは当時どのように発音されていたのだろう? ということです。
検索してみるとどうやら平安時代には仮名表記の通りに発音されていたようです。
つまり有名な冒頭、「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに」は「Idure no ohom-toki ni ka, nyougo, kaui amata saburahi tamahi keru naka ni」と発音されていたそうです。
今と違って「づ」は「du」と発音され、「さぶらひたまひ」は表記の通り「saburahitamahi」と読まれていたようです。
どうして平安時代の発音が分かったかということも興味深いのですが、それは置いておいて、ふと思うのです。
古文の時間に「源氏物語」を朗読する時には当時の読み方で発音するべきではないでしょうか。
「さぶらひたまひ」という文を千年前の人は「さぶらひたまひ」と読み、今、古文の知識がない人も「さぶらひたまひ」と発音するでしょう。
中途半端に古文の知識がある人だけが「さぶらいたまい」と発音します。
この中途半端さが良く分からないのです。
今なお旧仮名遣いを支持する人たちがいます。
これにも同じような違和感を感じてしまいます。
本来は旧仮名はそのまま発音されていた、現代では(原則的には)発音の通りに新仮名を使います。
わざわざその中間を選択する意味がもう一つぴんと来ないのです。

 

(2008年10月29日)

 

(9)

 

この間本屋に行ったので「真木柱」の冒頭を各現代語訳で読み比べてみました。
そうです、まだ「源氏」ネタで引っぱります。
実はどの現代語訳がどの出版社から出ているのかメモもしていなくて、読み比べるのは大変だと思っていたのですが、「源氏物語フェア」とかで一つのコーナーに「源氏」関係の本がずらりと並んでいました。
読み比べるには好都合です。
与謝野、円地、瀬戸内はそれぞれにしっとりとした現代語で、しかし巻の最初に玉鬘の相手が鬚黒の大将であることを明らかにしています。
普通の意味の現代語訳ではありませんが橋本訳も大幅に再構築はしているものの基本的に同じです。
ところが谷崎訳は完全にスタンスが違いました。
彼の訳には原文同様主語がありません。
頭注さえ読まなければ原文と同じく「玉鬘は誰と結婚したんだろう?」というわくわく感が味わえます。
それにちょっと読み比べただけでも分かる圧倒的な艶やかさ、雅やかさ。
現代語訳を読むなら谷崎訳が一番いいような気がしますが、ここまで難しいのなら原文を読むのも変わらないような気もするし、結局誰の現代語を選ぶかは個人の好みという結論に落ち着きそうです。

 

(2008年10月31日)

 

(10)

 

「源氏物語絵巻」を見て面白いと思うのは、光源氏がヒゲを伸ばしていたり伸ばしていなかったりするところです。
時代や国によって様々な聖母像があるように、時代の好みによっていろんな源氏像があるということです。
それならば現代日本人から見たとびっきりの美男美女で絵巻を作ってもそれほど見当違いではないと思います。
先日の「源氏絵巻展」で絵巻の中に混じって大和和紀のイラストも展示してありました。
これがまた素晴らしかったです。
ぜひ彼女には今の「源氏絵巻」を描いて欲しいと思います。
もしもう描いていたらごめんなさい。

 

(2008年11月5日)
 


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