潤一郎全集あれこれ第12回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第8巻

(75)

 

第21回配本は第8巻、読むのは20冊目です。

 

 

まず収められているのが「鮫人(こうじん)」という長編です。

 

主人公は、仕事もせず友人たちから金を借りまくってその場しのぎの生活を送っているダメ人間です。

谷崎の小説にはよく出てくるタイプです。

ここに友人の一人が現れて何やら主人公と芸術論を戦わせます。

そのあと浅草の劇団の話になり、さらには上海にまで舞台は飛び、次に劇団の美少女の秘密が描かれ、話は大きく、謎は深く、伏線は多く、期待は高く……なったところで中断します。

 

この未完の小説はしかし「鮫人(前篇)」として出版されたらしいです。

出版された時点では谷崎は続編を書く気満々だったので出版社が悪いわけではありませんが、読者からしてみれば詐欺みたいな話です。

 

(2019年3月1日)

 

(76)

 

未完ですので「あらすじ」はありません。ほっ。

 

その代わりに「鮫人」の続編について谷崎が書いた文章がありますので、一部書き写しておきましょう。

 

***

 

中央公論の読者諸君!

私は今月も亦「鮫人」の原稿を休まなければならなくなった。

就いては此れまでにも度び度び心にもない言訳をし、心にもない違約をして、私自身としても甚だ不愉快な訳であるから、此の機会に於いて一応私の立場を明かにし、今後二度と再び言訳をする必要がないようにして置こうと思う。

 

(中略)

 

茲に於いて、私は改めて読者諸君にお断りをしたい。

私は私の作物を愛読して下さる諸君に対しては、飽く迄感謝しては居るけれども、しかし私は読者諸君の為にのみ作物を書くのではない。

私に限らず、作者は常に必ずしも読者の御機嫌取りではない。

そんな事は今更云うまでもない話ではあるが、諸君が若し真に作者を愛し、その作物を愛して下さるなら、たとえ一年が二年かかっても作者をして成るべく立派な物を書かせたいと云う寛容があってもいいものと思う。

 

(中略)

 

いずれにしても、今度私は読者に対して発表の時期に関する御約束は一切しない事にする。

私は全く自由な立ち場に立って気楽に書いて行こうと思って居る。

度び度び言訳をするのも嫌であるから、事情を明らかにして、予め諸君の御諒恕を乞う次第である。

 

***

 

うーん、休載のお知らせなのに無茶苦茶偉そうです。

 

こんな文章を書く暇があるならついでに「鮫人」の言葉の意味を説明しておいてほしかったです。

結局ほんぶんちゅうには「鮫人」という言葉は登場しないのです。

 

(2019年3月4日)

 

(77)

 

〇AとBの話

 

何とも後味の悪い話です。

そもそも全然面白くないです。

谷崎の私生活と絡めて解釈する人もいると思いますが、だからといってそれでつまらなさがどうにかなるわけではありません。

 

作家のAとBは従兄弟同士だった。「悪の芸術家」を嘯(うそぶ)くBは最初こそ注目されたがやがて世間から忘れられた。AはそんなBを助ける。悪の呪縛から解き放たれればBは改悛すると信じていたからだった。AはBの理不尽な要求に応えた。誰にも内緒で自分の作品をBに譲り渡し、Bの全集も自分で編纂した。死の瞬間になってついにBは敗北を認めた。その時にはAの才能は涸れてしまっていた。勝ったのはAとBどちらだったのだろうか。

 

(2019年3月6日)

 

(78)

 

〇私

 

ちなみにこの作品が発表されたのが1921年、クリスティの「アクロイド殺し」が1926年です。

 

学生寮で盗難事件が相次いだ。多くの寮生、特に以前から仲が悪かった平田は私を疑っていた。樋口と中村は私を信じて、平田と喧嘩までしてくれた。自分のために平田と喧嘩なんてしてくれるな、平田の偉いことは誰よりも自分が知っているから、私はそう中村に言った。私と中村は友情の温かさに感動して泣いた。ある日犯人が捕まった。犯人は私だった。私は呆れる中村たちに言ってやった。盗人を友達にしたのは君達の不明のせいだと。

 

(2019年3月8日)

 

(79)

 

〇途上

 

歩きながらの会話だけで過去の殺人計画が明らかになるという気の利いた短編です。

現代の読者からすると確たる証拠が提示されないのでもどかしいかもしれません。

谷崎自身は犯罪小説としては「途上」よりも「私」の方が気に入ってたようです。

 

湯河勝太郎は帰宅途上安藤という私立探偵に話しかけられた。安藤は半年ほど前にチブスで死んだ湯川の妻筆子について調べていた。安藤は湯河が妻に煙草と冷水浴を勧め、生水と生ものばかり与えたことを知っていた。部屋のガスストーブの栓が緩んで筆子が窒息しかけたことも知っていた。筆子を連れてチブス患者の見舞いに行ったことも知っていた。今夜自分の事務所で筆子の父が湯河を待っていると安藤は言った。湯河は恐怖で震えた。

 

(2019年3月11日)

 

(80)

 

〇不幸な母の話

 

元気だった母が旅のあと急に変わってしまった。ふさぎ込みやせ衰えて最後は消えるように死んだ。そのあと兄も自殺した。兄の遺言によると旅の途中、母と兄と兄嫁が乗っていた艀(はしけ)が転覆したらしい。兄はすがりついてきた何者かを蹴とばして兄嫁を助けた。その後の様子を見て自分が蹴ったのが母だったと兄は気づいた。自分のおこないを後悔はしない。しかし自分が死ななければ母は喜んでくれないだろう、兄は遺言状にそう書いていた。

 

(2019年3月15日)

 

(81)

 

〇検閲官

 

第9巻の「『永遠の偶像』の上演禁止」で描かれた検閲官とのやりとりを小説にしたものです。

作中の「初恋」は第2巻の「恋を知る頃」のことですね。

確かにこのラストを変えると台無しです。

 

作家のKは検閲官に呼ばれた。Kが書いた「初恋」を上演するにあたって、観客に劣情を催させる部分を修正して欲しいという用件だった。検閲官はいくつかの修正点を提示してKは不満を示しつつも最終的には同意した。最後に検閲官は物語の結末部分も変えるように要求した。さすがにそれは受け入れられなかった。修正など求めずにいっそのこと禁止してくれと言った。検閲官はあくまでも忖度を求めた。Kはそういう彼を軽蔑した。

 

(2019年3月15日)

 

(82)

 

〇鶴唳(かくれい)

 

これはとてもきれいな作品です。

最初の方で出てくる「アンフィセアタ」とは円形劇場のことだそうです。

 

海を望む別荘地の一角に支那風の屋敷があった。支那趣味にはまった屋敷の主人靖之助が建てたものだった。男は支那から連れてきた女性と鶴だけを愛し、家族を一切近づけなかった。娘が支那の女から言葉を学び、支那の服を着るようになると少女は庭で鶴と戯れることを許された。ある日少女は「お母さんの敵」と叫んで女の喉を短刀で刺した。纏足の女は鶴のようにちょこちょこ走り、鶴の鳴き声そっくりの悲鳴を上げて死んだという。

 

(2019年3月18日)

 

(83)

 

〇月の囁き

 

映画の台本をみずからノベライズしたものです。

絵的に美しい場面も多いですが結局映画化はされなかったようです。

 

章吉は塩原の宿で不思議な女を見た。月の光の下で女は黄金の首飾りを恍惚と見つめていた。女は山内家の養女綾子だった。綾子には許嫁がいたが山内に結婚を許されず心中を図り、許嫁の輝雄だけが死んだ。輝雄の頚を絞めたのがその首飾りだった。章吉は綾子が忘れられず山内家を訪ねた。綾子には章吉が輝雄に重なって見えた。二人は心中を図り、章吉は死に綾子もすぐに狂死した。綾子を見守っていた実の父親も悲しみのために死んだ。

 

(2019年3月20日)

 

(84)

 

「月の囁き」のあらすじを書いていてふと思い出しました。

喜国雅彦のコミックを映像化した「月光の囁き」という映画があります。

 

 

これが谷崎テイストを醸し出した名作だという(ごく一部の)噂があったので、この機会に観てみました。

 

確かに谷崎です。

マゾ、フェチなどいかにも谷崎っぽい倒錯的場面の数々が描かれ、でも最後には「春琴抄」を思わせる澄み切ったラストに至ります。

 

少なくとも昨年観た「TANIZAKI TRIBUTE」の3本よりは谷崎の本質に迫った映画だったと思いました。

 

(2019年3月22日)

 

(85)

 

〇蘇東坡(そとうば)

 

谷崎らしくないからっと明るい短篇です。

蘇東坡は11世紀中国の政治家にして詩人です。

通判とは知事のような裁判官のような役職、落籍というのは芸者が足を洗うことのようです。

 

蘇東坡は杭州府の通判だった。人情に篤く、落籍を望む芸者には希望をかなえる判決を詠み込んだ歌を送った。冷夏のため商品が売れず困っていた扇子売りには扇子に歌を書いて高値で売らせた。ある日東坡は嘆きの歌を吟ずる女と出会った。女は相思相愛の男性との別離を悲しんでいた。その相手とは蘇東坡が都への栄転を命じた部下の毛沢民だった。東坡は沢民の本心に気づけなかったことを女に詫び、沢民を呼び戻すために使者を送った。

 

(2019年3月25日)

 

(86)

 

〇アマチュア倶楽部

 

これも映画の脚本です。

ただしどこまで谷崎の手が入っているかはよく分かりません。

「原作は確かに自分のものではあるが、監督のトーマス栗原が撮影用台本に書き改めたものであるから、自分の作品として全集には収めがたい」という文章が残っています。

 

ですがせっかくなのであらすじをつけてあげました(またまた謎の上から目線)。

 

千鶴子と繁はある日海辺で出会ってお互い好意を抱いた。その日千鶴子の家に泥棒が入った。千鶴子は蔵にあった鎧を着て泥棒を追いかけ、父親も娘のあとを追った。繁は父親が留守の隙に屋敷で演芸大会を開いた。繁は鎧姿の侍の役だった。突然父親が帰ってきて激怒した。繁たちは衣裳のまま逃げ出す。海辺を仮装の一団が駆け回った。繁の父親が息子を捕まえたと思ったら千鶴子だった。千鶴子の父親が娘を捕まえたと思ったら繁だった。

 

(2019年3月27日)


潤一郎全集あれこれ第11回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第2巻

(谷崎潤一郎全集あれこれ 65〜74)

 

第20回配本は第2巻、読むのは19冊目です。

 

 

〇恋を知る頃

 

谷崎はいろいろマゾヒズム小説を書きましたが、これはその中でも究極のマゾヒズムを描いた作品です。

「究極」は往々にして観念的にすぎることがあって、この作品も「左脳で書いた」ような印象があります。

 

伸太郎は恋をした。おきんは伸太郎の父親下総屋三右衛門の妾の子だった。伸太郎はおきんに恋をした。おきんは三右衛門に取り入って女中として本家に入り込んだ。伸太郎は恋をした。おきんは出入りの使用人利三郎と結託して下総屋を乗っ取ろうと企んだ。伸太郎は恋をした。おきんと利三郎は信太郎を殺害する計画を立てた。伸太郎はその計画を盗み聞きしていた。おきんは伸太郎をおびき出した。伸太郎のおきんへの恋は成就した。

 

(2018年8月22日)

 

〇誕生

 

初めて読んだ時には何のことやらさっぱり分かりませんでした。

「このプロットのどこに小説になる要素があるんだ?」

今回あらすじ作りのために系図などを見ながら読み直してみると、それなりに感慨深いお話でした。

「紫式部日記」にインスパイアされた「藤原家の凋落ビギニング」みたいなものとでも言いましょうか。

 

菅原道長は僧正の受戒の詞を聞いてかたじけなさに涙した。一条天皇のもとに入内した娘の彰子が初産を迎えていた。兄たちを病で亡くし、政敵を太宰府に追いやり、世の栄華を独占する道長だったが今、娘の彰子が彼らの悪霊に苦しめられていた。のちに摂政、皇后となる幼い兄弟たちも心配そうに産屋を見守っていた。呪詛の叫びと祈祷の声で騒然となる中、僧正の詞が効を成したか彰子は無事に男児を産んだ。のちの後一条天皇だった。

 

(2018年8月24日)

 

〇あくび

 

誰がどう考えてもタイトルのつけ方がおかしいです。

 

悪友たちの話をしよう。杉浦の女義太夫熱が仲間にも伝染した話。通学ですれ違うだけの女学生に告白された話。彫刻「秋」の話。それを手に入れた生徒の正体を熊谷が推理する話。梅毒の話。髭の借金取りの話。村田が李のジャムで一攫千金を企む話。堀内が馬に舐められた話。借金取りから逃げるために投宿した売春宿でぼったくられた話。いろいろあったがみんな命だけは取り留めている。遊び抜いてくたびれたあとのあくびのような話。

 

(2018年8月27日)

 

〇恐怖

 

「悪魔」でも語られた「鉄道恐怖症」のお話です。

主人公は京都に住んでいます。

徴兵検査の期限が迫っているのに、汽車が怖くて東京に帰ることができません。

仕方がないので阪神電車沿線の検査場に行くことにしました。

汽車はだめでも電車なら乗れそうな気がしたのです。

きっとチンチン電車みたいなのを想像していのでしょうね。

まず京都から電車に乗って大阪に行こうというところから小説は始まります。

 

ちなみに検査場は今津にあったようです。

 

私は鉄道恐怖症だった。汽笛が鳴って車輪が動き出しただけで頭蓋骨が破裂しそうになった。ある日徴兵検査場に電車で行くことになった。電車なら大丈夫かと思ったら停留所に着いた電車は想像よりも巨大だった。私は電車に乗ることができなかった。ウイスキーの力を借りてもだめだった。たまたまやってきた知り合いと一緒に私は思いきって電車に乗った。電車が動き出した。「ひょっとしたら大阪へ着けるかもしれない」私は思った。

 

(2018年8月29日)

 

〇憎念

 

谷崎には珍しくS側のお話です。

慣れないことはするものではなくって、ラストの「この性癖は性欲の発動にともない女性に対して用いられるようになっていった」なんて「取ってつけた感」満載です。

 

私が「憎しみ」の感情を初めて経験したのは七八歳の頃でした。家に安太郎という十二三の奉公人がいました。ある日彼は生意気なことを言って手代の善兵衛に殴られました。哀れに歪んだ容貌と苦しげにのたうち回る足に私は惹きつけられました。私は安太郎の小刀で善兵衛の服を切り裂きました。思ったとおり安太郎は善兵衛にひどくとっちめられました。そのあと自ら彼をいじめるようになったのは自然のなりゆきだったと思います。

 

(2018年8月31日)

 

〇熱風に吹かれて

 

どうしても漱石の「こころ」と比べてしまいます。

人格が与えられていない「こころ」のヒロインに対して「熱風〜」の英子には肉体も心もちゃんとあります。

斎藤も、英子に捨てられたからといって死にそうにはありません。

 

輝雄は旧友の齋藤が逗留している早川の宿で一夏を過ごすことになった。齋藤は資産家の娘英子と駆け落ちしてそこで遊び暮らしていた。ある日齋藤は輝雄に債権者との交渉を頼んだ。彼は返済の見込みのない借金によって贅沢を続けていたのだった。東京に向かう輝雄に英子が付き添った。輝雄は英子に好意を打ち明ける。齋藤に見切りをつけ始めていた英子も輝雄の好意を受け入れた。輝雄は有頂天になり、次に馬鹿らしい涙をこぼした。

 

(2018年9月3日)

 

谷崎潤一郎全集第2巻はまだまだ終わっていませんでした。

 

しかしこうしてあらすじ作業に取り掛かってみると、自分がいかにあらすじ作業に向いていないか思い知らされます。

読み終わってすぐには取り掛かれないのです。

読了後数週間、あるいは数か月置いておいて、もう一度読んでからでないと全体像がイメージできません。

 

「あらすじにまとめよ」などという問題が入試で出されていたら時間切れ不合格間違いなしでした。

 

◯捨てられる迄

 

十二月の寒い夜幸吉は三千子を待っていた。彼は考えた、普通の恋にはすまい。相手が奴隷になるか自分が奴隷になるかだ。三千子が現れたのは約束の時間の二時間後だった。その後幸吉は優位に立とうと策を弄するが彼女に婚約者が現れて彼の劣勢は決定的となる。彼は駆け落ちを持ちかけたがのらりくらりとかわされ、ついに結婚をほのめかす知らせを受け取った。彼は死のうと思った。「死ねる、死ねるに違いない」うららかな四月だった。

 

(2018年12月3日)

 

◯饒太郎

 

これも、どこまで構想してから書き始めたのかよく分からないお話です。

主人公の名前は「じょうたろう」と読みます。

 

小説家饒太郎には被虐趣味があった。蘭子はいい女だったが饒太郎には物足りなかった。自分をぶってはくれるのだが、そこに根の優しさが垣間見えるのである。次に目をつけたのは盗癖のある少女お縫いだった。お縫いはやがて饒太郎の望むとおりの女になった。饒太郎は金を惜しまず、二人は何日も部屋にこもって快楽に浸り続けた。その日々は長くは続かなかった。お縫いが一文無しになった饒太郎を見捨ててすぐに消えてしまったから。

 

(2018年12月5日)

 

◯春の海辺

またまたよく分からないお話です。

エンディングをどう解釈していいかよく分かりません。

 

1)梅子は潔白で、千代子も本気で梅子を信じたのか。

2)梅子はまんまと千代子を騙したのか。

3)それとも千代子は騙されたふりをしたのか。

 

今回読み直してみると1)っぽい気はします。

物語としては一番つまらないですが。

 

三枝春雄は鎌倉で静養中である。妻の梅子は東京に行き不在だった。見舞いに来ていた春雄の妹千代子が兄に告げ口をする。近くの宿に逗留している吉川と梅子の仲が怪しいと。彼女は昨夜停留所で二人が落ち合うところを目撃したのだった。春雄は彼女の言葉を相手にしない。東京から戻ってきた梅子と静かに語り合い、互いを大切に思っていることを確認し合う。陰で聞いていた千代子も自分の疑いが間違いであったことを悟るのだった。

 

(2018年12月7日)

 

◯少年の記憶

 

これは随想ですがついでにあらすじをつけてあげました(謎の上から目線)。

 

思い出すことがいろいろある。人力車に気を付けろと口うるさいばあやを馬鹿にしていたら本当に轢かれかかったこと。十歳になるまで蒟蒻を食べさせてもらえなかったこと。ほろ苦いものが食べられるようになったら声変わりして、急にきれい好きになったこと。偽物の地震に驚かされたこと。大勢の客の前で見世物の人形が急に動き出してみんな我先に逃げ出したこと。でも数年後に聞くと、一緒に逃げたはずのばあやは覚えていなかった。

 

(2018年12月10日)

 


潤一郎全集あれこれ第10回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ番外編

谷崎の小説のいくつかを再読する用事ができたので、ついでにあらすじを書きました。

 

〇悪魔

 

これもものすごく迷いました。

短篇小説なのですが、最後の最後に思わず本を閉じたくなるような描写があるのです。

これをあらすじに含めるかどうか、いろいろ考えた末、放り込むことにしました。

グロテスク描写が苦手な方は飛ばしてください。

 

佐伯は名古屋から東京の大学に進学して叔母の家に住むことになった。もともと病んでいた心と体がさらに悪化して佐伯は部屋から出られなくなっていった。相手をしてくれるのは従姉妹の照子だけだった。ある日書生の鈴木が佐伯の部屋を訪れた。死んだ叔父が照子を自分にくれると約束してくれた、そう言って鈴木は佐伯を牽制した。その後佐伯は照子を意識するようになった。彼は照子が鼻をかんだ手巾を隠し持ってぺろぺろと舐めた。

 

〇続悪魔

 

叔母の家に下宿する佐伯は神経衰弱に悩まされていた。従姉妹の照子に対して愛憎入り交じった気持ちを抱きながら、誘惑に負けて関係を結んでしまう。それに気づいた書生の鈴木が佐伯に謝罪を要求してきた。彼は照子の許嫁であると思い込んでいたのだった。佐伯が拒むと鈴木は刃物を出して脅しにかかってきた。佐伯は「悔しければ殺してみろ」と叫びながら鈴木を殴った。鈴木の刃物がぴかりと光った。喉元を切られて、佐伯は死んだ。

 

(2018年5月21日)

 

〇富美子の足

 

画学生の宇之吉はある日、塚越老人から妾の富美子の絵を依頼された。描き始めてすぐに宇之吉は富美子の足の美しさに気づいた。老人も富美子の足への偏愛を打ち明け、宇之吉に犬の真似をするように頼んだ。身体の自由が利かなくなった自分の代わりに富美子の足にじゃれつかせるためだった。老人は弱っていった。食欲がなくなると牛乳やスープに浸した富美子の足を舐めた。最後には富美子の足に顔を踏まれながら死んでいった。

 

〇神と人との間

 

添田は妻朝子がありながら外に女を作り、家に滅多に帰らなかった。朝子に思いを寄せる穂積は添田に意見することも、朝子を奪うこともできずにいた。増長した添田は朝子を殴り、金策に走らせ、ついには妻を殺す小説まで書いて朝子を辱めた。やがて添田は病に倒れた。女に捨てられた添田は朝子に看取られて死んだ。数年後穂積と朝子は結婚した。その直後穂積は自殺する。添田の死は自分が飲ませた毒のせいだと告白する遺書を残して。

 

(2018年5月23日)

 

これらの小説を再読したのはこの映画のためでした。

 

 

元町映画館での「TANIZAKI TRIBUTE」です。

谷崎の小説を三人の監督が、それぞれ自分なりの切り口で映像化したものです。

 

その第一弾が「神と人との間」でした。

 

 

あらすじでも書きましたが、身勝手な男に、妻と、彼女に惚れている友人が振り回される話です。

どれだけ振り回されても妻は別れようとはしません。

友人も、その性悪男から妻を奪い取ることができず、結局男と妻の二人に振り回されている状態です。

 

解説によると、谷崎と佐藤春夫との間にあった事実に基づく小説のようです。

当時ならスキャンダラスで面白かったかもしれません。

しかし今となってはそこそこの谷崎ファンを自認する私にとっても、「で?」みたいな感じです。

主人公は煮え切らず、だらだら話が続きます。

これを読むくらいならまだ森友加計ニュースの方が面白いくらいです(嘘です)。

 

この映画もその「だらだら」感をきちんと踏襲しています。

時代を現代に移し、二人の男の職業を小説家から漫画家にチェンジし、その他いろいろ設定を変更していますが、それらが映画の面白さに寄与することはありません。

観ながらずっと「監督さんは何が面白くてこの映画を撮っているんだろう?」と考えていました。

 

たぶん、この三つだと思います。

 

1)渋川 清彦のオーラを封印した演技

2)劇中に出てくるマンガ

3)最後の子どものシーン

 

繰り返しますが、だからといって面白いわけではありません。

 

(2018年5月25日)

 

TANIZAKI TRIBUTE第二弾は「悪魔」です。

 

 

これもあらすじを読めば分かると思うのですが、「爽やかさ」など微塵もない、カタルシスのない映画です。

 

ポイントは、敵も変態なら自分も変態というところです。

へたをすると「キモい」度は自分の方がひどかったりします。

誰に共感して観ればいいのかさっぱり分からない類の映画ですが、世の中には「醜いものを描いてこそ、人生の美しさが浮かび上がる」みたいな考え方の人もいて、そういう人には面白いのかもしれません。

 

普通レベルの感性の持ち主で、「でもたまには変態的な主人公の映画も観てみたい」という人には

 

 

こっちの方がお勧めです。

 

(2018年5月28日)

 

TANIZAKI TRIBUTE第三弾は「富美子の足」です。

 

 

原作は足フェチの谷崎が書いた足フェチ小説です。

足フェチ以外の要素をばっさり切り捨てた、ひたすら足フェチに徹した短篇小説ですが、この監督は富美子を主人公にして「女性が解き放たれるまで」を描いた映画に再構成しました。

 

高級な豆腐をそのまま食べないで、豆腐ハンバーグにしてしまったような感じがしないでもありませんが、女優さんの足がきれいなので全て許せてしまいます。

TRIBUTE三部作の中では一番退屈せずに済みました。

 

(2018年5月30日)

 

さて、元町映画館はドリンク・フードの持ち込みが可能です。

より正確に言うと、売店がないので他の人の迷惑にならない範囲で持ち込みが許されています。

 

映画鑑賞のお供はこれです。

 

 

600cc入りの保温マグボトル(和平フレイズ)。

500mlのビールを、泡を気にせず入れることができて、映画が終わるまでキンキンに冷えた状態で保つことができます。

 

フードはこれ。

 

コンビニのかつサンドを、ハラペーニョのピクルスとチューブ辛子とスライスチーズでパワーアップしたものです。

ピリ辛なので、退屈な映画で眠くなった時には助かります。

 

元町映画館でもそもそと何かを食べている人がいたら、それは私です。

 

(2018年6月1日)


潤一郎全集あれこれ第9回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第7巻

(52)

 

第19回配本は第7巻、読むのは18冊目です。

 

 

まずはこの小説です。

題名がすっごいです。

読んでみるとタイトルとあんまり関係ありません。

タイトルだけ適当に決めて書き始めたのでしょうね。

 

〇女人神聖

 

美男美女兄妹として評判だった澤崎由太郎と光子は父親の死後、裕福な叔母の家に預けられていた。怠惰な由太郎は芸者に入り浸り、落第してしまう。こっぴどく叱られた由太郎は、復讐として叔母の娘雪子をかどわかそうとする。駆け落ちの企みは雪子の兄啓太郎の密告によって未遂に終わった。吉太郎は芸者にも追い出され、雪子本人にも拒絶され、その後行方不明となった。一方光子は啓太郎と結婚し、美貌の貴婦人として有名になった。

 

(53)


これも有名な作品です。

谷崎の美食ぶりを表すのによく引き合いに出されますが、私は初めて読みました。

 

〇美食倶楽部

 

美食倶楽部とは美食のためなら金、時間、労力を惜しまぬ金満家の集まりだった。美食を求めて日本中を駆け巡る彼らだったが、最近感激の薄らぎが否めなかった。会員のG伯爵もその一人だった。彼はある日看板の出ていない支那料理の店を発見する。彼はその店に潜入した。そこで彼が何を体験したのかは誰にも分からない。しかしそれ以降、彼が提供する料理を食べた者は感じた。自分は味わっているのではなく、狂っているのだ、と。

 

放っておいても筆が走った、谷崎30代の作品です。

奇想天外な料理がいろいろ出てきて、絢爛な文章技法で描かれます。

 

が、やっぱり、暗闇で食べる料理が美味しいとは思えませんけど……。


(2018年3月19日)

 

(54)

 

さて次に収載されているのはタイトルもおどろおどろしい「恐怖時代」。

北野監督の「アウトレイジ」もびっくりの、騙し合い、殺し合いの、血しぶき率200%の戯曲です。

 

登場人物がばたばた死んでいきます。

そうと分かっていても途中あっと驚く場面があります。

「最後の1ページであなたは驚愕する!」みたいな売り文句に辟易している人、ぜひこの戯曲で驚いてみてください。
 

〇恐怖時代

 

春藤家太守の嬖妾(へいしょう)お銀の方は女中梅野の知恵を借りて太守の奥方を暗殺しようとしていた。自分に想いを寄せる太守の家臣靱負(ゆきえ)と侍医玄澤を操り、毒薬を手に入れ、臆病な茶坊主珍斎を脅迫して、奥方に毒を盛らせる計画だった。そこに現れる美しい剣士伊織之介。彼こそがお銀の方の本当の愛人だった。二人の策略と太守の狂乱によって人々は死んでいく。太守も死に、お銀の方と伊織之介も自害する。最後に珍斎だけが残された。

 

(2018年3月23日)

 

(55)

 

〇或る少年の怯れ

 

芳雄は年の離れた兄嫁になついていた。しかし兄嫁は病気がちで、医者である兄の治療も及ばず死んでしまった。それ以来芳雄は兄が兄嫁を殺したのではないかという妄想に取りつかれた。夢の中では何度も兄を問い詰めるが、現実には疑いを口にすることすらできなかった。やがて芳雄は熱病に倒れ、ますます夢と現実の区別がつかなくなった。彼は兄の治療も拒み、死にかけていた。その時になってすべてを許したくなった芳雄であった。

 

「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」を始めるに当たって、「結末まですべて書く」と決めました。

この小説の場合、芳雄はこのあと死ぬと思います。

ですが、実際に兄嫁が兄に殺されたのかどうか、あるいは芳雄の死に兄がどう関与しているかはよく分からないので、あらすじでは触れませんでした。

 

兄が兄嫁と芳雄を殺した、という解釈も成り立ちます。

個人的には、どちらにも兄は関与していないと解釈しました。

根拠は薄弱です。

 

注射をした翌日から兄嫁は「急に容体が悪い方へ向いて行った。それも、まるでコレラにでもかかったように幾度も幾度も激しい下痢をして、真白な牛乳のようなものを口から吐きつづけて、三日目の晩には危篤と」なりました。

私がそういう注射を思いつかないからです。


(2018年3月26日)


(56)

 

〇秋風

 

朝起きると私は二階の縁側に出て空を見上げた。塩原温泉はこの日も雨だった。せっかく秋晴れの空を楽しみに湯治旅を長引かせたのに、雨はやむ気配が無かった。交通も滞り新聞が来なくなり、食糧も乏しくなった。妻の妹S子が、何日か遅れてS子の彼Tも来た。やっと雨が上がった。私はS子とTを連れて散歩に出た。歩きながら歌を歌い、温泉に入り、栗を拾った。あけびの実を手で持ったTは言った。「ばかに冷たいもんですね。」

 

これも、読んだ人は分かると思いますが「あらすじ化」超困難作です。

ポイントは、S子の人魚の場面を入れるかどうかです。とても印象的な場面ですから。

ものすごく迷った末に、私は入れませんでした。

単純に、やましさの裏返しです。

 

ちなみに「水島君の挿絵」というのはこんな感じです。

 

 

やはりあらすじに含めるべきだったでしょうか……。


(2018年3月28日)

 

次に収められている「嘆きの門」は未完なので、あらすじはありません。

 

ほっ。

 

謎めいた少女に主人公が振り回される第1章は面白いです。

ところが第2章で無理にストーリーを動かそうとして、谷崎は失敗します。

それを挽回しようと第3章で別方向からのアプローチを試みますが、収拾がつかなくなり、とうとう投げ出してしまった……、そんな感じです。

 

〇或る漂泊者の俤(おもかげ)

 

天津租界のまるで欧州の都会のような街を一人の男が歩いていた。歳は五十前後。乞食のような格好だったがその顔立ちにはどことなく気品があった。男は道端の煉瓦に腰を下ろし、パイプを口にくわえて川を見つめた。可動式の万国橋が騒々しい音を立てて回転し始めた。大勢の人々が橋の手前でせき止められた。ようやく回転が終わり人々は橋を渡り始めた。しかし男はその喧噪には目もくれず、川の濁った流れを見続けているのだった。

 

舞台は埃っぽい租界、描かれるのは浮浪者。物語的には何も起こりません。

なのにこの凝縮された小説世界!

書き上げた瞬間の、谷崎の、してやったりという笑顔が思い浮かぶようです。


(2018年3月30日)

 

(58)


○天鵞絨(びろうど)の夢

 

上海の大富豪の温夫婦は杭州の別荘に大勢の奴隷を集めて放恣で残虐な生活を恣(ほしいまま)にしていた。たとえば温夫人の阿片部屋。その部屋は池の下に造られていた。夫人は若い男奴隷にかしずかれながら硝子天井を見上げて阿片を楽しんでいた。池では魚の群れと一人の若い女奴隷が泳いでいた。やがて男女の奴隷は、硝子越しに意識し合うようになった。夫人は女に毒を盛った。少女は夫人と少年が見守る中、水の中で美しい死体となるのだった。

 

この小説は本当は未完作です。

 

本来ならばこのあと温夫婦の裁判や、冒頭に登場した謎の美少女の正体が語られるはずですが、谷崎はここで飽きてしまったようです。

ですが、伏線が回収されない小説は山のようにあります。

一応最後にはとってつけたようなエンディングもあります。

そこで一応完結作として扱い、あらすじをつけてあげました(なぜか上から目線)。

 

とはいえ、フォーカスを「私と謎の少女」に合わせるのか、それとも「美少女の美しい死」に合わせるのかによって、あらすじもがらりと変わってきます。

「私が杭州を旅していた時……」で始まるあらすじがあっても不思議ではありません。


(2018年4月4日)

 

(59)

 

○真夏の夜の恋

二人の少年が浅草の女優夢子に会いに行きます。二人は恋敵です。

つかみはばっちりです。

二人のキャラクターの書き分けも上手い。

 

でも谷崎は続きをなーんにも考えてませんでした。

連載一回目にして未完です。

 

この巻には、他にボードレールの詩と「或る時の日記」が収載されています。


(2018年4月6日)


潤一郎全集あれこれ第8回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第5巻

(43)

 

第18回配本は第5巻、読むのは17冊目です。

 

 

十七冊を読んでふと思ったのですが、谷崎の、たとえば「細雪」や「春琴抄」を検索すればいくらでもヒットします。

学術的な研究書から「面白かった」程度の感想文まで。

あらすじも簡単なものからものすごく詳しいものまで、よりどりみどりです。

それに比べるとこの巻に収められている作品はなかなか見つかりません。

 

有名な長篇に比べて知名度の低い短篇のヒット数が少ないのは当然です。

しかし谷崎の場合、読めば分かる長篇に比べると、短篇は結構難解です。

解説文に頼りたくなることも多いし、あらすじ自体を教えてもらいたくなることさえあります。

 

ところが「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」みたいなのがないんです。

 

で、思いました。

なければ自分で作ればいいのではないか、と。

 

一応約束ごとを決めてみました。

 

1)190字以上200字以内

2)結末まで書く

3)呼称は原文に従う

4)その他の表記は他の作品との統一を図る

5)原文に登場しない言葉を用いない

 

ですが、5)はいくらなんでも不可能です。

さっそく無視しています。

 

(2017年12月15日)

 

(44)

 

無謀なチャレンジ「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」いよいよスタートです。

 

〇二人の稚児

 

比叡山で修行を続ける十四歳の少年瑠璃光には、浮世の誘惑に負けて山を下りた千手丸という兄弟子がいた。ある日、千手丸の手紙が届いた。浮世は地獄ではないとその手紙は告げていた。しかし瑠璃光は迷いを断ち切り、来世を信じて二十一日の行に身を投じた。満願の日、夢の老人の言葉に従い瑠璃光は吹雪の山に入り、傷ついた一羽の鳥を見つけた。それは来世の伴侶の仮の姿だった。瑠璃光は鳥を抱き、雪の中で死んでいく。

 

ふう。

 

これでも四苦八苦して作ったのですが、「二人の稚児」を読んだことのある人はきっとこう思うでしょう。

 

「こんな話じゃなかった」

 

そうなのです。

 

あらすじでは最初の50字にまとめるしかありませんでしたが、小説前半の面白さの中心は千手丸が担っているのです。
偉いお坊さんには浮世は魔境だと教え込まれている。
しかし自分が得た断片的な情報を総合してみると、どうやらそう悪いものではないらしい。
特に、悪の権化とされる「女性(にょしょう)」は、教えとは逆に、美しく心癒してくれるものらしい。
そうしてある日千手丸は山を下っていくのですが、そこに至る過程がとっても面白いのです。

一方原文ではおぼろげにほのめかされるだけのラスト。


あらすじでははっきり書かざるを得ませんでした。
原文を読んで感じた印象と、あらすじから受ける印象とは、我ながら全く別物です。

 

まあ、しかし、あらすじとはこういうものです。

 

……と、自分を納得させて作業を進めましょう。


(2017年12月18日)

 

(45)

 

〇人面疱疽

 

女優百合枝は不思議な噂を耳にする。「人面疽」という映画に自分が出演していると。女性に裏切られ自殺した男が彼女の膝に人面疽となって蘇り、復讐を果たすという映画だった。そんな映画に出演した覚えはなかった。調べていくうちにその映画が呪われた映画であることが分かってくる。観た者は怪異現象に襲われ、ある者は発狂したらしい。一方その頃、大手の映画会社がその映画を買取り、大々的に公開する計画を立てていた。

 

これはかなり怖かったです。
満員電車の中で読んだのですが、鳥肌が立ちました。
あらすじを読んで「リング」を思い出す方もおられるでしょう。
そう、あんな感じの怖さです。
やっぱりあらすじにまとめるのはすごく難しかったですが。

 

〇ハッサン・カンの妖術

 

余はある日図書館で一人の印度人と出会った。彼は事あるごとに印度的精神主義を否定した。それは父親への反発だった。彼の父は伝説の魔術師ハッサン・カンの弟子であり、その教えのせいで現実的幸福を否定し、彼の家族は崩壊したのだった。さらに彼は告白をする、自分もハッサン・カンの妖術が扱えると。彼は余を須弥山にいざなった。そこで余は鳩に姿を変えた母と出会った。余が善人になれば私は仏になれる、鳩は言った。


(2017年12月20日)

 

(46)

 

〇兄弟

 

兼家の姫君の悩みは父と叔父兼通が不仲であること。姫君は一家の望みどおり上皇の女御となったが、兄弟間の出世争いは続いた。人徳に厚い兼家が中納言になれば、陰謀に長けた兼通は関白となった。ついに兼家は左遷させられ、兄弟の争いにけりがついたかと思われたある日、兼通が病に倒れ立場は逆転する。上皇の女御の部屋では祝いの宴が催された。没落した兼通一族を笑う一同。そんな喧騒の中、女御は眠るように息を引き取った。

 

これもあらすじにまとめるのが難しい作品です。
夕占問ひ(ゆうけとい)、元方の悪霊、兼通の闘病、乳人の博識ぶりなどなどばっさり切り捨てての、このあらすじです。

 

〇前科者

 

己は前科者だ。そうしてしかも芸術家だ。己の絵を高く評価してくれるK男爵から金をせびっては自堕落な生活を続ける毎日だ。Kも最近では金を出し渋ることが多いが最後には財布を開いてくれる。しかし普段から己を憎んでいたKの家令のせいで己は詐欺罪で逮捕されてしまった。己は告白しよう、己はたしかに悪人だ。微塵も誠意のない人間だ。ただそのかわり、己の芸術だけは本物と思ってくれ。芸術こそが真実の己だと思ってくれ。


(2017年12月22日)

 

(47)

 

〇十五夜物語

 

浪人の友次郎は寺子屋を細々と営み、妹のお篠は針仕事でそれを支えた。友次郎には妻がいた。兄妹の亡き母の治療費の支払いのために吉原で三年の勤めを果たしていたのだった。年季が明けた。ようやく帰ってきた友次郎の妻お波は穢れた身体を呪い生きる力を失っていた。それを見て友次郎も自分を呪い始める。二人を支えようとするお篠、しかし母の命日も近い満月の夜、友次郎とお波は命を絶った。一人残されたお篠は泣き叫ぶ。

 

〇或る男の半日

 

間宮は小説家、金遣いは荒く執筆ははかどらず、借金取りと編集者の督促と妻の小言に追われる日々だった。今日も編集者が来ている。二人の会話はすぐ雑談となり、最後はハワイ移住の話になる。次に来たのは建具屋。障子の入れ替えのはずが、施工費がどんどん膨れ上がる。次に文学生が現れる。間宮は自慢話かたがた洋服屋の紹介を頼んでしまう。客は帰った。妻の小言に、家賃の安い郊外へ引っ越す案で答える間宮。またもや妻の小言。


(2017年12月25日)

 

(48)
 
〇 仮装会の後

 

三人の紳士が社交倶楽部で昨日の仮装会を振り返っていた。三人とも意中の未亡人に逃げられてしまったのだった。未亡人を射止めたのは醜悪な青鬼だった。一人が青鬼の姿を思い出し、クラブの給仕がその正体ではないかと言い出す。三人が給仕を呼び出し問いただすと給仕はあっさりと認めた。どうしてお前のような醜い男が、という問いに給仕は答えた。女は人よりも悪魔を好くことがある。醜男だけが悪魔の美を持っているのだ、と。

 

これでも第5巻に収められている小説のまだまだ半分です。
「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」なんて可能なんでしょうか?

 

(2017年12月27日)

 

(49)

 

〇金と銀

 

大川は画家仲間の青木に、その芸術への畏敬のために金を貸し続けていた。自分の使っているモデルを斡旋してやり、期せずして二人は同じモデルで同じモチーフの絵を描くこととなった。ある日青木の絵を見てしまった大川の中で、畏敬は殺意へと変わった。大川は完全犯罪の計画を練り青木殺害を企む。犯行は失敗に終わったが、青木は白痴となり作品も失われた。大川の絵「マアタンギイの閨」は完成した。大川はついに青木を凌駕した。

 

同じ巻に収録されている「前科者」と同じような書き出しで、途中まで同じような展開で進みます。
またか、と思っていると、いつの間にか大川が主人公になり、まるで本格ミステリのように綿密な完全計画が語られて、どんどん話がとんでもない方向に向かって反れていきます。

 

ですからこれもあらすじにするのが非常に難しいです。
あらすじでは「前科者」的部分と「ミステリ」的部分を完全にカットするしかありませんから。

 

新年早々弱音を吐きますが、「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」、とんでもなく馬鹿なことを思いついてしまったものです。


(2018年1月10日)

 

(50)

 

〇白昼鬼語

 

園村が愛した纓子は殺人鬼だった。彼女に殺されることを予期した園村は私にその現場を盗み見するよう遺言する。私は友の死を目撃した。しかし園村は生きていた。自分を殺してくれという願いが断られたため、私の前で死を演ずることで欲求を満たしたのだった。纓子は殺人鬼ではなかった。園村を篭絡するために猟奇趣味を利用しただけだった。殺人はなかった。あったのは、纓子に騙された園村に私が騙された、つまり二重の狂言。

 

纓子は「えいこ」です。
谷崎の猟奇趣味とミステリ趣味が上手く組み合わさった一篇です。
しかしあらすじになると、園村が開陳する推理のプロセスを全面的にカットせざるをえません。
それから200字ではどんでん返しも表現できません。

 

いきなり言い訳ばっかりですねー。


(2018年1月12日)

 

(51)

 

〇種 Dialogue

 

小説家の友人「小説の種になりそうな話をいくつか知っているけれど聞きたいかい?」小説家「その手の話が面白かったためしはないけれど、聞くだけなら聞いてもいいよ」友人「三人の男を手玉に取った貴婦人の話とか、心中した芸者の意外な書置きの話とか、泥棒が老婆の顔にびっくりする話とか」小説家「ダイヤローグという体裁で、『種』という題名でよければ書いてみるよ」友人「小説にはならないのか、ガッカリだ」

 

〇既婚者と離婚者

 

結婚してすぐ結婚の無意味さを悟ってしまった僕は計画を練った。まず妻を教育した。男女同権を教えて、時間と金の自由を与え、女性が自立する小説を片っ端から読ませた。すると妻は生まれ変わったように軽佻で浮気な女になったよ。そこで僕は離婚を切り出したんだ。妻は騙されたと気づいたようだったけれど、ここで泣いては新しい女の沽券に関わると思ったのだろうね。あっさり認めてくれた。きっと女優にでもなるんだろうさ。


(2018年1月15日)

 

(52)

 

〇小僧の夢

 

商店の小僧の己は奉公を続けながら芸術への思いを抑えられないでいた。タンホイゼルに聞き惚れ、モオパッサンを読みふけった。ある時己は浅草で「露国美人メリー嬢の魔術」を見た。それは催眠術の見世物だった。舞台に上げられた己はメリー嬢の魅力の前に、術にかかったふりをするしかなかった。観客の笑いものになるのは屈辱だったが愉悦でもあった。巡業は終わった。しかし己はメリー嬢の魔術からいつまでも覚めなかった。

 

これもあらすじを作るに当たって、前半の「若き日の芸術観」をばっさりカットするしかありませんでした。

しかし何はともあれ、これでようやく一冊分です。


「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」はバルザック「人間喜劇」読破よりも険しい道のりと思われます。
救いは、ほとんどが退屈だったバルザックに比べると谷崎の場合はほとんどが面白いところです。
これからもぼやきながらの作業になると思われますが根気よくお付き合いください。


(2018年1月17日)


谷崎潤一郎全集あれこれ第7回

(32)

 

第14回配本の第10巻です。読むのは13冊目です。
6月8日発売の第26巻をもって全集刊行は完結したようです。
私はちょうど2年でやっと折り返し点です、ふう。

 

 

〇アヴェ・マリア
正しくは「アヹ・マリア」という表記です。

 

「本牧夜話」とでも呼ぶべき小説(同名の戯曲がありますが)。
異国情緒あふれる町で、日本の女優を、西洋の美女を、外人の乞食少女を愛でる。
興味深いのは主人公の立場で、彼は女性から男性として意識してもらおうとは思っていないようです。
てっきり七十歳くらいなのかと思ったら、四十前という設定でした。
ここで膝を屈めて次の「痴人の愛」に向かってジャンプするという構図でしょうか。

 

〇肉塊


エッセイを読むと谷崎の映画愛がよく分かります。
その谷崎が映画のシナリオを書いたり制作に携わり始めたのがこの時期です。
その経験をもとに映画作りの話を小説にしました。
映画制作の苦労話から、主演女優のわがまま話になり、駄目な女に振り回されるいつもの谷崎節になって、最後は意外なラストに終わります。
小説としての出来はともかく、最高のおもちゃを手に入れた谷崎のはしゃぎぶりがよく伝わってくる作品です。


(2017年6月12日)

 

(33)

 

〇無明と愛染
男を振り回す女は谷崎作品にはよく出てきますが、ここに出てくるのは振り回すどころではなく、れっきとした「悪女」です。
で、女が悪すぎると、谷崎の場合、面白くなくなるみたいです。
戯曲だし、短いし、展開は意外だし、読みやすいのですが。

 

〇腕角力

谷崎っぽさがあんまり感じられない現代劇。
すっきりとはまとまっています。
登場する男たちの精神年齢がちょっと低いような気がするのが、気になると言えば気になるところです。

 

〇蛇性の婬
上田秋成の「雨月物語」映画化にあたっての台本だそうです。
谷崎はロケ現場にも同行して、その経験は「肉塊」に反映されます。
映画制作現場の独特のテンションはこの台本を読んでも何となく伝わってきます。
谷崎が気合を入れまくって書いた、かなり細かーい台本です。
ただ、気合が入りすぎて、起承転転転転結、みたいになってしまいました。
「転」を一回分減らせばちょうどよかったと思います。


(2017年6月14日)

 

(34)

 

第15回配本の第3巻です。読むのは14冊目です。

 

 

〇お艶殺し
こういうのをきっと「心中もの」と呼ぶのではないでしょうか。
近松を読んだことはないし、浄瑠璃もよく知りませんが。
森鴎外には「こんな低いものを書いてはいけない」とこき下ろされたようですが、本は売れに売れて、印税で自宅のお風呂をリフォームできたそうです。
近所の人にはお艶風呂と呼ばれたとか。
女に惚れた男が転落していくのは、谷崎が好んで取り上げるプロットですが、確かにかなり毛色が違います。
ただ、それが「低い」のかどうかはよく分かりません。
どっちにしても「森鴎外、ゲスなお前が言うな」とは言いたいです。


(2017年8月16日)

 

(35)

 

〇お才と巳之介
これも「お艶殺し」と似たテイストのお話です。
「お艶殺し」に比べると散漫でばたばたしていますが、「お艶殺し」が売れたのなら、きっとこの作品も売れた事でしょう。

 

手紙で「お才と巳之介」について語った文章が巻末に載っていました。

 

私は結婚をして金に追いかけられたために、「お才と巳之介」という悪小説を書いた。私は今度ぐらい不快な気持ちで創作をしたことはない。世間では、しかも文学者の中に、あの小説を非常に褒めてくれる人があるそうである。私は不運にしてふがいない自分を悲しみ、今の一般の文壇の浅はかなのを悲しむ。

私はきっと、えらくなって見せる。えらい芸術を作って見せる。


(2017年8月18日)

 

(36)

 

読書感想文の宿題でお困りの皆様、解説やあとがきを引用するのは、すぐにばれるし、やめておいた方がいいです。
引用を勧めない理由はもう一つあって。
解説は往々にして間違っているし、作者自身の言葉も真実とは限りません。

 

一年間、谷崎の文章を読んで分かってきたのですが、彼はあんまり強い口調の断定をしない人です。
例外があって、時々こんな断言口調の文章を書くことがあります。
「落ち着いたら必ず続きを書くので、読者諸君、それまで待たれよ!」
そうです、連載小説が行き詰った時です。
そしてこういう文章を書いたあと、続きが書かれたためしはありません。

 

谷崎が力強く宣言する時、それは嘘です。
「お才と巳之介」についての彼の文章を読んで、その通り受け取ってはいけません。
「売れたのでまんざらでもない」
あたりが本音だと思われます。

 

〇金色の死
〇創造
〇神童
芸術とは、天才とは、創作とは。
芸術家の創作活動についての三篇。
乱歩的、誇大妄想的、耽美的な「金色の死」、壮大な時間の流れをこじんまりとまとめた「創造」。
でも「神童」が、単純に神童ぶりが面白いという理由で、一番面白い。


(2017年8月23日)

 

(37)

 

〇独探
独探(ドイツのスパイ)の暗躍が騒がれていた時代、近所に怪しいドイツ人が住んでいた。
彼の正体とは?
……というミステリではありません。
タイトルをつけるなら「独探のころ」くらいでしょうか。
どことなくとぼけたドイツ人(実はオーストリア人ですが)との交流を描いた小説で、こんな人がスパイのわけないでしょ、みたいな内容のお話です。

 

これにも後日談があります。二年後、ある新聞のコラムに次のような文章が載ります。
詳細は不明ですが、おそらく文壇仲間が谷崎から聞いて、それを小咄風に載せたのでしょう。

 

谷崎潤一郎君がドイツ語を習っていたドイツ人が独探の嫌疑で退去命令を受けた。谷崎君は独探じゃないと信じて「独探」という小説まで書いて弁明してやったところが先日そのドイツ人から手紙が来た、それによると米国のある汽船会社の技師長になっていて、独探である事は事実らしいので、「これは一生の失策だ」と頭を掻いている。


(2017年8月25日)

 

(38)

 

〇法成寺物語
「金色の死」や「創造」に連なる「天才の創作活動」ドラマかと思ったら、後半からぐいぐいっと趣向が変わって幻想的悲劇に終わります。
てっきり谷崎がオチを決めずに書き始めたからだろうと思って、そのつもりでもう一度読んでみました。

 

どうやら、オチはある程度考えていたっぽいです。
しかし、本筋とは全く関係のないキャラクター「定朝」を第一幕の中心に据えてしまったために、結果的に、第二幕以降がわき道にそれてしまったような印象になってしまったのだと思われます。
絶世の美女、彼女に惚れる醜い天才仏工、神殿に広まる妖怪の噂、誰も予想しなかった悲劇、
魅力的な小道具にあふれて、しかもストーリー的にも破綻が少ない。
構成上のねじれがなければ大傑作だったのに、もったいない感じです。

 

〇懺悔話
エロティックで謎めいた短編。

 

〇華魁
主人公は大人びた丁稚の少年。ある日番頭から、女郎屋に手紙を届けるように頼まれます。
その手紙とは……、というところで中断。
おそらく手紙の中身とか一切考えないで書き始めたのでしょう。

 

〇夢
ベルグソンの「夢」の翻訳です。
43ぺージ程度の原文を4、5回に分けて訳すぞ! と宣言したけれど、案の定第一回目で中断です。


(2017年8月28日)

 

(39)

 

第16回配本の第16巻です。読むのは15冊目です。

 

 

〇武州公秘話
古い記録文書を読み解いて新たな物語を紡ぎだす、谷崎が時々取る手法です。
司馬遼太郎も好んだやり方ですが、同じことをしても谷崎の手にかかると倒錯的でエロティックな物語になるから不思議です。
これもごつごつしたタイトルからは想像できない、刺激的な「秘話」でした。

 

実はこれは未完作のようです。
連載が途切れ途切れになり、ついには中断してしまいます。
例によって「絶対続きを書くから待っててくれ」という記事が出ますが、結局続編が書かれることはありませんでした。
連載分に手を入れて発表されたのが今の形の「武州公秘話」です。

 

これはこれですっきりとまとまっているし、ちゃんと終わっています。
構想ではこのあと、兵糧攻めやそれにともなう悪食の話が続くはずでした。
その一部分は巻末に収められています。
それを読むと、ここで終わらせて正解だったような気もします。

 

〇倚松庵随筆、青春物語
この巻に収められている小説は一作のみで、あとはエッセイや思い出話だけです。


(2017年9月6日)

 

(40)

 

第17回配本は第25巻、読むのは16巻目です。

 

 

前半が中学生、高校生時代の文章集。
後半が各種資料集です。
新発見の創作ノート「松の木影」も収載されています。

 
初期文集はとにかく難解です。
まあ、中学生や高校生というのはとかく難しい文章を書きたがるものですが、それにしても難しいです。
創作ノートも、あくまでもメモ程度のものです。
各巻に一作は「読ませる小説」が配置されていた当全集ですが、この巻にはありませんでした。

 

その中で断片的に綴られる「K夫人」の物語は、もしかすると「細雪」に組み込まれるはずだったエピソードなのでしょうか?
「細雪」を読むのはおそらく来年の年末あたりになると思われます。
その時にまた「K夫人」の話ができるかもしれません。


(2017年9月29日)

 

(41)

 

新発見の創作ノート「松の木影」は今、芦屋の谷崎記念館で公開中です。

 


谷崎記念館は阪神の芦屋駅から東南に徒歩15分。
決して便利な場所ではありませんが、その分静かです。

「松の木影」は創作ノートの散逸を恐れた谷崎が印画紙で記録しておいたものです。
白黒反転した格好で残されています。

 


いかにも重要書類という感じです。


(2017年10月2日)

 

(42)

 

そうなると気になるのが「春琴抄」の謎です。

 

実際、記念館でも「春琴に熱湯をかけたのは誰か?」に対するいくつかの仮説が展示されています。
「松の木影」には何かヒントになるような手掛かりがあるでしょうか。

結論から言うと、「春琴抄手記」と題されたメモに

 

三月十五晦日の夜八ツ半時に春琴の家に賊か這入った、

 

という記述があるだけでした。
何かを結論づけるのは難しそうです。


(2017年10月4日)


谷崎潤一郎全集あれこれ第6回

(24)

 

次に読むのは第18巻です。第13回配本で、読むのは11冊目です。

 

 

〇文章読本

論理的思考がそれほど得意でない谷崎によるハウツー本。

「文章読本」というよりは「文章雑感」みたいな印象で、あんまり面白くありません。

唯一興味深いのは過去の自作「蘆刈」を添削する部分くらいでしょうか。

 

(2017年4月17日)

 

(25)

 

〇聞書抄

「盲目物語」の姉妹編のような作品。

秀次は暴君ではあったが秀吉に歯向かう気はなかった。それにも関わらず理不尽な切腹に追い込まれた。

その不条理な仕打ちは秀次の切腹にとどまらず大勢の家臣や妻子たちにも悲劇をもたらした……というお話。

 

この物語が悲劇として成立する前提条件として、刀の試し切りで人々を殺すのはよくても、殿様に逆らうのはだめ、という価値観があって、そこに私はいやーな感じを覚えてしまいます。

お家のために、あるいはお国のために自分を犠牲にするという考え自体は、私も否定しません。

問題は、お国の、どの部分のために命を賭けるのか? という部分です。

日本の国土(領土ではなく、国土)は守りたいです。文化は守りたいです。日本語も守りたいです。

しかし保守的な人たちの主張を聞くと、どうも彼らが守りたいのは、政治家、因習、既得権益、選挙の支持母体のようです。

 

おっと、ここで一つ朗報が飛び込んできました。

 

(2017年4月19日)

 

(26)

 

「教育勅語を学校の教材として使うことを否定しない」と閣議で決まりました。

 

これは画期的な決定です。

つまり、その文章の成立背景や、時代に与えた影響、後世から評価などとは関係なく、断片的にでも正しいことが書かれていれば教材として使ってもいい、と政府がお墨付きを与えてくれたわけです。

九割が嘘で、不道徳で、反国的であっても、真実がほんのちょっとでも混じっていれば、教材として扱えるのです。

 

十八歳で投票できるようになった際に、政府は偏向教育を問題視しました。

憲法や、憲法解説本などを教材として用いて「九条」について議論することを危険視しました。

しかし偏向という点では、教育勅語以上にあっち向いている文書は他にありません。

教育勅語を使ってもいい、というのはすなわち、何を使ってもいい、ということです。

教育の場で何を使おうが、今後は政府は口出ししないということです。

あるいは「教育勅語を読んで大笑いしようぜ」みたいな授業をおこなっても、国は文句を言わないということです。

 

学校教育の場から一切の政治的縛りが取り払われた歴史的なターニングポイントと私は受け取りました。

これは朗報です……よね?

 

(2017年4月21日)

 

(27)

 

谷崎自身は、「春琴抄」「盲目物語」とあわせて「盲目三部作」と呼ぼうかなあ、と冗談っぽく語っていますが、三部作の中で一つ読むとすれば断然「春琴抄」です。

その上で「どうしてももう一つ読みたい」とおっしゃるなら「盲目物語」を、どうぞ。

 

〇猫と庄造と二人のおんな

名人がそこらへんの筆に適当に墨をつけてそこらへんの紙に適当に〇を書いただけなのに、これが何ともすごい、みたいな小説。

批評しようと身構えると手の中からすり抜けてしまうし、放っておこうと思うといつの間にか膝に乗ってくるし、まさに猫みたいな小説。

お話としては、いろんなことにだらしのないダメなおっさんが(まだ三十前ですが)、猫が気になって気になって、阪神芦屋から芦屋川沿いに二号線まで北に上がって、業平橋を渡って西に向かって森市場、小路の停留所を越えて阪急の六甲登山口まで自転車で行くだけ。

そんな話が面白いんだから困ってしまいます。

 

(2017年4月24日)

 

(28)

 

少し予定を変更して第9巻を先に読みました。

本来なら第22回配本予定の巻です。

この巻は戯曲集です。

 

 

〇愛すればこそ

第一幕はいきなりぐだぐだなやり取りから始まります。

DV男から離れられない女性の悩み相談です。

周囲の人々は説得して何とか別れさせようとするのですが、女性は「でもでもだって」と煮え切りません。

戯曲としても無駄な台詞が多いし、先が思いやられます。

ところが第二幕以降、意外な展開を見せます。戯曲としても引き締まってきます。

第一幕を我慢すれば、それなりに面白いです。

 

(2017年5月10日)

 

(29)

 

〇永遠の偶像

美女とかしずく男性のペア、2.5組の洒落たコント。

 

発表後、上演が企画されたけれど警視庁の検閲室からストップがかかった、という話が同巻収載の「『永遠の偶像』の上演禁止」に詳しく書かれています。

検閲官と谷崎のやり取りは三谷幸喜の「笑の大学」を思わせます。

検閲官の無茶な要求に我慢強く対応する制作側。

検閲官に「あの脚本は面白くないからお止しになつたらどうですか」と言われたりもします。

最後には、上演させたくないという私の気持ちを汲み取って欲しい、と迫られます。今流行りの「忖度」ですね。

そこで谷崎は、それならはっきり禁止しろ! と切れてしまいます。

 

戯曲そのものよりも裏話の方が興味深かったりするのですが、検閲官の「面白くない」と言葉が引っかかって、もう一度読んでみました。

冒頭セミヌードの女性が登場して、男性主人公によって女性美の魅力が語られます。

その後いろいろあって、後半は女にめろめろの男二人の会話となります。

文字で読む分には十分に楽しいのですが、これを実演で見たとしたらどうでしょう。

セミヌードの女性はやがて服を着て、しばらくして退場。

そのあとは男二人の会話が続きます。

視覚的に刺激的なのは冒頭だけ。

まるで「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」です。

「面白くない」という感想は案外当たってたりして、などと思ってしまいました。

 

(2017年5月12日)

 

(30)

 

〇彼女の夫

駄目な女にすがりつく駄目な男、そこに捨てられた妻がやってくる、というお話です。

未練がましい女の相手なんかしたくない駄目男は逃げ回りますが、妻が来たのは大切な要件を伝えるためでした。

谷崎の戯曲って一つ一つの台詞が長くないですか?

 

〇或る調書の一節

これも駄目男の話です。

男は殺人、強姦、強盗までやらかしているので「駄目」というレベルをはるかに超えていますが。

男には、すさまじいDVにも関わらず寄り添ってくれる妻がいました。

 

〇お国と五平

これは駄目人間が出てこないので、精神的に読みやすいです。

夫を殺した友之丞を追って仇討の旅を続けるお国と、付き添いの五平。

しかし友之丞は意外なところにいました。

 

(2017年5月15日)

 

(31)

 

〇本牧夜話

本牧を舞台としたバタ臭い恋愛サスペンス。

本牧は谷崎お気に入りの地ですし、谷崎が大好きな白人女性も登場します。

どろどろした恋愛模様も谷崎の得意とするところ。

でも、できあがったものは谷崎らしくない、ガスの抜けた炭酸水みたいな代物でした。

 

〇白狐の湯

これぞ谷崎風のエロティック幻想譚!

と思いましたが、谷崎は、実はこういうジャンルの作品はあんまり書いていません。

この作品の最大の功績は、本牧や神戸よりも、山奥の温泉宿でこそ白人女性の肌はよく映える、ということを実証した点だと思います。

谷崎自身がそれに気づいたかどうかは疑問ですが。

 

〇愛なき人々

これも駄目な男のお話です。

この巻は駄目男濃度が高いです。

読み比べてみると、駄目男が駄目なまま愚図愚図する話だとまあまあ面白い、人殺しまで至ってしまうとあんまり面白くない、そんな印象です。

 

〇藝術一家言

あとはエッセイがいくつか。

先にちょっと触れた「『永遠の偶像』の上演禁止」なども収められています。

興味深いのは「藝術一家言」。谷崎はここで漱石の「明暗」をけなしまくります。

漱石が嫌いなのは日本で私だけかと思っていたので非常に面白かったです。

 

(2017年5月17日)

 


谷崎潤一郎全集あれこれ第5回

(15)

第9回配本は第14巻です。



〇青塚氏の話
谷崎の好きそうな「女体フェチ」「映画」「人形」「スカトロ趣味」をごった煮にしたような作品。
「不気味の谷」という言葉を知ってしまった今、今後「人間そっくりの人形」という言葉に幻惑されることはない……、そう思っていました。

しかし谷崎的小道具で飾れば「不気味の谷」が別の意味で活きるのかも、なーんて思いました。
すみません、幼稚な感想で。


(2016年8月1日)

(16)

〇蓼喰ふ虫
愚図で優柔不断な男が主人公。
またか、と思いながらいやいや読み始めましたが、これが案外面白いです。
何が面白いのかよく分からないのが困ったところですが、この時期には何となく分かることも、あって。

大昔の話ですが、夏休み終盤やテスト前、宿題や試験勉強をしないといけないのは分かっているのについつい他のことをしてしまう自分がいました。
普段なら全く興味のないことが突然面白くなってそれに熱中してしまうのです。
買ったまま長らく放置していた小説が急に読みたくなったり、突然無性にレコードリストが作りたくなったり。
で、試験が終わってしまうとその情熱はたちまちしぼんでしまうのです。

この小説の主人公は今、離婚問題で決断を迫られています。
もともと決断力がないのにこれ以上は決断を引き延ばせません。
このタイミングでなぜか、主人公にはいろいろなものが突然色鮮やかに見え始めます。
以前は退屈にしか思えなかった浄瑠璃が面白く思えたり、古臭いとしか思えなかった風流な遊びが楽しく思えたりします。

小説は何の兆しもなくぶつりと終わります。
どうしてこの終わり方なんだろうと以前は思いましたが、きっとこのラストシーンが主人公にとっていろいろなものがまぶしく見える最後の瞬間なのでしょう。明日にはすべてのことが色あせて見えることでしょう。

夏休みの宿題に追われているみなさん、宿題から逃げたくなったら「蓼食ふ虫」を読んでみてください。
さあ、どう感じるでしょうか?


(2016年8月3日)

(17)

〇顕現
文殊丸は生まれてすぐ偉いお坊さんから予言を授かった。
この子には前世から契られた女性がいる。
彼女と会わなければ立派なお坊さんになれるだろうが、彼女と会ってしまえば煩悩に苛まれ闇に堕ちるであろう、と。
だから彼はその女性と出会わないように生きていかなくてはならない……。

むちゃくちゃ面白そうじゃないですか。
ところがこれが未完。

〇ドリス
ドリスという美猫のお話。ネコの話で終わるのかそれとも人間の美女の話に展開するのかと思っていると、未完。

〇カストロの尼
スタンダールの小説の翻訳。これも未完。

〇藝術の一種として見たる殺人に就いて
トマス・ド・クインシー(谷崎は「デ・クインジー」と表記)のブラックユーモア・エッセイの翻訳。当然未完。

この記事を読むときのBGMはこれでお願いします。

(2016年8月5日)

(18)

〇三人法師
御伽草子からの脚色翻案。二十ページの小篇だけにさすがに完結。

〇エッセイ「現代婦人の服装」「東西味くらべ」「食味漫談」「岡本にて」「関西の女を語る」「カフエー対お茶屋 女給対藝者」「料理の古典趣味」などなど
女性論やグルメエッセイの数々。
女性論では特に目新しい考えはなく、グルメでは個別の店名などは登場せず、「岡本にて」にもこのあたりの地名がどんどん登場するわけでもない。
ただ「人に揮毫を所望されることが多く、(中略)苦しまぎれに短冊を汚すことにした」といくつか歌を並べてあって、その一つがこれです。

岡本の里は住みよしあしや潟海をみつつも年を経にけり

(2016年8月8日)

(19)

第10回配本は第15巻です。

 

この巻のメインは「乱菊物語」です。

これも未完です。

谷崎は未完率が高い作家です。
しかし「未完王」は決してネガティヴな称号ではありません。
書き終えられるかどうかも分からない、いつ休載するかもしれない、いつ雑誌に穴が開くかも分からない、それにも関わらず執筆オファーが相次いだということです。
それだけ人気があったのでしょう。
野球選手で言えば三振王や併殺王みたいなもので、一流選手にしか手にできないある意味ポジティヴな称号だと思います。

しかしそれはあくまでも、出版社経営にとって、であって、読者にとっては迷惑な話です。
読み手にとっては、どんなにつかみが面白かろうと、途中どんなにわくわくしようが未完であればクズです。
どんな偉い評論家が褒めようが、どんな書評家が心酔しようがクズはクズです。

これから「乱菊物語」を読む人が、まずこのコラムを目にしてくれますように。
「乱菊物語」は、クズ、です。


(2016年8月29日)

(20)

〇乱菊物語
さて、そのクズの「乱菊物語」ですが、遊女陽炎(かげろう)が海外の珍宝を欲しがるところから始まります。
このプロットが軸になるのかと思いきや、いろんなストーリーやいろんな登場人物が入り乱れて、どんどん収拾がつかなくなって中断するべくして中断したという感じです。
庵野監督とか「そこまで大風呂敷を広げて伏線貼りまくったら収拾つかなくなるよ」とアドバイスしてあげればよかったのに。

しかしこの「乱菊物語」の最大の失敗点は、誰も指摘しませんが、ヒロインたる陽炎のキャラクター設定が全然うまくいっていないところです。

谷崎が陽炎に惚れ込んでいれば多少の齟齬など強引に乗り越えられたと思うのです。
ところが谷崎にとって陽炎はそこまでの存在ではなかったようです。


(2016年8月31日)

(21)

〇吉野葛
てっきり随筆だと思って読みました。
谷崎の評論、随筆は小説に比べると格段に劣ります。
ところがこれは案外いいです。
描写が瑞々しいからだろうか、理屈っぽくないからだろうか、ある程度物語性があるからだろうか。
いろいろ考えましたが理由は単純でした。
これはちゃんとした小説なのでした。
ジャンル分けとかレッテル貼りは苦手ですが、「読めば読むほどこれはいい小説だなあ」と感じている自分がいます。


(2016年9月2日)

(22)

〇盲目物語
書かれたのは「春琴抄」の二年前だそうです。
「春琴抄」では語り手は第三者で、語られるのは佐助と盲目の美少女春琴。
一方「盲目物語」の語り手は弥市という盲目の按摩師。語られるのはお市の方。

一見相似形のようですが、読み進めていくうちに感じる「盲目物語」の決定的なもどかしさ。

按摩師だからこそ感じられるお市の方の魅力ももちろん描かれます。
最後に意外なところで活躍する按摩師ならではの秘密兵器もあります。
物語としてもよくまとまっているし、谷崎らしい行き当たりばったりなところもない。

でも、と言うか、それだからこそ、「主人公が盲目であるという設定のあざとさ」が感じられて仕方がありません。
この設定が芸術に昇華するのに必要だったのが、このあとの二年間だったような気がします。


(2016年9月5日)

(23)

全26巻で、今回読むのは10冊目。
先はまだまだ長いです。

谷崎潤一郎全集第21巻(第12回配本)

 
〇少将滋幹の母
話が自由自在に飛ぶように見えて、つまり読んでいる方はどこに着地するのか分からず、それから特に谷崎の場合、果たしてちゃんと完結するのかどうかハラハラしながら読むことになるのですが、これはちゃんと終わります。
しかもかなり見事な着地。

ただ、途中ものすごくエグいところがあって。
仕事柄こういう描写に耐性があると自分では思っていたのに、電車の中でひえーっと叫んで本を閉じてしまいました。
そして何ページか先まですっ飛ばかして読み続けたのですが、あとで人に訊いてみると、あれはニセモノだったそうです。
読んでいない人は何のことか分からないですよね。
でも、分からないままの方がいいと思います。


(2016年11月30日)
 


谷崎潤一郎全集あれこれ第4回

(10)

第6回配本は第11巻です。

 

 

〇神と人との間
小説冒頭から漂う「行き当たりばったり」感。
語り手が毒を盛って葬ったのは添田ではなくこの小説そのものだった、と言いたいくらいです。

 

〇痴人の愛
これも同じく振り回される主人公。
ただし「神と人の間」の穂積が何に振り回されているのかもう一つよく分からないのに対して、こちらはとことんナオミ。
このナオミが魅力的かどうかはさておき、この作品で「ナオミ」が一つの代名詞になったのは間違いありません。
「どんなに好きになっても溺れてはいけない」と「どうせなら溺れるほどの恋愛をしてみたい」が必ずしも対義語ではないと感じる今日この頃。


(2016年2月24日)

 

(11)

 

その他にエッセイがいくつか収載されています。
そこから神戸の飲食店が登場する部分を。

 

〇上方の食ひもの
神戸の三輪は有名なばかりで決して「おきな」ほど旨くはない。それに三輪では豆腐や白滝を持つて来ない。「牛鍋の味がうすくなるから」と云うのだが、それほど旨い肉でもないのに、有名なのをいゝ事にして見識ぶつていゐるのである。こんなのは生意気で面が憎い。
その外日本料理では奈良の月日亭、京都の伊勢長、支那料理では神戸の南京町にある第一楼などであるが、先づ此のくらゐにしておかう。

 

〇洋食の話
此の間独逸から帰って来た土方君に六甲ホテルで会つたら「近頃の独逸の料理に比べると、此のホテルの方がまだ優しですよ」と云ふことだつたが、恐らくそれが本当なのだろう。
京都にも大坂にも洋食らしい洋食は殆んどない。堂々たるホテルの料理でも、東京の一品洋食よりまづいのが多い。少しキタナイ喩へだが、まるでゲロのやうにまづまづしいのがある。神戸でさへも横浜よりは劣ってゐる。

 

* * * * * *

 

今から80年前の話ですのでご注意ください。

 

(2016年2月26日)

 

(12)

 

第7回配本の第4巻です。

 

 

〇鬼の面
行き当たりばったりで始まり行き当たりばったりで進む物語。
行き当たりばったりの主人公を描くのにはちょうどいいのかもしれませんが。
谷崎の自伝的な側面もあるらしいですが、それを知ったから突然面白くなるわけでもなく。

 

〇人魚の嘆き、魔術師、鶯姫
ほどよい幻想趣味と磨き上げられた語彙。
ストーリーをもっともっと磨き上げてくれれば傑作群の仲間入りできたのに。

 

〇異端者の悲しみ
これも自伝的作品。こちらは「鬼の面」に比べると行き当たりばっかり感が少ないです。
主人公は行き当たりばっかりですが。


(2016年5月25日)

 

(13)


続いて第8回配本の第6巻です。

 

 

〇小さな王国、少年の脅迫
マゾヒスト谷崎がかしずきたいのは美女ばかりではない、というお話。

 

〇魚の李太白
谷崎っぽくない、可愛らしい小品。この巻の中では一番きれいにまとまってるかも。

 

〇柳湯の事件、呪われた戯曲
これまでのミステリ小説よりはずいぶんよく出来ています。

 

〇富美子の足
これぞ谷崎。


(2016年5月27日)

 

(14)

 

この巻を読んでいやでも気づかされるのは翻訳小説の出来の悪さです。

芥川との共同訳(?)「クラリモンド」は冗長でぱっとしないし、「アツシヤア家の覆滅」は途中で放り出されてしまいます。

ワイルドの「ウヰンダミーヤ夫人の扇」では、実は自分はワイルド党ではない、と但し書きを付けた上でこんなことを書いています。

 

此の戯曲には割り合ひに俗悪な分子が少く、腰のうはついた所がなく、しんみりした、品のいゝ、落ち着きのある喜劇だと云ふ感じがする

 

谷崎はワイルドの中ではこの作品がお気に入りだったようです。
しかし読んでみると話はいい加減だし、リアリティもへったくれもないし、まあひどいもんです。
やっぱり普通に有名な作品の方がはるかによくできています。


(2016年5月30日)


谷崎潤一郎全集あれこれ第3回

(5)

 

海外の長篇小説シリーズも残り20作を切りました。

​こうなってくるとどうしても考えてしまうのが「自分なりのベスト10」です。

文句なくベスト10入り間違いなしの作品もあれば、好きではないけれども気になって気になって仕方がない作品もあったりして、悩みながらも楽しい作業です。

 

そんな時にとんでもない作品に出くわしました。

「春琴抄」です。
 
あらすじだけは知っていて、自分でもすっかり読んだ気になっていましたが、実際に読むのは初めてでした。

そうしたら何と! あまりにも完璧な小説世界。

これまでに読んできた海外の長篇の80冊を足したよりもさらに深く、さらに高い感動!
ぎりぎりまで削ぎ落とされて、ぎりぎりまで研ぎ澄まされた描写。
こんな小説が存在しうるなんて。

 

(2016年1月8日)

 

(6)

 

「春琴抄」が収められているのが第5回配本の全集第17巻です。

 

 

〇蘆刈​
謎めいた男が語る、美女お遊と彼女に魅せられた男女の不思議な恋愛譚。

 

〇陰翳礼讃
暗がりにこそ映える美がある、と。
​谷崎のエッセイにしてはちゃんとしています。

 

〇文房具漫談
​原稿用紙とか筆記用具とか、潤一郎ファンなのでありがたく読みますが、まあ、どうでもいい話。

 
〇東京をおもふ
果てしなく続く東京の悪口。

最後には「いろいろ言ったけど本当は東京が好きで……」みたいなオチになるのかと思いきや、最後の最後までとことん悪口。

このしつこさはかえってあっぱれ。
 
概して潤一郎のエッセイは退屈です。

でもこの人が「春琴抄」を書いたのですから不思議です。

 

(2016年1月13日)

 

(7)

 

それにしても「春琴抄」の浄化された世界を一体どのように表現すればいいいでしょう。

​私の乏しい語彙と拙い文章力で表現するのはとっととあきらめて、他の人たちの感想をWEBでいろいろ探してみました。
​びっくりしたことがあります、「春琴抄」には二つの謎があるという説があるのです。
 
春琴の子どもの親は誰か? という謎と、春琴に熱湯をかけたのは誰か? という謎です。

一つ目の謎は、小説の最後ではっきり説明されているので厳密には「謎」ではありません。

しかし子どもが生まれる場面は確かに謎めいた書き方がなされています。

どうしてこんな書き方をするのか? そもそもこの懐妊に物語的意味があるのか? ということも含めると十分「謎」かもしれません。

二つ目についてはこれは明らかに作者によって「謎」として提示されています。

谷崎は探偵小説に興味がある作家でした。

その彼が「謎」を提示した以上、それは解かれるべき「謎」であると解釈するのは当然かもしれません。

しかし私にはその発想は思い浮かびませんでした。
普段から「ミステリ的要素を重視する!」と偉そうに言っておきながらこの謎には全然反応しなかったわけです。

 

(2016年1月15日)

 

(8)

 

自分の鈍感さには呆れ返ってしまいます。

 

​しかし、しかし、あくまでも言い訳ですが、謎の中には作者自身がどうでもいいと思っているものもあります。​

コーネル・ウールリッチの「喪服のランデヴー」は大好きなミステリですが、犯人がどうやって被害者に接近してどうやって犯行に及んだか、についてはあまり詳しく描写されません。
書き手も読み手もそんなことはどうでもいいのです。

 

小説ではありませんがフランソワ・オゾン監督の映画もミステリアスな雰囲気が特徴です。
が、ミステリアスな雰囲気だけ満載しておいて、謎を解決する気はいっさいありません。
あ、わざわざフランス映画を引き合いに出さなくてももっと身近に典型的な例がありました。
「エヴァンゲリオン」。
これなんか謎を解決するどころか物語という枠組みさえ存続が危ぶまれる状況で、おっと「エヴァンゲリオン」が出てくると話が途方もなく脱線してしまうのでこの辺でやめておきましょう。
 
「春琴抄」の場合、作者自身によって容疑者が何人か挙げられています。
エラリー・クイーンならここで「読者への挑戦状」が差し挟まれるところです。
「さあ、真犯人は誰でしょうか?」という風な。
 
でも私は挑戦状とは正反対のものとして受け取りました。
「この件についてはもうこれ以上考えなくてもいいんですよ」
いわば打ち切り宣言。

 

(2016年1月18日)

 

(9)

 

面白いと思うのは、春琴に熱湯をかけたのは誰か? という謎に対して「春琴狂言説」や「佐助犯人説」を主張する人がいることです。

それでは究極の純愛が台無しになるように私には思えます。
しかし「狂言の方が純愛度が高まる」と言われれば、それに対する論理的な反論も思い浮かびません。
「春琴抄」という物語がそういう説を許容しないように思える、という頼りない主観でしか抗弁できない自分がいます。

しかもこういう議論の際にややこしいのは、作者の考えが必ずしも正しくはない、という点です。
仮に新発見の谷崎書簡の中で「誰が犯人かなんてどうでもええじゃろ」と書かれていたとしても、逆に「あれは実は佐助がやったんじゃ」と書かれていたとしても、それによって解釈が変わることはないと思います。

右脳で書かれた小説と左脳で書かれたエッセイの質が、谷崎の場合極端に違っていて、私には谷崎の左脳では自分の作品が理解できないように思えるのです。


(2016年1月20日)


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