神戸元町ダイアリー2014年(4)

スタッフが先日台湾でこんな写真を撮ってもらったそうです。



衣裳から小物から化粧から至れり尽くせりでお手軽にモデル気分が味わえる、という趣旨のようです。
「クリニックのブログにアップしてもいいです」というほのめかしが最近「早くアップしろ」という圧力に変わってきたのでアップしておきます。
 (2014年10月15日)

3種類のコスチュームで撮影してくれたようです。
あと2種類がこれ。



記念アルバムとデータディスク込みで2万円程度だそうです。



興味のある方は受付で直接おたずねください。
(2014年10月17日)

ベルリオーズ作曲の序曲「リア王」という曲があります。

「序曲」とは銘打たれていますが本体に当たるオペラは存在していません。
おそらくは「演奏会用序曲」として構想されて単独に書かれたものなのでしょう。
「序曲」なので必ずしも筋書きに沿った描写音楽ではありませんが、冒頭のメロディーはリア王を、続く美しいメロディーはコーディリアを、速い部分は翻弄されるリア王の運命を表しているのでしょう。

一般的には。

今回この曲を演奏するにあたって「リア王」を読み直してみました。
やはり興味深いのは「リア王をいつからどう狂わせるのか」というところです。この解釈によって三人娘との場面もいろいろ楽しめます。
それから感じたのは、今までは存在の意味がよく分からなかった「道化」というシステムのすごさ。

そして今回気づかされたのは、登場人物の中で一番頭がおかしいのはコーディリアであるということです。

コーディリアは不器用だけれども優しい父親思いの娘であるというのが一般的な読み方です。
私もその先入観を持って読み始めたのですが、それにしては言動がいろいろおかしいです。
登場人物のほとんどが死んでしまうという究極の悲劇をもたらしたのは一体何でしょうか。
「長女と次女の貪欲さとリア王の狂気」ではあまりにも弱すぎます。
リア王の狂気をもっとも強く受け継いだのは三女だった、と解釈して初めて悲劇と殺戮の連鎖が腑に落ちるような気がします。

とすると、冒頭のメロディーはリア王でいいとして、10小節目からの繰り返しはコーディリアで、美しいメロディーはケントではないか、などと考えたりもするのです。
(2014年11月5日)

デュカスの「魔法使いの弟子」はディズニーのアニメーションで有名になった曲です。

順番としては、紀元1世紀の風刺作家ルキアノスの作品に登場する小エピソードをゲーテが物語詩に翻案。
それにインスパイヤされたデュカスが曲を書く。
その曲を聴いてディズニーがアニメーション化、という流れです。

興味深いのは、それぞれが元ネタを忠実になぞっているところです。
伝言ゲームであれば最初と最後で話が大幅に変わっていてもおかしくありませんが、この場合ルキアノスの作品とアニメを比べてもさほど食い違い感はありません。

一つだけ大きな改変があります。(2014年11月7日)

「魔法使いの弟子」をミッキーマウスが演じている点です。

デュカスの曲を純粋に音楽として聴くと、かなりグロテスクです。
おそらくディズニーもそのグロテスクさを敏感に聴き取ったのでしょう。
それでアニメ化に際して主人公を可愛いキャラクターに演じさせて残酷さを薄めることにしたのではないでしょうか。

ディズニーの狙いは成功しました。
「ファンタジア」の映像を思い浮かべながら聴くと、デュカスの曲は気の利いたBGMのように聞こえます。
曲本来の先鋭さが損なわれたということです。
ディズニーが優れた聴き手だったがゆえにデュカスの意図をゆがめてしまった、と言ってもいいかもしれません。

デュカスの「魔法使いの弟子」に接する時には「ファンタジア」の映像を思い浮かべるよりも、この曲をディズニーがどう聴いたか、を想像しながら聴くのがいいかもしれません。
(2014年11月10日)

シェーンベルクの「ペリアスとメリザンド」は難曲です。
演奏者するのが難しいだけではなく聴き手にも多大な忍耐力を要求します。
私の場合、何べん聴いても最初の3分で寝てしまいました。

これを何とか最後まで聴き通す方法はないかと考えて、試しに作ってみました。
1分ごとのあらすじです。
左の数字が「分」を表します。

第1部 出会い

000 鬱蒼とした森。日が傾く時間でもないのに夜のように暗い。
時折差し込んでくる木漏れ日。
001 疲れ果てた白馬とアルモンド城主ゴロー。
獲物を見失ったゴローの表情は暗く、馬の歩みは重い。
002 木々の隙間から何かが見えては隠れる。
一瞬差し込んだ日差しに女性の白い衣装が浮かび上がる。
003 恐る恐る近づくゴロー。やはり女性だ。
若い娘が老木に身をもたせかけている。
004 娘の美しい顔を見て心ときめかせるゴロー。
ゴローは馬を飛び降り娘に駆け寄る。
005 ゴローの想いは嵐のようにつのる。
しかしそれは悲劇の始まりでもあった。
006 メリザンドという名前は聞き出せたが、それ以外の
問いかけには「追われている」とだけ繰り返す娘。
007 ゴローは娘を自分の城にいざなう。
ゴローとメリザンドは結ばれるがそこにペレアスが登場。
008 戦場から帰還したペレアスはゴローの異母弟。
快活な青年ながら眼差しに宿る憂愁の影。
009 ペレアスの登場で古色蒼然としたアルモンド城はぱっと華やぐ。
010 ペレアスはメリザンドを見て心を揺さぶられる。
それはメリザンドも同じだった。
011 ゴローの束縛の下で月見草のように暮らしていたメリザンドに
生命力が吹き込まれる。(2014年11月12日)

第2部 悲劇の始まり

012 古井戸のそばに並んで腰かけるペレアスとメリザンド。
きらきらと輝く水面、さらさらと流れる泉。
二人は子どものようにふざけ合っている。
城の中では沈鬱なメリザンドがここでは屈託ない。
もてあそんでいた結婚指輪が井戸に落ちる。
013 時を同じくして森で狩猟中のゴローが落馬して傷を負った。
ゴローを看病するメリザンド。その指には指輪がなかった。
014 夫の心に猜疑の芽が宿る。
どす黒い疑いはたちまち膨れ上がってゴローを苦しめた。
015 若い二人はそれを知らない。
バルコニーから身を乗り出したメリザンドをペレアスは見上げる。
016 垂れ下がってきた長い髪の毛を愛しむペレアス。
まるでメリザンドそのものを愛撫するように。
そこにゴローが現れる。
017 ゴローの疑念は現実のものとなった。荒れ狂う嫉妬の炎。
018 ゴローはペレアスを地下の洞穴に呼び出した。
不気味な闇。
ゴローは弟に城から出ていくように命じる。

ここで曲はほぼ折り返し点となります。(2014年11月14日)

シェーンベルクとメーテルランクを冒涜するような暴挙、第三弾です。

第3部 愛の死

019 ペレアスはメリザンドに静かに別れを告げる。
その言葉は徐々に熱を帯びて最後には愛の奔流となる。
020 今宵泉の傍でもう一度逢おう、そう約束する二人だった。
密会。
021 抱き合い愛の言葉を語り合う二人。
愛を伝えるのに言葉では追いつかなくなる。
022 官能の波に身を任せる二人。
023 何度も高みに到達する若い二人。
いっときの静寂も終着ではない。
二人は見つめ合いなおも愛し合う。
024 さらに荒らぶる官能の嵐。
025 絶頂、そこでは余韻すらもが激しい。
026 幸福の頂点でゴローが飛び込んでくる。
嫉妬に狂ったゴローはペレアスを刺し殺す。(2014年11月17日)

第4部 おわり

027 ゴローはメリザンドとの出会いを思い出している。
森は暗かったがあの時、二人の未来は明るかった。
028 ペレアスを目の前で殺されてメリザンドは昏睡状態に陥っている。
衰弱しながらもメリザンドは美しい。
029 時折メリザンドの口元に微笑が宿る。
彼女の脳裏に映えているのはゴローかそれとも少女時代の思い出か。
030 あるいはペレアスか。
その表情を見てゴローの呼吸が苦しくなる。
031 この苦悶は愛のせいなのか嫉妬のせいか。
ゴローは懸命に自分の感情を押しとどめようとする。
032 しかし激情を抑える事はできない。
ゴローはメリザンドを揺り動かす。
033 抱き起こして叫び続ける。
「お前が愛していたのは俺だったのか、ペレアスだったのか」
034 ゴローはメリザンドを横たえ嗚咽する。
彼女の口から息が漏れる。
かすかに聞き取れる声。「私が愛したのは……」
035 しかし彼女の言葉はそこで途切れた。
036 こと切れるメリザンド。
その口元には微笑が浮かんでいる。
037 立ち尽くすゴロー。
彼の心を幸福な過去が満たす。
038 城主としての日々、ペレアスや家族たちとの日々。
それからメリザンドとの思い出。
039 最初はゴローの心を幸福で満たしたその思い出はすぐ荊となって胸を突き刺す。
040 その場に崩れ落ち昏倒するゴロー。
041 夕陽に浮かび上がるアルモンドの城。
ゴローは静かに息を引き取る。(2014年11月19日)

シェーンベルクの音楽をたどってみると、第3部はメーテルランクの原作よりもかなり生々しくなっています。

第4部でゴローがメリザンドに「ペレアスと関係があったか」問いただすのですが、シェーンベルクの音楽ではあきらかに二人は関係を持っています。あくまでも「音楽では」ですが。
さらに「音楽では」、二人が関係を持っている最中にゴローは乱入しています。
ですので第4部でのゴローの問いかけは意味を失ってしまいます。
それで私のあらすじではゴローは「関係を持ったかどうか」ではなく「誰を愛しているのか」と問いかけたことにしました。
シェーンベルクもそんなことは分かっていたはずです。
しかしそれでもあえて書きたかった第3部だったのでしょう。

ベルリオーズ「リア王」、デュカス「魔法使いの弟子」、シェーンベルク「ペレアスとメリザンド」、今回のコンサートのテーマは「物語と音楽」です。



お暇ならどうぞ。(2014年11月21日)

いよいよ今年も残すところあとわずかとなってしまいました。
皆さま、年末年始はどのようなご予定でしょうか?

お正月で一番困るのは面白いTV番組がないことです。
バラエティはうるさいだけだし、お笑いはどれも年末に見たネタばかりだし、スポーツのイベントは2日からだし。
レンタルビデオショップに行ってもめぼしい作品はことごとくレンタル中です。

そこで提唱したいのが三都元旦駅伝です。
神戸→大阪→京都の推定110キロ、所要時間6時間の大イベントです。
正月だからもともと道路も空いているし、もしかすると交通規制も必要ないかもしれません(暴論)。
知らない学校ばかりが走る箱根駅伝だって年々ヒートアップしているようです。
身近な大学が競う関西駅伝はもっと盛り上がるのではないでしょうか。
ぜひサンテレビ、テレビ大阪、京都テレビの3局ネットでお願いします。

というわけで松本胃腸科クリニックは12月27日(土)から1月4日(日)まで休診です。
インフルエンザが猛威を振るっているようですが体調管理にはくれぐれも気をつけてよい年をお迎えください。
(2014年12月26日)

神戸元町ダイアリー2014年(3)本当のニュータイプ<main>神戸元町ダイアリー2015年(1)イジメ、ダメ、ゼッタイ
 

神戸元町ダイアリー2014年(3)

こんなコンサートに出演することになりました。

題して「カルメン〜愛の物語」、30分に凝縮された歌劇「カルメン」です。
入場無料です。トアウェスト散策ついでにぜひお越しください。(2014年7月2日)

薬の名前が最近ややこしいです。
これまでは各製薬メーカーが短くて印象的な名前をつけようと知恵を絞ってきました。
たとえば「リピトール」、「ムコスタ」、「クラビット」などなど……。

最近は成分名をそのまま商品名にしたものが増えてきました。
上記の薬はそれぞれ「アトルバスタチン」、「レバミピド」、「レボフロキサシン」となります。

発音もできないような薬を覚えられるわけがありません。かくして自分が飲んでいる薬を覚えるのが不可能な事態になってしまいました。
病院によっては薬手帳や薬の説明書を渡してくれますが、それをいつも持ち歩いている人は少数派です。
(2014年7月4日)

仕事の途中、急に熱が出てきたので会社を早退して病院に行ってみよう……。
しかし病院に行けば必ず訊かれます。

「今何か薬を飲んでいますか?」

そうです。
常用薬や今回の症状に対して服用した薬の名前が分からなければ、正しい診断や処方もおこなえないのです。
しかし常に薬手帳を持ち歩いている人は多くありません。
保険証もカードサイズのものが多くなってきましたが、それでも常に財布に入れている人は少ないです。

こういう時は携帯写真が便利です。
薬をもらった時、とりあえず写真を撮ってしまうのです。

これくらい無造作に撮っても大丈夫です。
ついでに保険証も撮っておけば緊急時に何かの役に立つかもしれません。(2014年7月7日)

イベントのお知らせです。


「オペラ座の怪人」の世界をピアノ五重奏で完全再現!
「Think Of Me」、「The Music Of The Night」、「Prima Donna」、「Masquerade」、「The Point Of No Return」などの名曲の数々を60分に凝縮して感動はそのまま。
入場無料ですので買い物疲れを癒す休憩所替わりにどうぞ。

2014年8月15日(金)15:00
大阪駅前第3ビル2階「RHYコンサートホール」
出演:ひめますクィンテット Z(三浦栄里子、佐藤文郎、酒井緑、松本修志、山添庸介)
(2014年7月25日)

もう一軍で見る事はないかも、とあきらめかけていたカープの福井投手ですが昨日見事に完投勝利を飾ってくれました。

ファーム戦だと神戸サブにしても甲子園にしてもすぐ近くで見られたのですが、
これからはあんまり近くでは見られなくなるのでしょうか。ちょっと寂しいです。(2014年7月28日)

最近携帯音楽プレーヤーで聴いているのが、モルゴーア・クァルテットです。

プログレッシヴ・ロックを弦楽四重奏に編曲したシリーズの2枚、「21世紀の精神正常者たち」と「原子心母の危機」。

これはとにかくすごいです。
ロックのアルバムのレビューで「捨て曲なし」というほめ言葉があります。
この2枚もまさにそんな感じ。名曲ぞろいでしかも全曲超絶技巧の嵐。
スローな曲でもアレンジが絶妙なのでぞくぞくするほどアグレッシヴです。

実は「SEPULTURA」とか「SODOM」とか「S×O×B」とかの曲もいっしょに聴いているのですが、正直モルゴーアの方が過激です。
クラシックファンの方もロックファンの方も是非どうぞ。(2014年8月1日)

手持ちのビデオカメラやスマートフォンで動画を撮って、人に見てもらおうとDVDに焼いて渡すことがあります。
ところが、これが満足に再生できたためしがありません。
「再生できません」という意味合いのことを、可能な限り難解に表現したような文章で拒絶されることもあれば、ひどい場合はディスクが問答無用で挿入口からはじき出されることもあります。

それほど特殊な機材で録画したわけではありません。
普通に日本で流通している商品で録画したのです。
ところがそれを日本の有名メーカーのそこそこの値段のプレーヤーが再生しようとしない。

メーカーは「4Kテレビ」を売り出そうと躍起ですが、一般消費者が映像機器に求めているのはこれ以上の高画質ではなくて、普通に普及している普通の動画フォーマットを普通に再生してくれる機能だと思います。
(2014年8月18日)

電気機器関係の不満と言えばもう一つあります。

2年ほど前に携帯電話を買い換えました。
出先でデータのやりとりもしたいけれども荷物が増えるのもいやだし、ということで通話ができる機種で最も画面の大きいものを選びました。
あくまでも携帯ツールなので、ある程度の不便さは覚悟の上です。

どうにもこうにも我慢できないのは「通話」機能です。
せっかくの大画面にいろいろな情報を表示できるのにそれを見ながら通話することができません。
通話していると画面がすぐセーブモードになって立ち上げるためにいちいちロックを解除しなくてはなりません。
もっと最悪なのは、表示された電話番号を見ながらダイヤルすることができないこと。
最悪に最悪なのは音量が小さいこと。

つまり「通話」に関することがあまりにもないがしろにされているのです。
付属機能の進化は大歓迎ですが、電話の基本的機能は大切にして欲しいと思います。(2014年8月20日)

スマートフォンの普及で思うことがいくつかあって、たとえば

スマホの登場で人の歩くスピードが2%はダウンしただろうな、とか
人ってこんなに人とつながりたかったのか、とか
最近の中学生は大変だろうな、とか
それでも女子中学生は長電話しているんだろうか、とか。

しかし一番強く実感するのは、人類が今、かつて体験したことのない進化の激流の真っただ中にあるということです。

「若者の活字離れ」などと知った風に言う人がいますが、これほど多くの人が活字で意思疎通をおこなった時代はありません。
二十年前までは「誰かに何かを伝えるために文字を書くのは年賀状だけ」という人がほとんどだったと思うのです。
意志疎通のメインツールが「音声としての言葉」から「記号としての文字」へと変わるというのは、考えてみれば人類史上最大の変革です。
しかもこの変革がわずかに数十年の間になされつつあるのです。
同時に遺伝子工学も急速に進歩しています。

心と体の両方の面で、人類に猛烈な変化が訪れているということです。(2014年8月22日)

この変革はルネッサンスと産業革命を合わせたものよりも激烈です。
しかもルネッサンスから産業革命には400年から500年という時間がかかりましたが、今回の変革は(まだ途中ですが)おそらくその十分の一程度の時間しかかからないでしょう。

そう言えばルネッサンスの前には数百年に及ぶ停滞時期がありました。
今回の進化の前には50年間の戦争の時代がありました。
進化の前には停滞、もしくは後退の時期が必要なのでしょうか。
そういう歴史観はあまり好きではありませんが、そう考えたくもなります。

で、思うのです。
私の楽観的な予想では人類はあと30年で一段階進化します。
進化した人類は当然今の人類よりも賢いはずです。
今私たちが持て余している様々な難題も上手く調整してくれるはずです。

尖閣諸島も竹島も、イスラエルもガザも、ロシアもウクライナも、30年間棚上げにしましょう!
スマホをいじりながら歩いている人を見ると、ついついそんなことを考えてしまうのでした。(2014年8月25日)

うちのネコを見て不思議なのは、落ちたものを食べても、流しの隅に残った水を飲んでもお腹を壊さないことです。

ヒトの方が免疫システムが複雑で高度なはずなのに下痢しやすいのはどういうことでしょう。
感染症の症状の多くが、感染源そのものではなく、感染源に対する過剰な免疫反応によってもたらされているということなのでしょう。
神様の設計図では、ウイルスには免疫反応が起動し、花粉やネコ毛には起動しない、そういう仕様になっているはずなのですが、製造部門の工程が遅れているということです。
まあ一万年もすると完成することでしょう。

それまでは小手先の医療技術でしのいでいくしかありませんが、ヒトの進化の方向としてはここしばらくは感染症に対してひ弱になって行くと思われます。
敏捷性や運動機能も同じです。
科学的トレーニング法の発達と遺伝子工学によるサラブレッド化によってスポーツの各種記録は伸びていくと思いますが、全般的には運動能力は落ちていくでしょう。
直観的把握能力も減少するでしょうし、第六感や超常能力の発生頻度が上昇するとは思えません。(2014年8月27日)

ガンダム世代としては「進化」と聞くと「ニュータイプ」という言葉を思い出します。

作中で「ニュータイプ」についていろいろ説明してくれますが、どうもぴんと来ません。
ネコとヒトの違いから類推するに、進化することによって超人的な空間把握能力や物体念動能力が身に着いたりはしなさそうです。
現実のアムロ・レイは、地球上ではいつも青鼻を垂らした方向音痴のひ弱な少年だと思うのです。

その代わり帰納力、分析能力、演繹力、推察力、危機への対処力は抜群に秀でていることでしょう。
(2014年8月29日)

帰納力とか演繹力などと言うと大げさですが、つまりはそれぞれ

「失敗事例の積み重ねから原因を抽出する能力」そして「失敗の原因に対処する能力」

と言い替えることが可能です。それをさらに分かりやすくすると

「何をしていはいけないか判断する理性」と「してはいけないことをしない自制心」

と言えるかもしれません。
それをさらに平たく言えば

「されていやなことはしない」と「自分だけは大丈夫だと思わない」

ということになるでしょうか。もう一つこれを現実に即して言い換えるならば

「先輩にいじめられたからといって後輩をいじめない」と「歩きスマホはしない」

これがニュータイプの最低条件だと思います。(2014年9月1日)

獣医は対象となる動物も幅広く、責任重大で大変な仕事だと思います。
6年間という修養年数も当然必要でしょう。

もし対象動物の枠を狭めて産業獣医師やペット獣医師などに細分化したらどうでしょうか?

たとえばペットの栄養指導や獣医受診のアドバイスのみをおこなうペットアドバイザーの免許は2年間のカリキュラムで。
ペットの診断と薬の処方ができる家庭獣医師の免許は4年制で。
そして入院と手術が可能な獣医師免許は従来通り6年制。

アドバイザーと家庭獣医師のコースには志望者が殺到するのではないでしょうか。
大型の家畜を扱わないので都会の大学でも開設できるし、自分のペットの管理のために受講を希望する中高年層も大勢いそうです。
ペットのちょっとした不調に右往左往している飼い主のためにも、少子化で困っている私立の大学のためにも、獣医師法の改正を提案します。
(2014年9月3日)

ペットについてもう一つ提案したいことがあります。

ペットショップを国営にしてはどうでしょう?
大切な命を扱う仕事です。
登録制や認可制よりももう一段厳しい縛りを設けて欲しいです。(2014年9月5日)

ペットショップはペットを大切に扱うだけでは不十分だと思うのです。
客にペットを飼う能力があるかどうかを見極めるところまで責任を負うべきだと、私は思います。
利潤を目的とする私企業に望むのは無理です。

当然客の方にもある程度の努力が必要となります。
1か月に1回の研修を12回は義務付けましょう。
ペットを飼おうと決めてから実際に手に入れられるまで1年間かかるとすれば、一時のブームに流されることもなくなると思います。
たった12回の研修に参加できない人に毎日の散歩や世話ができるはずがありません。
1回でも研修に参加できなかった人は理由のいかんを問わず失格にしましょう。

ペットビジネスにおいて最も大切なのはペットの命です。
ペットを飼う権利やペットで商売をする権利がそれに優先される仕組みは絶対に間違っています。(2014年9月8日)

神戸元町ダイアリー2014年(2)特定秘密保護法案<main>神戸元町ダイアリー2014年(4)台湾のコスプレ写真

神戸元町ダイアリー2014年(2)

「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」というDVDを見ました。

オリバー・ストーンは「プラトーン」や「ウォール街」などで知られる社会派映画監督です。
DVDにして全5枚というボリュームですが、社会派とは言ってもハリウッドの第一線で活躍し続けている監督の作品ですからエンターテインメントの要素も忘れません。
過去の映画からの引用も巧みに用いながら600分に及ぶ長さを退屈させずに見せてくれます。
アメリカ人にとってはかなり辛辣な内容です。
第二次大戦への参戦、原爆投下、日本全土への空襲などが、必ずしも正義ではなかったことが語られます。
その後のベトナム戦争、キューバ危機、イラク侵攻なども全て否定的に扱われます。
リベラルよりもさらに左寄りのスタンスと言えるでしょう。

目を引いたのは第二次大戦の巻です。その論旨としては、
大戦中には様々な国が様々なところで様々な虐殺行為をおこなったが、原爆投下も日本空襲も同様の虐殺行為であるというものです。
その趣旨自体には私も同意見なのですが、驚いたのは大戦中の様々な虐殺行為の中に「南京虐殺30万人」が含まれていることです。(2014年4月2日)

さあ、困ったことになりました。
南京で30万人が虐殺されたとする意見に対して、相手が中国人であれば私たちは反論することができます。
あるいは、原爆投下によって結果的に多くの人が救われたとする「おめでたいアメリカ万歳史観」の人が相手でも反論できます。
しかし「アメリカも世界中で多くの虐殺をおこなってきた」と反省する人に対して、私たちは何をどう語ればいいでしょうか?
「南京虐殺は歴史捏造なんです!」と叫んでみても、「あのね、今はそういうレベルの話をしてるんじゃないの」とたしなめられるでしょう。
私たちは勇ましい右派論客たちの活躍を見て、てっきり南京虐殺論争では中国の主張を圧倒しているものと思っていました。
実際には違ったようです。
アメリカも中国も信用しないという立場を貫くリベラル派でさえも、日本軍が南京で30万人を虐殺したと認識しているのです。(2014年4月4日)

雄弁な右派論客たちが、突然いじめられっ子のように見えてきてしまいました。
顔に青あざを作って帰ってきた子どもにわけを訊いたら「喧嘩を売られたけど殴り返してやった!」と胸を張って答えます。
しかしその場に居合わせた人に訊くと「一方的に殴られて、泣きながら帰って行った」らしい。
そんな状況が思い浮かんで仕方がありません。
評論家は国内向けの週刊誌には「中国のウソを暴く」みたいな勇ましい記事を書いていますが、世界的には全く認められていなかったのです。
「誤認されている」レベルではないのです。
議論自体の存在が認識されていないのです。
ねえねえ、勇ましい人たち。
たまには外に向かって吠えてみましょうよ。(2014年4月7日)

私自身は南京での数万人規模の虐殺はなかったと思っています。
もしかすると心が病んでいるのかもしれませんが、私は群衆を見るとなぜか「これだけの人を数週間で殺すことは可能だろうか」と考えてしまいます。
甲子園の三万人とか、神戸マラソンで須磨の海岸通りを埋め尽くす一万人とか……。
はい、確かに病んでいますね。
しかし結論としては「不可能」だと思います。
虐殺の最大のリスクは感染症です。自軍の兵士を感染症から守りつつ虐殺をおこなうとすれば

1)アメリカのように大量虐殺兵器を用いる、か
2)ナチスドイツのホロコーストや中国の文化大革命のように国家を挙げてのシステムを構築する、か
3)アフリカ奥地のように虐殺後の集落を放置する、か
いずれかだと思います。

兵站という発想のない日本軍には無理です。
日本軍には占領予定地の原住民を虐殺できるたけの立案能力も遂行能力も、残念ながら(?)なかったと思います。(2014年4月9日)

とは言うものの、そんなことを声高に叫んでみても世界から相手にされないのは分かり切っています。
それに国際会議の席で議論の流れを打ち切ってだらだらと主張を繰り返す、中国みたいなやり方は非文明的で見苦しいです。
主張するためには根回しが必要です。
今すぐ日本は「戦争での民間人被害を調査し被害者を救済する国際組織」を立ち上げましょう。
その中で「性被害者」は特別の部会を作って重視しましょう。
南京虐殺も従軍慰安婦も「疑わしきは被害者の有利に」という原則で補償を開始しましょう。
ただし政府の見解としては「調査結果が確定した時点で加害状況に応じて謝罪なり遺憾の意の表明なりおこなうが、その前に被害者保護の観点から補償は前倒しで開始する」と発表しましょう。
民間人被害の調査はすぐ第二次大戦以外にも波及するはずです。
占領統治下の日本や、朝鮮戦争やベトナム戦争などで、従軍慰安婦どころではない人数の性被害の事実が次々と露呈するでしょう。
それらの加害者はアメリカ人であり、中国人であり、韓国人であったりします。
賠償額はとてつもない額となります。
そんな額を彼らが払うわけがありません。
結果的に「日本だけが戦争での民間人被害に真面目に向き合った国である」という前提ができあがるわけです。
国内プレス向けに「慰安婦などいなかった」などと息巻いても全く無意味です。
まず「真剣に向き合う姿勢」を世界に見せましょう。
それと同時に一方的に攻め立ててくる連中の非人道的なおこないも晒し出しましょう。
これからの日本は、世界にどう見せるか、を考えてずる賢く行動するべきです。(2014年4月11日)

世界への主張と言えば、ずっと引っかかっていたのは「調査捕鯨」という言葉です。

捕鯨文化の大切さを訴えたいならそう主張するべきだ。
「調査」という名目を選んだ時点で、捕鯨文化を守りたいという姿勢を放棄したのに等しいのではないか。

そう思えて仕方がなかったのです。
それはさらにもう一歩進めると、捕鯨文化よりも捕鯨関連業者を守った、ということにもなります。
いずれにしても現在の捕鯨には「伝統の尊重と文化の保存」という意味合いが含まれていないのですから、「調査の意味の有無」に基づいた今回の判決は至極まともです。
日本は30年近く前にすでに負けていたと言えるかもしれません。(2014年4月14日)

ところで「調査捕鯨の半数が南極海でおこなわれている」のを知らなかったのは私だけでしょうか?

てっきり日本沿岸か、せいぜい北太平洋でおこなわれているものと思っていました。
私は捕鯨とは守るべき食文化であると信じていましたが、もし日本が南極海で鯨を捕りまくっているとすれば少し感じ方が変わってきます。

「日本がやっている事は他人の裏山のマツタケを勝手に採りまくるのとは一線を画す行為である」と、どなたか私に納得させてくれないでしょうか。(2014年4月16日)

小保方さんの会見の模様をTVで見ました。
繰り返される「無知と不勉強」というキイワードが印象的でした。

しかし全くそのとおりだと思います。

彼女は雑誌「Nature」なんかに発表せず、新聞や雑誌にインチキ広告を出せばよかったのです。
「STAP細胞でアトピーが治った!」とか「余命3か月の癌がSTAP細胞で消えた!」とか。
それなら誰も突っ込まなかったのに。
彼女はまじめに論文なんか書かないで詐欺医療本を書けばよかったのです。
「医者に殺されないためのSTAP細胞」とか「薬を飲まずにSTAP細胞で健康生活」とか。
それなら大儲けできたのに。

本当に無知で不勉強な小保方さんでした。(2014年4月18日)

雑誌「Nature」が興味深いのは化学、物理、生理学、地学などなど「科学」の全てのジャンルを扱っているところです。
ジャンルを狭めて高い水準を保つのは容易ですが、それを敢えて間口を広げて、なおかつ高水準を保ちたい。
そのためには独自の編集方針が必要です。
平たく言うと「すでに知られている現象を地道に検証する」論文よりも「常識をひっくり返すような命題を提示する」論文を重要視するような姿勢。
もちろん提示に当たっては最低限の科学的検証が必要ですが、最終的に採用の決め手になるのは「ロマン」と「実証」のバランスなのだと思います。
「Nature」がどうして小保方氏によるあのレベルの論文を採用したか、いろいろ論じられていますが考え方としては逆かもしれません。
あの論文を掲載しようと決断したのが、まさに「Nature」の「Nature」たるスタンスなのだと。

真面目にこつこつ研究して細心の注意を払って仕上げた論文なのに、「Nature」に門前払いを食わされる。
そんな目に遭った多くの研究者は文句の一つも言いたくなるでしょう。
しかし「Nature」は「そういうことを求めているのではない」ということです。

新聞などで専門家のコメントを読むと、まるでタイピングコンテストの出場者がショパンコンクール優勝者のピアノタッチを論評しているような、そんな的外れ感を感じてしまうのです。(2014年4月21日)


不思議な話、三連発です。

ふと「クローズZERO」という映画が観たくなってレンタルして帰ってくると、地上波で同じ映画が流れていました。

これは、考えてみると不思議でも何でもありません。
劇場版新作の広告を、私は無意識のうちにどこかで目にしていたのでしょう。
それがサブリミナルに「あの映画、面白かったからもう一回観よう」と私に思わせたのだと思います。
そして劇場版プロモーションの旧作放送とたまたま、というより必然的に、重なったということです。

「クローズZERO」は高校生たちがひたすら殴り合うだけの映画なのですが、時々見直したくなります。
これは不思議です。

さて今シーズンのTVドラマは、逢坂剛の「MOZU」を見ようと思っていました。
ところが見ていると気分が悪くなってきます。
喫煙シーンが多いから、みたいです。
しかし登場人物がタバコを吸いまくる映画なんていっぱいあるし、現に「クローズZERO」だってみんなタバコを吸うわ、ポイ捨てするわ、しかも高校生だわ、なのですが別に気分が悪くなったりはしません。

どうも気分を悪くさせる喫煙シーンと、悪くさせない喫煙シーンがあるみたいです。
これはすごく不思議です。(2014年4月23日)

ドラマを観ていて感じる気持ち悪さと言えば……、

この間「刑事コロンボ」一気放送というのがあったのでまとめ録りして、暇な時にちびちび観ています。
懐かしくもあり、さすがに時代を感じさせるトリックや演出には苦笑したりしつつ、いい暇つぶしになっています。

コロンボも喫煙者です。
彼が吸うのは葉巻ですが、「マッチある?」というのが登場シーンの決まり文句でしたね。
そして彼は場所も立場も考えず吸いまくります。
犯行現場の大邸宅に行っては、ふかふかの高級カーペットに葉巻をくわえたまま四つん這いになって遺留品を探したりします。
観ているこっちがひやひやするシーンですが、時代の差なのか、それとも当時もひやひやしていたのかはよく分かりません。
しかしコロンボが葉巻を吸ったからと言って気分が悪くはなりません。

被害者の奥さんを慰めようとコロンボが彼女の手を握る。
気持ち悪いのはこういうシーンです。
もちろんコロンボにセクハラの意図がないのは分かっています。
しかし理由はともかく女性の手を握るというのが生理的に受け付けない自分がいます。
今のドラマであればそもそもこんなシーンはありません。
もっと古い映画なら無意識のうちにフィルターをかけているのでしょう、男性が女性の手を取っても何にも感じません。
「刑事コロンボ」という微妙な近さ故の気持ち悪さということでしょうか。

というわけで、「MOZU」は喫煙シーンだらけで気分悪くなるから観ない方がいいですよ、という結論でした。(2014年4月25日)

せっかくの連休なので普段じっくり聴けないオペラでも聴こう……、

と思いましたが、家でオペラを楽しむのはなかなか難しいです。
劇場に放り込まれて逃げ道がない状態ならともかく、自宅で何時間も音楽に集中するのは事実上無理ではないでしょうか。
ちなみにオペラの長さを調べてみました。
小学館から「魅惑のオペラ」というシリーズが出版されていますが、その第一期のラインナップがおそらくオペラのベスト10と考えていいと思います。

1:モーツァルト「フィガロの結婚」189分
2:ヴェルティ「椿姫」130分
3:ビゼー「カルメン」174分
4:プッチーニ「トゥーランドット」154分
5:モーツァルト「魔笛」154分
6:ヴェルディ「アイーダ」154分
7:シュトラウス2世「こうもり」176分
8:プッチーニ「蝶々夫人」144分
9:ロッシーニ「セビリャの理髪師」154分
10:R・シュトラウス「薔薇の騎士」197分

なぜか10作中4作が154分ですが、DVDのフォーマットか何かの都合でしょうか。
それはともかくオペラとはだいたい2時間半から3時間かかるものと考えて良さそうです。(2014年5月2日)

ついでに第二期の10作も書いておきましょう。

11:モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」177分
12:プッチーニ「トスカ」124分
13:ヴェルディ「ドン・カルロス」211分
14:モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」185分
15:プッチーニ「ラ・ボエーム」117分
16:レハール「メリー・ウィドウ」133分
17:モーツァルト「後宮からの逃走」142分
18:オッフェンバック「ホフマン物語」150分
19:チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」154分
20:ワーグナー「ローエングリン」200分

20位まで範囲を広げると2時間未満の作品も登場してきました。
その一方で恐怖の200分超作品も2作入ってきましたが・・・・・・。

プッチーニは「短いオペラ書き」と認定してよさそうです。(2014年5月7日)

悪ノリついでに30位まで。

21:プッチーニ「マノン・レスコー」126分
22:ヴェルディ「オテロ」140分
23:ドニゼッティ「愛の妙薬」135分
24:ベートーヴェン「フィデリオ」128分
25:ヴェルディ「リゴレット」129分
26:ワーグナー「タンホイザー」188分
27:ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」127分
28:ヘンデル「セルセ」156分
29:ベルク「ヴォツェック」97分
30:モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」143分

ここまで広げると100分未満の曲も登場です。
「ヴォツェック」は97分でも970分くらいの重さがありますが。

30作を眺めてみると、
さすがのモーツァルトが6作ランクインでトップ。
「ザ・オペラ作曲家」ヴェルディとプッチーニが5作でそれに続きます。
その次にはワーグナーの2作品がエントリーしていますが2作とも超弩級の188分。
実質3作品くらいの長さです。
それにワーグナーについては別巻があるので出版社サイドとしても特別扱いのようです。
ランキング評価不能と言ったところでしょうか。(2014年5月9日)


長々とオペラの時間を書いてきて何が言いたかったかと言うと、これです。

マスカーニ作曲のオペラ「友人フリッツ」。
これが最高に素晴らしいのです。
まず、30分ずつの3幕ものという手頃な短さ。
晩ご飯のあと、お酒を飲みながら聴き始めても睡魔に襲われる事なく最後まで楽しめます。
そしてそこに綿々と織り込まれた美旋律の数々。
「どこを切ってもメロディーがほとばしってくる」というのはこの曲のためにある表現だと思います。
オーケストレーションも巧みだし、どうしてこれがレパートリーとして定着していないのか不思議です。

オペラは概して人間関係がややこしくてすじを追うのが難しいのですが、これは「独身主義の男主人公が魅力的な女性と恋に落ちる」というシンプルそのもののお話。
しかもそんなストーリーなど気にしなくても、メロディーに身を任せるだけでただただ幸せになれます。

ゴールデンウィークは終わってしまいましたが、この曲なら平日でも大丈夫です。
ぜひどうぞ。(2014年5月12日)

先日「魅惑のオペラ」には特別編があると書きました。
それがワーグナーの四作品です。

特別版1:ニーベルングの指輪〜序夜「ラインの黄金」154分
特別版2:ニーベルングの指輪〜第一夜「ワルキューレ」237分
特別版3:ニーベルングの指輪〜第二夜「ジークフリート」243分
特別版4:ニーベルングの指輪〜第三夜「神々の黄昏」270分

ベスト30の中での最長作品はヴェルディ「ドン・カルロス」の211分でしたが、何と特別版の三作品がその記録を軽く飛び越えています。
四作品を続けて見るとちょうど15時間!
脳みそが溶けてしまいそうな長さです。(2014年5月14日)

で、15時間かけて何をやっているかと言うと、世界を支配する力を持つ「ニーベルングの指輪」の争奪戦がその大筋です。
神々や人間族やいろいろな種族が指輪をめぐって争うと言えば、ピーター・ジャクソン監督の「ロード・オブ・ザ・リング」を思い出しますが、まあ、あんな感じのものです。

ストーリーは壮大ですが、それにしても15時間は長いです。
「ワルキューレの騎行」や「ジークフリートの葬送行進曲」など聴きどころが多い一方で、だらだらと状況を説明するシーンやこれまでのあらすじを延々とおさらいする場面にうんざりさせられるのも事実です。

そう思っていたらこんなのがありました。

聴きどころはそのまま、誰が聞いても退屈な場面をばっさりカットして、何と6時間半に圧縮した「指輪」です。
試しにざっと聴いてみましたが驚くほど違和感がありません。
私が「指輪」に求めているものの95%くらいは含まれているのではないでしょうか。
(残りの5%は15時間という長さそのものという気もしますし……)

次は「トリスタンとイゾルデ」の90分ヴァージョンの登場を希望します。

上記のディスクは「コロンリング」で検索するとヒットします。
興味のある方はどうぞ。(2014年5月16日)

本屋で「この本、読んだっけ?」と考え込むことがあります。

小難しい本や全然面白くなかった本など、苦労して読んだ本なら忘れないのですが、警察モノや本格推理系などは危険です。
特に警察モノは言ってみればどれも「組織から浮いた存在である主人公が難事件に挑む」というプロットなので、裏表紙のあらすじ紹介を見てもあまり役に立ちません。

最近はバーコードを読み取るだけで簡単に読書記録を入力できるアプリもあります。
これは便利そうです。(2014年5月23日)

前回「便利そうです」と書きましたが、正直言うと全然便利と思っていない自分がいます。

読書記録なんて作者名、タイトル、出版社、読了年月日が分かればそれで十分です。
バーコード入力でそれほど手間が変わるとは思えません。
それよりも入力したデータをどう並べて、携帯機器にどう映し出させるか、というところが一番の問題です。

それからもう一つ。
入力は大した手間ではないと書きましたが、それは小説の場合です。
コミックは違います。
詳しく説明しなくても分かっていただけると思うのですが、コミックを一冊読み終わるたびに何かをちまちま入力するのはとても面倒です。
バーコード入力でも同じです。

しかし現実問題として、「どこまで読んだっけ」と一番困るのが、長編のコミックです。(2014年5月26日)

これを解決するのは眼鏡型ウェアラブルPCしかないと思います。

裏表紙を見ながら「読了」と言えば、本のデータが読書記録に取りこまれるようにすればどうでしょう。
「読了」と口にするくらいならコミックでも面倒がらずにできそうです。
そして裏表紙を見ながら「チェック」と言えば、読了したかどうかすぐ判断してくれるわけです。

この眼鏡さえあれば、本屋で長時間悩んだり、包装のビニールを少しだけ破ってこっそり中を見たり(私はしませんが)というような無駄な手間から解放されそうです。(2014年5月28日)

集団的自衛権についての記事を読むともどかしくて仕方がありません。

国益のために集団的自衛が必要と政府は主張しますが、肝心の「国益」が何かがさっぱり分かりません。
我ながらあさましい根性ですが、どういう見返りがあるか分からないのに負担の話をされても困ってしまうのです。

「中国が尖閣に上陸すれば直ちに誘導ミサイルで上陸部隊を殲滅する!」とアメリカが約束してくれるなら、北朝鮮の長距離弾道弾の迎撃システムの一翼を担いましょう。ミサイル基地空爆部隊の後方支援をしてもいい。
しかしアメリカが弱腰で、中国に遺憾の意しか表明できないのであれば、そんなアメリカのために何かを負担をするのはお断りです。
輸送船の一隻だって送りたくないです。
アラブ諸国の反感を買いながらホルムズ海峡に掃海艇を派遣するくらいなら、「アラブ政策に関しては日本はアメリカのやり方には反対」と表明する方がましに思えます。

国益のためには武力行使もやむをえず! という立場の人たちに限って「集団的自衛権によって獲得される国益とは何か」について語ってくれないのはどうしてなのでしょうか。
(2014年6月2日)

よく分からないのは、アメリカが中東において何をやろうとしているか、という点です。
頼まれもしないのに安倍首相が軍を中東に送りたがるわけがありません。
イラクやアフガニスタンから敗退するアメリカがまだ中東で何かをやらかそうとしている、と考えるべきなのでしょう。
私たちはアメリカが中東や東アジアで何かやるたびに泥沼に入りこんできたことを知っています。
今アメリカが企んでいるのも、100%ろくでもないことでしょう。

とすれば安倍さんは盲目的に追随するのではなく「もういい加減にした方がええんちゃう?」と言ってあげる方がアメリカのためになるような気がします。(2014年6月4日)

文民による制御は当然必要ですが、紛争地に行ったこともなく、今後も行く予定もない連中が、起きてもいない、起きるかどうかも分からない事態について、ああでもないこうでもないと言い合っているのは滑稽に思えます。 

国会議員にはアフガニスタンの米軍基地に視察に行って欲しいものです。 
普段勇ましいことを言っているタカ派議員が仮病でドタキャンしたり、近視眼的反戦論をヒステリックに叫んでいる議員が命の危険をかえりみず現地の生の声を拾ったり、そういうドラマを期待します。 

実際、携行武器や発砲の要件を細かく決めるよりも、条文に「自衛隊海外派遣の際には無作為に選ばれた国会議員が発言権を持たないオブザーバーとして同行する義務を負う」という一文を入れた方が暴走の歯止めになるのではないでしょうか。 
いや、歯止めどころか自衛権発動法自体が自然消滅する可能性が高いと思います。 護憲派議員のみなさん、戦術転換するなら今が最後のチャンスです。
(2014年6月9日)

自ら最前線に立つ覚悟のない者による派兵議論には虫酸が走りますか、それに反論するよすがとしていまだに憲法を振りかざすのもどうかと思います。 
9条ばかりがクローズアップされますが個人的に引っかかるのは25条、27条です。 

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 
同第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 

ポイントは「権利」という言葉です。 
「発言する権利を持つ」とは「発言しても罰されない」ということです。 
政府がお立ち台とマイクと聴衆を用意してくれるわけではありません。発言の機会は自分で用意する必要があります。
同じように考えれば、憲法に書かれているのは「誰にも邪魔されず最低限の生活を送ることができて、それで罰されることはない」ということであって、「最低限の生活をさせてもらえる」ということではありません。 

一方勤労については一切の但し書き抜きで「勤労の義務を負う」とあります。 
但し書きがないということは、「疾病や障害などやむを得ない場合を除き」などの勝手な解釈を許さないということです。
ところが実際には「やむを得ない理由で働けない人でも最低限の生活が保障されている」という憲法解釈がまかり通っています。 

9条の解釈変更が気になる人がどうして25条の勝手な解釈が気にならないのか、私はすごく気になります。(2014年6月11日)

さらに第21条第2項では「検閲は、これをしてはならない」とずばり書いてあるのに、現実は違います。
性的表現があると明示してあって、それを了承した人だけが訪れるはずの映画館で、どうしてモザイクだらけの画面を見せられるのか、理解できません。
9条改正反対を叫んでいる方々が、ついでに映画館前で「モザイクつけるな!」と叫んでくれたら個人的にはうれしいのですが。

結局日本人にとっての憲法とは、都合のいい時だけ持ち出される「女の子の門限」みたいなものなのでしょう。
そしてどうせ単なる方便なのであれば、もっと美しい日本語で書いて欲しいと思います。
護憲派の人はこの文章を読んで死にたくならないのでしょうか?
「源氏物語」を生みだした日本人がこんな悪文の憲法をありがたがっているなんて、私は外国の人に知られたくないです。(2014年6月13日)

献血ルームに行ったらこんなポスターをくれました。
せっかくなので待合室に飾ってます。

期間限定の予定ですが。(2014年6月30日)

神戸元町ダイアリー2014年(1)ゴーストライター<main>神戸元町ダイアリー2014年(3)本当のニュータイプ

神戸元町ダイアリー2014年(1)

ほっとしたと言えば佐村河内さんのゴーストライター騒ぎです。

彼の自伝を読んだこともなく、彼名義の曲を聴いたこともなく、NHKの番組も見てなかったので、曲についての感想を表明する機会がなかったのです。
NHKの番組を見ていたらおそらく「表面的な効果を狙いすぎているが、ところどころ『本物』らしい手ごたえが感じられる」などと知った気に語っていたのではないでしょうか。

あぶないあぶない。(2014年3月17日)

ゴーストライター騒ぎは極端すぎますが、時間の流れが評価を逆転させるのはよくあることです。

今から30年前、クラシック界で二大指揮者と言えばカラヤンとベームでした。
メディアをうまく操ったカラヤンはクラシックファン以外にも名前が知られる存在で、一方もっさりした風貌のベームは玄人好み。
しかし多くのクラシック通は「今から30年もするとカラヤンは忘れ去られ、ベームの方が評価が上回るであろう」と考えていました。
私も口に出して言ったことはありませんが、何となく「そうなんだろうな」と思っていました。
ところが没後20年以上を経て、カラヤンはいまだに未発表録音が渉猟される一方で、ベームの名前を耳にすることはほとんどなくなってしまいました。

「カラヤンなんてすぐ忘れ去られるさ」などと知った気に言わなくてよかったと、佐守河内さんの騒動の合間にふと思ったりするのでした。(2014年3月19日)

それにしても日本人の知的レベルには驚かされます。

「Nature」の論文が真っ当かどうかで大騒ぎしているのですから。
正直に告白すると、STAP細胞が何で、どういう意味合いを持つのか、私には理解できていません。
ましてやその論文のどこに不自然な箇所があって、それが便宜上の改変なのか捏造なのか判断せよと言われた日には完全にお手上げです。

今回の騒動が日本の評判を落とすという意見があります。
私には正反対のように思えます。
日本では「Nature」の査読の真正性がゴシップ週刊誌やワイドショーのネタになっていると聞けば、世界中の人が驚くのではないでしょうか。(2014年3月24日)


神戸元町ダイアリー2013年(4)特定秘密保護法案<main>神戸元町ダイアリー2014年(2)日本人に向かない仕事

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
selected entries
categories
archives
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM