夢見る映画〜20世紀の333本(66本目〜70本目)

20世紀の映画66本目は1984年押井守監督の「うる星やつら2〜ビューティフル・ドリーマー」です。

 

 

(1)

 

原作のコミックはそこそこ読みました。

テレビ版のアニメシリーズは観ていなくて、この作品も観るのは初めてです。

 

それまでテレビアニメの劇場版といえばテレビシリーズを水増ししただけのものがほとんどでした。

この作品をきっかけにして「シリーズから解放された世界観にもとづく新たな物語」という枠組みが生まれたようです。

 

観てみると確かに劇場版ならではのスケールの大きな話です。

ラムちゃんがあんまり活躍しませんし、諸星あたるもおとなしいです。

押井監督独特の理屈っぽさも鼻につきます。

でも、画期的でエネルギーにあふれていて、評価が高いのもうなずける作品です。

 

ただ、楽しめたかと言われれば、かなり苦痛でした。

 

(2021年3月10日)

 

(2)

 

とにかく登場人物が叫びまくるのです。

 

メインキャラだけではなく、脇役たちも含めて登場人物全員がずっと叫んでいます。

これが音量以上に聴神経にこたえます。

 

そういえばこのアニメもそうでした。

 

 

劇場版は左の二人の登場シーンが少なかったのでまだましだったのですが、テレビ版ではこの二人のやかましいこと。

歳を取ると高音が聞こえなくなるはずなのに、最近こういう叫び声が非常に耳に突き刺さります。

 

日本映画はセリフが聞こえない、とこの欄でもさんざん繰り返してきました。

ですが最近の「記憶にございません!」や「のぼる小寺さん」などは特に不自由なく視聴できました。

全体として改善傾向にあるようです。

 

というわけで近頃は「叫び声問題」の方が深刻です。

 

個人的には暴力シーンの有無よりも叫び声の程度をパッケージに表示してほしいくらいです。

 

(2021年3月12日)

 

(3)

 

居酒屋に行くこともなくなりましたが、たまに行くと気になるのが大声での会話です。

 

特に男性のやかましい笑い声。

「どっ」と笑う時の音圧がすさまじいです。

女性の甲高いしゃべり声も耳につきますが男声の音圧はもっと破壊的です。

 

しかも男の笑い声には語り手への媚びへつらいが同時に感じられるのでよけいにいやーな気持ちにさせられます。

 

「大声での会話は控えましょう」が今のルールですが、「どっと笑うのは永久に禁止」でもいいと思っています。

 

(2021年3月15日)

 

(4)

 

ところでこんな映画があります。

 

 

2020年、本広克行監督の「ビューティフルドリーマー」です。

 

映画研究会の若者たちが「映画研究会なんだから映画でも作ってみよう」と立ち上がるお話です。

これがとってもチャーミングでいい映画なんです。

 

タイトルから分かるようにこれは1984年版「ビューティフル・ドリーマー」と深い関連のある映画です。

私はそれを知らずに2020年版を観て、面白かったので1984年版を観て、そしてもう一度2020年版を観ました。

 

1984年版を観たことのある人もない人も、その順番で観ることをお勧めします。

つまり2020年版を二度観ろということですが、その価値のある映画でした。

 

青春ものですが、ご安心ください。

誰も叫びませんから。

 

(2021年3月17日)

 

20世紀の映画67本目は1962年本多猪四郎(いしろう)監督の「キングコング対ゴジラ」です。

 

 

(1)

 

ゴジラが初めてスクリーンに登場して8年。

この作品ではゴジラはどちらかというと脇役に回り、さらに映画自体もお気楽なコメディになっています。

核爆弾の恐怖を忘れて高度成長に向けて浮かれている日本の雰囲気がそのまんまあらわれているといえるかもしれません。

 

これがなぜか高評価で、それでベスト333にもランクインしてるわけですが、今観ると全然面白くないです。

あんまりほめる要素がないのですが、ところどころに気合の入った特撮シーンはあります。

 

(2021年3月19日)

 

(2)

 

古い映画を観るときについつい「時代補正」をしてしまう自分がいます。

つまり純粋に「今観て面白いか」で判断しないで「当時としてはすごかったんだろうな」と甘めの点数をつけてしまうのです。

 

たとえば「ローマの休日」や「七人の侍」は今観ても率直に面白いです。

 

しかし「キートンの大列車追跡」や「丹下左膳餘話〜百萬兩の壺」は、面白いのは面白いのですが、「心の底から本当に面白いと思っているのか?」と詰め寄られると目を伏せてしまいそうです。

 

それに対して「素晴らしき哉、人生!」や「吸血鬼ノスフェラトゥ」などは分かりやすくて簡単です。

どんなに補正をかけてもさほど面白くないですから。

 

そういう意味では「キングコング対ゴジラ」も非常に分かりやすい映画です。

素直に、全然面白くないです。

 

心配なことがあって、

 

 

今年こういう映画が上映されます。

で、おそらく来年にはディスクが発売されるでしょう。

その時に「キングコング対ゴジラ」を間違って買う人がいるんじゃないか、そこが心配です。

 

いや案外、間違える人多そうですよ。

 

(2021年3月22日)

 

20世紀の映画68本目は1938年、ハワード・ホークス監督の「赤ちゃん教育」です。

 

 

クソ真面目な恐竜学者が金持ちのわがまま娘に振り回されるお話です。

 

出会ったばかりの不思議系美少女に主人公が振り回されるのは「涼宮ハルヒ」を始め、コミック、ラノベでは繰り返し描かれてきたパターンです。

最初の10分で「なるほどこれがその原点か」と感心させられます。

恐竜学者の振り回されぶりもなかなか面白いです。

 

……最初の10分までは。

 

その後彼女のわがままぶりはエスカレートします。

主人公を振り回すためのわがままになっていきます。

他人の車を勝手に乗り捨てたりします。それは犯罪ですよ。

 

これが何歳の美少女だったら許されるのかという議論は危険なので避けますが、この時のキャサリン・ヘプバーンは三十過ぎ。

画面ではもう十歳くらい上に見えます。

しかも主人公を含めて登場人物が全員〇〇(いささか思慮に欠けるという意味の二文字)というアウトレイジ状態。

後半はひたすら苦痛でした。

 

この映画を観るくらいなら「のだめカンタービレ」の最初の方を読み返した方が音楽の勉強にもなって、いいです。

 

そうそう、タイトルもひどいです。

「Bringing Up Baby」という原題なので邦題の責任ではありません。

「Baby」は出てきますが、どうしてこんなタイトルになるのかさーっぱり分かりません。

 

(2021年3月24日)

 

20世紀の映画69本目は1934年、フランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」です。

 

 

こちらのヒロインも世間知らずのお嬢様です。

 

相手役は「風と共に去りぬ」でレット・バトラーを演じた、ニヒルな笑みがかっこいいクラーク・ゲーブル。

彼が演じるのは新聞記者です。

 

世界的大富豪の令嬢と、しがない新聞記者のお話。

そう「ローマの休日」そっくりです。

こちらが34年で「ローマの休日」が53年。

 

「ローマの休日」の脚本家ダニエル・トランボは1947年、アメリカを吹き荒れた赤狩りのために映画界を追われました。

仕事を干されただけではなく投獄までされたトランボですが、その期間に、かつて観た映画を反芻して自分なりに練り上げ直していたのではないでしょうか。

出所後に偽名で書き上げたのが「ローマの休日」……、

 

……というのは私の勝手な想像ですが、「或る夜の出来事」が非常に魅力的なプロットながら突っ込みどころが多いのも確かです。

 

映画はヒロインが親と言い争って豪華客船から海に飛び込むシーンから始まります。

この言い争いの理由が設定上無理がありすぎます。

この設定でクラーク・ゲーブルと恋に落ちてはだめでしょ。

最終コーナーでかなり強引なつじつま合わせを仕掛けてはいますが、この設定がある限りはうまく着地しようがありません。

 

頑張っているし、実際そこそこ面白いです。

が、やっぱり残念な部類の映画だと思います。

 

ついでに題名もやっぱりもう一つ残念な感じです。

「It Happened One Night」

 

HappenもしてなければOne Nightでもありませんから。

 

(2021年3月26日)

 

20世紀の映画70本目は1939年、ヴィクター・フレミング監督の「オズの魔法使」です。

 

 

(1)

 

フレミング監督は同じ年に「風と共に去りぬ」も撮影しているんですね。

信じられないようなバイタリティです。

 

さてこちらの「オズ」は大ヒット児童小説の映画版です。

 

もともと人気のあった原作なのでそのまま映像化すればよさそうなものですが、ちょっとしたアレンジが加わってます。

 

(2021年3月29日)

 

(2)

 

原作ではドロシーの身の上が簡単に説明されてすぐに竜巻に飛ばされてしまいますが、映画では現実の生活がちょっと詳しく描かれます。

そこで登場する三人の雇人や意地悪な大地主がオズの世界での登場人物とリンクする仕掛けになっていて、これは素敵なアイデアです。

 

ただし、重大な問題も発生します。

やっとの思いで帰ってきた現実社会にはあの大地主がいます。飼い犬トトを目の敵にしている残酷なお婆さんです。

しかもおじさん、おばさんも全面的にドロシーの味方というわけではありません(地主といっしょにトトをかごに押し込もうとしていましたし)。

愛犬トトの殺処分?のピンチは何ら解消されていないのです。

 

ラストシーンで地主さんに「いろいろ意地悪してごめんなさいね」と謝らせてはどうでしょう。

そのあとおばさんがぼそっと「地主さんも竜巻で頭を打って人が変わったのよ」と言うのです。

 

(2021年3月31日)

 

(3)

 

この映画の真価は「人気児童小説の見事な映画化」ではなく、「モノクロパートとカラーパートの斬新な融合」でもなく、「超名曲『虹の彼方に』を含む名作ミュージカル」でもありません。

ひたすらジュディ・ガーランドです。

彼女が笑って、泣いて、歌って、踊って、それだけでこの映画は素晴らしいです。

 

さて2019年にこういう映画がありました。

 

 

ジュディはその後酒と薬に溺れて落ちぶれ、47歳の若さで亡くなってしまいます。

その最後の半年間を描いた作品です。

 

レネー・ゼルウィガーがぼろぼろになったジュディを演じています。

宣伝文句を信じるならば自身で歌も歌っているそうです。

ジュディの歌声はいっさい含まれていない、つまりあくまでもレネーの映画です。

 

が、一応、こういう映画もあります、ということで。

 

(2021年4月2日)


夢見る映画〜20世紀の333本(61本目〜65本目)

20世紀の映画61本目は1973年、ウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」です。

 

 

(1)

 

もう50年前の映画になるんですね。

 

当時、とにかく怖いという評判で、アメリカではショック死した人がいるとか、撮影現場で事故が多発したとか、そんな話題が独り歩きしていた印象があります。

どんなに怖いのかどきどきしながら劇場で観ました。

怖いのは怖かったですが、ただ怖い話ではないな、と感じた記憶があります。

 

それ以来ずっといつかちゃんと観直そうと思っていましたが、今回やっとその機会が訪れました。

 

(2020年11月4日)

 

(2)

 

今回観て思ったのは「ずいぶん大人の映画だったんだ」ということでした。

 

宙に浮かぶとか緑の吐物を吐くとか首が360度回るとか、そういうショックシーンは確かにあります。

しかしとにかく惹きつけられるのはそのどっしりとした演出力。じわじわとくる面白さです。

ショックシーンなんてなくてもいいくらいでした(これは言い過ぎ)。

 

勘違いしていた部分もあります。

 

大昔観た時は、メリン神父が遺跡から掘り出した悪魔がよみがえって、はるばる海を越えて少女リーガンに取りついたのかと思いました。

違いました。

メリン神父は掘り出した悪魔像を見て、再度の対決を予感しただけだったのでした。

その割にはこの部分の描写にかなりの時間が割かれています。

せっかくのイラクロケだったのでカットしにくかったのでしょうね。

 

(2020年11月6日)

 

(3)

 

リーガンがどうして悪魔にとりつかれたのか、その理由も本編では描かれていません。

 

想像はできます。

リーガンと母親は二人暮らしです。父親は離婚して遠く離れたところにいます。

母親は新しいボーイフレンドと付き合っていますが彼は差別主義者のダメ男です。

しかしリーガンは母親の気持ちを気遣ってそれを訴えることができません。

 

その心のねじれが悪魔を呼び寄せました。

 

ある時リーガンはそのダメ男と二人きりになってしまいます。

あのダメぶりからすると男はリーガンにちょっかいをかけたものと思われます。

その直後、男は惨殺死体となって発見されます。

リーガンと悪魔の目的が一致したのでしょう。

 

ですが、この映画ではそのあたりは具体的には描かれません。

 

カラス神父の母親の死も描写されないし、何でもお見通しのはずの悪魔がカラス神父のつっこみにたじたじとなったりもします。

ストーリーを丁寧にたどるとか、整合性を求めるとか、この監督はそういうことはあんまり考えていないようです。

 

(2020年11月9日)

 

(4)

 

この映画の見どころはショックシーンではなく、まずリーガンの可愛らしさです。

 

リンダ・ブレアというともう少し大人になってぽっちゃりしてからのイメージしかありませんでしたが、この映画ではあどけなくて本当に可愛らしいです。

その少女が悪魔に乗っ取られてぼろぼろになるのですから衝撃的です。

 

あと怖いのは様々な検査シーンです。

頸動脈から造影剤をポンプで注入して連続撮影する場面は怖いです。

30年前までは私も検査をする立場でしたが、あの検査っていろんな意味で怖いんですよね。

二度とやりたくない検査です。

 

(2020年11月11日)

 

(5)

 

よく分からないのは冒頭のイラクのシーンです。

 

イラクの北部というと、これまでキリスト教が入り込んだことのない地域だと思います。

そこで発掘された悪魔像が、リーガンに取りついた悪魔と映像的に重なる箇所があります。

悪魔像と憑依した悪魔が同一人物(?)かどうかははっきりしませんが、何らかの関係があるという描写です。

 

メリン神父が戦ったのは異教の悪魔だったのでしょうか?

だとすると苦戦したのは当然だったような気もします、というかそもそも勝てるはずがありません。

ウイルス性疾患に抗生剤で立ち向かうようなものです。

 

「あれ、どうして俺にキリスト教のおまじないが効くと思ったわけ?」と悪魔に言われそうです。

 

さて、この映画にもディレクターズカット版というのが存在します。

劇場公開版よりも15分長いらしいです。

代表的な追加部分は、リーガンが階段をブリッジで降りてくるシーンと、ラストのちょっとほのぼのとしたシーンです。

このほのぼのシーンが100%余計です。

「なくてもいい」のではなく「断固としてあってはならない蛇足」です。

 

「エクソシスト」はベスト100入り間違いなしの名作ですが、冒頭とラストの数分ずつは不要です。

 

(2020年11月13日)

 

20世紀の映画62本目は1931年、フリッツ・ラング監督の「М(エム)」です。

 

 

(1)

 

これにも本編前に淀川長治のネタバレ解説がついています。

この時間を利用してトイレに行っておきましょう。

 

前半はぞくぞくするほど面白いです。

謎の連続殺人犯。

それを追いかける警察。

警察の取り締まりに音を上げる裏社会の連中。

 

これらがテンポよく、しかしじっくりと描かれます。

ラング監督が4年前に撮った「メトロポリス」は間延びしたテンポで観るに堪えませんでしたが、この作品はしゃきっと引き締まっています。

 

(2020年11月16日)

 

(2)

 

警察の取り締まりが厳しくなったせいで商売に支障をきたした裏社会のボスたちが立ち上がります。

「自分たちで犯人を捕まえよう!」

かくして犯人は警察と裏社会の両方から追われることになります。

このあたりは本当にスリリングです。

 

ただしこのあとから話がぐっと散漫になります。

 

まず、タイトルにもなった「М」が話の展開に何の機能も果たしていません。

ビルに逃げ込んだ犯人を追い詰めるのは面白くも何ともない人海戦術です。

 

そして最も訳が分からないのはラストの人民裁判の場面。

 

てっきり自首させるための罠なんだろうと思って観ていたら、当人たち(と監督)は大真面目みたいです。

これは変です。

犯人を自分たちで裁いてしまったら警察の締め付けはいつまでも緩くなりませんから。

 

だからと言ってこのままでは埒が明かず。

「そりゃこうするしかないよね」というエンディングに持っていきます。

 

何とも最後の締まらない迷走映画でした。

 

(2020年11月18日)

 

20世紀の映画63本目は2000年、クリストファー・ノーラン監督の「メメント」です。

 

 

(1)

 

クリストファー・ノーラン監督の実質上のデビュー作だそうです。

 

「テネット」を観てからこれを観直してみると「この人はずーっとこれをやりたかったんだ」というのがよく分かります。

 

映画はエンディングから始まって時系列を逆にたどっていきます。

結末が分かっているので、私たちは「何がどうなってこのシーンに至ったのか」という点に興味を持って観ることになります。

たとえば「どうしてこの女性は主人公を助けてくれるのだろう?」、「この悪人はどうやって主人公に取り入ったのだろう?」。

 

時間をさかのぼるに連れて明らかになる事実もあれば、意外な展開もあって退屈させません。

 

そして最後、つまり時系列の頭に、最大のどんでん返しが私たちを待ち受けます。

この奇想天外な仕掛けとエンターテインメント性を両立させたのがこの映画のすごいところだと思います。

 

(2020年11月20日)

 

(2)

 

分かりにくいのは、主人公が電話で語る記憶障害患者についての話です。

 

主人公は保険調査員で、ある記憶障害の男性を担当したことがありました。

男性の妻が主張するには、彼は事故で頭に傷を負ったあと、記憶を長時間保てなくなったとのことです。

その障害に対して保険金を払うべきかどうか、主人公は調査を任されたのです。

 

仮病かどうか調べる、というのなら理解しやすいのですが、そういうわけではなさそうです。

「心因性」などの小難しい言葉が出てきますが、保険金が支払われる基準がもう一つはっきりしません。

主人公が何と何を区別しようとしているのかもよく分かりません。

(男に対するテストは、仮病かどうかを調べているようにしか見えない……)

従ってそのあと患者の妻が取る行動の意味もはっきりしません。

 

つまり映画の根底部分で何だかはっきりしないのです。

 

あんまり深く考えないで観ると意外な展開に驚かされて楽しめます。

しかし深く掘り下げようとするとたちまち手ごたえがなくなってしまいます。

 

(2020年11月25日)

 

(3)

 

この監督の最新作「テネット」もよく難解と言われます。

 

 

ところどころ時間が逆行するのですがその説明が不親切です。

が、逆行部分はもう一度逆回転リピートされます。

逆再生部分を見てやっと「こういうことだったのか」と気づかされる仕組みになっています。

 

不親切というよりは「もったいぶり」と言った方が正しいかもしれません。

リバース場面は笑えるくらい楽しいので「難解」とはちょっと違います。

 

主人公が時限爆弾を必死で取り戻そうとする映画があったとします。

敵はやっつけたものの、時間切れで爆弾のスイッチが入ってしまう。でも爆弾は爆発しません。

実は爆弾は不発弾でした……というオチだったらそれまでのハラハラは台無しです。

 

「テネット」をネットで検索すると深く考察して詳しく解説してくれている人もいます。

でもこの映画にはどこか「不発弾」臭さが漂っています。

スコップで3センチくらい掘り返すのはいいのですが、ショベルカーで何メートルも掘り返す映画ではないと思います。

 

「メメント」と同じ感じです。

 

(2020年11月27日)

 

20世紀の映画64本目は1991年、ジョナサン・デミ監督の「羊たちの沈黙」です。

 

 

(1)

 

原作は、収監中の猟奇殺人犯が捜査の協力をするという、あっと驚く「安楽椅子探偵」もののハシリです。

 

これ以降似たような設定のミステリが山のように作られましたが、今なおこの作品をこのジャンルのナンバーワンと位置づける人は多いです。

映画はアンソニー・ホプキンスが怪演で原作に劣らぬ緊張感を味わわせてくれます。

 

鋼鉄の女のようなイメージのジョディがこの映画ではクールながらもキュートで可愛いのも見どころです。

 

(2020年11月30日)

 

(2)

 

この映画の長所は原作に忠実に作られているところです。

同時にそれは短所でもあります。

 

犯人が蛾にこだわるのは変身願望があるからだそうです。

いくら何でも無理があります。

レクター博士が犯人を特定する推理の過程も杜撰(ずさん)です。

というか、実際は推理などしていませんし。

 

これらは原作そのものの欠点です。

ですから原作を読んでいてお尻がむずむずして仕方のなかった人(たとえば私)は、この映画を観てもお尻がむずむずすると思います。

 

(2020年12月2日)

 

(3)

 

この映画を分かりにくくしているのは犯人の設定です。

 

変身願望があるから服装倒錯者であろう、つまりは性同一性障害者に違いない。……というブっ飛んだ三段論法です。

アメリカでも30年前はこの程度の認識だったということです。

 

さらにそれをぐちゃぐちゃにしているのが日本上映版のボカシです。

 

今はYouTubeで無修正版を観ることができます。

 

無修正版を観るとよく分かります。

作品の真意や価値がよく分かるのではなく、製作者の認識不足がよく分かります。

結果的に作り手のミスを塗り隠すことになったボカシなのでした。

 

何だか全体として褒めているのかけなしているのか分からないような感想になってしまいましたが、すみません、原作でずっこけた口なので。

映画としてはまあまあ面白かったです(奥歯にものが挟まっている)。

 

(2020年12月4日)

 

20世紀の映画65本目は1977年舛田利雄監督の「宇宙戦艦ヤマト」です。

 

 

(1)

 

1974年から翌年にかけて放映されたアニメの総集編です。

 

初回放映時、それからその1年後の再放送時と、毎回画面にかじりついて観たものです。

ですからこの劇場版を20世紀のベスト333映画に加えるのはかなり、というかほとんどノスタルジーによるものです。

すみません。

 

これまで何度となく観返してきましたが、それは「劇場版」ではなく「アニメ版」のつまみ食いでした。

つまり第1話から第3話まで。

ワープやゆきかぜの回は飛ばして冥王星反射衛星砲の回を観て、その次はオリオン星、バラン星。

そして七色星団の決戦、ガミラス本星戦、そして最終回。

平たく言えば戦闘回です。

 

今回ものすごく久しぶりに「劇場版」を観ました。

 

(2020年12月7日)

 

(2)

 

私が観たい戦闘回はほぼ収録されています。

 

カットされているのは、バラン星の戦いと最終回くらいです。

これはすごい圧縮度です。

 

バラン星のエピソードがカットされたのはもったいないです。

しかしこれを加えると上映時間が三時間を超えてしまいます。

ここは涙を呑んで我慢しましょう。

 

最終回でのデスラー艦の反撃もカットされています。

なぜならデスラーはガミラス本星の戦いで死んだことになっているので。

これは英断です。

「ヤマト」に限らず、死んだはずのキャラクターが生き返って「よかった!」と拍手喝采する人っているのでしょうか。

 

ついでに言えばこの「劇場版」にも二種類あって、古代守が再登場するバージョンとしないバージョンがあります。

登場しないバージョンは「スターシャ死亡編」と呼ばれていて、今では封印されているようです。

しかしアニメ放映時小学生だった私でも古代守の再登場にげんなりしたのを覚えています。

ジャンプコミックでもアヴェンジャーズでも、やみくもに死者を生き返らせるのはやめにして欲しいものです。

 

(2020年12月9日)

 

(3)

 

「劇場版」ではアニメ最終回の「コスモクリーナー起動」→「森雪の仮死」という流れもカットされています。

非常にもったいないのは確かです。

最初に観た時には「森雪の身代わりとなって沖田艦長が死んだのかも」と解釈したりもしました。

森雪の蘇生のエピソードがなかったら沖田艦長の死が成立しないような気もしていました。

 

でもよく考えると沖田艦長の死は誰かの身代わりというような卑小なものではありません。

地球を見て最期を迎える、それで十分です。

堪え難きを堪えて「森雪関連エピソード」も削ることにしましょう。

 

というわけで伝説のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を最も手軽に、最も適切に楽しむには「劇場版〜スターシャ死亡編」を観るのが一番です。

 

(2020年12月11日)

 

(4)

 

ごり押しで20世紀の映画にねじ込んだものの、さすがに作画レベルは厳しいです。

 

第3話まではまだましです。

今のアニメーターでも描けないような構図や動画もがんがん出てきて驚かせてくれます。

 

それ以降は気合もマンパワーも時間も足りなくなって急速にぼろぼろになっていきます。

クライマックスの七色星団にいたってもう一度総力を叩き込んできますが、この頃の製作現場はまさに七色星団戦直後のヤマト状態だったのではないでしょうか。

ところどころすさまじい絵もあるのに、人間、気合だけではどうにもならないこともあるということです。

 

というわけで誰もが考えるのはリメイクです。

 

(2020年12月14日)

 

(5)

 

まず2010年には山崎貴監督によって「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が作られました。

 

 

実写版というかVFX版ですね。

 

主演は木村拓哉。当初は「キムタク映画」とか「学芸会」などとこき下ろされましたが今冷静に観ると案外面白いです。

何と言ってもリアルに動くヤマトがかっこいいです。

 

初代「ヤマト」だけではなく「さらば」までくっつけて上映時間138分。

そこにはこってりとした恋愛要素あり、あんまり「ヤマト」っぽくない迫撃戦もあり。

 

時間のわりにお腹いっぱいな感じです。

 

(2020年12月18日)

 

(6)

 

さらに2012年から「宇宙戦艦ヤマト2199」の制作が開始されました。

 

 

これは最新のアニメ技術で作られた全26話のテレビシリーズです。

 

フルCGの「ヤマト」がぐいぐい動きます。

山崎監督の実写版ヤマトもかっこよかったですが、宇宙空間での大艦隊戦はアニメの方が映えるような気もします。

 

キャラクターもそれぞれ現代風におしゃれになっています。

さらに旧作ではいるのかいないのかもう一つはっきりしなかった女性隊員も、はっきり「いる」ことになっています。

これはまあ、当然ですよね。

 

(2020年12月21日)

 

(7)

 

どちらの作品も映像がきれいで特にヤマトの姿が迫力たっぷりで見ごたえがあります。

 

映像に関して文句を言うとすれば、両作品とも「ヤマト」の動きに「ため」が足りないところでしょうか。

これはVFXやCGの問題ではなく作り手の技量の問題だと思います。

もう少し経験を積んでぜひもう一段迫力のある映像を作って欲しいものです。

 

ストーリー的にはいっぱい文句があります。

 

そもそも初代「ヤマト」が無理ありまくりの作品です。

 

スターシャは滅亡に瀕した地球にわざわざ波動エンジンの設計図を届けてくれましたが、それなら最初からコスモクリーナーを届けろよ、というツッコミは最初からありました。

あれだけの軍事力のあるガミラスなのに七色星団戦でヤマトを迎え撃ったのはたった5隻でした。ガミラス本星での決戦でも残存艦隊は登場しませんし、みんなどこに行ってしまったのでしょうか。

そうそう、何と言っても戦いのためにぼろぼろになるヤマトが次の回では何事もなかったかのように修理されていたのも半分ギャグでした。

 

二つのリメイク作品はそのあたりを何とかして解決しようと努力しています。

 

(2020年12月23日)

 

(8)

 

地球を滅ぼそうとするガミラスと救おうとするイスカンダル。

この関係を手っ取り早く説明する方法があります。

 

ガミラスとは生身の人間ではなく、かつてイスカンダル人が作り上げた全自動惑星防御システムだった。

ところがAIが暴走を始めてガミラスは全宇宙に派兵を始めた。

それを知ったイスカンダル人はガミラス相手に抵抗を続ける星を助けようとする。

イスカンダルはガミラスの制圧下にあるので武器やコスモクリーナーを他の星に届けることはできない。

一方ガミラスは初期プログラムでイスカンダル人への攻撃を禁じられている。

イスカンダル人にできるのは設計図を隠し持った使者を各星に届けることだけだった。

 

これならまあまあ筋が通ると思います。

 

(2020年12月25日)

 

(9)

 

「実写版」はそれに近い解釈を採用しています。

従って生身のデスラーは登場しません。

ガミラス兵というのも存在しないことになっています。

理屈は通るのですが、これではあんまり面白くないのも確かです。

ドメルと沖田艦長の知恵比べもなくなってしまうので。

 

やっぱりデスラーやドメルが出てこないと「ヤマト」にはならないみたいです。

 

他方、「2199」はガミラス人やイスカンダル人に人間ドラマを描きこむことによって矛盾を解消しようとしています。

旧作にはなかった新しい設定が山のように出てきます。

 

シュルツはガミラスの二等市民だった、とか。

ゼーリックのクーデターのせいでガミラス艦隊はバラン星系に置き去りにされてしまった、とか。

ヤマトの乗員の中にスパイがいた、とか。

森雪の記憶喪失、とか。

 

前の二つは面白いと思いました。

しかしそれ以外は「ヤマト」の面白さを深める役には立っていませんでした。

たとえば、あの七色星団戦の最中に森雪が拉致されるエピソードが挿入されたりもします。

旧作では主題歌さえカットして尺いっぱいに戦闘場面をぎゅーぎゅーに詰め込んだ七色星団戦ですよ。

そこにこんなつまらない挿話を入れてしまうなんて……。

 

いろいろ解釈を加えたくなる気持ちはよく分かります(私も七色星団戦の最後は波動砲で決着をつけてほしかったと思っています)。

でも今リメイクするなら、旧劇場版のシナリオを一切変更せずに絵だけきれいに直すのが最大公約数的正解だと思います。

 

(2020年12月28日)


夢見る映画〜20世紀の333本(56本目〜60本目)

20世紀の映画56本目は1927年フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」です。

 

 

資本家と労働者の対立という当時最先端のテーマが壮大なスケールで描かれます。

ゴージャスなセットと舞台美術の数々、それに群衆シーンが時代を越えて目を惹きつけます。

 

この映画にもたくさんのバージョンがあります。

淀川長治の解説がついた83分版は長さは手ごろですがBGMが最悪です。

淀川長治の解説も全然面白くないですし。

 

サイレントですから台詞の量は多くありません。

いっそのことYoutubeで英語字幕版を視聴するという手もあります。

ロックミュージシャンがBGMを担当したジョルジオ・モロダー版というのがあります。

これも82分で手ごろです。

ただその音楽がやっぱり面白くありません。

 

オーケストラ伴奏がついた148分版も観ることができます。

しかし長いです。単に長いのならいいのですが、1シーン1シーンが200%くらい冗長です。

 

長さは80分程度、それにオーケストラ伴奏をつけたバージョンがあればそれが最高だと思いますが、今はどれも帯に短したすきに長しです。

 

(2020年7月15日)

 

20世紀の映画57本目は1998年中田秀夫監督の「リング」です。

 

 

(1)

 

これは怖いです。

 

日本風のじわじわ怖がらせるタイプのホラーの代表作、ベスト100間違いなしの一本です。

 

ちなみに原作もとっても怖いです。

昔勤務医だったころ当直室で読んでいて、一番怖いシーンで電話がかかってきて飛び上がったのを覚えています。

 

(2020年7月17日)

 

(2)

 

「リング」はヒット作の宿命として多くの続編が作られました。

 

原作者鈴木光司も「らせん」「ループ」を書いて三部作としましたが、最後の方は怖がらせるよりもつじつまを合わせるのに精いっぱいという印象でした。

 

映画はそれこそ数えきれないくらい続編・番外編が作られました。

 

ハリウッドリメイク版も作られましたね。

「ザ・リング」です。

 

 

 

アメリカナイズはされていますが、日本的なぞおっとさせる怖さはある程度再現されていたと思います。

怪物が出てきて人々を残酷に殺すだけのアメリカホラー(それはそれで好きだったりします)がこれで変わるかもと思ったのですが、大きな潮流を作ることはできなかったようです。

どうしてかと考えると、アメリカでも従来のホラーに飽き足りなさを感じていた人たちが独自のニューウェイヴホラーを作り始めていたからだと思います。

「スクリーム」、「キューブ」(これはカナダ産ですが)、「ファイナル・デスティネーション」、「ソウ」などなど。

 

これだけユニークなホラーが次々登場してはさすがの「リング」もかすんでしまったのかもしれません。

 

ただ、「リング」が大傑作なのは間違いありません。

ぜひ夜中に部屋を真っ暗にして観てください。

 

(2020年7月20日)

 

20世紀の映画58本目は1977年、ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」です。

 

 

(1)

 

何十回と観た映画ですが、今回久しぶりに最初から最後まで、ちゃんと、じっくりと観ました。

 

文句なく面白かったです。

特に感心したのは少しもちゃちなところがないところです。

 

翌年公開された「スーパーマン」は最新技術が売りの映画でしたが、今観るとクリプトン星の描写とかかなりアナクロで恥ずかしいです。

それに対して「スター・ウォーズ」のデススターとかスターデストロイヤーのディテイルの素晴らしいこと!

もっともっと技術が進歩した後年になってたくさんの続編が作られましたが、この映画のラスト以上に迫力のあるシーンは結局作られませんでした。

 

この映画をリアルタイムで体験した人にとってはこれが「スター・ウォーズ」そのものです。

のちには「エピソード4」と位置づけられてしまいましたが、ちょっと不満です。

人には「やっぱり第一作が最高、それに比べると他は普通のSF映画」なんて力説するのですが、「第一作? エピソード1のこと?」と訊き返されます。仕方なく「エピソード4」という呼称を受け入れつつあるところです。

 

(2020年7月22日)

 

(2)

 

ただしこの映画の面白さを人に伝えるのは難しいです。

 

私自身がそうでしたから。

 

先ほど私は「この映画をリアルタイムで観た人にとっては」などと偉そうに言いましたが、実は私はリアルタイムで観ていません。

当時の映画雑誌は最初から最後まで「スター・ウォーズ」で大盛り上がりでした。

そのブームは映画というジャンルを越えて社会現象になったほどでした。

 

硬派な映画ファンを気取っていた私としてはへそを曲げたくなったのでした。

「巨大宇宙船の迫力がすごい」

「一見生意気なお姫様が実はキュート」

「神話やファンタジーや西部劇を巧みに取り入れた総合エンターテインメント」

とかいろいろ耳に入ってきましたが「それが何か?」と無視を決めこんでいたのです。

 

最初に観たのは初公開から一年以上経ったある日。

松山の名画座の二本立てで観ました。

併映はライアン・オニール主演の「ザ・ドライバー」。

 

そうしたら面白いのなんのって!

冒頭の宇宙船には腰が抜けそうになり、レイア姫には胸がきゅんきゅんしました。

 

高校生の私は入場料の500円だけ持って観に行ってました。

その映画館は入れ替え制ではなかったので飲まず食わずで

 

スター・ウォーズ → ザ・ドライバー → スター・ウォーズ → ザ・ドライバー → スター・ウォーズ

 

と劇場が閉まるまで観続けたのでした。

 

(2020年7月27日)

 

(3)

 

ただし今観ることのできる「スター・ウォーズ」はオリジナルのものとはかなり違っています。

 

1997年にリバイバル上映された際、それから2004年のDVD発売時、2011年のBlu-ray発売時にそれぞれ修正が加えられています。

きっとマニアがどこかでまとめてくれていると思うのですが、画面は全体ににぎやかになり、爆発は派手になり、ジャバ・ザ・ハットが登場したりしています。

続編とつじつまを合わせるために台詞もかなり変わっていると思います。

 

こういう修正版はオリジナルの面白さを損なうことが多いですが、「スター・ウォーズ」の場合は大丈夫でした。

おそらくジョージ・ルーカス自身がプロデュースを担当しているからでしょう。

誰からも口を挟まれず、自分のやりたいようにできたので作品の印象が大きくぶれなかったのだと思います。

 

「スター・ウォーズ」を初めて観る皆さん、普通に流通しているディスクで、どうぞ安心してご覧ください。

 

(2020年7月29日)

 

(4)

 

よく制作裏話で「予算が少なかった」などと書いてあります。

 

それは嘘だと思います。あるいは「ルーカスが望んだよりは少なかった」だけで、決して低予算映画ではなかったと思います。

 

だってあれだけのセットを組んで、あれだけのエキストラを使い、あれだけのロケを敢行したのです。

しかも若手役者を支えるために起用したのがアレック・ギネスとピーター・カッシングという二人の伝説的名優。

予算が少なかったわけがありません。

 

またあるいは「予算に比べて信じられないような完成度」つまり「お金の使い方が非常に上手だった」と解釈すべきかもしれません。

 

当時誰も試みなかった新技術がふんだんに投入されていますが、これはやる気のある若者たちに低コストで働いてもらったからこそ可能だったと思います。

音楽もそうです。

超大編成のオケにあれだけ大量の難曲を演奏させたのです。

どれほどお金がかかったか想像もできませんが、でもそのおかげでシンセサイザーでごまかした同時代の映画の数々よりも数百倍ゴージャスになったのでした。

 

(2020年7月31日)

 

(5)

 

ただ、今回観直して気になったところはいくつかあります。

 

一番興醒めだったのはテキトーな銃撃戦。

敵も味方もレーザー銃を撃ちまくりますが、どうしてそれが当たってこれは外れるのか、そのあたりの機微が一切認められません。

大昔から続く大雑把西部劇の悪しき伝統からさすがの「スター・ウォーズ」も抜け出せなかったようです。

(そしてこのテキトー銃撃戦はハリウッドではいまだに続いています。)

 

それから時代遅れ感を感じさせられたのはオビ=ワンとダースベイダーの殺陣。

これが昔ながらのぬるい立ち回りでほのぼのさせられます。

仕方がないといえば仕方がありません。

1977年といえば日本でもばっさばっさと切り捨てるタイプの時代劇が全盛期の頃です。

ルーカスが「チャンバラとはこういうもの」と割り切っても責められません。

 

しかしふと思えばルーカスは黒澤を尊敬していたはずです。

「七人の侍」や「椿三十郎」だって観ていたと思うのです。

この二作を観た上であの二人の決闘シーンはありえません。

尊敬していたというのは日本のプレス向けの社交辞令だったのでしょうか、それとも観るには観たけれどぼーっと観たのでしょうか。

 

結局旧三部作のソードアクションはぱっとしないままでした。

 

(2020年8月3日)

 

(6)

 

もう一つ気になるのは「ジェダイ」と「フォース」という概念です。

 

「スター・ウォーズ」を構想するにあたってジョージ・ルーカスが神話やおとぎ話などを参考にしたというのは有名な話です。

その時点でファンタジーにつきものの「賢者」「魔法」という存在を深く考えずに導入してしまったのでしょう。

 

光速航法の宇宙戦艦が宇宙を飛び回る時代に魔法使いというのも妙ですが、この第1作では違和感はぎりぎり許容範囲内だったと思います。

その後話のスケールが大きくなるにつれてこの二つの概念の咀嚼不足感が大きく露呈してきます。

さらに「フォース」に先天的素養が関係している、つまり血筋が重要視されるようになって個人的には「スター・ウォーズ」に対する興味は半減しました。

 

第1作で「フォース」が使われるのはモス・ワイズリー宇宙港で帝国軍兵士に誰何される場面、それとデススター内で兵士の注意をそらす場面です。

いずれもちょっとした機転と工夫で危険から逃れることができたはずです。

「フォース」を使うよりもそちらの方がスリリングで面白かったと思います。

 

(2020年8月5日)

 

(7)

 

全然関係なくて全然どうでもいい話なのですが。

 

昔チェロを習い始めた頃です。

初心者はまず第1(ファースト)ポジションという指使いで弾き始めます。

でもこのポジションではト音記号の下の「レ」の音までしか弾くことができません。

次に習うのが第4(フォース)ポジションです。

このポジションを使えばト音記号の真ん中の「ソ」まで出せます。

 

オーケストラで曲を演奏していて時々先輩に「そこはフォースを使え」と言われました。

 

そのたびに「スター・ウォーズかよ」と思ったものでした。

 

(2020年8月7日)

 

20世紀の映画59本目は1980年、アーヴィン・カーシュナー監督の「スター・ウォーズ〜帝国の逆襲」です。

 

 

(1)

 

58本目として取り上げた「スター・ウォーズ」の続編です。

制作順としては第2作、エピソードナンバーとしては5作目となります。

前作が1977年でしたからたった3年後なのですね。

もっと長く待たされたような気がしていました。

 

たった3年ですが、その間に合成技術は格段の進歩を遂げています。

上の写真はその一例です。

これまでは宇宙空間のみで可能だった画像の自然な合成が、白い雪原でも可能になりました。

 

しかしこの映画を観た人がひっくり返ったのはその技術にではありません。

 

何と、お話が途中で終わってしまったのです。

「続く」というテロップを観た時のずっこけ感と言ったら……。

 

そんな映画は今まで観たことありませんでした。

 

(2020年8月14日)

 

(2)

 

反乱軍の拠点、氷の惑星ホスに帝国軍が迫ってくるところから映画は始まります。

 

ルークは吹雪の中偵察に出ています。

そこで雪男のような原住生物に襲われて気を失ってしまいます。

それを知ったソロは命の危険を顧みず救助に向かいます。

 

まず、ここが意味不明です。

 

ルークは帝国軍の偵察ロボットと戦って相打ちで気絶したことにすればよかったのに。

どうしてわざわざ原住生物なんかを出してしまったのでしょう。

結果的にはライトセーバーを使って雪男を倒しますが、宇宙の正義と秩序を担おうと志す者が野生動物を殺してはだめです。

 

偵察ロボットからの信号が途切れたためにそのうちに帝国軍は反乱軍の存在に気がつく。

しかしルークの活躍のおかげで時間稼ぎができた反乱軍は反撃と脱出の準備ができた……。

 

というお話にすれば全部がスムーズでシンプルになったのに。

 

(2020年8月17日)

 

(3)

 

反乱軍は危機一髪ホス星を脱出しますが、ルークは別行動をとります。

 

気絶していた時に聞こえたオビ=ワン・ケノービの声に従ってダゴバ星に向かいます。

そこでヨーダからジェダイになるための特訓を受けるためです。

これ以降はルーク組とソロ組とでストーリーも並行して進行することになります。

 

ソロ組の逃避行は文句なく面白いです。

小惑星帯での空中戦、やっと逃げ着いた中型惑星でのサプライズ、さらに敵巨大戦艦からの逃走。

これぞまさにSF大活劇です。

 

一方ルーク組のお話は全然面白くありません。

ヨーダ登場の場面は笑わせてくれますが、特訓のシーンは別の意味で笑ってしまいます。

それに続く禅問答のようなやり取りも退屈。

 

しかもルークは特訓を放り出してソロたちを救出に向かうのですが、結局何の役にも立たなかったというオチ。

 

「帝国の逆襲」は複数の脚本家によって書かれていますが、ルーク組担当者はちょっと力不足だったようです。

 

(2020年8月19日)

 

20世紀の映画60本目は1983年、リチャード・マーカンド監督の「スター・ウォーズ〜ジェダイの帰還」です。

 

 

(1)

 

旧三部作の3作目、エピソードナンバーとしては6作目となります。

公開当時は「ジェダイの復讐」というサブタイトルでした。

私も「復讐」というマイナスの語感に首をかしげたのを覚えています。

いつの間にか今のタイトルに変更されました。

 

この映画の見どころはさらに進化した合成技術です。

前作では雪原をバックにしたバトルが売りでしたが、今回はジャングルの中の高速チェイスが見ものです。

前半の砂漠でのバトルは劇場で観た時は結構ハラハラさせられましたが、今観ると少しチャチかもしれません。

それに比べるとこのジャングルチェイスは今観ても最高です。

一体どれくらいの日にちがかかったのでしょう、撮影班は本当に大変だったでしょうね。

 

(2020年9月2日)

 

(2)

 

そのあとはモフモフしたイウォークたちも登場して、全体的にバラエティ豊かで楽しい映画ではあります。

 

ただし作劇上まずいところがいくつかあります。

 

まず冒頭です。

第一作目「エピソード4〜新たなる希望」の冒頭では巨大戦艦の途方もない大きさに腰が抜けそうになりました。

第二作目「エピソード5〜帝国の逆襲」ではその巨大戦艦が何かの影に覆われるシーンから始まります。

あの巨大戦艦をも覆い隠すような物体とは何? と思ったらスーパー・スター・デストロイヤーがどーんと登場してくるわけです。

本当はもっと大見得を切って登場して欲しかったですが、それでも圧倒的な迫力は感じました。

 

ところが今作の目玉の第2デススターは何のタメもなく、何のこけおどしもなく、宇宙空間にぽつんと映し出されてお目見えとなります。

これはダメでしょう。

第二作の二番煎じでもいいのです。その大きさでしっかり驚かせてほしかったです。

 

(2020年9月4日)

 

(3)

 

それから何度も観ると首をかしげてしまうところがあります。

 

物語はジャバ・ザ・ハットの城から始まります。

そこにまず2体のロボットが行って捕らわれ、次に賞金稼ぎに扮したレイア姫が行って捕らわれ、最後にルークが行き、またしても捕らわれます。

ここがもたつきます。

 

ルークは砂漠でのハン・ソロの処刑の場面で颯爽と初登場するべきだったと思います。

そうした方が印象的でカッコよく、また全体の尺も10分くらい短縮できました。

 

冒頭の第2デススターといい、ルークといい、第3作では登場シーンが今イチしゃきっとしないのが残念なところです。

 

(2020年9月7日)

 

(4)

 

今回驚いたのはルークが意外と活躍しているところです。

 

ジャバの城で怪獣と戦い、砂漠で敵を大勢やっつけて、森の高速チェイスでも大活躍しています。

ずっと「暗黒面」の誘いに悩んでばかりいたように思っていましたがそうではありませんでした。

ルークさん、ごめんなさい。

 

せっかくの活躍を台無しにしたのは暗ーい場面の数々です。

まずヨーダが長々と暗黒面の怖さを語り、次にダース・ベイダーと押し問答して、最後に皇帝の電気攻撃を延々と受け続けます。

これが映像的につまらない。

ヨーダは臨終の場面だし、ダース・ベイダーとの立ち回りは例によって旧態依然だし、皇帝の電気攻撃にいたっては退屈なだけです。

これ以降私の中では「暗黒面」という言葉が出ると自動的に眠くなるように刷り込まれたのでした。

この条件反射は昨年完結した新・三部作でも払拭されませんでした。

 

いっそ「帝国の逆襲」と「ジェダイの帰還」に分けないで「ハン・ソロの大冒険」と「ルーク対暗黒軍団」と分ければ「ハン・ソロ」は「新たなる希望」を上回る大傑作になったでしょうに……。

 

とまあ、いろいろ書きましたが「ジェダイの帰還」は、今回観直してみて、意外と面白かったです。

 

(2020年9月9日)


夢見る映画〜20世紀の333本(51本目〜55本目)

20世紀の映画51本目は1931年、チャールズ・チャップリン監督の「街の灯」です。

 

 

ベスト100ランクイン間違いなしの映画です。

 

「黄金狂時代」も面白かったですが「街の灯」の完成度に比べるとかすみます。

ギャグ描写をテンポよく積み重ねて、目指すのはラストの哀しい笑顔です。

この収斂力、集中力が何より素晴らしいです。

 

注文も文句もつけようのない完璧な映画ですが、繰り返し観て気になるのが大富豪との顛末。

大富豪との関係が宙に浮いてしまってちょっとだけお尻がむずむずします。

 

エンドロールのあとに大富豪が悲しい顔をしてブランデーの栓を開けるシーンをちらっと入れてはどうでしょうか。

はい、だめですよね。分かりました。

 

(2020年7月3日)

 

20世紀の映画52本目は1962年、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」です。

 

 

主人公は映画監督です。

 

作品の構想を練るために温泉地にやってきましたが、いろいろ邪魔が入ってなかなか構想がまとまりません。

それはそうです、彼だって愛人連れです。集中できるはずがありません。

それでも自分の中の客観的第三者と対話を重ねて何とか脚本を書き進めようとしますが、温泉地に奥さんがやってきたところで彼の頭の中は大混乱状態となります。

その結果彼が取った方法とは……。

 

というあらすじです。

 

大昔に初めて観た時には前半が難解で、どんどんフラストレーションがたまりました。

その分ラストのはじけたパレードでのカタルシスは大きくて訳も分からず感動させられました。

 

今回久しぶりに観て印象が180度変わりました。

前半が分かりやすくて面白く、後半は集中力が途切れて散漫な印象を受けました。

やはり理解できないのはどうして彼がその方法を選択したか、という点です。

主人公にそこまでフラストレーションがたまっているようには見えませんから。

(フラストレーションがたまっているのはむしろ観客の方です。)

 

そのあたりの進め方については脳内第三者から助言がなかったのか……、というのが今回の正直な感想です。

 

ちなみにタイトルは「はっかにぶんのいち」と呼ぶそうです。

今では「はっか」というのはちょっと恥ずかしいですが(マイコンとかハンケチみたいに)、有名な映画なので胸を張って「はっかにぶんのいち」と呼びましょう。

 

(2020年7月6日)

 

20世紀の映画53本目は1984年、ジェームズ・キャメロン監督の「ターミネーター」です。

 

 

これは文句なく面白いです。

 

タイムトリップものはいろいろありますが、これは「未来から殺し屋が襲ってくる」というシンプルなストーリー。

冷静に考えるとツッコミどころはたくさんあります。しかし勢いがあるので観ている間は余計なことを考える間がありません。

 

面白いのはシュワルツェネッガーのビジュアルです。

初登場シーンでのシュワルツェネッガーは垢抜けない田舎の坊ちゃんですが、よく知られている「ターミネーター」にどんどん変わっていきます。あの格好は映画の途中で確立されていったのですね。

あれ以外のスタイルだったらこれほどの人気は出なかったでしょう。

 

惜しいのはサラ・コナー。

設定では19歳です。演じるリンダ・ハミルトンはこの時28歳、でも38歳くらいに見えます。

 

それから音楽。

あの有名なリズムは素晴らしい。でも全編に流れるのはシンセサイザーで、どうしても安っぽいです。

フルオーケストラでアフレコし直せばカーチェイスのシーンや情緒的な場面がもっと引き締まると思います。

 

文句なく面白いと言いながらいろいろ文句をつけましたが、二回続けて観て、それでも全然退屈しませんでした。

面白いのは間違いないです。

 

(2020年7月8日)

 

20世紀の映画54本目は1972年、フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」です。

これも名作中の名作です。

二日続けて観ましたが観れば観るほど面白かったです。

 

と言いながらまた文句を言うのですが。

 

3時間弱の長さですが、観ていて物足りないところはあります。

まず冒頭、ファミリーから距離を置こうとしていた葬儀屋がヴィトーにある頼みごとをするシーンから始まります。

娘を強姦した若者たちに復讐して欲しいという依頼です。

これに対してヴィトーはネチネチと嫌味を言ったあとでしぶしぶ了承します。

 

ところがその復讐シーンがありません。

これはいけません。

 

それからソニーがブルーノ・タッタリアを殺害するシーン。

これはセリフで語られるだけです。これも省略してはだめでしょう。

 

それぞれ数分でいいのです。

もちろんただでさえ長いのでそのまま加えろとは言いません。

 

弁護士トムがハリウッドのプロデューサーを説得に行くシーンがあります。

まず門前払いを食わされて、そのあと迎えられて、でもやっぱり拒絶されます。

最初の門前払いのシーンをカットすれば数分稼げます。

 

あとは娘のタリア・シャイヤが泣きわめくシーンがいくつかあってこれが全然面白くありません。

これを最小限まで削ればOKです。

 

やっぱり復讐シーンは必要ですよねー。

 

(2020年7月10日)

 

20世紀の映画55本目は1982年、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」です。

 

 

公開当時、冒頭のビジュアルにあっと驚いたのを覚えています。

未来の街はきれいで清潔で未来的に違いないと信じていたのに、この映画の中の2019年、街はごみごみしていて不潔でいつも雨が降っています。

なるほど、未来はバラ色とは限らないよなあ、と思わされたのでした。

 

主人公は人間そっくりに作られた人造人間「レプリカント」をやっつける仕事です。

必然的に「人間を人間たらしめるのは何か」という哲学的命題を背負うことになります。

そのあたりの謎めいた雰囲気が好きな人にはたまらない映画だと思います。

 

この映画もさまざまなバージョンが存在することで有名です。

一番ポイントになるのは「主人公がレプリカントかどうか」という謎です。

マニアは各バージョンを比較考察してその謎について熱く語っています。

 

普通に観れば主人公はレプリカントではありえません。

だってそんな風には描かれていませんし、ハリソン・フォードもそう演じていませんから。

マニアの心の中にはそれぞれが夢想するブレードランナーワールドが展開しているのでしょう。

ドストエフスキーファンだって書かれてもいないことをもとに勝手に妄想を広げています。

カルトな作品は暴走するマニアによって支えられていて、でもそれくらい魅力的なのだと思います。

 

小難しいことは抜きにしてもビジュアルとアクションでそこそこ楽しめる映画であることは確かです。

問題は「フォークト=カンプフ検査」です。

被験者の意表を突く質問をすることによってレプリカントをあぶりだす嘘発見器みたいなものですが、この質問の数々が全然面白くありません。

かなりのマニアでもここは眠くなるのではないでしょうか。

この場面はぜひハライチのコンビで撮りなおして欲しいです。

 

(2020年7月13日)


夢見る映画〜20世紀の333本(46本目〜50本目)

20世紀の映画46本目はロブ・ライナー監督の「スタンド・バイ・ミー」です。

 

 

名作の誉れ高い映画ですが、実は今回初めて観ました。

 

十代で観ても、二十代で観ても、そして五十代で観てもそれぞれ面白く観られるように作られているのに感心しました。

しかも各年代層を感動させるいろんな要素がわずか89分に詰め込まれているのです。

これは知性と抑制と客観性がなければできない技です。

 

たとえば観ていて不思議だったのが、不良のボスがトラック相手にチキンレースをしかける場面です。

彼が少年たちをイジメるシーンはじゅうぶんにエグいので、彼の粗暴さのそれ以上の描写は本来不要です。

このエピソードは余計だなあ、と思っているとちゃんと最後に種明かしがありました。

 

感傷的と受け止められがちな映画ですが、そういった知的な計算の上に成り立っている作品なのでした。

 

(2020年6月15日)

 

20世紀の映画47本目は1988年、マーティン・ブレスト監督の「ミッドナイト・ラン」です。

 

 

賞金稼ぎと賞金首によるバディ・ロードムービーです。

 

マフィア、FBI、ライバル賞金稼ぎたちが襲ってくる中二人は目的地に無事にたどり着けるのでしょうか? という、単純に面白おかしい極上エンターテインメントです。

何と言ってもデ・ニーロの楽しそうな演技が特筆ものです。

 

強いて気になる点を挙げるとすれば、

 

1)このスピード感に対して126分という尺は長すぎます。

どんでん返しを1回減らして何とか2時間に収めてほしかったです。

 

2)相棒役の壊滅的な演技。

Youtubeにラストシーンがアップされているので一目瞭然。

演技の鬼デ・ニーロがどうして殴りつけなかったのか不思議なほどの大根ぶりです。

この演技力のせいで「マフィアの金を横取りして慈善事業に寄付した男」という設定に全然説得力が生まれなかったのでした。

 

二人が登場するシーンではデ・ニーロだけを見ておきましょう。

 

(2020年6月17日)

 

20世紀の映画48本目は1982年、ジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」です。

 

 

その時その時でそれぞれ怖い映画はありますが、何十年たっても怖さが色あせない映画がいくつかあって、これはその代表ともいえる大傑作です。

 

舞台は十二人の男たちが駐留している南極基地。

雪と氷で外界から完全に鎖された空間です。

そこに謎の「物体X」が入り込んできます。

 

「物体X」の正体とは?

男たちの運命は?

 

密室の心理サスペンスと、映画史上もっともグロテスクなクリーチャーとでたっぷり怖がらせてくれます。

公開時に劇場で観たのですが途中で逃げ出したくなったのを覚えています。

 

ただし2011年に続編というか前日譚が制作されて、こちらのタイトルが「遊星からの物体X〜ファーストコンタクト」。

これは泣きたくなるくらいつまらないです。

ビデオで鑑賞する時にはタイトルに要注意です。

 

(2020年6月19日)

 

20世紀の映画49本目は1984年、ハワード・ジーフ監督の「殺したいほど愛されて」です。

 

 

名作映画〇〇選という企画では真面目な映画が取り上げられることが多いです。

333本の候補作を見渡してもコメディはわずかです。

でも本当は人を幸せにさせてくれる作品こそいい映画だと思います。

 

これはお勧めのコメディです。

 

ちょっとした行き違いから嫉妬が芽生え、またまた行き違いから殺意へと発展します。

圧巻は後半のチャイコフスキー。

クラシック音楽をBGMに用いた作品は多いですが、ここまで音楽を活かしきった映画はありません。

とにかく見て大笑いしてほしいです。

 

ナスターシャ・キンスキーもとびっきりキュートで可愛いですよ。

 

(2020年6月29日)

 

20世紀の映画50本目は1992年、クエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」です。

 

 

初めて観た時には冒頭のおしゃべりと、撃たれた仲間を車で運ぶシーンがとにかく長くて退屈でした。

が、二回目に観ると印象がずいぶん変わって驚かされます。

いろいろもったいないところはありますが、結構気になる映画です。

名作と呼ばれる映画は二回観てから良しあしを判断した方がいいのかもしれません。

 

もったいないところは、まず、やっぱりどのシーンもちょっとずつしつこい。

それからハーヴェイ・カイテルのキャラクター。

彼の役は情に厚く一本気だけれどちょっとおつむが足りないという設定。

ハーヴェイはこの役を楽しそうに演じていますが、いかんせん彼の風貌がそれとマッチしていません。どう見ても風格のある凄腕の殺し屋ですから。

ラストシーンでホワイトがオレンジを撃ったのかどうか解釈がぶれているようですが、それは設定と風貌のミスマッチのせいです。

あと個人的に一番違和感があったのは、まったくどうでもいいことなのですが、血が赤すぎるところ。本当にどうでもいいですね。

 

(2020年7月1日)


夢見る映画〜20世紀の333本(41本目〜45本目)

20世紀の映画41本目は1989年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」です。

 

 

大きく二つ、「劇場公開版」と「完全オリジナル版」というのがあって、前者が124分、後者が170分。

 

「劇場公開版」は監督本人が「完全オリジナル版」を推敲して編集したものです。いわば「完成版」ですね。

引き締まってより味わい深くなっています。

トルナトーレ監督が勇気をもって46分間を切り捨てたことでこの映画は世界的名画になったのでした。

 

「劇場公開版」は間違いなくベスト100にランクインします。

こちらを何度も見て、さらに興味がある人は「完全オリジナル版」に手を出してもいいかも。

ブルックナー交響曲第9番の3楽章版と補筆完成版みたいな関係です。

 

そうそう、元町映画館がいよいよ明日から上映再開ですが、その第一弾がまさにこの映画です。

苦しい時期を乗り越えての記念すべき一本にふさわしい映画だと思います。

 

(2020年5月29日)

 

20世紀の映画42本目は1961年、黒澤明監督の「用心棒」です。

 

 

(1)

 

「七人の侍」から7年。

 

こちらはエンターテインメントに徹した痛快娯楽時代劇です。

物語はシンプルに(それを言えば「七人の侍」もプロットは超シンプルですが)、キャラクターたちはマンガ的にデフォルメされてひたすら表面的な面白さに奉仕します。

 

ここでは面白さこそが正義です。

 

「この映画の殺陣が時代劇の常識をひっくり返した」などとよく言われます。

それはそうかもしれません。しかしそこで追及されたのはリアリティではなく迫力とすさまじさです。

黒澤としては、迫力を演出するためにリアリティを利用したにすぎません。

これまで黒澤映画を何本か取り上げてそのたびに書いているような気がしますが、黒澤は「リアリティ」など屁とも思わなかった監督です。

 

(2020年6月1日)

 

(2)

 

黒澤がすごいのは娯楽作品を作ろうとしてちゃんと傑作を作ってしまえるところだと思います。

 

しかしこの映画にも重大な欠点があります。

最後の1対10の対決シーンです。

 

卯之助が鉄砲を持っているのでまず彼を倒さなくてはなりません。

おかげでまずラスボスをやっつけてから他のザコキャラを切り捨てるという、あんまり締まらない立ち回りになってしまいました。

しかもそうすると卯之助がもったいないので死に際で長台詞をしゃべらせる。そのせいでまたまた締まらなくなる。

 

途中がどんなに完璧でも着地に失敗すれば、体操競技としては失敗です。

「用心棒」は最後の最後で着地に失敗した残念な映画だと思います。

 

ところで他の黒澤映画と同様、この映画でも音声が聞き取りにくいです。

黒澤映画を鑑賞するには字幕が絶対的に必要です。

逆にいえば字幕のついていないディスクは欠陥商品です。

 

朝日新聞出版から現在進行形で発刊されている「黒澤明DVDコレクション」は企画としては立派ですが、そういう意味で中身は欠陥商品ですので注意しましょう。

 

(2020年6月3日)

 

20世紀の映画43本目は1962年、黒澤明監督の「椿三十郎」です。

 

 

(1)

 

前回紹介した「用心棒」の大ヒットを受けて作られた事実上の続編です。

観れば観るほど簡潔で一切余分のないシナリオです。

それに見事な絵。

たとえば上の写真です。

9人の若侍たちが本番前にいったいどれほどリハーサルを積み重ねたのか、想像もできません。

 

何度も観ていると見えてくる弱点というのはあります。

敵方の3人があんまり賢くないので「息詰まる騙し合い」の緊迫感が出せませんでした。

こちらの若侍もたいがい馬鹿なのでゲームバランス的にはいい勝負でしたが。

 

さきほど書いた人物配置も、受け取り方によっては作為的であざとすぎます。

緊迫感を削ぐ一因となっているのは確かです。

しかし個人的にはこういう大見得を切った演出は大好きです。

見得もためもなく無造作に銃を撃ちまくるハリウッド映画の退屈なこと。

 

最大の欠点は9人の若侍の存在です。

作劇上、9人のうち誰一人として斬られるわけにはいきません。

これでは敵方の室戸半兵衛の強さをアピールする見せ場を作れません。

全体の展開が速いし仲代達矢の眼力がすごいので、普通に観る分においては全然気になりません。

しかし何十回も観ていると、あって当然の見せ場がないのが非常にもったいなく感じてしまいます。

 

(2020年6月5日)

 

(2)

 

何と言ってもこの映画の見どころは殺陣です。

 

「用心棒」がこれまでの殺陣を変えた、と前回書きました。

しかし黒澤はその自己記録をあっさりと更新します。

斬り殺す人数もそのスピードも「椿三十郎」の方がはるかに上です。

 

こういう表面的な効果はドラマの進行を妨げてリズムを損なうことが多いのですが、さすがに黒澤は手綱を緩めません。

主題の汚職事件が解決したあとも、逆にギアを上げて衝撃のラストシーンに突入します。

 

さて、問題のラストシーン。

この場面に腰を抜かさなかった人はいないと思いますが、もし万が一このすごさが分からない人がいれば、ちょうどいい参考資料があります。

2007年のリメイク版です。

(これにも豊川悦司が出ていますね)

このラストシーンを観れば、オリジナル版のすごさがごくごく自然に納得できると思います。

 

「椿三十郎」はベスト100入り間違いなしの最高傑作。

個人的にはオールタイムベスト3に入る映画です。

 

(2020年6月8日)

 

20世紀の映画44本目は1979年、ジョージ・ロイ・ヒル監督の「リトル・ロマンス」です。

 

 

若い二人のラブロマンスと言えば、どうしても先日観た「小さな恋のメロディ」と比べてしまいます。

 

本能に任せて撮ったような(それでいて案外伏線は丁寧に回収されますが)「小さな恋のメロディ」に対して、きっちりと構成された隙のないシナリオの「リトル・ロマンス」。

そしてこれを手練れのロイ・ヒル監督が演出するわけです。

面白くないわけがありません。

 

ところがところが。

面白いのは面白いのですが、こちらが期待する以上ではありませんでした。

冒頭は映画のシーンから始まります。途中に映画の小ネタも挟まれます。映画のロケシーンも登場します。

映画愛にあふれた映画になるかと思えば、そうでもありません。

主人公は並みはずれたIQの持ち主です。

ところがその設定がすごく生かされるわけでもなく。

二人を助ける老人のうさん臭さが暴発するわけでもなく。

 

そうそう、音楽もとっても素敵です。

でも、伴奏をハープシコードにすればもっとよかったのに、と思いながら観てました。

 

面白さの種をたくさんまいて、どれもそれなりの花を咲かせたのに、結局どれも実にはならなかったような印象です。

 

(2020年6月10日)

 

20世紀の映画45本目は1933年、メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック監督の「キングコング」です。

 

 

当時としては莫大な費用がかかったであろう大規模なセットとエキストラ、それに手の込んだ劇伴に驚かされます。

 

内容も盛りだくさん。

人跡未踏の地への大冒険、大怪獣同士の戦い、コングの美女への片思い。

 

それはいいのですが一番ひっかかるのは土台となるプロットです。

ジャングル奥地に棲む野生動物を捕まえて大都会に運んで見世物にして、逃げ出したら機関砲で撃ちまくって、最後には高層ビルから墜死させて「野獣も美女にはかなわなかったね」という言葉で幕。

さすがにこんなストーリーの映画に20世紀を代表させるわけにはいきません。

 

と言いながら「じゃあ『椿三十郎』の大殺戮はいいのか?」と問われると困ってしまうのも確かですが。

映画における倫理観については一度しっかり考えないといけません。

 

が、その結果がどうであれこの映画はだめです。

 

(2020年6月12日)


夢見る映画〜20世紀の333本(36本目〜40本目)

20世紀の映画36本目は1971年、ワリス・フセイン監督の「小さな恋のメロディ」です。

 

 

実は初めて観ました。

 

この頃の映画雑誌は毎月毎月この二人の役者さんの特集ばっかりでした。

硬派な映画ファンを気取っていた私としてはあえて観たくなかったのでした。

仮に観たとしてもよく分からなかったと思いますが。

 

映画の前半、子どもたちの普段の生活が描かれます。

主役の二人が出会う中盤までは子どもたちがひたすら走り回って遊びまわるだけです。

二人の瑞々しさももちろん素晴らしいのですが、この映画の魅力はもしかすると映画の前半にあるかもしれません。

 

ちなみにトレイシー・ハイドの誕生日は明日5月16日、マーク・レスターの誕生日は7月11日、どうでもいいですが私と同じです。

 

(2020年5月15日)

 

20世紀の映画37本目は1971年、ドン・シーゲル監督の「ダーティハリー」です。

 

 

ご存知クリント・イーストウッド主演の刑事ものです。

 

犯人逮捕のためなら違法行為、暴力もいとわないはぐれデカものの元祖と言われていますが、ハリー・キャラハン刑事はチョッキを着てネクタイを締めてなかなかちゃんとしています。

捜査が強引だとして証拠が認められず、落ち込んだりもします。

 

推理の過程がテキトーなのと途中の追跡劇が退屈だったりしますがまあまあ楽しめました。

大都会に成長しつつあるサンフランシスコの熱気も映画の勢いを助けています。

何よりも犯人逮捕の際の決め台詞がかっこいい。

この台詞のおかげで超人気シリーズとして続編、亜流が次々と作られたのでした。

 

ちなみに私はずっと「ダーティーハリー」だと思っていました。

でも「ダーティー」で検索するとツタヤの在庫検索で引っかからないんですよね。

ご注意ください。

 

(2020年5月18日)

 

20世紀の映画38本目は1983年、アラン・J・パクラ監督の「ソフィーの選択」です。

 

 

観ていて何となく漱石の「こころ」を思い出しまた。

 

私はああいう「苦悩自慢」のお話が苦手なのでこの映画も好ましくは感じられませんでした。

平たく要約すると「私はいかにしてダメ男好き女になったか」です。

そりゃあ大変な苦労をしてきたのは分かります、が、だからといってよりにもよってあんなパワハラの嘘つき男に惚れなくてもいいでしょう。

語り手の男も男です。そもそもあんな出会い方をしておいてそのあとほいほいと尻尾を振ってついていきますか?

 

「不幸は友達選びから始まる」という教訓以外、私はこの映画から何も感じ取れませんでした。

そういう意味では、「あんな男を選んでしまった、ソフィーの不幸な選択」のお話だったのかもしれません。

 

(2020年5月20日)

 

20世紀の映画39本目は1982年、深作欣二監督の「蒲田行進曲」です。

 

 

写真をアップして初めて気がついたのですが、これもダメ男、ダメ男に尽くす女、ダメ男に憧れ、その女に惚れる男の組み合わせです。「ソフィーの選択」とまったくおんなじですね。

 

公開時には大げさな演出とわざとらしい演技が鼻についたのですが、今観るとこれくらい突き抜けた感じの方が楽しくていいです。

苦悩を人に見せるならこれくらい派手に飾り立ててからにしましょう、という教訓の映画です。

 

(2020年5月22日)

 

20世紀の映画40本目は1935年、山中貞雄監督の「丹下左膳餘話〜百萬兩の壺(たんげさぜんよわ ひゃくまんりょうのつぼ)」です。

 

 

こんな画質も悪くて音も割れた古い映画、本当は全然観たくなかったのですが、観始めてびっくり!

むっちゃくっちゃに面白かったです。

最初の数分、壺にまつわる説明的シーンが終われば、あとはベタな人情劇とあっと驚く殺陣でラストまでまっしぐら。

この間キートンがすごいと書きましたが、比べるならこっちの方が数倍面白いです。

 

ただ、自分の中でよく整理できていない部分があって……。

 

これを観終わってしばらくして、こういう映画があったのを思い出しました。

 

 

豊川悦司による2004年のリメイク版です。

 

和久井映見が魅力的だったのは覚えているのですが、ストーリーなどはすっかり忘れてしまってました。

心の中でありきたりなお話だと片付けられたのかもしれません。

 

とすると、旧作を観て絶賛した私の心のどこかで「古い映画にしては」という斟酌が働いていた可能性があります。

今更リメイク版を観直すつもりもないし、誰か「記憶に残ってなくて当然、リメイク版は全然くだらなかった」と断言してくれるとうれしいです。

 

(2020年5月25日)

 

と言いながら観てしまいました。

 

「丹下左膳〜百万両の壺」、2004年のリメイク版です。

 

なるほど、どうしてこの映画を観た記憶がなくなってしまったかよく分かりました。

肝心なところをカットして、余計なことを付け加えてオリジナルのよさを台無しにしてしまったのでした。

芸術でも料理でも、いい素材を台無しにしたい時にはお手本にしたい映画だと思いました。

 

古い名画をリメイクしたい人、クラシックの名曲を現代風にアレンジしたい人、料理を作っていてレシピにない調味料を加えたくなった人、取り掛かる前に「丹下左膳」のオリジナルとリメイク版を観比べると参考になると思います。

 

(2020年5月27日)


夢見る映画〜20世紀の333本(31本目〜35本目)

20世紀の映画31本目は1926年、バスター・キートン、クライド・ブラックマン監督の「キートンの大列車追跡」です。

 

 

キートンの映画を観るのは初めてでした。

「黄金狂時代」はストーリー的にあっちに行ったりこっちに行ったりしますが、これはただただシンプルでストレートです。

そこに無駄なく、しかもぎっしりとギャグとスタントを詰め込んで、エンターテインメントとして見事です。

それから今観てもびっくりの大がかりな列車アクション。

「古い映画にしては」などという前置きなしでたっぷり楽しめる映画でした。

 

(2020年1月29日)

 

久しぶりに確実にベスト100入り間違いなしの作品の登場です。

20世紀の映画32本目は1976年、ジョン・G・アヴィルドセン監督の「ロッキー」です。

 

公開時に観て以来ですから40年以上ぶりの視聴です。

 

驚くのはシナリオの体脂肪率の低さ! 全てが研ぎ澄まされて引き締まっています。

中学生の頃には退屈に思われた人間ドラマのシーンも今見るとそれぞれ意味深く、感動的でした。

問題は試合シーンが短すぎるところでしょうか。

後半は第10ラウンド、いやせめて13ラウンドから観たかった、……でもやっぱり14ラウンドからで正解だったでしょうか。

何でもちょっと物足りないくらいがいいですもんね。

 

(2020年5月1日)

 

20世紀の映画33本目は1975年、スティーヴン・スピルバーグ監督の「JAWS/ジョーズ」です。

 

 

これも劇場公開時に観て以来です。

45年ぶりで、そのあといろいろ怖い映画も観てきたつもりですが、今回観直してもかなり怖かったです。

この間ヒッチコックの「鳥」を観ましたが面白さ、怖さともに「ジョーズ」の方が桁違いに上でした。

 

ベスト100には動物パニックものを一つは入れたいと思っています。

「ディープ・ブルー」をもう一度観て動物パニック映画ナンバー1を決めたいです。

 

(2020年5月8日)

 

20世紀の映画34本目は1999年、レニー・ハーリン監督の「ディープ・ブルー」です。

 

 

「JAWS/ジョーズ」と比べたくてすぐ観てしまいました。

 

肝の底にじわじわ来る恐怖感は「JAWS/ジョーズ」の方が上、エンターテインメントとしては「ディープ・ブルー」の方が上でした。

ご覧になった方はお分かりだと思いますが、特に上の写真のシーンですよね!

劇場では泣き叫ぶ人が半分、爆笑する人半分でした。

固唾を呑んで観たいなら「JAWS/ジョーズ」、みんなでわいわい観るなら「ディープ・ブルー」という感じでしょうか。

 

ただ「ディープ・ブルー」と「JAWS/ジョーズ」を比べるのはフェアではありませんでした。

「ディープ・ブルー」と比べるなら「ジュラシック・パーク」です。

 

(2020年5月11日)

 

20世紀の映画35本目は1990年、スティーヴン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」です。

 

 

「ディープ・ブルー」と比べたくてすぐ観てみました。 最近は観たい映画がすぐに観られるので便利です。 何度となく観てきた映画ですが、今回観てもやっぱり面白かったです。

肝心なところでチャチっぽくなる「ディープ・ブルー」に比べるとスピルバーグは抜かりがありません。

5年の差があるのに特殊効果ははるかに「ジュラシック・パーク」の方が上でした。

演出でも序盤の恐竜登場までの持っていき方とか最高です。

こういう地味な部分をじわじわ盛り上げるやり方はスピルバーグならではです。

 

かと思うとティラノサウルスの迫力もすさまじいし、静動いずれも上手すぎる万能監督です。

ベスト100に一体何作ランクインするのでしょう。

 

(2020年5月13日)


夢見る映画〜20世紀の333本(26本目〜30本目)

20世紀の映画26本目は1922年F・W・ムルナウ監督の「吸血鬼ノスフェラトゥ」です。

 

 

Wikipediaによると「ドラキュラ」の映画化が許可されなかったために固有名詞などを変えて完成させた作品らしいです。

 

無声映画のはずですが音楽が入っています、このあたりの仕組みもよく分かりません。

 

2007年にはフィルムの傷などを補正したリマスター版が出されたようですが、私が見たのは画質も悪い旧来版です。

 

いろいろ興味深いシーンがあります、特撮シーンもあります。

 

「面白くないこともないけど……」というのが正直な印象です。

 

(2019年10月30日)

 

しばらくあんまり面白くない映画が続きましたが、ここでベスト100入り間違いなしの名作の登場です。

 

 

20世紀の映画27作目、1988年制作の宮崎駿監督の「となりのトトロ」です。

 

(1)

 

実は今回初めて観たのですが、いやあびっくりしました。

どの瞬間も楽しくて美しくて切なくていじらしくて、思わず二回続けて観てしまいました。

ベスト100どころかベスト10入りもじゅうぶん狙える面白さです。

 

これが30年前の作品なのですね。

子どもの頃にこれを観た人たちが、今は自分の子どもと一緒に、30年前の気持ちのままで観る。

こんな映画は他にないと思います。

 

(2019年11月27日)

 

(2)

 

何が素晴らしいといって、久石譲の音楽が最高です。

 

サウンドトラックとは別に、作曲者自身がアレンジした「オーケストラストーリーズ」というものがあります。

最小限のナレーションで綴られる「トトロ」の音楽劇です。

音楽は簡潔で楽しいのに、大きな編成のオーケストラが必要なので上演機会は多くありません。

それが今回聴くことができます。

 

 

これがまた美しいんです。

時間がありましたらぜひどうぞ。

 

(2019年11月29日)

 

20世紀の映画28作目は1963年アルフレッド・ヒッチコック監督の「鳥」です。

 

 

今回観たのは小学生の頃テレビ映画劇場で観て以来です。

 

その頃はとっても怖かったです。

小学生の頃には。

 

ヒッチコックの作品は一つくらいはベスト100に入るだろうと思っていましたが、少なくともこれではありません。

 

(2020年1月8日)

 

20世紀の映画29本目は1994年、ロジャー・アラーズ、ロブ・ミンコフ監督の「ライオン・キング」です。

 

 

ちょうど昨年CG版(超実写版と呼ぶのだそうです)が公開されました。

劇団四季でもロングランが続いているし人気のある演目のようです。

まさか大ハズレはないだろうと思って観始めたのですが、結果的にはハズレでした。

 

絵がきれいじゃないし、お話が面白くない。

そもそも「食べる者と食べられる者が仲良く暮らしましたとさ」、という話が仮におとぎ話でも成立するのでしょうか。

 

超実写版の予習も兼ねて観たのですが超実写版を観る気がなくなってしまいました。

 

(2020年1月10日)

 

20世紀の映画30本目は1925年のチャールズ・チャップリン監督の「黄金狂時代」です。

 

 

(1)

 

このシーンはあまりにも有名ですが、実際に観るのは初めてでした。

 

白黒で画質も悪いですが、チャップリンらしいベタなギャグとペーソス満載でかなり楽しめました。

何といってもチャップリンの切れのある動きがすごいです。

 

ただ、チャップリン映画では超強力な「街の灯」があとに控えているのでベスト100入りするかどうかは微妙なところです。

 

(2020年1月24日)

 

(2)

 

この映画はレンタルのDVDで観たのですが、本編開始前に淀川長治の解説が収録されていました。

 

この解説がさすがに古いです。

 

まず第一にネタバレ放題です。

最近ではあらすじを紹介する時「ネタバレあり」か「ネタバレなし」か断るのがエチケットです。

それなのにこのディスクでは選択の余地なくネタバレさせられてしまいます。

 

第二に解説のあり方が古いです。

淀川氏はチャップリンのちょっとしたギャグに哲学的意味を見出そうとします。

たとえば有名な、靴を食べるシーン。

この場面について彼は「長年履いてきた靴を食べることによってこれまでのチャップリン像を否定した」と解釈します。

観れば分かりますが、絶対に違います。

 

まあ映画に芸術的価値があまり認められていなかった時代です。

過度に高踏的になるのは仕方ないのかもしれませんが、発想が古いです。

映画の本編はそれほど古臭く感じないのに、解説の方が古い。

おかしな現象です。

 

これからこの映画を観ようと思っている人は絶対に解説を飛ばして観ましょう。

 

(2020年1月27日)


夢見る映画〜20世紀の333本(21本目〜25本目)

20世紀の映画21本目は1982年シドニー・ポラック監督の「トッツィー」です。

 

映画を観たことがなくてもこの写真は何となく覚えているという人は多いと思います。

 

 

平たく言えば、女装した男性役者がアメリカの旧態依然の男社会に切り込んでいくというお話です。

40年近くも前の映画です。

そこで描かれる男社会のありさまはさすがに古臭く見えるだろうと思って観ると、全然変わっていない事にまず驚かされます。

 

男女意識において日本はアメリカよりも30年くらい遅れてるんじゃないか、と自虐的に考えていましたが実際は30年どころか300年くらい遅れているのでした。

 

この映画の問題は二つあって、一つ目は「そこに切り込むのはやっぱり男性なのか」という点と、もう一つはトッッィーがあんまり可愛く見えないという点です。

 

楽しく観ましたが、ベスト100に入るかと言われれば微妙な映画でした。

 

(2019年6月28日)

 

20世紀の映画22本目は1988年、ジョン・マクティアナン監督の「ダイ・ハード」です。

 

 

今回30年ぶりに見ましたが全然古びていなくて新鮮に楽しめました。

 

こういうスピード感重視のエンターテインメントで30年たっても純粋に楽しめるということはすごいことだと思います。

 

88年というとバブル景気の真っただ中です。

この映画でもテロリスト集団に狙われたのは日本企業でした。

 

その後景気は急速にしぼむのですが、「ダイ・ハード」は逆にどんどん派手にどんどんバブリーにシリーズを重ねていきます。

主人公もどんどん不死身になっていったのでした。

 

(2019年8月21日)

 

20世紀の映画23本目は1994年、リュック・ベッソン監督の「レオン」です。

 

 

何となく観たような気になっていましたが、ちゃんと観るのは初めてでした。

 

意外だったのは主人公レオンが障害を抱えているという設定。

実生活では不器用で目立たない凡人なのに裏では超人的な殺人技術を持っているスーパーマン、などというありがちな設定ではありません。

25年前にはまだ障害とすら認識されていなかった「生きづらさ」を、リュック・ベッソンとジャン・レノのコンビがとてもデリケートに描きます。

 

ゲイリー・オールドマンもいいです。

よくある悪人像からさらに突き抜けた独特のキャラクターを、丁寧に、でも自在に作り上げています。

 

ナタリー・ポートマンも魅力的だし、万人に名作と勧められる一本だと思いました。

 

(2019年8月23日)

 

20世紀の映画24本目は1946年ウィリアム・ワイラー監督の「我等の生涯の最良の年」です。

 

 

終戦後、帰国の兵員輸送機の中で知り合った三人の帰還兵をめぐるヒューマンドラマです。

障害を乗り越えて結ばれる若い男女の話、従軍による空白期間をついに埋められなかった夫婦の話、友人の娘との道ならぬ恋の話などなどがじっくり語られる170分です。

 

派手な戦闘シーンはありません。

が、ウィリアム・ワイラー監督がさすがの演出力で退屈させません。

間違いなく「名作」です。

 

ただ、繰り返し見たくなるタイプの映画ではありません。

二十世紀の100本入りはちょっと難しそうです。

 

(2019年9月25日)

 

20世紀の映画25本目は1956年の川島雄三監督「洲崎パラダイス赤信号」です。

 

 

洲崎とは赤線地帯らしいです。

その入り口の一歩手前の飲み屋で繰り広げられる人間模様。

 

ただ、よく分からないのは洲崎の一歩手前という設定です。

この飲み屋での仕事がだめなら洲崎に落ちるしかないという悲痛さが、女性からはあまり感じられません。

男性にいたっては何を考えているかさっぱり分かりません。

 

物事を深く考えることをしない男女が何となくふわふわ生きていくだけの映画のように思えます。

 

「時代に流される男女」みたいなのが受けた時代だったのでしょうか。

 

(2019年10月28日)


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