20世紀の映画66本目は1984年押井守監督の「うる星やつら2〜ビューティフル・ドリーマー」です。
(1)
原作のコミックはそこそこ読みました。
テレビ版のアニメシリーズは観ていなくて、この作品も観るのは初めてです。
それまでテレビアニメの劇場版といえばテレビシリーズを水増ししただけのものがほとんどでした。
この作品をきっかけにして「シリーズから解放された世界観にもとづく新たな物語」という枠組みが生まれたようです。
観てみると確かに劇場版ならではのスケールの大きな話です。
ラムちゃんがあんまり活躍しませんし、諸星あたるもおとなしいです。
押井監督独特の理屈っぽさも鼻につきます。
でも、画期的でエネルギーにあふれていて、評価が高いのもうなずける作品です。
ただ、楽しめたかと言われれば、かなり苦痛でした。
(2021年3月10日)
(2)
とにかく登場人物が叫びまくるのです。
メインキャラだけではなく、脇役たちも含めて登場人物全員がずっと叫んでいます。
これが音量以上に聴神経にこたえます。
そういえばこのアニメもそうでした。
劇場版は左の二人の登場シーンが少なかったのでまだましだったのですが、テレビ版ではこの二人のやかましいこと。
歳を取ると高音が聞こえなくなるはずなのに、最近こういう叫び声が非常に耳に突き刺さります。
日本映画はセリフが聞こえない、とこの欄でもさんざん繰り返してきました。
ですが最近の「記憶にございません!」や「のぼる小寺さん」などは特に不自由なく視聴できました。
全体として改善傾向にあるようです。
というわけで近頃は「叫び声問題」の方が深刻です。
個人的には暴力シーンの有無よりも叫び声の程度をパッケージに表示してほしいくらいです。
(2021年3月12日)
(3)
居酒屋に行くこともなくなりましたが、たまに行くと気になるのが大声での会話です。
特に男性のやかましい笑い声。
「どっ」と笑う時の音圧がすさまじいです。
女性の甲高いしゃべり声も耳につきますが男声の音圧はもっと破壊的です。
しかも男の笑い声には語り手への媚びへつらいが同時に感じられるのでよけいにいやーな気持ちにさせられます。
「大声での会話は控えましょう」が今のルールですが、「どっと笑うのは永久に禁止」でもいいと思っています。
(2021年3月15日)
(4)
ところでこんな映画があります。
2020年、本広克行監督の「ビューティフルドリーマー」です。
映画研究会の若者たちが「映画研究会なんだから映画でも作ってみよう」と立ち上がるお話です。
これがとってもチャーミングでいい映画なんです。
タイトルから分かるようにこれは1984年版「ビューティフル・ドリーマー」と深い関連のある映画です。
私はそれを知らずに2020年版を観て、面白かったので1984年版を観て、そしてもう一度2020年版を観ました。
1984年版を観たことのある人もない人も、その順番で観ることをお勧めします。
つまり2020年版を二度観ろということですが、その価値のある映画でした。
青春ものですが、ご安心ください。
誰も叫びませんから。
(2021年3月17日)
20世紀の映画67本目は1962年本多猪四郎(いしろう)監督の「キングコング対ゴジラ」です。
(1)
ゴジラが初めてスクリーンに登場して8年。
この作品ではゴジラはどちらかというと脇役に回り、さらに映画自体もお気楽なコメディになっています。
核爆弾の恐怖を忘れて高度成長に向けて浮かれている日本の雰囲気がそのまんまあらわれているといえるかもしれません。
これがなぜか高評価で、それでベスト333にもランクインしてるわけですが、今観ると全然面白くないです。
あんまりほめる要素がないのですが、ところどころに気合の入った特撮シーンはあります。
(2021年3月19日)
(2)
古い映画を観るときについつい「時代補正」をしてしまう自分がいます。
つまり純粋に「今観て面白いか」で判断しないで「当時としてはすごかったんだろうな」と甘めの点数をつけてしまうのです。
たとえば「ローマの休日」や「七人の侍」は今観ても率直に面白いです。
しかし「キートンの大列車追跡」や「丹下左膳餘話〜百萬兩の壺」は、面白いのは面白いのですが、「心の底から本当に面白いと思っているのか?」と詰め寄られると目を伏せてしまいそうです。
それに対して「素晴らしき哉、人生!」や「吸血鬼ノスフェラトゥ」などは分かりやすくて簡単です。
どんなに補正をかけてもさほど面白くないですから。
そういう意味では「キングコング対ゴジラ」も非常に分かりやすい映画です。
素直に、全然面白くないです。
心配なことがあって、
今年こういう映画が上映されます。
で、おそらく来年にはディスクが発売されるでしょう。
その時に「キングコング対ゴジラ」を間違って買う人がいるんじゃないか、そこが心配です。
いや案外、間違える人多そうですよ。
(2021年3月22日)
20世紀の映画68本目は1938年、ハワード・ホークス監督の「赤ちゃん教育」です。
クソ真面目な恐竜学者が金持ちのわがまま娘に振り回されるお話です。
出会ったばかりの不思議系美少女に主人公が振り回されるのは「涼宮ハルヒ」を始め、コミック、ラノベでは繰り返し描かれてきたパターンです。
最初の10分で「なるほどこれがその原点か」と感心させられます。
恐竜学者の振り回されぶりもなかなか面白いです。
……最初の10分までは。
その後彼女のわがままぶりはエスカレートします。
主人公を振り回すためのわがままになっていきます。
他人の車を勝手に乗り捨てたりします。それは犯罪ですよ。
これが何歳の美少女だったら許されるのかという議論は危険なので避けますが、この時のキャサリン・ヘプバーンは三十過ぎ。
画面ではもう十歳くらい上に見えます。
しかも主人公を含めて登場人物が全員〇〇(いささか思慮に欠けるという意味の二文字)というアウトレイジ状態。
後半はひたすら苦痛でした。
この映画を観るくらいなら「のだめカンタービレ」の最初の方を読み返した方が音楽の勉強にもなって、いいです。
そうそう、タイトルもひどいです。
「Bringing Up Baby」という原題なので邦題の責任ではありません。
「Baby」は出てきますが、どうしてこんなタイトルになるのかさーっぱり分かりません。
(2021年3月24日)
20世紀の映画69本目は1934年、フランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」です。
こちらのヒロインも世間知らずのお嬢様です。
相手役は「風と共に去りぬ」でレット・バトラーを演じた、ニヒルな笑みがかっこいいクラーク・ゲーブル。
彼が演じるのは新聞記者です。
世界的大富豪の令嬢と、しがない新聞記者のお話。
そう「ローマの休日」そっくりです。
こちらが34年で「ローマの休日」が53年。
「ローマの休日」の脚本家ダニエル・トランボは1947年、アメリカを吹き荒れた赤狩りのために映画界を追われました。
仕事を干されただけではなく投獄までされたトランボですが、その期間に、かつて観た映画を反芻して自分なりに練り上げ直していたのではないでしょうか。
出所後に偽名で書き上げたのが「ローマの休日」……、
……というのは私の勝手な想像ですが、「或る夜の出来事」が非常に魅力的なプロットながら突っ込みどころが多いのも確かです。
映画はヒロインが親と言い争って豪華客船から海に飛び込むシーンから始まります。
この言い争いの理由が設定上無理がありすぎます。
この設定でクラーク・ゲーブルと恋に落ちてはだめでしょ。
最終コーナーでかなり強引なつじつま合わせを仕掛けてはいますが、この設定がある限りはうまく着地しようがありません。
頑張っているし、実際そこそこ面白いです。
が、やっぱり残念な部類の映画だと思います。
ついでに題名もやっぱりもう一つ残念な感じです。
「It Happened One Night」
HappenもしてなければOne Nightでもありませんから。
(2021年3月26日)
20世紀の映画70本目は1939年、ヴィクター・フレミング監督の「オズの魔法使」です。
(1)
フレミング監督は同じ年に「風と共に去りぬ」も撮影しているんですね。
信じられないようなバイタリティです。
さてこちらの「オズ」は大ヒット児童小説の映画版です。
もともと人気のあった原作なのでそのまま映像化すればよさそうなものですが、ちょっとしたアレンジが加わってます。
(2021年3月29日)
(2)
原作ではドロシーの身の上が簡単に説明されてすぐに竜巻に飛ばされてしまいますが、映画では現実の生活がちょっと詳しく描かれます。
そこで登場する三人の雇人や意地悪な大地主がオズの世界での登場人物とリンクする仕掛けになっていて、これは素敵なアイデアです。
ただし、重大な問題も発生します。
やっとの思いで帰ってきた現実社会にはあの大地主がいます。飼い犬トトを目の敵にしている残酷なお婆さんです。
しかもおじさん、おばさんも全面的にドロシーの味方というわけではありません(地主といっしょにトトをかごに押し込もうとしていましたし)。
愛犬トトの殺処分?のピンチは何ら解消されていないのです。
ラストシーンで地主さんに「いろいろ意地悪してごめんなさいね」と謝らせてはどうでしょう。
そのあとおばさんがぼそっと「地主さんも竜巻で頭を打って人が変わったのよ」と言うのです。
(2021年3月31日)
(3)
この映画の真価は「人気児童小説の見事な映画化」ではなく、「モノクロパートとカラーパートの斬新な融合」でもなく、「超名曲『虹の彼方に』を含む名作ミュージカル」でもありません。
ひたすらジュディ・ガーランドです。
彼女が笑って、泣いて、歌って、踊って、それだけでこの映画は素晴らしいです。
さて2019年にこういう映画がありました。
ジュディはその後酒と薬に溺れて落ちぶれ、47歳の若さで亡くなってしまいます。
その最後の半年間を描いた作品です。
レネー・ゼルウィガーがぼろぼろになったジュディを演じています。
宣伝文句を信じるならば自身で歌も歌っているそうです。
ジュディの歌声はいっさい含まれていない、つまりあくまでもレネーの映画です。
が、一応、こういう映画もあります、ということで。
(2021年4月2日)