谷崎潤一郎全集あれこれ第6回

(24)

 

次に読むのは第18巻です。第13回配本で、読むのは11冊目です。

 

 

〇文章読本

論理的思考がそれほど得意でない谷崎によるハウツー本。

「文章読本」というよりは「文章雑感」みたいな印象で、あんまり面白くありません。

唯一興味深いのは過去の自作「蘆刈」を添削する部分くらいでしょうか。

(2017年4月17日)

 

(25)

 

〇聞書抄

「盲目物語」の姉妹編のような作品。

秀次は暴君ではあったが秀吉に歯向かう気はなかった。それにも関わらず理不尽な切腹に追い込まれた。

その不条理な仕打ちは秀次の切腹にとどまらず大勢の家臣や妻子たちにも悲劇をもたらした……というお話。

 

この物語が悲劇として成立する前提条件として、刀の試し切りで人々を殺すのはよくても、殿様に逆らうのはだめ、という価値観があって、そこに私はいやーな感じを覚えてしまいます。

お家のために、あるいはお国のために自分を犠牲にするという考え自体は、私も否定しません。

問題は、お国の、どの部分のために命を賭けるのか? という部分です。

日本の国土(領土ではなく、国土)は守りたいです。文化は守りたいです。日本語も守りたいです。

しかし保守的な人たちの主張を聞くと、どうも彼らが守りたいのは、政治家、因習、既得権益、選挙の支持母体のようです。

 

おっと、ここで一つ朗報が飛び込んできました。

(2017年4月19日)

 

(26)

 

「教育勅語を学校の教材として使うことを否定しない」と閣議で決まりました。

 

これは画期的な決定です。

つまり、その文章の成立背景や、時代に与えた影響、後世から評価などとは関係なく、断片的にでも正しい事が書かれていれば教材として使ってもいい、と政府がお墨付きを与えてくれたわけです。

九割が嘘で、不道徳で、反国的であっても、真実がほんのちょっとでも混じっていれば、教材として扱う事ができるのです。

 

十八歳で投票できるようになった際に、政府は偏向教育を問題視しました。

憲法や、憲法解説本などを教材として用いて「九条」について議論する事を危険視しました。

しかし偏向という点では、教育勅語以上にあっち向いている文書は他にありません。

教育勅語を使ってもいい、というのはすなわち、何を使ってもいい、という事です。

教育の場で何を使おうが、今後は政府は口出ししないという事です。

あるいは「教育勅語を読んで大笑いしようぜ」みたいな授業をおこなっても、国は文句を言わないという事です。

 

学校教育の場から一切の政治的縛りが取り払われた歴史的なターニングポイントと私は受け取りました。

これは朗報です……よね?

(2017年4月21日)

 

(27)

 

谷崎自身は、「春琴抄」「盲目物語」とあわせて「盲目三部作」と呼ぼうかなあ、と冗談っぽく語っていますが、三部作の中で一つ読むとすれば断然「春琴抄」です。

その上で「どうしてももう一つ読みたい」とおっしゃるなら「盲目物語」を、どうぞ。

 

〇猫と庄造と二人のおんな

名人がそこらへんの筆に適当に墨をつけてそこらへんの紙に適当に〇を書いただけなのに、これが何ともすごい、みたいな小説。

批評しようと身構えると手の中からすり抜けてしまうし、放っておこうと思うといつの間にか膝に乗ってるし、まさに猫みたいな小説。

お話としては、いろんなことにだらしのないダメなおっさんが(まだ三十前だけど)、猫が気になって気になって、阪神芦屋から芦屋川沿いに二号線まで北に上がって、業平橋を渡って西に向かって森市場、小路の停留所を越えて阪急の六甲登山口まで自転車で行くだけ。

そんな話が面白いんだから困ってしまいます。

(2017年4月24日)

 

(28)

 

少し予定を変更して第9巻を先に読みました。

本来なら第22回配本予定の巻です。

この巻は戯曲集です。

 

 

〇愛すればこそ

第一幕はいきなりぐだぐだなやり取りから始まります。

DV男から離れられない女性の悩み相談です。

周囲の人々は説得して何とか別れさせようとするのですが、女性は「でもでもだって」と煮え切りません。

戯曲としても無駄な台詞が多いし、先が思いやられます。

ところが第二幕以降、意外な展開を見せます。戯曲としても引き締まってきます。

第一幕を我慢すれば、それなりに面白いです。

(2017年5月10日)

 

(29)

 

〇永遠の偶像

美女とかしずく男性のペア、2.5組の洒落たコント。

 

発表後、上演が企画されたけれど警視庁の検閲室からストップがかかった、という話が同巻収載の「『永遠の偶像』の上演禁止」に詳しく書かれています。

検閲官と谷崎のやり取りは三谷幸喜の「笑の大学」を思わせます。

検閲官の無茶な要求に我慢強く対応する制作側。

検閲官に「あの脚本は面白くないからお止しになつたらどうですか」と言われたりもします。

最後には、上演させたくないという私の気持ちを汲み取って欲しい、と迫られます。今流行りの「忖度」ですね。

そこで谷崎は、それならはっきり禁止しろ! と切れてしまいます。

 

戯曲そのものよりも裏話の方が興味深かったりするのですが、検閲官の「面白くない」と言葉が引っかかって、もう一度読んでみました。

冒頭セミヌードの女性が登場して、男性主人公によって女性美の魅力が語られます。

その後いろいろあって、後半は女にめろめろの男二人の会話となります。

文字で読む分には十分に楽しいのですが、これを実演で見たとしたらどうでしょう。

セミヌードの女性はやがて服を着て、しばらくして退場。

そのあとは男二人の会話が続きます。

視覚的に刺激的なのは冒頭だけ。

まるで「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」です。

「面白くない」という感想は案外当たってたりして、などと思ってしまいました。

(2017年5月12日)

 

(30)

 

〇彼女の夫

駄目な女にすがりつく駄目な男、そこに捨てられた妻がやってくる、というお話です。

未練がましい女の相手なんかしたくない駄目男は逃げ回りますが、妻が来たのは大切な要件を伝えるためでした。

谷崎の戯曲って一つ一つの台詞が長くないですか?

 

〇或る調書の一節

これも駄目男の話です。

男は殺人、強姦、強盗までやらかしているので「駄目」というレベルをはるかに超えていますが。

男には、すさまじいDVにも関わらず寄り添ってくれる妻がいました。

 

〇お国と五平

これは駄目人間が出てこないので、精神的に読みやすいです。

夫を殺した友之丞を追って仇討の旅を続けるお国と、付き添いの五平。

しかし友之丞は意外なところにいました。

(2017年5月15日)

 

(31)

 

〇本牧夜話

本牧を舞台としたバタ臭い恋愛サスペンス。

本牧は谷崎お気に入りの地ですし、谷崎が大好きな白人女性も登場します。

どろどろした恋愛模様も谷崎の得意とするところ。

でも、できあがったものは谷崎らしくない、ガスの抜けた炭酸水みたいな代物でした。

 

〇白狐の湯

これぞ谷崎風のエロティック幻想譚!

と思いましたが、谷崎は、実はこういうジャンルの作品はあんまり書いていません。

この作品の最大の功績は、本牧や神戸よりも、山奥の温泉宿でこそ白人女性の肌はよく映える、という事を実証した点だと思います。

谷崎自身がそれに気づいたかどうかは疑問ですが。

 

〇愛なき人々

これも駄目な男のお話です。

この巻は駄目男濃度が高いです。

読み比べてみると、駄目男が駄目なまま愚図愚図する話だとまあまあ面白い、人殺しまで至ってしまうとあんまり面白くない、そんな印象です。

 

〇藝術一家言

あとはエッセイがいくつか。

先にちょっと触れた「『永遠の偶像』の上演禁止」なども収められています。

興味深いのは「藝術一家言」。谷崎はここで漱石の「明暗」をけなしまくります。

漱石が嫌いなのは日本で私だけかと思っていたので非常に面白かったです。

(2017年5月17日)

 


谷崎潤一郎全集あれこれ第5回

(15)

第9回配本は第14巻です。



○青塚氏の話
谷崎の好きそうな「女体フェチ」「映画」「人形」「スカトロ趣味」をごった煮にしたような作品。
「不気味の谷」という言葉を知ってしまった今、今後「人間そっくりの人形」という言葉に幻惑されることはない……、そう思っていました。

しかし谷崎的小道具で飾れば「不気味の谷」が別の意味で活きるのかも、なーんて思いました。
すみません、幼稚な感想で。
(2016年8月1日)

(16)

○蓼喰ふ虫
愚図で優柔不断な男が主人公。
またか、と思いながらいやいや読み始めましたが、これが案外面白いです。
何が面白いのかよく分からないのが困ったところですが、この時期には何となく分かることも、あって。

大昔の話ですが、夏休み終盤やテスト前、宿題や試験勉強をしないといけないのは分かっているのについつい他のことをしてしまう自分がいました。
普段なら全く興味のないことが突然面白くなってそれに熱中してしまうのです。
買ったまま長らく放置していた小説が急に読みたくなったり、突然無性にレコードリストが作りたくなったり。
で、試験が終わってしまうとその情熱はたちまちしぼんでしまうのです。

この小説の主人公は今、離婚問題で決断を迫られています。
もともと決断力がないのにこれ以上は決断を引き延ばせません。
このタイミングでなぜか、主人公にはいろいろなものが突然色鮮やかに見え始めます。
以前は退屈にしか思えなかった浄瑠璃が面白く思えたり、古臭いとしか思えなかった風流な遊びが楽しく思えたりします。

小説は何の兆しもなくぶつりと終わります。
どうしてこの終わり方なんだろうと以前は思いましたが、きっとこのラストシーンが主人公にとっていろいろなものがまぶしく見える最後の瞬間なのでしょう。明日にはすべてのことが色あせて見えることでしょう。

夏休みの宿題に追われているみなさん、宿題から逃げたくなったら「蓼食ふ虫」を読んでみてください。
さあ、どう感じるでしょうか?
(2016年8月3日)

(17)

○顕現
文殊丸は生まれてすぐ偉いお坊さんから予言を授かった。
この子には前世から契られた女性がいる。
彼女と会わなければ立派なお坊さんになれるだろうが、彼女と会ってしまえば煩悩に苛まれ闇に堕ちるであろう、と。
だから彼はその女性と出会わないように生きていかなくてはならない……。

むちゃくちゃ面白そうじゃないですか。
ところがこれが未完。

○ドリス
ドリスという美猫のお話。ネコの話で終わるのかそれとも人間の美女の話に展開するのかと思っていると、未完。

○カストロの尼
スタンダールの小説の翻訳。これも未完。

○藝術の一種として見たる殺人に就いて
トマス・ド・クインシー(谷崎は「デ・クインジー」と表記)のブラックユーモア・エッセイの翻訳。当然未完。

この記事を読むときのBGMはこれでお願いします。

(2016年8月5日)

(18)

○三人法師
御伽草子からの脚色翻案。二十ページの小篇だけにさすがに完結。

○エッセイ「現代婦人の服装」「東西味くらべ」「食味漫談」「岡本にて」「関西の女を語る」「カフエー対お茶屋 女給対藝者」「料理の古典趣味」などなど
女性論やグルメエッセイの数々。
女性論では特に目新しい考えはなく、グルメでは個別の店名などは登場せず、「岡本にて」にもこのあたりの地名がどんどん登場するわけでもない。
ただ「人に揮毫を所望されることが多く、(中略)苦しまぎれに短冊を汚すことにした」といくつか歌を並べてあって、その一つがこれです。

岡本の里は住みよしあしや潟海をみつつも年を経にけり

(2016年8月8日)

(19)

第10回配本は第15巻です。

 

この巻のメインは「乱菊物語」です。

これも未完です。

谷崎は未完率が高い作家です。
しかし「未完王」は決してネガティヴな称号ではありません。
書き終えられるかどうかも分からない、いつ休載するかもしれない、いつ雑誌に穴が開くかも分からない、それにも関わらず執筆オファーが相次いだということです。
それだけ人気があったのでしょう。
野球選手で言えば三振王や併殺王みたいなもので、一流選手にしか手にできないある意味ポジティヴな称号だと思います。

しかしそれはあくまでも、出版社経営にとって、であって、読者にとっては迷惑な話です。
読み手にとっては、どんなにつかみが面白かろうと、途中どんなにわくわくしようが未完であればクズです。
どんな偉い評論家が褒めようが、どんな書評家が心酔しようがクズはクズです。

これから「乱菊物語」を読む人が、まずこのコラムを目にしてくれますように。
「乱菊物語」は、クズ、です。
(2016年8月29日)

(20)

○乱菊物語
さて、そのクズの「乱菊物語」ですが、遊女陽炎(かげろう)が海外の珍宝を欲しがるところから始まります。
このプロットが軸になるのかと思いきや、いろんなストーリーやいろんな登場人物が入り乱れて、どんどん収拾がつかなくなって中断するべくして中断したという感じです。
庵野監督とか「そこまで大風呂敷を広げて伏線貼りまくったら収集つかなくなるよ」とアドバイスしてあげればよかったのに。

しかしこの「乱菊物語」の最大の失敗点は、誰も指摘しませんが、ヒロインたる陽炎のキャラクター設定が全然うまくいっていないところです。

谷崎が陽炎に惚れ込んでいれば多少の齟齬など強引に乗り越えられたと思うのです。
ところが谷崎にとって陽炎はそこまでの存在ではなかったようです。
(2016年8月31日)

(21)

○吉野葛
てっきり随筆だと思って読みました。
谷崎の評論、随筆は小説に比べると格段に劣ります。
ところがこれは案外いいです。
描写が瑞々しいからだろうか、理屈っぽくないからだろうか、ある程度物語性があるからだろうか。
いろいろ考えましたが理由は単純でした。
これはちゃんとした小説なのでした。
ジャンル分けとかレッテル貼りは苦手ですが、「読めば読むほどこれはいい小説だなあ」と感じている自分がいます。
(2016年9月2日)

(22)

○盲目物語
書かれたのは「春琴抄」の二年前だそうです。
「春琴抄」では語り手は第三者で、語られるのは佐助と盲目の美少女春琴。
一方「盲目物語」の語り手は弥市という盲目の按摩師。語られるのはお市の方。

一見相似形のようですが、読み進めていくうちに感じる「盲目物語」の決定的なもどかしさ。

按摩師だからこそ感じられるお市の方の魅力ももちろん描かれます。
最後に意外なところで活躍する按摩師ならではの秘密兵器もあります。
物語としてもよくまとまっているし、谷崎らしい行き当たりばったりなところもない。

でも、と言うか、それだからこそ、「主人公が盲目であるという設定のあざとさ」が感じられて仕方がありません。
この設定が芸術に昇華するのに必要だったのが、このあとの二年間だったような気がします。
(2016年9月5日)

(23)

全26巻で、今回読むのは10冊目。
先はまだまだ長いです。

谷崎潤一郎全集第21巻(第12回配本)

 
〇少将滋幹の母
話が自由自在に飛ぶように見えて、つまり読んでいる方はどこに着地するのか分からず、それから特に谷崎の場合、果たしてちゃんと完結するのかどうかハラハラしながら読むことになるのですが、これはちゃんと終わります。
しかもかなり見事な着地。

ただ、途中ものすごくエグいところがあって。
仕事柄こういう描写に耐性があると自分では思っていたのに、電車の中でひえーっと叫んで本を閉じてしまいました。
そして何ページか先まですっ飛ばかして読み続けたのですが、あとで人に訊いてみると、あれはニセモノだったそうです。
読んでいない人は何のことか分からないですよね。
でも、分からない方がいいと思います。
(2016年11月30日)
 


谷崎潤一郎全集あれこれ第4回

(10)

第6回配本は第11巻です。

 

 

○神と人との間
小説冒頭から漂う「行き当たりばったり」感。
語り手が毒を盛って葬ったのは添田ではなくこの小説そのものだった、と言いたいくらいです。

 

○痴人の愛
これも同じく振り回される主人公。
ただし「神と人の間」の穂積が何に振り回されているのかもう一つよく分からないのに対して、こちらはとことんナオミ。
このナオミが魅力的かどうかはさておき、この作品で「ナオミ」が一つの代名詞になったのは間違いありません。
「どんなに好きになっても溺れてはいけない」と「どうせなら溺れるほどの恋愛をしてみたい」が必ずしも対義語ではないと感じる今日この頃。
(2016年2月24日)

 

(11)

 

その他にエッセイがいくつか収載されています。
そこから神戸の飲食店が登場する部分を。

 

○上方の食ひもの
神戸の三輪は有名なばかりで決して「おきな」ほど旨くはない。それに三輪では豆腐や白滝を持つて来ない。「牛鍋の味がうすくなるから」と云うのだが、それほど旨い肉でもないのに、有名なのをいゝ事にして見識ぶつていゐるのである。こんなのは生意気で面が憎い。
その外日本料理では奈良の月日亭、京都の伊勢長、支那料理では神戸の南京町にある第一楼などであるが、先づ此のくらゐにしておかう。

 

○洋食の話
此の間独逸から帰って来た土方君に六甲ホテルで会つたら「近頃の独逸の料理に比べると、此のホテルの方がまだ優しですよ」と云ふことだつたが、恐らくそれが本当なのだろう。
京都にも大坂にも洋食らしい洋食は殆んどない。堂々たるホテルの料理でも、東京の一品洋食よりまづいのが多い。少しキタナイ喩へだが、まるでゲロのやうにまづまづしいのがある。神戸でさへも横浜よりは劣ってゐる。

 

* * * * * *

 

今から80年前の話ですのでご注意ください。

(2016年2月26日)

 

(12)

 

第7回配本の第4巻です。

 

 

○鬼の面
行き当たりばったりで始まり行き当たりばったりで進む物語。
行き当たりばったりの主人公を描くのにはちょうどいいのかもしれませんが。
谷崎の自伝的な側面もあるらしいですが、それを知ったから突然面白くなるわけでもなく。

 

○人魚の嘆き、魔術師、鶯姫
ほどよい幻想趣味と磨き上げられた語彙。
ストーリーをもっともっと磨き上げてくれれば傑作群の仲間入りできたのに。

 

○異端者の悲しみ
これも自伝的作品。こちらは「鬼の面」に比べると行き当たりばっかり感が少ないです。
主人公は行き当たりばっかりですが。
(2016年5月25日)

 

(13)


続いて第8回配本の第6巻です。

 

 

○小さな王国、少年の脅迫
マゾヒスト谷崎がかしずきたいのは美女ばかりではない、というお話。

 

○魚の李太白
谷崎っぽくない、可愛らしい小品。この巻の中では一番きれいにまとまってるかも。

 

○柳湯の事件、呪われた戯曲
これまでのミステリ小説よりはずいぶんよく出来ています。

 

○富美子の足
これぞ谷崎。
(2016年5月27日)

 

(14)

 

この巻を読んでいやでも気づかされるのは翻訳小説の出来の悪さです。

芥川との共同訳(?)「クラリモンド」は冗長でぱっとしないし、「アツシヤア家の覆滅」は途中で放り出されてしまいます。

ワイルドの「ウヰンダミーヤ夫人の扇」では、実は自分はワイルド党ではない、と但し書きを付けた上でこんなことを書いています。

 

此の戯曲には割り合ひに俗悪な分子が少く、腰のうはついた所がなく、しんみりした、品のいゝ、落ち着きのある喜劇だと云ふ感じがする

 

谷崎はワイルドの中ではこの作品がお気に入りだったようです。
しかし読んでみると話はいい加減だし、リアリティもへったくれもないし、まあひどいもんです。
やっぱり普通に有名な作品の方がはるかによくできています。
(2016年5月30日)


谷崎潤一郎全集あれこれ第3回

(5)

 

海外の長篇小説シリーズも残り20作を切りました。

​こうなってくるとどうしても考えてしまうのが「自分なりのベスト10」です。

文句なくベスト10入り間違いなしの作品もあれば、好きではないけれども気になって気になって仕方がない作品もあったりして、悩みながらも楽しい作業です。

 

そんな時にとんでもない作品に出くわしました。

「春琴抄」です。
 
あらすじだけは知っていて、自分でもすっかり読んだ気になっていましたが、実際に読むのは初めてでした。

そうしたら何と! あまりにも完璧な小説世界。

これまでに読んできた海外の長篇の80冊を足したよりもさらに深く、さらに高い感動!
ぎりぎりまで削ぎ落とされて、ぎりぎりまで研ぎ澄まされた描写。
こんな小説が存在しうるなんて。(2016年1月8日)

 

(6)

 

「春琴抄」が収められているのが第5回配本の全集第17巻です。

 

 

○蘆刈​
謎めいた男が語る、美女お遊と彼女に魅せられた男女の不思議な恋愛譚。

 

○陰翳礼讃
暗がりにこそ映える美がある、と。
​谷崎のエッセイにしてはちゃんとしています。

 

○文房具漫談
​原稿用紙とか筆記用具とか、潤一郎ファンなのでありがたく読みますが、まあ、どうでもいい話。

 
○東京をおもふ
果てしなく続く東京の悪口。

最後には「いろいろ言ったけど本当は東京が好きで……」みたいなオチになるのかと思いきや、最後の最後までとことん悪口。

このしつこさはかえってあっぱれ。
 
概して潤一郎のエッセイは退屈です。

でもこの人が「春琴抄」を書いたのですから不思議です。(2016年1月13日)

 

(7)

 

それにしても「春琴抄」の浄化された世界を一体どのように表現すればいいいでしょう。

​私の乏しい語彙と拙い文章力で表現するのはとっととあきらめて、他の人たちの感想をWEBでいろいろ探してみました。
​びっくりしたことがあります、「春琴抄」には二つの謎があるという説があるのです。
 
春琴の子どもの親は誰か? という謎と、春琴に熱湯をかけたのは誰か? という謎です。

一つ目の謎は、小説の最後ではっきり説明されているので厳密には「謎」ではありません。

しかし子どもが生まれる場面は確かに謎めいた書き方がなされています。

どうしてこんな書き方をするのか? そもそもこの懐妊に物語的意味があるのか? ということも含めると十分「謎」かもしれません。

二つ目についてはこれは明らかに作者によって「謎」として提示されています。

谷崎は探偵小説に興味がある作家でした。

その彼が「謎」を提示した以上、それは解かれるべき「謎」であると解釈するのは当然かもしれません。

しかし私にはその発想は思い浮かびませんでした。
普段から「ミステリ的要素を重視する!」と偉そうに言っておきながらこの謎には全然反応しなかったわけです。

(2016年1月15日)

 

(8)

 

自分の鈍感さには呆れ返ってしまいます。

 

​しかし、しかし、あくまでも言い訳ですが、謎の中には作者自身がどうでもいいと思っているものもあります。​

コーネル・ウールリッチの「喪服のランデヴー」は大好きなミステリですが、犯人がどうやって被害者に接近してどうやって犯行に及んだか、についてはあまり詳しく描写されません。
書き手も読み手もそんなことはどうでもいいのです。

 

小説ではありませんがフランソワ・オゾン監督の映画もミステリアスな雰囲気が特徴です。
が、ミステリアスな雰囲気だけ満載しておいて、謎を解決する気はいっさいありません。
あ、わざわざフランス映画を引き合いに出さなくてももっと身近に典型的な例がありました。
「エヴァンゲリオン」。
これなんか謎を解決するどころか物語という枠組みさえ存続が危ぶまれる状況で、おっと「エヴァンゲリオン」が出てくると話が途方もなく脱線してしまうのでこの辺でやめておきましょう。
 
「春琴抄」の場合、作者自身によって容疑者が何人か挙げられています。
エラリー・クイーンならここで「読者への挑戦状」が差し挟まれるところです。
「さあ、真犯人は誰でしょうか?」という風な。
 
でも私は挑戦状とは正反対のものとして受け取りました。
「この件についてはもうこれ以上考えなくてもいいんですよ」
いわば打ち切り宣言。(2016年1月18日)

 

(9)

 

面白いと思うのは、春琴に熱湯をかけたのは誰か? という謎に対して「春琴狂言説」や「佐助犯人説」を主張する人がいることです。

それでは究極の純愛が台無しになるように私には思えます。
しかし「狂言の方が純愛度が高まる」と言われれば、それに対する論理的な反論も思い浮かびません。
「春琴抄」という物語がそういう説を許容しないように思える、という頼りない主観でしか抗弁できない自分がいます。

しかもこういう議論の際にややこしいのは、作者の考えが必ずしも正しくはない、という点です。
仮に新発見の谷崎書簡の中で「誰が犯人かなんてどうでもええじゃろ」と書かれていたとしても、逆に「あれは実は佐助がやったんじゃ」と書かれていたとしても、それによって解釈が変わることはないと思います。

右脳で書かれた小説と左脳で書かれたエッセイの質が、谷崎の場合極端に違っていて、私には谷崎の左脳では自分の作品が理解できないように思えるのです。
(2016年1月20日)


谷崎潤一郎全集あれこれ第2回

(3)

全集の第2回、第3回配本は「細雪」。
これは最後に読みたいので後回しにして、2冊目に読むのは第4回配本の第13巻です。

○潤一郎犯罪小説集
潤一郎がミステリに興味があったとは意外です。
残念なことに、興味はあっても才能はなかったようですが。

○卍(まんじ)
中学生の頃、エッチな描写を期待して手に取ったものの、難しくて数ページで放り出した記憶があります。
今読むと、細かく描写される阪神間の風景が愉しいです。

今とはずいぶん異なる神戸弁も。
(2015年11月18日)

(4)

谷崎潤一郎全集の予約特典の「自筆原稿レプリカ」が届きました。


万年筆かと思ったら筆書きなんだそうです。
訂正部分の元の文字が見られないように消すには筆が一番便利なのだと、第17巻収載の「文房具漫談」に書いてありました。
(2015年12月25日)
 


谷崎潤一郎全集あれこれ第1回

(1)

個人の作家の全集と言ってもいろいろなレベルがあります。

全集と銘打ちながら実質「名作集」レベルのものもあれば、自筆原稿まで校合しての「本格的全集」もあります。
ですので作家ごとの全集の数を単純に比較することはできないのですが、それでも谷崎は間違いなく「全集がもっとも数多く出版された作家の一人」だと思います。
それがまたまた新全集の発刊です。



これで谷崎はついに「もっとも多く全集が出版された作家」に躍り出たかもしれません。

ただ、全集と言っても全ての文章が収められているわけではないようです。
たとえば「源氏物語」訳は収められていません。

それはすごく残念です!

というのは嘘です。
さすがに名訳とはいえ「源氏物語」現代語訳を3回読む元気はありませんから。
その線引きを考えると今回の作品選択は順当なところかもしれません。
(2015年8月12日)

(2)

というわけで5月発売の全集第1巻の内容です。

○刺青
処女作品集。
その最初の「刺青」は鮮烈なデビュー作であると同時に谷崎の代表作の一つでもあります。
次に谷崎らしいのは「少年」でしょうか。
この2作に比べると「秘密」は少し頭でっかち。

○羹(あつもの)
未完の青春もの。

○悪魔
エログロ耐性があると思っていた私でも途中「うげえ」となった「悪魔」とか、全然面白くない旅エッセイ「朱雀日記」とか。

○その他単行本未収作品など
(2015年8月19日)


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