潤一郎全集あれこれ第17回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第19、20巻その1

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谷崎潤一郎全集、ついに全巻終了しました。

 

 

19巻と20巻は少し変則的で、19巻に「細雪」の「上」と「中」および雑纂。20巻に「細雪」の「下」と雑纂が収録されています。

どういう風に読み終えるのがいいかちょっと考えましたが、

 

20巻の雑纂→19巻の雑纂→「細雪」の「上」「中」「下」

 

と読み進めるのがベストだと結論しました。

割とどうでもいいことですが。

 

そんなことよりも問題はあらすじです。

 

(2021年8月20日)

 

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ちまたでは「何も起こらない小説」と言われたりしますが、「細雪」では結構大事件が起こっています。

 

阪神大水害も発生していますし、その直後の板倉のエピソードも衝撃的です。

そもそも主要登場人物だけでも絞りに絞って3人。

背景の説明だけでも200文字に収まるわけがありません。

 

でも、やります。

恒例の200文字あらすじ。

 

あれも、あれも、それにあれも、ばっさりカットしてのあらすじです。

 

船場の富商蒔岡は先代で没落し店も人手に渡っていた。長女夫婦は本家を名乗っていたが実体はない。三女雪子と四女妙子は本家と肌が合わず次女幸子の芦屋の家によく出入りした。連れだって歩く三人の姿は人目を引いた。雪子は縁遠かった。縁談があっても本家の見栄と本人の内気のせいでまとまらなかった。やっと結婚が決まった。式は東京でおこなわれる。雪子は支度を整えて汽車に乗った。数日前からの下痢はまだ治まらなかった。

 

(2021年8月23日)

 

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いろいろ大事件が起きているのに「細雪」が「何も起きない小説」と言われるにはわけがあると思います。

 

最大の大事件「阪神大水害」の場面があんまり面白くないのです。

私も、知っている地名がたくさん出てくるので何とか読み通せましたが、そうでなければ斜め読みしていたと思います。

あと板倉の病気も、職業的な興味で読みましたが、面白かったかと言われれば素直にうなずけません。

 

読んでいる時はすっごくいらいらするのですが、雪子が電話口でおろおろしてしまって縁談をぶち壊してしまう、そんなところが何だかんだ言って面白かったのだと思います。

 

ところで板倉の病気ですが、中耳炎をこじらせて乳様突起炎を起こし、それがさらに悪化して菌が全身に回ったものと思われます。

乳様突起というのは耳のすぐ後ろの少し出っ張った部分で、この部分の骨は空洞だらけになっています。

そこに菌が入ると膿の逃げ場がなくなって急激に悪化するのです。

抗生剤の登場とドレナージ術の確立で最近は減ってきましたが、まだ稀に発生するようです。

 

(2021年8月25日)

 

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身体の中に溜まった膿を外に逃がしてやる処置を「ドレナージ」といいます。

 

乳様突起に限らず、体内の閉じられた空間に膿が溜まった時には抗生物質をどんなに使ってもよくなりません。

膿を外に出す処置が必要となります

頭でも胸でもお尻でも同じです。

逆に、上手に膿を外に逃がしてやれば抗生物質など必要ないほどです。

 

ところがこのドレナージがなかなか難しいです。

膿を速やかに外に出すためには大きく切開すればいい、というのは誰でも分かっています。

ですが「大きく切る」というのができそうでできません。治療のためと分かっていても人の身体に傷を入れるのには本能的な抵抗感を感じてしまうのです。

私もそうです。ドレナージ処置のたびに思います。「切開すべき大きさの九割しか切れなかった」と。

特に最近、外科医は「いかに傷を小さくするか」ばかり考えています。

「大きく切れ」なんて言われようものなら頭がおかしくなるのではないでしょうか。

 

医学がどんなに進歩しても身体の中に膿が溜まるケースは一定頻度であります。

しかし大きく切れる外科医は減る一方です。

近い将来、再び乳様突起炎が命にかかわる病気になる時代が来そうな気がしてなりません。

 

(2021年8月27日)

 

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そういえばずいぶん前に書いたことがあります。

 

今は何でも内視鏡でおこなうのが大流行りです。

お腹を切って胆嚢を取る病院なんてもう存在しません。

 

ですがその技術は開腹手術の達人たちが確立させたものです。

術中に何かアクシデントが発生してもすぐに開腹手術に切り替えて対処できる外科医によっておこなわれてきたのです。

その世代の外科医はそろそろ引退していきます。

残るのはお腹に大きくメスを入れたことのない外科医ばかりになります。

 

その時代に、たとえば術中に胆嚢動脈に傷をつけてしまった時、彼らが対処できるのか、不安だったりします。

 

まあ、そういう旧世代の不安を飛び越えて新技術は確立されていくものですが。

私が内視鏡手術を受ける時には、スタッフに一人は私と同世代の医師が加わっていてほしいものです。

 

(2021年8月30日)

 

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「細雪」に戻ります。

 

幸子の家は芦屋にあるという設定なのでいろいろ見知った場所が出てくるのが楽しいです。

家のモデルは住吉川沿いにある倚松庵(いしょうあん)と言われています。

 

 

実際には今の魚崎駅の近くにあったらしいですが六甲ライナーの建設にともない現在の場所に移設されたそうです。

いずれにしても風情のある場所だと思うのですが、谷崎がどうしてこれを芦屋に設定しなおしたのかはよく分かりません。

 

先日の納涼夕涼み会に行ってきました。

雨のため窓が閉め切られていたために、夕は涼めませんでしたが面白かったです。

 

 

リビングです。

当時の状況をどれだけ再現したレイアウトなのかよく分かりませんが、外見からは想像できないハイカラな家です。

 

 

窓の隙間から見える庭です。

 

(2021年9月1日)

 

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なぜか芦屋に設定された幸子の家ですが、それが芦屋のどのあたりにあるのか興味深いです。

一番参考になるのがこの部分です。

 

幸子の家から蘆屋川の停留所までは七八丁と云うところなので、今日のように急ぐ時は自動車を走らせることもあり、又散歩がてらぶらぶら歩いて行くこともあった。そして、此の三人の姉妹が、たまたま天気の好い日などに、土地の人が水道路(すいどうみち)と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所行きの衣裳を着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹かずにはいなかったので〜(第19巻44ページ)

 

その他にも参考になる文があちこちにあって、それを総合すると清水町あたりではないかと推測されるそうです。

げんこつラーメンのすぐ北側ですね。

 

そのあたりの推論はこちらの文学探求サイト「 東京紅団」で詳しいです。

 

(2021年9月3日)

 

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雪子の眼のふちにはシミがあります。

 

日によって濃くなったり薄くなったりするそうです。

本人はさほど気にしていないようですが、姉の幸子はお見合いの日が近づいてくると気になって仕方ありません。

ついにある日皮膚科で診察を受けさせます。

その結果は「結婚すれば薄くなるから気にしなくていい」というものでした。

 

これは「肝斑」っぽいです。

女性ホルモンと関係したシミで、三十代から出現して五十代になると薄くなっていきます(微妙に谷崎の記述とは食い違いますが)。

現代でも根本的な治療は難しいようで、トラネキサム酸の服用が中心となります。

当院だとトランサミンですね。

1か月分3割負担で千円程度の薬です。

 

(2021年9月6日)

 

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「細雪」を特集するにあたって雪子のお見合い戦歴をまとめようと思ったのですが、詳しくまとめてくれている人がちゃんといました。

 

その名もずばり「雪姉ちゃんは目のふちが気になる」。

私が考えたよりも詳しく、分かりやすく、しかもきれいな文章でまとめられています。

こういうのを見ると自分が「細雪」について語るのが恥ずかしくなります。

 

でも、語るのですが。

 

(2021年9月8日)

 

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谷崎についてはプロの研究者からアマチュア愛好家までありとあらゆる本読みによって研究や叙述がなされているので、今更私の出る幕はありません。

せめて神戸元町界隈の描写だけでもまとめておきましょう。

 

「МB化学工業云うたら、仏蘭西系の会社やねんなあ」

「そうやわ。ーよう知ってるなあ、こいさん」

(中略)

「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」

(第19巻10ページ)

 

このМB化学工業は当時の帝国酸素(現・日本エア・リキード株式会社)がモデルだったそうです。

これもこちらのサイトに詳しいです「阪急・阪神沿線文学散歩」。

建物も残っていて、今は大丸別館のHERMESが入っているビルですね。

気軽には入れない、すごーく敷居の高い建物です。

 

(2021年9月10日)

 

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続いて第19巻13ページ。

 

井谷と云うのは、神戸のオリエンタルホテルの近くの、幸子たちが行きつけの美容院の女主人なのであるが、(後略)

 

オリエンタルホテルは今回の雪子のお見合い会場で、このあとも何度となく登場します。

結婚式でもお見合いでも会食でも、「ハイソが使うならここ」のような場所だったようです。

ただ、調べてみると谷崎の時代の建物は神戸大空襲で被害を受けて取り壊されたそうです(3代目)。

私が覚えている旧オリエンタルホテルはそのあと再建された建物(4代目)なんですね。

 

井谷はホテルの専属美容師みたいな感じでしょうか。

世話焼きでもありますが、実際に顔も広いようです。

で、特筆すべきは井谷の人のよさ。

プライドだけ高くて優柔不断でわがままな蒔岡家のために実に根気よく骨折ってくれます。

「しょーもない人」ばかり出てくる「細雪」を救ってくれているのは幸子の夫貞之助と、この井谷の常識人ぶりだと思います。

 

(2021年9月13日)

 

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さらに第19巻104ページから、

 

妙子の個展は今度は神戸の鯉川筋の画廊を借りて三日間開催され、阪神間に顔のひろい幸子の蔭の運動もあって、第一日で大部分の作品が売約済になると云う成績を挙げた。

 

この画廊は大塚銀次郎によって開かれた「画廊」という名の画廊だそうです。 

それについてはこの「兵庫県立美術館季刊誌ARTRAMBLE」に詳しいです。

元町一丁目で鯉川筋の東側、というのがピンと来ませんが、まあ、あのあたりですね。

当時からお洒落な一帯だったようです。

 

ところで私が神戸に来た平成元年、鯉川筋では工事がおこなわれていました。

長〜いこと工事が続いていた印象があります。

私はてっきり地上を流れていた鯉川を地下に埋める工事なのかと思っていました。

つまり、妙子が個展を開催した当時、その画廊は鯉川のほとりにあったのだろう、と。

 

しかし調べてみると平成元年の工事は、もともと地下河川だった鯉川の改修のための工事だったそうです。

明治時代に鯉川は暗渠化されていたのでした。

ですから妙子の個展の時には鯉川は既に地面の下だったことになります。

 

(2021年9月15日)

 

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そうそう!

 

三宮から大丸の北側までまで続く地下道がありますが(サンポチカという名前に決まったそうです)、どうして元町商店街までつなげないんだろう? と疑問に思っている人は多いと思います。

ほんの数メートル掘るだけなのに、私もそう思っていました。

 

でも、ここには川が流れているんですね。

何も考えずに穴を開けたら地下道が水浸しになるところでした。

 

そうは言いつつ、何かいい方法があるような気もしますが。

 

(2021年9月17日)

 

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そして同じページの最後の方です。

 

「そんなら、東雅楼にしてんか、彼処が一番安いよってに」

「ケチやなあ、こいさんは。オリエンタルのグリル奮発しんかいな」

東雅楼と云うのは南京町にある、表の店で牛豚肉の切売もしている広東料理の一膳めし屋なのであったが、四人が奥へ這入って行くと、

「今晩は」

と、登録器の所に立って勘定を払っていた若い西洋人の女が云った。

 

ネットで調べても「東雅楼」についてはよく分かりません。

南京町の古い地図をあたるか、お年寄りの方に話を聞くしかないと思います。

今度南京町の人に会ったら聞いてみますね。

 

(2021年9月22日)


潤一郎全集あれこれ第16回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第26巻

(109)

 

谷崎潤一郎全集、次に読んだのが第26巻。最終巻というか別巻というか付録的な巻です。

 

 

収められているのは主に日記です(小説は含まれていないので「あらすじ」作業も不要です、ほっ)。

本人が書いているものもあれば家族や秘書が書いた部分もあって、資料的にはともかく文学的には意味がありません。

 

ですからいっそ読まないで飛ばそうかとも思ったのですが、うっかり読んでしまいました。

意外と面白かったです。

 

(2020年10月30日)

 

(110)

 

晩年の谷崎は高血圧と腕の痛みに苦しめられています。

それぞれ当時高名だった医者や整体師に受診して治療を施してもらいますが、いずれもはかばかしい効果をもたらしませんでした。

 

しかし不思議です。

この日記が書かれている時代には降圧薬としての利尿剤が発売されていたはずです。

谷崎みたいな塩分の摂り過ぎによる高血圧患者にはよく効いたと思うのです。

ところが谷崎が頼ったお偉い先生からはついに「利尿剤」という言葉は出てきませんでした。

偉い先生、必ずしも最新の治療法に通じず、ということでしょうか。

 

手の痛みもそうです。

 

整形外科医はもちろん鍼灸師、整体その他ありとあらゆる療法にすがりましたが効果はさっぱりです。

そのせいで晩年の谷崎は口述筆記に頼らなくてはならなくなりました。

 

それにしても「痛い腕をたくさんのハチに刺させれば痛みが消える」などという治療法があったんですね。

しかも谷崎ほどの人がそれをあっさりと信じてしまうとは……。

 

何はともあれこれで谷崎全集も残り2冊。

「細雪」が収録されている第19巻と20巻です。

 

(2020年11月2日)


潤一郎全集あれこれ第15回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第22巻

(100)

 

次に読んだのが第22巻。25冊目の刊行で読むのは23冊目です。

 

 

まず収められているのが随筆「過酸化マンガン水の夢」です。

 

これまで「谷崎の随筆はつまらない」と言い続けてきましたがこれはどうでしょうか。

特に晩年の随筆は日記文を水増ししたようなものばかりですが、この作品もそれっぽい体裁で始まります。

 

ストリップショーを観にいく話、中華料理を食べる話、映画を観る話……。

 

ずっこけるのは映画についての記述です。

 

(2020年2月26日)

 

(101)

 

谷崎が観たのはアンリ・クルーゾー監督の「悪魔のような女」という映画です。

 

最後にどんでん返しがあるので映画の冒頭に「結末は誰にも言わないでください」というテロップが流れるそうです。

そういうテロップが流れると書いた後で谷崎は詳細に映画のストーリーを語ります。

最後のどんでん返しまできっちりばらしてしまいます。

 

個人的にこっそりと友達にばらすのならともかく(私ならそんな友達とはすぐ絶交しますが)、雑誌で大々的にばらしてしまうのですから口あんぐりです。

これくらい良識のリミッターが外れている人でないと芸術家にはなれないのかもしれません。

 

実際ここから随筆はぐいぐい異世界に突入していきます。

谷崎の随筆は面白くないと言い続けてきましたが、これはかなり強烈な随筆です。

高いわけではなく、深いわけでもありませんが、とんでもなく「あっち側」です。

 

ただ、やっぱり淀川長治さん、谷崎潤一郎さん、ネタバレはよくないと思いますよー。

 

(2020年2月28日)

 

(102)

 

〇A夫人の手紙

 

これはまた要約の難しいお話です。

三通の手紙によって構成されています。そこに劇的なできごとは含まれていません。

谷崎夫人の友人からの手紙を、本人の承諾を得てアレンジしたもののようです。

三通目の手紙にはたくさんの絵が描かれていますが、その友人の絵をそのまま流用したものです。

 

静子様、いよいよ疎開されるそうですね。この戦局ですから阪神間からお逃げなさるのには賛成でございます。私はこちらで静養させられておりますが、楽しみといえば戦闘機の訓練を眺める事だけです。一人情熱的な教官が私のために低空飛行や旋回を見せてくれます。谷崎様は飛行将校の小説を書いてくださらないかしら。この頃俳句も好きになりました。「梔子」の同人にも漸くなれたのよ。

 

   梅が香にめざしを干してゐたりけり 泰子

 

(2020年3月2日)

 

(103)

 

〇小野篁妹に恋する事

 

これは小説ではありません。

「少将滋幹(しげもと)の母」を書くために集めた資料の中に小野篁(おののたかむら)の日記がありました。

それを紹介しつつそれにまつわる雑感などを書き留めた随筆です。

基本は篁の恋愛物語ですが、字突の思い出話に脱線したり、篁の手紙の文章をこきおろしたりして、でも最後には「矢張小説にすればよかったような残念な気がしないでもない」と書いています。

 

(2020年3月4日)

 

(104)

 

これを無理やり要約する場合、随筆の体裁を活かすか、篁の物語部分だけを抽出するか、二つの方法があります。

私は随筆の格好にしてみました。

 

小説執筆の資料の中に「篁日記」があった。興味深く読んだが結局小説にはしなかった。篁は異母妹と恋に落ちた。それに気づいた親に幽閉されて娘は悲しみと悪阻のために死んでしまう。篁はその後も毎晩娘の幽霊と語り合った。そうかと思えばその数年後篁は右大臣の娘に目をつけて婿にしてほしいという手紙を大臣に送り付けた。首尾よく婿になった篁は出世して参議にまでなった。やはり小説にすればよかったと今は残念に思っている。

 

(2020年3月6日)

 

(105)

 

〇上山草人のこと

 

上山草人とは日本人としてはおそらくもっとも早い時期にハリウッドで活躍した俳優です。

Wikipediaにもかなり詳しい解説が載っていますが、こちらの谷崎による評伝もよくまとまっていますし面白いです。

 

出世作「バグダッドの盗賊」がこちら。

 

 

この予告編を観るとかなりの大作のようです。

 

(2020年3月9日)

 

(106)

 

〇或る時

 

これも小説ではありません。

が、せっかくなのであらすじをつけてあげました(またまた謎の上から目線)。

 

十二歳の頃から十五六歳までの数年間南茅場町に住んでいた。三間しかない借家だったが蔵や庭はあった。両親は蔵に、私たちは母屋に寝ていた。ある朝私は厠に行くために蔵の前を通った。ふと中を覗くと両親が夜具から顔だけ出して私を見ていた。二人は重なり合って、ほのかに笑っているように見えた。物心ついて以降愚痴と泣き言を言い暮らしていた両親だったが、その時の記憶だけは二人の悲しい思い出を和らげてくれるのである。

 

(2020年3月11日)

 

(107)

 

〇鍵

 

もう毎回言い訳ばっかりですが、これもあらすじをつけるのがとても難しい作品です。

こんな感じにしてみました。

 

妻ハ慎ミ深ク閨房デモ肌ヲ見セナイ。アル夜酒ニ酔ッテ眠ル妻ノ裸身ヲ観察シタ。私ハ異常ニ興奮シ、夢ウツツノ妻モソレニ応エタ。

 

夫は日記をわざと私の目に見える所に置いている。私が盗み見ると思っているのだ。そして木村さんとの仲も疑っているに違いない。

 

血圧ガ上ガルニツレテ思考ガ衰エテキタ。頭ニアルノハ淫欲ノ事ダケダ。

 

夫は脳溢血に倒れた。二週間の昏睡のあと、私が日記を読み木村さんと通じていた事も知らずに死んだ。

 

それにしても谷崎、すごいです。

未完が多いとかテキトーに描き散らかすなとか散々悪口を言ってきましたが、振り返ってみれば全集25巻の全てに一つは必ず傑作が含まれています。

つまり傑作が少なくとも25はあって、しかもデビューから最晩年にかけて満遍なくあるということです。

こんな人は他にいないのではないでしょうか。

 

(2020年3月13日)

 

(108)

 

谷崎全集22巻にもう一つだけ小説が残っていました。

 

〇夢の浮橋

 

継母も生母と同じく茅渟(ちぬ)と呼ばれた。母についての思い出はいくつかあるがどちらの母にまつわるものなのかおぼろげだ。継母は時に乳首を含ませてくれた。この習慣は私が大きくなるまで続いた。やがて弟が生まれたがすぐに遠くの親戚に貰われていった。私は成人して結婚した。周囲からは祝福されなかった。私と継母との関係を人々は疑っているようだった。ある日母は百足に咬まれて死んだ。私は妻と別れて弟を連れ戻した。

 

最初に読んだ時には「無責任な噂を流して、親戚の人たちにも困ったもんだ」くらいに思っただけでした。

でも二度目読むと確かに継母と「私」の間には関係がありますね。

弟の父親も間違いなく「私」です。

 

調べてみるとこの小説は「源氏物語」の光と冷泉院の関係を模して書かれたもののようです。

そもそもタイトルからして明らかですし、小説も「源氏物語」の話から始まります。

それなのに「私」と継母の関係を疑ってもみなかった私の読解力!

お恥ずかしい限りです。

 

(2020年8月12日)


潤一郎全集あれこれ第14回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第12巻

(88)

 

次に読んだのが第12巻。24冊目の刊行で読むのは22冊目です。

残り4冊!

 

 

脂の乗り切った40代の作品集です。

何をどう書いても何となく形になってしまいます。

 

〇金を借りに来た男

 

長谷川がまた金を借りに来た。さんざん金を借りまくって一切返そうとしないやつだ。金の無心なら二度と来るなと言っていたのにやって来たのだ。今回は友人宇佐美の懐中時計を修理すると騙して質に入れてしまったらしい。受け出しの金を貸してくれと長谷川は懇願した。豊田は仕方なく金を貸す。その時たまたま宇佐美がやって来た。長谷川はしきりに宇佐美の懐を気にする。豊田もじきに気づいた。そこにはちゃんと懐中時計があった。

 

「潤一郎喜劇集」として出版されたうちの一篇です。

舞台よりもウッチャンのコントで観たいような気がします。

 

(2019年7月10日)

 

(89)

 

〇羅洞先生

 

A雑誌の訪問記者は、羅洞先生に面会するのは今日が始めてなのである。一時間も待たせてやっとあらわれた先生は無愛想だった。何を訊いても不得要領な呻り声しか返ってこなかった。会見は終わったが不満に思った記者はこっそり裏庭に回って書斎の中を覗いた。腹ばいになった羅洞先生に十五六の少女がまたがっていた。少女は羅洞先生の尻を笞で打った。その時始めて先生は少しばかり生き生きとした目つきで「ウー」と呻った。

 

いいですねえ、羅洞先生。

短篇なのがもったいないくらいのユニークなキャラクターです。

 

(2019年7月12日)

 

(90)

 

〇馬の糞

 

Aとは中学時代からの友人だった。私が結婚すると彼は妻を見て言った。あんまり美人じゃないね、と。君には関係ないだろうと反論すると彼は言った。同じ時代を生きる青年として感覚の違いは許せない。友人がビフテキの代わりに馬の糞を食べると言ったら黙っていられないと。それから七八年して私は彼を訪ねた。そこで彼の妻を見た。十五六も歳の違うまるで女学生のような美人だった。どうだ、馬の糞とは違うだろう、彼は笑った。

 

何らかのどんでん返しがあるのかと思ったらこのまま終わります。

読み間違いかと思って読み返しましたがやっぱりこのまんまのお話でした。

 

(2019年7月17日)

 

(91)

 

〇赤い屋根

 

小田切の妾の繭子は赤い屋根の西洋館に囲われる女優だった。小田切は撫でられるよりも足蹴にされるのを喜ぶ男だった。それをいいことに繭子は恩地という現像技師を家に導き入れていた。ある日小田切をアダリンで眠らせると繭子は恩地から駆け落ちの約束を強引に取り付けた。翌朝繭子の家を寺本が訪ねてきた。彼は繭子取り巻きの学生の一人で繭子も憎からず思っていた。寺本の来訪を聞いて繭子はあわてて小田切を家から追い出した。

 

冒頭にこんな文章があります。

 

「中山手三丁目で電車を降りて、三の宮の方へ一直線に下っているアスファルトの坂道を歩き出すと」

「ふらりと神戸へやって来たのだが、こういう時に彼女は廻り道をしてでも、此の坂道をスタスタ歩くのが好きなのである。

一帯に街が綺麗で、大概な路面はアスファルトで固めてある神戸の中でも、土地の人がトーア・ロードと呼んでいる此の坂は一番気持がいい」

 

調べてみると1971年まで神戸市電というのが走っていて確かに「中山手三丁目駅」があったようです。

今のNHK神戸放送局あたりでしょうか。

 

(2019年7月19日)

 

(92)

 

〇友田と松永の話

 

私は一通の手紙が元で友田と松永が同一人物ではないかと疑い始めた。友田は堂々たる恰幅の遊び人、一方松永は大和の国の農家の痩せた男だった。しかし松永の活動時期と友田の失踪期間は一致していた。最初は否定していた友田がやっと打ち明けた。遊興に憧れた松永は故郷を飛び出して友田となり金にあかせて肥り、心が倦むと痩せ衰えて故郷に戻っていたのだった。でも四十五歳を過ぎてもう友田には戻れない気がする、彼は言った。

 

よく考えるといろいろ無理のある話です。

こういう場合谷崎はたいてい途中で投げ出してしまうのですが、これは頑張って最後まで書いてくれました。

 

(2019年7月22日)

 

(93)

 

〇二月堂の夕

 

奈良の二月堂のお堂の下で一人の婆さんが踊るのを見た。無論しろうとの田舎の婆さんが踊るのだからむづかしい手はないが、これだけ巧者になるのには余程この道に凝り固まっているに違いない。私は三十分ほどその踊りを眺めてから、お堂の石段を上りかけたが、ちょうど良弁杉の下の、若狭井の前にまた一団の婆さんが踊っているのを見つけ出した。ふと一首の歌を思い起こした。

 

亡き父に似たる翁と語りけり 長谷の御堂の春の夜の月

 

(2019年7月24日)

 

(94)

 

谷崎のあらすじ、まだまだ続きます。

 

〇マンドリンを弾く男

 

浮子は土蔵に閉じ込められていた。湖水の縁の険しい崖の上の部屋だった。部屋の主の盲人は浮子に毎晩マンドリンを聞かせた。ある夜壁が崩れて影の男が姿をあらわした。浮子を救い出すために一年前から壁を掘っていたのだった。男は盲人を殺して浮子を船に乗せた。崖の上からはマンドリンの音が聞こえていた。男は船底の栓を抜いて船を沈ませた。二人は波間に消えた。これでようやく浮子はマンドリンの音から解放されたのだった。

 

谷崎は謎解きミステリも好きだったようですが、実際にはこういう幻想ミステリの方が肌に合っているようです。

 

(2019年7月26日)

 

(95)

 

〇白日夢

 

青年は歯科医院の診察室でドクトルが次々と患者を治療していく様子を不安そうな表情で見ていた。中でも気になったのは一人の令嬢だった。令嬢は治療中意識を失い隣室に連れて行かれた。それを見ていた青年も気が遠くなった。気がつくと青年は令嬢とドクトルの密会現場にいた。青年は淫婦と叫びながら令嬢を刺し殺した。再び歯科医院。意識を取り戻した令嬢は治療室から出ていった。気がついた青年もよろよろと手術台から下りた。

 

まず日劇ミュージックホールでストリップティーズとして上演されてその後何度かポルノグラフィとして映画化されているようです。

確かに白日夢部分を広げればどのような物語にでもなりそうです。

 

(2019年7月29日)

 

(96)

 

〇青い花

 

「あぐり」とは一か所だけ「阿具里」と表記されていますが十代後半の少女です。

 

岡田はあぐりを連れて横浜に向かった。宝石商や洋服屋を回ってあぐりが欲しがるものを買ってやるのだ。歩きながら岡田は自分が死んでしまう夢を見る。夢の中のあぐりは岡田を見て「あら、死んじゃったの」とぽかんとした。岡田はもう歩けないとだだをこねる夢を見る。死んだ母親の夢を見て支那の夢を見た。二人は婦人服屋で服を仕立てた。試着するあぐりの周りを岡田は回った。あぐりは生き生きと笑った。岡田は目眩を感じた。

 

主人公は三十代です。平たーく言うと、そろそろ体力の衰えを感じ始めた主人公が十代の少女とつきあって元気になるかと思ったら逆に気分が落ち込んで、最後にはくらくらしてしまう、そんなお話です。

 

(2019年7月31日)

 

(97)

 

〇続羅洞先生

 

記者は浅草の小屋で羅洞先生と会った。先生は相変わらず無愛想だったが記者が演芸担当だと知ると真弓という女優のことを調べて欲しいと言った。真弓は一言もセリフを言わず、ダンスの場面でも素足を見せなかった。調べると理由は分かった。彼女は梅毒のために鼻がふがふがで、天刑病で足の指をなくしているのだった。先生からはその後音沙汰がなかった。記者が女中から聞き出したところでは先生は真弓と結婚したとのことだった。

 

このあらすじは非常に不本意です。

もっと面白くまとめたいのですが、現時点ではこれが精いっぱいです。

いいアイデアがひらめいたら書き直したいです。

 

ちなみに天刑病とはハンセン氏病のことです。

 

(2019年8月2日)

 

(98)

 

〇グリーブ家のバアバラの話

 

トーマス・ハーディの短篇の翻訳です。

 

バアバラの元夫のエドモンドは火傷のために顔が焼け爛れ、彼女のもとを去り病で死んでいた。彼女には美しかった頃のエドモンドの像が残された。バアバラはその後アブランドタワース卿と結婚したが、彼女はこっそりその像を愛し続けた。それに気づいた彼は彫刻家に命じて像を火傷を負ったあとのエドモンドそっくりに作り替えた。それを見たバアバラは卒倒した。彼女は新しい夫にかしずくようになったがその心は冷たい燃え殻だった。

 

谷崎は美青年の人形という部分に惹かれたのでしょう。

そこにいたるまでのやや退屈な前半を投げ出すことなく頑張って訳しました。

ほめてあげましょう。

 

(2019年8月5日)

 

(99)

 

全集第12巻最後の小説です。

この巻には他に、本牧での交遊関係を綴った「港の人々」や関東大震災について書かれた「『九月一日』前後のこと」などが収載されています。

この小説はその二つの作品の接点に生まれた作品といえるかもしれません。

 

〇一と房の髪

 

地震が起きたのはディックがカティンカと部屋で過ごしていた時だった。ディックは箪笥の下敷きになった。彼を助けたのはジャックだった。彼はカティンカを助けようと駆けつけ、ディックを見捨てて逃げようとする彼女を見つけた。炎が三人に迫っていた。カティンカは二人を騙して自分だけ生き延びようとした。ジャックは銃でカティンカを撃ち、己が勝ったぞと叫びながら自分を撃った。ディックの手には彼女の髪の毛だけが残された。

 

(2019年8月7日)


潤一郎全集あれこれ第13回

(86)

 

次に読むのは第23巻。23冊目の刊行で、読むのは21冊目です。

いよいよゴールが見えてきました。

 

 

この巻はほぼ随筆からなっています。

 

ただ一つの小説「残虐記」も未完ですので、あらすじ作業はありません、ほっ。

 

谷崎の随筆ですが、「陰翳礼讃」などを高く評価する人もいますが、正直言って何が面白いのかよく分かりません。

この巻の随筆の数々も退屈でした。

日記を引用しつつ過去を振り返る、というパターンが多いので研究者にはいい資料かもしれません。

 

(2019年5月27日)

 

(87)

 

ただし神戸について書かれているところが何か所かあって、その部分についてはなかなか興味深いです。

 

たとえば「三つの場合」の中にこんな文章があります。

 

「アカデミーと云うのは、今は神戸の加納町三丁目に移っているが、その頃は上筒井の当時の阪急終点近くにあった、一名を翰林院(かんりんいん)酒舗と号するバーのことなのである」

 

検索してもそのバーは今はないようです。

次に加納町あたりでバーをオープンする人がいれば名前を「翰林院」にするとかっこいいと思います。

 

それから「残虐記」の中の一文です。

 

「三の宮駅から元町駅に至る間の高架線の下の市場で、あすこは今では立派な商店街に発展し、主として繊維製品を扱う店舗が並んでいるけれども、当時はやはり怪しげな食い物屋ばかりであった」

 

終戦直後のお話です。

 

(2019年5月29日)

 


潤一郎全集あれこれ第12回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第8巻

(75)

 

第21回配本は第8巻、読むのは20冊目です。

 

 

まず収められているのが「鮫人(こうじん)」という長編です。

 

主人公は、仕事もせず友人たちから金を借りまくってその場しのぎの生活を送っているダメ人間です。

谷崎の小説にはよく出てくるタイプです。

ここに友人の一人が現れて何やら主人公と芸術論を戦わせます。

そのあと浅草の劇団の話になり、さらには上海にまで舞台は飛び、次に劇団の美少女の秘密が描かれ、話は大きく、謎は深く、伏線は多く、期待は高く……なったところで中断します。

 

この未完の小説はしかし「鮫人(前篇)」として出版されたらしいです。

出版された時点では谷崎は続編を書く気満々だったので出版社が悪いわけではありませんが、読者からしてみれば詐欺みたいな話です。

 

(2019年3月1日)

 

(76)

 

未完ですので「あらすじ」はありません。ほっ。

 

その代わりに「鮫人」の続編について谷崎が書いた文章がありますので、一部書き写しておきましょう。

 

***

 

中央公論の読者諸君!

私は今月も亦「鮫人」の原稿を休まなければならなくなった。

就いては此れまでにも度び度び心にもない言訳をし、心にもない違約をして、私自身としても甚だ不愉快な訳であるから、此の機会に於いて一応私の立場を明かにし、今後二度と再び言訳をする必要がないようにして置こうと思う。

 

(中略)

 

茲に於いて、私は改めて読者諸君にお断りをしたい。

私は私の作物を愛読して下さる諸君に対しては、飽く迄感謝しては居るけれども、しかし私は読者諸君の為にのみ作物を書くのではない。

私に限らず、作者は常に必ずしも読者の御機嫌取りではない。

そんな事は今更云うまでもない話ではあるが、諸君が若し真に作者を愛し、その作物を愛して下さるなら、たとえ一年が二年かかっても作者をして成るべく立派な物を書かせたいと云う寛容があってもいいものと思う。

 

(中略)

 

いずれにしても、今度私は読者に対して発表の時期に関する御約束は一切しない事にする。

私は全く自由な立ち場に立って気楽に書いて行こうと思って居る。

度び度び言訳をするのも嫌であるから、事情を明らかにして、予め諸君の御諒恕を乞う次第である。

 

***

 

うーん、休載のお知らせなのに無茶苦茶偉そうです。

 

こんな文章を書く暇があるならついでに「鮫人」の言葉の意味を説明しておいてほしかったです。

結局本文中には「鮫人」という言葉は登場しないのです。

 

(2019年3月4日)

 

(77)

 

〇AとBの話

 

何とも後味の悪い話です。

そもそも全然面白くないです。

谷崎の私生活と絡めて解釈する人もいると思いますが、だからといってそれでつまらなさがどうにかなるわけではありません。

 

作家のAとBは従兄弟同士だった。「悪の芸術家」を嘯(うそぶ)くBは最初こそ注目されたがやがて世間から忘れられた。AはそんなBを助ける。悪の呪縛から解き放たれればBは改悛すると信じていたからだった。AはBの理不尽な要求に応えた。誰にも内緒で自分の作品をBに譲り渡し、Bの全集も自分で編纂した。死の瞬間になってついにBは敗北を認めた。その時にはAの才能は涸れてしまっていた。勝ったのはAとBどちらだったのだろうか。

 

(2019年3月6日)

 

(78)

 

〇私

 

ちなみにこの作品が発表されたのが1921年、クリスティの「アクロイド殺し」が1926年です。

 

学生寮で盗難事件が相次いだ。多くの寮生、特に以前から仲が悪かった平田は私を疑っていた。樋口と中村は私を信じて、平田と喧嘩までしてくれた。自分のために平田と喧嘩なんてしてくれるな、平田の偉いことは誰よりも自分が知っているから、私はそう中村に言った。私と中村は友情の温かさに感動して泣いた。ある日犯人が捕まった。犯人は私だった。私は呆れる中村たちに言ってやった。盗人を友達にしたのは君達の不明のせいだと。

 

(2019年3月8日)

 

(79)

 

〇途上

 

歩きながらの会話だけで過去の殺人計画が明らかになるという気の利いた短編です。

現代の読者からすると確たる証拠が提示されないのでもどかしいかもしれません。

谷崎自身は犯罪小説としては「途上」よりも「私」の方が気に入ってたようです。

 

湯河勝太郎は帰宅途上安藤という私立探偵に話しかけられた。安藤は半年ほど前にチブスで死んだ湯川の妻筆子について調べていた。安藤は湯河が妻に煙草と冷水浴を勧め、生水と生ものばかり与えたことを知っていた。部屋のガスストーブの栓が緩んで筆子が窒息しかけたことも知っていた。筆子を連れてチブス患者の見舞いに行ったことも知っていた。今夜自分の事務所で筆子の父が湯河を待っていると安藤は言った。湯河は恐怖で震えた。

 

(2019年3月11日)

 

(80)

 

〇不幸な母の話

 

元気だった母が旅のあと急に変わってしまった。ふさぎ込みやせ衰えて最後は消えるように死んだ。そのあと兄も自殺した。兄の遺言によると旅の途中、母と兄と兄嫁が乗っていた艀(はしけ)が転覆したらしい。兄はすがりついてきた何者かを蹴とばして兄嫁を助けた。その後の様子を見て自分が蹴ったのが母だったと兄は気づいた。自分のおこないを後悔はしない。しかし自分が死ななければ母は喜んでくれないだろう、兄は遺言状にそう書いていた。

 

(2019年3月15日)

 

(81)

 

〇検閲官

 

第9巻の「『永遠の偶像』の上演禁止」で描かれた検閲官とのやりとりを小説にしたものです。

作中の「初恋」は第2巻の「恋を知る頃」のことですね。

確かにこのラストを変えると台無しです。

 

作家のKは検閲官に呼ばれた。Kが書いた「初恋」を上演するにあたって、観客に劣情を催させる部分を修正して欲しいという用件だった。検閲官はいくつかの修正点を提示してKは不満を示しつつも最終的には同意した。最後に検閲官は物語の結末部分も変えるように要求した。さすがにそれは受け入れられなかった。修正など求めずにいっそのこと禁止してくれと言った。検閲官はあくまでも忖度を求めた。Kはそういう彼を軽蔑した。

 

(2019年3月15日)

 

(82)

 

〇鶴唳(かくれい)

 

これはとてもきれいな作品です。

最初の方で出てくる「アンフィセアタ」とは円形劇場のことだそうです。

 

海を望む別荘地の一角に支那風の屋敷があった。支那趣味にはまった屋敷の主人靖之助が建てたものだった。男は支那から連れてきた女性と鶴だけを愛し、家族を一切近づけなかった。娘が支那の女から言葉を学び、支那の服を着るようになると少女は庭で鶴と戯れることを許された。ある日少女は「お母さんの敵」と叫んで女の喉を短刀で刺した。纏足の女は鶴のようにちょこちょこ走り、鶴の鳴き声そっくりの悲鳴を上げて死んだという。

 

(2019年3月18日)

 

(83)

 

〇月の囁き

 

映画の台本をみずからノベライズしたものです。

絵的に美しい場面も多いですが結局映画化はされなかったようです。

 

章吉は塩原の宿で不思議な女を見た。月の光の下で女は黄金の首飾りを恍惚と見つめていた。女は山内家の養女綾子だった。綾子には許嫁がいたが山内に結婚を許されず心中を図り、許嫁の輝雄だけが死んだ。輝雄の頚を絞めたのがその首飾りだった。章吉は綾子が忘れられず山内家を訪ねた。綾子には章吉が輝雄に重なって見えた。二人は心中を図り、章吉は死に綾子もすぐに狂死した。綾子を見守っていた実の父親も悲しみのために死んだ。

 

(2019年3月20日)

 

(84)

 

「月の囁き」のあらすじを書いていてふと思い出しました。

喜国雅彦のコミックを映像化した「月光の囁き」という映画があります。

 

 

これが谷崎テイストを醸し出した名作だという(ごく一部の)噂があったので、この機会に観てみました。

 

確かに谷崎です。

マゾ、フェチなどいかにも谷崎っぽい倒錯的場面の数々が描かれ、でも最後には「春琴抄」を思わせる澄み切ったラストに至ります。

 

少なくとも昨年観た「TANIZAKI TRIBUTE」の3本よりは谷崎の本質に迫った映画だったと思いました。

 

(2019年3月22日)

 

(85)

 

〇蘇東坡(そとうば)

 

谷崎らしくないからっと明るい短篇です。

蘇東坡は11世紀中国の政治家にして詩人です。

通判とは知事のような裁判官のような役職、落籍というのは芸者が足を洗うことのようです。

 

蘇東坡は杭州府の通判だった。人情に篤く、落籍を望む芸者には希望をかなえる判決を詠み込んだ歌を送った。冷夏のため商品が売れず困っていた扇子売りには扇子に歌を書いて高値で売らせた。ある日東坡は嘆きの歌を吟ずる女と出会った。女は相思相愛の男性との別離を悲しんでいた。その相手とは蘇東坡が都への栄転を命じた部下の毛沢民だった。東坡は沢民の本心に気づけなかったことを女に詫び、沢民を呼び戻すために使者を送った。

 

(2019年3月25日)

 

(86)

 

〇アマチュア倶楽部

 

これも映画の脚本です。

ただしどこまで谷崎の手が入っているかはよく分かりません。

「原作は確かに自分のものではあるが、監督のトーマス栗原が撮影用台本に書き改めたものであるから、自分の作品として全集には収めがたい」という文章が残っています。

 

ですがせっかくなのであらすじをつけてあげました(またまた謎の上から目線)。

 

千鶴子と繁はある日海辺で出会ってお互い好意を抱いた。その日千鶴子の家に泥棒が入った。千鶴子は蔵にあった鎧を着て泥棒を追いかけ、父親も娘のあとを追った。繁は父親が留守の隙に屋敷で演芸大会を開いた。繁は鎧姿の侍の役だった。突然父親が帰ってきて激怒した。繁たちは衣裳のまま逃げ出す。海辺を仮装の一団が駆け回った。繁の父親が息子を捕まえたと思ったら千鶴子だった。千鶴子の父親が娘を捕まえたと思ったら繁だった。

 

(2019年3月27日)


潤一郎全集あれこれ第11回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第2巻

(谷崎潤一郎全集あれこれ 65〜74)

 

第20回配本は第2巻、読むのは19冊目です。

 

 

〇恋を知る頃

 

谷崎はいろいろマゾヒズム小説を書きましたが、これはその中でも究極のマゾヒズムを描いた作品です。

「究極」は往々にして観念的にすぎることがあって、この作品も「左脳で書いた」ような印象があります。

 

伸太郎は恋をした。おきんは伸太郎の父親下総屋三右衛門の妾の子だった。伸太郎はおきんに恋をした。おきんは三右衛門に取り入って女中として本家に入り込んだ。伸太郎は恋をした。おきんは出入りの使用人利三郎と結託して下総屋を乗っ取ろうと企んだ。伸太郎は恋をした。おきんと利三郎は信太郎を殺害する計画を立てた。伸太郎はその計画を盗み聞きしていた。おきんは伸太郎をおびき出した。伸太郎のおきんへの恋は成就した。

 

(2018年8月22日)

 

〇誕生

 

初めて読んだ時には何のことやらさっぱり分かりませんでした。

「このプロットのどこに小説になる要素があるんだ?」

今回あらすじ作りのために系図などを見ながら読み直してみると、それなりに感慨深いお話でした。

「紫式部日記」にインスパイアされた「藤原家の凋落ビギニング」みたいなものとでも言いましょうか。

 

菅原道長は僧正の受戒の詞を聞いてかたじけなさに涙した。一条天皇のもとに入内した娘の彰子が初産を迎えていた。兄たちを病で亡くし、政敵を太宰府に追いやり、世の栄華を独占する道長だったが今、娘の彰子が彼らの悪霊に苦しめられていた。のちに摂政、皇后となる幼い兄弟たちも心配そうに産屋を見守っていた。呪詛の叫びと祈祷の声で騒然となる中、僧正の詞が効を成したか彰子は無事に男児を産んだ。のちの後一条天皇だった。

 

(2018年8月24日)

 

〇あくび

 

誰がどう考えてもタイトルのつけ方がおかしいです。

 

悪友たちの話をしよう。杉浦の女義太夫熱が仲間にも伝染した話。通学ですれ違うだけの女学生に告白された話。彫刻「秋」の話。それを手に入れた生徒の正体を熊谷が推理する話。梅毒の話。髭の借金取りの話。村田が李のジャムで一攫千金を企む話。堀内が馬に舐められた話。借金取りから逃げるために投宿した売春宿でぼったくられた話。いろいろあったがみんな命だけは取り留めている。遊び抜いてくたびれたあとのあくびのような話。

 

(2018年8月27日)

 

〇恐怖

 

「悪魔」でも語られた「鉄道恐怖症」のお話です。

主人公は京都に住んでいます。

徴兵検査の期限が迫っているのに、汽車が怖くて東京に帰ることができません。

仕方がないので阪神電車沿線の検査場に行くことにしました。

汽車はだめでも電車なら乗れそうな気がしたのです。

きっとチンチン電車みたいなのを想像していのでしょうね。

まず京都から電車に乗って大阪に行こうというところから小説は始まります。

 

ちなみに検査場は今津にあったようです。

 

私は鉄道恐怖症だった。汽笛が鳴って車輪が動き出しただけで頭蓋骨が破裂しそうになった。ある日徴兵検査場に電車で行くことになった。電車なら大丈夫かと思ったら停留所に着いた電車は想像よりも巨大だった。私は電車に乗ることができなかった。ウイスキーの力を借りてもだめだった。たまたまやってきた知り合いと一緒に私は思いきって電車に乗った。電車が動き出した。「ひょっとしたら大阪へ着けるかもしれない」私は思った。

 

(2018年8月29日)

 

〇憎念

 

谷崎には珍しくS側のお話です。

慣れないことはするものではなくって、ラストの「この性癖は性欲の発動にともない女性に対して用いられるようになっていった」なんて「取ってつけた感」満載です。

 

私が「憎しみ」の感情を初めて経験したのは七八歳の頃でした。家に安太郎という十二三の奉公人がいました。ある日彼は生意気なことを言って手代の善兵衛に殴られました。哀れに歪んだ容貌と苦しげにのたうち回る足に私は惹きつけられました。私は安太郎の小刀で善兵衛の服を切り裂きました。思ったとおり安太郎は善兵衛にひどくとっちめられました。そのあと自ら彼をいじめるようになったのは自然のなりゆきだったと思います。

 

(2018年8月31日)

 

〇熱風に吹かれて

 

どうしても漱石の「こころ」と比べてしまいます。

人格が与えられていない「こころ」のヒロインに対して「熱風〜」の英子には肉体も心もちゃんとあります。

斎藤も、英子に捨てられたからといって死にそうにはありません。

 

輝雄は旧友の齋藤が逗留している早川の宿で一夏を過ごすことになった。齋藤は資産家の娘英子と駆け落ちしてそこで遊び暮らしていた。ある日齋藤は輝雄に債権者との交渉を頼んだ。彼は返済の見込みのない借金によって贅沢を続けていたのだった。東京に向かう輝雄に英子が付き添った。輝雄は英子に好意を打ち明ける。齋藤に見切りをつけ始めていた英子も輝雄の好意を受け入れた。輝雄は有頂天になり、次に馬鹿らしい涙をこぼした。

 

(2018年9月3日)

 

谷崎潤一郎全集第2巻はまだまだ終わっていませんでした。

 

しかしこうしてあらすじ作業に取り掛かってみると、自分がいかにあらすじ作業に向いていないか思い知らされます。

読み終わってすぐには取り掛かれないのです。

読了後数週間、あるいは数か月置いておいて、もう一度読んでからでないと全体像がイメージできません。

 

「あらすじにまとめよ」などという問題が入試で出されていたら時間切れ不合格間違いなしでした。

 

◯捨てられる迄

 

十二月の寒い夜幸吉は三千子を待っていた。彼は考えた、普通の恋にはすまい。相手が奴隷になるか自分が奴隷になるかだ。三千子が現れたのは約束の時間の二時間後だった。その後幸吉は優位に立とうと策を弄するが彼女に婚約者が現れて彼の劣勢は決定的となる。彼は駆け落ちを持ちかけたがのらりくらりとかわされ、ついに結婚をほのめかす知らせを受け取った。彼は死のうと思った。「死ねる、死ねるに違いない」うららかな四月だった。

 

(2018年12月3日)

 

◯饒太郎

 

これも、どこまで構想してから書き始めたのかよく分からないお話です。

主人公の名前は「じょうたろう」と読みます。

 

小説家饒太郎には被虐趣味があった。蘭子はいい女だったが饒太郎には物足りなかった。自分をぶってはくれるのだが、そこに根の優しさが垣間見えるのである。次に目をつけたのは盗癖のある少女お縫いだった。お縫いはやがて饒太郎の望むとおりの女になった。饒太郎は金を惜しまず、二人は何日も部屋にこもって快楽に浸り続けた。その日々は長くは続かなかった。お縫いが一文無しになった饒太郎を見捨ててすぐに消えてしまったから。

 

(2018年12月5日)

 

◯春の海辺

またまたよく分からないお話です。

エンディングをどう解釈していいかよく分かりません。

 

1)梅子は潔白で、千代子も本気で梅子を信じたのか。

2)梅子はまんまと千代子を騙したのか。

3)それとも千代子は騙されたふりをしたのか。

 

今回読み直してみると1)っぽい気はします。

物語としては一番つまらないですが。

 

三枝春雄は鎌倉で静養中である。妻の梅子は東京に行き不在だった。見舞いに来ていた春雄の妹千代子が兄に告げ口をする。近くの宿に逗留している吉川と梅子の仲が怪しいと。彼女は昨夜停留所で二人が落ち合うところを目撃したのだった。春雄は彼女の言葉を相手にしない。東京から戻ってきた梅子と静かに語り合い、互いを大切に思っていることを確認し合う。陰で聞いていた千代子も自分の疑いが間違いであったことを悟るのだった。

 

(2018年12月7日)

 

◯少年の記憶

 

これは随想ですがついでにあらすじをつけてあげました(謎の上から目線)。

 

思い出すことがいろいろある。人力車に気を付けろと口うるさいばあやを馬鹿にしていたら本当に轢かれかかったこと。十歳になるまで蒟蒻を食べさせてもらえなかったこと。ほろ苦いものが食べられるようになったら声変わりして、急にきれい好きになったこと。偽物の地震に驚かされたこと。大勢の客の前で見世物の人形が急に動き出してみんな我先に逃げ出したこと。でも数年後に聞くと、一緒に逃げたはずのばあやは覚えていなかった。

 

(2018年12月10日)

 


潤一郎全集あれこれ第10回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ番外編

谷崎の小説のいくつかを再読する用事ができたので、ついでにあらすじを書きました。

 

〇悪魔

 

これもものすごく迷いました。

短篇小説なのですが、最後の最後に思わず本を閉じたくなるような描写があるのです。

これをあらすじに含めるかどうか、いろいろ考えた末、放り込むことにしました。

グロテスク描写が苦手な方は飛ばしてください。

 

佐伯は名古屋から東京の大学に進学して叔母の家に住むことになった。もともと病んでいた心と体がさらに悪化して佐伯は部屋から出られなくなっていった。相手をしてくれるのは従姉妹の照子だけだった。ある日書生の鈴木が佐伯の部屋を訪れた。死んだ叔父が照子を自分にくれると約束してくれた、そう言って鈴木は佐伯を牽制した。その後佐伯は照子を意識するようになった。彼は照子が鼻をかんだ手巾を隠し持ってぺろぺろと舐めた。

 

〇続悪魔

 

叔母の家に下宿する佐伯は神経衰弱に悩まされていた。従姉妹の照子に対して愛憎入り交じった気持ちを抱きながら、誘惑に負けて関係を結んでしまう。それに気づいた書生の鈴木が佐伯に謝罪を要求してきた。彼は照子の許嫁であると思い込んでいたのだった。佐伯が拒むと鈴木は刃物を出して脅しにかかってきた。佐伯は「悔しければ殺してみろ」と叫びながら鈴木を殴った。鈴木の刃物がぴかりと光った。喉元を切られて、佐伯は死んだ。

 

(2018年5月21日)

 

〇富美子の足

 

画学生の宇之吉はある日、塚越老人から妾の富美子の絵を依頼された。描き始めてすぐに宇之吉は富美子の足の美しさに気づいた。老人も富美子の足への偏愛を打ち明け、宇之吉に犬の真似をするように頼んだ。身体の自由が利かなくなった自分の代わりに富美子の足にじゃれつかせるためだった。老人は弱っていった。食欲がなくなると牛乳やスープに浸した富美子の足を舐めた。最後には富美子の足に顔を踏まれながら死んでいった。

 

〇神と人との間

 

添田は妻朝子がありながら外に女を作り、家に滅多に帰らなかった。朝子に思いを寄せる穂積は添田に意見することも、朝子を奪うこともできずにいた。増長した添田は朝子を殴り、金策に走らせ、ついには妻を殺す小説まで書いて朝子を辱めた。やがて添田は病に倒れた。女に捨てられた添田は朝子に看取られて死んだ。数年後穂積と朝子は結婚した。その直後穂積は自殺する。添田の死は自分が飲ませた毒のせいだと告白する遺書を残して。

 

(2018年5月23日)

 

これらの小説を再読したのはこの映画のためでした。

 

 

元町映画館での「TANIZAKI TRIBUTE」です。

谷崎の小説を三人の監督が、それぞれ自分なりの切り口で映像化したものです。

 

その第一弾が「神と人との間」でした。

 

 

あらすじでも書きましたが、身勝手な男に、妻と、彼女に惚れている友人が振り回される話です。

どれだけ振り回されても妻は別れようとはしません。

友人も、その性悪男から妻を奪い取ることができず、結局男と妻の二人に振り回されている状態です。

 

解説によると、谷崎と佐藤春夫との間にあった事実に基づく小説のようです。

当時ならスキャンダラスで面白かったかもしれません。

しかし今となってはそこそこの谷崎ファンを自認する私にとっても、「で?」みたいな感じです。

主人公は煮え切らず、だらだら話が続きます。

これを読むくらいならまだ森友加計ニュースの方が面白いくらいです(嘘です)。

 

この映画もその「だらだら」感をきちんと踏襲しています。

時代を現代に移し、二人の男の職業を小説家から漫画家にチェンジし、その他いろいろ設定を変更していますが、それらが映画の面白さに寄与することはありません。

観ながらずっと「監督さんは何が面白くてこの映画を撮っているんだろう?」と考えていました。

 

たぶん、この三つだと思います。

 

1)渋川 清彦のオーラを封印した演技

2)劇中に出てくるマンガ

3)最後の子どものシーン

 

繰り返しますが、だからといって面白いわけではありません。

 

(2018年5月25日)

 

TANIZAKI TRIBUTE第二弾は「悪魔」です。

 

 

これもあらすじを読めば分かると思うのですが、「爽やかさ」など微塵もない、カタルシスのない映画です。

 

ポイントは、敵も変態なら自分も変態というところです。

へたをすると「キモい」度は自分の方がひどかったりします。

誰に共感して観ればいいのかさっぱり分からない類の映画ですが、世の中には「醜いものを描いてこそ、人生の美しさが浮かび上がる」みたいな考え方の人もいて、そういう人には面白いのかもしれません。

 

普通レベルの感性の持ち主で、「でもたまには変態的な主人公の映画も観てみたい」という人には

 

 

こっちの方がお勧めです。

 

(2018年5月28日)

 

TANIZAKI TRIBUTE第三弾は「富美子の足」です。

 

 

原作は足フェチの谷崎が書いた足フェチ小説です。

足フェチ以外の要素をばっさり切り捨てた、ひたすら足フェチに徹した短篇小説ですが、この監督は富美子を主人公にして「女性が解き放たれるまで」を描いた映画に再構成しました。

 

高級な豆腐をそのまま食べないで、豆腐ハンバーグにしてしまったような感じがしないでもありませんが、女優さんの足がきれいなので全て許せてしまいます。

TRIBUTE三部作の中では一番退屈せずに済みました。

 

(2018年5月30日)

 

さて、元町映画館はドリンク・フードの持ち込みが可能です。

より正確に言うと、売店がないので他の人の迷惑にならない範囲で持ち込みが許されています。

 

映画鑑賞のお供はこれです。

 

 

600cc入りの保温マグボトル(和平フレイズ)。

500mlのビールを、泡を気にせず入れることができて、映画が終わるまでキンキンに冷えた状態で保つことができます。

 

フードはこれ。

 

コンビニのかつサンドを、ハラペーニョのピクルスとチューブ辛子とスライスチーズでパワーアップしたものです。

ピリ辛なので、退屈な映画で眠くなった時には助かります。

 

元町映画館でもそもそと何かを食べている人がいたら、それは私です。

 

(2018年6月1日)


潤一郎全集あれこれ第9回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第7巻

(52)

 

第19回配本は第7巻、読むのは18冊目です。

 

 

まずはこの小説です。

題名がすっごいです。

読んでみるとタイトルとあんまり関係ありません。

タイトルだけ適当に決めて書き始めたのでしょうね。

 

〇女人神聖

 

美男美女兄妹として評判だった澤崎由太郎と光子は父親の死後、裕福な叔母の家に預けられていた。怠惰な由太郎は芸者に入り浸り、落第してしまう。こっぴどく叱られた由太郎は、復讐として叔母の娘雪子をかどわかそうとする。駆け落ちの企みは雪子の兄啓太郎の密告によって未遂に終わった。吉太郎は芸者にも追い出され、雪子本人にも拒絶され、その後行方不明となった。一方光子は啓太郎と結婚し、美貌の貴婦人として有名になった。

 

(53)


これも有名な作品です。

谷崎の美食ぶりを表すのによく引き合いに出されますが、私は初めて読みました。

 

〇美食倶楽部

 

美食倶楽部とは美食のためなら金、時間、労力を惜しまぬ金満家の集まりだった。美食を求めて日本中を駆け巡る彼らだったが、最近感激の薄らぎが否めなかった。会員のG伯爵もその一人だった。彼はある日看板の出ていない支那料理の店を発見する。彼はその店に潜入した。そこで彼が何を体験したのかは誰にも分からない。しかしそれ以降、彼が提供する料理を食べた者は感じた。自分は味わっているのではなく、狂っているのだ、と。

 

放っておいても筆が走った、谷崎30代の作品です。

奇想天外な料理がいろいろ出てきて、絢爛な文章技法で描かれます。

 

が、やっぱり、暗闇で食べる料理が美味しいとは思えませんけど……。


(2018年3月19日)

 

(54)

 

さて次に収載されているのはタイトルもおどろおどろしい「恐怖時代」。

北野監督の「アウトレイジ」もびっくりの、騙し合い、殺し合いの、血しぶき率200%の戯曲です。

 

登場人物がばたばた死んでいきます。

そうと分かっていても途中あっと驚く場面があります。

「最後の1ページであなたは驚愕する!」みたいな売り文句に辟易している人、ぜひこの戯曲で驚いてみてください。
 

〇恐怖時代

 

春藤家太守の嬖妾(へいしょう)お銀の方は女中梅野の知恵を借りて太守の奥方を暗殺しようとしていた。自分に想いを寄せる太守の家臣靱負(ゆきえ)と侍医玄澤を操り、毒薬を手に入れ、臆病な茶坊主珍斎を脅迫して、奥方に毒を盛らせる計画だった。そこに現れる美しい剣士伊織之介。彼こそがお銀の方の本当の愛人だった。二人の策略と太守の狂乱によって人々は死んでいく。太守も死に、お銀の方と伊織之介も自害する。最後に珍斎だけが残された。

 

(2018年3月23日)

 

(55)

 

〇或る少年の怯れ

 

芳雄は年の離れた兄嫁になついていた。しかし兄嫁は病気がちで、医者である兄の治療も及ばず死んでしまった。それ以来芳雄は兄が兄嫁を殺したのではないかという妄想に取りつかれた。夢の中では何度も兄を問い詰めるが、現実には疑いを口にすることすらできなかった。やがて芳雄は熱病に倒れ、ますます夢と現実の区別がつかなくなった。彼は兄の治療も拒み、死にかけていた。その時になってすべてを許したくなった芳雄であった。

 

「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」を始めるに当たって、「結末まですべて書く」と決めました。

この小説の場合、芳雄はこのあと死ぬと思います。

ですが、実際に兄嫁が兄に殺されたのかどうか、あるいは芳雄の死に兄がどう関与しているかはよく分からないので、あらすじでは触れませんでした。

 

兄が兄嫁と芳雄を殺した、という解釈も成り立ちます。

個人的には、どちらにも兄は関与していないと解釈しました。

根拠は薄弱です。

 

注射をした翌日から兄嫁は「急に容体が悪い方へ向いて行った。それも、まるでコレラにでもかかったように幾度も幾度も激しい下痢をして、真白な牛乳のようなものを口から吐きつづけて、三日目の晩には危篤と」なりました。

私がそういう注射を思いつかないからです。


(2018年3月26日)


(56)

 

〇秋風

 

朝起きると私は二階の縁側に出て空を見上げた。塩原温泉はこの日も雨だった。せっかく秋晴れの空を楽しみに湯治旅を長引かせたのに、雨はやむ気配が無かった。交通も滞り新聞が来なくなり、食糧も乏しくなった。妻の妹S子が、何日か遅れてS子の彼Tも来た。やっと雨が上がった。私はS子とTを連れて散歩に出た。歩きながら歌を歌い、温泉に入り、栗を拾った。あけびの実を手で持ったTは言った。「ばかに冷たいもんですね。」

 

これも、読んだ人は分かると思いますが「あらすじ化」超困難作です。

ポイントは、S子の人魚の場面を入れるかどうかです。とても印象的な場面ですから。

ものすごく迷った末に、私は入れませんでした。

単純に、やましさの裏返しです。

 

ちなみに「水島君の挿絵」というのはこんな感じです。

 

 

やはりあらすじに含めるべきだったでしょうか……。


(2018年3月28日)

 

次に収められている「嘆きの門」は未完なので、あらすじはありません。

 

ほっ。

 

謎めいた少女に主人公が振り回される第1章は面白いです。

ところが第2章で無理にストーリーを動かそうとして、谷崎は失敗します。

それを挽回しようと第3章で別方向からのアプローチを試みますが、収拾がつかなくなり、とうとう投げ出してしまった……、そんな感じです。

 

〇或る漂泊者の俤(おもかげ)

 

天津租界のまるで欧州の都会のような街を一人の男が歩いていた。歳は五十前後。乞食のような格好だったがその顔立ちにはどことなく気品があった。男は道端の煉瓦に腰を下ろし、パイプを口にくわえて川を見つめた。可動式の万国橋が騒々しい音を立てて回転し始めた。大勢の人々が橋の手前でせき止められた。ようやく回転が終わり人々は橋を渡り始めた。しかし男はその喧噪には目もくれず、川の濁った流れを見続けているのだった。

 

舞台は埃っぽい租界、描かれるのは浮浪者。物語的には何も起こりません。

なのにこの凝縮された小説世界!

書き上げた瞬間の、谷崎の、してやったりという笑顔が思い浮かぶようです。


(2018年3月30日)

 

(58)


○天鵞絨(びろうど)の夢

 

上海の大富豪の温夫婦は杭州の別荘に大勢の奴隷を集めて放恣で残虐な生活を恣(ほしいまま)にしていた。たとえば温夫人の阿片部屋。その部屋は池の下に造られていた。夫人は若い男奴隷にかしずかれながら硝子天井を見上げて阿片を楽しんでいた。池では魚の群れと一人の若い女奴隷が泳いでいた。やがて男女の奴隷は、硝子越しに意識し合うようになった。夫人は女に毒を盛った。少女は夫人と少年が見守る中、水の中で美しい死体となるのだった。

 

この小説は本当は未完作です。

 

本来ならばこのあと温夫婦の裁判や、冒頭に登場した謎の美少女の正体が語られるはずですが、谷崎はここで飽きてしまったようです。

ですが、伏線が回収されない小説は山のようにあります。

一応最後にはとってつけたようなエンディングもあります。

そこで一応完結作として扱い、あらすじをつけてあげました(なぜか上から目線)。

 

とはいえ、フォーカスを「私と謎の少女」に合わせるのか、それとも「美少女の美しい死」に合わせるのかによって、あらすじもがらりと変わってきます。

「私が杭州を旅していた時……」で始まるあらすじがあっても不思議ではありません。


(2018年4月4日)

 

(59)

 

○真夏の夜の恋

二人の少年が浅草の女優夢子に会いに行きます。二人は恋敵です。

つかみはばっちりです。

二人のキャラクターの書き分けも上手い。

 

でも谷崎は続きをなーんにも考えてませんでした。

連載一回目にして未完です。

 

この巻には、他にボードレールの詩と「或る時の日記」が収載されています。


(2018年4月6日)


潤一郎全集あれこれ第8回〜谷崎潤一郎全小説全あらすじ第5巻

(43)

 

第18回配本は第5巻、読むのは17冊目です。

 

 

十七冊を読んでふと思ったのですが、谷崎の、たとえば「細雪」や「春琴抄」を検索すればいくらでもヒットします。

学術的な研究書から「面白かった」程度の感想文まで。

あらすじも簡単なものからものすごく詳しいものまで、よりどりみどりです。

それに比べるとこの巻に収められている作品はなかなか見つかりません。

 

有名な長篇に比べて知名度の低い短篇のヒット数が少ないのは当然です。

しかし谷崎の場合、読めば分かる長篇に比べると、短篇は結構難解です。

解説文に頼りたくなることも多いし、あらすじ自体を教えてもらいたくなることさえあります。

 

ところが「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」みたいなのがないんです。

 

で、思いました。

なければ自分で作ればいいのではないか、と。

 

一応約束ごとを決めてみました。

 

1)190字以上200字以内

2)結末まで書く

3)呼称は原文に従う

4)その他の表記は他の作品との統一を図る

5)原文に登場しない言葉を用いない

 

ですが、5)はいくらなんでも不可能です。

さっそく無視しています。

 

(2017年12月15日)

 

(44)

 

無謀なチャレンジ「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」いよいよスタートです。

 

〇二人の稚児

 

比叡山で修行を続ける十四歳の少年瑠璃光には、浮世の誘惑に負けて山を下りた千手丸という兄弟子がいた。ある日、千手丸の手紙が届いた。浮世は地獄ではないとその手紙は告げていた。しかし瑠璃光は迷いを断ち切り、来世を信じて二十一日の行に身を投じた。満願の日、夢の老人の言葉に従い瑠璃光は吹雪の山に入り、傷ついた一羽の鳥を見つけた。それは来世の伴侶の仮の姿だった。瑠璃光は鳥を抱き、雪の中で死んでいく。

 

ふう。

 

これでも四苦八苦して作ったのですが、「二人の稚児」を読んだことのある人はきっとこう思うでしょう。

 

「こんな話じゃなかった」

 

そうなのです。

 

あらすじでは最初の50字にまとめるしかありませんでしたが、小説前半の面白さの中心は千手丸が担っているのです。
偉いお坊さんには浮世は魔境だと教え込まれている。
しかし自分が得た断片的な情報を総合してみると、どうやらそう悪いものではないらしい。
特に、悪の権化とされる「女性(にょしょう)」は、教えとは逆に、美しく心癒してくれるものらしい。
そうしてある日千手丸は山を下っていくのですが、そこに至る過程がとっても面白いのです。

一方原文ではおぼろげにほのめかされるだけのラスト。


あらすじでははっきり書かざるを得ませんでした。
原文を読んで感じた印象と、あらすじから受ける印象とは、我ながら全く別物です。

 

まあ、しかし、あらすじとはこういうものです。

 

……と、自分を納得させて作業を進めましょう。


(2017年12月18日)

 

(45)

 

〇人面疱疽

 

女優百合枝は不思議な噂を耳にする。「人面疽」という映画に自分が出演していると。女性に裏切られ自殺した男が彼女の膝に人面疽となって蘇り、復讐を果たすという映画だった。そんな映画に出演した覚えはなかった。調べていくうちにその映画が呪われた映画であることが分かってくる。観た者は怪異現象に襲われ、ある者は発狂したらしい。一方その頃、大手の映画会社がその映画を買取り、大々的に公開する計画を立てていた。

 

これはかなり怖かったです。
満員電車の中で読んだのですが、鳥肌が立ちました。
あらすじを読んで「リング」を思い出す方もおられるでしょう。
そう、あんな感じの怖さです。
やっぱりあらすじにまとめるのはすごく難しかったですが。

 

〇ハッサン・カンの妖術

 

余はある日図書館で一人の印度人と出会った。彼は事あるごとに印度的精神主義を否定した。それは父親への反発だった。彼の父は伝説の魔術師ハッサン・カンの弟子であり、その教えのせいで現実的幸福を否定し、彼の家族は崩壊したのだった。さらに彼は告白をする、自分もハッサン・カンの妖術が扱えると。彼は余を須弥山にいざなった。そこで余は鳩に姿を変えた母と出会った。余が善人になれば私は仏になれる、鳩は言った。


(2017年12月20日)

 

(46)

 

〇兄弟

 

兼家の姫君の悩みは父と叔父兼通が不仲であること。姫君は一家の望みどおり上皇の女御となったが、兄弟間の出世争いは続いた。人徳に厚い兼家が中納言になれば、陰謀に長けた兼通は関白となった。ついに兼家は左遷させられ、兄弟の争いにけりがついたかと思われたある日、兼通が病に倒れ立場は逆転する。上皇の女御の部屋では祝いの宴が催された。没落した兼通一族を笑う一同。そんな喧騒の中、女御は眠るように息を引き取った。

 

これもあらすじにまとめるのが難しい作品です。
夕占問ひ(ゆうけとい)、元方の悪霊、兼通の闘病、乳人の博識ぶりなどなどばっさり切り捨てての、このあらすじです。

 

〇前科者

 

己は前科者だ。そうしてしかも芸術家だ。己の絵を高く評価してくれるK男爵から金をせびっては自堕落な生活を続ける毎日だ。Kも最近では金を出し渋ることが多いが最後には財布を開いてくれる。しかし普段から己を憎んでいたKの家令のせいで己は詐欺罪で逮捕されてしまった。己は告白しよう、己はたしかに悪人だ。微塵も誠意のない人間だ。ただそのかわり、己の芸術だけは本物と思ってくれ。芸術こそが真実の己だと思ってくれ。


(2017年12月22日)

 

(47)

 

〇十五夜物語

 

浪人の友次郎は寺子屋を細々と営み、妹のお篠は針仕事でそれを支えた。友次郎には妻がいた。兄妹の亡き母の治療費の支払いのために吉原で三年の勤めを果たしていたのだった。年季が明けた。ようやく帰ってきた友次郎の妻お波は穢れた身体を呪い生きる力を失っていた。それを見て友次郎も自分を呪い始める。二人を支えようとするお篠、しかし母の命日も近い満月の夜、友次郎とお波は命を絶った。一人残されたお篠は泣き叫ぶ。

 

〇或る男の半日

 

間宮は小説家、金遣いは荒く執筆ははかどらず、借金取りと編集者の督促と妻の小言に追われる日々だった。今日も編集者が来ている。二人の会話はすぐ雑談となり、最後はハワイ移住の話になる。次に来たのは建具屋。障子の入れ替えのはずが、施工費がどんどん膨れ上がる。次に文学生が現れる。間宮は自慢話かたがた洋服屋の紹介を頼んでしまう。客は帰った。妻の小言に、家賃の安い郊外へ引っ越す案で答える間宮。またもや妻の小言。


(2017年12月25日)

 

(48)
 
〇 仮装会の後

 

三人の紳士が社交倶楽部で昨日の仮装会を振り返っていた。三人とも意中の未亡人に逃げられてしまったのだった。未亡人を射止めたのは醜悪な青鬼だった。一人が青鬼の姿を思い出し、クラブの給仕がその正体ではないかと言い出す。三人が給仕を呼び出し問いただすと給仕はあっさりと認めた。どうしてお前のような醜い男が、という問いに給仕は答えた。女は人よりも悪魔を好くことがある。醜男だけが悪魔の美を持っているのだ、と。

 

これでも第5巻に収められている小説のまだまだ半分です。
「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」なんて可能なんでしょうか?

 

(2017年12月27日)

 

(49)

 

〇金と銀

 

大川は画家仲間の青木に、その芸術への畏敬のために金を貸し続けていた。自分の使っているモデルを斡旋してやり、期せずして二人は同じモデルで同じモチーフの絵を描くこととなった。ある日青木の絵を見てしまった大川の中で、畏敬は殺意へと変わった。大川は完全犯罪の計画を練り青木殺害を企む。犯行は失敗に終わったが、青木は白痴となり作品も失われた。大川の絵「マアタンギイの閨」は完成した。大川はついに青木を凌駕した。

 

同じ巻に収録されている「前科者」と同じような書き出しで、途中まで同じような展開で進みます。
またか、と思っていると、いつの間にか大川が主人公になり、まるで本格ミステリのように綿密な完全計画が語られて、どんどん話がとんでもない方向に向かって反れていきます。

 

ですからこれもあらすじにするのが非常に難しいです。
あらすじでは「前科者」的部分と「ミステリ」的部分を完全にカットするしかありませんから。

 

新年早々弱音を吐きますが、「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」、とんでもなく馬鹿なことを思いついてしまったものです。


(2018年1月10日)

 

(50)

 

〇白昼鬼語

 

園村が愛した纓子は殺人鬼だった。彼女に殺されることを予期した園村は私にその現場を盗み見するよう遺言する。私は友の死を目撃した。しかし園村は生きていた。自分を殺してくれという願いが断られたため、私の前で死を演ずることで欲求を満たしたのだった。纓子は殺人鬼ではなかった。園村を篭絡するために猟奇趣味を利用しただけだった。殺人はなかった。あったのは、纓子に騙された園村に私が騙された、つまり二重の狂言。

 

纓子は「えいこ」です。
谷崎の猟奇趣味とミステリ趣味が上手く組み合わさった一篇です。
しかしあらすじになると、園村が開陳する推理のプロセスを全面的にカットせざるをえません。
それから200字ではどんでん返しも表現できません。

 

いきなり言い訳ばっかりですねー。


(2018年1月12日)

 

(51)

 

〇種 Dialogue

 

小説家の友人「小説の種になりそうな話をいくつか知っているけれど聞きたいかい?」小説家「その手の話が面白かったためしはないけれど、聞くだけなら聞いてもいいよ」友人「三人の男を手玉に取った貴婦人の話とか、心中した芸者の意外な書置きの話とか、泥棒が老婆の顔にびっくりする話とか」小説家「ダイヤローグという体裁で、『種』という題名でよければ書いてみるよ」友人「小説にはならないのか、ガッカリだ」

 

〇既婚者と離婚者

 

結婚してすぐ結婚の無意味さを悟ってしまった僕は計画を練った。まず妻を教育した。男女同権を教えて、時間と金の自由を与え、女性が自立する小説を片っ端から読ませた。すると妻は生まれ変わったように軽佻で浮気な女になったよ。そこで僕は離婚を切り出したんだ。妻は騙されたと気づいたようだったけれど、ここで泣いては新しい女の沽券に関わると思ったのだろうね。あっさり認めてくれた。きっと女優にでもなるんだろうさ。


(2018年1月15日)

 

(52)

 

〇小僧の夢

 

商店の小僧の己は奉公を続けながら芸術への思いを抑えられないでいた。タンホイゼルに聞き惚れ、モオパッサンを読みふけった。ある時己は浅草で「露国美人メリー嬢の魔術」を見た。それは催眠術の見世物だった。舞台に上げられた己はメリー嬢の魅力の前に、術にかかったふりをするしかなかった。観客の笑いものになるのは屈辱だったが愉悦でもあった。巡業は終わった。しかし己はメリー嬢の魔術からいつまでも覚めなかった。

 

これもあらすじを作るに当たって、前半の「若き日の芸術観」をばっさりカットするしかありませんでした。

しかし何はともあれ、これでようやく一冊分です。


「谷崎潤一郎全小説全あらすじ」はバルザック「人間喜劇」読破よりも険しい道のりと思われます。
救いは、ほとんどが退屈だったバルザックに比べると谷崎の場合はほとんどが面白いところです。
これからもぼやきながらの作業になると思われますが根気よくお付き合いください。


(2018年1月17日)


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