神戸元町ダイアリー2010年(4)

サイコロを二つ振って目の和を当てるゲームがあるとします。
賭けるべき数字は「7」です。
なぜなら「7」が出る確率が一番高いから。
それまでに100回連続で「7」が出ていても、次に出る確率が最も高いのは「7」です。
サイコロだとちゃんと統計理論に基づいて行動できる人が、人生だと途端に意味不明な行動原則に則ってしまうのが人間のおかしいところです。
たとえば成人女性が結婚相手を選ぶ基準を考えます。
人によってさまざまな基準があるでしょう、恰幅のいい男性が好きな人もいるし、精悍なタイプが好きな人もいる、スポーツマンが好みの人もいるし、物静かな草食系男子がいいという人もいます。
しかし統計的に見ると厳然とした傾向が得られます。
統計とはつまり、その他の条件が同じならば、という意味だと考えていいと思います。

他の条件が同じならば健康な人の方がいい。
他の条件が同じならば収入のいい男性の方がいい。

ここで煙草です。
喫煙者は病気になる確率が高い。
喫煙者と非喫煙者の所得格差は明らかですが、原因と結果の順番が明確ではないのでここでは考えない事にしましょう。
しかし1日1箱の喫煙で年間10万円以上が費やされて、その分収入が目減りするのは確かです。
すると先ほどの文章をこう書き直す事もできます。

他の条件が同じなら非喫煙者の方がいい。

未婚成人男子で煙草を吸っている人は、(少なくとも婚活レースでは)サイコロ振りで「2」や「12」ばかりに賭けているのも同然だと思うのです。(10月1日)

結局は民主党VS自民党ではなく、分かりやすいが拙い素人の外交VSタレーラン的玄人の腹芸という構図だと思うのです。
しかし考えてみればこれは中国でも同じ状況かもしれません。
今まで官僚たちが微妙なさじ加減で構築してきた日中関係が、共産党トップの国内世論へのおもねりのためにぶち壊されたのですから。
日中両国の実務レベルの担当者同士の会話を聞いてみたいものです。
「すまんすまん、トップがアホやからこんな事になってしもて」
「うちも同じや、次の党大会までしのげれば、みたいなやり方されたらこっちも困るっちゅうねん」
おそらくこんな愚痴をこぼしながら折衝を続けているのではないでしょうか。(10月27日)

私も言われると嬉しいので、買い物すると店員さんに「ありがとう」と言います。
関西風に「とう」にイントネーションをつけると「ありがとう」が抵抗感なく言えます。
これは神戸に住んでいてよかったと思う点の一つです。
コンビニや飲食店でお店の人に偉そうな態度を取る人がいます。
力や金があるからといって居丈高に振る舞う人が他人からどう見えるかは、同様に振る舞う国が国際的にどう見られているか考えると簡単に想像できるはずなのに、不思議な事です。
というわけで思うのです。
気品を見せるためには客の立場に立った時がベストである、と。

海外で買い物をする時には気品を持って店員さんに接するといいと思うのです。
海外で宿泊する時にはホテルの部屋をきちんと整えてチェックアウトすればいいと思うのです。
海外でスポーツ観戦をする時には試合後掃除をすればいいと思うのです。

海外の人は私たちの行いに感銘を受け、感謝し、そして畏敬の念を持ってくれると思うのです。(11月1日)

中国問題に関する議論を見ていて感じるのは、何メートル先を見ているのか、その視界距離の違う人同士では全く議論にならないという事です。
たとえば一切の武装を認めない、私が勝手に名付けたところの「空想的平和主義」の人たちは、おそらく数メートル先しか見ていない。
その人と10メートル先を見ている人とでは議論がかみ合うはずがありません。
ところが10メートル先まで見ている人が、数メートル先しか見ていない人よりも優れているかというと決してそうではないのが面白いところです。
中国に対して毅然とした態度を取るべきだ! と主張している人は、日本と中国が公の場で侃々諤々やりあった時に、国際社会が日本の味方になってくれると考えているのでしょうか?
それとも国際社会を敵に回しても中国とやり合った方がいいと思っているのでしょうか?
正しい事を主張すれば国際世論がきっと味方についてくれる、などと言うのは「こちらが攻めなければ向こうも攻めてこない」という空想的平和論者の発想と同様に楽観的に私には見えます。「攻めなければ攻めてこない」というのを机上の空論とあざ笑う人が、「正論を主張すればみんなが味方になってくれる」などというこれまた机上の空論を根拠にしているのは滑稽に思えます。
実際のところ、国際世論の圧力によって横暴な振る舞いを改めた強国など、歴史上あったでしょうか。
強国に軍隊を引き上げさせる事ができるのは、強国の国内世論だけだと思うのです。
中国の横暴を止めるのは中国の国内世論だけ。
それでは中国の人たちにどうやって自国の横暴を止めてもらうかと言うと、仲良くしようと訴えるしかないわけで、ここで議論が一周して、空想的平和主義の発想に戻ってしまうのです。
問題は空想主義の、数メートルの視野では「政治」は行えないという事です。
シミュレーションを重ねることによってしか政策は行使できないから。
空想的平和主義は個人的運動に留まるしかない。
政党を立てて政治に反映するのはやっぱり現実的ではないと思うのです。
とは言うものの、最近、「殺されたくない、でも殺したくない。家族を殺されたくない、でも家族に殺させたくない。日本人を殺されたくない、でも日本人に殺させたくない。」というメルヘン的平和主義に傾きつつある自分が、います。
(11月8日)


前回の長文を要約するなら

1)遠方視力の違う人同士では議論にならない。
2)私は近視眼的平和主義者である。
3)だから私よりもっと遠くを見ている人、お願いですから議論を吹っ掛けないでください。

おお、言いたい事だけ言っておいて議論からは逃げようとする、何と卑怯な態度でしょう。
議論から逃げるついでにもう一つ。
中国問題で威勢のいい事を言っている人がいますが、当然そういう人たちの頭のどこかには「戦争」という言葉が浮かんでいるはずです。
そしてその「戦争」という文字が書かれたカードの裏に「どうせ戦うのは自衛隊」という文言が見えた時、私はその人とは議論をしたくありません。
「そんな事言っても、実際戦うのは自衛隊だろう」とか「自分が最前線に立つという前提でなければ外交問題を語れないという立場こそずるい」とかという反論は、全くもって論理的に正しいと思います。
しかしやはりそういう考え方の人たちと議論はしたくないです、生理的に、本能的に、直感的に。
つまり私の立場は近視眼的のみならず、原始的平和主義という事のようです。(11月10日)

ネット上では威勢のいい事を言っている人が多くて勇ましい限りです。
勇敢な日本人が多いのは結構な事だと思います。
ただ、現実の社会では、たとえば電車の中での迷惑行為を注意する人を、私は見た事がありません。
身なりのいい高齢の女性が不作法な若者をぴしりと注意している姿をごくまれに目にする事はありますが、老いていようと若かろうと、男が迷惑行為に毅然と立ち向かっている姿を見た事がありません。
おぼろげに想像するに、戦場は通勤電車よりも危険で怖いのではないでしょうか。
ネットで勇ましさをアピールしている人は、まず夜の電車などでその勇敢さを発揮してみてはどうでしょうか。
そういう場面を繰り返し見せてもらえれば、もしかすると私も威勢のいい主張に同意するようになるかもしれません。(11月12日)

日本と中国がもし戦争を始めたとすると、全く軍事についての知識のない素人が推測するに、日本のハイテク武器VS中国の人海戦術という構図になるのではないでしょうか?
人的損失という点では日本が圧倒的に有利だと思います。しかし最終的には歩兵力が勝敗を決しますから、最後に勝つのは中国だと思います。
中国には人権という考えがありません。
どんなずさんな作戦でも司令官に行けと言われれば兵士たちは進まなくてはなりません。
中国には自由な報道がありません。
前線でどんなに多くの兵士たちが犬死しようと、国民はそれを知る事はできません。
仮に司令官が海峡を死体で埋めて戦車を通そうと思いついても、そんな無茶な作戦がまかり通ってしまいかねないのが今の中国だと思うのです。
まともな兵站も用意されず南方戦線に放り出された日本兵や、祖国から見捨てられたも同然でドイツ軍に包囲されたレニングラード市民などと同じ運命が前線の中国兵を襲うでしょう。
日本人である私にとっても、想像するだけでぞっとするような恐ろしい事です。

中国のみなさん、戦争をすれば間違いなくあなたたちが勝つ。
しかし勝利の前には、無数の中国人の命が、戦闘とは一切関係のないところで、何の勇敢さも発揮される事もなく、勝敗に全然貢献せず、全く無駄に見捨てられるでしょう。
中国人として勇敢さを発揮したいのであれば、まず自国の選挙制度、裁判制度、報道を民主化するべきだと思います。
その時初めてあなたたちの勇敢さは立派に祖国のために活かされると思うのです。(11月15日)

戦争が始まって徴兵されたら、自分はどこに送り込まれるのだろうか?
この歳だし医療従事者だし、きっと後方の救護病院に配属されるだろう、いやいや大規模災害時医療やトリアージの実際を経験しているから最前線に送られるかもしれない……、最近そんな事を考えたりします。
何となく想像できるのですが、普段スポーツ観戦に全く興味がないくせにオリンピックやワールドカップになるときっちり盛り上がる私は、戦争が始まって日本中が熱に浮かされればみんなと同じように浮かれると思うのです。
今は空想的平和主義者などとうそぶきながら、いざという時には好戦的な論調に賛同してしまうと思うのです。
意気地がないくせに兵役に志願したりしてしまうと思うのです。
ナショナリズムの高揚感は私の理性など簡単に吹き飛ばしてしまうに違いありません。
売国的とも呼ぶ人がいる平和主義的教育を受けてきた私でも、そうです。
日教組の左翼教育から解放された若者世代ではナショナリズムはもっと盛り上がるんだろうな……、そんな事を考えたりする自分がいます。
ナショナリズムの高揚感を遮る方法はないと思います。
一つだけあるとすれば、そう、普段から盛り上がる癖をつけておくというのはどうでしょうか?
野球やサッカーなどのメジャースポーツに限らず、事あるごとに全国民を挙げて熱狂するようにしておけば、そのうち熱狂に慣れっ子になってくれないでしょうか。
何か面白そうな事があると素早く上手に品よく盛り上がって、そして2週間で自然と冷めていく、そういう性癖を身につけておけば、遠くない将来に間違いなくある、「真に恐るべき熱狂の日々」をも簡単にやり過ごす事ができるのではないか……、そんなこんなも考えたりする最近の私です。
(11月18日)

真保裕一「栄光なき凱旋」
人間は楽観的にできていて、どんなに戦争の悲惨な話を聞かされても、「でも自分は別だろう」って思います。
最近のハリウッドの映画も、彼らなりに戦争の不条理や残酷さを描く事が多くなってきましたが、観客が自分を投影するのはいつも殺される側ではなくて殺す側です。
人間は「戦場で他の99人が戦死しても、自分だけは生き残れるはず」と考えるようにできています。
だからこのぼよよんと平和な日本で、どのように戦争の悲惨さを訴えても、「戦争は怖いからやめよう」と考える人はいないと思うのです。
自分は特別なはず、というフィルターのおかげで人間は普段の生活を営む事ができます。
そのフィルターを突き抜けて何かを訴えかけるのは非常に難しい。
しかし真保裕一の「栄光なき凱旋」という本を読むと、戦争の悲惨さは戦場だけにあるのではない事がよく分かります。
戦争が始まったら、敵国人や敵国人の血を引いた人たちに対する差別や虐待がそこら中で起きるでしょう。
不買運動くらいならばまだいいのですが、その人たちの家に投石したり放火したりという騒動が間違いなく起きる。
その時に、群衆の前に立ちふさがって「やめろ、この人たちに罪はない!」と叫ぶ事ができるでしょうか?
「最前線でも弾には当たらない」ような気がしている楽観的な私ですが、このような事態に群集の前に立ちふさがる自分を想像する事は100%できません。
愚かで醜い行為を止められない、つまりは実質上参加してしまう自分を想像するのはとても辛い。
しかし戦争が始まれば100%私はそういう愚劣な人間の仲間入りをしてしまうのです。
前線で戦うのは怖くない、でも前線じゃないところで醜い行いに加担してしまうのは怖い。
できれば生きている間、そんな立場に立たなくてすみますように。(11月19日)


クリニックの待合室に掛かっているのは金子國義のリトグラフです。
金子國義は昔から大好きだったのですが、絵というのは美術展や画集で見るものと思い込んでいて、手に入れるものという発想は全くありませんでした。
ところが今から20年ほど前、大阪をぶらぶら歩いていると、小さな画廊で「金子國義展」というのをやっているではありませんか。
四国からやって来たばかりで画廊などに足を踏み入れたことのない私でしたが、勇気を振り絞って店に入ったのでした。
おお、画集で親しんでいた金子國義の作品の数々が並んでいます。
さらにどこかで見た事のある人物。げっ、あれは生・金子國義先生ではないかっ!
その個展では最新の作品だけではなく、画集に収載されているような古い作品も展示されていました。
「この絵が好きで先生のファンになったんです」
と恐る恐る話しかけたところ
「押入れからひょっと出てきたから持ってきたんです」
というご返事。
非売品ではなくて、しかも油彩と違ってリトグラフなので頑張れば買える値段。
これは買うしかないじゃないですか。
そんなわけで機会があればちょっとずつ買い足している金子先生のリトグラフです。(11月22日)

で、今回、京都にある金子國義プロデュースのお店に行ってきました。
祇園の「紅蝙蝠」というカフェ? です。
私は京都はあまり詳しくないのですが、このあたりは素敵な雰囲気ですね。
細い路地の突き当たりにこの店はあって、町家をそのまま使ったような作り。
部屋の中には金子國義の絵や着物などがたくさん飾ってあります。
庭を見ながら食べられるランチセットもとてもリーズナブルで、祇園の雰囲気と金子國義の作品が同時に愉しめるお得なお店でした。(11月24日)

不景気と言いながらこの2年間で、元町駅徒歩10分圏内に高層マンションが3棟建ち上がりました。
山手ではさらにもう3棟工事中のようです。
それは大変結構な事なのですが、実は元町界隈ってスーパーマーケットがないんですよね。
大型マンションが林立するとスーパー不在がいよいよ深刻な問題になってきます。
駅の南の人も北の人もともに便利な立地として、元町駅の高架下、今パチンコ屋があるあたりに大型スーパーができるととっても便利だと思います。
COOPさん、どうでしょう?(11月26日)

例年、年末年始の読書予定の話題で1年間のコラムを締めくくっています。
しかしここ数年はネット通販で本をまとめ買いする事が多くて、年末年始も何も考えず、ただ目の前にある本を読むだけというパターンが多くなってきました。
今、目の前にある本は11月に注文した本たちです。全く正月休みの事を考えずに頼んだ本なので「さあ、お正月はこれを読むぞ!」という気分にはなかなかなってくれません。
そうは言っても「ネット通販まとめ買い」が便利である事は間違いなくて、我が家でもペット関係、ドリンク関係は全てネット経由品になってしまいました。
そしてたくさんの段ボールが玄関を占拠して、大掃除しようという気持ちを激しく萎えさせます。
そこで、今から家を建てようと考えている人たちにアドバイスです。
玄関横に靴用のクローゼットのある家はありますが、これをさらに発展させて玄関横に段ボール部屋を作ってはいかがでしょうか。
とにかく住人が自分の家になかなか入れない、などという我が家のような事態は避けられるはずです。
というわけで松本胃腸科クリニックは12月29日から1月3日まで休診いたします。
みなさまもくれぐれも身体に気をつけてよい年をお迎えください。(12月27日)

神戸元町ダイアリー2010年(3)数学的発想<main>神戸元町ダイアリー2011年(1)東日本大震災

神戸元町ダイアリー2010年(3)

豪雨続きの梅雨が明けると信じられないような猛暑です。
変化がとても極端です。
0か1のデジタル化が地球気候にも進んでいるのかもしれません。
さっそく蝉も大合唱ですが、以前から疑わしく思っている事があります。
「蝉は本当に地中で7年も過ごしているんだろうか?」
7年目に地上に出てきて7日で死ぬ、と子どもの頃に教えられました。
しかし本当に飼育箱などで7年間観察を続けた人がいるのでしょうか?
木の根元を掘ったら蝉の幼虫がいた。次の年もいた。その次の年もいた。しかし7年目にはいなかった、だから7年目で地上に出て行ったのだろう……くらいの根拠という事はないのでしょうか?
実際には種類によって7年より短いと言われているものもいるし、中には10年以上も地中にいると言われているものもいるらしいです。
でもその根拠は「●●年ごとに大発生するから」という事のようです。
サッカーファンだって4年に一度大発生します。
大発生と寿命の間に関係があるとは単純には信じられないのです。(7月26日)

もう一つ疑わしく思っている事があります。
コウモリです。
コウモリは超音波を出して潜水艦のソナーのように障害物の位置を把握して、真っ暗闇でも飛ぶ事ができると習いましたが、これもとても信じられません。
だって超音波は秒速340メートルなんですよ。
発射された超音波が170メートル先の物体に当たって帰って来るまでがちょうど1秒です。
30メートル先くらいに壁みたいなものがあるぞ、っていうのは分かるかもしれません。
しかし複雑な形の洞窟の中を自由自在に飛ぶためには最長1メートルくらいの分析能が必要です。つまり0.00588秒の違いを聴き分けなくてはならないのです。
しかも飛びながら。
さらにその他大勢のコウモリたちの超音波の中から自分の波長を聴き取って、です。
うちのネコは室内飼いです。
ところが時々ドアを開けて脱走します。
ロックがかかっていても、狙いすましてドアノブにハイジャンプして、たまたま後ろ足がロックを解除して、さらに体重のかかり具合でドアが開いてしまう、という偶然が重なるとドアは開きます。
ネコが自力でドアを開けた可能性もゼロではありません。
でも普通は「ドアがしっかり閉まってなかったんだな」と考えます。
コウモリが1000分の1秒単位の識別能を持つ超高性能全方位ソナーを持っていると考えるよりも、「とっても目がいい」と考える方が普通だと思うのですが……。(7月28)

スタッフと映画の話をしていて、洋画を映画館で観るのはしんどいという話が出ました。
字幕を読むのが面倒だし、人物関係が分かりにくい、この2点が大きな理由だそうです。
字幕については全く同感です。
法廷ものやハイテクスリラーものなど専門用語がばんばん出てくる映画を字幕で理解できるとは思えませんから、私は映画館では観ません。
コメディーもそうです。字幕のギャグではあんまり笑えませんよね。
そういう映画はDVD化を待って、家で吹き替えと字幕を両方ONにして見ます。
最近はDVD化に当たって字幕をつけ直す事が多いようです。
TVの高画質化に伴ってDVDは劇場公開版よりも文字数を多く使って翻訳できるので、字幕版と吹き替え版のニュアンスの差を感じる事は少なくなってきました。
それでも私はやっぱり吹き替え版の方が楽しめます。
で、2番目の「人物関係」です。
これが、よく考えてみるとなかなか興味深いです。(8月2日)

「洋画は人間関係が分かりにくい」というのにも、ある程度賛成です。
映画ファンを自認する者として告白するのに大変勇気がいるのですが、実は私には白人が全部同じ顔に見えます。
アメリカのTVドラマ、たとえば複数の人物が均等に活躍する「デスパレートな妻たち」などを見ても、大体3話くらい見ないと主要キャストの区別がつきません。これが2時間の映画だと誰が刑事か誰が犯人かすら分からないまま終わってしまったりするのです。
これが日本の映画ではあまり困る事はありません。
これだけグローバルになっても私にはやっぱり日本人の顔しか識別できないのです。
と、そこまで考えて、ふと思いつきました。
アメリカ映画はまだ分かりやすい。
若い人には想像もつかないでしょうが、実はほんの数十年前までアメリカは映画二流国でした。
映画と言えばフランスとイタリアが本場で、アメリカでは国内向けにミュージカルと西部劇くらいしか作られていなかったのです。
それが戦後、圧倒的な資本力と、ミュージカル制作で培われたエンタ・パワー、それに「第二次大戦モノ」という豊富なコンテンツを武器にあっという間に世界を席巻したのです。
と、今まで私は思っていました。
でももう一つアメリカ映画が大ヒットした理由がある事に気がつきました。
それが「人間関係の分かりやすさ」です。
アメリカでは60年代から「ポリティカル・コレクトネス」という動きが活発になりました。
差別をなくそうという理念の下に、雇用や昇進などに一種の逆差別的な取り扱いを取り入れるという発想です。
その延長でドラマの表現にも空想的な平等が要求されました。
たとえば4人組の捜査班が活躍する刑事ドラマがあるとします。主役は白人だとして、残りの2人は黒人と女性、そしてみんなの足を引っ張るドジな一人は白人でなくてはなりません。
こうすると「政治的に正し」く、なおかつ外国人から見ても非常にキャラクターの区別がつきやすくなるのです。
今でもヨーロッパの映画では登場人物の区別をつけるのは非常に難しいです。特にチームを組んで銀行強盗をする、などという話になると最後まで誰がチームメイトで誰が警察側なのか、大げさでなく、さっぱり分かりません。
アメリカ映画の台頭、これは「ポリティカル・コレクトネス」の思わぬ副産物だったと思うのです。(8月4日)

日本の100歳以上の人口は約4万人で、そのうちの1000人に1人が行方不明なのだそうです。
自分の経済的状況、健康状態などで親の面倒を見るどころでないという事情はよく分かります。
今回のニュースを元に家族の絆を云々するのは全く意味がない事だと思います。
が、間違いなく言える事が一つあります。
戦前の方が家族の絆は強かったなどというのは嘘っぱち。
「昔はよかった」的復古主義に根拠がない事を今回のニュースはよく表していると思うのです。(8月6日)

政局を扱うニュースショーを見ても、同様の違和感を憶えてなりません。
今の政治家には指導力がない、豪胆さがない、芯が通っていない、コメンテーターは口をそろえてそう言います。
しかしそれは当然だと思うのです。
派閥の存在を否定し、政治資金をがんじがらめに縛りつけて、世論調査を毎週のように行って週単位で何らかの成果を要求する。
国民が(というよりマスコミが)政治家に、指導力よりも親近感、豪胆さよりも清潔さ、気骨よりも八方美人さを求めるようになったのですから。
昔の政治家は豪快だったと言うのなら、同時に彼がどう政治資金を操っていたかも語るべきだと思うのです。
かつての首相にはカリスマ性があったと言うのなら、同時に彼によって破壊されたものも語るべきだと思うのです。
過去ばかり賛美したがる人には政治の未来を語って欲しくないと思います。(8月9日)

ハイブリッドカーが低速で走る時の走行音をどうするべきかが問題になっています。
気配もなく近づいてくる電気モーター走行車にびっくりした経験は誰にでもあると思います。
今後、モーターや電池の機能向上に伴ってモーター走行切り替えの速度設定も高くなっていくでしょう。
市街地を走る場合は全て電気走行という時代もすぐ来そうです。
その場合に、フェラーリなどの超高級車の走行音が低速走行時警告音として商品化されるのではないかと予測する人もいます。
人気アニメの宇宙船やロボットの動作音も人気が出るかもしれません。
騒音を撒き散らかしながら走る事が目的の人たちはどうするのでしょうか。
わざわざお金を払って「爆音」を買うのでしょうか、迷惑走行だけに専念するのでしょうか。
全く興味はありませんが、気になるところです。(8月27日)

クリニックの待合にクラシック音楽の月刊誌「レコード芸術」が置いてあります。
「クラシックファンならレコード芸術を読むものだ」という思い込みで読み始めて、何と30年にもなります。
記事は国内盤の新譜情報が中心です。
「春の祭典」は10枚以上持っているけれど今度出たデュダメルのも面白そうだから買おう、そういう購買行動の人が主な読者層です。
全集フェチで、同曲異演を聴き比べる事にあまり興味のない私には本来不要な雑誌です。
しかし先の「思い込み」で買い続けて、今さらやめるにやめられなくなっているというのが正直なところです。
「思い込み」と言えばついこの間、衝撃的な事実に気がついてしまいました。
「レコード芸術」には「海外盤レビュー」というコーナーがあるのですが、実は私はこのレビュアー達がみな海外在住だと思い込んでいました。
海外盤なんて国内でも普通に流通していて普通に入手できるのに、なぜかこの雑誌を読み始めてから何となくそう思い込んでいたのです。
この雑誌を読んでいない人にはぴんと来ない話だと思いますが、お恥ずかしい勘違いです。
お恥ずかしい思い込みがもう一つありました。
ルトスワフスキという作曲家がいるのですが、時々「ルトワフスキ」と誤って呼ばれるのです。
ところが以前誰かが「ルトスワフスキ」と「ルトワフスキ」は別人だと言っていたような記憶がかすかにあって、先日この話題が出た時に思いっきり「ルトスワフスキ」という作曲家も「ルトワフスキ」という作曲家も別々にいる!と断言してしまいました。
そのあと調べると同一人物誤表記でした。
その場にいた人ごめんなさい。全然嘘っぱちでした……。(9月3日)

散髪屋や美容院で時間が知りたい時に、今見えている時計が本物なのか、鏡に映った像なのか、あるいは2回反射して見えている像なのか一瞬分からない事があります。
針型の時計は直感的に時間を把握するにはとても便利ですが、散髪屋さんには不向きです。
デジタル型の文字盤も「2」と「5」が左右対称なので使えません。
そこで散髪屋さん向けに漢数字表記の時計を発売してはどうでしょうか。
「三時四十五分」「七時八分」「十一時十一分」
これなら鏡にどう反射しようが読み間違える事はないと思うのです。
散髪屋さんだけじゃなくって、腕時計の表示としてもなかなかお洒落かもしれません。(9月6日)

アニメーション監督の今敏(こん・さとし)氏が膵臓癌で亡くなりました。
46歳だったそうです。
急逝のわずか1週間前、彼はブログで世界映画100をリストアップしています。
(製作仲間との会話によく出てくる映画を挙げていっただけで決して「ベスト100」を選ぼうとしたわけではない、と本人は書いていますが、発表時期から言っても内容から言っても「今敏ベスト100」と受け取って間違いないと思います)
エンタテインメント中心のチョイスで、アート系に重心を置きがちのこうしたリストには珍しい、役に立つ実用的なものとなっています。
で、ベスト100などと言われると、全集フェチ魂が激しく揺すぶられてしまうわけで。
彼の遺言代わりのベストムービーズリストを10年くらいかけて追いかけてみようかと思っているところです。
それにしても興味深いのが100本にアニメが1本も含まれていないところ。
アニメというジャンルに厳しかったのか、あるいはアニメーションを実写映画とは別次元と考えていたのか、どっちなのでしょう?
あ、そう言えばチャップリンも全く入ってないですね……。(9月8日)

この間中学3年生の甥っ子と話をしていたら「数学ができる連中の数学的発想には舌を巻く」というような事を言っていました。
すごいですね。
「数学」が計算能力を鍛える科目ではなく数学的発想を育む科目であると、私が気がついたのは高校を卒業してからでした。
学問は何を学ぶべきか分かって初めて学問になります。
答えは、答えを求める人だけに与えられのです。
頑張れ、甥っ子。(9月10日)

数学的発想という言葉で何となく円周率を思い浮かべました。

3.141592……

この数字を見ると、この並び方ってつくづく罪作りだと思うのです。
小数点のすぐ右が「 5 」だとどんなによかったでしょう。
もし円周率が

3.5141592……

だったら、実生活でも教育の現場でも何の問題もなく「円周率≒3.5 」だったと思うのです。
ところが現実には「 1 」という、切り下げに最も適した数字が2桁目と4桁目にあって、しかも3桁目が微妙に切り捨てにくい「 4 」。
本当は身の回りの概算では「 3 」を、専門領域や試験問題では「 3.14 」を用いる、という風に使い分ける事ができればベストです。
そこまで考えて数年前の「文部科学省は円周率を3と教えようとしている」騒動を思い出しました。
その当時はその問題に何の興味もなくて記事も読み飛ばしていたのですが、今騒動の顛末を振り返ってみると、まさに「 3 」と「 3.14 」の使い分けこそが文部科学省のやりたかった事のようです。
それが当時の悪意による報道によってつぶされてしまったそうなのですが、もしこれが実現できていたとしたらどんなに便利な世の中だった事でしょう。

校庭に1周200メートルのトラックを作りたい。見た目を良くするために長径と短径の比を3:2にしたい。直線コースの長さと円形コースの半径はそれぞれ何メートルか?

もし私が「実生活では円周率を3として計算すると便利」と教わって、子どもの頃から円周率の概算に慣れていれば暗算で答えをはじき出したと思います。
ところが私の中で円周率はあくまでも「 3.14 」であって、これはもう暗算する気にもならない手の届かない数字です。
つまり私たちは従来の指導要領では、円周率に関する計算は諦めるしかない、と教わったも同然だったのです。
実際には、どの場面で「 3 」を使い、どの場面で「 3.14 」を使うか、その判断にこそ数学的発想が必要です。
数学的発想の乏しい子どもにこの使い分けを強制するのは無理です。
しかしその一方で数学的発想の豊かな子どもから日常生活で円周率を用いる喜びを奪ってしまったのは罪作りだったと思うわけです。

ちなみに上の例題ですが、円周率を3とした場合の答えは直線コース、半径ともに25メートルです。
3.14で計算した場合はこれが24.2 となります。(9月13日)

先日長浜に行ったのですが、琵琶湖のほとりに立つと水平線が見えてびっくりしました。
水平線って何十キロも何百キロも先にあるのかと思っていましたが、琵琶湖の大きさでもちゃんと見えるのです。
そこで最近数学的発想に凝っている私は考えました、「水平線って何キロ先なんだろう?」

基本はピタゴラスの定理です。

(私の目から水平線までの距離)の二乗+(地球の半径)の二乗=(地球の半径+私の目の高さ)の二乗

で、等号の右辺を計算すると

(地球の半径)の二乗+(目の高さ)の二乗+2×(地球の半径)×(目の高さ)

目の高さは、仮に高いビルの上からでもせいぜい数十メートル、つまり100分の1キロレベルなので(目の高さ)の二乗はばっさりと切り捨てます。
それから等号の左右の同じ項目を消すと

(水平線までの距離)の二乗≒2×(地球の半径)×(目の高さ)

という概算式が得られます。
ここで地球の半径を思い出します。
確か200年ほど前にフランスの誰かが地球の円周の四千万分の1を1メートルと決めたのでしたっけ?
とすると地球の円周は4万キロ。半径はお得意の「円周率を3とする」方式で計算すると6700キロくらい。
目の高さを2メートル弱とすると、式の右辺は
2×(おおよそ6700)×(おおよそ0.002)
=2×(おおよそ6.7)×1000×(おおよそ2)×0.001
=2×(おおよそ6.7)×(おおよそ2)
=おおよそ25
で、上手く平方根が取りやすい数になりました。

つまりヒジョーに大雑把な計算によると水平線はおおよそ5キロあたり先にあるようです。
確かにそれならば琵琶湖でも十分見えるはずですね。

ああ、しんどー。(9月15日)

先日のコラムで「見た目をよくするために長径と短径の比を3:2にしたい」という文を書きました。
計算の簡略化のために「3:2」を使いましたが、見た目を考えれば本当なら「黄金比」を使いたいところです。
「黄金比」の成り立ちや定義はいろいろややこしいのですが、近似値としては8:5だそうです。

8:5 ?

ずいぶんと中途半端で扱いにくい数字です。
しかしこうして見るとどうでしょうか。

1.6:1

つまり私が足を1メートル開いて両腕を頭の高さで握りしめてガッツポーズを取れば、縦横の比率はほぼ1.6:1です。
鏡の前で試してみてもあんまり「黄金比」という感じではないのですが、計算上はそういう事です。

誰ですか、「身長と腹囲が黄金比だ」なんて言ってるのは。
それはただのメタボです。(9月17日)

数学的発想ともう一つ、子どもたちにしっかりと教えておいて欲しいものがあります。
「統計」です。
自分の事を振り返ってみるに、順列組み合わせや確率のややこしい計算方法は教わった憶えがありますが、「統計とは何ぞや」という基本的な考え方を教わった事はなかったように思うのです。
統計とは人生の指針だと思うのです。
人を幸福に導く絶対的に揺るぎのない道しるべと言ってもいいし、神の御心と言ってもいいものです。
ただし、統計に神の御心を映し出すためには徹底的に厳格な運用が必要です。
統計から神の御心を読み取るためには訓練された読解力が必要です。
ところが送り手としても受け手としても何も教育されていない状態で私たちは世間に放り出されてしまいました。
そこで悪意に満ちた誘導質問によって得られた世論調査が幅をきかし、いい加減な統計から得られた誤った情報がセンセーショナルに報じられ、一方で正しい統計から導かれた正しいが地味な真実は誰からも振り向かれず、結局私たちは幸福から遠ざけられているのです。
そう言えば先日「コレステロールが高い方が長生きする」という記事が新聞に載っていました。(9月22日)

記事の元になったのは「日本人はLDL-Cが高い方が長生きする」という論文。
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jln/18/1/21/_pdf/-char/ja/
LDL-Cとは俗に言う悪玉コレステロールです。
つまり「悪玉コレステロールが高いほど長生きする」という実にセンセーショナルなタイトルで、マスコミが飛びつくのも当然といった感じです。
どんなキワモノ的な論文だろうと思って読んでみると、内容はわりと穏当です。
コレステロール治療の基準値は厳しすぎるんじゃないか?という指摘は現場の臨床医も常々感じている事ではあります。
その「現場の実感」を統計的に証明してくれるのかと期待して読み進めると、しかしその証明手法はかなり短絡的でした。
その手法とは、60歳以上を中心とした人たちを悪玉コレステロールの値によって分けて、それぞれ追跡調査する、というもの。
この調査によると、悪玉コレステロール値が低い人は死亡率が高い、という結果になっています。
しかし統計は常に因果関係を考えながら鑑定しなくてはなりません。
そうでないと私たちは「高級車の持ち主は金持ちが多い」という事実から「高級車に乗れば金持ちになれる」という結論に飛びついてしまったりするのです。
たとえば今回の調査では悪玉コレステロールの低い人は癌と呼吸器疾患で死亡する率が高かったとされています。
「悪玉コレステロールが低い人に癌で亡くなる人が多い」という調査から導かれる結論はどちらでしょう?

1)悪玉コレステロールを下げると癌になりやすい
2)癌になると悪玉コレステロールが下がる

そうです、1)であるか2)であるか判断するための材料が、この調査からは全く抜け落ちているのです。
さらにこのグラフでは悪玉コレステロールが高い人の死亡率は正常の人と変わりません。
だからコレステロールは高くてもいいのだ! とついつい考えがちです。
しかしこの調査の対象が60歳以上である事を考えなくてはなりません。
論文の2番目のグラフに年代別の悪玉コレステロール値が描かれています。
これを見ると悪玉コレステロールの値は年齢とともに徐々に増えて、50歳代をピークにしてそれ以降下がっていきます。
特に50歳からの上限値の急激な減少が特徴的です。
このグラフから「歳を取るとコレステロールが減ってくる」と結論付けるのは性急すぎます。
「50歳を過ぎるとコレステロールが高い人はばたばた死んでいく」という可能性をまず否定してもらわないといけません。
つまり今回の調査から導かれるのは「高コレステロールでも60過ぎまで生きた人は普通の人と同じくらい長生きできる」という事でしかないのです。
今回の研究は標本数も多くて統計としての信頼性は高いと思います。
しかしそこから何らかの「神の御心」を読み取るにはさまざまな条件付けが絶対的に足りないのです。
実際この論文で大櫛教授が結論としているのは以下の5点です。
( )の中はこの論文に提出されたデータのみに基づいた、大櫛教授個人の憶測部分を取り除いて私が補正したものです。

1)日本人でも女性にはコレステロール低下治療は不要である。
(60歳以上の女性ではコレステロール値によって死亡率は変わらない。)
2)男性でも1次予防としては、LDL-Cが190mg/dl未満でのコレステロール低下治療は不要である。
(60歳以上の男性は190未満であれば死亡率は変わらない。)
3)糖尿病患者についても、上と同様である。
4)LDL-Cが悪玉、HDL-Cが善玉とは言えない。
5)欧米の中性脂肪の治療ガイドラインは日本人にも適切であると思われる。
(日本独自の治療目標水準を決める意味は見出せない。)

いかがでしょうか。教授の結論にはかなり憶測が含まれていますが、さすがに彼自身も「コレステロールが高い方が長生きする」とは結論付けてはいません(当然です、この調査をどうつつこうがそんな結論が得られるわけがないので)。
それなのになぜかこのタイトル。
本文はそれなりにまじめな論調なのに、本文とは一切関係のないセンセーショナルなタイトルを見て、どうしてもスポーツ新聞のデマ半分の大げさなタイトルを思い出してしまうのです。
(9月24日)

それから最近時々目にして感心させられる統計があります。
喫煙率と肺癌患者数の推移データです。
喫煙率は戦後から60年頃までほぼ80%でしたが、その後徐々に減少して現在では40%を切りました。
一方肺癌患者数は70年代からかなり急激に上昇してこの15年間で倍以上になっています。
喫煙率は半分になっているのに肺癌患者が倍になっているのはおかしいじゃないか!
タバコと肺癌に関係なんてない!という意見の根拠になっているデータです。
医学生が最初に教わる常識、肺癌の中にはタバコと相関関係がある「小細胞癌」、「扁平上皮癌」と、比較的関係のない「腺癌」があって「腺癌」が肺癌の半数以上を占める、という事実を全く無視しているという点に、まず悪意を感じます。最近急速に増えているのは「腺癌」の方です。
しかしそれは置いておいて、統計の見方に話を絞りましょう。

Aが減っているのにBが増える、だからAはBの原因ではない。

これってまともな思考方法でしょうか?

食費を減らしているのに生活費が減らない、従って食費と生活費は関係ない。
英語は頑張ったけど成績は下がった、従って英語と成績は関係ない。

普段の生活でこんな考え方をする人はいないと思うのです。
食費を減らしても他で贅沢すれば生活費はかさみます。
英語だけ頑張っても他の教科が赤点なら落第です。
ごくごく常識的な事です。
ところが目をちかちかさせるような数字を並べて、さらに折れ線グラフで見せられたりすると印象が突然アカデミックになるから不思議です。

喫煙率が下がっているのに肺癌患者数が増えているのは事実です。
しかしそのデータから「喫煙と肺癌は関係なし」という結論を導き出すためには、喫煙以外の「肺癌の原因となりうる事象」を除外しなくてはなりません。
ここで二つの統計を見ましょう。
http://ganjoho.ncc.go.jp/professional/statistics/index.html
癌は高齢者に多く発生する事が分かりますが、肺癌が胃癌に比べて70台を超えてから急カーブを描いているのが特徴的です。
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/koureikan.htm
一方こちらの統計を見ると75歳以上の人口がこの20年で倍になっているのが分かります。

つまり
1)肺癌患者数は75歳以上で急速に増加する
2)75歳以上の人口が急速に増加している
これらの影響を統計処理してからでないと……、と思いましたがこの二つで十分すぎるほど肺癌増加の原因は説明されていますね。

「肺癌が増加しているのは高齢化のせい」
それ以上でもそれ以下でもありません。
やっぱりタバコはやめた方がよさそうです。(9月27日)

高齢者の喫煙で考える事があります。
70歳をすぎて心臓も肺も頭の血管も大丈夫であれば、無理に禁煙させる必要はないのではないかと個人的には思います。
医学的には。
しかし煙草の害は医学的なものばかりではありません。
住宅火災のおよそ6分の1が煙草の火の不始末によるものです。
煙草を吸っている人であれば誰でも経験があるのではないでしょうか。
ちょっと目を離した隙に煙草が灰皿から転がり落ちてテーブルを焦していたとか、煙草を吸っていた事を忘れて寝てしまい、目が覚めたら灰皿の中で煙草がそのままの形で灰になっていたり……。
健常人でも「煙草のある生活」にぞっとさせられた事は二度や三度ではないはずです。
今後高齢化が急速に進みます。
現代のライフスタイルから考えて一人暮らしのお年寄りが急増します。
そして煙草を吸うお年寄りも。
それから認知症になる人も。
つまり独居・喫煙・認知症老人がこれから急激に増えるのです。
残酷な言い方ですが、煙草を吸って自分が病気になるのはまだ影響が少ないのです。
しかし認知症のお爺さんの煙草の火の不始末でアパートが全焼すれば、全く何の関係もない何人もの命が失われます。
高齢者の禁煙に地域を挙げて取り組むべき時代がもうすぐそこまで来ていると思うのです。(9月29日)

神戸元町ダイアリー2010年(2)家族の絆<main>神戸元町ダイアリー2010年(4)尖閣諸島問題

神戸元町ダイアリー2010年(2)

最近の若者は安定志向で、冒険しようという心意気もなければ覇気もない……、
などと非難している年配の人をいまだに見かけます。
自分たちは稼いだ額の何倍も使い込んで、その支払いを若者たちにそっくり回しておいて、です。
考えてみれば当たり前の事です。
札束が天から降ってくれば誰だって大盤振る舞いします、冒険だってするし、遊びのスケールだって大きくなる。
一方そのツケを回されて借金返済に汲々としている人はみみっちく暮さざるを得ません。
上の世代がセーフティネットを完全にぶち壊してくれたので自分の面倒は自分で見ないといけないのです。
本当は年配の人は若者たちに土下座して謝らないといけないと思うのです。
「君たちに莫大な借金を押しつけたのは、返す当てもない金を使い込んだ俺たちだ。
君たちが冒険も何もできないのは全部俺たちの責任だ。
俺の財産も年金も全部使って、せめて今からでも冒険してくれ」
そんな心意気や覇気のある人はいないと思いますが。(4月5日)

景気浮揚策としてある程度のばらまきは理解できます。
そして投下資本の地域での回転率を考えると「子ども手当」というのは非常に面白いと思います。
良い子のみなさん、子ども手当がもらえたらぜひ日本製のゲーム機とゲームソフトを買いましょう。
パパのお小遣いと合わせて日本製の大型テレビかブルーレイレコーダーを買ってもいいかもしれません。
アニメもいいと思います。ただしディズニーじゃなくてジブリです。
休みの日に動物園や水族館に行くのもお薦めですが、USJはまたの機会にしましょう。
家と学校の間にある本屋、文房具屋、ファンシーショップ、駄菓子屋などで使い切ってしまうのが地域経済のためには一番いいのですが、充実感は低いかもしれませんね。
良い子のみなさん、くれぐれも貯金したり親のパチンコ代などに使われないように注意してください。(4月16日)

以前にも書いた事がありますが、せっかく多額の税金をばらまくのであれば人件費率の高い産業を対象にした方がより高い経済効果が見込まれます。
そして最も人件費率が高い産業は「介護」だと思うのです。
また建設業に資金をつぎ込んで一時的に雇用を増やしても、道路やダムを作り続けなければいずれ労働者は失業する事になります。
しかし介護は今後数十年にわたって安定的に雇用を生み続けます。
本当なら道路事業費を削って全て介護に投入して、介護の点数を倍に、自己負担は半分に改定するべきだと思うのです。
ところがそうはなりません。
この変革を妨げているのは「年寄りの介護は嫁がするもの」という古い「家」の考え方ではないでしょうか。
だぶついている建設業労働力をそのまま介護事業にシフトすればいろいろな問題が上手く解決するのに、「大の男が寝たきり老人のオムツを替えられるか!」という古臭い男の理論に流されて効率的な財政出動が行えないのです。
私には日本経済が「男の沽券」なるものと心中しようしているように見えて仕方がありません。(4月19日)

ただし「嫁が介護をしなくてもよくなれば家族の絆が壊れてしまう」という意見もあるようです。
「夫婦別姓が導入されれば家族の絆が壊れる」という考え方はまだ、そういう風に考える人もいるんだなあくらいには理解できるのですが、「介護」と「家族の絆」の因果関係を見出すとなると私には手に負えません。
そもそも「家族の絆」とは何かがよく分からなくって……。
「絆が壊れた家庭の子どもは非行や事件を起こしやすい」というのはよく言われる事です。
しかしこれは実は逆で、問題を起こした子どもの家庭を「絆が壊れている」と呼ぶ事にしよう、という定義付けの問題のような気がします。
ニュースで時々凶悪殺人事件の現場が映し出されますがそうした事件は、殺伐としているはずの大都会よりも農村地帯や郊外の住宅地で多く起きているような気がします。
実際、警察発表の各種犯罪統計を見ても犯罪発生件数や少年補導件数と都会度の間に因果関係を見出すのは難しいです。
田舎の方が必ずしも家族の絆が強いわけではない、という考え方もあるでしょう。
しかしそう考えてしまうと「日本人が古くから大切にしてきた家族観」の根拠もなくってしまいます。
あれこれ考えてみるに、実態のない「家族の絆」という概念を議論で用いるのはちょっとずるいと思ってしまうのです。(4月21日)

シューマンの管弦楽曲を、実はこれまでほとんど聴いた事がありませんでした。
彼のピアノ曲は大好きなのにどうした食わず嫌いだったのでしょう、我ながら不思議です。
今年は生誕200年という事で彼の交響曲を聴く機会が増えました。
よくシューマンはオーケストレーションが下手だと言われますが、そう言われるのも何となく分かるような気がします。
響きをまとめるのが難しくて音が客席に向かってパーンと飛んでこないのです。
つまり「オーケストラが鳴りにくい」。
それを克服する方法はいろいろあるのですが、基本は一つです。
「鳴るまで弾け」
そういう事みたいです。
さて5月15日、大阪のシンフォニーホールでシューマンの曲の演奏会があります。
お暇ならどうぞ。(5月7日)

amazonの電子ブック攻勢に日本の出版社が浮足立っているというニュースを耳にします。
高い印税を武器に日本市場に乗り込もうとしているamazonに対して、出版各社が有名作家をどう囲い込むか苦慮しているようです。
以前に書いた事がありますが、日本で電子ブックが普及するとすればコミックファンからだと思います。
「パラパラめくる」機能のない電子ブックでは小説は読めません。
「小説読み」は、どの出版社が人気作家をどう囲い込もうと、電子ブックを手に取らないと思うのです。
コミックファンは違います。
人気コミックはどれも数十巻というボリュームです。今では2、3巻で完結する方が珍しいです。
ファンもいち早く脱ペーパー化を望んでいるはずです。
SONYとパナソニックはまずコミック対応(つまり見開きページが見られる)端末を発売して若年層に普及させ、その後に操作性を上げて「小説読み」も取り込んでいくのがいいのではないでしょうか。(5月12日)

それにしても人間の「パラパラめくる」機能は素晴らしいと思います。
小説を読んでいて、久しぶりに登場するキャラクターに出くわした時、「あれ、この人は前に出てきたぞ」と思って最初に登場するシーンを読み直す事がよくあります。
そういう時、誰でもたいてい2、3秒でそのシーンを見つけ出す事ができるのではないでしょうか。
右手は厚みでおよそのページ数の感覚を憶えていて、目はその人物の名前がページのどのあたりにあったか憶えているのです。
特に右手の感覚、これは電子ブックには求められない能力だと思います。
読書の能力と言えば、北村薫の小説の主人公が自分のちょっとした特技について語る場面がありました。
本を開くと、自然に前に読み終わったページが開くと言うのです。
だから自分には栞が要らないのだと、彼女は言います。
これはうらやましいです。
私は栞不可欠人間ですから、私の本にはコンビニのレシートとか箸袋などが挟まっていて、ちょっとみっともないです。(5月14日)

会議が終わってから「あの時こう言えばよかった」と悔しがる事があります。
脳細胞の運動神経がよくないため、そういう後悔はしょっちゅうなのですが、今回も我ながら呆れてしまいます。
どうして今まで在日米軍基地の事を考えてこなかったのでしょう?
自民党政権下だったらまだ言い訳できました。
政権交代以降は、新聞で「普天間」という文字を見ない日はありません。
それなのに「そもそも基地は何のためにあるんだろう?」という基本的な疑問が浮かんできたのがほんの1週間前です。
何たる頭の悪さでしょう。
調べてみると、いろんな立場の人がいろんな事を言っています。
日本を守ってくれていると言う人もいます。北朝鮮から守っていると言う人もいるし、中国から守っていると言う人もいます。
日本を守りたいわけではない、台湾を守っているのだ、と言う人もいます。北朝鮮崩壊時にいち早く核物質を制圧するためという人もいます、自然災害を含めた有事の際に在亜米人を救出するためと言う人もいます。
全く逆の考え方として、日本の再軍備を抑止するために駐留しているという言う人もいます。
こうして羅列してみると薄々想像がつきます。
おそらくアメリカにも本当の理由が分かっていないのではないでしょうか。
アメリカ政府は日本の優柔不断な態度を非難しますが、その一方で日本側のさまざまな提案に対して、具体的な理由をもって否定しようとはしません。
たぶん彼らにもよく分かってないのです。
訪米した鳩山首相がオバマ大統領に相手にされなかったという報道もありましたが、実際は大統領も怖かったと思うのです。
「もし基地の存在理由を訊かれたらどうしよう?」
側近に尋ねても誰も知らないし。
オバマ大統領は鳩山首相となるべく目を合わさないようにしていたのではないでしょうか。(5月26日)

私は普段は自分のクリニックで働いて、それ以外は時々血液センターや当直先の病院に行く程度でよその職場を全く知りません。
世のオフィスの分煙はどうなっているのでしょうか。
禁煙治療を希望して来られる方に訊いてみると、ほとんどの職場で完全分煙が達成されているようです。
きれいな空気の中で仕事をする権利は認知されている、そう考えてもよさそうです。
つまり、狭いオフィスで喫煙者と一緒に仕事をさせられるのを拒んだ時、あるいは分煙を訴えた時に「いやならやめてくれ」と言われたらそれはパワハラだと言ってもいいと思うのです。
おそらくこの点については喫煙者にも同意してもらえるのではないでしょうか。
社長が「煙草を吸わないといらいらして仕事の効率が落ちる」と言おうが、煙草を吸う同僚の方が多かろうが、労働者には受動喫煙から守られる権利があります。
飲食店でも同じはずです。
飲食店の従業員が分煙を希望した場合、経営者が「うちは喫煙客が多いから」という経営上の理由で拒む事はできません。
しかも飲食店は若い女性従業員の比率の高い職場です。
むしろ他の職種よりも厳しく労働環境が守られるべきです。
ところがなぜか飲食店の場合には、私たちは「禁煙にすると客が減って大変だろうな」などと考えてしまいます。
職場の環境は本来労働者の問題であるはずなのに、場所が身近なためについ客の立場を持ちこんでしまうのです。
かつて職場ではセクハラ行為が当たり前に行われていました。
今は違います(よね?)。
そして今ようやく、社長がヘビースモーカーだろうと何だろうと、オフィスは分煙であるべき時代になりました。
飲食店の分煙は、禁煙客のためではなく、第一には労働者の権利のためだと考えるべきでしょう。(6月2日)

口蹄疫問題で最後の最後まですっきり納得できないのは「本当に殺さなくてはならないのか?」という事です。
「毒性自体は決して強くないが発育障害、泌乳障害が強いために家畜としての価値が損なわれるから」という説明を聞いて「じゃあやっぱり殺すしかないな」とあっさりとは考えられないでいる私です。
経済の枠組みの中で商品として扱われる家畜の医療と、経済的事情が最優先には扱われない人間医療との違いなのでしょう。
日本では戦後ずっと口蹄疫は発生せず、今から10年前に宮崎と北海道で小発生を見たものの740頭の殺処分で流行が阻止され、その後今回まで発生はなかったそうです。とすれば現時点では口蹄疫蔓延防止策として殺処分が選択されるのは仕方ない事なのでしょう。しかし今後はどうでしょうか。
アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの畜産大国はこれまで口蹄疫の感染を体験していません。
流行蔓延阻止のための方策は考えてあっても、予防や治療に対する研究に本腰を入れてはいないのではないでしょうか。
しかしテロリストが標的国攻撃の手段として農作物や家畜の流行病に目を付けるのは時間の問題です。
たとえばアメリカ全土で同時多発的に感染力の強いウイルスを撒かれたら、殺処分と移動禁止という従来の措置では対応できないと思うのです。
オバマ大統領が核削減に前向きなのは必ずしも平和主義のためではないと思います。
今や大国が核ミサイルを狙い合う時代ではありません。
テロリストがスーツケース大の小型核爆弾を敵国に持ち込んで爆発させる時代なのです。
それを防ぐために核兵器の総量を減らして、テロリストに渡る可能性を少しでも低くしたいという目論見なのでしょう。
しかしウイルスは核兵器よりも簡単に持ち込め、しかも経済的破壊力は凄絶です。
日本は今回の感染をきっかけとして家畜感染症予防、治療の最先端国家を目指すべきだと思うのです。(6月6日)

紙カルテの時代には、診察の時にカルテを棚から出してくるのに診察券番号が必要でした。
診察券を忘れて来られた時には、五十音別の患者リストで番号を調べなくてはなりません。
レセプトコンピュータは手間を少し省いてくれますが、番号が必要である事に変わりはありませんでした。
ところが電子カルテを導入すれば、名前の入力だけで画面上にデータが呼び出せますから診察券番号は不要です。
今後は松本胃腸科クリニック受診の際に診察券の提示は必要ありません。
保険証のみお見せください。
基本的には診察券もお作りしませんが、電話番号や診察時間のメモ代わりとして必要な方は申し付け下さい、従来通りお渡しします。(6月9日)

「世界100大長篇」も読み進めていますが、それと並行して河出の世界文学全集も進んでいます。
今回読んだのはトマス・ピンチョンの「ヴァインランド」です。
この間「 V.」を読んだばかりで「立て続けにピンチョンはきっついなあ」と思っていたのですが、読んでみるととってもおバカな小説で読みやすかったです。
ハチャメチャな展開や過剰なほどのサービス精神、どこかでこのノリは体験したんだけど、何だったっけ……?
しばらく考え込んでやっと思い出しました。タランティーノ。
これはまさにタランティーノのノリです。
ゴジラも北斗の拳も出てきます。
ところで、こんな俗悪な衒学趣味的小説を書く人はピンチョン以外にはいない、と言う人がいますが、どうでしょうか。
西尾維新とか谷川流とかライトノベル作家たちが私にはピンチョンと重なって見えて仕方ありません。(6月11日)

中学高校の頃は映画ファンだったのですが、そう何本も映画館で映画を見るお金もなく、もっぱら映画雑誌の紹介記事や批評を見て好奇心を満足させていました。
その頃映画好きの友達と議論をすると、見ていない映画をあたかも見たかのように語ってしまったものです。
「○○監督の映画が面白いはずがない、だからその映画はクズだ」という風に。
見ていない者同士が映画について熱く論争したわけです。
今となっては気恥ずかしい思い出です。
しかし見ていない映画の面白さについて語るのはまだ罪が軽いと思うのです。
見てもいない映画の公開の是非を語るのはどうでしょうか。
ドストエフスキーだろうとギャグ漫画だろうとモーツァルトだろうとアイドル映画だろうと、あらゆる作品は公開されて初めて命を与えられるのです。
その根幹の部分を、見てもいない人が判断するのはどうでしょうか。
イルカ漁を扱った映画の公開に賛否両論あるそうです。
しかしあの映画は映画祭で公開されただけなので実際に見た人は少ないはずです。
それなのに少なからずの人が公開すべきでないと言っています。
「判断力のない人があの映画を見ると間違った考え方を植え付けられるから公開すべきでない」と、誰かの意見を植え付けられた人が主張しているわけです。
私はこれまではこういう意見を絶妙なセルフパロディだと思って笑い飛ばしていましたが、今は「物事を実際には知らない人々によって世間の空気は多く作られている」という現実をどう考えていいものか困惑しているところです(6月14日)

神戸元町ダイアリー2010年(1)宇宙人の陰謀<main>神戸元町ダイアリー2010年(3)数学的発想

神戸元町ダイアリー2010年(1)

あけましておめでとうございます。
年末年始、神戸地区は比較的穏やかな天気でしたが、みなさまゆっくり過ごせましたでしょうか。
松本胃腸科クリニックはこの1月をもって開院11年目に入ります。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。(1月4日)

さてクリニックを10年間営んで強く思うのは、私がどんなに患者のみなさまに恵まれてきたかという事です。
「患者に恵まれる」とは妙な言い回しですが、私もこれまでに様々な地域の様々なタイプの医療機関で働いてきました。医師仲間といろいろな話もします。
そして今になって強く実感するのです。
松本胃腸科クリニックは患者に恵まれている、と。
理不尽な要求をする患者やクレイマーが少ないとかそういう低いレベルの話ではありません。
当院に来られる方はみなさん人生に対してしっかりとした目的意識をもち、医療や健康についても高い見識があり、患者として以前に、一人の人間として尊敬できるのです。
こういう人たちの健康管理のお役に立てて、私は本当に幸せだと思います。
社会情勢はますます不安定です。
不安定な時代を生きるためにはまず土台の「健康」を安定させなくてはなりません。
松本胃腸科クリニックはみなさまの健康管理にこれからもお役に立っていきたいと思います。(1月6日)

新年早々インターネットに接続できなくなってしまいました。
こういう時本当に困りますね。
パソコンが悪いのか、パソコンとケーブル差込口の間にある機械(ルーターというのだそうです)が悪いのか、NTT回線が悪いのか、それともプロバイダーが悪いのか、さっぱり分かりません。
仕方なく順番にそれぞれの「問い合わせセンター」に電話をするのですが、どこの電話もかなり混み合っています。
やっとつながったと思ったら担当者の言う事は専門用語ばかりでちんぷんかんぷん。
意味が伝わったと思ったら「それはうちの問題ではない」という返事。
同じ故障でも冷蔵庫や洗濯機などの家電は相談窓口が一つですからここまでややこしくありません。
しかし考えてみると人間の身体もややこしい点では同じです。
以前にも書いた事がありますが、胸が痛い時に何科に行けばいいのか普通は分からないのではないでしょうか。
狭心症なら循環器、気胸なら呼吸器、逆流性食道炎なら消化器、乳腺なら外科、授乳に由来する炎症なら婦人科、肋間神経痛なら整形……。
これを一つずつ回っていくのは大変な時間と労力の無駄です。
せめて窓口が一つなら時間と費用のロスが最低限で済むのですが。
かかりつけ医を持っておく事の大切さを感じた今回の一件でした。(1月8日)

今回ネットに接続できなくなって、自分がいかにネットに依存しているか実感させられました。
プライベートでもオフィシャルでもほとんど全ての連絡はネットを介しておこなっています。
日記代わりの備忘録やスケジュール表もネット上にあるし、ちょっとした疑問はすぐグーグルに頼ってしまいます。
地図はもちろんクラシックの楽譜も今では簡単にネットで手に入ります。
今後は書籍もネットで簡単に閲覧できるようになるでしょう。
となれば誰しも思うでしょう。
簡単にネットで分かるものをわざわざ自分の脳を使って憶えておく必要はないのではないか。
簡単にダウンロードできるものをわざわざ狭い家に置いておく必要はないのではないか。
我が家だけの問題ではありません。図書館でも資料室でもそうです。
これからはパッケージを取り除いてデータだけを保存するという流れになるのではないでしょうか。
そう遠くない未来、人類の知的所有物はネット上だけに存在するという時代になると思うのです。
さてここでSFになります。
これまでの映画では地球征服をたくらむ宇宙人は圧倒的な武力で襲ってきました。
これからは武力などは必要ありません。
ネット上に漂っている情報を一手に奪ってしまえば人類の歴史は終わってしまうのです。
文字や音からなる芸術作品はもちろん、人類が培ってきた全てのデータ、個人情報まで人質に取られたら私たちは降参するしかありません。
そのために厳重なセキュリティがあると反論されるかもしれません。
しかし宇宙人自らが莫大な容量のサーバーを無料で立ち上げたとしたらどうでしょう。
人類は彼らの地球支配のためにせっせと自らの人質を差し出している事になります。
というわけで自分ではグーグルやウィキペディアに頼りながら思うのです。
「絶対にこれって宇宙人の罠だよな」って。
そう思いません?(1月13日)

佐々木譲ってまだ直木賞を取ってなかったんですね。
初期作「ベルリン飛行指令」のカッコよさに号泣して、近作「警官の血」の味わい深さにしびれた私は、とっくの昔に取っているものと思っていました。(1月15日)

今年もオペラの季節がやってきました。
私がお手伝いをしている「芦屋市民オペラ」。
今回はいつもの芦屋のホールが耐震工事中のため新神戸での上演となります。
あまりにも悲劇的であまりにも美しいオペラ「椿姫」。
会場となる「芸術劇場」もとっても素敵なホールです。
興味があればぜひどうぞ。(1月18日)

音楽は圧倒的に素晴らしい「椿姫」ですが、歌詞対訳でよく分からないところがあって先日原作を読んでみました。
映画などでもよくありますよね、原作を読んでいないとよく分からないところが。
ところが「椿姫」は原作とオペラは全くの別物でした。
参考になるとかそういう代物ではありません。
まず原作ではアルフレードがヴィオレッタの墓を掘り返すところから始まります。
(ちなみに登場人物の名前も大幅に違っています)
そしてアルフレードはヴィオレッタの死の場面に立ち会わない。
残酷でリアルな原作からオペラは甘美な部分だけをすくい取った、そういう感じでしょうか。

それにしても不思議です。
こんな重くて暗い小説がベストセラーになったのですから。
日本でいうなら小林多喜二の「蟹工船」がヒットするみたいな感じでしょうか。
え、「蟹工船」もヒットしたのですか。
それでは「椿姫」がヒットしてもおかしくないのかもしれませんね…・・・。(1月21日)

先日の紅白歌合戦を見ていて感心したのですが、ステージ奥の巨大なスクリーンが背景を映し出していました。
これだとセットを組むよりリアルですし、しかもどんどん場面を変えていく事ができます。
たとえば暗くて狭い地下牢から壮麗な大聖堂へとあっという間に場面転換できます。
それだけはありません、見せ方によってはラインの乙女たちが川を泳ぎ、ワルキューレたちが戦場を飛び回る事も可能です。
まさにオペラにぴったりの装置だと思うのです。
いずれは全てのホールに巨大スクリーンが設置される日が来るでしょう。
今から待ち遠しいです。(1月25日)

オペラ公演を手伝っている関係で、時々練習にも立ち会わせてもらえます。
一流の歌手の方々の演奏を間近に聴けるというのは本当に素晴らしい体験です。
第3幕のヴィオレッタのアリア「さようなら過ぎ去りし日々よ」などを目の前で聴いていると全ての苦労が報われるような気がします。
私はそれほどの苦労をしているわけではありませんが…・・・。
演出家の稽古をそばで見学できるのも非常に面白い経験です。
映画が好きなので演出には興味があったのですが、これは想像以上に大変な仕事です。
この場面で、どうしてこの人はここに立たなくてはならないか、どうして次の一歩を右足から踏み出さなくてはならないのか、顔をどちらに向けるべきなのか、などなど全てが理路整然と頭の中に詰まっていなくては務まりません。
演出家が出す一つ一つの指示にただひたすら感心させてもらっています。
それから今回は字幕作成もお手伝いさせてもらっていますが、これもやってみるとアマチュアが気軽に手を出せる仕事ではありませんでした。
見ている人のためにはどんどん意訳して分かりやすくした方がいいかもしれません。
しかしその一方で歌手が思いを込めて歌っている言葉は、ちゃんと字幕に映し出すべきなのでしょう。
またワンフレーズごとに微妙に色合いを変えていく音楽に、言葉もしっかり寄り添わせたいものです。
字幕制作のプロの方に手取り足取り指導していただいていますが、世界の奥深さに驚き、それと同時に自分の無謀さに呆れているところです。
さあ、「椿姫」の公演はいよいよ1月30日、31日です。
興味のある方はぜひお越しください。(1月27日)

新聞によると飲食店の禁煙化の流れが加速しそうです。
大変に好ましい事です。
しかしこういう記事の中では必ず「業界の抵抗が予想される」という一文が差し挟まれます。
「〜の抵抗が予想される」「〜という声が聞こえてきそうだ」「〜との反発を心配する人もいる」
という書き方はマスコミが世論誘導を狙っている時の常套句です。
国民の健康を真に願っているならこういう書き方はやめた方がいいと思います。
ところで業界の心配を吹き飛ばすには私たちの飲食店利用意識を変える必要があると思います。
これまで4人で食事に行く時、そのうち一人が喫煙者であれば喫煙可の店に行く事が多かったと思います。
これからは一人でも禁煙者なら禁煙の店に行くようにしませんか。
医師会も強圧的、高飛車な声明を発表するよりも「煙草を吸わない仲間がいるから今日は禁煙の店に行こう」キャンペーンを行った方がいいと思います。(3月3日)

大学生たちと話す機会があって。
昨秋は就活や卒論などの話題ばかりで表情ももう一つ冴えなかった彼らですが、年が明けてからは明るさが戻ってきました。
それぞれ今月いっぱいで卒業、大学院進学、自分探しです。
もっと若い1、2年生とも話をしたのですが、驚きました。
ドストエフスキー、漱石、村上春樹、伊坂幸太郎などの話で盛り上がれるんですよね。
活字離れなどと言われていますが、彼らは間違いなく学生時代の私よりもはるかに多くの本を読んでいます。
本当はエヴァンゲリオンの話題でも盛り上がったという事は内緒です。(3月15日)

神戸元町ダイアリー2009年(5)卵かけご飯について<main>神戸元町ダイアリー2010年(2)家族の絆

神戸元町ダイアリー2009年(5)

最近定食屋などで「卵かけご飯」という看板を見かける事が多くなりました。
私も卵かけご飯が大好きで、旅館の朝食で生卵の替わりに玉子焼きや温泉卵が出されるとがっかりする口です。
思い出すのは震災の時です。
我が家は水道とガスは3か月近く止まっていましたがなぜか電気だけは当日から通っていて、たまたま買い置きしてあった冷蔵庫の卵と、レンジ対応のパック入りご飯と、電子レンジが無事だったのです。
それからしばらくは毎日卵かけご飯だけだったのですが、それが全く苦痛でなかった憶えがあります。
「卵かけご飯」、一時のブームではなくモーニング、ランチの基本メニューとして定着して欲しいものです。(10月5日)

「卵かけご飯」の話を書いていてふと思い出しました。
「バターご飯」。
熱々のご飯にバターと醤油をかけてよく混ぜて食べるのです。
幼稚園の頃、先生の「一番好きなお母さんの料理は?」という質問に「バターご飯」と答えて、あとで母に怒られた事もありましたっけ。
カロリーの問題もあって最近は食べる機会がありませんが、もし世界があと1週間で滅ぶと言われたらぜひ食べておきたい懐かしい味です。(10月7日)

大食いの人もいれば小食の人もいるのにどうして給食は全員同じ量を食べさせるのだろう?
給食は米飯食主体にして、生徒にそれぞれ食べたいだけよそわせれば無駄も少なくなるし、食糧自給率だってアップするしいいと思う、知り合いの小学校の先生にそんな提案をしたら給食はもうすでに米飯主体なのだそうですね。
すみません、自分が小学生だった40年近く前の感覚で話をしていました。
失礼しました。
小学校の先生と言えば、ずっと不思議に思っていました。
彼らは右と左がよく分からないのです。
レントゲンの検査などで「右を向いてください」と言っても、小学校の先生は反対向いたり、しばらく考えてから右を向いたりします。
「この人たちは賢いはずなのにどうして方向感覚がないんだろう?」とずっと思ってたのです。
これも最近やっと理由が分かりました。
小学校の先生は子どもたちに「さあ右手を挙げて」と言いながら自分は左手を挙げるのです。
「右を向いて」と言いながら自分は左を向かなくてはならないのです。
左右が分からなくなるのは一種の職業病なのでした。
これも完全に誤解していました、ごめんなさい。(10月9日)

山崎豊子の「不毛地帯」がドラマ化されるようです。
ミーハーな私はそういうのに弱くてさっそく本を買ってきて読み始めました。
まだ第1巻ですが、ものすごいです。
それはともかく新潮文庫を読んでいると不景気の波をまともに感じさせられます。
しおりの紐(スピン)の長さです。
左から平成5年の「カラマーゾフ」、平成19年の「その名にちなんで」、そして発売したばかりの「不毛地帯」です。
ここまで短くなると読みにくくて仕方がないのですがシベリア抑留に比べたらこんな苦労など……と自分に言い聞かせながら読んでいるところです。(10月14日)

というわけで「不毛地帯」第1回放送を見ました。
私は原作の第1巻を読み終えたところで、放送は2時間枠で第1巻のほとんどを消化してしまいました。
来週には追いつかれてしまうのではないかと戦々恐々です。
しかし考えようによってはこれは今流行のメディアミックスもどきと言えなくもありません。
週刊コミック誌で発表されたマンガがその週の放送でアニメ化される、「ドラゴンボール」のようなパターンです。
30年以上前の小説を読みながら時代の最先端を走っているようで何となくかっこいいです。(10月16日)

先日の朝日新聞の経済コラムで「関空は米軍基地にすればいい」と書いてあってびっくりしました。
私も以前から同じ事を考えていたのですが、さすがに素面では言えず、酔っ払った時に冗談めかして言うのが精一杯でした。
やりますね、朝日新聞。
ところで今までは関空は米軍基地に、伊丹は廃止、神戸空港を拡充して新・関西空港にすればいいと思っていたのですが、神戸沖だと京都からが不便です。
そこで府庁移転に合わせて舞洲、夢洲に新・関空を作ってさらにリニア新幹線の新・新大阪駅を引っぱってきて、大阪湾の中心に関西圏の新都心を建設するというのはどうでしょうか。
問題はその時神戸空港をどうするかです。
神戸空港もいっそ廃港にしてその代わりにUSJと港湾機能を大阪から譲ってもらいましょう。
大阪の人には「勝手に造った赤字空港を廃港にするからゆうて何でUSJ譲ったらなあかんねん」と怒られそうですが。(11月13日)

「罪と罰」のずーっと先、第5部でレベジャートニコフが「婦人問題」について語るところがあります。
リザヴェータの妊娠とその「婦人問題」との関連も興味深いのですがそれは第5部まで置いておきましょうか。
さて全く話は変わりますが、クリエイティブで一見華やかそうで、でも楽(らく)そうな仕事に若者は集まります。
ネイルアーティスト、シナリオライター、カメラマン……、どの仕事も実際にはものすごく大変だと思うのですが若者の嗅覚にはいつも感心させられます。
私もこれから人気の出そうな仕事を一つ見つけました。
「仕分け人」
これから若者の間で人気爆発すること間違いなしです。(11月25日)

民主党政権の数々のマニフェスト達成のための切り札とも言うべき「事業仕分け」が2009年11月11日から始まった。
仕分け人の鋭い突っ込みに担当官僚がたじたじとなる場面がTVでも多く流され、非常に有効な政治パフォーマンスではあった。


電車に早く乗ろうと扉のスペースをふさいでいる人がいます。
扉には二人並んで出られるだけの幅があるのですが、その人がふさいでいるために一人ずつしか降りられず、乗客が降りてしまうまでに倍の時間がかかってしまいます。
早く乗ろうと焦るあまり、結局自分が乗るのが遅くなってしまうわけです。
しかしこういう事は他人の行動ではよく気がつくのですが、自分の事となると見えなくなるのが怖いところです。
自分ではよかれと思ってやっているつもりなのに周りから見ると間が抜けている……、そんな事はたくさんありそうです。
実は私もこの間初めて気がついた事があります。
エレベーターに乗る時、今までは階数ボタンを先に押して「閉」ボタンを押していましたが、急ぐ時は「閉」ボタンを先に押すべきでした。
今の今まで気がつきませんでした、お恥ずかしい。(11月27日)

民主党の仕分け作業についての新聞記事を見て驚きました。
民主党は開業医の優遇税制を廃止する意向を示したが、医師会が猛反発している―――という記事です。
そんな優遇税制があるのなら廃止される前に少しでも恩恵にあやかろうと思って調べてみました。
それは「租税特別措置法第26条」の事でした。
これなら私も知っていました。
「利益」ではなく「売り上げ」が2500万円以下の診療所にはその72%を経費として認める、というものです。
この経費率は売上高が上がると低下して5000万円以下の診療所では57%(プラス490万円の加算金)となります。
事業主の方ならお分かりだと思うのですがどの業種にしても経費率はこんなものではないでしょうか。
こつこつと領収書を集めればこの経費率を上回るし、経費の計上をサボれば下回る。
優遇と言うよりはむしろ「経費率が72%でよければ領収書等をいちいち提出しなくてもいい」という意味合いの簡易税制だと思うのです。
しかもこれは売り上げ5000万円以上の診療所には適用されません。
大儲けしている開業医とは何の関係もない制度です。
どういったタイプの診療所がこの制度の恩恵を被っているでしょうか。
患者数が多いが人件費率が低い。
大きな検査機械が必要でなく検査自体も少ない、薬も院外処方箋。
これはまさに小児科です。
「優遇」税制とは決して思えませんが他業種と比べて不公平ならこんな制度は廃止すればいいと思います。
(税収はむしろ減るような気もしますが)
しかし小児科開業医くらいにはこの「優遇」税制を続けてあげてもいいんじゃないかな、と思ったりするわけです。(11月30日)

先日近所のレンタルビデオ店が店じまいしてしまいました。
駅と自宅の真ん中にあってとても便利だったのですがとても残念です。
しかたなくちょっと遠くのビデオ店の会員になり、宅配型の DVD レンタルサービスにも加入しましたが家で見る映画の数はすっかり減ってしまいました……、と思って今年見た映画を数えてみると、何と例年のほぼ倍近い数でした。
行きつけのビデオ店がなくなった事による減少よりも不景気で外食が減った事による増加の影響が大きかったようです。
おそるべし、この不景気。(12月7日)

デフレにも困ったものです。
住宅ローンを抱える身としては100倍くらいのインフレになればローンが一瞬で消滅して助かるのですが。
それは極端としても、デフレになると給付額が一定の年金受給者が有利になり、景気や物価によって給料が変化する現役世代が不利になります。
今やTVの視聴率や新聞の購買部数を支えているのは高齢者層ですからマスコミはあまりこういう側面は伝えてくれません。
このままデフレ傾向が進むと現役世代は職場を失い、賃金はカットされ、老後の年金もどんどん削られます。
しかし民主政治の根幹は最大多数の最大幸福ですから人口比率の多くを占める高齢者層の決定がそうであるなら私たちはそれに従わざるを得ません。
現役世代の声を政治に反映させるためには若い世代の選挙人口を増やすしかないと思います。 
18歳成人法に反対している人を見ると、敵が襲ってきているのに身内でつまらないメンツを張り合っているダメ軍人の姿をついつい思い出してしまうのです。(12月9日)

いかにデフレになろうとも年金の給付額を引き下げるのはなかなか難しいです。
しかし財源がないのも確かで、さらに景気のどん底で政府は消費税の引き上げなんてとても口に出せません。
とすると残された道は年金生活者に無報酬で働いてもらうしかないと思うのです。
子どもの頃によくやった「肩たたき券」や「お手伝い券」の応用です。
まだまだ元気な退職者は元気でない人の介護を担う。
その代わりに「介護ポイント」をもらい、自分が介護が必要な立場になった時にそれを使ってサービスを無料で受けるのです。
実際の介護には専門的な技能が求められるので退職者を現場で使うのは難しいかもしれません。
それならば町や公園の掃除、通学路や夜道のパトロール、駐車禁止や路上喫煙の取り締まりなど、専門性の低い労働を退職者に任せて、それで余った労働者を介護の現場に配置するというやり方でもいいかもしれません。
現役世代がボーナスカットで苦しんでいるのに新聞には特殊性の高い高額な海外旅行の広告がずらりと並んでいる、これはどう考えてもおかしいと思うのです。(12月11日)

もうそろそろ1年が終わります。
先日は「不景気のせいでDVDで見た映画の数が増えた」などと書いてしまいました。
その理屈で言うと読んだ本の数も増えていいはずですが、数えてみると例年より微減でした。
景気と映画の関係はトンデモ理論だったのかもしれません。
せっかく数えたついでに今年読んだ本のベスト3でも選びましょうか。

第3位:山崎豊子「不毛地帯」
年初に読んだ「三国志」を自分へのご褒美に入れようかと思ったのですが、やっぱりより面白いこっちに軍配を上げましょう。
ただし今放送されているドラマ版の方が原作よりも面白いです。
というわけでビミョーな入賞です。

第2位:ブルース・チャトウィン「パタゴニア」/カルロス・フェンテス「老いぼれグリンゴ」
続刊中の河出世界文学全集の1冊です。
今年から第2期に突入しましたが作品のレベルはむしろ前期よりも上がったような気もします。
ただ、2期では長編が少なくなり、たいていが1冊に中編2作という組み合わせ。
そして2編がそろって面白いというのがなかなかないのです。
これは「老いぼれグリンゴ」は最高、「パタゴニア」はもう一つってところで2位にとどまりました。

第1位:ダニロ・キシュ「庭、灰」/イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」
というわけで総合点でこちらが今年のナンバー1となりました。
キシュという人は全く知りませんでしたがなかなかすごいです。
訳文もきれいで読んでいてうっとりするほど。
「見えない都市」もヘンな小説ですが悪くないです。(12月14日)

本のベスト3を発表したついでに映画のベスト3も決めましょうか。
全部レンタルDVDでの視聴なので少し時期遅れの作品ばかりです。

第3位:「ラブファイト」
これは意外な収穫でした。
青春ボクシングものなのですが、林遣都と北乃きいの若いカップルの演技がとても瑞々しくて爽やかです。
と思っていると、後半そこに強引に割り込んでくる大沢たかおと桜井幸子の大人のドラマ。
まるで「ガキの学芸会は引っ込んでろ」とばかりに遠慮も手加減もなくドラマの主役を奪おうとするのです。
見ている方はこの映画はどこに向かうんだろうと不安になってしまうのですが、最後には若手がきっちりとベテランを凌駕する演技力で引っくり返してくれます。
何回も出てくる長回しシーンで見せる若い二人の演技には鳥肌が立ちます。

第2位:「ハンサム☆スーツ」
普段はこのコラムでも難しい顔してドストエフスキーの話などを書いていますが実はコメディが大好きです。
今年のコメディのベスト1は文句なくこれです。
きっちり予定調和に従って進むストーリー。
ハマりすぎたキャラクターたち。
ベタベタに展開するのですが、それでも面白い。
これぞコメディの王道だと思うのです。

第1位:「おくりびと」
これはもう何も言うことはありません。
ツボを心得たシナリオ、奇跡的な広末涼子の演技、そして音楽。
チェロ弾きのはしくれとして私もさっそく主題曲の楽譜を入手して子どもたちのためのコンサートの楽器紹介コーナーでワンフレーズだけ弾きました。
子どもたちの反応はあまりよくなかったですが……。

こうして見るとアメリカ映画に元気がないですね。
ベスト5なら「フロスト×ニクソン」がかろうじて入ったのですが、ハリウッドにはもっと頑張ってほしいものです。(12月16日)

いよいよ年末ですね。
3か月前にまとめ買いした本が残り1冊になってしまいました。
例年なら正月休みには大長編に挑戦しようとうきうきする頃なのですが、今年は何を読むかまだ決まっていません。
あと1冊を読み終えるまでに決めなくてはなりません、未読の大長編って何かあったかなあ……と思っているとこんな本がありました。
雑誌「考える人」08年春季号「海外の長篇小説ベスト100」、これは自分で読書計画を立てられない私のようなモノグサ星人にはぴったりです。
さっそく買ってこようっと。
というわけでこの欄の更新は今回が年内最後です。
また来年お会いしましょう。
くれぐれもお身体にはお気をつけください。(12月21日)

神戸元町ダイアリー2009年(4)夏のオカルト特集<main>神戸元町ダイアリー2010年(1)宇宙人の陰謀

神戸元町ダイアリー2009年(4)

手塚治虫が没後20年だそうです。
彼の代表作といえば「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし「アトム」や「ブラックジャック」が彼の魅力を100%生かした作品かと言うと大いに疑問です。
無尽蔵ともいえるバリエーション豊かなストーリーメイキング、その語り口の巧みさ、凝縮した展開の中に詰め込まれたヒューマンな感動。
確かにこういった魅力は十分味わう事ができます。
しかし手塚の魅力はそんなところばかりにあるのではないと思うのです。
完全な悪、必要に迫られて悪に手を染めるのではなく、悪そのものが目的ともいえる美しく完全な悪人。
変身の克明な描写、作品によっては人が動物に変身したり、あるいは子どもが大人になったり。
未分化な性、それは作品によっては男装だったり女装だったり、あるいは限りなく中性的な絵柄の動物だったりロボットだったり。
これらの魅力を全て生かした手塚の作品は「バンパイヤ」以外にないと思うのです。
悪の主人公ロックは冷酷無比な美少年で変装も自由自在、時には美少女に化けてしまいます。
善の主人公トッペイも満月の日には狼に変身する狼男です。
私は手塚の最高傑作は「バンパイヤ」であると信じています。
ところで豊かなストーリーテラーである手塚はストーリーの使い回しをあまりしないのですが、実は「バンパイヤ」をリメイクした事があります。
ストーリーはリアルになり設定も大幅に変わっているのでもしかすると手塚自身もリメイクとは気がついていないかもしれません。
しかし女装も自由自在の美しい完璧な悪人、良心の呵責に苦しめられながらもその悪人に惹かれている主人公、世界の破滅に向かって突き進んでいく物語、これはまさしく「バンパイヤ」の現代版以外の何ものでもないと思うのです。
「MW(ムウ)」玉木宏主演で映画化されたそうです。(7月1日)

製薬会社のエーザイが今、鉄腕アトムをキャラクターに用いた宣伝に力を入れています。
もう何十年も見慣れてきたアトムの絵ですが、「日本アニメを代表する健全な勧善懲悪型ヒーロー」という先入観を取り払って見てみるとかなり異様です。
まつげの長い中性的な顔立ち、そして上半身は裸で、なぜかブーツ姿。
その異様さを手塚自身もある程度意識していたそうです。
編集者の要請でアトムの妹ウランを登場させる事になった、それで完全にアトムの執筆意欲が喪失した。
後年彼自身がそう語っていたのを思い出しました。
つまりそれまでアトムには中性的な妖しさが秘められていたのに、妹の出現によって完全に男性になってしまったわけです。
時代を経て、今やアトムよりも面白おかしい漫画はいくらでもあります。
今の小学生にアトムを見せてもおそらく見向きもしないのではないでしょうか。
ところがもっと小さな子どもたちは違います。
彼らにはアトムが壊れてバネが飛び出したりするシーンが魅力的でたまらないようです。
というわけで「アトムはいい漫画だった」などと語る人を見ると、少しドキドキしてしまうのです。(7月3日)

もしかすると以前にも書いた事があるかもしれません。
手塚治虫は雑誌に発表した作品を単行本化する際にかなり修正を加えるので有名でした。
さらに講談社の全集に収録する際にも相当手を加えたと聞いています。
つまり一つの作品につき3つのバージョンが存在する事になります。
「鉄腕アトム」や「火の鳥」など繰り返し単行本化されている作品だと一体何バージョンあるのか分からないほどです。
次回の電子メディアによる手塚大全集ではこのバージョン違いもきっちり収めて欲しいものです。(7月6日)

当院のお盆休みは8月8日(土)から16日(日)です。
2週間処方の方はご注意ください。
さて今年のお盆休みには、新訳も出た事ですし「罪と罰」を久しぶりに読み直そうと思っています。
「罪と罰」は、精読しようと思うと前の方のページを何度も読み返さないといけないのですが、3分冊という光文社の巻立ては少し不便かもしれません。(7月24日)

一年以上前の話になります。
冷凍庫に水の入った容器と熱湯の入った容器を入れると熱湯の方が早く凍る、という実験がNHKの番組で紹介されたそうです。
「必ず」熱湯が早く凍ると紹介したのか、それとも「凍る事がある」と紹介したのか知りませんが、それに対して大槻義彦という学者が噛み付きました。
最初は「そんな馬鹿な事があるはずがない」と一笑に付した大槻氏ですが、実験も行わないで否定するのは科学者らしくないと周囲に説得されて簡単な実験を行ったようです。
その結果は氏のブログでも紹介されていますが、いくつかのサンプルのうち一つの検体で熱湯の方が早く凍り、さらにもう一つの検体で水と熱湯が同時に凍りました。
それに対して氏は「例外的な要因のせいだ」と切り捨てます。
その例外的な要因をいくつか提示はしますが、それ以上の検証はなしでした。
普通に考えれば熱湯の方が早く凍るはずがありません。
ところがもし100回に1回でも熱湯の方が早く凍るとすれば、真っ当な科学者であればその現象に飛びつくはずです。
「ありえないはずの事がどうして起きるのか?」
気化熱のせいだとするなら蒸発しないような器具を工夫してその条件下で比較するだろうし、容器周囲の対流に原因があるとすれば対流を防ぐ容器を考え出すでしょう。
そして原因が判明すれば今度は熱湯の方が100%先に凍る実験モデルを作ってみせるはずです。
そういう事を一切しない、そういう発想も全くない、大槻という人はあまり科学的ではないと思います。
逆に「科学」と思われているものを妄信する「科学教」の信者のように思えてならないのです。(7月27日)

自称科学者の大槻氏が「科学っぽいもの」を妄信するように、人は信じたいものを信じる傾向があります。
不思議に思う事があります。
手品を見てタネや仕掛けがある事を疑う人はいません。
トリックがさっぱり分からなくても何か仕掛けがあるに違いないと私たちは考えます。
ところが同様に不可解な現象でも「心霊現象」と名づけられると人は途端に信じてしまいます。
初歩的なトリックでできるような現象でもオカルトが加わると往々にして人は判断を停止してしまいます。
たとえば交通事故が起きた場所に幽霊が出るというのはよく聞く話です。
死んだ人の無念さが幽霊となってその場所をさまよっているのだ、と説明されれば人は納得してしまいがちです。
ところが多くの人が無念さを抱えて亡くなる場所はたくさんあります。
戦場もそうですし大災害の現場もそうですし病院もそうです。
ところがそういうところに幽霊が大発生しているかというと、そんな話はあまり聞きません。
つまり人が死んで幽霊になるという仮定はあまり合理的ではないのです。
合理的でないからといってそういう現象を否定しろとは言いません。
もっと合理的な解釈を求めてもいいのではないか、そう思うわけです。
夏の怪談噺、次回に続きます。(7月29日)

私は幽霊そのものの存在は否定しません。
と言うか、一定の条件下で人は幽霊を見る、という現象を認めます。
ひと気のない暗い夜道で、湿度が高くて、かすかなアンモニアあるいは窒素酸化物の臭いが漂い、木々を揺らす程度の風が吹いている、わずかに傾斜があるけれど少ない日照時間のせいで木々の生える角度と斜面の勾配と重心の方向とが微妙に一致しない、そういう条件ならば、「こういう場所にはよく幽霊が出る」という先入観を植えつけられた人はかなりの確率で幽霊を見ると思います。
そういう場所で車を運転すると、平衡感覚が微妙に狂っているためにハンドル操作が不正確になり、瞳孔が開いているために遠近感も狂いがちです。
つまり事故が起りやすいと思うのです。
とすると因果関係としては、「事故が起きるから幽霊が出る」のではなく「幽霊が出るから事故が起きる」と考えた方がしっくりくるのではないでしょうか?
病院は本来は日当たりも風通しもいい、療養に適した場所を選んで建てられているはずです。
従って病院にはあまり幽霊が出ません。
人の死と幽霊とは分けて考えた方が合理的なような気がするのです。
たぶん、まだ続きます。(7月31日)

既視感、いわゆるデジャヴというものがあります。
初めて来たはずの場所なのになぜか見覚えがあるという感じはおそらく誰もが少なからず体験した事があるのではないでしょうか。
この現象をいろんな立場の人がいろんな理屈で説明しようとしていますがあまりぴんと来ません。
しかしデジャヴの逆の体験をする事が多い私には何となく理解できるのです。
デジャヴとは逆の現象、つまり「方向音痴」です。
私はとにかく道に迷いやすくて、何回も行った事がある場所でもなかなかたどり着けなかったりします。
「方向音痴」と言いますが、左右や東西南北が分からないわけではありません。
とにかく道が覚えられないのです。
またまた続きます。(8月3日)

これを自分で分析してみて、道を覚えるチェックポイントが少ないから迷いやすいのではないかと思いつきました。
普通の人であれば「二つ目の信号の先にあるみなと銀行の角を左に曲がって、薬局の2軒向こう側のビルの3階」と覚えるところを私は「そのちょっと先を左に曲がって、薬局の近くの3階」という風にかなりはしょって覚えてしまうわけです。
とすると目標のずいぶん手前のりそな銀行で曲がり、当然薬局はその近辺にないので「薬局じゃなくて整骨院だったかもしれない」と勝手に解釈して全然違う建物にたどり着いてしまうのです。
風景を捉えるポイント箇所が少なくて、しかも文字情報に置き換えられていないと迷いやすい、それと同じ理屈で普段少ないポイント箇所で風景を捉えていると違う風景を同じものと認識してしまうのではないでしょうか。
ある風景を「左手に赤い看板があって、突き当たりに学校があって、右側に黒い車が停まっている」と3ヶ所くらいのポイントで認識する人だと、かなりの確率で違う風景も同一のものとして認識してしまうわけです。
心霊写真も同じだと思います。
円の中に黒い丸が二つ(あるいは三つ)あると人はそれを顔として捉えてしまいます。
コンセントの差込口も、ボウリングの球も、そのつもりで見ると人の顔のように見えてくる。
その認識の容量が広い人は単なる写真の陰影に人の顔を認識してしまうのだと思います。
まだ続きますが、何とかお盆休みまでには収拾をつけたいものです。(8月5日)

魂の重さは21グラムだという説があります。
今から100年ほど前にある学者が息を引き取ろうとしている患者をベッドごと大きな秤に乗せて観察したところ、臨終の瞬間に21グラム減った、それをもって魂の重さは21グラムだと考えたのです。
今から考えれば全く馬鹿馬鹿しい話です。
5万グラムのうちの21グラム。
100年前にそれほど精度の高い測定装置があったのか疑問ですし、仮にあったとしても、肺胞内に含まれている湿度の高い空気が開放されても数十グラムにはなるでしょう、減少した21グラムを魂の重さであると結論付ける前に検証しなくてはならないファクターがあまりに多すぎます。
と、真面目に反論するほどの話ではないのですが、それにしても不思議です。人は、幽霊を見れば人の霊魂だと思い、デジャヴを体験すれば霊体離脱によって無意識に体験したのではないかと疑い、臨終の際に21グラム減少すると聞けば霊の重さと思い込む。
人はどうしてこれほど霊の存在を信じたいのか、そちらを研究する方がよほど面白そうです。
さて松本胃腸科クリニックは明日から16日まで休診します。
くれぐれも心霊体験には気をつけてお過ごしください。(8月7日)

お盆休みも終わってしまいました。
みなさんお休みはゆっくり過ごせましたでしょうか?
さて8月15日になるといつも不思議に思う事があります。
「玉音放送」と呼ばれる終戦詔書の放送です。
私の頭には、全国民がラジオに耳を傾け、家族なら家族みんなが抱き合って涙を流しながら天皇の言葉に聞き入っている、そんな映像が強く植えつけられています。しかしかなり(というか最高に)難解な文語文を、音質もよくないであろうラジオで聞いて、当時の人は放送の意味が分かったのでしょうか?
ドラマや映画だと放送を聞いた主人公が「戦争が終わった!」と叫びながら家から駆け出すシーンが続きそうですが、実際は放送を聞き終わってもみんなしばらくきょとんとして、とりあえず役場に行ってみると徐々に「戦争が終わったらしい」という情報が伝わってきた……みたいな感じだったのではないかと勝手に想像しています。
実際はどうだったのでしょう?
考えてみると、そんな事はお盆で帰省した際に親に聞けばいいのでした。
今度聞いてみます。(8月17日)

渋滞の専門家によると車間距離を40メートル取れば自然渋滞は発生しないそうです。
私は車を運転しないので関係ない……と思いながら一つ思いついた事があります。
エスカレーターに乗る時、急いでいる時は左レーンを歩きますが、時々降り際に立ち止まる人がいます。
前の人が急に立ち止まるとぶつかりそうになって困ります。
大した事ではないのですが、その都度ちょっとしたストレスを感じている自分がいます。
ふと思いついて車(人?)間距離を取ってみました。
前の人から2段空けて歩くのです。
そうすると前の人が立ち止まってもこちらは降り際にスピードを落とさなくてもすみます。
わずかに1段分の事なのですが、これはなかなか具合がいいです。
ぜひお試しください。(8月28日)

歩きながら携帯画面を見ている人がいます。
時には階段を降りながらメールをしている人がいます。
往々にしてそういう人は急に立ち止まります。
これは非常に危険です。
階段の下りで、すぐ前を歩いている人が急に立ち止まるとこちらはその人に追突してしまいます。
ハイヒールの女性だと階段を転げ落ちる事にもなりかねません。
こちらが加害者になってしまう可能性があるのがとても怖い事です。
階段の下りで前の人が携帯画面を見ていたら車間距離を十分取った方がいいと思います。(8月31日)

昼と夜の寒暖差が激しいですね。
体調管理が難しいです。 
我が家にも体調管理に失敗してこんなものをつけられた人が一人。(9月11日)

2009年8月30日、衆議院議員選挙において民主党が過半数を獲得、鳩山政権が誕生した。
マニフェストの目玉が高速道路無料化と公立高校の実質無償化であった。


高速道路の無料化に反対する人はいても高校授業料の無料化に反対する人がいないのは驚きです。
私は高等教育は無料化すべきだと思いますが、今の高校はとても高等教育とは言えません。
どのジャンルにしても「高等」と呼べるのはせいぜい上位3割だと思うのです。
無料化するなら全国統一学力テストを行って、上位30%のみを無料化すべきです。 ……と、思っていたのですが最近はまた考え方が変わってきました。
上位3割は無条件で無料でいいと思います。
それ以下の人は条件付きで授業料相当分を給付するのです。
つまり補習プリントです。
与えられたプリントの問題に解答してそれを提出する事によって給付金をもらう仕組みです。
「自宅でやらせるとカンニングし放題じゃないか」と言う人もいるでしょう。
それでもいいと思うのです。
「どうせネット上に解答集が出回るだろう」と心配する人もいるでしょう。
それでもいいと思うのです。
家族が試験問題を囲んでああでもないこうでもないと考える、「そう言えば昔習ったような気がするな」と言いながら頭をかいているお父さんの横で、お母さんは「あら、これは大河ドラマでガクトが 演じていた人だわ」などとわき道にそれる。
それでも1か月に一度くらい家族で高校の問題に向き合う習慣ができると日本の学力レベルは徐々に上がってくると思うのです。
もちろん和気あいあいとした家族ばかりではないでしょう。
崩壊家庭の高校生はきっとネットの解答集に頼る事になります。
それにしても数式や歴史上の人物の名前や漢字の書き取りを丸写しするためにはプリント1枚につき1時間程度は机に向かわないといけない のです。
これまで無制限にTVゲームやネットにうつつを抜かしていた引きこもり高校生が、少なくとも何時間かは勉学(のようなもの)のために時間を割かなくてはならなくなるのです。
画期的な事だと思うのです。どうでしょう? 民主党さん。(9月14日)

景気刺激のために公共事業は有用です。
同じお金を投じるのならお金が地元で回転するような方法で使って欲しいものです。
道路工事が必要だとして、東京から大型工事機械と職人がやってきてあっという間に作ってしまえば投下した税金は全て東京に吸い取られます。
地元の作業者がつるはしを持って工事すれば工事費用のほとんどが地域で使われます。
ところがこれまでの「公平な」入札制度では地域での資本回転率は考慮されてきませんでした。
単純に受注額だけで業者を選定して、地域での経済効果については全く考えなかったわけです。
地域の企業が受注しようとすると代議士に口利きを頼まなければならず、往々にして贈収賄事件に発展してしまいます。
経済効果を考慮し、しかも政治家の介入を許さない方法を思いつきました。
入札する業者には地域の労働者に支払われる賃金の割合を計算させ、見積もり金額をその割合で割った数値で落札業者を決定すればシンプルでいいと思います。
素人の思いつきで机上の空論にすぎないかもしれません。
しかし一つ確実な事があります。
地域で資本をより多く回転させようとするならなるべく人件費率が高い事業に税金を投じた方が効果的だという事です。
材料費や輸送費や設計・プラン・企画に要する費用などは大抵の場合地元を素通りして東京に吸い取られます。
地元の労働者に支払われる割合が最も高い業種にこそ税金を投入した方がより多くの経済効果が得られます。
そして最も人件費率が高い業種は「介護」だと思うのです。
これまで介護事業は福祉の観点からしか語られませんでしたが、これからは経済波及効果が最も高い財政的事業としても語られるべきだと思います。
どうでしょう? 民主党さん。(9月16日)

昨日NHKのニュースを見ていたら何と、大麻吸引で逮捕された芸能人の保釈がトップニュースでした。
「所持」容疑で勾留されている被疑者を勾留期間延長のために「使用」容疑で再逮捕したり、マスコミに取り調べの様子をがんがんリークしたり、あまりにも人権を無視したひどい捜査方法を批判する報道かと思ったら、単なるおわび会見のレポートでした。
裁判員には守秘義務を求めるくせに自分たちは情報を垂れ流す警察関係者を、マスコミは放っておいていいのでしょうか。
そうそう、先日の選挙で森元首相が選挙事務所から地元新聞以外を締め出した件を朝日新聞が批判的に報じていました。
自分たちは記者クラブを作って会員以外のジャーナリストを締め出しているのにも関わらず、です。
政治の世界には新しい風が吹こうとしているのに、進取の精神が必要なはずのマスコミは旧態依然のようです。(9月18日)

この芸能人とは酒井則子の事。

元町ミュージックウィークのシーズンがやってきました。
今年もお手伝い。
10月3日(土)14:00〜こうべまちづくり会館のチェロアンサンブルコンサートです。
今年は演目も一段とバラエティ豊かになり、プレイヤーのレベルも(私以外は)かなりのものです。
他のメンバーの足を引っぱらないように頑張りたいと思います。
お暇ならどうぞ。(9月25日)

神戸元町ダイアリー2009年(3)新型インフルエンザ騒動<main>神戸元町ダイアリー2009年(5)卵かけご飯について

神戸元町ダイアリー2009年(3)

ゴールデン・ウィークにゆっくり読もうと思っていたダン・ブラウン「天使と悪魔」をうっかり読み終えてしまいました。
「ダ・ヴィンチ・コード」と同じくテンポの速い純エンタテインメントです。
今作も、舞台となるローマ、バチカンの魅力をたっぷり、胡散臭いうんちく話もたっぷり、ラブロマンスもきっちり。
決して退屈しません。
今朝電車に乗ると隣に座った人がこれを読んでいました。
思わずいじわるで「犯人を教えましょうか?」と言いたくなってしまって、そこで犯人どころがストーリー自体をすっぽりと忘れてしまっている事に気がつきました。
読後感の軽さも「ダ・ヴィンチ・コード」同様でした。(5月1日) 

昨日はプロの演奏家の隣でチェロを弾くというとても貴重な体験をしてきました。
アマチュア音楽家はともすれば、音楽に対する情熱に限ればプロよりもアマチュアの方が上だと思い込みがちですが、実際にプロの演奏を間近に見るとそれはとんでもない間違いである事を思い知らされます。
音楽に対する情熱、貪欲さ、誠実さ、謙虚さ。
音楽に向かうありとあらゆる姿勢が根本的に違いました。
「アマチュアリズム」という言葉はアマチュアの幻想だったようです。(5月11日)

ゴールデン・ウィークもあっという間に終わってしまいました。
今回の連休は大作にチャレンジする事もなく、小物の読書に終始してしまいました。
中でも書店でものすごく迷いながら購入したのが海堂尊(かいどう・たける)の「ナイチンゲールの沈黙」でした。
ご存知「チーム・バチスタの栄光」の続編です。
前作は面白かったのですが、「続編を読むほどでもないよなあ」という程度の微妙な面白さ加減。
ですがシリーズ第3作も映画化される事だし、ちょうど手持ちの本もなくなったし、という事で思い切って買ってみました。
結果は予想したとおり。
あんまり面白くない展開を個性的なキャラクター設定によって乗り切ろうという魂胆が完全に空回りしていました。
それは覚悟していた事なのでいいのですが、全編にあふれるおやじギャグにはうんざりさせられました。
一体どんなオッサンが書いてるんだろう? と思ってプロフィールを見ると、何と私とほぼ同世代です。
自分もおやじギャグ世代に入ったかと思ってすっかり気分が滅入ってしまいました。(5月13日)

この間の週刊誌にどこかの社長さんのコラムが載っていました。
有名芸術家を何人か引き連れて食事に行ったところ、みんながタバコは身体に悪いからやめた方がいいと口々に言う。
心配してくれるのはありがたいが「私はタバコも吸って長生きもするつもりだ」と笑い飛ばした、とまあこんな感じの自慢話でした。
私は「空気を読む」という言葉は嫌いですが、さすがにこの社長さんにはこの言葉を進呈したいです。
「誰があんたの健康なんか心配するか、煙たいからタバコを消せって遠まわしに言ってるんだよ!」
同席者みんなの心の叫びがコラムを読みながら聞こえるようでした。(5月15日) 

神戸の男性の半分くらいは思っているのではないでしょうか?
「どうせマスクするんなら毎日ヒゲそらなくてもええんちゃうん?」
さてガラガラの映画館に行ってきました。
「レッドクリフパート供廚任后
せっかく「三国志演義」を読んで「チーム劉備」の面々を頭に入れていったのに、今作では「チーム劉備」はほとんど活躍しませんでした。
人間ドラマは周瑜と小喬を中心に絞られます。
その分すっきりとして話は分かりやすかったと思います。
「赤壁」後の展開を知ってから見ると、周瑜と孔明の間に繰り返し交わされる「今後敵味方に分かれても俺たちの友情は変わらない」みたいなセリフもなかなか感慨深いです。
ところがクライマックスの戦闘シーンが、人間と物量を大量に投入したのは伝わってくるものの、もう一つ迫力不足でした。
こちらの期待が大きすぎたのか、あるいは「ロード・オブ・ザ・リング」と比べてしまったせいでしょうか。
今にして分かる、ピーター・ジャクソンの偉大さでした。(5月27日)

今回の騒動で「お役所」の硬直した対応を非難する人もいます。
流行のかなり早期の段階で弱毒型という事が分かっていたにも関わらず強毒型を想定した指針を変えられなかった事は、お役所仕事と言われても仕方がないと思います。
しかしその一方で公務員には四角四面の対応こそが求められていて柔軟性など求めるべきではないという考え方もあります。
仮に年収130万円以下が免除という法律があれば1円上回っただけでも免除してはいけません。
70歳以上から免除、という法律があれば誕生日の前の日までは絶対に適用してはいけません。
担当者の気分や温情で線引きを変えられると不公平が発生するのです。
日常の業務にはこういう厳密さが求められているのに、緊急時には柔軟に対応しろというのは無理な要求だと思います。
お役所に柔軟さを求めるのであれば、柔軟な判断を専門とするエキスパートをきちんとお金を出して育てておくべきだと思うのです。(5月29日) 

融通の利かないお役人にうまく動いてもらうためには仕事をきっちりと指示する必要があります。
何をして、何をするべきでないか、きっちりと線を引いてやれば、お役人以上に上手に仕事をこなす人はいません。
ですが役所のトップは往々にして線を上手く引く事ができません。
だから季節性と同等以下の毒性のインフルエンザに対して過剰に対応してしまいます。
そういった人たちのためにいろいろなものを数値化する訓練を受けさせた方がいいと思います。
いわゆるリスク・アセスメントという作業です。
ここに亀裂の入った二つの道路があるとします。
その亀裂を放置した場合1年以内に10万分の1の確率で倒壊する可能性がある高速道路。
交通量は1日あたり10万台。
片や1年以内に100分の1の確率で崩落する可能性がある山間部の道路。
こちらの交通量は1日あたり10台。
どちらの修理を優先すべきかは明らかです、高速道路を先に補修すべきです。
こうした作業には命の価値を金銭で置き換える作業もある程度必要です。
ところが「人の命を金で換算するのか」という批判を恐れて役所はアセスメントに踏み込めなかったりします。
そして行動の基準を持たないお役人が完全に無力なのは皆さんもご存知のとおりで、政治家や利権団体にいいように振り回されるわけです。
優秀な公務員の方々に存分に力を振るってもらうために、私たちもリスク・アセスメントという方式に慣れるべきだと思います。
私たちの命を金銭で置き換えるという一見非情な作業が、実は私たちの身を守る事になると思うのです。(6月1日) 

さまざまなリスクを数値化するにあたって、もっとも比較対照にふさわしいのは自動車だと思います。
自動車事故によって年間約6千人が死んでいます。
しかし自動車によって私たちの生活が支えられているのも確かです。
つまり「自動車から得られる利便性のために年間6千人の命の犠牲はやむをえないという社会的同意が存在する」と考えるべきなのでしょう。
そうであるならば自動車以外のリスクを全て数値化して、自動車のリスクと比較して高ければ是正しなくてはなりません。
もし低ければ政府や社会の努力は自動車の安全性をさらに高める事に向けられるべきです。
大規模な交通災害といえば尼崎の脱線事故を思い出しますが、裁判の公正性と迅速性のためにはこうした数値化が必要だと思います。
これまで大規模な鉄道災害がなかったために数値の算出は難しいし、当然出される数値は鑑定人によって異なるでしょう。
しかし出された数値が自動車のリスクより低ければ、その危険度は「私たち日本人が利便性と引き換えに覚悟している危険度」と判断するべきかもしれません。(6月3日)

リスクを数値化すれば行政が何を改善し、何を取り締まるべきか優先順位がはっきりします。ところが国はそれをしません。
何か不都合な事でもあるのでしょうか。
アスベストは確かに発がん性の高い危険な物質です。
しかし解体作業中に粉塵化したアスベスト繊維が危険なのであって(これもタバコと危険度を比較したデータはないのですが)、アスベストを建材に使用した建物で仕事をしたり生活したりする事が危険だというデータはないはずです。
行政がアスベスト怖さにアスベストを使用した建物の改修を命じるのならまず危険度を数値化するべきでしょう。
アメリカ産の牛肉の輸入を制限したいのならこれも数値化するべきです。
どうも政府の対応を見ると、タバコを禁止するのがいやなので目に付いた有害物質を片っ端から取り締まって国民の目をそらしている、そんな疑いがぬぐえないのです。(6月5日)

真っ暗なところでノートパソコンを使おうとすると、キーボードの文字が見えないのでとても操作しにくいです。
小型液晶チップでも埋め込んでボタンがほのかに光るようにできないでしょうか?(6月8日)

キーボードの使い勝手の悪さと言えば、これまでおそらく何億もの人が指摘し続けてきた事ですが、文字配列のデタラメさに触れないわけにはいきません。
何と言っても「A」ボタンの位置です。
日本語でも英語でももっとも使用頻度が高いであろうこのボタンが、何と左手の小指に割り振られているのです。
タイプライター開発者には友達がいなかったのでしょうか? 
普通なら「おい、ジャック、Aはいつもかすれるから真中に置いた方がいいぞ」と友人が言ってくれそうなものです。
デタラメな配置で助かっている事もあります。
英語では決して使用頻度が高くない「K」や「J」ボタンがかなり好位置に置かれている事です。
日本語では「K」はよく使いますし、「J」は個人的に助かっています(名前に「J」が入っているので)。(6月10日)

「真っ暗なところではパソコンは使いにくい」と人に話すと、少なからずの人が「ブラインドタッチを練習すれば?」と突っ込んでくれます。
確かに私のブラインドタッチは怪しいのですが、それでも普段はキーボードなど全く見ないでタイピングしているつもりでした。
ところが実際に暗いところでキーボードを扱ってみると自分がどれだけ目に頼っていたかという事実に愕然とさせられます。
そういう意味でただただびっくりの辻井さんの優勝、というお話でした。(6月12日)

2009年6月7日、第13回ヴァン・クライバーン国際コンクールで全盲のピアニスト、辻井伸行が優勝した。 

思わぬところでワーグナーに出会いました。
まずはショーソンの交響曲。
この第2楽章が「トリスタンとイゾルデ」第3幕への前奏曲にそっくりなのです。
ショーソンというとソロヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲」しか聴いた事がありませんでしたが、ここまでべったりのワグネリアンだったのですね。
知りませんでした。
この2楽章を弾くとあたかもワーグナーを弾いたかのように淫靡で官能的な世界にどっぷりと浸る事ができます。
と同時に「どうせなら本物のワーグナーが弾きたい!」とも思ってしまうのですが。
もう一つはベルクの弦楽四重奏のための「抒情組曲」。
この第6楽章にやはり「トリスタン」のフレーズが出てきます。
今回面白い体験をしました。
「抒情組曲」を聴きながらうたた寝をしてしまったのです。
第6楽章の半ばあたりだったでしょうか。
ちょうど「トリスタン」のフレーズが流れます。
私の頭の中で「トリスタンとイゾルデ」の音楽がフルオーケストラで鳴り響きます。
「トリスタン」の甘美で耽美的なフレーズが波のように激しくうねっていつまでも続いていきます。
そこではっと目が醒めました。
第6楽章が終わろうとしているところでした。
不思議です。
引用されている「トリスタン」のフレーズはわずか1小節間、3、4秒なのです。
それが私の頭の中では数十分も鳴り響いていたのですから。(6月15日)

「抒情組曲」を聴いていたのはこのためでした。
  モルゴーア・クァルテット第31回定期演奏会 
  2009.6.13 ザ・フェニックスホール
  ハイドン:弦楽四重奏曲 ロ短調 Op.33-1 
  シューベルト:弦楽四重奏曲 ト短調 D.173 
  ベルク:弦楽四重奏のための「抒情組曲」
初めてライブで聴いて、この四重奏団がいまや世界のトップに位置する事がよく分かりました。
激速でエッジの効いたハイドンもよかったですが、何と言ってもベルクです。
複雑無比なこのスコアをぴたりと弾いてしまうすさまじい超絶技巧。
ところがそこから流れてくるのは譜面から想像される前衛音楽ではないのです。
みずみずしい情緒をたたえた本当にロマンティックな調べ。
激しくて哀しくて高貴で美しい。
ベルクがここまで生きた音楽として響いた事はこれまでなかったのではないでしょうか。
(個人的には第1楽章で藤森先生がハイAsをつるつるっといとも簡単に弾いてしまったのに度肝を抜かれました。
ラサールSQでも苦戦していたのに……)(6月17日)

こうなると確実だと思うのです。
全盲のピアニスト辻井伸行さんの紅白出場です。
会う人会う人にどのパターンだと思う? と謎かけしてきたのですが、
1)白組メンバーとしてではなく曲間の特別コーナーで演奏
2)出場メンバーの伴奏者として演奏
3)白組メンバーとして単独演奏
ここまで盛り上がってくるともはや3)で決定でしょう。
曲はおそらく自作曲。
実は彼の演奏は1曲も聴いた事がないのですが、勝手に盛り上がっている私でした。(6月19日)

予想は大外れでした。
辻井さんは大晦日は兵庫県立芸術文化センターのジルヴェスターコンサートに出演していました。
 

来る選挙の夏にそなえて選挙ミステリを読みました。
「当確への布石(上、下)」高山聖史(宝島文庫)
選挙ミステリというと真保裕一の「ダイスをころがせ!」が有名です。
選挙のメカニズムもきっちり描かれ、ストーリーも登場人物たちも熱かった傑作「ダイスをころがせ!」に比べると「当確への布石」はウェットな印象です。
街頭演説の聴衆の雰囲気などはそこそこ熱く描かれてはいるのですが、キャラクターたちのエネルギーがもう一つ内向きで湿っぽいからでしょうか。
選挙に向けて読むならまずは「ダイスをころがせ!」を優先させた方がよさそうです。(6月22日)

ところで解散総選挙の日程が東京都議選と絡めてあれこれ取り沙汰されています。
政局好きの人はせいぜい盛り上がってもらったらいいと思うのですが、TV局の人にお願いです。東京都議選の話題はぜひ東京ローカル枠でやってください。
くれぐれも全国版ニュースの時間をつぶして放送しないように。(6月24日)

久しぶりにポータブル音楽プレイヤーを買いました。
前回買ったのはMDプレイヤー、もう10年以上も前の事でした。
最初のうちは好きな曲を選んでオリジナルベストMDなどを作って喜んでいましたが、そのうちにCDからMDにダビングするのが億劫になり、電車の中で聴こうと思うとケーブルが信じられないくらいこんがらがり、ジョギングの最中に聴こうと思うと宣伝文句に反して音が飛びまくるので、次第に遠ざかってしまいました。
今回ケーブルレスタイプのプレイヤーが出たので飛びついたわけです。(SONY NWD-W202)
分かっていた事ですが、本体にはディスプレイがついていないので聴きたい曲を選ぶのは難しいです。
ランダム再生に特化した機種と言えるでしょう。
もちろん収録順に聴く事は可能なのですが、オペラなど2枚組、3枚組の曲を順序正しく聴くのは意外と難しいです。
賢いのか馬鹿なのか、曲ごとに勝手に演奏者情報を吸い出して、うっかりすると勝手に並べ替えてしまうのです。
オペラを聴こうと思うとパソコン上で全てのトラック情報を書き直さなくてはなりません。
やっとリヒャルト・シュトラウスのオペラ全15タイトル368トラックの楽曲情報を入力し終わりました。
苦労した分しっかり楽しむ事にします。(6月26日)

神戸元町ダイアリー2009年(2)e-Taxにチャレンジ!<main>神戸元町ダイアリー2009年(4)夏のオカルト特集

神戸元町ダイアリー2009年(2)

e-Taxにチャレンジ!

(第1回) 

確定申告がオンラインでできると聞いたのでチャレンジしてみました。
公的な書類です。
ネットに接続してワンクリックというわけにはいかないようです。
まずは住民基本台帳カードを手に入れる必要があります。
一時物議をかもした「住基カード」ですが入手するのはそれほど面倒ではありません。
パスポートか運転免許証を持って市役所に行って言われるがままに申請書に必要事項を記入するとほんの数分でできあがります。
芦屋市の場合は今は手数料も必要ないそうです。
さらに窓口の前でもじもじしてると、係の人が気を利かせて「確定申告のオンライン申告のためですか?」と訊ねてきます。
「はい」と答えると次に「公的個人認証サービスの電子証明書」の取得作業に移ります。
この時点では実は私は自分が何のために何の書類を書いているのかさっぱり分からなかったのですが、とにかく言われるがままに書類を書いて、暗証番号を入力すると待つ事数分で書類とCD‐ROMを渡されます。
こちらの手数料は500円でした。 
30分足らずで「住基カード」と「公的個人認証サービス利用者クライアントソフト」が手に入ったわけです。
あとで分かったのですが、あとの作業で「住基カード」の中に「電子証明書」が埋め込まれたらしいです。
そうそう、「住基カード」には写真入りバージョンと写真なしバージョンがあって、写真入りバージョンが欲しい場合には申請の際に顔写真が必要です。
私は写真なしバージョンを申請したので必要なのは運転免許証と印鑑と500円だけでした。
これで第1段階終了です。(3月2日)

(第2回)

次にICカードリーダライタなるものが必要です。
つまり「住基カード」の内容を読み取ってパソコンに取り込むための装置です。
対応機種一覧表が市役所でもらった「公的個人認証サービス利用者ガイド」に付いているのでそれを握りしめて家電ショップに行きます。
パソコンの周辺機器コーナーにはカードリーダライタがたくさん並んでいます。
どれも「全てのメディアに対応!」と書かれているので、対応一覧表を見る事なく一番安いのを手に取ってレジに持っていこうとします。
そこでふと考えます。
こういう時よく考えずに行動していつも失敗しているじゃないか。
一応店員さんに訊ねてみました。
やっぱり違ってました。
すぐ隣のコーナーに「公的個人認証サービス用」のカードリーダライタのコーナーがちゃんとありました。
念のために対応機種一覧を店員さんに確認してもらって購入。
2千円ちょっとでした。(3月4日)

(第3回)

なかなか実際の申告作業にたどり着けません。
カードリーダライタを入手するとこれを手持ちのパソコンにインストールしなくてはなりません。
説明書には「カードリーダライタを接続するより前にインストールしてください!」と強調してあります。
普段ならこういうところも読み飛ばしてとりあえず接続してしまって失敗するのですが、今回は我ながら慎重です。
インストールCDを使って手順どおりに進めます。
そしてさらに市役所で渡された「公的個人認証サービス利用者クライアントソフト」もインストールします。
これがうまくいくと、確定申告書類を送信する人物が間違いなく私本人であると兵庫県知事によって証明される事になるわけです。
これもCDを放り込めば自動的にとんとんと進む、はずなのですが、ここで「エラー」が出ます。
どうもパソコンとの相性が悪いとエラーが出るみたいです。
「インストールしなおすと問題が解決される場合があります」と表示されるのでしつこく何度もインストールしなおしますが、やはりダメです。
「JPK利用者ソフト」なるものをインストールした事になっているはずなのに、クリックすると「インストールに失敗しました」と表示されるのです。
「JPK利用者ソフト」とは別に「証明書表示ツール」というものもインストールされています。
ためしにこちらをクリックするとこちらは何とか動いているようです(自信はない)。
証明書が表示できているという事は県知事の承認も得られているはずだ、と勝手に思い込んでインストール作業はここまでとします。
諦めの早い私でした。(3月6日)

(第4回)

若干の不安はあるものの一応送信環境が整ったので、「e-Tax」のサイトに接続します。
ページのトップに申告までの流れがいろいろと書いてあります。
何なに、「開始届出」を提出しろ、と? 
次にそのために「ルート証明書インストーラ」をダウンロードしろ、と? 
それからさらに「e-Taxソフト」をダウンロードしろ、と?
ダウンロード自体は簡単ですが、何しろ利用者番号や暗証番号がごちゃごちゃになってしまいそうです。
結局最終段階までに必要な設定項目は
  住基カード暗証番号
  e-Tax暗証番号
  納税用確認番号
  納税用カナ氏名
  利用者識別番号
  同、暗証番号
以上6点でした。
これはまとめてメモしておいた方がいいと思います。(3月9日)

(第5回)

いよいよ「e-Tax」画面を開きます。
右上に「基本的な流れ」というチェックボタンがあるのでそこをクリックするとかなり細かくナビゲートしてくれるようになっています。
基本的には左のメニューに沿っていけばいいようです。
「利用者選択」→「新規作成」ここで申告書類をパソコン内に格納するためのフォルダを作ります。
さきほどメモした「利用者識別番号」が必要になります。
他に「利用者名」も入力しますが私は「納税用カナ氏名」を入れておきました。
「作成」→「申告・申請等」新規作成そして作成する帳票を選択します。
昨年の申告書類を見るとどうやら「申告書B」「青色申告決算書」「同、付表」「所得の内訳書」の4つの帳票が必要なようです。
これらを選んでフォルダに入れて、これで申告書類への記入ができるようになったわけです。 
ようやくスタート地点。
やれやれです。 (3月11日)

(第6回)

ここからは昨年の申告書類を見ながらの作業になります。
当院くらいの規模ですと収入と支出の項目も規模も毎年同じなので、昨年の数値を今年の数値に置き換えるだけでほぼOKです。
しかもe-Taxソフトでは数値を入力すると金額合計を自動的に処理してくれるのでかなり楽です。
実質的には数時間程度の作業で入力が終わります。
これを送信します。
まずは送信する帳票を選んで「納付情報登録」を行います。
そしてそこに「電子署名」を刷り込んで、そして送信です。
右蘭の「メッセージボックス」をクリックすると「所得税申告」が「受付完了」となっていますので、どうやら無事に送れたみたいです。
問題は書類に不備があった場合です。
その場合は電話がかかってくるのでしょうか? それとも郵送? あるいは電子メール? 
送信はしたものの、もう一つ手ごたえがなくて宙ぶらりんの感じです。
コラムの読者の皆様からも「電子納税で引っぱりすぎ」という声がそろそろ寄せられていますので、この話題はそろそろ終わりにします。
次は違う話題でお会いしましょう。(3月13日)

今後の手続きのためにもと思って頑張って作ったマニュアルだったが、税制上の問題でe-Taxが利用できたのはこの年限りだった。
手続き代、機械代、返せー! 


この間のイベントにあたって、ホールの人にちょっとしたお願いをする機会がありました。
イベント終了後、荷物を運び出す時間がなかったので一晩会場に置いてもらいたかったのです。
(翌日には公演がないので荷物を置いていても基本的に誰にも迷惑はかかりません)
公立のホールですからこういう事がスムーズに運ぶとは私も思っていません。
ホールの受付担当者、ホールの現場担当者、ホールの管理責任者、それから警備担当者、これだけの部署の人たちにお願いして回ります。
するとみんなが言うのです。
「うちの部署はいいが、掃除の人が何と言うか……」
面白いですね、ホールの運用で一番発言力があるのは掃除の人みたいです。(3月16日)

福井晴敏の「Op.(オペレーション)ローズダスト」を読みました。
この人の小説はとにかく厚くて熱いので読むのに大変なエネルギーが要るのですが、何とか読み終えました。
予想通り冒頭から沸騰する青春、たぎる愛国心、突っ走るアクション。
緻密に書き込まれたテクノロジー、平和ボケ日本人への爆発する憤懣、それでいてメルヘンチックな美少女キャラ。
まさに福井ブシ炸裂の熱血長編でした。
ただ、下巻丸々1冊を費やして描写されるお台場壊滅シーンはさすがに長かったです。
それから「ローレライ」にも共通するのですが、敵役の狙いが何かもう一つ分からないのでかなり脳内で補完する必要があります。
上手に映像化すればエンターテインメント巨編になる可能性は大、と言いつつ、それなりの忍耐力を持った人だけにお薦めします。(3月30日)

神戸大丸の「ミロ展」に行ってきました。
さすがに人が一杯でした。
この人の魅力は
「これくらいなら自分にも描けそうな気がする」、
「この程度の前衛なら理解できるような気がする」、
「この人のリトグラフ程度なら頑張れば買えそうな気がする」
という「手の届きそうな」感じだと思いました。
展示されている作品の数々も確かに元気なのですが、見ている人たちの表情が元気なのが印象的な展覧会でした。(4月1日)

先日ある人と打ち合わせの日にちを電話で相談していた時に「その日はジョウキョウしているのでだめです」と言われてしばらく考え込んでしまいました。
「上京」でした。
そんな言葉はとっくに死語になっているものと思っていました。
この間読み終わった小説では刑事たちが被疑者の行方を追いながらこう言っていました。
「奴さんの立ち寄りそうなところは……」
時代劇ではなくて現代の刑事モノです。
いくら年配の人でも「奴さん」はないのではないでしょうか。
瀬戸内寂聴が若者向けにケータイ小説を書いていた時に「天真爛漫」と書いたら編集者に「天然」と直されたそうです。
「天真爛漫」は視覚的にも素敵な言葉ですがさすがに日常会話で耳にする事はありません。
というわけで以上三点、言葉のうつろいを感じた今日この頃でした。(4月3日)

これまで居酒屋に入るとまず「造りの盛り合わせ」を頼んできました。
しかし最近お刺身を美味しいと思わない自分がいます。
流通システムはどんどんよくなっているはずなので、鮮度自体はどの店も問題ないはずです。
むしろどの店でも新鮮な魚を出せるようになってきて初めて「新鮮だからといって美味しいというわけではない」という事が浮き彫りになってきたと言うべきか、今では「造り盛り」は自分では絶対に注文しないメニューになってしまいました。
食通というわけではないのですが、最近食に関していろいろわがままになっている自分に困っているところです。(4月8日)

フランス料理店やワインバーなどでワインの肴としてチーズが出される事があります。
これも今まで何の疑問も抱かず出されるがままに食べてきましたが、最近になって違和感を感じるようになってきました。
「これは真っ当な食べ物なのだろうか?」
私はチーズは大好きでチャンスさえあればどんな料理にでも入れてしまうのですが、ソースに溶かし込んだり、オーブンでとろかしたり、熱や手間を加えてこそ生きる素材だと思います。
美味しい味噌や美味しい漬物や美味しい塩があるのと同じ意味で美味しいチーズが存在するのは分かりますが、これを単品でメニューに載せるのはあまり真っ当でないような気がします。
前回のコラムとも関連するのですが、日本人は素材そのものの美味しさを味わう能力が高い民族だと思います。
だからと言って、いや、だからこそ、ただ新鮮な刺身や高級なチーズを切って出してよしとするやり方は間違っていると思うのです。(4月10日)

つくづく鍋とは合理的な料理だと思います。
最初は薄味のスープが具材のだしで少しずつ味が濃くなっていきます。
まさに一口ずつ味わいが深まっていくわけです、こういう調理法は他にありえません。
ところが非合理的な鍋もあって、その代表はしゃぶしゃぶです。
私は主にゴマだれで食べるのですが、肉をつければその一口ごとにたれが薄くなっていきます。
どんどん美味しくなくなっていくのです。
そこで考えました。濃縮ゴマだれペースト。
これを器の底に塗ってあらかじめ水分を飛ばしてかちかちにしておきます。
食べる時にはこのペーストが少しずつ溶け出して、いつまでも味が濃いままという仕組みです。
田楽鍋の原理です。
どこかに売ってないものでしょうか。(4月13日)

しゃぶしゃぶの問題点は濃縮ゴマだれペーストで解決可能だとして、解決方法が全く思い浮かばない非合理的な料理がまだあります。
ふぐ、です。
湯引き、てっさ、てっちり、という「てっちりコース」の基本3品を全く同じ味付けで食べさせるというのはいかがなものでしょうか。
会席料理だろうとフレンチのフルコースだろうと中華の宴会コースだろうと、4品中3品までが同じ味つけなどという事は絶対にありえません。
なぜかふぐだけが唐揚げ以外全てポン酢で食べさせられるのです。
解決策が全く思い浮かばないのも事実です。
しかし素人が思い浮かばないからと言ってプロの料理人が努力しないままでいいはずはありません。
新しい味わい方の発明をお願いしたいものです。(4月15日)

焼肉は大好きなのですが、霜降り肉の存在意義が全然分かりません。
肉全体に散らばった細かな脂肪の粒子が口の中で溶解してとろける……のですが、そのあとその脂肪分は胃を何時間ももたれさせます。
もっと若い頃に食べれば美味しく味わえたのでしょうか。
ところが若い時には経済的な事情で霜降り肉など食べられませんでした。
特上ロースを美味しく思える人たちの手には届かず、手が届く人たちには美味しくない、これをミスマッチと言わずして何でしょう。
クリニック周辺の焼肉屋でも霜降り系以外の「ハラミ」「ツラミ」などの肉質や品揃えにこだわる店が増えてきました。
従来の霜降り信仰に囚われた店はあっという間に時代に置き去られるでしょう。
客である私たちも店のためには
「上や特上はもたれるから並ロースと並カルビをお願いします」
と堂々とオーダーした方がいいと思います。(4月17日)

食べ物ネタで引っぱります。
ベビーリーフやルッコラは家庭でサラダを作る時には重宝します。
ボリューム感があるし見た目も鮮やかです。
しかしこれがフォークとナイフの店で出てくると、食べるのに悪戦苦闘する事になります。
ベビーリーフが出てくると「ここのシェフは自分の料理を食べてないんだな」って思うのです。(4月20日)

食べ物ネタの途中ですが……、このところものすごい勢いで嘔吐下痢症がはやっています。
ウイルス性の感染性胃腸炎です。
例年なら梅雨の時期にはやる病気なのですが、気温のせいか今年は2ヶ月近く早い流行です。
食品の調理、保存、それから手洗いには十分気をつけてください。
激しい下痢の場合は早めに受診をお薦めします。(4月22日)

1998年、和歌山市の夏祭りでカレーを食べた67人に砒素中毒症状が発生、うち4人が亡くなった。
カレーに亜砒酸を混入したとして近所の主婦が逮捕された。
物的証拠はなかったが検察は状況証拠のみで死刑を求刑、被告は犯行を否認したが2009年4月21日最高裁は被告の上告を棄却し死刑が確定した。
 

当時の異常な報道ぶりが改めて思い出されます。
和歌山カレー事件の事です。
どのチャンネルを見ても警察発表の鵜呑み垂れ流しと伝聞のそのまた伝聞程度の噂話。
民法の報道バラエティならやむを得ないかと思っていましたが、NHKのニュースが伝聞情報を流している場面を見るにいたってTVジャーナリズムに完全に絶望したのをよく憶えています。
当時の過熱報道から距離を置いていた立場からすると今回の死刑判決も相当異常です。
全員一致でこんな判決を下すのがプロの裁判官ならば、素人裁判員の方がはるかにまともではないかと思えて仕方ありません。
今回の判決で気になったのがスプリング8を使った砒素の鑑定です。
鑑定では、報道によって鑑定の文言が違うのですが、鍋に残っていた砒素と被告の自宅から発見された砒素が同一の物であったとしています。
最先端の技術を駆使して鑑定したのだから間違いないだろう、と普通は思ってしまいがちです。
ところがスプリング8の分析には間違いがなくても人間の判断力には予断や思い込みでブレが生じます。
検察から4種類、弁護側から5種類、そして被告の自宅から発見された1種類、合計10種類の砒素に1から10の番号をつけて鑑定人に検査させて、その中から鍋に残った砒素と同一の物を法廷で発表させます。
(その時点では正解は裁判官しか知らない)
それが正解なら初めて鑑定が正しいと言っていいと思います。
不正解ならこの事件に物的証拠は存在しなくなり、逆に無罪の可能性が高くなります。
検察主導で行われた今回の鑑定手法は絶対的に間違っていると思います。(4月24日)

神戸元町ダイアリー2009年(1)乱歩のミステリ<main>神戸元町ダイアリー2009年(3)新型インフルエンザ騒動

神戸元町ダイアリー2009年(1)

あけましておめでとうございます。みなさま、お正月休みはゆっくり過ごせましたでしょうか?
私は一応予定通り「江戸川乱歩全集」を読み終えました。
肝心の映画はタイミングが合わなくて見ていません。
それにしても乱歩全集全30巻、さすがに長かったです。
初期の短編はともかく中期以降の長編の数々は本当にくずのような……、おっと新年早々ネガティブな事は言わないでおきましょうか。
中期以降の長編はともかく初期の短編の数々は本当に素晴らしかったです。
今年もよろしくお願いします。(1月5日)

江戸川乱歩全集の最後の方はエッセイや自伝(っぽいもの)で構成されていました。
面白いのは戦時中の話です。
彼は戦前までは淫靡な小説ばかり書く引きこもりの変人作家として紹介される事が多く、実際にそうふるまっていたそうです。
ところが戦時中は町会の役員に任命されてしまい、消防訓練や物資調達のために人前に出る事が多くなってしまいました。
そこで彼は人前に出る事の快感を覚えて訓練などで人一倍張り切ってしまったそうです。
空襲や悲惨な話も描写はされるのですが、戦時中の乱歩の日常生活は妙に高いテンションで綴られます。
これまで戦時中の庶民の生活は貧しくて不自由で窮屈なものとして描かれてきましたが、案外当時の人々は半ば浮かれたような高揚感を味わいつつ生活していたのかもしれない、そんな事も感じさせられた一節でした。(1月7日)

乱歩の最大の問題は、自分の特質と自分の目指すものが大きく食い違っていたという点だと思います。
乱歩は「本格推理」を高く評価し、自身もそれを目指していました。
「本格推理」とは小説の重心を謎解きやトリックに置いた作品の事です。
エラリー・クイーンやアガサ・クリスティなどがその代表です。
そこでは犯人の犯行にいたる感情の機微やリアリティはさほど重要視されません。
手がかりのフェアな提示と見事な解決編こそが小説の肝です。
ところが純粋な謎解きものに憧れて目指していたにも関わらず、乱歩にはこういう作品は書けませんでした。
彼はエッセイや自伝で「レンズと火縄銃を組み合わせたトリックは世界で最初に自分が発明した」と繰り返し自慢します。
自慢げな乱歩には申し訳ないですが、しょせんその程度のトリックしか思い浮かばなかった人なのです。
その代わり彼の幻想小説は世界的な水準にあります。
彼の名前の元になったエドガー・アラン・ポオよりも短編の味わいや深みでは乱歩の方が上です。
乱歩自身もこの食い違いに気がついていました。
同時代の評論家にも何度も指摘されます。
しかし面白い事に彼はこの食い違いに全く悩やんだ様子がありません。
彼のこの能天気さが、全集を読んでいて感じる最大のミステリー、私はそう感じました。(1月9日)

本格推理の持ち味は奇想天外なトリックですが、どれも現実的に応用するのは難しいものばかりです。
「チームバチスタの栄光」は小説としてはとても面白いのですが、トリックとしてはどうでしょう? 
あの殺人方法では、もし被害者が一命を取り留めた場合には術後診断で簡単に犯人が分かってしまいます。
そしてあの方法は致死率が100%とは言えません。
刹那的な衝動犯行ならともかく、知能犯による連続殺人の方法としては現実味がないのです。
「容疑者Xの献身」のトリックには驚かされました。
しかし原作で読んだ時には感じなかったのですが、映画で見ると、見知らぬ人をおびき出して殺すというのは簡単でない事が分かります。
リアリティのある部分をしっかり書き込んで、トリック部分のリアリティのなさから読み手の注意をそらす、これが東野圭吾の巧みなところなのでしょう。
結局本格推理の持ち味は、奇想天外なトリックよりもその荒唐無稽さを忘れさせるだけの作者の力量、という事でしょうか。(1月14日)

正月には松山に帰省して、そのついでに久しぶりに道後温泉の本館に入ってきました。
期間限定サービスなのでしょうか、皇族専用の浴室や休憩室も見学する事ができました。
そうそう、この間読んだ古野まほろの小説ではこの本館が殺人事件の舞台でした。
小説のタイトルは「探偵小説のためのヴァリエイション〜土剋水」。
全編にあふれる伊予弁と馴染みのある地名とでなかなか楽しい小説でしたが、この小説の売りはタイトルからも想像できるように名探偵による緻密な推理です。
と言っても私は肝心な推理の積み重ねの部分は読み飛ばしたので本当に緻密だったのかどうか分かりません。
ミステリは好きだけどややこしい謎解きは苦手な私なのでした。
さて緻密な謎解きで思い浮かぶのは時刻表トリックです。
JRで通勤している人なら痛感していると思いますが、もはや時刻表トリックという言葉は死語だと思います。
どうする西村京太郎?
いや彼ならきっとこの状況を逆手に取って作品をものするかもしれません。
「遅延列車殺人事件〜犯人はこの人身事故を予想したのか?」
面白そうですが、このタイトルではキヨスクには置いてもらえないかもしれません。(1月16日)

センター試験の古文の問題を解いてみました。
この間「源氏物語」を読了したばかりなので、古文の読解にはちょっと自信があったのです。
答え合わせをしてみると惨憺たる出来でした。
物語を楽しむのと問題に正解するのとでは全く違う技術が必要という事でしょうか。
考えてみれば当たり前です。
読解しただけで試験問題に正答できるなら現代文の試験は全員満点のはずですから。
まあ、何を言っても負け惜しみなのですが。
それにしてもこんな内容の文章を試験問題にしていいのかどうかが個人的には心配だったりもします。(1月19日)

2009年度センター入試の古文の問題は室町時代の御伽草子「一本菊(ひともとぎく)」からの出題だった。
兵部卿宮が気になる女性のもとに手紙を送るが一向に返事が来ない。
それで家人が留守の夜を狙って夜這に忍び込むという、文部科学省ご推奨の道徳的なお話。 


やっと行きました。
「K-20(トゥエンティ)〜怪人20面相・伝」江戸川乱歩全集全30巻読了記念、「自分を誉めてやりたい」特別イベントです。
いやあ、面白かったです。
特撮(VFXと呼ぶらしいですが)とロケとセットを巧みに使い分けて作り出したヴァーチャル帝都を舞台に陰のヒーロー怪人20面相が暴れまわります。
このアクションがまたすごい。
フランス発祥のストリート系アクロバティックスポーツ(?)「パルクール」を前面に押し出してワイヤー多用の中国アクション映画とは一線を画します。
また場面設定が丁寧で、一つ一つのシーンをかなり練り上げて組み立てているので湿っぽい部分でも全然テンポがだれません。
2時間17分があっという間でした。
みなさまもお暇ならぜひどうぞ。
「レッドクリフ」と2作続けて鳩を飛ばす金城武が主演です。(1月21日)

小学校からの英語義務化についての是非が議論されてきました。
いろいろな評論家がそれぞれ総体論を戦わせていますが、面白いです。
当然ながら小学校の頃から英語を学ばせた方がいい子もいるし、そうでない子もいます。
その人数比を想定しないで議論をするのはあまり科学的ではないと思うのです。
全く根拠のない私の予想としては人数比は

英語教育がとても有用:やらないよりはまし:ほぼ無意味:やるべきではない=2:3:3:2

くらいだと思うのですが、こういう比率が出されれば義務化の議論はおのずと結論が出ると思うのです。
それもしないで全体論、抽象論ばかり繰り返す教育評論家を見ると、日本教育には英語よりも論理学を先に導入した方がいいのではないかと思ってしまうのです。(1月23日)

宇宙人に地球の音楽を聴かせるとすれば何を選びますか?
私なら迷う事なくバッハを選びます。
その中でもおそらくは「ゴルトベルク変奏曲」を。
これを聴くと宇宙人は人類が知的合理性と芸術的感受性を併せ持った優れた生物である事を間違いなく理解すると思うのです。
私たちが毎日聴く音楽はバッハほど知的でもないし芸術的でもありません。
そういう意味で人類の音楽をバッハで代表させるのは本当はズルいかもしれませんが、宇宙人相手にこれくらいの「ええかっこしい」は許されるでしょう。
ところで次に、人類を代表する言語は何かを選びましょうか。
と言いながら私が知っているのは日本語と、あとは英語を少々学んだ程度です。
それでも断言できます。
一般の認識と異なり、英語は決して合理的な言語ではありません。
時制の処理が不徹底だし、第一、発音と表記が違いすぎます。
英語をもって地球言語を代表させるのはちょっと恥ずかしいです。
それなら表音文字と表意文字の見事な調和を達成している日本語の方が宇宙人を驚かせそうな気がします。
アメリカの繁栄のせいで英語が国際語になりつつあります。
それは歴史の必然です。
でもアメリカの次に繁栄する世界国家の言語はもっと合理的で表現力のある言語である事を期待します。(1月26日)

コンサートのお知らせです。
2月1日(日)14時から西宮アミティホールで「アロハ合奏団」のコンサートが行われます。
今回はスティーヴン・スピルバーグとジョン・ウィリアムスによる映画の音楽特集です。
超ヒットメーカーの二人の映画音楽だけに、どれも耳馴染みのある楽しい曲ばかりです。
よかったらどうぞ。(1月28日)

来週早々松本胃腸科クリニックのカルテのシステムが大幅に変わりそうです。
システムの円滑な移行を心がけますが処方や会計などで通常よりもお待ちいただくことがあるかもしれません。
慢性疾患で通院中の方はなるべく遅い日時でのご来院をお薦めします。(1月30日)

「三国志演義」、やっと読み終わりました。
当初は年末年始で読んでしまうつもりでしたが、とてもそんなボリュームではなかったです。
「三国志」は私は大昔に柴田錬三郎のものを読んだだけです。
シバレン「三国志」はHな描写も多くて中学生にはちょっと刺激が強すぎましたが、その頃から漠然と感じていた違和感があります。
「何だかんだ言っても蜀は負けちゃうんでしょ?」
「演義」全7巻を読んでようやくその疑問が解けました。
「三国志」の主役は劉備や諸葛亮ではないのです。
三国が乱立して覇を競う大きな時代のうねり、この時間の流れこそが物語の主役だったのです。(2月2日)

「三国志演義」は120の章からなります。
各章は「さて絶体絶命の劉備はこのあとどうなります事やら?」というような決まり文句で終わります。
無味乾燥な歴史書ではなく、あくまでもエンターテインメントなのです。
それを思うにつけちくま文庫のやり方が解せません。
重要なキャラクターが初めて登場する時には親切な注釈がつけられます。
「この人は第○巻で誰それに裏切られて死ぬ」おいおい。
文中だけではなく裏表紙にもかなり細かなストーリーが書いてあります。
「この巻でついに○○が死ぬ」私は本を買うとまずカバーを取り去って裸で読むのでラッキーでした。
それにしてもどうしてこんな無粋な事をするのでしょう?(2月4日)

「三国志演義」を読んでいてとてももどかしかったのは文中の地図が中途半端な事です。
「ローマ人の物語」や北方「水滸伝」にもその傾向はありましたがまだましでした。
とにかく本文に登場する地名が地図に載っていないのです。
本文を読んでいない人が地図を作成し、作者もその地図をチェックしていないのだと思います。
かえって邪魔になる地図、考えてみれば珍しい現象かもしれません。(2月6日)

ポール・ニザン「アデン、アラビア」とジャン・ルオー「名誉の戦場」をもって河出書房新社の世界文学全集第1期が完結しました。
全12巻、どれも未読の作品ばかりで新鮮でした。
実は私は正月の福袋セールというものの意味がこれまで分かりませんでした。
色や形の分からないバッグやアクセサリーなどを、ただお買い得だからという理由だけで買う心理が理解できませんでした。
たとえ半額だからといって好みでもないマフラーや財布を買う人がいるのだろうか? と思っていたわけです。
これまでは。
考えてみれば私がやっているのも全く同じ事でした。
ただ全集に入ってるからという理由で、中身も確かめずに買ってきたわけです。
そうなのです、どんな作品が入ってるのだろうか? というわくわく感こそが福袋の醍醐味だったのですね。
全国の福袋ファンのみなさん、すみませんでした。(2月9日)

「世界の名作」を12冊も読んだ記念にベスト3を選んでみましょうか。
第1位はクンデラ「存在の耐えられない軽さ」
今まで未読だったのが恥ずかしいです。
第2位はパオ・ニン「戦争の悲しみ」
本当はこれを1位にしたかったのですが同じ巻に入ったもう一作が面白くなかったので印象が少し悪くなりました。
第3位はブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」
これもすごいです。
さあ第2期の12作も楽しませてくれるのでしょうか?(2月13日)

このところオペラ「カルメン」を多く聴いています。
オーケストラの演奏者としては、有名な曲だけを集めた「組曲」を何度か弾いた事があってビゼーの力量についてはよく分かっていたつもりでした。
しかし実際に合唱やソリストが入った演奏に接すると、「組曲」はビゼーの魅力を十分の一も伝えていなかった事に気づかされます。
これまでモーツァルトやプッチーニやヴェルディなどの上演に接してその都度「オペラはすごい!」と実感してきたはずなのに、それでもまだビゼーを過小評価していたわけです。
これも日本の「交響曲至上主義」の音楽教育の弊害でしょうか、と人のせいにするだけでは無責任なので一つご紹介。
「芦屋市民オペラ」、私が毎年お手伝いしている市民による手作りオペラです。
手作りとは言っても歌手は一流のプロの方々だし、舞台装置も衣装もついた本格的舞台です。
これがみなさまのご厚意により3,500円という信じられないような低価格で上演できる事になりました。
2月22日(日)芦屋ルナホール 
13:00と17:30の2回公演
興味があればぜひどうぞ。(2月16日)

フォーマルな服装の聴衆が多いクラシックのコンサートだと演奏者にもそれなりのマナーが求められます。
カジュアルなサロンコンサートだと演奏者も曲間にくだけたお喋りを挟みますし、聴衆が演奏そっちのけで叫び続けているアイドルのコンサートだと歌手はさらに好き勝手に振る舞います。
極端な例だとフロアでオーディエンス同士が殴りあっているデスメタルのライブだとプレイヤーがステージで唾を吐こうがウイスキーをラッパ飲みしようが誰もとがめません。
主役のマナーや品格を決めるのは客だと思うのです。 
観客が興奮すると座布団が乱れ飛ぶどこかの国の国技があります。
さっきまで尻の下に敷いていた座布団を観客はあたり構わず放り投げるのです。
そういう客が集まるスポーツの主役にはどの程度の品格が求められるのでしょうか?(2月20日)

2009年初場所の千秋楽。
優勝を決めた横綱朝青竜がガッツポーズを見せ、これに対して「品格がない」と厳重注意が下された。
 

演奏会の服装と言えばよくネット掲示板にも相談が寄せられています。
「来週クラシックのコンサートに行くのですがどういう格好で行けばいいでしょうか?」
最も一般的なのは「人を不愉快にさせるような格好でなければ大丈夫」という回答だと思います。
しかし実際はクラシックのコンサートでもいろいろなランクがあります。
ネット質問箱に頼るのであれば会場、出演者、曲目まで明記した方が的確な答が返ってくる可能性が高いと思います。
ついでに言えば質問者の外見も分かるようにした方がいいでしょう。
もし質問者が細面の美青年で、金はないが才能だけはばりばりありそうな風貌であれば、どんなコンサートでも破れジーンズにTシャツでいいと思います。
一方メタボ体型のおっさんであれば絶対的にスーツにネクタイです。
これからこういう質問をする人は自分の写真を貼りつけましょう。(2月23日)

服装と言えば、この冬はコートを着る事なく終わりそうです。
例年冬になると「去年は何を着てたんだっけ?」とクローゼットを漁るのですが、今年はそういう事もなく、夏服にジャケットをひっかけた格好でとうとう一冬過ごせてしまいました。
考えてみればここ数年服を買った記憶がありません。
そうそう、先日のイベントでアロハシャツが必要だったので高架下で買いました。
それがものすごく久しぶりの買い物だったと思います。 
20代の頃は「40代になったらスーツなんかを隆と着こなしてるんだろうなあ」と漠然と思っていましたが、現実は全く違いました。
「21世紀には車は空を飛んでるんだろうなあ」と並ぶ大外れに終わった未来予想の一つです。(2月25日)

前回「しばらく服を買った記憶がない」と書きましたが、嘘でした。
昨年の暮れに通販で靴とジーンズを5足ずつまとめ買いしていました。
同じ形、同じサイズ、同じ色を5足ずつ。
これを毎日ローテーションで履いているわけです。
そういうわけで私は基本的に毎日同じ格好です。 
昔「ザ・フライ」という映画で主人公のクローゼットを見て彼女がびっくりするというシーンがありました。
クローゼットには同じ色のジャケットがずらっと並んでいるのです。
「これなら何を着ようか迷わなくてすむだろ」と、科学者である主人公は言います。
変人ぶりを上手く表すエピソードだと思いましたが、私も知らず知らずのうちに同じような事をしていました。
私は変人ではないと思っていますが……。(2月27日)

神戸元町ダイアリー2008年(6)ジャーナリストの死<main>神戸元町ダイアリー2009年(2)e-Taxにチャレンジ!

神戸元町ダイアリー2008年(6)

私も以前タバコを吸っていたので一仕事終えたあとの一服が何物にも替えがたいという気持ちは分かります。
特に大きな手術のあとの一服の美味いことと言ったら!
とは言うものの、手術の片づけのあと手術室のスタッフと焼肉に繰り出すのと、手術後の一服とどちらが「替えがたい」かと言うと焼肉に決まっています(手術のあとはなぜか焼肉が食べたくなるのです)。
つまり私の中ではタバコによって得られる快楽は焼肉によって得られる快楽よりもはるかに小さいのです。
ニコチンの感度によってこの快楽に個人差は当然あるでしょう。
しかし、それでも「あの程度」の快楽のために有害物質に肺をさらすのはどう考えても割りが合わなさ過ぎます。
タバコの快楽は何物にも替えがたいと語っていたジャーナリスト筑紫哲也が肺癌で亡くなりました。
ヘビースモーカーだった彼が、肺癌と分かってからは禁煙したそうです。
それはタバコが健康を蝕むと認めたということなのか、蝕むとすればそれは個人の嗜好に任される範疇なのか、今までの自分の発言は適切だったのかどうか。
彼にはジャーナリストとしての発言を残しておいて欲しかったと思います。(11月10日)

ジャーナリストと言えば、古舘伊知郎が筑紫哲也の死を伝えたあと「私たちTVジャーナリストにとって筑紫さんの存在は〜」と語っていました。
愕然としました、彼はジャーナリストのつもりだったのですね。
私は筑紫哲也の番組を見たことがないので彼がどういうレベルのジャーナリストであったかは判断できません。
古舘伊知郎の番組もほとんど見たことがありません、しかし先日たまたま見た時、彼はイージス艦事故の海難審判について伝えていました。
審判が始まったというニュースでした。
審判が終わってみないと事実関係は分からないはずなのに、番組では遺族が仏壇に手を合わせる映像やインタビューばかり流していました。
イージス艦が一方的に悪かったかのような制作態度でした。
海難事故の悲惨さはしっかり伝えればいいと思います。
しかし審判が始まったというニュースに悲しむ遺族の映像を重ねるのは明らかに民意誘導です。
真っ当なジャーナリストなら絶対にやってはいけないことです。
やってはいけないことと言えば、田原総一郎もそうです。
私は大物政治家にぐいぐい鋭い質問で切り込んでいく彼に好印象を持っていたのですが、先日彼は自著の出版記念パーティーに政治家を大勢招待していました。
何たる無定見でしょう。
あと立花隆については以前書いた事があります。(2007年10月3日、11月2日分
こうした人たちによって「偉大なジャーナリスト」と讃えられる筑紫哲也が本当に偉大だったのかどうか、最近ますます分からなくなっています。(11月12日)

海苔やフィナンシェを食べるたびに感じるのですが、この包装はものすごく不便だと思いませんか?
包装の縦方向に切れ目が入っているのですが、

こんな風に端が斜めに切れたり、

こんな風に中身に食い込むように破れたり、上手に切れたためしがありません。
きっと生産者は自社製品を食べたことがないんだろうと思ってしまいます。
かと言って改善策を今まで思い浮かびませんでした。
ある日、気がつきました。
注射器と同じ包装にすればいい、と。
注射器の包装は端がこのようにめくれています。

これをこうめくると注射器が現われてくるわけです。

これだと取り出しやすいし、お菓子だとそのまま口に運ぶのも簡単です。
海苔やお菓子業界の人、包装をこのタイプに変えませんか?(11月14日)

2008年9月24日に就任した麻生太郎総理大臣であったが、就任直後から漢字の読み間違いの数々がマスコミで面白おかしく取り上げられた。
未曽有「みぞうゆう」や踏襲「ふしゅう」あたりが有名。
 

どうして専門家が声を上げないのか不思議です。
最近マスコミが麻生総理の読み間違いの数々を取り上げてからかっていますが、これは「読字障害」という一種の障害の可能性が高いと思います。
つまり文字を正しく認識して、文字的発想に基づいて思考して、自発的に喋る事は出来るのに、書かれた文字を発音するのに困難を感じる障害の事です。
この障害は知能や判断力とは全く関係ありません。
ただ、小学生の頃に朗読が上手くできないために「頭が悪い」と判断されて、自分も自信を失い、結果的に学力が低いままで終わってしまう例は多いとされています。
「読字障害」を早く発見して本来の知性を生かす方法を考えなくてはならない、これは教育心理学の最重要課題です。
マスコミが今やっているのは残酷で非人間的な障害者いじめです。(11月16日) 

オバマ氏が大統領に選ばれたものの、アメリカでの人種差別はまだまだ根強いと言われています。
それを聞いてぞっとしました。
何年か前に「クラッシュ」という映画を見ました。
アメリカの人種差別模様を信じられないほど巧みなシナリオで描いた作品でした。
この映画を見ると黒人差別は確かにまだまだ深刻なのだと思わされます。
その一方でこの映画ではアジア人はわけの分からないことを叫び勝手に自滅していく、知能の低い頑迷な人種として描かれています。
黒人差別はようやく深刻な社会問題になってきた、しかしアジア人に到っては差別が問題にもならない、黒人よりもはるかに劣った人種である、そういう考え方を強烈に感じさせる映画でした。
考えてみればアメリカでは黒人が主演の映画でもヒットします。
しかしアジア映画は白人を主役にして撮りなおさないとアメリカでは上演されません。
日本人は「アメリカでは黒人は差別されて大変だなあ」と暢気に考えていますが、アジア人は黒人よりも低く考えられているということを知っておくべきだと思います。(11月17日)

映画「レッドクリフ」に行きました。
コミックにしても映画にしても完結していない作品を見るのは主義ではないのですが、ついつい行ってしまいました。
戦闘シーンは冗長ですが規模が大きいし演出も巧みなのでそれほど退屈はしません。
人間ドラマは簡潔できりりと締まっています。
特に主役二人が音楽で友情を深め合うシーンはなかなかの見ものでした。
完結編は来年の春だとか。
というわけでさっそく買ってしまいました。
「三国志演義」(ちくま文庫)これが今年の年末年始の本になりそうです。(12月3日)

もしかすると前に書いたことがあるかもしれません。
どうして映画館の食事はあんなに貧相なのでしょう。
ポップコーンとフライドポテト、それにフライドチキン。
シネマズミントにはクレープショップがあって多少ましですが炭水化物メインであることには変わりありません。
どれもこれもアメリカの貧しい食文化を代表するようなメニューです。
ハリウッドはハリウッドとして私は文化としてちゃんと認めます。
しかしあの最低の映画館フードは全く別です。
映画業界はシニア向け割引をおこなったり年配層の動員に力を入れています。
しかしどんなに割引しようとあんなわびしい食べ物を供するような場所に大人は行かないと思うのです。
これだけシネコンが乱立して競争が激化しているはずなのにどうして誰も考えつかないのでしょう?(12月5日)

さて映画館の食事ですが文句ばかり言っていても建設的じゃないので一つ考えてみました。
ミニステーキとポテト、にんじん、マッシュルームのソテーにクリームソースをかけたものです。
ソースには冷めても固まらない程度にチーズを溶かし込んでいます。
肉と野菜は食べやすいサイズで、温かいうちにつまようじで食べます。
その後残ったソースはパンにすくって食べます。
家で作るときにはソースには青かびのチーズをたっぷりと使って、パンはガーリックトーストにするのですが、映画館だとさすがに難しいでしょうね。
これにハーフサイズのワインでもあれば映画ライフがぐっと充実すると思うのですが、いかがでしょうか。(12月8日)

突発的な大不況のために採用の内定を取り消す企業が相次いでいるそうです。
「経営不振で、入社してもらっても給料を払えそうにないんだ、すまないが内定を取り消させてくれ」
「何を言うんです、ぼくはこの仕事がやりたくてこの会社を選んだんです。ただでもいいから1年間頑張らせてください」
「そこまで言ってくれるのか」
「はい!」
「じゃあ一緒に頑張ろう!みんなも1年間頑張るぞ!」
「おー!」
というような光景があちこちで展開しているものとばかり思いましたが、現実は違うようです。
どうやら青春ドラマの見すぎだったかもしれません。(12月17日)

先日バレエ「くるみ割り人形」を見てきました。(貞松・浜田バレエ団、神戸文化ホール)
バレエは見る人を贅沢な気持ちにさせてくれる文化ですね。
優雅な舞い、躍動的な跳躍、ゴージャスなチャイコフスキーの音楽。
それに歴史のあるバレエ団だけに可能な豊富な舞台装置と数々の小道具。
あっという間の2時間でした。
面白いと思ったのは開演前の解説です。
バレエの仕草と手話を比べて「バレエにおける表現方法入門」を分かりやすく説明してくれました。
開演前の挨拶が面白かったためしはありませんが、今回は珍しいことにとても面白くて、鑑賞に役立つものでした。(12月22日)

今年最後のコラムが弁解で終わりそうです。
この正月は「三国志」を読む! と以前のコラムで宣言しましたが、予定変更です。
実は数年前から読み進めていた「江戸川乱歩全集」が残り3冊なのです。
あんまり面白くないのでゆっくりゆっくり読んできたのですが、この正月に怪人20面相をアレンジした映画が公開されるそうです。
それならこれを機会に残り3冊を一気に読み終えて映画を見に行こう! と思ったわけです。
そういうわけで「三国志」はちょっと後回しになります。
というのは全くどうでもいい自分への言い訳ですが、明日から当クリニックも9連休に入ります。
みなさまも体調に気をつけてよい新年をお迎えください。(12月26日)

神戸元町ダイアリー2008年(5)格差社会の原因<main>神戸元町ダイアリー2009年(1)乱歩のミステリ


calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
selected entries
categories
archives
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM